ある夜
「ウワーッハッハッハッハ!」
わざとらしい大笑いもこだまする酒場。
まだ日も残っているというのに男たちで埋まった卓には大量の酒が並べられ、太った女中が注ぐそばから乾杯とともに飲み干された。
二十人ほどの男たちは酒場を完全に占拠しており、陽気で下品な笑い声を高らかに響かせては飲み、飲んでは響かせる。
彼らは皆お世辞にも善人面とは言えない、ずぼらで不真面目で軽薄な性格がそのまま現れたかのような悪相である。
そして何より、全員の頭に冠のような五本の角が生えていた。
ゴン・ガンク族の男たち。
彼らの昼間からの大宴会だ。
理由は特にないのだろう。飲みたくなったから、飲む。
彼らはそういう男たちなのだろう。
そしてその中に、アンガンドゥッツの姿もあった。
彼を含んだ五名が卓の一つを占めており、向かいの男がジョッキを飲み干してげっぷを放つ。
その目は据わっているを通り越して、すでにほぼとろけていた。背も丸くなり上半身もふらついている。潰れる一歩手前だ。
「だいたいよォ」
ろれつも怪しい。
クダを巻こうとするあたりも酩酊の証だ。
「なァーんでよぅ、オレェらがよ、あんな奴らとおんなじだけはたれェて、おんなじだけもらうんだっつゥのよォ」
周囲の仲間はうなずきながら持ってるジョッキを卓に打ち鳴らす。
「オレェらは勝ったんだぞォ!? 勝った奴が、負けた奴らからァ奪うのが、なァにが悪いんでぇ。そォーれをオレたちに、おんなじように暮らせだァ!? んなバカなこっがあっかよォ!」
「ああそうだ」と相づちが入る。
男はますます調子づき、勢いづいてとうとう立ち上がった。
無論、足元もおぼつかずよろけながらなんとか支えているといった程度だが。
「統王がよォ! オレらゴン・ガンクをさんざっぱら使いてェして戦ったっつゥのに、あんの優ァ男のヘタレ野郎が、勝ったァ途端にオレら同胞をゴミみてェに、ポイだ!」
よろけて酒をこぼしながら席に倒れかかるが「おっとっと」とつぶやきながらなんとか持ち直す。
「女ァにモテるしか能のねェガキが、おめェの代わりにオレらが戦っちやっちってきたってのに、あンの野郎は女と乳繰り合ってるだけでなァーんにもしやがッねェ」
他の卓の連中の注目も集まる。
男が言葉を区切るたびに、彼らは「そうだそうだ」と卓を打ち鳴らし床を踏み鳴らした。
「あいつあ裏切りモンだァ! 決めたぞ、オレァ奴のチンボコ切り取って、奴の頭ァにとっつけてやんだ。それで言ってやる。『我が君、ずいぶんと立派な五本目の角ォお持ちじゃねェですか、なんで隠してたんですか?』ってなァ!」
酒場が大笑いで包まれる。
卓を叩き、大口を開けて、腹の底から彼らは笑っている。
男も得意げにニヤついていたが、周囲をよたよたと見回していると目も酒も回ったのか、どたりと床に倒れてしまった。
完全に潰れたのだ。それでまた新たな笑いが巻き起こる。
だがアンガンドゥッツが静かにジョッキを掲げると、笑いは波が引くように収まっていった。
皆が今度はアンガンドゥッツに注目すると、掲げた腕を下ろさぬままに彼は敢然と言い放つ。
「女の股の間の玉座、そこにおわす足の間の角の王に」
全員、ニヤけながらジョッキを掲げて乾杯した。
そして改めて笑いながらそれぞれの宴に興じる。
潰れた奴は置いておいて。
「しかし実際よぉ、戦利品と論功行賞だけってのは納得いかねぇよなぁ」
「まァーだ働けっつぅんだもんなぁ俺たちに。せめて奴隷が使えりゃなぁ」
「奴隷買う金なんざ持ってんのはここじゃ男爵様だけだろっつぅの」
「はぁーあ、脳眼野郎だのトロールだの短足どもだの、負けた連中と同じ生活しろってかァー」
酔い潰れていなくても、男たちは口々に不満や愚痴をこぼす。
「統王は、俺たち同胞を裏切った」
アンガンドゥッツも潰れてはいなかった。
ただ、いささか酔ってはいた。声に緩みがなかろうとも。
「女たちと弱者に支配された情けない王に従う必要などあるか?」
左となりの男がため息をついた。
彼はこの中では年長のようだった。
「ヴァルグホーン様の頃はよかったなァ、いくらでも殺して奪って犯して、好き放題できたもんなァ」
「異民族なんざ皆奴隷だったからな! あん頃ァラクだったな」
