光の魔女1
降りしきる雨、街道脇の木の下にクロスは座っていた。
近くでは大トカゲ車と御者も共に雨宿りをしており、御者は大トカゲの体を拭きながら一心不乱にさすっている。
クロスはと言うと、相互紙を開いて、師と連絡を取っていた。
『イーリとタルギン太守は狩りの後に婚約を発表したそうよ。統王も祝辞を送るようだし、これでナッグ問題は解決ね』
『狩りの方はどうでしたか?』
『イーリから聞いた限りでは、かなり盛り上がったみたいね。一番獲物を稼いだのは太守の部下の"早手のフィリオン"だったって聞いたわ』
『鷹のポランはどうだったんですか? イレーギンさんは?』
『ポランはイーリの緊張しすぎで三番手に、太守は婚約者が気合を入れて立派にしすぎた鎧の重さで奮わなかったって』
イレーギンがイーリに告白した翌日に、クロスは次の地へ向けて旅立っていた。
もし全てが落ち着いた後に出発しようとしては、強く慰留されてしまうだろう。
そうなった時、断り切れるかどうか自信がなかったのだ。
『見たかったなぁ』
『集まった見物人の数は過去最高だったそうよ。そういう場で魔女とタルギンの同盟復活をはっきりと示せたのは、今後の協会にとって大きな利益になるはず。よくやったわね、クロス』
『今回のことは、自分でも意外なほど熱中してしまっていました。たった三日間の出来事でしたけど、かなり集中力が発揮されてたと思います』
『生き延びた"忌み子"は、狭い分野で集中的な才覚を見せる場合があるわ。視野が狭まって、感情的にもなるのだけれど、今回はそれが幸いしたわね』
クロスは、"鉄の魔女"の家から出発する直前に見たものを思い出した。
城に呼び出され、イレーギンとイーリを伴って戻ると、イーリはココチに深々と頭を下げたのだ。
そして皆の前で娘に対する感謝と謝罪を述べると、母娘はお互いにしっかりと抱き合いながらわんわん泣き始めた。
母は母なりに、娘は娘なりに、溜め込んでいた想いがあったのだろう。
お互いに、それを涙と泣き声に乗せて吐き出し合っていた。
ココチは母を愛し、幸福を望んでいながらも、どこかで母を恐れていた。
"鉄の魔女"の弟子としての学びを与えてもらえないのを不満に思いながらも、母の心情に寄り添い慮り、自分を責め、真の望みに蓋をし続けてきた。
自分がいるから母は不幸な経験をしてしまったのだ。自分がいるから母は先に進めないのだ。その考えが、遠慮を生んでいた。
だが全て吐き出したのだ。感情を爆発させ、表情を歪め、その上で愛が勝ったのだ。
そしてその場で、ココチは"鉄の魔女"を継ぎたいと願い、イーリは願いを叶えると誓ったのだ。
あの光景に立ち合えた。それがクロスへの報酬であり、自らの力がもたらした満足感だった。
自分の力と性質が誰かの役に立ち、いくつもの幸福を生み出したのだ。
そう考えると、居ても立ってもいられなくなり、彼は次なる魔女の出会いを求めていた。
出発を早めたのも、それが理由の一つだった。早く、一刻でも早く次に進みたかったのだ。
『それで、今はどっちに向かってるの? 北? 北西?』
『北です。グント鉄鉱山を回って、今はヴァレク候街道を進んでます』
『てことは次は"光の魔女"ね。行程で言えばあと2日ってところかしらね』
クロスがタルギンを発ってからは、既に4日が経過している。
今目指しているのは旧ヴァレク領の商業都市モル・ニスだ。
三角連衡の一角として統王への乱に加わり、北のデルグンドラ諸侯に滅ぼされるまで、ヴァレク家は歴史ある一族として醸成された文化と保守的な行政を安定させていた。
それが意味するところとは──
『気をつけてね。あそこは魔道士会の影響力が強い地域よ』
魔道士会。
かつてカイレン魔術組合と名乗っていたその学術集団は、魔女王国より遥か以前から存在していた。
それは特定の本拠を持った統制組織ではなく、各地の魔法使いたちを繋ぐ組合としての情報網であった。
故に国境や特定勢力への義理を持たず、様々な地域、組織、権力へ彼らは自由に食い込んでいた。
やがてその学識は権力者たちによって利用されるようになり、公式の地位を獲得した魔法使いたちによって、魔術組合は独自の権威を得たのだ。
それは権力の空白地帯。皆が古くから魔術組合を利用し、その伝統としがらみの中で、人々は彼らの安定した立場を確約させられていた。
魔術組合の不文律、鉄の掟はたったの三つ。
一つ、女人禁制であること。
一つ、弟子は師匠に必ず従うこと。
一つ、評議会の決定は絶対であること。
魔術組合には17名の特別な評議、高名な魔法使いがいる。
彼らが話し合いの末に下した決定には、どんな人物であろうと例外なく従わなくてはならない。
しかし評議たちは普段は世界中に散らばって思い思いの活動に励んでいたため、話し合いの場が持たれることは殆どなかった。
