山にて
白くかすんだ冷たい青空から肌寒き風が吹き下ろす。
風は山肌に沿って流れ、町を、人々を横から打つ。
道ゆく人を、雑貨の露天商を、背負ったカゴで魔石を運ぶ労働者を、慌ただしく槌を振り下ろす工人を、ひれ伏す信徒を、なでつける。
人波の間に立つアイランの髪をも、なびかせる。
アンガナス大鉱山、涌き出でるは無限の力なりと詠われるほどの豊富な産出量を誇る、現界ぶっちぎりの魔石鉱山である。
その採掘を一大主幹産業とした町には大量の労働者が集い、魔石の加工と流通を生業とする業者が集い、それらを客としてアテ込んだ商売人が集い、そこに物資を卸す大口小口を問わない仲買業者が集った。
もはやそれは山を中心とした都市と複雑な経済ピラミッドそのものであり、統王の治世下でますます富は多く、人は多くなっていた。
そのためかどこに行っても人間が視界から消えることはなく、誰の目にも触れぬはかりごとなど巡らせようがないとも思えた。
だが、全てが速やかに進行する産業都市。
ひとつひとつの物事に長い時間をかけず、次の仕事へ、次の仕事へと人々に速度を要求する。
そのような場所では、見えてはいても気にはかけない。気にはかけても立ち止まりはしない。
人々は自ら視野を狭め、目前に集中し、未来も過去も顧みない。
どれだけ人が多かろうと、影がうごめく隙間は至る所に存在するだろう。
それを証明するように、裏通りではごろつきがたむろしてタバコを吸い、日陰では浮浪者が身を寄せ合って眠り、道端で眠る少女の顔を紙幣でばたばたとはたく男などという光景すら見られた。
ほんの少し目を凝らすだけで、波間の奥には人間らしさがひしめいている。アイランにとって、それはどことなく懐かしくさえ思えるものだった。
「待ってくんろお〜」
アイランの後ろから牛の鳴き声のようなものが響く。
人混みの雑踏に潰されず、むしろなぎ倒すほどの間延びした大音量だった。
周囲の人々も皆一様に立ち止まり耳を押さえながらぽかんと振り向いたほどだった。
まずはため息ひとつに、ちらと視線をやると、2mに届こうかというほどの巨躯がどすどすと走って来ていた。
大荷物を背負い、汗をほとばしらせて手を振りながら。
「デイジー、落ち着いて。隠れるつもりはないけれど、すっごい目立つ必要もないわ」
淡々と言い放つアイランの前まで来ると、巨躯の女──デイジーは前かがみになって息をつく。
背負ってる大荷物が顔面にぶちかまされそうになったが、少し仰け反るだけで避けられた。
「で、でもお、いっぱいで、ちっちゃな魔女さまはぐれちまうよぉ」
体が大きいせいで人混みに阻まれ、はぐれそうになって不安になったようだ。
アイランはもう一度ため息をつくと、大荷物をぐいと押してデイジーの上体を無理矢理上げさせる。
つんのめって後ろに倒れそうになりながらも、丸太のような足でなんとか踏ん張って持ち直したようだった。
「じゃ、ゆっくり歩くから、ゆっくり来なさい」
ふいと背を向け歩き出す。
その後ろを、大荷物を背負い直してついていった。
背負い直した時、大荷物から下げられている歪んだ形の使い古した赤錆バケツがからからと鳴った。
バケツのデイジー。彼女は魔女たちからそう呼ばれている。
素直で純朴で、凄まじい体躯と馬鹿力を誇る女性だが、知能のほどはお世辞で言ってもいまひとつ。
力仕事や荷運びが主な仕事だが、単純な気性と凄まじく頑丈な体と無限の体力を具えることから、危険任務の随行者、あるいは監視や護衛なども時に任された。
しかし"兵の魔女"からしたならばただの木偶の坊。目立つし鈍いし重いし、大きすぎてつっかえる。
道中でも物は忘れる、服は汚す、雑務はこなせない、それでいて場所は取る。実に厄介な同行者だった。
「ヘルゼンデルどの!」
またもや遠くから呼ぶ声。
しかし今度は男の声で、体格も普通だった。
「ようこそ、おいでくださいました。お話はかねがね……」
深々と礼をする男はアーゲルン人。カーギ・カリンの修道服を身にまとい、杖をついて歩いている。
だが、足が不自由なわけではない。
「わたくしはシヤナ・ズンヴフィッチ・ララと申します。カーギ・カリン無明派導師ゆえ、見苦しき様はご容赦を」
深く頭を下げ、再び上げる。
その顔の四つの目は全てが常に閉じられていた。
「アイラン・ヘルゼンデルよぉ。後ろのはデイジー。ほらっ、挨拶なさいな」
