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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
軍の章
145/211

軍の魔女 30

二ヶ月半が経った。

ダグナマンバ大要塞での暮らしにも慣れた頃だったが、雪も緩み始めた。

クロスは旅立たねばならない、次の目的地へ。

防寒着を着込み、荷物を背負い、靴に革と藁を巻く。

緩みだしたとはいえ、雪自体はまだかなりの量が積もっている。

馬車やトカゲ車ではなく、歩いて南下するしかなかった。


もっとも、自分以外にも大要塞を出る者は何人もいる。

ここを突破した"地走り"はポータルとともに全て消滅したはずだが証拠はない。

確実に安全と言える夏までは警戒する必要があったため、哨戒網を維持できる兵力を送り込んでいるのだ。

無論、村に帰る民間人たちも一緒だ。彼らに混ざってクロスも旅立つのである。

彼の周囲は、彼と同様に旅立つ準備を整えている者たちで溢れていた。


立ち上がり、ランタンを掴もうと手を伸ばす。

一瞬だけ、その手が空中で止まった。

芯に灯る光は、もう無いのだ。

"尽きぬ種火"は尽きた。

この旅で幾度も助けられ、常に傍にあった光。

旅に出ようという今になって、失ったものが如何に大きいものだったか……


トッテンバットのことを思い出す。

失われたもののために自分ができるのは、旅を続けることだけなのだろう。

ランタンを掴み、腰の金具に固定した。


「早いもんじゃのう、季節の移ろいは」


聞き覚えのある声が背に浴びせられる。

振り返ると、ヘリルメリアが満面の笑みで手を上げて「や!」と挨拶しながら歩いてきていた。

両脇にレレザルとサイラスを従えて。


「メリアさん! と、レレザルさんとサイラスさんも、ここにいていいんですか?」

「派遣する部隊の見送りと確認も司令の仕事だ。それに、我々はわずかな時間指揮官が外れただけで崩壊するような軟弱な軍ではない」

「おいおい! 形の上では司令官はまだわしじゃぞ!」


握りこぶしを突き上げてぷりぷりと抗議してみせるヘリルメリア。

統王からの直接の辞令が正式に下るまでは、まだ彼女が要塞の総司令である。

外界との連絡がようやく取れるようになったばかりの今の時期に、その辞令が届いているはずもない。

意向そのものは、相互紙が使用可能になってから魔女協会を通じて伝わっているはずだ。

実際の組織運営も、今はサイラスが行なっている状態である。

解放された彼女の、屈託なき姿に思わずクロスも笑いがこぼれた。


そんなクロスをびしっと指差し、声を張る。


「クロス! ここには、総司令としての最後の仕事に来たのじゃ」


最後の? はて?

などと考えていると、何かを腰から引っこ抜いて投げ渡された。

慌てて抱きかかえるように受け止めると、それは、短刀のようだった。

鞘と柄だけという簡素なつくりで、刃渡りはおおよそ肘から手首までといったところだろう。

少しだけ抜いて刃を覗いてみても、白刃の輝きは真新しきものだった。


「これは?」

「おぬしは従士卒業じゃ。それを認める証として、主であるわしの腰物を進ぜよう。そして上を以ってクロス・フォーリーズ従士官を解任し、名誉除隊とする」

「へ?」


呆気にとられているうちに、ずいっと体を寄せられる。

いたずらっぽい笑みを浮かべながら上目を遣う姿は外見相応の少女そのものだ。


「クロス、おぬしはクビ!」


決定的にきっぱりと言い切られ、思わず「え、えぇえ?」などという情けない声が漏れ出る。

その意図に気づかないような間抜けでもなかったが、あまりにも身も蓋もない言い様に困惑してしまったのだった。


「つまり、だ」


サイラスが進み出る。


「お前は我々からの餞別を受け取ることができるということだ」


てのひらに乗せて、四角く平べったい箱のようなものを差し出された。

手に取ってみると、すべすべした金属製。恐らく鋼と何かの合金だろう。

蓋のようなものがあり、開けてみると、突き出た筒のような機構と、指で押し込める金具のような機構が生えていた。


「トッテンバットの籠手が片方だけ回収できた。そこから発火機構を取り出し、小型の魔力液タンクと組み合わせてまとめたものだ。大した明かりにはなるまいが、手軽な火種にはなるだろう」


