部屋にて
薄暗がりの部屋の中、男が一人座っていた。
横向きで椅子に座り、片腕を机に乗せている。
机の上に並んでいるのはパンとスープ、それとちぎった干し肉。
それらを左手でつまむように食べながら、男は闇の中を見つめていた。
「盟主殿」
その背後で、音もなくひとつの影がひざまずいていた。
デ・タンダの忍び装束。まさしく、影に溶け込むような存在だった。
「手筈は?」
干し肉をスープに浸しながら、男は振り返りもしない。
「つつがなく進行しております。しかし、お耳に入れたきことが」
だが影がそう告げて寄れば、男も体を反らし耳を傾ける。
そこへ数言耳打ちすると、男の顔が一瞬曇った。
「どういうことだ? 手出しはするなと命じたが」
「どうも我らに帰順せんとした魔道士が、手土産のつもりで勝手に事に及んだようでござる。足取りも証拠も残してはおりませぬゆえ、捕われた魔道士二名より足がつきはしますまいが……」
男は鼻でため息をついた。
彼が受けた報告はこうだ。『モル・ニスで"光の魔女"が襲撃され、従者が負傷』。
そのような暴挙には及ばぬよう、組織内には釘を刺していたが、取り込み交渉中の組織外の者が勝手に、とは。
制御不可能なところで事が起きてしまった。
「……仕方ない、潮時だろう。既に必要な魔道士たちは揃っている。引き抜き工作は終了だ」
「モル・ニスはいかがいたしましょう」
「一時全面撤退する。西の山間部か、アルヴァンス島に逃れろ。『流木団』に匿わせるのだ」
「はっ」
一礼した直後、影は消えた。
男はパンをかじりながら逡巡する。
これで"光の魔女"と敵対してしまった。彼女は決して我々を許さないだろう。
いずれはそうなる運命ではあったものの、しかし、早すぎる。
今は彼女との全面衝突は避けねばならない。魔女協会を頼って共同戦線を張るようなことにならねばよいが……
幸い、"光の魔女"は魔女協会にとっても非常に不安の多い不確定要素のはず。
共闘に向けてアッサルートの方から積極的に歩み寄ったりなどはしないだろう。
だしぬけに、男が見つめる闇からノックの音がした。
その音の正体も見えぬままに「通せ」と応えると、闇の奥で扉の開く音が続く。
そこからやってきたのは複数の足音、呻き声、姿を現したのは三人の男たちだった。
彼らは皆目隠しをされ、猿ぐつわを噛まされ、両手を後ろ手に縛られていた。
身なりと年齢から言って、おそらく天核教の有力な聖職者だろう。
そんな彼らを蹴り倒してひざまずかせながら、最後の一人が闇の奥から現れた。
背は高く、厚手の修道服の上からでもわかる頑強な体格の輪郭も力強い、それでいてフードから覗く顎のシワは深い。
その者は三人の聖職者を見下ろす位置まで進み出ると、男に向けて礼をした。
「この度は、私の志へのご賛同と協力の申し出に感謝いたします」
しわがれたその声には、不思議と力強い若々しさと張りをも備えていた。
異様な姿形に、全てが不釣り合いに見える特徴、それはまさに"怪人"と形容して差し支えないだろう。
「彼らは?」
残った干し肉をスープに投げ入れながら、興味なさげに訊ねる。
「この者は!」
それに答えて、怪人は右端の聖職者の頭を鷲掴んだ。
呻き声が一層大きくなり、察して不安を募らせたか他の二人も身をよじる。
「スズッカの町の教会堂"慈師"にして第二級司教でありながら多くの少年たちをかどわかし、鞭打って支配し、慰みものとした大罪人! このような汚物を天はお許しにならない。よって!」
掴んだ頭を引き上げ、無理やり首を伸ばさせる。
そのままで、もう片方の腕を、天高く振り上げた。
「死罪である!」
