明るみにて
アンガナス大鉱山工業地区。
多種多様な鉱石を精錬し、加工し、卸す。
言葉だけならたやすいことでも、実行するとなれば町の一区画をまるごと要するほど大掛かりだ。
立ち並ぶいくつもの炉と煙突はもうもうと燃料を煙や熱に変換し続け、鉱石や鋳塊、精錬した魔石等を運ぶ人足や馬車がせわしなく往来する。
この地区で行うのは、かいつまんで言えば原材料を素材へと変換すること。
鉱石を鋳塊に、岩石を砂礫に、魔鉱石を精錬した魔石に変え町へ送り出す。
それらの素材を用いて様々な製品が製造され世界中へ羽ばたくのだ。あるいは素材のままで羽ばたくものも相当量存在するが。
つまりこの工業地区はその隅々までがほぼ常時稼働していなくては、その枝葉の産業全てが停止してしまうのである。
だが、ここに稼働していないものが一つあった。
壊れたまま放置されている第十二粉砕機である。
人力で巨大なローラーを回し、そこに放り込まれた岩石を砕いて砂礫に変えるのだが、大きく凹んでしまったせいで肝心のローラーが取り付けられなくなったのだ。
砂礫は重要な建材で、建物のみならず道路にも、あるいは芸術の素材としても用いられる。
一刻も早く修繕し再稼働させるべきであるのだが、もう何日もただ放置されている。
必然、この粉砕機の周辺は人気も少なく、いくぶんかの静寂が存在していた。
「デイジー、真面目に見張りなさい」
「でもよお、管いっぱいで見えないよ〜」
そこにアイランとデイジーはいた。
うっとうしそうに配管をくぐりながら周りを見回す巨躯の死人と、粉砕機の周囲を文字通り嗅ぎ回っている美しい女魔女。
傍目からでは何事かと目を剥きそうな光景だが、その傍目が存在しないからここに来たのである。
匂いを嗅ぎながら、やはりアイランはここが奇妙な場所であることを感じ取っていた。
(なんの匂いもしない……そんなはずがないのに)
この粉砕機はそれほど新しいものであるようにも見受けられない。
ならば何らかの匂いが染み付いていて然るべきだ。
可動部を潤滑する油の匂いでも、土や砂の匂いでも、働き手の汗や垢の匂いでも、何かしらの匂いはあって当然だ。
だがあるのは鉄の匂いだけ。殺されたミックの血の匂いすらかけらも残っていない。
おそらく何かが徹底的に掃除をしたのだ。”兵の魔女”に何かを感付かせないために。
(しかしここまで徹底しているとなると、一度完全に分解しなければならなかったはず。その時に何か痕跡が残っていれば……)
鼻だけでなく目と手触りでもどこかに異常が無いかを探す。
ここに来る前に比較のため他の正常な粉砕機も調べたが、それと比べても特に異常な部分は見つからない。
壊れた部分を一通りいじってみても手がかりは一切なし。
(もーッ、でも確実に何かあるはずだわ。いつもみたいに襲わせて何とかするのも望みが薄いし、根気が要るわねーッこりゃ)
多少の苛つきをこらえながらも探る。
デイジーの方はとっくにこらえられなくなっているようで、しんどい腰をさすりながら泣き言を並べていた。
「隣もうるさいしなあ、ここのみんな、あんで耳がイカれっちまわないんだよお」
確かに隣の粉砕機は結構うるさい。
いくぶんかの静寂の中にあって最も大きく響く音が、ことさらにうるさく感じても仕方のないことだろう。
おそらくここの職人は既に慣れ切っているのだ。彼らは毎回、常にいつも通り普段通りの仕事をするだけで、管理者すら滅多に立ち寄りは──
「──いや、そうか」
ひとつ、小さく閃いた。
この粉砕機、普段は職人や労働者が実際に使っていたはずだ。
となると、彼らが日常的に触るところに何かの仕掛けを設けているはずはない。
どの粉砕機にも必ずあるが、普段は全く目につかず使用もされず、存在すらほぼ知られていないような機能と言えば……
「あった」
改めて粉砕機の下を覗き込むと、それはあった。