「ああ、はあ」
促され、のっそりと会釈するデイジー。
あまりの鈍さにため息が出かけたが、シヤナ導師は笑って「シヤナです」と返した。
「さ、わたくしどもの寄宿舎へご案内いたします。道中、寄りたい場所がございましたら気兼ねなくお声がけを」
そして、もう一度深く一礼すると、通りを歩き始めた。
デイジーへついてくるよう合図をしてから、その隣を歩く。
寄りたい場所は無い。彼女の興味を引くのはいつだって人だ。
「無明派導師さんっ、私はあなたに興味があるわぁ」
「わたくしですか?」
不思議そうに首をかしげる。
「あなたには、世界がどう見えているのかしらぁ」
四つの目を閉じ、杖をついているというのに、彼の歩みは確かだった。
時間をかけゆっくり歩いてはいるものの、この雑踏の中で人の動きをきちんと読んで間を縫っていた。
「……変わった方だ。世の人はわたくしたちを異常で孤高なものと見るのが普通ですぞ」
「世の人とやらもじゅうぶん異常で孤高なもんよぉ」
並んで歩く"兵の魔女"の言葉を聞く機会など、普通に生きていればまず無いであろう。
その言葉が軽口なのかどこまで本心なのかを計りかねるなどという経験も稀であろう。
シヤナ導師は数秒無言を貫いた後、言葉を選ぶようにして話し始めた。
「そう、ですな。確かに、異常でした。かつて我らアーゲルンは合理と論理を志向し、神秘を否定してカーギ・カリンを創始しました。魂を直接見ることのできる我らにとって、人間の心が生み出す神とやらが、どのような心理に起因し、本当は信仰心以外の何を考えながら祈るのかは、自明でした。故に、それらを、見下したのでしょう」
カーギ・カリン。神秘を否定する彼らにとって魂とは非常に現実的な存在であり、論理的な現象だった。
何せ直接感じ取ることができて、自らの魂で触れることすら可能なのだから。
人は一握の土にどのような奇跡と偶然の連鎖が込められていたとしても、そこに神秘と壮大さなどは感じない。
それと同様に、魂が生み出すものそれ自体に彼らは特別さを感じなかった。
「全ては根元の知性たる偉大なる魂から分かたれた存在であり、魂こそが知性の頂点。ゆえに生命の持つ魂をも超えた神などなく、天にもまた意思などない。天に魂があると感じたアーゲルンなど存在しないからです。我らは、全てに魂の所在の有無を感じ、魂と知性こそ、生命体の本質なのだと感じてきました」
彼らは運命を信じない。偶然に意図など感じない。
意図があるならば、即座に己らが感じ取れるはずなのだ。
自分たちが感じていないということは、そこに意味などない。
だからこそ、彼らはやがて世界の全てが主観で構成されるようになったのだ。
「我らは、そう驕りました。世界の全てを理解しているのだ、と。全ての人々を知悉し、制御し、カーギ・カリンの下に置けるのだと。そうして、ごく当たり前のことをも忘れ去りました。我々が知り得るのは、その個体が一生のうちに直接触れ得たものだけなのだということを」
アーゲルンは魂に直接触れ、場合によってはその人物の全てを知ることができる。
だが、そこまで。自らの手で直接触れた者についてしか知り得ない。
一人の双角族を知り尽くしたとして、世界に存在するあらゆる双角族をことごとく理解したことにはならないのだ。
だが、彼らは全てを知り尽くし、全てを支配できる上位に立ったのだと思い込んだ。
カーギ・カリンの教えは魂の全てについての回答を持ち合わせており、魂が織りなす意識と無意識を完全に論理立てて説明できる唯一にして完璧な真理なのだと考えた。
「その驕慢のまま、我らの国は、民族は、教えは、何もかもを踏みしだいたのです。決して他と折り合うことなく、反発をないがしろにし、その果てに……ヨルフェルンが、涙を……」
歩きながら、彼の声は沈んでいた。
「我らは、知るべきだったのです。何も、知らないのだと。自分の見ている世界だけで、世界全てを語ってはならないのだと。その反省に立ち、わたくしどもは"無明派"を名乗って世界を見ることなく、ただありのままの魂を感じて生きていくのみ。我ら民族は結局ことごとく無明であるからして、それを自覚して弁えて生きるべきなのです。それこそが、我らのあるべき原点であり原始でしょう」
自省、内省、自戒。
かつて罪を犯し、敗北して尚、存在するのを許してもらうにはそうせざるを得ないのだろう。
