腑にて
デイジーが生前どのような人物であったのかは定かではない。
複数の死体を繋ぎ合わせたとも、アッサルートが実験用に買った名もなき女の死体とも言われている。
いずれにせよ、彼女の存在について明確化されるのは"バケツのデイジー"として生まれ変わってからであった。
ストイル・カグズ・アッサルートが新式屍術によって新たに編成し直した『死人の軍勢』の初期に於いて、彼女はその一員として存在していた。
しかし既に統王の御世として天下は泰平。彼女の巨躯と力は軍事的意義を持つものではなく、その能力が最初に割り振られたのは処刑人という役目に対してであった。
仕事の中で"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデルとも知り合い、鈍重な呆け者との評価を頂くに至るのであるが、素直で純朴で命令をよく聞き、それでいて躊躇なく職務を実行できる気質は処刑人に向いていた。
治安が安定するまでの間、あるいは三角連衡の乱の後の戦後処理で、彼女は数多くの罪人を直接その手で処断してきたのである。
が、その後は処刑人という仕事でも彼女の力は持て余されるようになり、より適性の高い役目を担うことになる。
それが屠殺・解体・死体処理の仕事であった。家畜を殺して解体し、人間の死体を魔女の注文に従って加工し、葬儀のために遺体を修復して整える。
無論、彼女はその専門家の助手のような立場で仕事をこなしていたのだが、知能は鈍くとも十年以上の奉公で仕事の手順は体に染み付いている。
どこを切ればどのように体が開くのか、どう切れば臓器が傷つかないか、どこの血管を避ければ大出血を回避できるのか、どうやればたやすく骨を切り離せるのか。
毎日毎日、幾度も幾度も、疲れることなく働き続けて習慣と化している。
そうして付けられたあだ名が"バケツのデイジー"。主人から初めてもらった贈り物を直しながら使い続け、片時も我が身から離さないためにそう呼ばれていた。
右肘を二度叩くと、親指の腹と人差し指の側面から刃が突き出る。
それをハサミを扱うかのごとく握るような指の形で閉じ合わせ、遺体の頭の皮膚を切り開いた。
「死因はこれね」
開かれた頭の後頭部を覗き込みながら指差し、アイランはそう断定した。
その先には道端に突然開いた陥没孔のような穴が開き、潰れた脳に砕けた頭骨の破片が食い込んでいた。
皮膚の状態と頭骨の割れ方から言って、凄まじき力で殴りつけられたものだろう。明らかに倒れてぶつけた程度でつくような傷ではない。
「顔に傷はつけちゃダメよ、頭の皮は綺麗に剥がしなさいねぇ」
「あ〜い」
左手の刃で頭骨にめり込んでいる皮膚を切り取り、慎重に頭の皮を剥ぐ。
マスクか何かのようにべろりと剥がれた皮はアイランが奪い取り、出来に満足すると海銀の皿に投げ置いた。
次は右手の人差し指とそこから生える刃を眼窩に差し込み、続いて中指も突き入れ、すくい上げるように指を曲げる。
その状態で手首を軽くひねれば、人差し指の刃が骨に刺さった支点となり、テコの原理で目玉が弾き出された。
もう一方の目に対しても行うと、アイランはそれらを手の中で転がして、皿へと落とす。
「口の中を見せてちょうだい」
指示とほぼ同時に、デイジーの刃が顎の筋肉を切り裂き、口を開かせた。
その中を覗き込み「ふぅん」と鼻を鳴らす。
「虫歯を治療した痕跡があるわね。歯茎も綺麗だし、奥歯もすり減っていない。被害者が聖職者って話はいい線いってるかも」
「んなぁんでぇぇ?」
間延びした声を響かせながらも、その手は休むことなく肉ジャムの塊をほぐしていた。