「やっぱゴン・ガンクは殺して奪ってナンボだってのに、どォーして情け容赦なんてかけちまうんだかねぇあんな奴らに」
「オレたちゃ世界でてっぺんの民族なんだ! だから勝ったんだろゥがよ」
「平等なんざクソくらえってなもんだ」
酒の力を借りてはいるものの、全て本心だと思えるような語気であった。
やにわに、アンガンドゥッツが席を立つ。
仲間の一人が「どォこ行くんだよォ」と訊ねると、少しだけ振り返りながら「今日はもう帰らんとな」と笑いながら答えた。
「えぇー!? まだ呑めんだろ!」
「男爵様のツケがねェとオレらァいっちゃん安いビールしか呑めねぇよォー!」
「すまんな皆、今日は叔父上が見えられるのだ」
泣き言を並べながら引き止めようとする男たちも、叔父上という言葉を聞くと大人しく引き下がった。
「それじゃあ仕方ない」とばかりに。
そしてアンガンドゥッツは、誰からともなく始まった歌の大合唱を背に酒場を後にした。
歌の題名は『王の剣と侍女の壷』。吟遊詩人が作った、統王の淫蕩ぶりを面白おかしく誇張し皮肉った歌である。
ハーバント家は統王の二代前からゴン・ガンク族全てを統一し王朝を築いたが、ベルゼット家はナーガ家に続いて恭順し、比較的小身でもあったことから所領を安堵されていた。
ゆえに、今アンガンドゥッツが歩く帰り道は遥か昔からの故郷に敷かれた帰り道であり、山の麓にある代々続く屋敷への道でもあった。
そこを数十分も進むとちょっとした里に出て、最奥である西側に彼の邸宅は構えられている。
豪奢ではないが大きく、年代物で、かといって老朽化はしておらず、彼に至るまでのあまたの先祖たちが大事に修繕と補修と管理をし続けてきたことが一目でわかる。
出入り口の扉も大きく重かったが動きは滑らかで、彼ならばごく普通のドアのように開けられた。
「帰ったぞ!」
叫ぶのとほぼ同時に、すでに彼の隣にメイドが一人控えて主人を迎えていた。
「おかえりなさいませ」と礼をする彼女のたたずまいは冷徹で正確。
若く鋭さのある目つきと氷のような美貌は何ものも寄せ付けない雰囲気をにじませていた。
「すでに子爵閣下が応接室にてお待ちです」
「なんだ来ていたのか。バルイオスの奴はどうした?」
「執事はいま管理者と明日の西壁補修の打ち合わせ中でございます。明後日には業者が参りますのでその段取りを組んでいるところでしょう」
「もうそんな時期か。見積もりと領収書はいつも通りヤザに出しておけ」
「かしこまりました」
投げつけられた上着を完璧に折りたたみながら受けとめ、頭を下げる。
「叔父上に会ってくる。夕食はいらん。酒だけ寝室に持ってこい」
「……かしこまりました」
少し間を開けた後に一礼。
しかし今度は立ち止まって、歩いていく主人を見送る。
それを一顧だにせずアンガンドゥッツは歩き続け、一つのドアを押し開けた。
「おお、アンドー」
「叔父上!」
その先に彼はいた。
モルドゥンガ子爵。彼の叔父にして、ベルゼット家の現当主だ。
彼は杖をつきながら立ち上がり、それをアンガンドゥッツは抱擁する。
「ご無沙汰してました、お待たせして申し訳ない」
「いや、なんのなんの、俺が早く来ただけのこと。うっ、酒臭いな」
「いま酒を抜いてきましょう」
「いやいやそれには及ばん、すぐに済む」
話しながらお互い席につく。
卓を挟んで一対一、目の前には茶が注がれた木筒と石製のポット。
すでにアンガンドゥッツのぶんの木筒も置かれているのは、あのメイドの手腕だろう。
ひとまずは、そこに自分の茶を注ぐ。
「それで、話とはなんですかな?」
切り出すと、モルドゥンガは重々しく「うむ」と口を開いた。
「我らがベルゼットの成人した男子は、今や俺とお前のみ。そしてお前は……誰よりも強う育った。いまお前にかなうゴン・ガンクの戦士など一人もおらんだろう」
「叔父上には到底及びますまい」
「そう言ってくれるな。統王様に従って戦った名誉の証だが、この足ではもう戦場に立つことさえままならんだろうて」
己の左足をさする。
衣服に隠れて今は見えないが、その下には深々と槍が突き立ったことを証明する傷跡があった。
モルドゥンガがため息をつく。
それは嘆きであったが、己を嘆いたものではなかった。
「お前、まだ”影網党”などとつるんでいるのか?」
その目には咎めるような意思がわずかに現れていた。
