城にて
これは、クロス・フォーリーズが冬によってダグナマンバ大要塞に閉じ込められていた約三ヶ月の間に起きていた物語である。
魔女協会領シリネディーク城。
魔女王国の首都マバ・ナトゥカラと違い、平和な時代にあって美を基調として改築された城である。
白く輝く壁と均整のとれた尖塔、美しくも牧歌的な屋根瓦に、手の込んだ意匠と彫刻。
"死人の軍勢"と屍術という禁忌めいた存在を抱えるという、その剣呑さときな臭さを緩和し、民心を穏やかにするために、外面には十二分の注意が払われていた。
なればこそ、その内面にはそれぞれの手前勝手な好みが反映されていた。
城主にして領主である魔女協会協会長、第9代目"屍の魔女"ストイル・カグズ・アッサルートの執務室もそうであった。
黒と木目を基本とした落ち着いた内装に、きちりと整えられた家具と筆記具。
机はベッドのように広く、部屋そのものも大きくゆとりがある。
出入り口の扉も大きく重く、扉というよりは門であった。
「インジック? まさか、でも、そうか」
そして部屋の主は、机の奥で、机に向かい、相互紙の本を開いていた。
見ているページは、クロス・フォーリーズのそれと繋がっているものだ。
今は白紙であるそこに、やや逡巡してから素早くなめらかにペンを走らせる。
『ありがとう。それで、いつごろ旅は再開できそうなの?』
『おそらくあと二ヶ月ぐらいは大要塞から出られないと思います。南下できるようになったら、まずは"鳥の魔女"さんのところに伺おうかと』
『わかったわ、それじゃ、またね〜』
『はい、また』
クロスからの最後の文字を確認すると、本を閉じる。
ダグナマンバ大要塞から相互紙が使えるようになって初めての通信であったが、彼の地では思いの外凄まじい出来事があったようだ。
何があったかは驚きとともに聞き入れたが、いま考えるべきは先のこと。
すなわち、手に入れるよう頼んでいた情報についてのことだ。
『スゥガ・タムト写本』。ヘリルメリアがその行方を知っている可能性については、以前からずっと考えていた。
その可能性を確かめる機会がなかったのは、彼女の師である先代の"軍の魔女"が、次代にヘリルメリアを推薦する際添えた言葉によるものだ。
『不肖の弟子、過去の詮索一切無用の事、つとめて厳命すべし。迫ったとて、堅く口と心を閉ざすであろう』
魔女録に遺されていたこの言葉に従うなら、訊ねたとて何も語られないばかりでなく、信頼を失いかえって口をより閉ざしてしまうであろう事態が予想されたのだ。
故に、クロスに委ねた。ヘリルメリアも老境に達して心境が変化しているかもしれないし、クロスならば心を閉ざす氷を溶かしてくれるかもしれないとの期待があった。
結果的に、期待した情報が得られた。情報の内容は予想外だったが、だからこそ求めたものであった。
しかし、まさかインジック卿とはね。
魔道士会評議の一人にしてきっての正道派であるラゥダー・インジック。
魔道士養成のための学校を全国各地に建て、特に教育面での功績によりハーバント家から叙勲され、貴族位と領地を授かった。
その領地には、自らが校長をつとめる一大教育都市校"さざ波の衝角船"を築き上げ、数多くの魔法使いを輩出した。
評議引退後に統王の王朝が成立すると、その政策にも協力しており、共通語制定と普及への助力、一般算術の公式の確立と教堂での教育課程の策定、学術面教育面での人材の輩出と推挙等々、多大な貢献をしてきた。
そのような正道の大物が、異端中の異端とされるスゥガ・タムトと私的な繋がりがあったとは。
魔道士会の複雑怪奇で混沌とした交友関係は、当人同士にしか知り得ないものが数多くある。
実験動物というある種軽んじられた存在であったからこそ、ヘリルメリアはそれをどこかで知り得たのだろう。
知っている者でなければ、推測することなど不可能な交友。
しかしだからこそ、かえって信憑性がある。
疑い程度のものではなく、確信があるからこそ、突拍子もない話もできようというものだ。
そして、知ってしまえば納得もいった。
フェルマー博士はルネイ地方で学んだが、彼に教えた魔道士は"さざ波の衝角船"の出身だ。
今まで、フェルマーの狂気は彼個人が独力で発症したものと思っていたが、スゥガ・タムトを発端とした繋がりの先端に立っていたのだとしたら。
スゥガ・タムト、インジック、ルネイの魔道士、そしてフェルマーへと写本の中身についての知識が伝授されていったのだとしたら。
それに触れたことで、フェルマーに狂気が伝染したのだとしたら。
『スゥガ・タムト写本』、それは今、おそらくクランツなる者の手にある。
最後の"フェルマーの子供たち"。だから彼はフェルマーの"失われた四ヶ月"を求めたのだ。
写本にすら載っていない実験と実践の記録を、写本の中身と照らし合わせる。
その先にあるのは……メンデル博士が『向進論』にて挙げた"進化"なのだ!
