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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
鉄の章
22/211

鉄の魔女7

「なぁ、あいつと何話してたんだい?」

「ちょっとした打ち合わせですよ。ポランは戻って来ましたか?」

「ああ、ついさっきココチが回収したよ」


イレーギンを見送って後、再び控えの間に向かう。

だが入る前に、廊下で軽くやり取りを行っておく。

皆に聞かせるような話ではない会話を、ここでしておくのだ。


「それより、ごめんよぉ。応接間で皆の前で渡すはずだったのに、やっぱりどうしても恥ずかしくってさぁ」

「いえ、むしろ助かりました。これで良かったんです」

「そうかい? そんなら、許してくれるかい?」

「ええ、大丈夫ですとも」


流すように慰めながら、ドアを開く。

軽い出来事であるかのように扱うのも、時には必要であった。


「お、戻って来た」

「おかえりなさいなのです」


思い思いの場所に座っている男たちと、窓際に立ってポランの羽をなでているココチ。

見ると、鷹のポランはネズミを呑んでいるところであった。

用事の道すがらにおやつを見つけて獲ってきたのだろう。

狩りに臨めば、実に頼もしい鳥であるのは間違いなさそうである。


「あれ、贈り物もう渡しちゃったのですか?」

「ん、ああ、まあね」


ごまかすように、はぐらかすように視線を逸らす。

ココチはクロスに目配せし、クロスは待ち構えていたように小さく頷いた。

計画に支障は無い、との意思表示であった。


「どうだったのですか? 喜んでもらえたのですか?」

「いや、それがねぇ、よくわからんかった」


イーリの言葉に、呆れたような笑いを男たちが零した。

それに気付いたのは、この部屋では男だけであったが。

洗濯婦や炊事婦の言動から薄々感じてはいたが、どうやらイレーギンの片想いは公然の秘密のようだった。

もっとも、その状態は作戦にとって非常に都合が良いのであるが。


「きっと喜んでくれているのです」

「どーだかねぇ〜。昔は可愛げもあったもんだけど、石頭の堅物になっちまったからなぁ」


椅子に腰掛け、背もたれに上体を預ける。

その全ての動作に、椅子が悲鳴をあげた。

魔女の正装であるローブと帽子を身に着けてはいても、筋肉の盛り上がりと骨格の頑強さはいささかも隠れてはいない。

筋骨に押し上げられ、はっきりと凹凸が浮き出たローブに神秘性はなく、確かな存在感が主張するのみだ。

魔女らしくない魔女。しかし、それは外見の話だけである。

少なくとも、ここにいる全員はそれを知っていた。


およそ20分後、イーリとクロスが応接間へ呼び出された。

いよいよだ。裏で蠢く事情などまるで知らない"鉄の魔女"は「はいはい」と呑気に椅子から立つ。

しかしどうしても、クロスは強く息をついて、それから応接間へ向かわざるを得なかった。

何が起こるか知っているからこその緊張であった。




衛兵の案内で応接間に二人は入室した。

衛兵、絨毯、燭台、座、全て昨日見たものと同じである。

イレーギンは段の下、向かって左手に控えており、入室した二人の顔を見比べた。

贈り物を既に渡し終えているイーリは、既に仕事は終わったとばかりに力の抜けた表情である。

対してクロスは、天災に備える農民のように、緊張して時を待っているようであった。


絨毯の上を歩み、二人は座へ向かう。

座の上のバンギンは相変わらずであり、小さな体に見合わぬ眼光を鈍く輝かせていた。


絨毯の半ばまで進んだところで、バンギンが手を上げて二人の歩みを制した。

まずは"鉄の魔女"が歩みを止め、続いて"シリネディークの弟子"が控える。

それを確認してから、座上の老総督は深みより声を発した。


「城下にて不埒な噂が出回っておると聞いた。所詮は戯言と一笑に付していたが、この時が訪れるまで、余自身も思いもよらなんだ。まさか、これ程までの呆れを覚えようとはな」


言葉こそ嘲りであったが、表情に笑みや緩みは無かった。


「教えてくれ魔女よ。如何な厚顔を重ねれば、そなたが如き恥知らずとなれるのだ? 裏切られ、そなたら魔女に叩かれた余の手の痛みすら引かぬうちに、対等な立場の狩り手として狩りに参加したいなどと」


怒りは引いていない。むしろ醸成されているようにすら感じる。

イーリは立ち尽くしたまま微動だにしない。


「魔女などと持て囃されていても、所詮は野良蜥蜴の集まりか。外道の法で余の息子すら誑かし、狩りに加わる手筈をここまで整えたのであろう。だが残念だったな、余がそれを許可することは無い。太陽が燃え尽きぬ間は、決してな。さあ、帰るが良い。それとも太陽が消え去るまで待つつもりか?」


繕う気すら無い、侮辱の数々。

ここまで露骨だとは、クロスの想定を超えていた。

明け透けで頑固な彼女が、この侮辱の数々に耐え切れるだろうか?