「労働者や工人なら労務の噛み締めで奥歯はすり減る、歯茎が健康なのは栄養状態が良くて手入れも頻繁に行なっている証拠、なのに虫歯を患った。日常的に甘いものを摂取しているからよ。肝臓はぐちゃぐちゃだけど一個残った腎臓の状態と皮膚のむくみからもそれは明らかね」
肉ジャムの塊に突っ込み、引きずり出した手には腎臓が一つ握られていた。
その色は本来の健康的な赤の下地にピンクを塗った鮮やかなものではなく、どこか褪せているかのように茶色がかっていた。
「それに商人や役人は上等な白染のンガ綿織なんて着ない。こんなお高くとまった目立つ服で客商売に出てくるようなヤツなんて、この世に一人だけでしょうねぇ」
この世に一人。みなまで言いはしなかったが、ここにクロスがいたならばカギマノ・ネヘヤンクのことだと察していただろう。
「激しい労務をせず、衣食住が安定していて、高価な嗜好品を日常的に口にできるほど裕福で、ひたすら立派で華美な権威を示すことが仕事の一部になる職業っていったら、領主なんかの高級役人か貴族か聖職者しかいないわぁ。領主や貴族が昨晩から行方不明ならもっと大きな騒ぎになっているから、確実に聖職者、特に天核教の司教以上の階位にいる人間ねぇ」
推理に対して「ほぇぇ」と感嘆の声をデイジーがあげた直後、数人が広間に入室する足音が轟いた。
振り向くと、そこには数人の男女。フードを被り、首の後ろがせむしのように膨らんだ質素な出で立ちの人々。
両手の甲には節くれた根のようなものが血管に似た形で走っており、ローブの下には裸足のつま先が砂に汚れたままはみ出ていた。
一目でわかった。
ドリアード人だと。
「また新たな事件が起きたと聞き、身元を確かめに参りました」
先頭の壮年の男性がしわがれた声をかすらせながら響かせる。
デイジーの腰を叩いて横にどかせると、彼は前に進み出て、遺体と、剥がれた顔の皮をじぃっと見つめ始める。
その様を観察していると、こっそりと横にシヤナ導師が寄り添って耳に口を向けた。
「このあたりのドライードの指導者です」
耳打ちというには遠く、独り言というには近かった。
ドライードとは、ドリアード人による原始宗教である。
壮年の男性が顔の皮を手に取って持ち上げる。
すると、手の甲に張った木の根のような器官に青灰色の淡い光が連続して生じた。
その光は生じるたびに根を伝って袖に入り、腕を登り、背中を回って、首の後ろの隆起に集まる。
服越しであっても見えるほど光の移動は淡くも存在感があり、十度ほどその現象が繰り返されたが、彼の深いうなずきと共に光は止まった。
皮を皿へ戻し、顔を上げると、アイランとシヤナ導師の方へ向き直る。
「精霊様の残滓は感じられませんでした、お騒がせしてとんだ失礼をば……」
そして、またもや深くうなずく。
ドリアード人はドドラドという植物と共生している種族である。
彼らは生まれて間もない赤子の頃、肩甲骨の間あたりに切れ込みを入れ、両親に共生している個体同士との間に生じた苗を植え付けて縫合する。
赤子の成長と共に苗も成長を続け、植物の根は神経に絡みつき同化しながら伸びる。
これによってドリアード人は長寿と知恵を得て、植物と融合した超越的な感覚を獲得する。
また、光と水だけで長期間生存できるようになり、ドドラドの魔力と密接に結合することで様々な魔法を簡単に扱えるようにもなる。
彼らはドドラドを精霊様と呼んで崇め、そこには固有の意識すら存在し、己らに指針と啓示を与えてくれるのだと信じているのだ。
そのような彼らの体質は、長きに渡る植物との共生生活で全く変質しており死した後にも同族によって感知が可能である。彼らはその能力を、主に死体から精霊様を回収するために用いていた。
ドドラドはドリアード人の体内でしか生育せず、野生には全く存在しない。今やお互いはお互いを抜きに生存し得ない関係なのである。
