鉄の魔女5
じゃぶ、じゃぶ、と絶え間なく水をかき混ぜる音。
長い洗濯桶の前に並ぶ女たちの額から、熱い汗が迸る。
日除け屋根の下にあっても、彼女らに十分な熱気が工場建屋から届いていた。
「はい、最後ー!」
満載の洗濯籠を運ぶ洗濯婦の一人がそう叫ぶと、皆口々に「あーい」「はーい」と機械的な返事をする。
洗濯桶に汚れた衣服が投入され、水の中を通って各人に分配されると、引き続き洗い物に勤しんだ。
彼女らは洗濯婦。ここ"鉄の魔女"の工房で働く職人や人足の、日々の衣服を洗い清めるのが仕事だ。
煤や汗、埃や砂、熱と飛び散る鉱滓は、木綿だろうと麻だろうと、毛皮だろうと革だろうと、あっという間に汚れまみれにしてしまう。
それを、水と洗濯石と石鹸で綺麗に落とす。12時間鉄を打ち続けた職人の革前掛けがあっても、彼女らの手にかかれば10分以内に元通りにできるだろう。
それはここで槌を振るう職人らと同様の、職人技であった。
その中に一つ、男の影があった。
居並ぶ女たちに混ざって、クロスが板金工のシャツを洗っていた。
「そろそろ干しに入るのです。マイラクさん、ベリトゥンさん、ヨーデンガンツさん、ネルヘさん、オラクさん、フォーリーズさん、干し作業に移ってほしいのです。絞りはボーディンズさんで」
共に洗濯作業を進めているココチからの指示で、クロスを含んだ7人が洗濯桶から離れた。
うち一人が、後ろに置かれた石製の手回し絞り機の前に座り、傍の籠から、濡れた洗濯物を引っ張り出す。
絞り機で水を絞ったそれが、前方の籠の中に吐き出されると、それを干し役がさらって物干し竿に固定する。
初め、干し役は絞り機の前で列をなして絞りを待っていたが、すぐにも全員が常に動き続ける状態となった。
絞り役は絞り機の扱いに習熟しているようで、下着から上着から帽子から前掛けまで、かなりの速度で仕遂げていく。
分厚い毛布すら全く変わらない速度で絞るものだから、彼女の二の腕は筋肉で常に張っていた。
やがて、残りの洗いを全て終えた2名が合流し、総がかりで物干しにかかった。
かくして30分後には、全ての洗濯物が物干し竿の下で翻っていた。
それはまるで、攻略した城に打ち立てられる旗のようであった。
「おつかれさーん!」
全員が仕事の完遂を讃え、祝いながら集まった。
「いやあやっぱり一人増えると違うもんだねぇ!」
「学者さんのお弟子さんって言うから役に立つか心配してたもんだけどねぇ」
「『魔法より洗濯が得意』って言われた時はただの冗談だと思いましたよね」
「それに優男っぽくていい感じじゃない!?」
洗濯婦たちは、クロスの話題で持ちきりだった。
配られたルーライワインを飲みながら、明け透けな会話に興じている。
本人は少し気恥ずかしいのか、横目で彼女らを見やりながらちびちびとワインをあおっている。
「あんたうちの妹の婿に来ないかい? 家事のできる男なんて、女にとっちゃ宝石より貴重だよ!」
「あんたの妹ってこないだ行商人に性病移されてただろ。あれ治ってんのかい?」
「あたしが舐めて治してやったさ!」
決して上品とは言えない、大きな笑いがこだまする。
皆、全力で、全霊で、人生を謳歌しているようだった。
ここの工房は、職人や人足のみならず、こうした雑役人たちまで多種多様であった。
種族や性別のみならず、年齢や体格、家柄や育ち、生まれつきの障害の有無、統王による統一以前に刻まれた、犯罪者としての印が体に残っている者さえいる。
彼女らを見回しても、体の太い者、細い者、若い者、歳を重ねた者、現界人魔界人と様々だった。
中には、かつて殺し合った種族もいるだろう。憎み合った民族もいるだろう。
