鉄の魔女6
「さ、ここが加工場さ!」
更に一夜が明けて後、イーリは昨日の案内の続きをしていた。
イレーギンの乱入によって中断されていた、錬鉄加工場の紹介である。
「うわぁあ」
中に入ってまず感じたのは熱気。次に天井の高さだった。
27×39mの広大な空間には百名近い人員が詰めており、多くの者は金床にて槌を振るうか、樽の何倍もの大きさの溶鉱容器に櫂入れをしている。
金床は全て小さな炉の前に据えられており、小さな炉は奥の壁に整然と並んでいた。
だが奥壁の上には、家ほどもある巨大な炉が取り付けられており、僅かな隙間からでさえ赤々とした光が漏れていた。
全ての小さな炉は巨大炉に繋がっており、そこから配られる熱で加工を行なっているようだった。
壁沿いに吊り下げられた溶鉱容器も、配管を通して巨大炉から熱を受け取り、赤熱した鉄を保温しているようである。
壁は階段と通路と溶鉱容器と配管で満たされており、常に忙しなく人々が立ち働いていた。
手前側の空間は、切削や研磨、混ぜ物作り等を行うための作業場のようである。
並んだ丸砥石に作業台と道具の数々、ヂャガン数基に、種々の素材の詰まった樽が置かれていた。
「あれがうちの最高戦力、大魔力炉さ。火エレメンタルを核にして、魔力液と石炭で熱を生み出してるんだよ」
巨大炉を指差す。
「あいつは暴れん坊でね、火番の火術士を二人雇ってるんだけど、それでもたまに脱走しようとすんのさ。だから完全に密閉されてんだけど、それでも鍛治冶金の炉としちゃ十分さね」
「すごいですね。あれで反射炉を作れないんですか?」
「んー、スターターには実際使ってんだけど、熱伝導だけじゃちょっと足りないんだよねぇ。炉の温度が上がりきらない時に、補助として使ったりはしてるよ」
火のエレメンタルを完全に閉じ込めて、熱だけを伝導によって取り出す。
それを加熱や保温に使っているのだろう。
「ということは、配管は空洞じゃないんですか?」
「ああ、そうだよぉ。紺銅とセルバネサイトを2:1で合わせたモンを線にして、それを57本束ねて捻ったのを中に通してあるのさ。熱はそこを伝わって小炉や底抜け窯に送られるんだよ」
底抜け窯、とは壁に吊り下げられている溶鉱容器のことだろう。
ちょうど、そのうちの一つの底が開き、中身を小炉の中に落としているのが見えた。
「ゴロ錬鉄はあの底抜け窯で作ってるよ。ほら、あれ、橙色の印がついてるヤツさ」
横顔を寄せながら、今度は底抜け窯の一群を指差す。
橙色の線がぐるりと引かれた窯は三つ吊り下げられており、その全てに三人ずつ櫂入れ人がついていた。
「半眼浜の砂と石灰混ぜて炙った粉を、ここで投入して、丹念に混ぜる。そのあと小炉に送って、鍛錬して、なりを作って、用途に合わせて切削したり圧延したり研磨したり焼入れしたりするのさ」
「あ、ディカドラさんだ」
右手奥の勝手口から、ディカドラが袋を抱えて入ってきたのが見えた。
「ディカドラは錬鉄加工場の責任者兼物繰りでね、必要な物資を常に揃えて管理しとくのが仕事なんだ。皆の仕事ぶりを見て、下手な奴にゃ技を教えたり、変調を見抜いたりもする。ただ、鍛冶場の一部は勝手口から外にもはみ出ちまってるからね、外の方はあたしが担当することにしてんのさ」
「一昨日、イーリさんが作業してた場所ですか」
「ああ、そうさ。あの鎧も明日あたりにゃ仕上げだねぇ」
そう話していると、勝手口から今度は鷹のポランが飛び入ってきた。
この鷹に関しては、昨日エルガンを通して、預かりの延長と狩りでの使用許可を"鳥の魔女"よりもらっている。
見返り無しには絶対に例外的な許可を出す魔女ではないようで、かなりぼったくられたとエルガンはこぼしていた。
イーリの上腕と肩が強張る。緊張で拳を握ったためだ。
鷹はクロスの目の前の作業台に止まると、物欲しげに見上げてきた。
「はいはい」
ご褒美の肉を与え、それを食べているうちに背中の筒を開く。
イーリに目配せをすると、ますます表情が固まるのが見えた。
筒の中身は手紙だ。タルギン家の紋章の封蝋を破り、中を見る。
すぐに、クロスは顔を上げた。
「行きましょうか」
言葉に応えるように、イーリが荒く、鼻息をついた。