べぎんっ、と布で包んだ木をへし折ったような、くぐもった異音が響いた。
振り下ろされた腕が、棍棒のように聖職者の首を折ったのである。
首から下の体がばたばたと魚のように痙攣し、怪人にモノのように放り捨てられてもしばらく跳ねていた。
もう命などその身には残っていないのに。
他の二人の呻き声が大きくなる。
それは何かを訴えているようだった。
目隠しの隙間からは涙の粒さえ伝っていた。
「この者は!」
続いて真ん中の頭を鷲掴む。
「ハイレンドの聖堂管理者でありながら、賄を懐に収め、巡礼札を偽造するのみならず、貴重なる聖堂の蔵を密輸品の集積所として無法者どもが汚すに任せた。このような裏切りに天は相応の報いを下しなさる。よって! 死罪である!」
ぼぎっ、と二つめの首がへし折られた。
最後の一人はとうとう耐えきれなくなり、半狂乱になりながら立ち上がる。
「この者は!」
だが、逃げようとした彼の頭を怪人が掴んだ。
精一杯逃げようと抵抗するものの、片手の膂力で抑え込まれ徒労に終わる。
それでも暴れていた。暴れぬわけにはいかないのだ。
全くの無駄だとしても。
「イェッコン地方の教会堂を統括する"慈師"でありながら、妻を差し置いて不倫に及んだのみならず、婦女を暴行し姦淫した。それもよりによって巡礼者や少女たちに対してだ! このような不埒な愚物を天は嘆き遠ざけるだろう。よって!」
ぐいっと頭を押し込んで無理やり床に座らせる。
だが力は緩めず、むしろ頭を掴む手にもう片手を乗せた。
「死罪である!」
形容しがたい音が連続して響いた。
頭を押さえたまま、床に向けて力任せに一気に押し込んだのである。
脚と胴の骨がめちゃくちゃな方向に粉砕され、全身から骨が飛び出る。
曲がらないはずの方向へ体がぐにゃりと曲がり、垂れ下がりながら、床にめりこんだ脚と骨によって固定されてもいた。
そうして、最後の聖職者は奇怪なオブジェと化した。
「フーッ、フーッ、フーッ」
三人を素手で殺し遂げて、怪人は荒く息をつきながらしっかと床を踏みしめる。
それを見て、男は体を傾けながら長めの間隔で拍手を始めた。
「いや、お見事、大した馬鹿力だ。それを売り込みに参られたのかな?」
小馬鹿にされていることに気付いてか気付かずか、怪人は男の方へ向き直る。
「貴殿は、天核教をいかにお考えか?」
息はまだ荒く、声色には興奮が残っていた。
それでも、男は余裕を一切崩さなかった。
「宗教だ。天をこそ第一とし、敬い、それの下であれば全ては同列。まあ、主に他の宗教のことだがな」
ふやけかけた干し肉を口に放り込む。
怪人は一拍置いたのち、己が胸に手を当てた。
「天核教──カーギ・カリンの支配と弾圧の中で人々を守り、育んだ教え。それはどのような逆境の中にあっても強靭で、他を取り込みながらも他を教化し変えてきた。その強さあってこそ、人々は魂を、体を、命を委ねられるのです。偉大なるは天のみで、その下の矮小な人間などは貴族も貧者も、王も子供も、聖職者でさえつまらぬ人間であり平等。それが多くの人々の救いとして、君臨し続けてきました」
「然るに」と繋げた瞬間、怪人の輪郭は盛り上がり、震える。
両拳には力が込められ、手袋がみちみちと悲鳴をあげていた。
「昨今の天核教は骨を抜かれ申した! 統王の力と権威に屈し……一夫多妻を後追いで容認する始末! かつての道徳も倫理もなく、豊かさに溺れて精神は惰弱化し、人々は中身も無き教えの形骸をさまよい暗黒から暗黒へ巡礼しておるも同義! 誰あろう、天核教を形作る信念の体現者たる聖職者たちがこの有様なのだ!」
拳を眼前に掲げる様は、悔しさに身も張り裂けんばかり。