親指を立てて、スイッチを押すような動作をしてみせる。

それに従って箱を握り、親指で金具を押し込んでみる。

小気味よい音がするまで力を込めると、筒から小さな炎が立ち上がった。

確かに明かりとしては頼りないが、火種としては十分だし、何より簡単だ。

指を離すだけで即座に消えもする。制御が一瞬でできるというのも、便利に違いない。


「底から魔力液を補充できる。燃料は必要だが、役に立つだろう」

「ありがとうございます、大切に使わせていただきますね」


丁重に礼を述べて、ポケットにしまう。

すると今度は、レレザルが小さな巾着を二つ差し出した。

「あっ、ありがとうございます」と恭しく受け取り、早速中身を見てみる。

そこにあったのは、何の変哲もなさそうな石だった。一つの巾着に一つずつ、である。


だが、クロスにはそれが何なのかがわかった。

二ヶ月半の間、彼がこなした主な仕事はレレザルの手伝いである。

その中で、この寡黙な火術士の手法は知っていた。


「これは……いいんですか? すごく貴重なものじゃ」


こくり、と頷くレレザル。


「ここじゃ、使えない、小さすぎ」


「だからとっとけ」まで言うと、うつむいて再び押し黙ってしまった。

この二つの石は、温石と冷石だ。それも普通の石ではない。

ただの石を焼いたものではなく、魔石をもとに作られる魔道具で、魔力で表面を覆うことで熱の移動を一方向にすることができる。

つまり石に温度を貯め込むことも、貯め込んだ熱を放出することもできるのだ。

石そのものの耐久性という限界があるためガル・プリズムほどの出力は望めないが、魔力で包めば常温に置いてもどんどん熱くなっていくため、熱源にできるという利点がある。

冷石は刻まれた術式によって氷魔法を再現可能な魔石で、術式が壊れない温度までなら冷気を放出できる代物だ。

本来魔力の消耗が激しい冷気の魔法が簡単に扱えるようにはなるが、磨耗した術式を維持するためにこまめに手入れと刻み直しをしなくてはならない。

とはいえ、暇な時間の多い旅の道中ではあまり問題にならないだろう。


「ありがとうございます、大切にします」


巾着の口をしっかりと閉じて懐に入れる。


「で、わしからはこれじゃ」


最後に、何かをぽんと胸に押し付けられた。

包むように受け取ってみると、それは小さくも分厚く縒れて膨らんだ、一冊の手帳だった。


「これは?」

「以前言ったじゃろう、わしの師、ナン・シーラ=アル・バヴツの言行録原本……を、はじめに写したものじゃ」

「えっ、そんな、大事なものを」

「構わん構わん、中身はもうぜーんぶ頭の中に入っておるでな。どうせ何年かすれば、おんなじものが大量に出回っておるんじゃから。旅の道中、退屈になれば何よりも本は最高の供となろう!」


軽く開いてみると、全てのページにびっしりと、正確な筆致で文字が詰め込まれているのがわかった。

確かに、退屈はしなくなるだろう。少しだけヘリルメリアから伝え聞いたような彼女の話が、この文量で詰まっているのならば。


「ありがとうございます、しかと読ませていただきます」

「うむ! 感想を聞かせいよ!」


その時、号令が響いた。

部隊を率いる隊長の、出発を報せる声だ。

言行録はひとまず荷物の端に押し込み、慌てて防寒用の布を顔に巻く。

周囲ではすでに、開かれた門に向かって人々が歩き出していた。


「それでは、皆さん、お元気で!」


三人に手を振る。

サイラスはただ軍礼を取り、レレザルは視線のみを向け、ヘリルメリアは手を振り返した。

約三ヶ月。旅の中で、これほど長く一つところに留まったのは初めてだった。

寂しいような気持ちもあるが、大丈夫だとわかっていた。

これが最後ではない、と。

この場所はもう大丈夫。ならば、また会える。


ただ、ひとつ。


「温泉は、惜しいなあ……」


人波に混ざり、紛れ、消える。

その後ろ姿を、三人は見送っていた。

冬は終わり、春が来る。厳しい季節が終わり、穏やかな暖かさがやって来る。

だが、もう、厳しい季節を恐れることはないだろう。

自らの意義が消え去ること。それが兵士にとって最上の誇りなのだから。


ダグナマンバ大要塞。

その重々しき石は、永きに渡る役目と重責と歴史から、解放されたのだ。

それは歌も祝いも宴もない、静かな勝利だった。

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