「さあ通りま〜す。通りますよ〜。魔女協会第二団所属7代目”鉄の魔女”こと、イーリンデル・アラグラド・マグンズ・ティーフェゲート・マルマクセンが通るのですよ〜」
ココチが喧伝しながら、金縁と毛皮で飾り立てられた魔女協会の旗印を振り、先頭を歩く。
すぐ後に続くのは、板金鎧と角兜に、儀仗用の斧槍で武装した男三人。
それから、クロスを随伴させたイーリが続き、その後ろを同じく武装した男三人が固める。
最後尾はココチ同様の旗印を掲げたディカドラだ。
武装した男六人も工房の働き手たち。イーリは綺麗に磨かれた無垢の錫箱を抱えていた。
「うぅう」
恥ずかしそうに、居づらそうに、口を曲げて視線を伏せるイーリ。
町の人々は皆、驚くなり微笑を浮かべて隣人と感想を共有するなりしながら、道を開けていく。
市場を横切り、歓楽通りを抜け、住宅区画を縫いながら、人々に見せつけるようにして一行は進んでいた。
「通りますよ〜。通るのですよ〜。"鉄の魔女"がタルギン城へ向かうのですよ〜。道を開けるのです〜」
民草の反応など意に介さぬとばかりに、旗を振りながら人の海を先頭で割っていくココチ。
面白いように人波が割れていく様を、実際に楽しんでいるのだった。
熱心に呼びかけながら往来を行き、一行を先導する。
その声がかかる度、イーリは羞耻を深めるのであった。
「堪えてください。あともう少しですから、ねっ」
「おまえぇ、あとでおぼえてろよぉぉ、あごが埋まるぐらいなぐってやるぅぅ」
慰め、勇気付けようとしたら、かえって蚊の鳴くような声で物騒な誓いを立てられてしまった。
背中をさすって、支えるように体に腕を回す。
ちらりと後方を見やればディカドラと目が合った。
彼はココチ同様これを楽しんでいるようで、終始笑みを浮かべながら旗を上げ下げしていた。
目が合っても、何度か頷くばかりである。
一行はイレーギンへの贈り物を届け、狩りに参加する許可をもらうために行進している。
様式はエルガンから教わったもので、狙いはいくつかある。
タルギン太守に贈り物をする魔女協会の姿を示し、敵対関係では無いとタルギンの民に示すのが一つ。
贈り物と狩りへの参加を民衆に広く知らしめて既成事実とし、少しでもバンギン総督を説得しやすくするのが一つ。
そして、イーリらを絶対に逃さないようにするのが、最後の一つであった。
イレーギンには既に手紙によって報せている。狩りへの参加も、太守による内定ではあるが了承をもらっている。
作戦は上手く進行している。
気がかりがあるとしたならば、今朝、魔女協会会長のアッサルートより伝えられた情報だろうか。
『起きてるかしら? クロス』
『師匠。大丈夫なんですか』
『ええ、無事よ。かなり空腹だけれども、ソウルテイクは成功したわ。"鉄の魔女"についての魔女録が読めたわよ』
『何かいい情報はありました?』
『まず、元夫の素性が分かったわ。カイラン・トゥックティン・リズラネーシュ・セム・ディンセン、双角族、イーリの工房で働いてて、職場結婚だったそうよ。暫くは夫婦仲も良好だったようね、結婚二年目に娘のココリッチを設けてるわ。でも十二年目に離婚、その後の消息は不明』
『離婚に至る経緯については書いてなかったですか? 娘が関係してたとか』
『魔女録には無かったけれど"法の魔女"に調停を依頼してたみたいだから、その線で調べてみたわ。これぞ会長特権ってやつよね。公式記録ではあっという間に示談成立で、そのまま天核教団の待ったも無しに離婚の承認を行政使府に届け出たようね。
ただ、"法の魔女"の覚書では、こうなってる。原文のままでいくわね。
『依頼人による配偶者への突発的暴力の事実は双方認めるものである。しかしながら、配偶者が契約法第十四項二条と統権法第七項四条・十八条に反し、また倫理的に看過し得ない行為に及んだ事実も双方が認めるものである。時系列的に見て、依頼人による配偶者への突発的暴力は、そうした配偶者の行為によって引き起こされたものと解釈するのが妥当であり、係争時には酌量範囲内の有利な事実として効力を得るものとなる。以上の点から、極めて依頼人に有利な条件での示談が可能な案件と見なされる』