緊急時用のストッパー操作レバーである。
このレバーを引けばローラーにストッパーが差し込まれ強制的に動かないようにできるのだが、普段はおろか緊急時ですらこのレバーは使わない。
事故が起きた時にはローラーを回すのをやめれば良いのだし、即座に一瞬で止めるにしても終業時にかけておく常用のストッパーをそのまま使う方が早くて確実なのだ。
実際にはこのレバーは使用中に災害が起きた時専用の機能と化しているのだが、存在を知らない者の方が圧倒的に多く、目立ちすらしないことから無用の短物と化しているのが実情である。
このレバーに手を伸ばし、傾けるように引くのではなく、引っこ抜くように引っ張った。
かきん、と金具同士が噛み合ったような小気味良い音が鳴り、粉砕機の真下の地面が正方形にくり抜いたかのようにほんの数cm浮き上がる。
「お手柄よデイジー」
「んあ? なにが?」
背中を丸めたまま窮屈そうに振り向く。
「なんでもよ。で、お手柄ついでにこいつをどかしてくれない?」
「どかす? 壊しちゃダメ?」
「いーわよ別に」
許しが出た途端、剛腕が粉砕機をなぎ払った。
数100kgはあるであろう鉄の塊が竜巻にでも激突したかのようにたやすく弾き飛ばされ、枝か何かのようにごろんごろんと軽やかに転がる。
完璧に期待通りだ。面白いようにひん曲がりながらガラクタの塊と化したそれを見ていると、つい笑みがこぼれる。
だが興味の本命は未知なる領域へと初めから向けられている。
浮き上がった正方形の地面をめくるように蹴り上げると、そこは地下へ続く階段だった。
灯りもない暗闇へ続く階段からは寒々とした空気がかすかに吹き上げ、不吉な冷たさを醸し出している。
まるで幽霊か何かがいて、来る者を拒み追い返すための冷気を送り込んで来ているかのようだ。
だが”兵の魔女”と死人にとって、そんなものは一切気に留めるに値しない。
本物の幽霊がいたとして、そんなものは恐怖でも何でもない。
「うーん、ギリギリかしらねぇ」
それよりもデイジーがこの道を通れるかどうかの方が遥かに重要であった。
「そんなぁ」
「ここまで来て帰らせたりしないわよ。道を広げながらでもいいから、後からついてきなさい。足跡に魔力の痕跡を残しておくから、それを辿ってね」
「もっかい言ってぇ?」
「私の足跡と魔力を追う。いいわねぇ?」
「はぁい」
アイランがお先に階段を、闇の奥へ向けて降り始める。
そのやや後ろから、うめき声と破壊音の混ざった音がゆっくりと、離され遠ざかりながらもついて行った。
階段はそのように建築されたものというよりは、階段の形に地面と土を掘ったようであり、天井と壁も同様の人工洞穴だった。
途中で少し曲がりながらも一定の角度で潜っていき、同時に進んでもゆく。
アイランが考えていることは二つ。
「これはデイジーは苦労することになりそうね」と「深く潜ってるけどこの方向ってもしや」である。
その考えの結論はほどなくして出た。
どこかの開けた場所に到着したのである。
そこは天然の巨大な洞窟を人の手で整えたかのような場所だった。
天井は全く高さなどわからないほどに高く、広さは軍隊をまるごと収容したところで半ばも埋まらないほど。
空の高さがわからないのと同じように、大地がどこまで続いているのかわからないのと同じように、それらはただ漠然とした巨大さを示すばかりで一切の詳細を見られないのだった。
そこに、無数の金属の光沢が並んでいた。
アイランにとっては見覚えのある形、色合い、大きさである。
それらが金属鎧のように各所の灯りを反射することで、この大空洞は不思議と明るかった。
「なるほどね」
笑みを浮かべながらよだれを拭う。
彼女の眼前に広がり、そして無数に並ぶもの。
それは金属のゴーレムであった。
何百、いや何千という数の、金属製のゴーレムが整然と立ち並んでいた。