「私はアイラン・ヘルゼンデル」
出し抜けに、彼女は名乗った。まるで不意打ちのように。
「あなたのお名前はぁ?」
続いて柔和な笑みを叩きつける。
言葉、笑み、刃、この順番で打ち込むのが彼女の流儀なのだ。
だが、ドリアード人にはいささかもひるんだ様子はない。
当然だろう、彼にとって目の前の女性は今のところはただの細身の美女に過ぎない。警戒を抱くに至るほどの情報もないのだ。
「ワウコと申します。精霊様の尊号名はサンドルイド・タタ・グーチェットです」
ゆえに、無警戒に名乗り返してくれる。
「あなた様は出で立ちからして、魔女の方でしょうか? 協会から事態の解決にご助力いただけるのでしたら心強いことです」
「んー、まあそんな感じね。あなたがここに来たってことは、ドライードも被害を受けたの?」
「はい、四日前と十日前に……実に、痛ましい。あのようなことができる人間がいるなんて……」
思い出したのか、沈痛な面持ちを浮かばせる。
だが、アイランはその表情の奥に異なる感情を見出した。
波に隠れていても砂浜はあると感じるように、表面の奥で凝り固まっているものを本能的に感知した。
値踏みするように「ふぅ〜ん」と長く鼻を鳴らし、ワウコの横に回り込んで手術台と遺体を間に挟んだ。
「それで、どう思ったぁ?」
彼は少しだけ困惑の表情を浮かべた。
「どう、ですか?」
「悲しかったかしら? 怒りにたぎったかしら? それとも興奮したかしらぁ? あなたたちドライードは、事件に対してどう行動しているの?」
問いかけの意味が開陳された瞬間、ワウコの表情は白紙の能面と化した。その顔には何の色も表れておらず、まさしく植物のそれだった。
「私たちは精霊様のお導きに従うだけ。精霊様が怒った時に怒り、悲しんだ時に悲しむまで、同胞の死に対してはそれぞれがそれぞれに受け止めております」
「ふぅん、ならドドラドは仲間を殺され、群れ全体が生存への危機を抱いているはず。本能的な防衛反応があなたたちにも影響を与えていると考えるとすると、あなたたちは非常に危険な緊張状態にあるわねぇ。ましてや今は冬、植物としての生存意識が最高潮に高まり、何が何でも自らの安全を確保しようとするでしょう。だから、ここに来たのよね? 確かめずには、いられないから」
「……精霊様の御意志を推し量るなど、わたくしどもには畏れ多いことでございます」
僅かな無言と、杓子定規的な受け答え。これだけで十分だった。
彼が何か隠し事をしているのだと確信するには。
「失礼する!」
その時、また新たな一団が乱入してきた。
赤黒く染めた仰々しい大袖のローブの胸には八分割された赤い鳳が刺繍され、そこからいかめしく生えている頭は全てが鋭角に刈り揃えられていた。口髭も髪も眉毛も輪郭がはっきりと整えられ、それらの部分以外は産毛に至るまで剃り除かれている。
彼らのことはすぐわかった、昔殺したことがある。ヤザレの拝火教だ。
最も有名な拝火教はパドミ拝火教。世界の始まりは一つの火炎であったとし、その火炎の爆発によってあらゆるものが創造されたとする宗教だ。
その一つの火炎そのものを創造主と崇め、尽きぬ種火はその分身、炎は生命と創造の象徴としてみなし信奉している。爆発によって分かたれた火炎はいずれまた一つへと集合して復活し、無限の太陽として君臨することで世界は完成するのだと彼らは信じている。今の世界はそこへ至る途上の、未完なのだと。
反してヤザレの拝火教は炎を破壊と懲罰の象徴とみなし、今の悪にまみれた穢れた世界はいずれ大火によって滅ぼされ、その灰から真に善なるものが生まれ出で世界を再生させると吹聴している。