人間の新たな可能性を人間自身の手で創出する、天をも超える創造なのだ!
アッサルートは思わず身震いした。
だが即座に頭を振ると、「危ない危ない」とつぶやきながら、震えた両肩を温めるかのようにさする。
この興奮に身を委ね、理性を溶かしてしまえば、行先は彼らと全く同じとなる。
狂気の学者に堕ちはすまい。その一線を彼女は理性によってかろうじて守った。
「来たぞお!」
折もよく、扉が開け放たれる。
部屋を揺らしながら進み入る巨体はエルガン・ナッカラン。
扉の巨大さの原因たる死人であった。
「ほぼ同時に、伝書が二通だ」
彼専用のこれまた巨大な鉄椅子を部屋の隅から机の前に据え、大いに軋らせながら腰を落とす。
それから「ほれ」と机の上に乗せられた巻物二つは、手の大きさと比べれば小枝に見えるほどだ。
「ご苦労様〜」
流れ作業のようにねぎらいながら巻物を手に取る。
最初に手に取ったのは、術式の解析書。
開くと、最初に書かれているのは著者の名前。
その名もキルデンザックだ。
「頼んでた術式の解析ね。どれどれ」
独り言の形でエルガンに話しながら内容をあらためる。
この術式は、先日北の果てで"兵の魔女"が金属ゴーレムから引っこ抜いて来た魔力炉に刻まれていたものだ。
一部は"兵の魔女"本人が読み解いたが、大部分はそのまま書き写しただけである。
魔女協会は術式にカシッド・イル語を用いるが、魔道士会は術式に数学を用いる。
そのため、魔道士会の術式書きであるマードックが作ったこの術式の解析は、魔女にはできないのだ。
術式の解析には外部の人間、それも魔道士会の者の協力が必要不可欠であった。
それをクロスに話したところ、推薦されたのがキルデンザックだった。
術式についての専門知識のほどはわからないが、人柄については信頼を置いてよい。
そのような評価に基づき、術式の解析を依頼していたのである。
専門家ではないため解析しきれない部分もあったと前置きが書いてはあったが、それにしては予想以上によくできている。
部分部分に意味不明な点はあったが、おおむね、仕組みは理解できそうだ。
「ふぅーんふんふん、なかなかクセのある術式のようね。自分以外が再現しようとしても苦労するように乱数がふんだんに盛り込まれている、と」
用済みとされて裏切られないよう、あえて再現性の低い術式を構築していた。
つまり、マードックはやはり反統王連衡を信用していなかったということだ。
と、すれば。
「保険として、奴らの弱みになるような情報を握り込んでても不思議じゃないわね」
自分の死後に魔道士会や連衡に回収されてしまうようなところには、その情報を隠していないはず。
誰も知らない秘密の場所に隠しているか、断片化してむしろ至るところに拡散したか、あるいはその両方。
もしかすると、この術式の中に手がかりがあるかもしれない。
でも、今は無理ね! 時間がかかり過ぎるわ。
解析書をひとまず置き、もう一つの巻物を開く。
その時、エルガンが口を挟んだ。
「そっちはカウダックがゲロったもんだ。工作員の侵入ルートについてだな」
カウダック。カーギ・カリンの元大司教で、連衡に協力し工作員をディゴ荒野に派遣して"失われた四ヶ月"を強奪せんとした裏切り者。
既に捕縛され、カーギ・カリンからも破門され、尋問を受けていた。
魂感応と"霊の魔女"の魂盗みで情報を引き出すことに成功し、それがこうして伝わってきたのだろう。
「もう中身は見た?」
「ああ、目は通した」
「そ」
読み進めると、強奪作戦のために侵入した工作員一人一人の侵入ルートについて詳細に書かれていた。
彼らは連衡によって、カウダックが拠点としていた魔界領サゼマの街にある屋敷に集められ、そこからディゴ荒野へ旅立って行った。
工作員三名と、手引きや偽装といった形で携わった者六名の計九名。既に全員が逮捕されているが、使えそうな情報は絞り出せなかった。
その前に、全員が自殺してしまったからである。
