理にて
「最初は二十日前、天核教の教会堂の壁に男性の上半身が打ち付けられていました。坑道の押木を固定するための大釘が口から突き刺さって、首を貫いていました。下半身は未だに行方不明で……被害者はヤザレの拝火教の信者で、左頬には木目の焼印の火傷がありました」
「死因はぁ?」
「傷は全て死後についたもので、出血痕が非常に少なかったことから出血多量と判断しました」
「木目の焼印はカーギ・カリンに於ける罪人の証よね?」
「はい、かつて我らが大共同体だった時『魂なき命である』という意味を込めて捺しておりました」
あれから、検視も済み、衛兵への報告と遺骸の返還も終え、三人は無明派の寄宿舎で話していた。
稽古場に座り、シヤナ導師からこれまでの事件の話を聞いている。
デイジーはと言うと、洗ったバケツをがらんがらんと転がしながら寝そべっていた。
「そういえばあなた、アーゲルンが魔界で全盛期を築いていた時はどうしていたのかしらぁ?」
彼の顔にわずかに力がこもる。
目を閉じたままで、こめかみと顎の周りがほんの少しだけ引き締められた。
「エンゼッカ源司教に、お仕えしておりました」
「エンゼッカ・バンバトーチ・レインダーマン!?」
それは驚きのようにも、喜びのようにも響いた。
「随分な大物じゃなぁい。カーギ・カリン源司教として最も広大な教化地区と信徒を担当し、異民族への教化政策の責任者。で、ありながら神秘主義者として処刑された裏切り者。あなたが無明派に転向したのはそのせいかしらぁ?」
ことさらに煽ったものの、シヤナ導師は沈黙を貫いた。
口はまるで自ら縫い付けたかのようにしっかと閉じられ、結ばれている。
あんまりいじめては、へそを曲げて事件の話をしてくれなくなるかもしれない。
だが、人をからかい反応を引き出すのは、彼女にとっては趣味のようなものだ。
その反応が暴力的であればあるほど、感情が強ければ強いほど、それは彼女の快楽に転化される。自分に向けられたものであれば最高だ。
しかし、我慢はしなくては。優先すべきは己の楽しみではない。
「それで、二件目はどう?」
「……二日後に、カーギ・カリン説話師の一人が居住地区の自宅で発見されました。昼頃に、家族が自室に入る被害者を見てから十分程度の後、物音がしたので見に行ってみると首がねじり折られ、両肩が膝裏につくほど胴体を折り曲げられた被害者の遺体を発見したとか」
「周辺の聞き込みはぁ?」
「それらしい怪しい人物は全く目撃されていませんが、窓の外に足跡が一つありました。30cmはゆうに超える巨大な足跡です」
「一つっていうのは、一つだけっていうこと? 一人分の足跡がいくつもあったという意味ではなく?」
「はい、そうです。ぽつんと一つだけ。逃げる際に窓枠から飛び降りたので、その一つだけがくっきり残ったのだろうと屯所では判断しているようです」
「まあ、そうね、筋は通る」
「足型をとって、それに合致する者を探っているようです。相当の大男だろうから、すぐ見つかるだろう、と」
「大鉱山だもの、相当な大男なんてそこらじゅうにいるじゃなぁい」
ちら、とデイジーを見やる。
今はバケツの中をこすって水を拭き取ろうとしているようだ。素手で。
「三件目は?」
「更に四日後に、頭を粉々にされた死体が工業西地区の粉砕機のそばで発見されました。被害者は居住地区の東にある天核教原理主義派の教会堂担当慈師。頭は粉砕機によって粉々にされたのではなく、粉砕機そのものに幾度も叩きつけられてそうなったようです。故障した粉砕機の修理費用を誰に請求したらばよいのかと、業者が愚痴をこぼしておりました」
「なぁんで教会堂の坊主が工業地区にぃ?」
「判明していませんが、争った跡も引きずられたような跡もなく、かすかに彼のものと思われるタバコの灰が現場に落ちておりました。おそらくは、連れて来られたのではなく彼自身の意思で訪れたものかと」
ふぅん、と鼻を鳴らしながらデイジーのポケットに手を突っ込む。
そして彼女が「あっ」という前に、隠していた炒り豆菓子を引っこ抜いて頬張った。
無論、抗議しようと巨体が揺り起こされるが、開いた口の中に豆菓子を一つ弾き入れると、それを咀嚼しながら満足げに再び寝そべった。
その表情はあくまで、幸せそうだった。
「四件目」
「四日後、つまりは今日より十日前、ドリアードの新鮮な女性の死体が坑道から"発掘"されました。死因はドドラドを強引に"引っこ抜かれた"ことによるもので、ドドラドは切り刻まれた上でそばの梁に埋め込まれていました。遺体の首周辺も切り刻まれており、そこからドドラドを引き抜いたようです」