それを成し遂げる存在として彼らは赤い鳳という神格を崇め、全てを滅ぼす力の到来が間も無くであることを500年に渡って主張し続けていた。
彼らは教団の形態として預言を重視しており、指導者の大半も預言者を自称し街頭でも度々布教の演出として披露している。
その破滅的な終末思想から、暴走した信者が度々問題を起こしており、引き起こした暴力沙汰が歴史的事件の引き金となった例も一度や二度ではない。
だが、教団そのものはそうした暴走に対しては非同調的であり理性的な行動を呼びかけている。どうせ滅ぶのだから何をしてもよいと自暴自棄になるのではなく、どうせ滅ぶのだからこそ真に善なるものの助けとなるよう努めるというのが教団の方針であり、それが故に統王にも許されている。
もっとも、その善を求める志向もそれはそれで厄介な事態を度々招いてはいたのだが。
「新たな遺体が見つかったと聞いて参った。立て続けの事件に衛兵諸君も疲弊していよう、よって我らも検分の一助となるべく微力を尽くそう!」
そこまで言い切ると、彼らは返事も聞かずに集団で手術台の前まで押し寄せた。
ワウコを押しのけ、遺体を見つけると、顔をしかめて鼻を袖で覆った。
「うっ、解剖は既にお済みのようで……」
「いぃえぇ、元からこんな感じだったわよん」
顔の皮をひっつかみ、男の前に掲げる。
その動作にあまりにも躊躇がないものだから、男は一瞬たじろいだ。
「見覚えあるかしらぁ?」
「ちょ、ちょっとそれを下ろしてくれたまえ。死者への冒涜だぞ」
「あらごめんなさぁい」
べちゃり、と皿に投げ置く。後ほどまた、そうするだろう。
男は顔をこすりながら大きく息を吐き、気を取り直して向き直った。
「以前、見た覚えがある。天核教原理主義派の司教だろう。名前までは知らぬが」
「見たのはどこで?」
「市街区で少しな」
答えながら、横目でチラリとワウコを見やる。
彼は変わらず無表情だったが、眉がわずかに引きつったのを"兵の魔女"が見逃すはずはなかった。
「あなた、ヤザレの拝火教の人よね? お名前はぁ?」
「モート・ヤン・マウダ、この町の支長司祭だ」
「あら、預言者階級のお方でしたの」
モートと名乗った男は胸を張って威を示した。
それに対し、まずはくすくすと口を押さえてひそめた笑いで返す。
そして、小馬鹿にしたような笑いに相手が不快感を覚える間も与えず言葉を差し向けた。
「でしたら"兵の魔女"の名はご存知ですわよねぇ?」
一瞬、この言葉の意味を考えるように眉をひそめてから、殴りつけられたかのような驚愕の表情に変わった。
見たのだ。目の前の女の帽子に刺繍された、薔薇の紋章を。
「わたくし、31代目"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデルと申します」
男の表情にありありと戦慄が表れた。
だが、それは直後には全く別の感情で上書きされる。
まるではじめに浮かんだ戦慄を否定して、かき消そうとするかのように。
その感情とは──
「貴様……!」
──怒りだった。
「貴様がアーダイル大師を殺したのか!」
明確な敵意、怒り、憎しみ。
男の視線から発されているのは主にそのような感情だった。
そして、それら全ては"兵の魔女"にとって甘露のようなものだった。
「あの男は信者を奴隷として人狩りに売り払い、暴力的な信者を利用して市民を誘拐させることまでやっていた。死んで当然のカスだわぁ」
「我らは何度も主張したはずだ! 全て天核教の連中のでっち上げだと!」
「なら私の手にかかる訳はないわぁ。"兵の魔女"が動くのは魔女の敵が現れた時だけ。アーダイル・コンゴーギは魔女に対して"何か"したのよ。だから剣は鞘から飛び出た」