これが物証よ。その上で"法の魔女"本人も憶えていたわ。実に吐き気を催す行為だけれど、事実としか言いようがないわね。唯一の救いはイーリの娘さんが手付きになっていないこと。"法の魔女"は、娘さんの貞操が奪われたという虚偽の主張によって係争を有利化するという手についても、言及していたわ』
『なんと言っていいか』
『何も言わないでちょうだい。イーリとは、離婚についても連絡を取っていたわ。彼女はいつでも大丈夫としか言わなかったけれど、こんな真相は初めて知った。魔女協会会長なのにね』
『離婚の原因と経緯については、個人的な問題ですから、師匠が詳細を知らなくても無理は無いですよ。協会運営に関係する情報でもないですし』
『わかってるけど、やっぱりかなりムカつくわね』
『そろそろ切ります。イーリさんが怪しむかもしれないので』
『ちょっと待って、最後に、魔女録に気になる記載があったの。十日前に別の記述を見るためにめくってた時、偶然視界の隅に入った記述の記憶よ』
『なんです?』
『"鉄の魔女"の魔女名変更手続きについての確認よ。問い合わせ元はイーリ本人だったわ』
『イーリさん、魔女名を変えようとしてたんですか?』
『正確には変える方法の確認の問い合わせね。手続き申請はされてないし、もしされてたら流石に憶えてるわよ。日付は五年前の、離婚成立三日後ね。魔女録は"史の魔女"に更新させてるものだから、確認作業の時にたまたま私が見落としたんだわ』
『"史の魔女"さんも、更新点の説明の時にうっかり伝え忘れてたんでしょうね。とはいえ、これは』
『イーリの心境は思っていた以上に複雑だわ。不自然なほど太守の愛を避けるのには、理由があるのかもしれない。それと、あなたがエルガンに伝言させた件だけど──』
「到着〜!」
ココチの間延びした声で、記憶を辿る旅から現実へと引き戻される。
一行はタルギン城に到着したのだ。
後ろを見遣ると、ディカドラの後方に数十人もの人々がついて来ているのが見えた。往来で立ち止まっている者も多い。
何やら面白そうだ、と野次馬根性を働かせた者たちだろう。
彼らは全てが終われば、見たものを街中に伝えるに違いない。
四日後の狩りには一般の見物人も大勢集まり、弁当でも広げながら狩りの成り行きを楽しむはずだ。
噂に名高い魔女がどのような狩りをするのか、興味があるに決まっているのだ。
城門が開き始めるのに合わせて、ココチがくるりと振り向く。
旗を掲げ、視線は一行ではなく、その後に続く民衆に注がれている。
「今より、タルギンに入城するのです! 四日後の狩りに加わる承諾を、精強なる太守閣下、偉大なる総督閣下より賜るのです! 山々と大地と古木に栄えあれ! 炉に猛火と溶鉄あるべきが如く、我らを相応しき場所へ立たせたまえ!」
昨日エルガンが用意した口上を述べ上げる。
全てが言い終わる頃には、城門は開き切っていた。
人々からの歓声はなかったが、次に何が起きるのかという期待の高まりと昂揚は、はっきりと感じ取られた。
「いざ行かん!」
再び城へ向き直って、アドリブの宣言と共に旗を前方へ向ける。
一行は城へ向かって進み、人々は楽しげな眼差しでそれを見送り、イーリはますます赤面した。
「あー! 恥ずかしかったぁぁー!」
椅子に腰を下ろし、顔を両手で扇ぎながら、イーリは最初にそう宣った。
箱は膝の上に置き、炉の前に立つ時以上の汗にまみれた顔へ、しきりに風を送る。
ディカドラと六人の供回りが、その様子を笑いながら見ていた。
「いやぁ、なかなか面白いもん見せてもらいましたぜ姐さん」
「ココチちゃんがあんな立派な口上すらすら出せるなんて初めて知ったなぁ」
「前もって用意してたものなのです。すごく楽しかったのです」
「いやぁ大したもんだよ、流石は俺たちの娘だぜぇ」
「おいおいいつからお前ェ女になったんだよ」
「女房にしゃぶらせてたら噛み切られたんだろ。ドルゴ人は激しい上に肉食だからな」
げははは、と下品な笑いが、格調高い控えの間にこだまする。
それを裂くように、出入り口のドアが開かれた。
立っているのは、イレーギンその人である。
会話は止み、一瞬のうちに全員の視線が注がれた。
彼は部屋の中を見回し、イーリと視線が交わると、息を呑むように口を開いてやや上体を揺るがす。
そして逃げるように視線を逸らし、クロスを見た。