その体は光を反射こそすれども自ら発してはおらず、起動していない状態であることは明白。
今はただの金属の塊であり、一体だけならば彼女にとって雑兵数人分に毛が生えた程度。
だが、あまりにも数が多い。
これだけあれば──世界を滅ぼすことだって。
よだれの理由を思い浮かべながら金属ゴーレムどもの列の間を歩む。
心なしか、かつて戦った時よりも精巧で小綺麗で、無駄がなく堅牢に見える。
改良して量産したということは、その量産を支える製造のラインがどこかにあるだろう。
相当な施設と人手と時間と物資を注いだ秘密の大規模製造所。それもアンガナスのどこかにあるだろう。
だがひとまず、"兵の魔女"としての任務を一つ遂げられた。
生きて帰れさえすれば。
「どうだ、禍々しい景色だろう」
ゴーレムの列の間に立つ男が一人。
屈強なるたくましい肉体を惜しげも無くさらすのはゴン・ガンクの伝統的な装束。
力強く居丈高な声は大空洞によく響き、不遜さや威圧感を伴って耳に届く。
その姿を見たのは初めてだったが、誰なのかはすぐにわかった。
「ただのバカでかい棍棒だと思えば気も済むがな」
アンガンドゥッツ男爵だ。
アイランは無意識のうちに、一瞬で状況分析を終えていた。
距離は20m前後、武器は腰の両側に手斧、身長は196cm、体重は100kg強。
そして、一人ではない。姿は見せないが周りに誰かがいる。
「アンガンドゥッツ、まさかお前とはね。いるのはモタグだと思ってたわぁ」
この距離なら、斬るのに大体1秒と少しかかる。
速くはあるが、反応できない時間ではない。
もう少し近づかねば。
「『モタグ・バンバトーチ・レインダーマン』と手紙に書くだけなら誰でもできる。だが驚いたぞ、あっという間にここまで探り当てられるとは思わなかった」
「クランツちゃんと『スゥガ・タムト写本』は?」
「もういない、あの化け物が動き出した時点でな」
あの化け物、怪人のことだろう。
「ここももう用済みだ。いよいよ、まずはここから始まるぞ」
「このゴーレムども、全員を起動させるの?」
「そうだ、凄まじいことになるぞ」
一歩でも半歩でもなければ、すり足でも差し足でもない。
歩かないように歩く。正面からではただ立っているようにしか見えないが、ほんのゆっくりずつ距離を詰める歩法をとる。
ほんの数mm単位のわずかな前傾を体全体でとり、前に垂らした服でかすかな足の動きも隠す。
「やはりね、この町の人々の変異させた"忌み子"の遺伝子をどうやって世界中に拡散させるのか気になってたけど……なんのことはない、町を消してしまえばいい」
その歩みはカタツムリよりも遅くてよい。
時間は会話で稼ぐのだ。
「この町が破壊し尽くされれば、町の出稼ぎ労働者たちはそれぞれの故郷へ、商人たちは他の町へ、住人たちは難民として方々へ散ってゆく、"忌み子"の遺伝子を乗せてね。復興が不可能なほどめちゃめちゃにするには軍隊では難しい。時間をかければ統王の軍が来てしまうものね」
アンガンドゥッツ以外の気配は、確かに存在を感じる。
だが居場所が掴めない。"兵の魔女"を以ってしても居場所を悟らせない、そんな奴がいるとは。
「だからゴーレムなのね。これだけあればこんな町、一晩でほぼ更地だわ」
にんまりと笑って見せる。
挑発するように。そして実際に挑発のつもりで。
「なんとも、ベルゼットらしい名誉にまみれたやり方ですことぉ」
統王が特別なだけで、ゴン・ガンクはわかりやすい種族だ。
アンガンドゥッツの表情が明らかに忌々しげな険しさをまとう。
「ふっ、確かにな」
だが、目を閉じ一笑に付してそれを払拭した。
少なくとも本人はそう努力していた。
「この俺とて認めざるを得んだろう、戦いの形は変わった。手に汗とハンマーを握り雄叫びをあげながら渾身の力で以って振り下ろす、ハン帝国の始祖"蛮滅王"の時のような個人の腕っぷしがモノを言う時代は終わってしまった」