「私は、それを正してみせる。天核教をあるべき原理へと回帰させる。人々を律し、導き、支えることのできる最強の教えを復活させてみせる! 今! ここでまざまざと見せつけたのはその決意と覚悟です!」
力説する怪人から視線を切らぬまま、スープの食器をとって具ごと口に流し込む。
原点回帰を志す宗教革命者。
ま、いいだろう。
「貴殿に協力しよう」
口に残った具と干し肉を噛み砕きながら、そう宣言する。
怪人の体の緊張が緩むが、即座に「ただし」と付け足した。
「少し、話をしようじゃないか」
そうして、最初に殺された聖職者の死体を指差した。
「彼の名はヴィーン・ホンノッコ。確かに彼は少年たちを犯したが、後年はその行いを悔い、問題の原因は己が幼少期に受けた性虐待にあるのだと気付いた。それ以降は身寄りのない子供たちの面倒をよく見て、養子縁組も積極的に行い、里親の審査にも手抜かりはなかった。そんな彼が死んだことで、彼の情熱に支えられていた児童福祉活動は縮小されざるを得ないだろう。活動が継続されるように、と計画中だった基金が成立する前に君が今殺してしまったからな。統王と天核教団が穴埋めを行うまでの数年間に……何人の子供が死ぬかな」
足を組み、膝に肘を乗せて身を乗り出す。
その視線は二番目に殺された聖職者に向いていた。
「彼の名はサザ・ノグ=フィオーク。聖堂管理者の役職を利用してギャングどもに倉庫貸しや名義貸し、果ては偽造にまで手を染めていたのは事実だ。しかし三角連衡の乱に乗じて魔界守旧派が蜂起した時、奴隷を商って一儲けしようと人狩りどもが暴れた。彼はそんな連中に狙われた人々を、聖堂の蔵に匿っていたんだ。ハイレンドのギャングが密輸品置き場に使ってる蔵を強引に暴くなんてことは、決してできないからな。人狩りどもがその後奴隷たちに何をしたかを考えると、まさに彼は我が身を盾に人命を守ったことになる。ギャングどもに命がけで話をつけなきゃ、そんなマネはさせてもらえないからな。助けた人数については不明だが、私が調べた範囲では最低92人。この数字は増えることはあっても減ることはない」
そして最後に、奇怪なオブジェと化した聖職者の方を向いた。
「彼の名はバルーダ・ゴーダク。彼は誓いを破り、自分を愛してくれた人、信頼を置いてくれた人、そして無関係の女性たちの全てを傷つけ道義に背いた。しかし彼はある事業に出資をしていた。この世界から飢えをなくそうという研究に従事するイェザリ派の寺院に、派閥の枠を超えてかなり、力強く、協力していた。研究が結実する可能性はそれなりに高いが、正直言って経済的な見返りなど期待できない投資だ。動機もおそらくは研究者である修道女の関心を引くためだろう。しかしだからこそ、個人的動機のない後継者は出資を打ち切り、資本を引き上げてしまうだろう。もしそのせいで研究が遅れれば、飢えに苦しむ人々はいったい何千万人増えるだろうな」
怪人を見据える。
その目には、冷たさがあった。
こんな話をしながら、本当は何も感じてはいないようだった。
「人間とは異常なる存在だ。悪事も凶事も犯せば、狂気にも堕落にも陥る。しかし異常だからこそ、それだけではない。善悪だけで世界は動いていない。世界にとって、そんな人間の意思次第で変動する価値観など知ったことではないのだ。天は彼らがしたことにも、お前が今したことにも、気付いてすらいないだろう」
彼が投げかけるのは絶望。そして混乱。
最も得意とするもの二つだった。
「しかし罪は罪、罰は罰。天が許すかどうかはわからないが、人は許さないだろう。それでいいのかもしれない。ただ、お前はどうなのだ? 彼らを殺した罪と罰は、お前には無いのか?」
