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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
軍の章
139/211

軍の魔女26

ポータルへ向けて歩む三人を阻むものは、暫し無かった。

強いて言えば吹き出る魔力の圧ぐらいだろう。

各々の体内にある魔力と勝手に共鳴し、肉体に痙攣のような不随意運動と痛みすら走る。

近づけば近づくほど魔力は瘴気のように濃く、三人を蝕んだ。

空気や光まで歪むほどの高密度の魔力である。寒さしか防げぬ装備では、火の中に裸で飛び込むようなものだった。



「メリアさん、これ以上、は」



たまらず弱音を吐いてしまう。

声を発すれば意図せずよだれが垂れ落ち、雪の上で凍った。

魔力の影響で口内の筋肉までもが震え、唾液の分泌が促進されているのだ。

言葉もうまく形にならず、はっきりと口を動かす意思を持たねばならなかった。


「まだ、じゃ。ポータルを増やす、力の、原理を、解明するの、じゃ!」


ヘリルメリアも全身の力を振り絞って耐えていた。

スラマウズの目に潜む何かは、大要塞の目前に新たなポータルを開こうとした。

あの調子で世界の至る所に大穴を開けて回られては、ことは北部の問題に収まらない。

世界のためにも、ダグナマンバのためにも、ポータルへの対処法を探らねばならないのだ。

せめて、あと一歩。その連続で三人はなんとか立っていられた。


しかし、肉体と魂が限界を迎えるよりも先に、彼らの体は突風に弾き飛ばされた。

それは風というよりも衝撃そのものであり、ポータルから放たれた、低く轟く異音だった。

空気そのものが震え、衝撃となるほどの音。

三人は、吹き飛ばされたことよりも、その音によって叩かれ、揺さぶられた耳と脳の違和感を優先せざるを得なかった。


「い、今のは」


耳を押さえながらも立ち上がるクロス。

隣ではすでにヘリルメリアが起き上がっていたが、彼女の視線はポータルへと注がれていた。


「わしらに、気付いたのか!?」


叫んだ直後、ポータルが凍り始めた。

じわじわと霜が張るように氷が広がり、斑点状の氷は中央より隆起していく。

物理的現象ではあっても、物質ではないポータルが凍ることなどあり得ない。

ならば、この現象の意味は一つだ。


「来るぞ!」


氷の隆起が、先端として突き出る。

大要塞を襲った巨怪、氷の触手と同じものが現れた。

三本だけではない、この巨大ポータルの大部分を埋め尽くすほどの、五十を超える群だった。

その一本一本が、ひと薙ぎで都市を更地にできるのだろう。


魔力の波が更に強くなる。

濃い波動は風すら生み、晴れた空の下を瞬く間に地吹雪で覆い尽くした。

うねりながら伸びる触手の群はぼとぼとと大量の氷の粒を落とし、それらは己を取り巻く雪を取り込みながら成長して一つのエレメンタルと化す。

そしてポータルの中央からは、深海より浮き上がる鯨が如きものがゆっくりと、堂々と姿を見せた。

海に浮かぶ氷山にも似たそれは、ぎょろりと回転するのと同時にひび割れる。


その、ひびの形こそが、まごうことなき"目"であった。



「エレメンタル、だ」



クロスの呟きに、思わず他の二人が目を向ける。

魂が抜けたように呆然と"目"を見上げながらも、彼は独り言のように続けた。


「独立した、エレメンタルの群じゃない。一つの個体なんだ。軍勢の長なんじゃない、全部、一部なんだ。かけらに過ぎないんだ、塊も"前線基地"も"地走り"も"つぶて"も氷の巨人もグラヤ・ナガも」