"兵の魔女"を睨みながら語る言葉には、形容しがたい複雑な感情がこもっていた。
悲しいのか、悔しいのか、喜ばしいのか、怒っているのか、わからなかった。
「新たな時代の戦いは効率こそ全て。いかに効率よく資源を生産し、集積し、変換し、運用するか。人間の体ではなく、人間の体から生み出されたモノで戦う時代。それは人間が人間以上の力をふるう知恵の時代だろう。その点で貴様ら魔女どもや魔道士ども、学者や坊主どもに一日の長があるは認めよう」
アンガンドゥッツはゴン・ガンクで最も古い家系の一つであるベルゼット家。
その歴史に染み付いた誇りや伝統は覆しがたいものがあろう。
「だが結局のところ人間は闘争と独立を捨てられぬ。自由の中で自由を求めてしまう。そしていくら思想だ大義だ民族だと好みの不純物を混ぜ込もうとも……残るのは単純な力の競争のみ! 『一体どちらが強いのか?』 その愚かな問いの答えを知恵を尽くして探してしまう愚かしさは消えん!」
拳を握り力を込める。
目は血走り、顔面には渾身のシワが寄っていた。
「よいか魔女め! 誇りとは愚かしさだ! その愚かさを貫き通さねば誇りなど生まれんのだ! 名誉は消えぬ、意思さえあればな!」
叫びは大空洞にこだまし、ゴーレムを震わせる。
それは物言わぬ金属の塊を、檄に打ち震える兵士のように揺らした。
だが、アイランは笑むばかりだった。
牙を剥き口角を吊り上げ、目を線のように細めて歪ませる。
多くのものはこう形容するだろう。サメの笑みだ、と。
「すくたれ者、裏切り者、臆病風のアンガンドゥッツ男爵が大きく出たわねぇ。私はそれを阻止するためにここにいるのよぉ?」
だがアンガンドゥッツも自若としたものだった。
腕を組み、鼻を鳴らしながらあざ笑う。
「ふん! なんのために大鉱山のほぼ真下深くに隠れ家を作ったと思う、なんのためにここでお前ごとき相手の会話に興じていたと思う。計画を阻止するだと?」
気配が動いたのを感じた。
左前方に──いる!
「すでに15分前に実行している」
瞬間、全てのゴーレムに光が走った。
大鉱山の地下、溶岩から取り入れた莫大なエネルギーが数千のゴーレムに送られ、それが数千の魔力炉を一斉に起動させたのだ。
大空洞は一瞬で駆動音と金属音の合唱で満たされ、ゴーレムたちは書き込まれた術式通りに、全員が同じ動きで歩き始めた。
直後、アイランも跳ぶ。
19mの距離を一度の跳躍で詰めるのと同時に、懐から剣を抜き放つ。
それはゴーレムの壮観さに一瞬気を取られたアンガンドゥッツの喉元に迫り──
──薙刀の刃に阻まれた。
左前方の気配が飛び出し、それが"兵の魔女"の一撃を事も無さげに遮ったのである。
それも、儚げな女性の細腕で。
握力と腕力を込めても、びくともしない。
片手持ちの剣で両手持ちの薙刀を押している状況とはいえ、"兵の魔女"に力で抗える者など考えられない。
だが、確かに止められている。
汗ひとつかかず、苦悶の表情一つなく、涼しげな視線を流しながら。
「やれ! スル・ヤグ! ここはお前に任せるぞ! 俺の意思は潰えていない!」
アンガンドゥッツは背を向け、ゴーレムどもの波間へと逃げ込む。
追いかけるべきだが、追いかけられなかった。
薙刀で弾かれるように押し返され、3mほど後退し着地したからだけではない。
アイランの──"兵の魔女"の目が、爛々と輝いてしまったのだ。
絶望的な状況に囲まれ、強敵の予感に血が騒ぐ。
その快楽に遭遇してしまったのだ。
それはある意味で、彼女の誇り──愚かしさそのものだった。
決して彼女の意思だけでは止められないのである。
もう一振り剣を抜き、双剣となって歩む。
裂けた口から舌とよだれが垂れ下がり、目は喜悦に歪み、鼻は鉄と血の匂いをいっぱいに吸い込んだ。
最も愚かしいことをする時間だ。
あるいはもう、とっくに。