場合によっては、即座に暴力沙汰に及ぶ可能性すらある。


恐々としながら、祈るような気持ちでイーリの背中に視線を注ぐ。

心で思うだけで伝わる術があればいいのに。

そのようなことすら思っていた、まさにその時だった。




「おやっさぁん!!!」




彼女は大声で呼ばわった。

その声は燭台を揺るがし、衛兵を怯ませ、バンギンの背中を背もたれに押し付けさせた。

クロスも思わず体を折りながら数歩引いたが、イレーギンは微かに笑みを浮かべたのみであった。

タルギン総督を「おやっさん」と呼ばわる。この街でそんなことをするのは、彼女だけだろう。


殆どの者が怯んだその時に、彼女はどっかりとその場に座り込む。

それだけで、石製の床が抜けそうなほどの衝撃が部屋全体に走った。

衛兵は矛を向けかけるが、イレーギンがそれを制止した。


「あたしは詫びを入れにきたんだよ、協会の代表としてねぇ。でも、あたし自身はあんたに対して恥じ入ることなんざぁ、何もしちゃいないね!」


魔女帽を脱ぎ、横に置く。欠けも傷もない、綺麗に左右対称に捩じくれた立派な二本角が露わになった。


「あたしは毎日毎日、槌振って、炉吹いて、鉄ぶっ叩いて、新しいモンも色々作って、最高の品を街にも城にも卸し続けてんだ。その燭台だって、衛兵の武器や板金鎧だって、あんたの座ってる座にハマってる錫だって、うちで作ったモンだ! そのあたしが来てるんだ、ねちねちねちねち底意地悪いこと言ってないで、まずは聞きな!」


バンギンが目を白黒させている間に、矢継ぎ早に次なる行動に移る。

胡座を崩し、強く片足を踏み込むようにして片膝をつき、前に突き出した右膝に右肘を乗せ、左手を腰に当てる。

そして睨み上げるかのように、座上へと視線を投げつけながら、丸覚えの台詞を読み上げた。


「『此度の騒動、発端の責任は双方の不行き届きにありと覚えしものの、不利益を被るはタルギンにあり。その不利益を今ここに謝し、責を負うべき者としての義務を果たしたく参上仕りました! 不義理を埋め合わせ、この謝罪が受け入れられるを伏して祈りたい!』」


エルガンの用意した口上そのままであり、口調は不自然極まるものであった。

文面も、単なる謝罪というよりは、対等な立場であるという点を強調するのみに近い。

婚姻を前提とし、それによって魔女協会の格を落とさないようにする。これが作戦の本旨であるので、謝罪に際してへりくだる心算は一切ないのだ。


だが当然、バンギンからしてみれば、それは無礼極まりないものであった。


「おのれ──」

「はいはいはいはいはいはい!」


座から立ち上がり、罵倒の堰を切ろうとしたところで、クロスが割って入った。

イーリの前に出て、腰を低く、媚びるような薄笑いを浮かべ、体を大げさに動かす。

その、徹底した軟らかい態度に、バンギンの気勢は反射的に削ぎ落とされた。

一時的に引っ込んだに過ぎないそれが、再び顔を出さないうちに、身振り手振りを交えた話を始める。


「タルギンと魔女は統王様の御世以前より同盟関係にありました。敵に周囲を囲まれながら、互いに助け合い、乱世を乗り切り昨今の繁栄の礎を築いたのです。それはどちらが欠けても不可能な偉業でありました」


