軍の魔女27
「トッテンバットさん! 時間を稼いで!」
「どうすりゃいいんだ!」というトッテンバットの言葉にそれだけ返すと、クロスは真下に炎を押し出した。
雪面を炙って溶かし、下へと掘り進んでいく。
真上でも真下でも噴き出す炎の音が響き、毛皮の服の内側では熱と冷気が渦巻いた。
ほとばしる汗が瞬く間に冷やされ、その肌をまた炎の熱がなでる。
その繰り返しを続けながら、どこまでも雪を掘り進む。
急がねばならない。
だが、どこだ。
そもそもあるのか?
時間がない。信じて掘り進むしかない。
焦る心と、ちぐはぐな熱と冷気が歯を噛み締めさせる。
しかし、彼は幸運だった。トッテンバットの姿すら見えなくなるほどの深さに至った頃、目的のものを見つけられたのである。
それはなめらかな金属板だった。
掘り進んでいるうちにぶちあたったもので、耳を傾けながら叩くと音が反響した。
この下が雪なのではなく、空洞のようなものがある証拠。
さらにいえば、この金属板がなんらかの構造体の一部である証拠だ。
懐の奥深くを漁り、ひとつの小さな黒い小石をつまみ出す。
ガル・プリズム。これは実験の失敗作のひとつだが、"光の魔女"とクリン・ヴィ・カントが何かの役に立つだろうと持たせてくれたものだ。
使い方は既に心得ている。金属板に向けてかざし、カンテラを近づける。
"尽きぬ種火"の魔力と熱が吸い込まれ、小石の中で細い一本の線に束ねられる。
自分の魔力で方向を定めて圧力を加えれば、飛び出したエネルギーは細い光線として照射され、金属板を焼き切った。
人ひとりが通れるほどの穴が開くまで小石の耐久力が保つものか心配だったが、なんとか持ちこたえてくれた。
赤熱し、劣化した小石は光線の照射を終えた瞬間に崩れ去ってしまったが。
哀愁に浸る暇もなく、躊躇する余裕もなく、即座に穴に体をねじ込む。
中に入ったクロスが目にしたのは、この上なく複雑で緻密な機械とケーブルで構成された空間だった。
なんとか体を滑り込ませられる程度の空間の他には、一体何のためやらわからない装置が目一杯に詰め込まれているのだ。
指先に当たるネジ一本の手触りすら、クロスには未知の感覚。
それが、彼の四感いっぱいを埋め尽くしているのだ。
この中に、いったいどれほどの古く、そして真新しい技術が満載されているのだろう。
まさしく世界を変える力だ。もし人間社会に解き放たれれば……
「すごい」
めまいに似た感覚と共に、嘆息を漏らす。
だがすぐに呆然とした思考を切り、頭を振って気を取り直した。
学術調査のために来たのではない。あるものを探しに来たのだ。
カンテラを掲げ、"尽きぬ種火"の微かな炎の揺らめきを注視する。
入って来た穴から風が吹き込んでいたが、炎は風向きと異なる方角を指し示した。
その方角へと、クロスは這い進む。
脇目も振らず、全世界の魔女や魔道士がよだれを垂らしそうな超技術の数々を視界に入れずに。
やがて、いくつもの配管が集中する一つの巨大な容器の前に到着した。
まるで巨大な魔獣の檻か、巨獣そのものであるかのように、クロスを威圧し、拍動すら感じさせる威容。
カンテラの炎はその檻へと、吸い込まれるかのように傾いでいた。
分厚く、高密で、中に封じられているであろうものの片鱗すら漏らさぬ大容器。
その形状には覚えある面影があった。
"石の魔女"のところで見た、火のエレメンタルを封じた魔力炉。それを遥かに巨大にしたもの。
(これだ、これが、あの"毒の偏光炉")
伝承されるカシィ地方の神話、というより噂のような言い伝え。
古代錬金術文明カシッド・イルでは"毒の火"が用いられた。
それは何よりも熱く、岩も鉄も土も水すらも溶かしながら沈む穿ちの炎。
光を浴びるだけで命あるものは蝕まれ、命なきものは崩れ落ちる。
封じ込められるのは毒の火の雫で鍛えた金属のみであり、その容器が"毒の偏光炉"なのである。
(言い伝えが本当なら)
"尽きぬ種火"を近づける。
種火の炎は激しくもならず、大きくもならなかったが、ただ、青みを増した。
熱量の高まりを感じる。カンテラを持つ手までが熱さを感じ始めた。
その時、炉の内側から音が響いた。巨大な鉄板をハンマーで叩いて、それを金属樽の中で反響させたような音だ。
つまりは、この巨大な炉が軋む音である。
"毒の火"はたとえどれほど小さくなろうとも、大地の上に命ある限り決して燃え尽きないという。
火気に呼応し、ひとひらの火花からでも火山を噴火させる。
ましてや"尽きぬ種火"ならば、いくらでも再燃しようというものだ。
この炉には、まだ火が残っている。
その確信のもと、カンテラを両手で引っ掴み、魔力を注ぐ。
青い炎はより長く、激しく伸び、毒の火をかき立てて引き寄せる。
炉が歪み、軋もうとも、その残滓の最後のひとかけらまでも引きずり出す。
分厚い金属板がひん曲がり、つねり上げたパン生地のように隆起し、その頂点は赤黒く変色した。
それら全てが限界に達したのを報せる金切りの悲鳴が上がって尚、引き続ける。