生き残ったのはカウダックのみであり、彼も自殺に及ぶ危険性が高かったことから、魔女協会と統王は大胆かつ非人道的な手段を講じた。
ロボトミー手術である。
脳の一部機能を意図的に破壊して、自殺できないようにしたのだ。
脳は魂と肉体を接続し、それぞれの情報を変換する役目を担う。
魂から発せられる意思や精神は信号へ変換されて肉体に届けられ、肉体が得た感覚や情報は解析された上で魂のエネルギーに変換されて魂へ還元される。
その接続を切ったということは、肉体と魂は孤立し、暗黒の中に閉じ込められたということ。
魂と肉体の機能さえ残っていれば魂感応や魂盗みによる尋問は可能とはいえ、人間を人形に変える外法なのだ。
今や彼は己の意思で指一本動かせず、よだれ一粒すすり上げられない。
いや、そもそもそのような意思を抱くようなことすら無い。
魂は自分に指があるとすら感じておらず、よだれで顎が濡れていることすら知らないのだ。
だが情報そのものは魂の内部に存在している。引き出すのが難しくなっただけだ。
これ以上の情報をさらに引き出すためには、時間がかかるだろう。
「ほーん、結構よくできてるわね、それっぽい論文まで仕立てて研究者になりすましてたのね〜」
しかし、人体を弄する業は"屍の魔女"にとっては日常だ。
おぞましき禁忌も、彼女らにとっては積み上がった歴史の一部に過ぎない。
「サゼマ、ウーイン、ゾルイン、アンガナス、ヨーマイック、王都まで経由してるわよこいつら」
地図を広げ、工作員たちの移動ルートを書き入れる。
上から見てみると、彼らは蛇行するように移動しているようだった。
おそらくかく乱のためだろう。目的地を知られないように。
でも、これは決定的な情報ではないわね。
こんこん、と大扉を控えめにノックする音が響く。
巻物をくるっと閉じながら部屋の主が「どーぞ」と応えると、ノック音と反比例するような無遠慮さで扉が開かれ──
「うぐっ、このっ、おッッッもこの扉っ」
開かれ──
「こんちくしょっ、おらっ、ふんっ!」
──開いた。
「邪魔するわよ!」
少々息を切らせてずかずかと厚底のブーツを鳴らしながら入って来たのは、5代目"石の魔女"ガニツ・グ・スゥレイ。
少し前から、魔女協会領に滞在している。
「来たわね〜。ま、座んなさい」
そう促すのと同時に、エルガンが座ったまま手を伸ばして、隅に積まれた椅子を一つ取って机の前に据え置いた。
ガニツは特に礼を述べるでもなく歩み寄ると、ふんと鼻を鳴らして腰掛ける。
すぐに足と腕を組み、顔をしかめるその態度には機嫌の悪さがありありと現れていた。
アッサルートからすれば、ただほほえましくかわいらしいだけのものであるが。
それはともかく、早速呼びつけた用を済ませなければ。
そう思い身を乗り出しかけた時、腕を組んだガニツの左手が見えた。
正確には、左手にはめられているモノが。
「あれ? ガニっちゃん、その左手のモノって」
さらに正確に言えば、その左手薬指にはまっている輝くモノが。
「この間挨拶に来た時には、あなたがかしづいていたから気づかなかったわ。それ、もしかして……」
ぎくり、とガニツは明らかに身を震わせ目を開いた。
「……指輪?」
銀色に輝く、指輪が一つ。
簡素な造りから見て、装飾のためではない。
と、なると。
「え、え、え? え!? ええ!?」
その意味に気づいた時、アッサルートは両こぶしで口と鼻を覆った。
ガニツの顔は見る見る赤くなり、狼狽を隠すように歯を噛みしめる。
居たたまれなくなり、組んでいた足と腕をほどき、身を乗り出して左腕をどん!と机に乗せた。
照れ隠しとして、目をつぶり顔は背けていたが。
「そうよ、結婚したの。悪い!?」
「薬指で、指輪ってことは、えっ、え、スロヴの!? 伝統で!? もう15日も!?」
「彼がそーしたいって言ったのよ! 別にいいじゃないの!」
怒ることで照れを隠したいのか、目を剥いて怒鳴る。
指輪を用いた結婚の儀式はスロヴ独特の文化である。