一瞬、モートのまぶたがぴくりと反応した。
敵意や憎悪はそのままだったが、見境もなしに激しく燃える豪炎ではなく、静かだが決して冷めてはいない熱き灯火であった。
「……つまり"いる"のだな? この町のどこかに、貴様ら魔女の敵が」
へえ──
「──ただのバカじゃないのね」
今にもモートが掴みかかろうと身を乗り出しかけた。
だがその時、また新たな一団が押し入って来た。
今回は誰であっても一目瞭然だろう。白く分厚い修道服に、天の光を象徴した意匠。
天核教の聖職者たちだ。
「おお! やはり!」
彼らは手術台の上の死体を見つけると、全ての人間を押しのけてその前に詰めかけた。
アイランが「ん」とだけ鳴いて顔の皮を差し出すと、ひったくるように奪い取り、わなわなと体を震わせる。
「ヨットバ様〜〜〜、こんな、こんな姿にぃぃ〜」
すがりつくように跪き、背中を丸めてすすり泣く。
他の者たちもそれぞれのやり方で嘆きを表していた。その様はまるで舞台演劇の一幕である。
静かに沈む者、大声で慟哭する者、悲しみに顔を覆う者、大勢が演技するシーンで少しでも目立とうと感性を振り絞る役者たちのように、それぞれが個性的だった。
ただ、タン壺に顔を突っ込んで吐いている者だけは間違いなく心からの反応だろう。
「身元を、ご存知のようね」
モートとワウコは呆れたような表情を浮かべていたが、アイランは微笑んだ。
せっかくの演出なのだから、せめて微笑んでやらねば役者たちが哀れというものだろう。
顔の皮を抱えた男は涙で濡れた顔を上げると、乞い願うかのように声を張り上げた。
「このお方は! 我が天核教聖典派のナーイーラ・ヨットバ一級司教猊下であらせられる! 昨夜から姿が見えなかったのでもしやと思ったが、それがどうして……」
天核教原理主義派は自らを聖典派と名乗っている。
知識人である魔女たちからすれば、複合的宗教である天核教に一神信仰も原理主義も無いものだと無言のうちに断じているが、当人たちもその無意識の矛盾を解消するために聖典という言葉をことさらに強調したいのかもしれない。
もっとも、彼らの活動は冠婚葬祭を筆頭とした生活に密着した文化儀礼の補助や、福祉といった社会に有用な形に特化したものであるので、対立する宗教からしても便利な組織だと認識されている。
だから、モートも、ワウコも、シヤナも、彼らの同胞たちも何も言わないのだ。
彼らと対立していながら、普段は体良く利用してもいるという罪悪感が彼らにはあるのだ。
そして、そのような罪悪感など微塵もないからこそアイランだけが彼らと向き合えた。残酷なまでの無邪気さを以って。
「へぇ〜こんな大きくて豊かな町の第一級司教様。どーりでこんななりしてるわけねぇ」
遺体の右腕を持ち上げてまじまじと袖を眺める。
なめらかで上等な白染の生地は血と土に塗れていても心地よい手触りをかすかに残しているのだから、職人の仕事というのは大したものだ。
天核教の原理主義派は最大の宗教勢力なだけあって信者の数も桁外れ。貢納や寄進の量もぶっちぎりだろう。
統王の政策によって豊かになった民から利益を得て、その利益を以って貧者に施し民生を支える。職人の仕事に負けず劣らずの見事な出来である。
「何故司教猊下はこんな目に!?」
涙ながらの訴えには、真に迫るものがあった。
彼が悲しんでいるのは、おそらく事実だろう。
「死因は後頭部への凄まじい殴打よぉ。ほら、後頭部の頭骨がかなり広い範囲で砕けて、陥没しているわ。脳の損傷もひどいし、首や四肢も断面の状態から言って切断されたのではなく"もぎ取られた"ものでしょう。胴体に至っては、一体何が起きてこうなったのか見当もつかない。こんなことが出来るようなヤツと司教様が関わりを持っていたか、知らないかしらぁ?」