言葉を決して途切れさせない。バンギンが付け入る隙も見せない。

それでいて、続きを聞こうと思わせなくてはならない。

背筋の冷や汗を無視しながら、舌と魂に全力で動員をかける。


「その恩を私共は忘れておりません。ですので、この度の件ではむしろ一層の友誼を深めたく、これらのものを用意しております」


イレーギンに目配せをしつつ礼をすると、彼は衛兵の一人から巻物を受け取って、段を上がりそれを父親に手渡した。

その間に、イーリも立ち上がって横にはけ、息をつきながら再び床に座り込む。

バンギンは巻物を広げながら再び座につき、イレーギンは段を降りた。


「魔女協会よりの贈り物でございます。"胞の魔女"が伝えるはずだった縫製技術に、機織り工房への紹介状と、僅かながら支度金も準備が整い次第送らせていただきます」


巻物は、目録であった。

魔女協会がタルギンへ贈る数々の品目や条件が、詳細に並べ立てられていた。

特筆すべきは、縫い付けられている四枚の紹介状であろう。

製糸・縫製業へ新たに打って出ようとしている身に最も必要なのは、カネとコネである。

その内で難しいのは、新たな業界への足がかりとなるコネの方だ。

新規事業者は同業にとっては競合相手であり、警戒の対象とされる。

だが予めいくつかの業者と手を組んでおけば、その業者が既に抱えている顧客や市場をそのまま使えるのだ。

魔女協会の紹介状となれば、効力もかなりのものだろう。


「加えて"鋤の魔女"より、未だ研究段階ではありますが、改良されたバンカギナラの苗木を贈らせていただきます。これは従来のナラより生命力が強く、幹さえ絶たねば良質な木炭の原料を数多く産するでしょう。"光の魔女"からはレンズ110枚の優先4割引契約をお渡し出来ます」


巻物を読み進めるにつれて、バンギンの態度に変化が生じ始めた。

脂ぎった鋭い目つきは相変わらずであったが、視線は目録に集中し、耳はクロスの話を聞いていた。

時には小さく頷くことさえあった。


「"胞の魔女"からはお詫びとして、虫油(ちゅうゆ)15ℓと蜂蜜を大甕二つ、ジキンオオガネの甲殻20枚を贈ります。これらは北のデルグンドラ諸侯に販(ひさ)げば3倍の値がつきましょう」


目録は、それ自体が契約書のような形式にもなっていた。

行政使府の押印もあり、即座に公式文書として通用するよう体裁が整えられているのだ。

数々の甘美な贈り物は全て、契約の代償なのである。


「あい分かった」


いよいよ巻物から視線を上げ、クロスを見る。

以前も顔を合わせたはずだが、その目は初めて会う者を見るかのようだった。


「数々の配慮には感謝しようぞ。だが、これは贈呈品では無いように読めるのだが?」


いくら欲望の深いドワアフとはいえ、南東部で最も栄える街の支配者である。

目録の体裁や条文を見落とすような暗愚ではなかった。


「この縫製技術についても、導入後に原料を買い求める先が指定されておるではないか。王都、チャイン、ゾルイン・ポータル城下街、魔界領デレト、魔界領ハックル・ガント。どこも魔女どもが出資や貢献をしている地域であろう。これは全て、単なる新規契約書ではないか?」


詰問に対し、まずは深く礼をする。

頭を下げて表情を見せないようにするためだ。

その上で、可能な限り穏やかに、それでいてはっきりと告げてゆく。


「私共が願うのは、かつての同盟関係の復活でございます。盟約もしくは関係が一方的であれば、それはかえって相互の関係を損なう一因となりましょう。将来に禍根を残さず、双方が相栄えるよう計らうのが、結局は皆の利益に落着する、と。これは協会長の考えにございます」

