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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
鳥の章
166/211

鳥の魔女3

食事が済むと時刻は夕方である。

クロスが洗いものにかかろうとするよりも早くマグナカスは「寝る」と言い残して二階へと飛び去った。

壁にかけてあった照明が全て同時に消え、鳥たちも後を追って我先にとばかりに開き戸へ殺到したため、またもや一階は鳥の羽まみれとなる。

「やれやれ」とつぶやきながらも要領はすでに掴んでいたクロスは手早く羽を片付け、使った食器や調理器具を洗って水切り台へ置く。

それらが終わればすることもないクロスも床に就こうと思い立ったが、当然この家に客間や客用寝具などあるはずもなかろう。

一階のカーペットの上で野営装備にて転がって眠るのだ。

家の中と思えばあんまりな状態ではあるが、鳥が如き野営と思わば屋根壁カーペット暖炉があるだけでずいぶんと上等と言えた。


そうだ、暖炉がある。

窓を閉め、煙突が通っているか確認し、暖炉を覗き込む。

どうやら最近にも、おそらく昨日だが使った形跡がある。残った灰がまだ古びていない。

ならば使用しても問題ないだろう。暖炉の中で薪を組み、短刀を使って木の皮の一部を少しだけめくり上げておく。

めくり上げた皮と木の間にできた隙間に小枝を数本差し込み、その小枝に着火器で火をつける。

これで小枝が燃え尽きる頃には薪にも火が燃え移る。

ゆっくり、長く燃え続けてくれればよいので、調理の火とは全く扱いが異なるのであった。


そうして、野営の寝具に包まり、寝転がって相互紙を開いた。

魔女ランタンに普通の明かりを灯しながら。



『エルガン』



最初にそう書いた字が紙に染み込むようにして消えた十数秒後には、もう返事が浮かび上がった。


『どうした?』


一見ぶっきらぼうだが、そうした態度に今日一日さらされたためか、それとも旧友の言葉であるからか全く気にはならなかった。


『いま”鳥の魔女”さんのところにいるんだけど、お師匠様から聞いたよ。みんなで出動するんだって?』


みんなとは『死人の軍勢』のことである。


『ああ、すでにアンガナスの町に入っている。こっちはひどいもんだぞ、俺たちが来てようやく収まったみたいだが毎夜のように犯罪が起きていたらしい。で、毎日処罰者が出てたという具合だ』

『せっかく生き残ったのに? 統王様からの補償金も出たんでしょ?』

『金なんてそれで買える物がなきゃそもそも無意味だからな。その物の供給がまだ間に合っていない。反統王連衡の連中への捜査や備えで人手が足りてないようだな』

『だから魔女協会が……魔道士会も動いてるんでしょ?』

『もちろんだ。評議会命令が発されて大量の物資が全国の支部から供出される。食料だの水だの建材だの日用品だの工事の道具だの、まあ色々だな。それでひとまずこっちの状況は落ち着くだろう。それよりも──』


字が一瞬止まる。

躊躇によるものというよりも、クロスが読みやすくするためだろう。

書き入れた字が全て消えてから、新しい字を送るつもりなのだろう。


『──住民はかなり荒んでいる、そっちの方が問題だ。ヤザレの拝火教は知ってるか?』

『うん。昔うちで問題起こしてエルガンに殴り飛ばされた連中でしょ?』

『そんなこともあったなぁ。そいつらが急激に勢力を伸ばしていてな、いまこの町じゃヤザレの拝火教そのものも過激派と協調派に分かれちまってるぐらいだ。過激派の連中はそこかしこで喚き立てるように演説して、民衆もそれに乗っかるもんだからなかなか厄介でな。抑えつけるとかえって爆発するし面倒この上ない』

『人間はどんなにひどい現状でも、それを肯定する人についてっちゃうから。マイナス10の絶望の中で、プラス1の希望よりマイナス8の絶望の方を選んじゃうものなんだね』

『状況次第だがな、やはり人間痛めつけられすぎると、すぐには立ち上がれんものらしい。彼らにとっては立ち上がる前のハイハイのつもりなのかもしれんが、そのささやかな火が集合しちまうと火事にもなりかねん』


反統王連衡は世界を一新するつもりでいる。

それは、ヤザレの拝火教の理念にもかなうことだ。

世界の滅びを信じ、その再生を称え、新しく生まれるものを崇める。

そんな彼らの狂奔と絶望にクランツがひとつ耳打ちしたならば、ヤザレの拝火教は新たな敵の一つと化すおそれすらある。

ともかく彼らは狼煙を上げた。その狼煙に反応し集う者も続々と現れるだろう。


『統王様は、どうするつもりなんだろう』


彼の実際の顔が思い浮かぶ。

あの統王様が、今のところは後手後手だ。

連中にいいようにやられて、全く追いつけていないように見えてしまう。


『何か考えはあるだろうが、そこまで悲観するような状況でもないぞ』

『どういうこと?』

『考えてもみろ、これで連中は『世界の敵』になった。もはや奴らを討つことになんのためらいも配慮も要らん。あらゆる一般民衆が奴らをあぶり出し討ち果たすことに喜んで協力するだろう。完全に、一つのキズもない大義だ』