見上げる視線の先で、氷の目が軋み合う氷床の音を立てながら、三人を見下ろした。

それは巨大な氷の塊ではあった。膨大な魔力の波の発生源ではあった。冬そのものの神ではあった。


「そして、あれさえも」


だが、そこに魔力の核は無かった。

本体ではない。あの触手も目も、ポータルから覗く、ごく一部の末端に過ぎない。


もしそうならば、それは途方もなく、想像すら及ばぬ程の……



「あいつこそが、まさに氷の軍勢なんだ」



直後、轟く異音が再び発された。

触手を震わせながら汽笛のように響く音は地吹雪ごと三人をまたもや吹き飛ばした。

威嚇のような身じろぎの音ですら、人間を紙のように吹き飛ばす。

ヘリルメリアが突起を深く突き立てながら二人を掴んでいなければ、雪海原まで叩き出されていただろう。


そして、彼らが身動きできぬ間に、氷の触手は彼方に霞む雪丘や氷山を粉々に砕きながら広がった。

回り込み、雪原そのものごと三人を包囲したのだ。

氷の触手は今や三人を取り囲む氷山山脈となり、平らな雪原は一瞬のうちに盆地となった。



「退路を断たれた!」

「やはり彼奴には知性があるようじゃのう! あんなクソバカデカい魔力の塊ならば、まあ魂などなくとも擬似神経構造の万や億なぞあって当たり前じゃがあのう!」

「ポータルを開けたのも、あいつの魔力でしょうか!?」

「それは分からぬ! じゃがここまで広げ、育んだのは彼奴の莫大な魔力と数千万年にも及ぶ時間じゃろうな!」

「数千万年!? エレメンタルがそんなに長く存在できるはずが」

「"源の魔女"が仮説を述べておる! 魔力は基本的には分散し希釈され均一化するが、莫大な量が高密度化し、ある一定の閾値を超えると収縮に転ずるとな! 極限まで圧縮された魔力による完全なる真空! 無物質の魔力地獄に比べればいま我らが感じておるこれなど、そよ風にも劣る余波に過ぎぬよ!」

「仮説は、実証されそうですね!」


「二人ともそこまでだ! 氷の軍勢がやってくるぞ!」



雪面を全員が再び踏みしめ、またもや襲い来る地吹雪に手をかざした時、指越しに氷の軍勢が押し寄せて来るのが見えた。

取り囲む氷の触手から剝がれ落ち続ける氷は即座に単一のエレメンタルと化し、そう定められているかのように殺到する。

巨大な氷の目にとって余波に過ぎない魔力でも、少し凝り固めて切り離せば即座にエレメンタル化する。

最も簡単で単純な氷塊の群が、互いの体をぶつけ合わせ、擦り合わせながら迫った。



「走れ!」



言うが早いか、三人は一斉に駆け出した。

方向は敵がそびえる本丸たるポータル、ではなく、反対の雪海原。

こちらは三人で相手は軍勢、あるいは世界ひとつぶんの魔力。

かなうはずもなく、一斉に逃げ出す他はなかった。

その方向も、結局は氷の触手に塞がれてはいるのだが、他に走るべき方向も無かった。

何をどうすべきか、話す時間も考える時間もなく、ただ行動せねばならない時だった。


ただ、走れば、少なくとも軍勢に完全包囲される未来を先延ばしにすることはできた。


雲霞のごとく、あるいはそれ以上の軍勢が迫る。

そこにまずトッテンバットが籠手の楔を打ち込んだ。

火を吹きながら飛び出した一対の籠手が、先頭の二体を殴り砕く。

砕けた残骸に真後ろの氷塊が足を取られ、回り込まざるを得なくなる。

それは一瞬だけ生じる、軍勢の裂け目、あるいは隙間だった。

その隙間を、砲弾と化したヘリルメリアがこじ開けた。

両腕と両脚の擬皮を脱ぎ、目一杯引き絞った両脚のばねで突撃したのである。

ひとつに束ねた両腕の突起が氷塊を一撃で砕き、飛び散った破片が周囲の敵をさらになぎ倒した。


全ての擬皮を脱ぎ、突起を展開しつつ回転。

刃の竜巻が氷塊の足を切り裂き、軍勢の隙間を深い亀裂へと変える。

それを繰り返し、黒い刃を振るい、叩きつけ、切り裂き、砕き割る。何度も繰り返す。

近づくもの全てに力の暴乱を衝動のまま激突させ、その全てに勝利した。


"兵の魔女"の流れる舞のような洗練された暴威ではない。

荒れ狂う獣、のべつまくなしに荒れる嵐の暴力。

全身全霊を以って暴れるハンターの姿と、それでも無機質な金色の目の輝きに、クロスは一瞬息を飲んだ。


だが立ち止まる暇はない。

トッテンバットとクロスは全力で駆け、ヘリルメリアの後に続いた。

己らも拳を振るい、カンテラから炎を吹き出して、周囲の敵を牽制しながら。

先頭に立って聖者のように敵の海を切り裂く司令官を、二人は必死に追った。



(あれが、ハンター)