やがて一点が臨界を超え、裂き割れる音がクロスの耳を打つ直前に──
「んグッ!?」
──その音よりも速く、太陽光よりも白く、空よりも青い、一筋の光が彼の体を打った。
正確には、彼が持つカンテラの"尽きぬ種火"へ、だが。
「ぐっううぅぅゥゥゥ……!!」
歯を食いしばっても呻きと汗をこらえきれない。
"尽きぬ種火"へ注がれる莫大な力と熱、急激に膨張しながらまた、それを種火という形に押し留めようと収縮する力。
その二つが彼の眼前でせめぎ合っているばかりか、直接手で握り締めてすらいるのだ。
凄まじい衝撃と振動と熱。この"尽きぬ種火"が生半なものであれば、漏れ出る熱量だけで彼の体は一瞬にして蒸発していただろう。
その恐るべき力たるや、毒の火を吐き出し続ける炉そのものが破れ目より溶け、ねじれながら光に巻き込まれ吸収されている程である。
物質が純粋なエネルギーへと変換されてしまうほどの温度。
それが今、クロスの持つカンテラへと注がれているのだ。
最も寒い地で指の皮は焼け焦げ、目を開けていられないほどの閃光に全身が包まれる。
この身に、毒を受けている。
それは承知だ。だからこそ、彼は四肢に込めた力を緩めるわけにはいかなかった。
いつ終わるともしれない苦痛。己が命が燃え尽きる前に成し遂げられるものかは、完全に賭けだった。
自分が生き残れるものかどうか。それはただの運だった。
そしてクロスは、その賭けに勝った。
ついに、"尽きぬ種火"は毒の火を全て吸収したのだ。
閃光が消え、全身にかかる負荷が途切れたのだ。
真っ先に取った行動は、膝をつくこと。荒い呼吸を繰り返し、うなだれたまま、ただ金属の床に滴る汗を見る。
だが、呼吸を整える暇も、体に残った苦痛に喘ぐ時間もない。
すぐ真上では、二人が死にかけているのだ。
休んではいられない。
カンテラを見やると、"尽きぬ種火"はおよそ二倍ほどに膨らんでいた。
戦慄くように震え、全身のひび割れから漏れ出させている青色の光と炎はまさに臨界状態。
いつ解放されてもおかしくない莫大なエネルギーをなんとか、かろうじて皮一枚繋ぎ止めているのは明らかだ。
それはつまり、クロスの目論見に成功の目が出てきたということを示していた。
歯を食いしばり、カンテラをできる限り高く掲げる。
狙いは一つ。まっすぐ見据えて、残った魔力を振り絞る。
不安定で爆発寸前の種火は、まさに決壊寸前の堤だ。
壊れる寸前の、最後の煌めきであり膨張。
小さくも力強き火は幾万もの時を刻み、そのたゆたう歴史の中で全てを静かに見守って来たはず。
その中にあってクロスは偶然出会った、単なる瞬く閃光。歴史に埋もれる砂の一粒のはずだった。
その彼が、悠久なる歴史の終わりを見送るのだ。
彼個人にとっても、何度、旅の中でこの火に助けられたことか。
何度、助けたいと思った人をこの火で助けさせてくれたことか。
別れを告げるかのように、青い火が一際大きく、それでもゆっくりと、揺らめいたように見えた。
「──今まで、ありがとう」
応えるように呟き、渾身の力を心臓に込めて魔力を打ち出す。
弱々しい魔力の奔流であっても、種火の危うい均衡を崩すには十分だった。
傷から吹き出した炎は推進力となり、種火自身を焼きながら、カンテラから飛び出させる。
それは燃え盛る流星のように幾重もの金属を焼き貫き、分厚い氷をも貫通し、雪面を溶かしながら突き破った。
「なんだ!?」
ついに炎陣も途切れかけた中で、トッテンバットは守るようにヘリルメリアを抱えていた。
だが、雪面を氷の軍勢ごと突き破って飛び出した一筋の炎に、視線を奪われた。
白い嵐の中にあって、その輝きは何にも溶け込むことなく、何よりもまばゆかったのだ。
そして、その輝きに目を奪われたのはトッテンバットだけではなかった。
氷の怪物、ポータルの目、スラマウズが見た巨大な氷の目が、光を見ていた。
ポータルの移動も忘れ、氷の軍勢を操るのも忘れ、炎を見つめていた。
まるで、恋焦がれるかのように。
「そうか……そうか! "尽きぬ種火"か!」
トッテンバットが叫ぶ。
「エレメンタルが求めるのは魔力! たとえ破滅するとわかっていても、炎に惹かれるのは止められねぇ。だから奴は俺たちに気づいたんだ、クロスの"尽きぬ種火"を狙って! なんのこたぁねぇ、高等だろうと下等だろうと同じ、奴は雪海原のエレメンタルと同じだ!」
氷の触手が、ゆっくりと、うねりながら炎へと伸ばされる。
その間も、視線の全ては注がれ、氷の軍勢は氷像も同然だった。
「そんなら、そんなら、くれちまえばいいんだな! そうなんだなクロス!」
冷気で勢いが弱まり、種火は空中で静止した。
進みはせぬが、落ちもせず、縫い止められたように。
扇情的ですらある青色の炎を振りまき、慎ましく拍動を刻む。
触れたい。
貪りたい。
吸い尽くし、取り込み、我がものとしたい。
そのような欲望すら感じさせるような手つきで、氷の怪物は触手を伸ばす。
そして、ついに、先端がその愛にちとん、と触れた。
膨張。魔力接触。吸引。ベクトル固定。
臨界、臨界、臨界!