「信頼を失ったというに、それを復活せぬうちから契約とな? 思い上がりも甚だしいと考えはせなんだか」

「信頼は、たった今、この場で勝ち得たく思いまする」


顔を上げる。そこに最早へつらうような笑みは無かった。

クロスはイレーギンを見て小さく頷き、イレーギンは視線を伏せてそれに応えた。

最後の確認と覚悟は済んだ。ついに、いよいよ、意を決して口を開く。


「魔女協会の代表として申し伝えます。イレーギン太守閣下と"鉄の魔女"との婚約を、この場で認めていただきたい」


バンギンが座から飛び上がった。

居眠りしかけていたイーリが飛び起きた。

精強な衛兵たちさえ思わずクロスの顔に視線を向けた。


「えぇぇえっ!?」


うち、初めに声をあげたのはイーリ。

続いて怒声を張り上げたのが、バンギンであった。


「何をバカな! 余の一門を侮辱するにも程がある! 卑しく、不遜で、傲慢な女どもめ! 斯様な要求にドワアフが屈すると思うてか!」


彼は傍の宝剣立てを引き倒すと、剣を拾って白刃すら抜いた。


「疾く去ねい! 拒むというなら余自ら素っ首叩き落としてくれるわ!!」


そして、剣を振り上げ、段に足をかけた。


その時である。

イレーギンが彼の前に立ち塞がった。

両者の間に割って入り、段を挟んで自らの父親と対峙したのだ。


「どけいイレーギン! 統王の法になど触れようが構わぬ! 不届き者どもに一太刀浴びせねば気が済まぬわ!」


この期に及んでまだ自分を、否、一門を信ずる言葉を怒声のうちにすら滲ませる。

罪悪に魂を刺されはしたが、引き返す気などはない。

自らが欲する道を、強欲の本性のまま突き進む。ドワアフらしく。

改めて決意を固め、イレーギンは父親を睨みつけた。


「なれば、尚のことどく訳には参りませぬ」


バンギンの目が驚きの色で溢れた。

それは雷で打たれたように、彼の体を硬直させ、目を見開かせた。


「イ、イレーギン、お前、そやつらを守るのか? ワシではなく、奴らを……」

「はい」

「何故だ、何故なのじゃ。お前が、お前がワシを、裏切るのか」

「婚約は、私の望みだからです」


イーリの驚愕が、視界の外からでもありありと伝わってきた。

バンギンは剣を取り落とし、よろよろと後退する。

つまづくように座に腰を落とすと、未だ信じられぬとばかりに頭を押さえた。


「イレーギン・タルギンは"鉄の魔女"を愛しております。嘘偽り無き真実です。此度のことも、私がクロス殿や魔女協会の面々に骨折りしていただいた結果です」

「お前、おまえは、自分が何を言っとるのか、わかっておるのか」

「熟慮の末です。何十年も秘めたる想いのままでしたが、今やっと口に出せる。父上、俺は彼女と結婚したいのだ」


それはまるで止めの一撃であった。

心臓を深く突き抉る、長剣の一撃であった。

バンギンは深くうなだれ、拳を強く握りわなわなと震わせる。


その顔が再び上がった時、驚きと失望の全ては既に憤怒へと変わっていた。


「許さん、許さんぞ! そのような結婚、決して認めぬわ! お前、お前は、お前は統王の娘らの一人と結ばせるのだ!」


この発言には、クロスすらギョッとした。

イレーギンも驚いたようで、思わず段に足をかける。

統王と血縁関係になる。まさか、そのような大それた野望を持っていたとは予想の外であった。


「血迷われたか父上! 統王は自らの子女を政略に用いぬと幾度も公言している。それを知らぬ父上ではないはず!」

「南東部では今後ルーライが衰え、鉱業が栄える。ならば、食兌換を擁する統王が我らとの関係を強化し、掌握を望むは必定であろうが! 三者協議を糸口に、そこまで話を進める心算があったというに、愚か者めが!」

「愚かは父上であろう! 統王はそのように易々と我らの思惑に乗る人物ではない! 父上は、ナッグの件をその好機と捉えておいでだったというのか!?」

「お前ごときに不義理を問われる覚えはないぞ! 領民の苦しみからでも利を拾い上げねば、何者も浮かばれぬであろうが!」

「魔女協会への不信も、全ては単なるゴネ得と状況維持のためか! いまタルギンに補償がなされれば、統王が我らをテコ入れする必要は霧散する。関係強化のための婚姻の動機が失われるのを恐れただけなのか!」

「何が悪いというのか!!」


ドワアフの強欲の量を計り切れなかった。

それは、ここにいる誰もが抱く感想であった。

少なくとも、状況に混乱し通しのイーリを除いて。


「とにかく、お前とあのアバズレとの婚姻なぞ認めん! 拒むなら勘当も厭わぬ。跡目はお前の弟に継がせようぞ!」


ここだ。

そう直感したクロスは、再び前に歩み出た。


「太守閣下の勘当もしくは後継者指名からの除外を、魔女協会は明確な敵対行動と見なしますぞ総督閣下」

「なんだと!!」


クロスに向ける怒りと怒声は、息子に向けるそれの二倍はあった。

しかし、怯むことなく言葉を続ける。


「条件を呑んでいただけない場合、協会はタルギン領と断交し、"鉄の魔女"の領外への退去を実行致します。その上で、"胞の魔女""鉄の魔女"両名の退去についての賠償金請求を行わせていただきます。尚、工房の設備と資本は全て"鉄の魔女"の個人資産と定義づけられるため、併せて移転いたします」