「遺体は陵辱されてたかしらぁ?」
「……いえ、致命傷と首周辺以外には、埋められた際の細かい傷のみです」
シヤナ導師の一瞬のためらいは、同じ女性の口から躊躇なくそのような質問が飛び出てきたことへの戸惑いだろう。
おそらく男の衛兵から同じ問いをかけられていたならば、声をひそめはしても惑いはしなかったはずだ。
「五件目はぁ?」
「三日後、天核教原理主義派の巡礼道長が早朝、市場に倒れていました。当初は無傷かと思われましたが検視のため腹を開いたところ、大量の血が溢れ出し……心臓と肝臓と肺が破裂して完全に潰れておりました。彼は二日前より行方不明でしたが、亡くなったのは発見される直前の夜のうちと思われます」
「食道や肛門、大腸に穴は空いてたぁ?」
「いえ、ただ、気道に細かい傷がびっしりとついておりました」
豆菓子を飲み込むと、混ざっていた小粒の石をぷっと吐き飛ばす。
それから、目を閉じてまだ幸せそうに一粒の豆菓子を噛んでいるデイジーの頭をなでた。
猫か何かにそうするように。
「六件目」
「三日後、つまりは今日より四日前に、水路管理所の集積水路の一つにドリアード人が浮かんでいるのが発見されています。死因は窒息ですが水で溺れたのではなく、首を切り裂かれ、そこに切り刻まれた自らのドドラドが詰め込まれていました。傷そのものは気道にも動脈にも及んでいませんでしたが、ドドラドの破片による圧迫で塞がれ亡くなったようです」
「水路管理所の管理員は何人?」
「四人を三時間毎に交代させて、予備員も含め二十名です。全員が自分の番では遺体など無かったと証言しましたので、夜中から日の出にかけてのいずれかに投げ入れられたものでしょう」
「ドドラドのふやけ具合は確認したぁ?」
「……そこまで、気が回っておりませんでした。申し訳ございません」
ドドラドはドリアード人に根を張り、その人体を通して水分や養分を得る。
そのため貪欲に水分を貯蔵しようとする必要がなく、外皮周辺の繊維を調べれば、どれだけ水にさらされていたかがわかるのだ。
もっとも、そんなことを知っているのは学者かドリアード人ぐらいのものだろう。
カーギ・カリンの教えを学ぶ導師や、ただの屯所の衛兵が知らなかったとて無理はない。
「七件目」
「更に二日後、ヤザレの拝火教の司祭が一人、娼館で亡くなりました。娼婦が湯浴みに及んでいた二十分ばかりの間に寝室で殺害された模様です。胸にサティラッチャの岩弾も通りそうなほどの巨大な風穴を空けられて。無論、娼館の関係者は怪しい人物など見ておらず、そのような大穴が開くにふさわしいほどの音も聞いてはいないようでした」
「殺されたのは娼婦とヤった後? それともヤる前?」
「さぁ……そこまでは計りかねました。衛兵の皆様も気に留めなかったのでしょう」
「寝室の中で、何か壊れているものはあったぁ?」
「無明派のわたくしでは、ただ衛兵の方が話すのを聞くばかりです。明らかに異常なものならお話にも上りましょうが、壊れていないものの話、というのは聞いた覚えもございません」
「ってことは壊れたものは特になさそうね」
そして八件目が今日だ。
死因は後頭部の損傷──というか陥没。その後四肢を凄まじい力でもぎ取られ、胴体部を撹拌された状態で鉱石の山の中に埋められた。
どれもこれも、かなり凄惨な手口だ。
有り余った力の発露を感じる。顕示的というか、露悪的というか、劇場的というべきか。
殺して、加工して、衆目にさらす。それはまるで"兵の魔女"の仕事のようだ。
もしアイランが正気でなかったならば、自分の仕業だと推理したかもしれない。
「では、わたくしはそろそろ……夕餉の支度がございますゆえ」
なんだかんだのうちに、時刻はすっかり夕方である。
静かに立ち上がったシヤナ導師は見比べるようにアイランとデイジーへ顔を向けると、会釈程度の一礼を示した。
「お食事は支度でき次第お部屋に運びますので、お二方は部屋でお待ちいただくよう」
デイジーが寝そべったままぽかんと呆けた表情で見上げている。
「夕食ができるまで部屋で待ってなさいって」と説明してあげると嬉しそうに「わかった!」と体を起こした。
それを感じ取ってから、シヤナ導師はもう一度礼をして広間に出て行く。
体を傾けて行先を目で追ってみても、確かに庭へと出て行ったようだった。
「じゃ、部屋に行きましょうか」
「はぁい!」
役に立つところをようやく目にできたからだろうか。
少しずつ、この鈍重な死人にも可愛げがあるように感じてきた。