アンガンドゥッツは思わず言葉に詰まる。
思い返されるのは、さきほど酒場で共に飲んでいた者たちの顔つきだった。
「叔父上、あいつらだって同胞だ。確かに懲罰部隊あがりの連中だが戦にだって」
「あいつらは戦場になど立っとらん、ただ村々を回っていただけの略奪隊だろう。統王様が方針を変えられて役目にあぶれたような、女子供だって喜んで殺す連中──」
そこまで言って言葉を止め、手を振りながら「いや、こんなことを言うために来たのではなかった」と会話を改めた。
アンガンドゥッツはただ大人しく従い、受け入れるだけだった。
「現界の方が、きな臭くなってきた。統王様には俺がよくとりなしておくから、お前の妻子を呼び戻しておいた方がよい」
ベルゼット家はハーバント家に恭順を誓う際、一族の男は妻子を人質としてハーバント家に差し出すべしとの約定を結んでいる。
コードランも伝統として踏襲してはいるが、本来それは彼が望む支配の理想形ではない。
モルドゥンガが言葉を尽くせば、約定を破棄して帰郷を許してくれることだろう。
だが、気になったのはそこではなかった。
「そんなに危ないのか?」
身を乗り出して声をひそめる。
すると、子爵も同じように身を乗り出した。
ただし彼の方は、周囲を見回して警戒を払ってからであるが。
「ルネイの連中が妙な動きをしている。魔道士会も分裂しかけておるし、ヴァレク候も理由をつけて出仕や連絡が滞るようになった。近々大きな乱が起こるやも」
「叔父上がそれを知っているということは、統王は」
「無論ご存知であらせられる。俺もアンガナス大鉱山の内部監査を行うよう命じられたからな……」
内部監査、つまり金と物流を追われているということは統王側もほぼ察知していると見ていいだろう。
現界の反逆者たちの動向は今や一触即発である。
「それで、叔父上はどうするんですか?」
「どうするって、どうしろっていうんだ」
「叔父上も立ち上がるべきだって言ってるんですよ!」
声をひそめながら、それでも口調は強く。
「叔父上だって同胞の食客を何千人と抱えてるじゃねぇですか! 立ち上がるってなら俺だって手貸しますぜ。そのための"影網党"だ」
モルドゥンガは顔を歪めて視線を伏せた。
それでも言葉を続ける。
「皆統王の野郎にゃうんざりしてるんだ! 戦争で勝ったのに俺たちには何の特権もない、この世界でのただの"国民"の一人でしかねぇ、そんなことってありますか! そう思ってる連中が叔父上を頼って集まってるんでしょう」
勝利者の民族であるゴン・ガンクも統王の下ではいち国民である。
敗北者の民族たちと同様の立場、権利、義務を有している。
それが気に入らないのだ。勝った戦闘民族としては。
「……同胞らの陳情は、日々受け止めている。なんとかする、なんとかするさ……」
「なんとかする機会は今でしょうが! 統王に背く仲間が多いうちに叔父上も立ち上がって、同胞のために戦うんです。そうすりゃあ少なくとも魔界守旧派の連中と一緒に魔界だけは取り戻せる。クレンダン伯爵、ノ・ライエット公、カーギ・カリン旧体制派の連中、マンマートの追放諸侯、同志はまだまだいますぜ!」
「どいつもこいつも、名前の頭に『旧』とつくような連中ばかりだ。時代を逆流させられると思うのか?」
「叔父上ならできます。叔父上は統王の腹心だ、裏をかける!」
今度は完全にうつむいてため息をひとつ。
その仕草はアンガンドゥッツからは決意のように思えた。
「いいかアンドー、俺は現界のあんな連中につくつもりはない」
だが、違った。
「お前は知らんのだ、あいつらは……本当にひどい連中なんだ。あんな奴らが世界中の民衆全てに支持されるはずがない。世を乱す賊徒として、クソや小便みたいなものとして道端にひり出されて置いていかれるだろうよ。後に残されたクソにはハエがたかるだけだ」
「だからなんだ! そんな連中片っ端から黙らせちまえばいい、ゴン・ガンクはずっとそうやってきたし統王だってそうしたんじゃねぇか! 俺たちにできないはずねぇでしょう!」
「わかった、わかった」
抑えるよう、手のひらを下に向けてあやすかの如く空をなでる。
その声には優しさと諦めが等しく混ざっていたが、アンガンドゥッツはそれを感じ取っただろうか?