だが仕事明けの温まった体と、下品な冗談で笑い合う心は、皆同じであった。
「でも思ったよりずっと早く終わっちゃって、半端に時間が空いちゃったのです。マレウバさんたちが来るまで、まだ随分あるのです」
マレウバさんたち、とは炊事婦の一団のことだ。
午後の分の洗濯が早く終わりすぎて、夕食時まで時間が出来てしまったのだ。
「あー、それじゃあ今日は早上がりにしようかい?」
「たまにはいいんじゃないですか? 家の事も片付けたいですし」
「久々に亭主の寝顔以外の顔でも拝んでやるとするかね!」
「えっ、えっ、えっ、それじゃあ後で皆さんの家まで夕食を届けさせるのです」
「いーっていーって! おかげで晩飯たかるほど貧乏はさせてもらってないからね!」
「フォーリーズさんに届けてもらえるなら、少し嬉しいかな。夕食ご一緒できるかもしれませんし」
「何だいあんた催眠唾液でも飲ませるのかい」
「あらバレました? おほほほほほほ」
女性の冗談と本気は見分けが難しい。
クロスはただ押し黙って、事態の進みを眺めていた。
「それじゃあ、お給金だけは今配っちゃうのです。少し待ってて欲しいのです!」
「あいよ〜」
スカートを持ち上げて家へと走るココチ。
給金を取って戻るまで、おおよそ2分程度はかかるだろう。
つまり、その間クロスは防波堤を失うことになる。
「ねえあんた! ココチちゃんとはどういう関係なのさ!」
「工房長が来週の狩りに出るのって本当なのかい!?」
「フォーリーズさんは、経験はございますの? 女体の」
「夕食ご一緒しませんか!」
ひええ、と細い悲鳴を心中であげながら仰け反る。
洗濯婦たちの勢いに気圧され、一言も発する隙がない。
それでも彼女たちはお構い無しとばかりに自分の言葉を投げかけてくる。
「あの!」
やっとこさ挟み込んだ一言で、ようやく勢いは半分程度に抑えられた。
止まった半分はクロスに投げられる言葉で、止まらなかった半分は彼女ら同士での会話であった。
それでも何とか、近くにいる一人に話しかける。
「イーリさん──工房長について、教えていただきたいんですが」
師は既にソウルテイクに入っているだろうが、それでも情報が得られそうなら集めておきたい。
そう思っての質問であった。
「工房長ね〜。すごい若々しいわよね! 肌は浅黒いけど綺麗だし、顔もシワやシミなんて殆ど無いし」
「実際すごい人よね。女伊達って言うのかねぇ?」
「気前もいいし、腕っ節もそこらの男より強いし、男よりも男らしいわよね」
「事業も手広いですよね。この工房で製鉄や鋳物だけじゃなくて、武具や農具作りに、装飾細工や金物作り、メッキ張り、鋳塊の製造、金物修理や新商品開発なんかもやってるんですよ」
「大陸南東部に出回ってる金属製品の5割は、うちの工房が作っているんですのよ」
「タルギンに限って言うなら7割だね! うちのじいさんの入れ歯もここで作ったのよ」
「こんないい奥さんがいるのに浮気するなんて、前の男はバカよねー」
感じ入る部分もあったが、今聞きたいのはイレーギンの恋の成就に役立ちそうな情報だ。
彼女らがお互いに、世間話でもするかのように語り合っている情報は、どれも使えそうにない。
ここは諦めて、個人的に気になる質問へ切り替える事とした。
すっかりお互いの話に興じる婦人たちの一人の袖を引っ張り、注意を引く。
「皆さん、ココチさんとは長いんですよね?」
「そりゃそうよぉ。ネルヘなんかはあの子が生まれる前からここで働いてんだ」
「あん? 呼んだかい?」
「ココチちゃんについて聞きたいんだとさ!」
囃すような、からかうような声を一斉にあげる婦人たち。
ココチ本人もそうであったが、女性というのは色恋を好むものなのだろうか?