人類の天敵。頂点捕食者。天に最強の生物たれと宿命づけられた獣。

一瞬のうちに十数体のエレメンタルを地ならししながら、猛然と突き進む。

彼女ならば、あるいは。

このバカバカしく大仰で壮大な包囲を突破できるのかもしれない。



そう思い始めた時、黒い破片が飛び散った。


ヘリルメリアが足を止める。

止めざるを得なかった。


全身に走った衝撃と共に、彼女の腹には穴が空いていた。


その穴にねじ込まれているのは──



「"地走り"だ!」



トッテンバットが叫ぶのとほぼ同時に、ヘリルメリアはどてっぱらにぐいぐいと押し入ろうとする"地走り"を引き抜いて握り潰した。

青みがかったどす黒い血が滴り、純白の雪にシミを残す。

それと共に、口からも不意に同じものがあふれ出た。

胃か肺に傷を負ったのだ。


『見、事』


咳き込みながら口をついて出たのは、賞賛の言葉だった。

大軍勢に紛れてごく少数の"地走り"を雪中に伏せ、突破を図る試みを刺す。

圧倒的物量で囲み、完全な優位にあっても油断なくこちらを殺す算段を詰める。

ヘリルメリアは笑みさえ浮かべながら、膝をついたのだった。


「"炎陣"だ! お前は後ろ! 俺は前!」


トッテンバットが彼女の傍に滑り込みながら、両腕の籠手から燃え盛る魔力液を吹き出す。

炎の放射が一瞬、氷塊を遠ざけた隙にそれらを半円を描くよう雪面に放射。

ヘリルメリアを中心とした半円状の炎の壁となって燃え上がった。


残りの半円は、クロスがカンテラの炎を押し出して作った。

強力な種火の魔力を存分に混ぜ込み、己の魔力で指向性を与えた魔力の炎。

魔力液のような触媒や燃料がなくとも、魔力が尽きるまで燃え続ける代物だ。


それを突破しようと氷塊が手を伸ばし、炎の熱にわずかでも触れた瞬間、その部位から全身に熱が波及し、一瞬で溶け落ちた。


炎陣。

エレメンタル除けの魔法の一種である。

エレメンタルは魔力に触れると自動的にそれを内部に取り込んでしまう。

その性質を利用し、高熱の魔力で壁を作れば魔力と共に熱まで吸収してしまい、崩壊するのだ。


これで少しの間、時間が稼げる。


「司令!」


振り向いた時、ヘリルメリアは雪面に横たわっていた。

荒く息を吐き、胸と肩がゆるやかに上下するたび、傷口からは血が吹き出した。

クロスもすぐさま駆け寄り、カンテラの火を近づけて傷口を焼く。

空を裂くようなハンターの金切り声が二人の耳をつんざいたが、出血は止まった。

しかし火傷によって内臓そのものへの損傷は広がっている。


「傷の具合は!?」

「その、かなり、まずいです。ひとまず焼いて塞ぎましたが、なにかの消化器官に穴が……」


傷口を慎重に縛りながら、思わずどもってしまう。

口にするのは憚られたのだ。「即座に手術を要する重傷です」とは、とても。

消化器官の傷は丁寧に縫って埋めて完璧に塞がねば、炎症が深刻化し多臓器不全に陥る。

そうなればまず助からない。生きたまま内臓は腐り落ち、肉体が死体となってから死ぬ。


だが、この状況ならば、まず氷どもに押し潰されて死ぬだろう。

氷塊も"地走り"も炎陣に阻まれて地上では二の足を踏んでいる。

しかし既に氷塊たちは各所ではしごを形成し始めていた。

ダグナマンバの大壁をよじ登るのと同じ方法で、炎陣を乗り越えて上から叩くつもりなのだ。


「くそっ!」


トッテンバットが籠手を飛ばしてはしごを砕く。

だが竹のように次々と生え出るはしごの群れを全て叩き折ることなど不可能だった。

残りの魔力も少なく、そもそも速度もおっつかない。到底防ぎ切れないのだ。

しかしだからといって、諦めるわけにはいかなかった。

足を止めて炎陣を敷き、完全に包囲されてしまっても、足掻かぬわけにはいかなかった。


「メリアさん、しっかり! 立てそうですか!?」


負傷したヘリルメリアへ叫ぶように声をかける。

こんな状況でも生き延びるには、絶対に彼女を失神させるわけにはいかなかった。


「ふんっ、こ、この程度」


突起を雪に突き刺して体を支えて起き上がろうとする。