カーギ・カリンは世界に対して返しきれない負債を抱えているのだ。
だとしても、止むを得ない事情を超えた断固とした決意が彼の声には滲み出ていた。
「ふぅん、今のあなたは魂だけを見て、それを頼りに生きているのね?」
「その通りです。それゆえに、杖は手放せない道具でして」
無明派は皆おのれの意思で目を閉じ、魂感応のみを頼りに生きている。
つまり魂のない物体は見えていない。杖によってそうしたものを探りながら、歩かねばならないのだった。
その彼の横顔に、アイランはぐいと顔を寄せた。
息がかかり、伸ばせば舌も届きそうなほど近くに。
「ね、私の魂はどんなふうに見えるの?」
シヤナ導師にひるんだ様子はなかった。
ただ、少し視線を巡らせる。何かを探るように。
「そう、ですな。色で言うなれば黒……ただ、黒い色であるというよりは、濃くて、粘りのある、溶岩のような、触れがたい印象を感じます。見ることはできても、触れることはわたくしでは叶わぬでしょう」
「よーがん? なんだあ?」
意味のわからない単語が飛び出たためか、デイジーが言葉を挟む。
しかし、少しだけ"兵の魔女"は機嫌が良くなっていたようだった。
「火山の熱でドロドロに溶けた岩のことよぉ。火山はわかる?」
「火山……ああ、肉焼きガマのことかあ! あれあっついもんな。でも、石は溶けてなかったぞぉ?」
「火が強すぎると肉も焦げるでしょう。それよりもさらにさらにもっともーーーっと火が強かったら、石も溶けるのよん。この世には、それぐらい強い炎が中に詰まった山もある。あの大鉱山だって実はその一つよ」
「ほええええ、すっげえなああ。でも、そんなら山はどうして溶けちまわないんだ?」
「山自体が、溶けた後冷えて固まった岩でできてるからよぉ。でも、焦げた肉が冷めたところで元の生肉には戻らないように、熱によって石も永遠に違う物質に変わってしまうことがある。だからぁ、鉱石や魔石が採れる山は、火山だったりするのよ」
「ええっ、鉄って、もとは石なのかあ!?」
反応が新鮮で面白いところは、この木偶の坊の唯一の美点だわね。
にやにやと笑いながら歩いているところに「着いたようです」と声がかけられる。
居住区の一角にあるカーギ・カリン無明派寺院。それは、少し広めの民家といった程度の外観であった。
両隣にはまさしく普通の石造建築民家が建っており、門構えも屋根も普通の家と変わらない。
おそらくは、真実ただの家をそのまま買って使っているのだろう。
「ここがわたくしどもの住まいです。集団で暮らしておりますゆえ、不躾にはご容赦を……」
一言断り、ドアのない入り口をくぐる。
そのあとについて中に入ると、まず広間のような空間があった。
天井は低いが横には広く、床は張らずに焼き土を敷き詰めて突き固めたもの。
そして、何より、腰より少し上の高さまで伸びている石膏製のポールがほぼ等間隔で設置されていた。
だいたい10数m四方の空間に15〜16本といったところか。それぞれのポールは全て先端の形が違っており、無明の僧侶たちがそれを伝うように触りながら歩いていた。
「奥の扉が庭につながっておりまして、庭が炊事場と貯水樽置き場を兼ねてます。左手には階段があって、地下は物置と貯蔵庫、二階はお客様用のお部屋ですので、寝泊まりはそちらでお願いします」
「右手の部屋はぁ?」
「わたくしどもの稽古場ですが、そこで寝泊まりしてもおります」
説明を受けながらも、無遠慮に立ち入って覗き込む。
その部屋には一段ほど高く石の床が張られ、毛織の敷物が一面に敷かれていた。
この上に直接座ったり、野宿用の寝具を以って寝転んだりできるようにしているのだろう。
座る時に尻に敷くと思われるクッションも、隅に積み上げられていた。
「稽古ってのは具体的に何をするのぉ?」
「わたくしどもは統王様より障害者用の福祉支援を行う団体として認定され、責務を負っております。見えぬ者、聞こえぬ者、感じぬ者のための生活援助のみならず、日常訓練をも実施しております。例えば見えぬ状態で道を歩く稽古や、聞こえぬままに唇の動きを見て会話をする稽古、希望すれば特定の職業訓練やカーギ・カリン僧侶としての修行修養も収められます。そして我ら僧侶の日々の精進もここで行なっております」
「なぁるほど、うちが出資してるのはココねぇ」
「なればこそ、あなた様をお迎えすることができましたのでございます」