「ひとまず今日はそれだけだ、お前の妻子はきっと現界から戻してみせるから、うかつな連中との付き合いには気をつけろよ」
「ええ、肝に命じます」
「それじゃ、帰るよ」と言って杖を掴み立ち上がる。
よろけかけた叔父を支え「お体を大事になさって」と見送った。
モルドゥンガはゴン・ガンクには珍しいほどの、心根の優しい懐の深い男だった。
そんな叔父を尊敬しているし、普段臆病とそしる連中もいざ窮地に陥ると結局彼を頼る。
そんなどうしようもない連中もほっとけないのだ。同胞なのであるから、同胞たちに何度となく支えられ助けられてきたという自覚があるのだから。
しかし、もう少し覇気がほしい。優しさと良識だけではなく、機と見れば非情にも身を堕とせるほどの野心があの人には必要だ。
アンガンドゥッツは煮え切らない思いを抱えながら寝室に入る。
「失礼します」
ベッドに座っていると、ノックの後に返事を聞くこともなくメイドが入室した。
手に支えられた盆には盃と酒瓶が乗せられている。
彼女は静々と完璧な姿勢と足運びで歩み寄ると、ベッドそばの小さなテーブルの上にそっといささかも音を立てることなく盆を置いた。
それからもう一度主人に向き直り一礼。「おやすみなさいませ」と挨拶し振り返ろうとした瞬間。
腕を掴まれ、ベッドの中──というより彼の胸の中──に引き込まれた。
完璧に着こなされた服が乱れるが、それでも彼女の表情に乱れはない。
抵抗する素振りも意思表示もなく、彼女はされるがままに押し倒された。
「旦那様」
だが、一言だけ呼び止めた。
「いつもはもっと激しゅうございます。如何なさいましたか?」
「妻が戻ってくる」
顔を寄せ、目の前でささやくように言葉を交わす。
メイドは態度の中に冷徹さを保ってはいたが、頬はすでに熱さを宿していた。
「この蜜月も、今後は少しばかり控えねばな」
そう言いながらすぐさま、熱く息をつく冷たい唇に己が口を押し当て、細い体に屈強な身をのしかからせた。
これはまだ、その夜ではない。
彼の人生を変えたのは翌日の夜であった。
いつもの通り、彼は夜道を歩いて帰宅した。
鈴のように鳴く虫以外全てが寝静まったと思えるような夜。
今夜もまた"影網党"の連中とつるんで飲み歩き、日も暮れた時刻に帰ったのだ。
「帰ったぞ!」
だがこの日は、いつも迎えてくれるはずの者はいなかった。
隣にも目の前にも、出迎えてくれる者の姿はない。
不審に思い名を呼び、大声で呼びかけてみても反応はなしのつぶて。
それどころか、屋敷の中には誰の姿も見えなかった。
執事のバルイオスも、屋敷管理者のノードックも、財務管理のヤザも、誰もいない。
一体どういうことかと屋敷の中を回ってみても、ただがらんどうとした空間と家具があるのみ。
争ったような形跡も荒れたようなところもなく、まるで突然神隠しで人だけが消えたかのようだ。
こんな夜遅くに全員で外出しているとも思われない。
奇妙に思いながらもめぼしい場所を探し、いよいよ己の寝室のドアに手をかけ、開く。
そこに、一人の男がいた。
窓際に座り、背に月光を受けながら彼は待っていた。
狼藉者かと思い一瞬身構えるアンガンドゥッツだったが、カーテンが揺れて月光の角度が変わり、一瞬だけ見えた正体を理解した瞬間構えたままの体が固まる。
上等な衣服、燃えるような赤髪、そして何より一本欠けた四本角──
「よう」
──コードラン・ヴァルグホーン・ハーバント、統王だ。
全身から滝のように汗が吹き出る。
見開かれた目は風景を理解したが、脳と魂は状況を理解できず混乱をきたした。
何故こんなところに? 現界の王都にいるはずじゃ?
いま、何が起きているのだ?