そのような考えを持ちながらも、取り敢えず問いをぶつけてみた。
「彼女は"鉄の魔女"の次期継承者なんですよね? でも"鉄の魔女"の専門分野を学んでいるようには全く見えないのですが」
すると突然、皆の様相が一変した。
あれほど明るく、饒舌に語っていた全員の表情が曇ったのだ。
そのあまりの豹変ぶりは、クロスにも察せられる程であった。
「ど、どうしたんですか皆さん」
思わず遠慮がちに問いを重ねてしまう。
近くの一人、女ボーグルのオラクが、クロスの背中を叩く。
「フォーリーズさん、工房長の離婚の話は聞いているかい?」
「ええ、浮気されたから殴ってやったって」
「それは事実さ。でも、噂があってねぇ。離婚した、工房長の元旦那だけど、その、売ろうとしたのさ、ココチちゃんを」
「は? 売る?」
「あんまり言っちゃダメだよ! 元旦那の浮気の相手ってのが、商売女だったらしくてね、手持ちの金を使い切っちまったのさ。女房にバレちゃいけないってんで、工房の金には手をつけられない。それで、娘を浮気相手の胴元に、ね」
「そんなバカな」
「いや、あたしらもね、流石にそれは無いでしょって思うんだけどね」
「けど、ココチちゃん昔はあんなじゃなかったんですのよ。確かに気も利くし落ち着いた子ではあったけど、もっと表情豊かでしたわ」
「旦那を殴ったのに無料で離婚成立したっていうのも、なんだか妙だしねぇ。金に困った男ってのは、もっと意地汚くなるもんさ」
浮気相手に貢ぐ金のために、実の娘を売ろうとする。
それはクロス・フォーリーズという一つの人格にとって、全く理解不能であった。
「ココチさんは無事だったんですか?」
本当は大声で問い質したかったが、とても出来なかった。
「わかんないけど、手付きがある前に工房長が助け出したと思うよ。元旦那をぶん殴った日は、ココチちゃん普通に仕事に出て来てたものねぇ」
「多分、自分が売られたとか、何させられるところだったのかとかは、よくわかってなかったんじゃないかい?」
「でも、母親が父親を首がぶん回るぐらい殴りつけるのを、目の前で見ちまったろうしねぇ」
「なのに工房長にすごく懐いてますよね。私たちのことも信頼してくれてますし、やっぱり不穏な何かは感じていて、母親がそこから助けてくれたっていう気持ちはあるんじゃないでしょうか」
頭の中で時系列を整理してみる。
まずイーリの夫が浮気を働き、それが胴元のいる娼婦だった。
彼は娼婦に入れ込んだ挙句、金が尽きたが、妻の金や工房の金に手をつければ浮気がバレる。
そこでこっそり、自分の娘を娼婦の胴元に紹介して、秘密の仕事をやってもらおうとした。
胴元のところへ連れて行かれた娘は、不穏な何かを感じ、怖がる。
そこへイーリが乗り込んで夫を殴り、何らかの方法で胴元を黙らせ、娘を救い出した。
後に"法の魔女"の力を借りて離婚を突きつけ、娘を売ろうとした弱みを使いビタ一文払うことなく追い出した。
本人の同意なしの売春行為は契約法と統権法に違反しており、即座に懲役刑が課されるほか、悪質な場合は死罪もありうる。
名誉のためか、確実に追い出して二度と近付かせないためか、イーリはそこまでには及ばず、示談で手を打った。
彼女らの話を総合すると、そういうことになる。
今回の作戦を考えると、これは非常に重要な情報であったが、今はただ絶句するのみであった。
「ま、フォーリーズちゃんや」
年長であるサキュバス族のネルへが、クロスの肩に手を置く。
だが、それは置くというよりも、力強く握るというものであった。
「あの子の人生はまだまだあるんだ。あたしら皆で、あの子を幸せに育ててやろうじゃないの」
クロスは、自らの言葉を思い出していた。
言おうとは思っていなかった言葉。だからこそ本心である言葉。
『彼女たちを幸せにする。それを真剣に考えている』
ネルヘの言葉に「はい」と頷くと、他の皆にも笑顔が戻った。
その時、彼女たちは遠くから走ってくるココチを見つけた。
「噂をすれば角ってやつだね」などと笑いながら、手を振って呼ぶ。
「お待たせしたのです。今日の午後の分のお給金なのです」
「待ってたよぉ!」
「一番の楽しみだからねぇ!」
「おや、あんた亭主とは最近ご無沙汰なのかい?」
「あいつとは四番目の楽しみさ」
冗談を言い合いながら、ココチの前に集まる。
そんな彼女らに、ココチは手慣れた手際で束ねた紙幣を手渡していく。
給金を受け取った者は順番に帰途につくが、全員が去り際にクロスに挨拶をしたり、意味深な視線や笑みを投げかけていった。
やがて、最後の一人が「じゃあね」と手を振りながら立ち去ると、今度はココチが歩み寄ってくる。
「クロスさん、たった3時間で皆に大人気なのです。すごいのです」
「物珍しいだけですよ」
直接、訊ねるべきだろうか?
だがどう言えというのか? 「君の父親が君を売ったのは本当かい?」「本当ならその事件がイーリさんの心理に関係してるかもしれない、詳しく教えてほしい」とでも訊けというのだろうか?