まず、結婚した夫婦はどちらも左手の親指に合う指輪をこしらえ、それを着けたまま共同生活を行う。
一つ屋根の下で共に暮らし、その間決して指輪を外すことはない。
しかし5日が経つと、指輪を親指から人差し指へ移す。
そのまま更に5日暮らし、今度は人差し指から中指へ。
そうやって5日経つ毎に指輪を隣の指へ移しながら生活し、最後は小指へ。
それからは期限もなく、小指に指輪を着けたまま二人で生活し続ける。
だが、親指に合わせて作った指輪を小指に着けたのでは、ちょっとした拍子ですぐすっぽ抜けてしまう。
生活の中でそれは必然。しかし、小指からすっぽ抜けた指輪は決して拾ってはならないし、着け直してはならない。
そのまま何気なく暮らし、ある時にふと気づくのだ。どちらの小指にも指輪がはまっていないことに。
お互いがそれを見つけ、指摘したその瞬間、儀式は完了。婚姻が完全に成立する。
最低20日間共同生活を送った上で、尚も結婚したいという同意があるかを確認する儀式。
真実を道徳の第一義とするスロヴならではの、愛の文化であった。
「あ、あ、あ、相手は!?」
きゃーきゃー騒ぐアッサルートに対して、ぐっと口をつぐむガニツ。
再び腕と足を組み直し、口を尖らせて椅子に背を預ける。
だんまりの構えだ。
となれば、主人を援護するは従者の役目なり。
「あいつだろ? あの堅物っぽい偉丈夫で、屯所の隊長だった」
「んなっ!?」
突如助太刀してきたエルガンにぎょっと目を剥くガニツ。
「確か名前は、ドゥールンだったか? いや、スロヴ人じゃないから名前はアルネの方か。一昨日市場で一緒にいたよな?」
「わーーーっ! わーーーっ! わーーーっ!」
立ち上がって子供のようにエルガンの鎧をぽこぽこ叩く。
長身とはいえ、彼の巨躯に比べればまさしく子供のようだった。
アッサルートは小さな声で「うっそーー」とつぶやきながら、驚きの視線をガニツの後ろ姿に向けていた。
その視線に気づいてか、狼狽も隠しきれぬ様子で振り返る。
「いーじゃないの! 結婚なんてそこらじゅうで誰だってしてるわよ! 畜生どもだって虫けらだって結婚なんてするわよ! そんなにおかしい!?」
「おかしいことよ、すごく、あなたわからないの?」
驚きに満ち満ちた声でかえって勢いが削げたか、「くっ」と小さく呻きながら席に着く。
同調するように、アッサルートもゆっくり息を吐きながら座り直した。
「あなた、変わったわね。いや、昔のあなたをよく知ってるわけじゃないけど、結婚なんて──」
──そこまで、他者を受け入れられるようになっているなんて。
素直な驚きを見せると、恥ずかしさを打ち消すように、強がった。
「ええ、そうね! 誰だって成長はするわ。昔のままではいられないし、良いことも悪いことも起こるでしょうよ。でも──」
だが、その強がりの中には決意があった。
少なくとも、自ら選び取った選択なのだ。
「──受け入れられるわ、今のあたしなら」
神妙な決意の表情は、誰かを思い出しながら話しているようだった。
それを見て、アッサルートの顔も綻ぶ。
「あなたのお師匠様も、喜んでくれるわ」
「あたしのこと以上に、お師匠様のことなんて何も知らないでしょ」
「いいえ、間違いないわ。あなたを誇りに思わない人はいない」
ぐっと口を結んだ。
無言と沈黙が流れたが、決して気まずいものではなく、むしろ快い静寂だった。
ガニツの両手にわずかに力が込もったのを、彼女自身さえ自覚しない。
それほどまでに、何かが彼女の胸を満たした。
言葉にできないあたたかな信頼が、そこにあった。
「で、で、それでね、二人の馴れ初めは!?」
「はっ!?」
いや、気のせいだったかもしれない。
「コギ嵐の一件以後屯所の医者に通ってもらってたんだろ? 護衛だか礼儀の名目でそれにくっついてきて、話すうちに絆されたんだろう。男の方も女の一見粗暴ながらその実繊細な魅力に気づき、いつの間にやら二人は惹かれ合いある夜ついに──」