「何っ!?」

「その上で、魔女協会はタルギン領に対するあらゆる通商もしくは技術提供を停止し、行政使府を通じた賠償金の授受のみを継続することになります」

「制裁だと!? 統王が黙ってはいないぞ!」

「そうなりますと、"胞の魔女"に対する集団圧力に拠った強制退去の強迫について、お先に提訴する形になります。賠償金請求と通商停止は、その訴訟の結果もしくは過程に於いて十分に妥当な処置と見なされるでしょう」


経済戦や賠償金請求は、イレーギンとイーリの件がなくとも、"胞の魔女"退去事件に対して魔女協会会長が検討を始めていた手であった。

故にエルガンや"法の魔女"との連携は既に確保されており、今回はイレーギンとイーリの結婚という形での和解の目が出てきたため、それらの手を牽制として使うと決まったのだ。


「父上、我らには魔女たちの助けが必要なのだ。どうかわかって欲しい。傲慢さ故に滅びかけた過去を、再び現してはならないのだ」


懇願するように語るイレーギンの声色に、嘘や演技は無かった。

そこが、彼とクロスの異なる点であった。

つまり総督は今、複数の方向から攻めかかられているのだ。


「だ、だが、だが、子供はどうする。もし子が出来ねば、お前の跡を継ぐのはあの女の連れ子だぞ! 統王の娘御となら、子が出来ずとも弟に跡を継がせられよう。だが! よその種と言えど、お前の妻の子にあたるのだぞ!? 第一位の継承権をドワアフの血など一滴も流れておらぬ娘が手にしてしまえば、それこそ一門がかつての如く分裂するは明らかであろうが!」

「ご心配には及びません。継承の権利を放棄する旨の誓紙を、ココリッチ嬢本人から預かっています」


懐から出した羊皮紙を、バンギンに見せつけるようにして広げる。

そこには確かに、行政使府の定める手順で以って、ココチが継承の権利を放棄する旨が書かれていた。

天核教司祭の承認署名や、立会人であるディカドラの署名まであり、何一つ文句のつけようが無い。


「ま、魔女が、魔女が、余の領土の経営に口出しをするのだぞ!? タルギンの伝統ある都と文化が、女どものほしいままにされてなるものか!」

「父上! まだお分かりにならないのですか!?」


ついに段を駆け上がるイレーギン。

ドワアフにして170cmを超える巨躯が小さな老人を見下ろし、影がその身を覆った。


「タルギンの去就は、今や父上と共には無い。統王に降ったその日に、我らは独りでは立てぬ身となったのです!」


総督は、何かを言い返そうとした。

何かを言い返すべきだと直感した。

だが、その口が言葉を紡ぐことは無かった。

何をどう言い返せば良いのか、分からなくなっていた。


そこに、新たな入室者があった。


簡素ながら整った身なり、確かで一定の歩調。

怜悧な目つきと、八方に伸びた矢印の紋章の刺繍。


「失礼、検吏のサーインジェンです」


行政使府の役人だ。


検吏というのは行政使府の役人の一種で、単なるマニュアルに則った手続きではなく、法的な判断が必要となった時に業務を補助する助言者である。

つい先ほど、ポランに魔女協会の紋章と協会長の伝言入りの手紙を届けさせて、呼びつけていたのだ。

ある事実を、このタイミングで告げてもらうために。


「クロス・フォーリーズ氏の請願により、例外的な早期通告に参りました。どなたがバンギン総督で?」


案内や許可も無しに淀みのない歩調で進みながら訊ね、クロスの視線によって答えを得ると、礼もせずその横をすり抜ける。

そして、まるで無造作に段を登り、困惑するイレーギンの横に立つと、太守には目もくれずに総督のみを見下ろした。


「突然失礼。三者協議についての新たな決定について、内定に留まっていた部分を通告する」


ただ淡々とまずは言い放つ。

それから、数拍のみ休みを置いた後、彼は一定の速度を保って話し始めた。


「ナッグ代表団、行政使府、タルギン総督府の三者で行ってきた三者協議について、当事者団体である魔女協会を新たに加えた四者協議に切り替え、再協議を開始するものである」