そのため、事実上魔法使いたちは放任状態であり、世界各地に勝手に支部や派閥が立ち上げられ、それぞれが独自の思惑で活動していた。
魔女王国に対抗して魔道士会と名を改めた後もその状態は続いた。が、統王が世界を統一すると、彼は17名の評議全員を王都に集めて住まわせた。
以来、評議を通じた組織改革や再編、監査等が立て続けに行われ、現在では組織としてのまとまりを得つつある。
故に、魔女協会にとっては往時よりも警戒すべき存在であった。バラバラの野犬の群れよりも、首輪付きながらも統率の取れた狼の方が遥かに注意を要した。
今や魔女協会と魔道士会は、統王の掌の上で互いを牽制し合う仲であった。
古い土地、長く統治が安定していた地域ほど、魔道士会との結び付きは強い。
それこそが伝統というものの無条件な強みであり、かつての魔女王国が打破せんとしたものであった。
『どうして"光の魔女"さんはそんな場所に住んでいるんでしょうか?』
そのような土地に住んでいては、研究や生産に集中はできないだろう。
事あるごとに妨害や嫌がらせに遭い、陰険な横槍を入れられる。
魔道士会ははっきりと主張しているのだ。神聖で怜悧なる学問の世界が女の無知と激情で濁っている、と。
彼らの大半が、女性の感情が知性とは相容れないという主張を疑いもしないのだ。
『本人の希望よ。これまでの"光の魔女"たちは全員魔女王国領にいたのだけれど、今の"光の魔女"は魔女名を継ぐとすぐにモル・ニスに移ったのよね。他所へ行くよう勧めても、明らかにその話題だけ無視し続けるし、心配なのよね』
『ちょっと性格に難あり、ていう感じなんですか?』
『大抵の魔女はそうよ。私だってまともじゃない自覚はあるしね。ただ、この子の場合は、一つ、絶対に注意しなきゃいけないことがあるわ』
相互紙に浮かんだ文字が一旦消える。
クロスは読み逃すまいと目を皿にしながら、続く文字が浮かぶのを待った。
『絶対に、彼女に魔法を使わせちゃダメよ』
浮き出た文字は、意外なものであった。
『"指玉"だろうと"巻き風"だろうと"沸き水"だろうと、例えどんな些細な魔法でも、絶対に使わせないこと。もし使い始めたら、殴って気を失わせてもいい。最悪の場合は死すら選択肢に入りうるわ』
魔女に魔法を使わせるな。
それは羊飼いに羊毛を刈るな、農家に鍬を持つな、機織り人に糸を掴むな、と告げているに等しい。
魔力を用いた業は魔女たちの研究の基本であり、最も身近な手段である。
それを禁ずるのみならず、最悪の場合は死んでも構わない、と協会の長に断言させてしまう。
『何故ですか?』
当然の疑問を投げかけるのは、やはり至極当然であった。
『当人の名誉に関わる事実のせいよ。だから、私の口とペン先からは言えないわ。私は魔女たちを守らなきゃならないの』
情報を隠す。特に、クロスからの質問に対して答えないという意思表示を明確にアッサルートが行うのは、珍しかった。
唯一の例は、クロスが"忌み子"であり捨て子であった過去を、本人が12歳になるまで黙っていたというものである。
それまでは単なる持病の治療だと説明するだけで、具体的な話はしてこなかった。
しかしそれが正しい選択であることは、長じたクロス本人がよく知っていた。
エルガンや師匠、死人たちとの信頼関係があったからこそ、重大な事実を受け止められた。
親として、友として接してくれた者たちとの濃密な時間があったからこそ、事実が単なる事実でしかなかった。
その上では、彼は自分の師が情報を隠したからといって、不信感を募らせたりはしなかった。
一見矛盾した言動に見えても、重要で賢く、正しい理由があるのだろう、と心の底から納得できた。
『わかりました。これ以上は訊かないことにします』
『ありがとう。でも、あんまり構えなくっても大丈夫よ。普段からちゃんと対策はしてあるもの』
返事を書こうとペンをインク壺に差し込もうとしたところで、御者が話しかけてきた。
「あんちゃん、そろそろ行くよ。雨も弱まってきたし、トカゲの体もまたあったまってきたからね」
御者がそう言って指し示した天を覗き込むと、確かに雨は弱まっていたようだった。
クロスは素早く『すいません、もう行きます』と書き送って相互紙を丸めると、置いていた荷物を背負い直した。
大トカゲはおやつの鳥肉を飲み込みながら、御者の指示を待っていた。
次に向かう先はモル・ニス。
魔女協会にとっての敵地である。
身内の不幸のため、次回更新は2019年8/3(土)ではなく2019年8/5(月)になります。
隔日更新というペースが崩れ、読者の方々にはご迷惑をおかけします。
8/5からは元の隔日更新に戻すよう努めて参りますので、今後とも何卒よろしくお願いいたします。
申し訳ございません。