「やめやめやめ! そこまで! やめろ! お前なんで知ってるのよ!?」
「なるほど、事実か」
「きゃーーーーーっ! もう同衾まで!?」
「同衾なんて言い方はやめろ!」
「こいつらめちゃくちゃ熱烈だぞ。もう毎日くんずほぐれつの熱愛ちゅっちゅのぎったんばったん」
「やめろ! お前覗いてんのかぁ!?」
「いや、においでわかる」
「えっ」
においと言われ、急いで自分の臭いを嗅ぐ。
その様をじーっとアッサルートとエルガンは見つめていた。
それに気づいた時、やっとガニツは正気に戻ったのだった。
「そ、それより! 何の用よ。あたしさっさと帰りたいんだけど!」
(愛しい旦那様の下にね)
(愛しい旦那様の下に、な)
心の中でともに思ったことを、エルガンもアッサルートも言葉にはせず、実感として呑み込んだ。
それに代わり、身を乗り出して本来掴むはずだった巻物を掴み、差し出す。
「これをあなたに見せるために呼んだのよ」
受け取り、目の前で開くと、それがなんなのかは一瞬でわかった。
「パクリゴーレムの魔力炉術式、の解析? いつできたの?」
「届いたのはついさっきよ。本当は解析前の写しを見てもらうつもりだったけど、ちょうど良かったわ。術式の専門家としての意見が聞きたくってね」
「そうね、翻訳家は、悪くない腕だわ」
翻訳家、おそらくキルデンザックのことだろう。
「術式書きじゃないのは見てわかるけど、構造理解と結果予想に優れてる。数式を知らなくても、数式の構成要素と全体の構造を照らし合わせて読み解いているし、論理的だわ。魔力学に精通した学者のようね」
ガニツ・グ・スゥレイも専門分野のこととなると誰よりも真剣だ。
両目はせわしなく動き、解析内容を淀みなく読み進めていく。
「術式自体は……ひどいもんね、ほぼあたしらのパクリじゃないの。戦闘に特化させてそれ以外の機能を削って体裁を整えてはいるけど、独自性と呼べるもんはこの乱数と限定的な擬似認知機能ぐらいのもんね」
「擬似認知機能? 打ち込まれた命令を実行するだけの人形なんじゃないの?」
「いえ、こいつは半自動制御よ。現実を認識して、状況に合わせて独自に行動を決定する。この程度の煩雑さなら……マーキングした敵味方の識別と、目の前の一個体の動作に対応できるぐらいのようね」
「ほら、ここを見なさい」と巻物の一部を指差しながら見せる。
「翻訳者が訳しきれなかったこの部分、一見すると知覚系機能の動きを補正する術式に見えるけど、ここんとこの乱数を作るための汎用術式によって、知覚した情報の乱数幅を計算してパターンを解析する機能も持ってるのよ。この機能が知覚機能と中枢駆動系に紐付けされてるってことは、間違いなく擬似認知機能ね。それ以外にこの形で術式を配置する必然性がないわ」
「よくわかったわねー」
「あたしらのゴーレムでも似たような手法使ってんのよ。複数の術式から少しずつ機能を引っ張って整合させる。絡み合ったりしないようにすっきり整えんのはめっっっちゃくちゃ大変だけど、少ない余白で機能を盛り込むには最適な手なの」
「ただ」と繋げる。
「乱数幅の定義づけがおかしいのよねコレ。演算に使う数字が、なんか、不必要にデカい。計算結果と機能自体に問題はないけど、じゃあもっと使いやすい小さな数字の方が不具合も起きづらいのよねー」
直感があった。
理論でも論理でもない、ただの勘。
あるいは狡知と策謀を旨とする者同士で通じ合った瞬間でもあったのか。
アッサルートはマードックの意図を瞬間的に理解した。
「デカいって、どんな数字?」
「ん? えーーーっと、乱数幅の下限が7299で、上限が、315572」
地図を手繰り寄せ、数字通りの場所を見る。
これは座標だ。標準地図の縦軸72.99、横軸31.55、そこは、先ほど書き込んだ工作員の線の上だった。
アンガナス地方のアンガナス第一魔石大鉱山。統歴前72年に採掘が開始された鉱山にして、魔術工業地区だ。
もしや、金属ゴーレム自体はここで作られたのか?