「な、何だと!?」


思わず声を荒げて身を乗り出すバンギン。

それに一切構わず、男は自らの役目を果たし続けた。


「四者協議第一回会合は50日後に、ここタルギン城で行うものとする。参加者はナッグ代表団よりトルーヴァイン・ヘインネスク並びにバンマット・リィン、行政使府よりガズウィン・ロウ・サーインジェン、タルギン総督府よりバンギン・タルギンⅧ世、魔女協会より現"法の魔女"ハリシュ・リオソランとする」

「待て! どういうことだ! ナッグでの新経済協定の協議のはずではないか! 魔女は関係あるまい!」

「生産・防除・行政区画としての要件を満たすほどの居住性・税収。"胞の魔女"が当地に及ぼしていた、これらへの影響は学術的見地からも著しく多大であり、当人は本来ならば受け取るべきであった報酬を固辞し続けていた。故に、ナッグの経済について魔女協会は参与権を主張し、統王様はこれを御容れになったのだ」

「何を今更! ナッグは余の領地だぞ!」

「 統 王 様 の 領地である。貴殿は領有を許されているに過ぎない。だが安心するがいい。魔女協会はナッグとタルギンの取り分と税比率を公平に見定めるのみで、自らその利に飛び入るつもりは無いと聞いている。単なる見届け人、調停者、助言者と思えばよい」

「そんな、それでは、余はいい面の皮ではないか。タルギンに対する侮辱だ」

「甘んじて受け入れるべきでしょう。少なくとも、統王様が御寛大であらせられる間に」


バンギンの表情が一瞬で青ざめる。

そこへ、男は無慈悲に、言葉の短刀をゆっくりと胸に差し入れた。


「そうだ、お前の浅知恵など、統王様はとっくに見抜いておられる。法に反したのでは無い故、沙汰などは下されぬであろうが、お前への配慮と領民の苦境を利用し、意に反する決断を主君に迫ろうとした事実は消えぬだろう。潔く、魔女協会の施しを受け取るがいい」


「以上。お取り込み中の所を誠に失礼いたしました」と最後に言い残し、男は来た時と同じ速度と歩調で退室した。


物事は、概ねクロスの狙い通りに推移した。

ただ、行政使府からあのような男が来るとは予想外だった。

あまりに淡々とした追い詰められぶりに、バンギンが哀れに思えてしまったほどだった。


三者協議への介入は、その三者協議が始まるのと同時に密かに進められていた。

本来ならば協会長である"屍の魔女"が統王に呼び出され、その引見の場で介入を最終的に進言する予定であった。

しかしイレーギンとイーリの関係へのテコ入れという要素が絡まり、予定が前倒しされたのだ。

より効果的なタイミングで四者協議への切り替えが行えるよう調整を施す。

結果として、バンギンの選択肢をより減らし、策の的中率を高めるのに成功したと言えるだろう。

尤も、統王以外の全員にとって、総督閣下の秘めたる野望は計算外であったが。


バンギンは脱力し、背もたれに体重を預けた。

体を支える力すら失い、腰は前に押し出され、背は滑るように沈む。


「ワシの、全て、ワシの空回りだったのか……」


顔は潰れ、ただ唇が動くだけの言葉。

誰に聞かせるものでも無い、単なる呟き。

それは悟ったような、もしくは諦めたような、気の抜けきった表情だった。

目の鈍い輝きや鋭さも今や見る影無く、年相応の老いのみがそこにあった。


「イレーギン」


横に控えていた息子の名を口にする。

本人が「ここに」と応えながら視界内に歩み出ると、無垢な赤子のように右手を伸ばした。

イレーギンはその手を、大事に、まるで許しを乞うかのように、両手で優しく包み込んだ。


「たかが狩りへの参加じゃ、ゆるす。婚姻も好きにせえ。反対する理由は、全部全部、何もかも、無うなった……」


「すまない、父上」と涙を流しながらイレーギンが応えるのと、全身から汗を噴き出させながら大きくクロスが息をついたのは、ほぼ同時であった。


契約は成った。

魔女協会とタルギンの和解が、名実共に成立した瞬間だった。

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