「クロス殿、少しよいだろうか」
無言で歩み寄り、目配せをしてから廊下へ出る。
それからイレーギンも廊下に出て、しっかりとドアを閉じた。
既に人払いをしていたようで、廊下には誰もいない。かつての時のように、今は二人だけだ。
「どういうことだ?」
イレーギンは簡潔で、単刀直入だった。
「どう、とは?」
「ナッグの問題が片付いておらんのだぞ。単なる私の供回りとしてならともかく、魔女が正式に狩りに加わるなど、父上が認めるはずがない!」
潜めながらも、語気は強い。焦りや不安が明確に伝わってくる。
「そのために民衆の後押しを得ました。彼らにとって、面白そうな遊興に政治は関係ありません」
「ドワアフの頑迷さが骨身に沁みていないと見えるな。このまま会わせれば、ますます態度を硬化させるに決まっておる! 父上はそういう男なのだ!」
「承知しておりますとも。だからこそ、あなたに協力していただきたいのです」
「協力だと?」
ちらり、とクロスはドアの方を見遣った。
聞き耳などが立っていないかどうか、ドアの僅かな浮きと、漏れる影で見極めようとしたのだ。
どうやら、この会話を聞こうとする不埒者はいないようだった。
「イーリさんとの婚約の望みを、総督閣下に伝えていただきたいのです」
怒るか、絶句するか、それとも困惑するか。
クロスはそのどれかだろうと踏んでいたが、結局、イレーギンはその全てを踏み抜いた。
「なっ」
一瞬、言葉に詰まり、困惑の表情を見せる。
だがその困惑は瞬く間に憤怒へと変わり、クロスの襟を再び掴ませた。
「何を考えておるのだ!」
あくまで声は潜めているが、調子には微量の殺意さえ込もっていた。
「父上と全面対決になるぞ! まず間違いなく、良くて勘当だ! 悪ければ協会とタルギンが完全断交しかねん!」
「もとより困難な恋路に陥るイレーギンさんが悪いのです。その恋心のせいで、総督閣下に覚悟を決めて挑まねばならぬ時は遅かれ早かれ必ず訪れます。私たちの援護が受けられる今こそが、その唯一の好機だとは思いませんか?」
「詭弁を弄するな! 魔女の弟子とて許さぬぞ!」
「こちらは既に、魔女協会会長と執行代理に許可を得ています。総督閣下への付け届けや新たな協定の準備もあります。それでも翻意していただけぬ時は、経済戦争の覚悟もこちらは既に済んでいます」
「何を企んでいるのだ! 魔女協会は俺をどうするつもりだ!」
「あなたをどうにかしよう、という意図はございません。以前も申し上げた通りです。私と協会は、魔女たちの幸せのためならなんだってやってしまうんですよ」
この言葉と、クロスのあくまで冷静な態度と視線に、諦めたように手を放す。
だがそれでも憤懣やるかたなき想いは、宙空を漂った。
「父上を、命がけで説得しろというのか、この俺に。この国のために、そうせよと」
「事態が極大化するかどうかは、あなた次第です。説得をしなければ協会とタルギンは断交、説得に失敗してしまえば経済戦争に突入。全ての成否はあなたにかかっています」
タルギンと魔女協会が断交した場合、保護義務を負う魔女協会の手によって、安全のために"鉄の魔女"は他所へ移動となる。
そうなれば"鉄の魔女"がもたらす高品質かつ大量の製品、ノウハウと技術、そしてブランド力をタルギンは失う。
ナッグの税収が減る見込みの中でそれらすら失えば、確実に凋落の一途を辿るだろう。
そのような状況下で、魔女協会と経済戦。逆立ちしても勝ち目などない。
見える未来は、統治権を失い、統王の直轄領として組み込まれるという、実質的な滅亡のみ。
ドワアフ名家による最後の領地が、歴史から完全に消滅してしまうのだ。
その覚悟が、魔女協会側には既にできている。
昨日エルガンに確認し、師にも伝えてもらうよう頼んでいたもの。
バンギン総督を懐柔するための方策と、いざとなれば戦いに発展するであろうとの断りだ。
魔女協会会長は、それを二つ返事で承諾した。故にクロスは、今ここでこの話ができているのだ。
「肚を括ってくださいイレーギンさん。魔女が狩りに加わる。ただその許可を得るだけです」
「しかし、しかし! イーリンデルもその場に同席するのだぞ!? そのような場で、想いを伝えるなどッ……!」