とても無理だ。
元"忌み子"であろうとも、そこまで魂捨てちゃいない。
「それよりイーリさんの様子はどうでしたか?」
「母さんの方はもうすぐ仕上がるのです。相互紙で"織の魔女"さんに指南してもらってるのです」
「うーん、魔女って本当になんでもいるなあ」
「おんなじぐらい、タルギンにもなんでもあるのです。簡易組み台なんて初めて見たのです」
「昨日、城から帰る途中で糸屋に寄って見つけておいたんです。ナッグの問題に縫製技術が絡んでると聞いてたので、何かの役に立つかと思いまして」
「糸屋があるのも今初めて知ったのです」
「工房で使うのは既に編まれた布や鞣し革ですから無理も無いですよ」
「母さんについてる助っ人のお二人も、糸屋の方なのです?」
「ええ。鷹のポランに糸を買いに行かせたついでに、依頼の手紙も届けてもらったんです」
「どうりで凄く手慣れてたのです」
話している間に、家の方から新たな人影がドスドスと走ってくるのが見えた。
右手にひも状の何かを掲げ、満面の笑みを浮かべながら走り寄るイーリだ。
相変わらずの迫力である。
「出来たよ〜! いやあ大変だった大変だった!」
「出来たのですか! 見せて欲しいのです!」
差し出された右手に握られているのは、赤と黒と白の糸で編まれた、平打ちの組紐であった。
幅は1cm前後、長さは伸ばせば130cmほどはあるだろう。
ココチはそれを手のひらの上に乗せて、まじまじと眺める。
「すごく綺麗なのです。たった3時間でこれを編んだのですか?」
「いやぁ、編んでる途中のを持って来てもらってね、それを買い取って、最後の10cmばかりをやらせてもらったんだよ」
確かに、言われてみれば最後の10cmはやや編み目が浮いてる箇所があるように見える。
しかし素人目には殆ど違いは判別できない。言及があって、初めて気がつくという程度のものだ。
「でも、紐なんかでいいのかい? 金細工とか、大形鋳物とかの方がいいんじゃないかねぇ」
「鉱山の近くに住むドワアフには、織物や編物なんかの繊維製品を珍重する文化があるんです。太守閣下は確実に喜ばれますよ」
「そういうもんかねぇ」
自分で作った組紐を、改めて眺めてみるイーリ。
「イーリさん、もしかして不安なんですか?」
「へっ?」
「喜んでもらえるか、自信が無い、とか?」
問いかけに対し、イーリは明らかに狼狽した様子を見せた。
笑みに、わずかな不自然さが浮き出ていたのだ。
「いやいやいや、ドワアフってのは派手好きでもあるだろう? もし機嫌損ねたら、協会にも迷惑がかかっちまうじゃないのさ!」
「イレーギンさんは、贈り物で機嫌を損ねるような御方なんですか?」
「そんな奴じゃないよ! でもあいつにも、太守の立場ってモンがあるだろし……」
「大丈夫ですよ。"鉄の魔女"が手ずから贈った物に、難癖なんか決してつけませんよ」
「えぇっ? コレ、私が渡すのかい? あいつに?」
「当然じゃないですか。タルギン随一の名匠イーリンデルが魔女協会を代表して、関係修復のため自ら贈り物を太守に届ける。その姿を民衆に見せつけておけば、後々有利なんですよ」
「もーっ! 本当にストイルちゃんそっくりだよあんた!」
ぷりぷりと怒るイーリと対照的に、ココチが目を輝かせて手を合わせている。
彼女は、贈り物の本当の意味を知っているのだ。
ドワアフは催事に於ける親族への贈り物に、自ら作った織物や編物を用いることがある。
転じて、それは「親族になろう」という意思表示としての意味も持つ。
しかも組紐の色は、魔女協会の紋章の色である白に、鉄と火というドワアフの信仰の中核をなす存在を象徴した黒と赤だ。
単なる礼儀としての贈り物ではなく、親愛の情を示す品としての意味合いが、存分に込められた逸品なのである。
「まあ、事前に訪問の旨を本人に伝えなければなりませんので、贈り物を持参するのは明日にしましょう」
そう言って鳥笛を吹くと、また家の方からこちらを目指すものがあった。
背中に筒が結い付けられている一羽の鷹。ハジロのポランである。
風そのものであるかのように舞い、空を切りつけ、やがて洗濯桶の縁に止まる。
「これから、忙しくなりますよ」
筒を開き、ペンとインクと紙を取り出すと、初めから定まっていたかのようにペン先を躍らせ始めた。