荒い息を吐きながらも、怪人は自若としている。
ただ黙って、男の話を聞いていた。
「彼らが異常者なのではない、人間は皆異常なのだ。なれば、彼らは人間としては普通の存在、普通の犯罪者、普通の死人だ。……死に方は普通ではないがな。そんな、普通の人間を殺したお前には、誰が罰を下すのだ?」
「まさに天」
荒い息の中で、怪人が即座に答える。
いささかの躊躇も戸惑いもなく。
「天は第一であり全能であり、全てに気付いておいでだ。私はあくまで己が決意を示したまで。それも貴殿にではなく、天にだ。私が天意にかなわぬ汚物であり裏切り者であり愚物であるならば、まさしくどのような形であっても罰が我が身に下されるであろう」
その立ち姿は力強く、毅然として、揺るがなかった。
声色に乱れはなく、震えはなく、ただただ、太き芯が通っていた。
「私は、天が下された罰だ。私が斃れるその日まで、お前たちは私に罰され続けるのだ」
うむ、なかなかだ。
思っていたよりもいいぞ。
男は足を解いて座り直す。それでも、緊張は全く無かったが。
「いいだろう、私はクランツ・フェルマー・ルネイ。貴殿を連衡に迎え入れるにあたって……ひとまずやってもらいたいことがある。貴殿の、いや、天の目的にも叶うであろう務めだ。受けていただけるかな?」
「承った」
一切の躊躇も逡巡も無し。
ますます、いいぞ。
「では、詳細は追って連絡する。ひとまず、今は帰られよ」
「承知」
一礼すると、怪人は踵を返してどかどかと立ち去っていった。
闇の奥で扉の閉まる音がすると、部屋にはクランツと二つの死体と一つのオブジェが残った。
いや、正確には、もうひとつ。
闇の奥から、静かに浮かび上がった女が一人。
扉が開く前に壁を叩いてノックの音を響かせた者の正体が、姿を現した。
彼女の名はスル・ヤグ。
細身で、若く、儚げな印象そのままの白い影のような女性だった。
「スル、始末を頼む」
立ち上がりながら命じると、彼女はこくりとうなずく。
だが、すぐに取り掛からずにじっと視線を送ってくるのに気付くと、その意思が察せられた。
「私は仕事に戻るよ、昼休憩が終わるからね」
その声色はどこか優しげだった。
恋人や愛人に向ける優しさではなく、子供やペットに向けるそれであったが。
それにもスルがこくりとうなずいたのを見届けると、ポケットからくしゃくしゃの帽子を取り出して頭に乗せる。
スルと死体に背を向け、部屋の反対側へ進み、ドアを開けると真っ先に強い日差しが目を打った。
帽子だけでは遮れなかったそれを、手をかざして防ぐ。
目が少し慣れて来た頃には伸びをして体を解した。
「おぉい! リヴェック!」
そんな彼を、呼ぶ声。
振り向くと、遠くで親方が呼んでいた。
「何してんだ! 昼休憩もう終わるぞ!」
親方の周りには、クランツ──リヴェックと同じような平服に身を包んだ労働者たちがすでに立っていた。
そこへ向かって、リヴェックもよろよろと駆け出していく。
「へへぇ、すんません親方ぁ〜」
情けない謝罪の猫なで声を響かせながら、労働者たちに合流する。
その奥には線路があり、トロッコがあり、石置き場があり、坑道への入口があり、山があった。
ただし、山以外の全ては一つではなく、大量に連なってはいたが。
アンガナス大鉱山。
巨大な山に見下ろされるように、採掘地区、工業地区、居住地区がその順番で広がる町。
現界で最大の、魔道具生産と流通の拠点である。
ある文学者はその威容をして「山を囲む檻か、山に繋がれた怒濤の群れか」と評したほどだ。
魔力に関する全てがこの町に集まり、経由するか加工されて、世界へ羽ばたくのである。
この町が、これから恐怖に沈むのだ。