瞬間に、種火は膨張し、触手は発火した。
燃える氷という矛盾は、膨大な魔力と熱が一挙に流入した証。
陶然とした酔いは冷め、エレメンタルの本能の天秤、片側に傾き切っていたそれが一気にもう片側へ振り切った!
即ち、生存!
目は見開かれ、叫びのような甲高い破裂と擦過を轟かせながら、遠くへ伸ばしていた触手を自切。
未練がましく光へ伸ばしていた手は炎を振り払うように暴れたが、全ては手遅れであった。
魔力を取り込もうとするのはエレメンタルの本能であり、制御不可能な反応。
故に、"尽きぬ種火"に触れた瞬間、魔力を吸収し始め、その通り道が穴として種火を穿った。
些細な針穴ではなく、ハンマーによる一撃。
限界だった堤に穴が開けられたのだ。
ならば、起きることはただ一つ。
決壊である。
目もくらむほどの光、種火は業火と化し、秘められた力を全て解き放った。
濃縮された魔力の爆発は煮詰めた炎のような紫色で、氷を、空気を、音を染め上げた。
絶叫が響き渡り、吸い込む暴風が巻き起こる。
この世を創りし力の一部にして破滅の炎。死と生をかき混ぜる力の爆発にさらされ、巨大な氷は空気を引き込みながらポータルへと逃げ帰った。
必死さのあまり、かえって爆風と熱をポータルの奥へと巻き込みながら。
はからずも、その熱と魔力を手にするという願いを叶えながら。
地吹雪を、風を、熱を、氷を、叫びを、全てを歪めて引きつける。
そして、幾度かのまばたきほどの時間が経つと、静寂が訪れた。
顔を覆っていたトッテンバットが見上げると、そこには、何もなかった。
ポータルも、氷の触手も、目も、雪も、雲もなく、青空が広がっていた。
周囲の氷エレメンタルが、いや、氷の塊がどさどさと物言わぬ凝固体として倒れ伏す。
ポータルは消え去った。
奴は、尻尾を巻いて逃げていった。
それは、つまり、
「やった、やったぞ……」
"勝利"だ。
「やったぞおおおおおおおお!!」
両腕を振り上げ、咆哮を響かせる。
反響がどこまでも響き渡るほどに、雪原は広く、空は晴れ、冬は穏やかだった。
一体このために、どれほどの歴史と血が注がれてきたことか。
カシッド・イル古代錬金術文明、北の果ての民たち、ダグナマンバの守り人、冬と氷の脅威の只中で立ち続けてきた者たち全ての宿願。
とうに諦め、要塞に引きこもってやり過ごしていた夢。
彼らはずっと戦っていたのだ。身を切るような寒さの中、身を切らんとする氷どもと。ただ生き延びるためだけの、報われぬ戦を。
それが果たされた。報われたのだというのだから、叫ばない訳にはいかなかった。
他の何を置いても。
涙とともに噛み締め、喜ばずにはいられなかった。
守ったのだ。
これまで守ってきたものを、守りたいと望んだ全てを。
「そうだ、クロス、どこだクロス!」
ヘリルメリアを抱えて立ち上がり、周辺を捜す。
見渡し、氷エレメンタルの残骸をどかして、見つけた。クロスが雪面に開けた穴を。
「クロォォーーーース!」
あらん限りの声で呼びかける。
壁面に跳ね返りながら奥へと声が響いても、返って来る音はなかった。
もしや、もう……。
最悪の想像を振り払い、雪面に毛布を敷いて一旦ヘリルメリアをそこへ寝かせた。
それからすぐに、底まで見えぬ穴へ滑り込む。
"尽きぬ種火"を犠牲に捧げ、命を危険にさらしながら冬を倒した。
そんな男がこの先にいるのだ。必ず助け出さねば。
昨年から、私的な問題のためモチベーションがほぼ壊滅して長らく時間を空けてしまいました。
以前より大幅に頻度は落ちるかと思いますが、今後とも更新は続けていける程度には回復しましたので、これからも本作をよろしくお願いいたします。
告知もなく長い間お待たせして申し訳ありませんでした。