確かにゴロ錬鉄はここにも輸出しているし、ハイレンドとマディス・ホールのギャングが消えたことで魔界とアンガナスを繋ぐ流通は促進された。
しかもこのアンガナス大鉱山は、反統王連衡の一人アンガンドゥッツの叔父たる男が管理していたこともある地。
その男の名はモルドゥンガ・ベルゼット。かつての魔界守旧派を率い、統王を裏切り、敗死した男だ。
繋がりは、する。反統王連衡の秘密の拠点が置かれていても、不思議はない。
だが不思議ではないというだけだ。積極的に行動できる材料ではない。
「失礼します」
そのとき、隙間を開けたまま放置されてあった扉の方から声がした。
ガニツにとっては何の気もなしに振り向くだけの声だったが、他の二人は一瞬戦慄するほどに覚えのある声だった。
「只今、まかり越しましてございます」
誰にも気づかれることなくいつの間にかそこに立っていたのは、"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデルだった。
恭しく礼など取っているが、その立ち居振る舞いに敬いなどないことは、二人とも知っていた。
アッサルートの内に緊張が走る。それは決して"兵の魔女"に対する苦手意識だけではなかった。
「来たわね、掛けなさい」
できるだけ威儀を保って命ずる。
エルガンがもう一つ椅子を据えると、アイランは片手で事も無げに扉を閉め、貴婦人のように静かで無害な歩みで大人しく座った。
その姿もまさしく淑女といった優雅さだったが、淀みもぶれもない姿勢は確かな身体能力に裏打ちされたものである。
「さきほど御伝言いたしました通り、ヴェシュト・ナラガッハⅢ世より連絡が」
静かな声色には、脳を痺れさせるような危険な魅力があった。
アッサルートとエルガンは警戒を払う。しかし、ガニツはさして興味なさげに指輪をいじっていた。
ヴェシュト・ナラガッハⅢ世。北の果てコー・ナイルで暴力団"什長のファランクス"を率いている男である。
"兵の魔女"が魔女協会領に戻ってから、彼女を介してアッサルートはこの男と連絡を取っていた。
「中身は?」
「デ・タンダの忍びがコー・ナイルへ侵入した方法がわかった、と」
コー・ナイルに侵入してクロスを害そうとしたデ・タンダ人の工作員。
ヴェシュトはその足跡をずっと追っており、彼にとってこの件は魔女と手を組むきっかけにもなっている。
「予想通り、王都からの増援部隊の荷物に潜み、紛れて侵入したようです。関わったと見られる兵士たちも行方不明となっており、隠れたか、始末されたかと」
「王都以前の足取りは?」
デ・タンダ人はアーゲルンが大勢力を築いていた時代に、その支配と侵略に抵抗し続けていた民族だ。
最終的にはアーゲルンを倒し、併呑したハーバント家に降伏したことで武力集団としては解体されてしまう。
多くのデ・タンダの戦士は正規軍に組み込まれ、彼らが培った忍術や武技もそこで途絶えた。
然るに、その技と伝統が現代に存在しているということは、復活を遂げたか、単なる残党か、無頼の武芸者か。
つまりあのデ・タンダ人にはどれだけの後ろ盾があるのか、知っておく必要があるのだ。
新たな敵はただの一人の殺し屋なのか、暴力結社なのか、生活や生産といった土台の上に立つ勢力なのか。
それを知るために、あのデ・タンダ人がどこから来たのかは知っていなくてはならなかった。
「どうやらゾルイン・ポータルからヤイコバの地下坑道を通り、アンガナス大鉱山であらかじめ買収した隊商の荷物に忍び込んだようです。それが王都に届けられ、増援部隊の荷物に乗り換えたのでしょう」
だが、その言葉には思わぬ収穫があった。
アンガナス大鉱山。まただ。
全ての事象がこの地を経由して起こっている。
確実に、何かがある。あまりにもあからさまなほどに。
おそらく彼の地は既に敵地も同然だろう。
しかし、だからといって手をこまねいている訳にもいかない。
「あなたたちには、今のうちに言っておくわ」
机に肘をついて手を組み、改めて目前の三名を見据える。