そうか、あえて無抵抗に、あえて後手に回って事件が起きてから動くと、善悪がはっきりと分かれるのか。

人を殺すのは悪、それを匿うのも悪、町を破壊するなど言語道断の極悪非道。

相手をその立場に置いて錦の御旗を掲げるためには、被害者という玉座を得るのが何よりわかりやすい。

ということは、



『苛烈を極めるぞ、ここからは』



エルガンの筆致はどこか楽しそうだった。

思う様人間を殴り、踏み潰し、吹き飛ばし、割り砕き、混ぜ飛ばす。

その予感に身も心も震えているようだった。


『でもそれって、統王様はその気になればどの事件も防げたっていうこと?』


北の果てでのアイランの逮捕と命を危うくした裁判。

そしてアンガナス大鉱山の大破壊。

いずれも、統王は止められたのだろうか?


『どの段階でどう動き始めるかにもよるだろうが、まあ無意味な推論じゃないか? 対局の終わり際なら”もしも”も利くが、始まりで”もしも”なんぞ言い出したら以降のお互いの手がまるごと全部変わって全く別の対局になるわけだからな』

『そうか、そうだね。ごめん』


謝罪はエルガンと、統王に向けたものだった。


『クランツとやらは大した指し手のようだ。もし統王がことの始めから警戒を払っていたとしても、アンガナス以外の別の地で同じ惨劇が起きてたろうよ』


気を遣わせてしまった。

もう一度『ごめん』と書き送ろうとしたが、その時かすかな物音が天井から聞こえた。

即座に『物音』とだけ書きながら天井を注視する。

なんの変哲も変わり映えもないただの静かな天井。二階の鳥たちも起きて騒ぎ出したりはしていないようだ。


だが、さらにもう一つ、いや二つ、三つ、足音のようなリズムの物音。

響き方の印象が少し遠い。二階からした音ではなくその上、屋根の上の音だ。


短刀を握り、ランタンを携えて慎重に脚立を登る。

息を殺し、できるだけ足音が立たないよう、静かに。

こういう時はアイランの力が恋しくなった。


二階に上がると、鳥たちは皆静かに目を閉じて眠っていた。

夜行性の鳥たちだけが起きていたが、騒ぐことなくじっと止まり木やカゴで大人しくしている。

“鳥の魔女”マグナカスの姿もない。そして、窓が開いていた。


と、いうことは。


短刀を腰に差し、相互紙に『大丈夫だった、おやすみ』と書いて窓から顔を出す。

その顔を向ける方向は屋根の上だ。


そこには”鳥の魔女”の姿があった。

風見鶏のように三角屋根の頂点に立ち、夜空を、ふたつの月を見上げている。

鳥の形をした黒い大きな影が、風に帽子と襟をなびかせながらただ留まっている。

その姿は一つの絵画のように神秘的で、いかめしい砦のような迫力があった。



「来な」



ちらりとも見やらず、身じろぎひとつもせず声だけを向ける。

「はい」と答えることすらなく、クロスは黙ってランタンを置くと窓から屋根に移った。

瓦の凹凸を手掛かりによじ登り、”鳥の魔女”と同じく三角屋根の頂点で、彼女の隣に腰掛けた。

隣に座ると、体格の差はさらに歴然だ。クロスの姿などはほぼ彼女の影に覆われてしまうだろう。


「昔はよく、月を見たもんさ」


今日は双子月の日。ふたつの月が隣り合っているかのように見える日だ。


「お好きなんですか? 月」


返答はない。

考えているのか、無視したのか、それはわからなかったが訊き直す気にはならなかった。

マグナカスの不動の迫力が、そうさせなかった。



「ウォグアナタ」



だが、出し抜けに彼女はそう口走った。

これに対しては思わず「え?」と聞き返してしまった。


「ウォグアナタ、知らないのかい」

「えっと、確かウォタザオたちの故郷の」

「そう呼ぶのはやめとくれ、アーゲルンどもがつけて、統王が記した名だ」

「すいません」


深呼吸の音とともにマグナカスの巨体が上下する。

夜闇の中で、黒衣の質感はぬいぐるみか羽毛のようにも見えた。


「あたしはそこの生まれじゃない、ガカン大陸のヤーガ・ポライス生まれさ。ウォグアナタなんざ行ったことも見たこともない。あたしの両親もそうだった。でもバアちゃんは違った。バアちゃんはウォグアナタの生まれで、アーゲルンどもに追い出された時にはまだ子供で、魔界王に帰化種族認定された時にゃもう自分の子供がいた」


彼女の語り口は静かで、昔を懐かしみながらも感情に浸ってはいないようだった。

かつての記憶や過去に想いを馳せても、そこに感情は希薄だった。


「バアちゃんは毎日毎日、毎晩毎晩、あたしに月を見せてこう言うんだ。『マギー、あの月を見な。あの月が沈む場所にあたしたちの故郷がある。お前がいつか、帰り着く場所さ』って、ひどい話さ、自分の孫に毎日そんなこと吹き込むなんてね」