痛みを噛み殺し、血反吐を飲んでも、震えまでは押さえ切れなかった。

上半身を起こすのが精一杯で、とても飛んだり跳ねたりはできないだろう。



──まずい、このままでは──



諦めを否定しながらも、頭に走った悪い予測。

決して振り払うことなどできぬ、恐ろしい想像が意図に反して浮かぶ。


直後、空気が大きく震えた。

北の地に来てより何度味わったかわからない、山も返るような轟き。

とっさに振り向くと、巨大ポータルの縁が震えながら凍り始めていた。

それだけではない。中央の目が震え、ひび割れながらゆっくりと前方にせり出す。

瞳には風と雪が集まり、渦を描きながらポータルの光が収束する。

生命が存在できぬほどの高密の魔力が目の中央へと集まり、光や空間すら歪んで見えるほどの揺らぎが生じていた。

あまりにも高密度の魔力空間には雪と冷気すら入り込めず、外側にまとわりつくのみ。

その現象がかえって、魔力の外殻を成し、集積魔力の形を表していた。


それが、目と同じほどまで一瞬にして膨らんだかと思うと、光の束を前方に放った。

冬の魔力、雪をまとった白い光線。地平の彼方へと続く白い道。その輝きには見覚えがあった。


ダグナマンバ大要塞に氷の触手が現れた時、ポータルを形作っていた、あの光だ。



「や、はり、な」



それを共に仰ぎ見ていたヘリルメリアが、血反吐混じりに絞り出す。


「見、よ…縁が、凍って、縮んで……魔力が、動いておる……」


話させるべきではなかったが、あまりの事態の連続に、思わず聞き入ってしまった。

そして再びポータルの方を向いた時、ヘリルメリアの言葉が正しいことに気付いた。

ポータルの縁が凍り、それが外側から少しずつ割れ落ち始めているのだ。

内側の揺らぎが中央へ渦を巻いて集まっているのは、魔力の動きを示している。

ポータルを支えている魔力が、急速に放出されているのだ。あたかも雪崩が如く。



「そうか……新しいポータルを作っているんじゃない、移動してるんだ。『北の南に穴ひとつ』、ポータルは、常にひとつだけ。こいつらは、こいつは、途方もなく長い時間をかけて少しずつ、これを繰り返して北からやってきたんだ。世界を、冬で浸食しながら」



ポータルの移動。そのような現象はこれまで観察されたことがない。

ポータルとは水の中を通すガラスの管のようなもの。中を魔力が通っている限り、その圧力によって管の形は保たれる。

いま行われているこれは、管にバイパスを新たに作り、同時に古い出入り口を取り壊すのと同様だ。

理論上は可能であっても、ひとつ間違えれば全体が崩壊する危険な工程。

それを、何度も繰り返しながら、冬は遥か北の彼方から歩いて来たのだ。


「なんだって今そんなことやってんだぁ!?」


トッテンバットの焦ったような声が響く。

戦いながらも、彼は火術士だった。


「雪の下に、無数のカシッド・イル古代兵器が埋まっていました。あれが氷の軍勢を押し留めるためのものだったとしたら、その守りを破壊し、カシッド・イルも滅んだ今、駒を進めるのに何の支障もありません。時機なんです、大移動のための」

「カシッド・イル文明が滅んだのは何千年も昔だろぉ!?」

「あのエレメンタルは間違いなく何千万年、下手をすると何億年も生きています。そういうものにとって、数千年なんてちょっとした誤差かわずかな準備期間でしかないのかも」

「めちゃくちゃな話だ! それでどうすりゃいいんだ!?」

「ポータルは、すべてひとつ。つまりは」


クロスはポータルを指差した。

氷の触手、スラマウズの目、氷の軍勢、吹雪と風、魔力の嵐、光の束、氷そのもの、そして冬。

全てが放たれ続けている、ひとつのポータルを。



「あれさえ潰せれば、全て終わらせられる」



世界に空いた穴。

世界を氷漬けにする、氷漬けになった世界そのものの怪物。

その巣穴を、潰す。


無数の氷に囲まれ、今まさに潰されようとしている微かな希望。

だが、それは確かに未だ存在していた。

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