「こ、こんな……これを全て、犯人が……?」
視線を巡らせながら絶句している。当然だろう。これを人間がやったなどと考える者はいない。
「どうやら心当たりは無いようね」
だが、アイランの言葉をよそに男は口に手を当て、考え込んだ。
汗を滲ませながら、思考を束ねて冷やし、一つの論を結ぶ。
そして、それを「い、いや」と一瞬ためらいながらも吐き出した。
「そう、そうだ、あいつらの仕業だ!」
叫びながら彼が指差したのはワウコの方だった。
突然話を向けられて、ギョッと肩を持ち上げながら目を見開く。
「四日前、あいつらの一人が死んで、これはその仕返しだ! そうに違いない、あいつらの寄生虫の力ならできる!」
「四日前? 仕返しだなんて、あなたたち何かしたのぉ?」
「知るものか! ドリアード人を殺したのは我らの仕業だろうとあいつらが因縁をつけてきたのだ。その時ヨットバ様と言い合いになって、それで殺したのだろう!?」
「犯人究明のため天核教の方への聴取に協力してほしいと頼んだだけです。決して悪意があったわけでは……!」
声に力を込めて反論する。その声は切実で、狼狽していた。
「嘘をつけ! 犯人は宗教に関わりがあり、我らがそれを匿っているのではと申していたではないか!」
「あれは売り言葉に買い言葉というもので」
「それも貴様らの汚らわしい寄生虫どもの差し金か!? 貴様らの神は低俗な嘘を申すよう指示する、つまらぬものなのだな」
「精霊様へのそれ以上の侮辱は見過ごせませんぞ……!」
寄生虫とはドリアード人と共生しているドドラドのことだろうなぁ、とぼんやり考えていると、シヤナ導師がそっと耳打ちしてきた。
曰く、「二人のドリアード人はドドラドと切り離され、どちらも入念に切り刻まれて殺されていました。ドライードはそれ故に、日頃から精霊様を軽んじる天核教の仕業を疑ったようです」とのこと。
ワウコと天核教の男の口論は続き、そのためアイランはデイジーにこっそり検視を続けるように指図した。
「あらゆる命は天によって授けられ庇護と秩序の下で生きているのだ! それを植物一つごときに委ね、浅はかな自然崇拝と原始回帰を説くなど……浅慮にもほどがある!」
「色濃い文明の中では精霊様は生きられず、その声も弱々しくなってしまうのです。自然の法則を歪め、人の作りし秩序とやらを天の創造とうそぶいても、自然に反した知性と行いは歪みと不幸を生み出しますぞ。野の獣に不安なく、過去もなく、未来もなく、思い悩まず命のみ謳歌できるは是自然に魂を委ねてこそ」
「その自然を創りたもうたのもまた天! 自然に法則があるというのならば、それは『自然に法則などない』ということのみだ! 天は自然の有様も我ら人間の有様も全てを肯定しておられる! 天は自ら意思を持たぬことを自らの意思によって定め、世界によって世界が守られる有様を良しとしたのだ!」
「ならば我らの有様も肯定されているはず。何故そのようにドライードを軽んじられるのか!」
「愚かさに虫酸が走るヒトの想いもまた肯定されておられるからだ! 天の定めより遠ざかっておる者が、天意なき天意へ歩み近づく我らと並んで同列面をするなど、おこがましいにも程があるぞ! 遠いならば遠いで、自らの立場をわきまえて生きれば良いものを……!」
「我らとて今の時代を生きております。それなりに譲歩し、適応したからこそ森の奥から巷にも出てきたのだという自負もある。これ以上どうせよと仰るのですか?」
「なかなか楽しい子供喧嘩だが──」
二人の言い合いに、突然割って入ったのはモートであった。
嘲るような鋭い笑みを浮かべ、茶化すように言葉を紡ぐ。