「同席させないほうがいいですか? でも、人づてにこの話を聞かせちゃう方がよくないと思いますけどねえ」
「そ、そなた! そのために民衆の注目を引きながら来たのか!?」
「公式な引見の場での、婚約の要求です。城兵からあっという間に話は広がりますよ。そうなれば、イーリンデルという名が誰を表すのかは、民衆にはあっという間に分かってしまいますね」
「卑劣な……!」
「恋が実るかどうかの瀬戸際に、手を差し伸べたまでです。尤も、急ごしらえな計画なので──」
がぢゃ、と、ドアの掛け金の動く音が響く。
あらゆる言葉と音と動作が中断され、二人の視線は控えの間のドアへ注がれた。
小さな軋みをあげ、開かれた部屋からひょっこりと現れたのは、浅黒い巨躯。箱を腕に抱えた、イーリその人であった。
彼女は赤い長髪を揺らしながら、二人を見つけると「おう」と気まずそうに声をかけた。
「ギンちゃん、あのさ、本当は親父さんの前で渡すように言われてたんだけどさ、その」
目は泳ぎ、口調は揺らいでいた。
まるで、初めて起きた出来事をなんとか説明しようとする子供であった。
「贈り物、今渡しちゃうわ。皆の前で、ひざまづいて、畏まって、なんかべらべら小難しいこと言ってさ、そんなんできないよ。あたしのガラじゃないし、なんかそわそわしちゃって、堪えきれなくってねぇ。作法なんてのもよく分かんないし、贈り物なんてしたことないし、初めてなのに皆の前でなんて、なんだか小っ恥ずかしいじゃないかい、ねえ?」
言葉はしどろもどろで要領を得ない。
だがそれでも、イレーギンは胸を張って「ああ」と応えた。
威儀を保ちつつも、内心は高鳴りと緊張で張り詰めていた。
クロスから見れば、それは子供同士の初恋の様子であった。
「だから、はいよ!」
とうとう、贈り物の入った箱をイレーギンの胸に押し付ける。
なんとか箱は受け取ったものの、どうするべきかわからず、助けを求めるような視線をクロスに送った。
小さく頷きながら、人差し指をくるくると回して、箱を開けてよいという旨を伝える。
その声なき助言に更に反応を示す余裕すらなく、イレーギンは落ち着かない手付きで箱を開けた。
「これは」
中身を見た瞬間、強張っていた表情が緩み、目が見開かれる。
箱の中に差し入れられた手は、一本の平打ち紐を掴み上げていた。
「組紐ってんだって。下緒に使ったり、腰巻留めにしたり、滑り止めの柄巻きにしたり、好きに使っておくれよ」
気恥ずかしそうに頭を掻くイーリを、丸い目で見上げるイレーギン。
彼は暫く呆けたように、組紐を手繰りながら隅から隅まで眺めていた。
「ありがとう、イーリ」
やっと絞り出した感謝の言葉。
この組紐の意味を理解せぬ男ではない。
「よしなよ、らしくないじゃないのさ」
更に恥ずかしそうに手を振るイーリ。
そんな彼女の目を、イレーギンは真っ直ぐに見つめた。
彼女も直ぐに気付く。それが、男の常ならぬ、威圧も虚飾も無い純粋な瞳であることに。
気付けば、それにつられる。否、むしろ吸い込まれると言った方が正しいだろう。
それは両者にとって、実に久方ぶりの、純粋たる視線の交感であった。
「いや──」
丸くなったイレーギンの目が、元の厳しく鋭い輪郭を取り戻す。
ただ、それは以前までの、無意味に威を保とうとする虚勢の色では無かった。
のし掛かる責任に圧されるだけの、弱音そのものである目ではなかった。
「常に、身に着けさせてもらおう」
腰の剣を鞘ごと引き抜き、その鞘に素早く組紐を巻きつける。
鞘上部の握りを覆うように巻きつけ、最後に紐の両端の余りで、鞘に巻き付いている部分をまとめて巻いて結び、固定した。
武器の上部を繊維で覆うのは、戦友の証。転じて、戦士にとって最も大切にすべきものの象徴である。
それは常に使い手と共に血を浴び、砕ける時は戦士の死を意味し、最も脆い部分を託す信頼であった。
それを施した剣を手に握り、まるで誓うようにイーリの方へと差し出した。
「な、なんだい、本当にらしくないじゃないのさ」
返ってきたのは少々の困惑であった。
しかし、イレーギンは満面の笑みをそれに投げかけた。
そして剣を腰に差し直すと、決然と背を向けて歩き始める。
その目には、決意の炎が宿っていた。
肚の据わった、戦に臨む戦士の顔であった。