部屋まで移動すると、デイジーは窓から夕焼けを眺め始めた。
ここは二階、高い位置から見る夕焼けが珍しいのだろう。赤い輝きに負けないほどの輝かしい笑顔で夕焼け空を見つめている。
死人とは思えないような、生き生きとした顔と、爛々とした目だった。
その間に、アイランは相互紙に何かを書いていた。
ベッドに座り、窓に背を向けて。
そんな主人の様子に気づいたのは、綺麗な夕焼けを主人にも見てもらおうと振り向いた時だった。
木ペンを手早く走らせていく姿を見て、改めてお役目を思い出す。
「そういえば魔女さまぁ」
「なぁに?」
手を止めぬまま、振り返ることもなく言葉だけが返ってくる。
「ここって、何か調べに来たのによお、お坊さんバラしたりしてて、ほんとにいいのぉ?」
くすっと笑い声一つと共に肩が揺れた。
アイランの顔は見えなかったが、いつだってにこやかな笑顔が貼り付いているのだろう。
おそらくは、今も。
「エンゼッカ・バンバトーチ・レインダーマン」
彼女の読み上げた長い名前を「ほえ?」と間抜けな表情で受け止める。
デイジーが聞いていたはずはない、憶えているはずはない。
そんなことは承知の上で"兵の魔女"は話していた。
ようやく、彼女もデイジーの扱い方がわかってきたのだ。
「反統王連衡の一員、モタグ・バンバトーチ・レインダーマンの父親よ。彼は神秘主義者として処刑されたけど、密告したのはなんと実の息子! シヤナだってそれは当然知っているはず。でも、彼は押し殺し、隠そうとしている」
声色は少しだけ楽しげだった。つまり、いつも通りだ。
「この殺人事件、突けば出るわよぉ」
最後のこの言葉だけデイジーにもなんとか理解できた。
「そうなのかぁ」とつぶやきながら窓から離れ、床に腰を下ろす。
「ねぇデイジー、あなたは仲間が欲しいと思わない?」
「んえ? 仲間ならみんなと魔女さまたちがいるぞお!」
みんな、死人たちのことだろう。
アイランの肩が再び笑いに揺れる。今度は一度だけではなく、二度三度と。
「違う違う、どれだけ死人がいたところで、あなたはあなたしかいない。世の人全てが特別で唯一だとはどの宗教も言葉を変えつつ説いている。彼らの価値観では最上位に神がいるから。どんな人間の上にも君臨する絶対的存在がいるならば、全ての人間はその下でしかない。だから彼らにとって、人間は全て特別で、唯一で、無意味なの」
「はあ」
「でも、もし"複製"が可能なら? 鋳物のように一つの型から無限に同じものを作れるなら? デイジー、もしあなたが百人いれば、何ができるかしら?」
「んー」と彼女はバケツを転がしながら考える。
その間、アイランは待っていた。これまでの道中であれば決して待たなかったであろう、デイジーの思考を待った。
鈍重な死人はやがて一つの答えを得て、はっと眉を上げながら手を打ち鳴らす。
「百人ぶん働けるぞお!」
まさに"バケツのデイジー"ならではの答え。
今度は肩の揺れのみならず、身を屈めて笑う。
「そうよぉデイジー、それが重要な答え。百人のデイジーがいれば何ができるか? きっとなんだってできるわ。あなたたちは同じ命令を同じように受け取り、一つの仕事に全員で一心不乱に取り掛かるでしょう。それは百人の私ではきっとできないこと」
相互紙をくるりと丸め懐に突っ込む。
ベッドから立ち上がり、帽子を被り直し、振り返るその表情はやはり、笑顔だった。
「だから、行ってくるわぁ。ここで探すべきものは写本でも殺人鬼でもないのだから」
そしてこれから遊びに出かける子供のような、軽やかで無邪気な足取りを窓へ向けた。
気づけば夕焼けは既に沈みかけており、夜が静かに大地へと降りて来つつあった。
その夜へと、"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデルの目は向いている。
殺意も敵意もないままの剥身の剣が、外の世界へ向けられている。
今にも飛び出さんと窓枠に足をかけたがその時、彼女の背中をデイジーが「魔女さまぁ!」と呼び止めた。
「晩飯はどうすんだあ?」
夜へと飛び出す暗殺者にかけるには素朴に過ぎた言葉。
だが不思議と不快感はなかった。もっと不快に思うはずだろうと考えていた彼女にとって、それが意外だった。
少しだけ振り向いた時、作る必要もなく自然と柔らかい笑顔が漏れ出た。
まるで、母のような。実の母親からは見たこともない、表情が。
「あなたにあげるわ♪」
そして彼女は飛び立ち、夜と共に町へと降り注いだ。