ただ、月を見上げる彼女の目は細められていた。

覗き込んでいるのでも震えているのでもない、その目はただ、脱力していた。


「バアちゃんが死んでからは、月なんざろくすっぽ見上げもしなくなっちまった。あの時から色んなことがあったし色んなことをやってきたけど、月を見たのはずいぶんと久しぶりな気がするよ」

「どう、ですか?」

「どうってことはないね。ただのデカい明かりさ」


少しだけ吐き捨てるような意図が混じった声だった。

もう一度、深呼吸。

ただ今度のはため息のようだった。



「クロス、あんたちょうどいい時に来たよ」

「え?」

「魔女協会に頼みたいことがある」



月ではなくマグナカスの横顔を見上げる。

もっとも、顔などというものは闇に隠れて一切見えないのであるが、細められていた一つ目はすでに開かれていた。



「あたしはもうすぐ死ぬ」



息と言葉が詰まった。

「どうしてですか?」と訊ねるべきだったが、声は喉で詰まった。

まるで鵜飼いの鵜が喉に魚を詰まらせるように。


「わかるのさ、もう永くないってね。こんなババアが死んだところで、いまさら誰も何も思いやしないだろうがね」


彼女は種族の最後の生き残り。

もし亡くなれば、それは完全な死だ。

命を繋ぐ受け取り手はおらず、学びや業を受け継ぐ弟子はおらず、遺志を示してくれる友もいない。

初代“鳥の魔女”マグナカス・マーグカーゴは一代で断絶し、彼女の歴史と物語は死滅するのだ。

その死を以って、いまここにある存在は何の痕跡も遺さず消え去り埋もれるのだ。


「せいせいするよ」


本人はそれを楽しみにすらしていた。


だが、思い残すこともある。



「問題は、あの子たちだ。あの子らは親とはぐれたり、捨てられたり、死にかけていたり、群れから追い出されたりしていたのをあたしが拾って来たのばかりでね。あの子らにとっちゃ帰る自然なんてない。ここが家なのさ」



飼育している何百という様々な種類の鳥たち。

それぞれ生態や習性も違えば、気性や性格も全く異なるだろう。

さらにはこの鳥は他の個体とどういう関係を築いているのか、喧嘩しているのは単なる気質なのか本物の憤怒や憎悪なのか、複雑な鳥の社会の現状は理解するだけでも至難を極める。

それら全てを熟知し、それぞれに合わせた世話や対処を重ね、しつけも欠かさない。

全てを一人で成し遂げられるのはこの世界でも彼女だけに違いない。


「鳥ってやつは、どんなに離れていたって結局は自分の家に帰って来ちまう。だからあたしもこんな商売が出来るんだがね、あの子らは、あたしがいなくなってもここを離れようとしないだろう。それで、頼みってぇのは」

「あの子たちの面倒を、この家で見て欲しいんですね」


沈黙が風に乗って夜空へ上る。

双子の月に雲がかかり、ますます”鳥の魔女”の姿が見えづらくなった。

だがたとえ鳥目であっても、すでに暗闇に目が慣れていた。

相変わらず顔までは見えないが、彼女がただじっと立っているという事実だけは見えた。



「どうしてですか?」



いい質問とは言えないだろう。

だが、風に乗せるのが沈黙ばかりではいささか味気もない。

もう少しだけ何かの感情が吐き出されたって良いだろう。

クロスですらそんな気分にさせるほど、双子の月の輝きは雲の裏でも美しかった。


「あなたは、その、金銭に明るい方だと聞いています。なら鳥たちはそれを得る手段に過ぎないはずです。どうして……自分の死後のことで、あの子たちを気にかけるんでしょう」


愚問に決まっている。

鷹のポラン、カルフールのカプリ、どちらも丁寧に調教され、愛情深く育てられていた。

羽をつくろい、栄養の偏りに気を配り、爪やクチバシに至るまで日頃からよく整えられていた。

日頃からの厳しい調教としつけの中で万全のケアをも欠かすことなく両立させる、それも相手は一羽や二羽ではないのだ。

何もかもを完璧にこなし、しかも数百羽に及ぶ全ての鳥たちにそれを行き渡らせる。

決して金儲けのためだけにできることではないのは、クロスにもよくわかっていた。


だが、本人は再びため息をついた。

それだけではなく、泰然としていた姿勢を動かし天を仰ぐ。


「どうしてだろねぇ……」


長い年季の中で、動機というのは擦り切れ原型を失ってしまう。

そうして残るのは習慣と儀式だ。

何らかの理由があったはずの行為が、生活の一部に染みつき融合してしまうと、それをしなければ生活そのものが破綻しているような気になってくるのだ。

だが初心はあったはずなのだ、それは彼女も理解している。

その奥にあるものに、まだ彼女の大きな一つ目は向けられていなかった。


結局、風には沈黙が乗ってしまった。




「とりあえず、協会長には伝えてみます」

「頼むよ」

「それで招待状なんですが──」

「後にしな」




またもや、ぴしゃりと跳ね返されてしまった。

双子の月は再び雲から姿を現していた。

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