「──愚かさの話を我らの前でするとは、それこそ愚か」
断定的な口調は二人の気を引いた。決して穏やかならぬ気を。
そしてそれこそ我が意の通りと言わんばかりに、赤黒き預言者は仰々しく腕を広げた。
「貴様らの宗教的議論などもはやなんの意味もなし! これは前兆! 『青き炎涌き出でる山に血雨さんざめき、愚者が怒りに喚き立ち、偽預言者が倒るる時、炎と恐怖が大地を薙ぎ払うだろう』。赤い鳳のもたらす炎の前に、この町の全ては滅び去る。その時は間近なのだ!」
ヤザレの預言がぶち上げられ、拝火教信者たちは歓声をあげ、ワウコは呆れたようにため息をつき、天核教の男は激昂した。
「また当たりもしないくだらん預言か! お前らの世迷い言などもう聞き飽きたわ。だいいち何なのだ赤い鳳などというものは! ヤザレとかいう麻薬中毒者が見たと称する幻覚の中以外で、そのような存在など見たことも聞いたこともないわ!」
「こんなものと、我々は同列として扱われているのか……」
天核教の怒りも、ドライードの落胆と嘆きも、心底から湧き上がっているもののように感じた。
この場で起きている各宗教のいがみ合いも。
それはこの場だけで起きていることでもあり、世界中で起きていることでもあった。
「ふん、いくらでものたまうがよい、智者は痴者には解されぬものよ。愚者は常に、警告が実現した時になって言うのだ。『どうしてもっと強く説得してくれなかったのか』とな」
「あなたたちは抽象的でどのような状況にも当てはまる必然を、警告として説いているだけです。それ自体は良い側面もあるでしょうが、ヤザレの皆様はあまりにも、仰々しすぎる」
「したり顔の預言など天を愚弄しておる! 天は未来や運命などが定まらぬように世界を創造なさったのだ、無きものを貴様らはどうやって知り得るというのだ!?」
口論を眺めながら、今度はアイランがシヤナ導師に耳打ちした。「あなたは、混ざらないの?」と。
彼はゆっくりと首を横に振ると、ポールを手掛かりに手術台に近づき、デイジーの服を掴んで支えとした。
そして、ぼそり、と一言。
『死者の御前ですぞ』
小さくとも、魂に響き震わせる低い音。
波動のように広まって魂の内側で反響する声に、三人は水を打たれたかのように全てを中断させられた。
その場にいたアイランと無明派僧侶を除いた全員が、思わず身を屈めて縮こまる。
縮こまった体はバネのように伸び直るが、ついでとばかりに一様に振り向き、シヤナ導師を見た。
それを魂で感じ取ってから、彼は静かに、淡々と、言い聞かせるように言葉を並べる。
「お身元は判明し、つつがなく検視は遂行いたしております。完了し次第御遺体は可能な限り修復した上で天核は聖典派の皆様の御寺院まで責任を持ってお届け致しますゆえ、今日のところは皆様お引き取りを。ここは我らの宿舎でもございます、何卒ご理解とご容赦下さいますように……」
そうして、深々と頭を下げた。
静寂が数秒流れ、まずはモートが「ふん」と鼻を鳴らして身を翻す。
それから、三勢力はそれぞれ気勢を削がれて一言も発しも交わしもせず、立ち去った。
ヤザレの拝火教は居丈高に、天核教原理主義派は頭の皮を置いてややばつが悪そうに、ドライードは眉をしかめ不快そうに。
この広間が、広間としての静けさを取り戻した時には、鳴り響くのはデイジーが遺体を解剖する高湿度な音だけだった。
否、もう一つあった。
「で──」
シヤナ導師の耳元で囁く声。
甘くはないが昂り、蠱惑的ではないが誘惑的な女の声だった。
「──誰が犯人だと思うぅ?」
彼には見えるはずもないが、満面の笑みをたたえたアイラン・ヘルゼンデルの声。
この時になってようやく、彼は非常に厄介なことが起こるかもしれないと予感した。