エルガンは微動だにせず、ガニツは組んだ足をぷらぷらさせて指輪をいじりながらも目だけはこちらを見ている。
アイランは淑やかに、大人しく座ったまま微笑みを浮かべていた。
「『スゥガ・タムト写本』のことは、全員知ってるわね? ここにきて、その存在が浮上してきたわ」
だが、この話には三人とも反応を示した。
エルガンとアイランはぴくりと姿勢を震わせ、逆にガニツはぷらぷらさせていた足と指輪をいじっていた手を止めた。
「まだ推測の段階だから詳細は話せないけれど、これまでの話を総合するに、アンガナス大鉱山は相当にクサいわ。反統王連衡の拠点が置かれている可能性が高いでしょう」
フェルマーの"失われた四ヶ月"を強奪しようとしたカーギ・カリンの過激派。
コー・ナイルに潜入した前時代の名残デ・タンダの忍者。
ゴーレムの魔力炉に刻まれたマードックの乱数暗号。
全ての手がかりがアンガナス大鉱山を指し示している。
「そして『スゥガ・タムト写本』は反統王連衡が持っている可能性がある。"失われた四ヶ月"はフェルマーが誰も信用することなく独りで隠したおかげで、運良く私たちが先に確保できた。でもあの写本は、組織的に隠蔽され、継承された。インジック卿の手によって」
「インジックぅ?」
ガニツの眉間が歪み、不快そうな声が響く。
「あンのクソジジイが連中に一枚噛んでるわけぇ?」
「いえ、反統王連衡には直接関わっていないはずよ。意識朦朧とした150歳の寝たきりじゃ何もできないし、写本を作った時でさえ90前後の高齢で……あっ」
自分で説明しながら、気づいた。
そうだ、写本を作った時、彼は既にかなりの老齢。
そんな人間がたった一人で、膨大な文量の写本を数日以内に作れるだろうか?
不可能だ。体力的にも物理的にも、できたはずはない。
だとすれば、誰かに手伝わせたはずだ。
それがもしや、フェルマーの師なのか?
その者のことを調べなくては。
「……『スゥガ・タムト写本』の内容は、生命と知性という広範な概念に対して、あらゆる角度から切り込んだものだと言われているわ。スゥガ・タムト自身、存命中はずっとそれを研究してきた。連衡はそれを使って"何か"をしようとしているわ」
「"何か"って何よ?」
「わからない。実験か、革命か、欲求の実現か、連中の目的は結局わからないのよ。統王の秩序に逆らう行動や、三角連衡を政治的にも思想的にも引き継いだ存在だろうってところから推測しているだけ。でも、統王を倒し秩序を破壊したあとの明確な幻想を、奴らは持っているのかもしれない」
「それを、突き止めるのですね?」
"兵の魔女"が獣じみた、潰す笑みを見せる。
大好物の血の予感を嗅ぎ取っているのだ。
それはおぞましくも、頼もしい。
「つまり、こういうことか?」
エルガンが巨体を傾けて身を乗り出す。
「奴らはアンガナス大鉱山に『スゥガ・タムト写本』を持ち込んでいる」
可能性としては、大いにありうる。
だが、可能性だ。
「調べなくてはならないわ、可能なかぎり速やかに。アンガナス大鉱山を調べ、もし写本を発見したら回収する。金属ゴーレムをどこでどうやって作ったのかについても調査が必要ね」
無論、大々的な調査は行えない。
少数で、素早く、敵地での妨害をハネ除けながら動く。
しかも援護なしで。
そんなことができる者など、一人しかいない。
「……"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデル、頼めるかしら?」
命ずるのとほぼ同時に、アイランは歯を見せた。
その笑顔はほとんど、捕食の前兆だった。
「仰せのままに」
即座に椅子から立ち上がる。
困難かつ重大な任務を帯びながら、遊び場へ繰り出す子供のような身軽さで。
その様に不安を覚えとっさに「待った」と呼び止めた。
「ただし! 必ず同行させること──」
鼻で笑ったようなエルガンの息遣いが重なる。
ご主人のやり口や心算は熟知している。
彼女が何を命ずるつもりなのかを察し、そのおかしさに思わず笑ったのだった。
「──"バケツのデイジー"を」
対照に、アイランの表情は曇った。