「統王……様……」
「"様"などと普段はつけておらんだろう、統王かコードランとでも呼べ。それとも──」
彼の表情は月の逆光でうかがい知れない。
だが声には力があった。穏やかな中にも力強く他者を圧する覇気があった。
「──足の間の角の王、がお好みかな?」
手と唇が震えだす。
酔いのせいではない。
むしろ、酔いなどという感覚は一瞬で消え失せたのだ。
「座れ」
彼の前には椅子が置かれていた。
統王の体は一切動いていなかったが、何を促しているのかは明白だった。
不意を打たれ戦意が削げたアンガンドゥッツは、言われるがままにする他なかった。
暗闇にうっすらと輪郭が月光に浮き上がるだけの姿。
そんな統王と対面して座る。逆光となった表情は全くうかがい知れなかったが、じぃっと身じろぎひとつせず顔と視線を向け続けられているのはわかった。
沈黙が流れる。
一言も発することなく、統王はただ見続けていた。
アンガンドゥッツは汗と震えを止めることができず、統王の視線にまともに視線で応じることもできなかった。
恐れていたのである。彼自身思いもよらなかった。
じっと射すくめられ、ただの椅子が拷問処刑台のように感じられた。
沈黙が続く。
やがて、受刑者であるアンガンドゥッツの方が耐えきれなくなった。
「統王様、何故──」
「今日は」
言葉を遮り、塞ぐ。
チンピラの脅し文句のような安っぽい大声ではなく、あくまで芯の通った強い声で、何も挟ませはしない気迫と断固たる力があった。
「お前に友人たちを紹介しようと思ってな」
後ろでドアの開く音。そして複数の足音。
振り返ると──そこには見覚えのある顔が並んで立っていた。
「はっ?」
そこに立っていたのはメイド、執事のバルイオス、屋敷管理者のノードック、財務管理のヤザの四名、いずれも彼の使用人たちだった。
彼らはただ黙ってじっと立っていた。人質のようにではなく、命令を待つ兵士のようにだ。
「ど、どういうことだ?」
明らかに狼狽しながら椅子から立つ。
彼には理解できなかった。彼以外の全員が理解していることが。
「左から、まずはフーラル。かつてはヴォロイス将軍に仕えていたが、その前はナーガ家の秘密工作員だった。彼女に求婚した男は多いぞ、倍率は高いからお前も覚悟しておくことだ」
スカートを持ち上げうやうやしく礼をするフーラル。
だがその礼はアンガンドゥッツではなく、その奥にいる男へ向けられていた。
それがわかってしまった。
「次はガルガマッツ。元デ・タンダの忍びだがデ・タンダ人ではない。彼らの里に捨てられた赤子をデ・タンダたちが不憫に思い養育した現界人だ。体術はさすがに彼らにかなわないが、変装術は凌駕している」
執事が己の顔面を掴み、帽子でも脱ぐかのように脱ぎ捨てる。
その下にあった顔は全く知らないものだった。
「その隣はゼナ=マゴス。元盗賊だが彼の妻は俺の医療福祉制度のおかげでタダ同然で死の病から救われたらしい。恩を返したいと言っていたので、今回協力してもらった。彼のおかげで今俺とお前はここで会話をしている」
ゼナ=マゴスが一礼すると、彼の腰から下げられた鍵束がじゃらじゃらと鳴った。
「最後にヤザ、彼女だけは本人の希望で本名のままだ。一族ぐるみで80年間も横領を続けてきた会計人の家系だが、罰を免じる代わりに協力させた。お前の財務情報を全て渡すことなど、80年間の大事業に比べれば些末なものだったろう」
ヤザは頭を下げず視線のみを伏せて代わりとする。
そして、最後の紹介が済むと四人は速やかに退出した。
呆然とするアンガンドゥッツを残して。
「アンドー、彼らは今後もお前の使用人を続けるだろう。お前さえ良ければだが」
背中に浴びせられる言葉も響かない。
ただぺたんと、その場に座り込む。
座りたかったのではなく、足から力が抜けて自動的に腰が落ちたのだ。
「な、なにが」
やっと絞り出た言葉は、情けなく宙を浮遊していた。
「何が、目的……ですか」
振り向く力すらない。
屈強な体の大の男がへたり込む姿は、常人がする同じ姿よりもはるかに情けなく見えた。
「現界の反逆者どもの全容はほぼ掴んだ。近々大きな乱が起きるだろうが、俺はすでに勝利している」