アッサルートの新式屍術によって生み出される魂持つ死人。
彼らを訓練し、教育し、人間社会の日常に馴染ませるのに無明派のノウハウは役に立つのだ。
ある日突然全くの別世界に放り込まれてしまった人たちが、その別世界に順応する手助けをする。
その点で言えば無明派も『死人の軍勢』も同じだった。
実際、死人化に際して視覚や聴覚といった感覚に異常が発生するのはよくあることである。
そんな彼らと"屍の魔女"が契約を結ぶためには、まず彼らの理解力や世界を認識する力そのものを養わねばならない。
その方法を研究する一環として、魔女協会は無明派に出資しているのである。
「まっ、魔女さまぁぁ〜〜ここ狭いよぉぉぉ〜〜〜」
入り口に座ってびーびー泣いているデイジーを引っ張りながら、アイランは考えていた。
この建物なら、色んなものを隠せるだろう、と。
「ふぅーっ、ひとまず着いたわねぇ」
飛び込むようにしてアイランはベッドに腰を下ろした。
その隣ではデイジーが窮屈そうに身を縮こまらせて座っている。
二階の木製の床は、彼女がただいるだけで危うく軋んでいた。
「魔女さまぁ、はやくお役目いきましょお。おらここ狭くってやぁだぁ」
お役目。二人はここに調査にやってきた。
反統王連衡の拠点があるかどうか、『スゥガ・タムト写本』がここにあるかどうか、偽ゴーレム製造がここで行われているかどうか。
しかし──
「ダメよ」
「えっ、なぁんで!?」
アイランはきっぱりと言い切った。
「連中の──いや、"彼"の手口は知ってるわぁ。協会長様も仰っていたけれど、今回の件はかなり臭う。怪しいだけじゃない、罠の臭いがそれはもうわざとらしいぐらいぷんっぷんするじゃないの」
コー・ナイルで彼女は敵のやり口を体験している。
まさしく、全身で感じ、あの恍惚と悦楽が魂に刻み込まれているのだ。
だからこそ、この快楽への誘いの記憶を覚えていた。それが罠であることも。
「私がそこに飛び込むのを、飛び込みたくってしょうがないのを知っているのよぉ。だからこっちから動くのはいい手じゃない。敵の出方を見て、何も仕掛けてこないようなら動く。私の方から動くとしたら、そうねぇ……」
顎に指を当てて逡巡するそぶりを見せる。
それから、にっこりと牙を剥いて笑った。
「血の匂いがしたら、かなぁ」
言葉通りの意味であったが、デイジーにはよく理解できなかった。
「はぁ」と呆けた返事をするのみだ。
その時、にわかに通りが騒がしくなった。
もとより人通りの多さに起因する騒音は少なからぬものであったが、それぞれがそれぞれの目的に応じた指向性を持った騒がしさで、あらゆる方向に向けられた音だった。
それらが、一つにまとめられたのだ。一つの方向に向かって、人々の流れも言葉の向きも、一方向へ収束したのである。
直後に、階下からも話し声。無明派の僧侶同士は言葉によって会話をせず、互いの魂を感じ取るのみ。
つまり、話している相手は少なくともアーゲルン人ではない。
いくら鈍くとも外の騒がしさには気づいたようで、デイジーが窓から通りを覗き込む。
そこでは、数名の衛兵が足早に一つの方向へ向けて進んでいた。人波をかき分けながら。
通りの人々は皆その方向を見て、ひそひそと、あるいはがやがやと話し合っているのである。
デイジーと同じように窓から顔を出してその方向を覗いている者も、一人や二人ではなかった。
「魔女さまぁ、なんか通りがよぉ」
話しながら振り向くと、そこにもう"兵の魔女"はいなかった。
「おろ?」ととぼけながら、シーツの下、ベッドの下、荷物の中まで見て、それからようやく部屋の外を見る。
軋む廊下を無遠慮に歩き、階段から一階を覗き込むと、玄関のところに"兵の魔女"は立っていた。
そのそばにはシヤナ導師と、板金鎧に身を包んだ屯所の衛兵も立っていたが。
そして、デイジーがちょうど覗き込んだところで、衛兵の言葉が流れ込んだ。
「また殺人です、検分の協力をお願いしたい」
ほぼ直後に、アイランがデイジーの視線に気づいた。
体をひねり、付き人に顔を向け「デイジー」とまず一言。
「血の匂い、してたみたぁい」
彼女の笑みが、今度ばかりはデイジーにも理解できた。
無意識に冷や汗と喉鳴りが起きてしまう怖気を、感じ取った。
旅の中で、初めて"兵の魔女"の真実の顔を見た。
そして静かに実感する。
狩りが始まるんだな。