決然とした統王の声は情感もなく淡々と並べられるのみ。
「問題は魔界の連中、お前の叔父が率いるであろう連中だ。万全を期して内応者が欲しい」
「それを、俺に……」
「そうだ」
「叔父上は……モルドゥンガ子爵は、現界の連中に呼応はしない。叔父上になど、できない」
すでに心は折れていた。
だがその時、統王の声に初めて感情のようなものが乗った。
ため息の音がしたのだ。
「モルドゥンガは……いいやつだ、信頼していた。だが優しすぎた。同胞の求めをあいつは跳ね返し切れないだろう。同胞の無責任でわがまま放題な不満に同情し、なんとかしなくてはと優しさと使命感を募らせ、彼らのために最後には立ち上がってしまうだろう」
モルドゥンガは統王を敬い、統王の強さと力を知っている。
モルドゥンガは優しく、強い使命感によって同胞を守るため統王に仕えた。
それら全ての性質が、今は悪い方向に働いてしまうのだ。
「こうなっては仕方がないのだ、モルドゥンガにはもう死んでもらうしかない。お前はどうだ? 叔父とともに立ち、ベルゼットの名を絶やすか?」
断れば、容赦なく殺すだろう。
モルドゥンガを、アンガンドゥッツを、人質である彼らの妻子を、ためらいなく殺すだろう。
その上で叔父上は立ち上がり、勝利など望めない戦いに身を投じて同胞のため戦い抜き、死ぬだろう。
なんと──
なんと──ゴン・ガンクらしい。
敵とあらば信頼を置いていた者とさえ全力で戦う統王。
同胞のため自らの性質を曲げてでも戦いに臨む叔父。
二人とも、ゴン・ガンクの信念から一毫たりともぶれてはいない。
普段の行いではなく、いざ臨むとなった鉄火場の前でこそ真のゴン・ガンクとしての在り方に身を置く。
そうしようとする意思によってではなく、ごく自然で直観的な反応として。
何も知らない、土俵にすら立っていない、惰弱な男は──俺だ。
統王を倒すと息巻いてならず者どもに持ち上げられ、いい女を抱いていい気になって現実を見ていなかったのは、俺だ。
やっとわかった。俺は、弱い。
俺は弱者だ。いい気になっていただけのバカだ。
恥ずかしい。
このまま隠れてしまいたい。
でも、できない。
させてもらえるはずがない。
この男、統王には、勝てない。
「わかり、ました」
すすり泣きと涙とともに、そう絞り出した。
折れ、屈した男の姿は何よりもみじめだった。
その後、統王の言葉は全て正しかったことが証明された。
三角連衡の乱は鎮圧され、魔界の守旧派をモルドゥンガが率いて反逆の狼煙をあげたのだ。
結果的にモルドゥンガ子爵は三角連衡に呼応する形で挙兵したのである。
だがアンガンドゥッツからの情報でそれを事前に察知し陣容や組織構成、決起の日にちや場所まで知っていた統王陣営は即座に対応し、魔界守旧派の乱は結局三角連衡よりも先に鎮圧されてしまった。
首謀者であるベルゼット一門とスーランタム山の有力者たちがことごとく処刑され、多くの一族が死に絶えた。
アンガンドゥッツとその直接の身内だけを除いて。
人々は噂し合った。
モルドゥンガとともに挙兵したはずのアンガンドゥッツは裏切って統王についたのだ。
反逆を彼だけが許されたのみならず所領まで安堵され、身分も剥奪されず、60議会からも追放されず、人質すら返還されたのはどう考えてもおかしい。
彼は寝返ったのだ。
それは全て正しく、統王もあえて何も言わなかった。
アンガンドゥッツは味方からも敵からも、すくたれ者の臆病風と陰でささやかれるようになった。
彼自身それは違う、あれは仕方がなかったのだと己を弁護する気持ちと、彼らの言うことはもっともだと認める気持ちの葛藤に苦しんだ。
尊敬していた叔父を裏切って死なせたことへの自責の念にも、一人で耐えねばならなかった。
すでに四人の使用人の姿はなく、彼を慰めるのは妻のみ。
それでも、決して理解などはされず、できるはずがないとも思えた。
そんな鬱屈とした毎日を送っている時に、彼はクランツと出会った。
統王を倒そう、叔父上の仇を取ろう、汚名をすすごう、念願を果たそう。
いくつもの言葉を並べ立てられたが、そうされる前から決心していた。
今度こそは、負けない。
もう、あんな目には遭わない。
その悲愴な覚悟が彼の五体を満たしていた。




