軍の魔女22
殆ど崩壊した食堂の一角で、サイラスとレレザルが卓を挟んで食事を取っていた。
野菜クズのスープとヤセギモロコシのパンを淡々と口へ運ぶサイラスと、麦粥をちびちびとすするレレザル。
両者に会話はなく、人気のない薄暗い食堂は重々しい沈黙に包まれていた。
しかしどちらも、その沈黙の重みを苦にはしていなかった。
総司令官が北へ出立してから、レレザルは機関室から外へ出ることが多くなった。
と言っても、心境の変化ではなく単に機関室の外でしなくてはならない仕事が大量に彼の身に降りかかったからである。
パイプの修理や再配管工事、解体工事、設備の再建あるいは新設。
それらの工事や設備の点検整備に加えて、要塞火術士としての燃料調合や食料庫の維持といった業務。
更には上記の仕事に必要な各資源の在庫管理と配分までこなす羽目となり、たった一人で果たせる仕事量を圧倒的に超越していた。
だが彼は文句ひとつこぼすことなく、黙々と、正確にはぼそぼそと呟きながら全てを進めていた。
要塞の設備を配管一本、敷石ひとつのヒダに至るまで完璧に記憶し、把握している彼の動きと仕事の進行には一切の無駄はない。
それによって要塞は現状を維持するどころか、温泉と給湯まわりの設備はほぼ機能を回復しつつあった。
半分程度の規模にはなったが浴場は再稼働し、融雪構造は第五郭部をのぞいた郭部全体の70%程度が復活していた。
緊急給湯所も各所に配備し、全員にお湯の配給も実施している。
そのおかげか、穴と隙間だらけになった要塞だと言うのに、凍死者は0人で抑えられていた。
そして、サイラスはと言うと──
「敵襲ーーーーーーーーーーーーーッ」
遠くでこだまする声とともに、角笛の音がかすかに、それでも広く轟き渡る。
サイラスはただちに白湯を一気に飲み干すと、廊下に飛び出した。
その時には既に、兵たちは動き始めていた。
各々が再配置された持ち場へ向かい、百人長たちがそこかしこで発破と点呼をかける。
サイラスが大壁の上に着く頃には、既に壁上の兵士たちは配置についていた。
壁から北を見渡せば、既に見慣れた、見慣れたくなかった光景が広がる。
雲霞のごとく押し寄せる氷塊、その後ろで要塞を睨みつけるように空間に貼りつく"前線基地"。
そして更に奥で蠢く、吹雪に隠れた巨大な影。
「ついに来たか」
グラヤ・ナガの足音が進軍太鼓のように大地を、空気を震わせる。
壁上の兵士たちの肌や肚底にまでびりびりと響く音に、皆が息を呑む。
奴の一投に要塞を突破された日以来の来襲だ。
だというのに、投炎機は無く、大壁もボロボロで、総司令官も不在。
歴戦の彼らをして、不安を抱かせるほどの恐怖と脅威が、吹雪の奥から迫りつつあった。
「落ち着け! 敵に呑まれるな! 我らは既に多くを失ったが、最後に残ったものまでくれてやることはない! 諸君らの精励によって大要塞は復活した! 投炎機を失い、大壁は損なったが──」
世にも珍しいサイラスの激。
それとともに、角笛が吹き鳴らされた。
男たちの足音がじゃくじゃくと雪をかき分ける。
「──代わりにこれを得た! 太鼓鳴らせ!」
命令が復唱され、伝達される。
合図の松明が振られると、本丸の上に並ぶ楽隊が一斉に太鼓を鳴らした。
重なり合った音は雷か隕石のように響き、直後に「引け!!」という声が轟く。
それを合図に、数百人の男たちが力と拍子を合わせて綱を引いた。
「"破骨"! "破角"! "破髄"! 整い次第待機せよ!」
太鼓が響き、「引け!!」と叫び、綱を引く。
それを何度も繰り返す。大壁の内側の前庭で、屈強な男たちが歯を食いしばりながら、渾身の力で綱を引く。
氷の触手と地震によって、投炎機は使い物にならなくなった。
だが完全に粉砕されたわけではない。投炎機を支える巨大な神木、柱であり投擲の腕でもある巨木はほぼ原型をとどめていた。
それを前庭に三本、横たえて吊り下げ、雪よけの屋根と木枠で囲んだ。
さらには大壁の破損箇所の一部をあえて修繕せず、鉄板の蓋で塞ぐに留めた。
あとは滑車を用いて綱を引き、吊り下げられた神木を引き絞れば、準備が整う。
サイラスが壁の下を覗き込み、右手を挙げる。
押し寄せる氷塊の前線を見極め、発射のタイミングを計る。
前庭では男たちが全身に力を込めて、綱を引き掴み、雪の上で踏ん張っていた。
太鼓も止み、あとは各指揮官の号令を待つのみ。
氷の軍勢が壁へ迫る。
氷の森から進出し、雪の上を這い進み、先遣が壁に取り付きハシゴを組み始めると後続もどっと押し寄せた。
その時、サイラスは右手を振り下ろした。
傍の百人長が壁の中へ通じる階段へ向けて叫ぶ。「開口!!」
大壁の中で兵士たちが重りを押し落とすと、結わえつけられていた綱と滑車が、穴を塞ぐ鉄板を横に転がした。
「放てェェ!」
「放て!」
「放てェェーーーーーッ!」
三人の百人長の声がほぼ同時に響き渡る。
神木の綱を引いていた男たちが一斉に手を離して伏せると、神木は壁の穴目掛け、落ちるように突進した。
そして、地響きにも似た衝撃とともに、壁の穴から突き出された。
威力と重みは、投石機や魔沸砲の比ではない。
鉄砲水や雷、隕石でも比肩しうるかどうか。
氷の群れの前線は、まさしく弾けるように、というよりも爆散した。
蹴った砂が飛び散るように軽々と、たやすく数百もの氷塊が砕け、飛び散ったのである。
その衝撃には大壁すらも大きく揺れ、軋んだのだ。氷エレメンタルごときが耐えられるはずがない。
破骨、破角、破髄、そう名付けられた三本の兵器。
何百という投炎弾を擲ち、その数十倍の敵を打ち倒してきた投炎機を支える腕の神木。
それ自らが、レレザルの設計のもと破城槌へと姿を変え、直接手を下す拳となったのである。
破城槌。これは城から城外へと打ち出す破城槌なのだ。
「打ち続けろ! 盾兵構え!」
ひとしきり暴れた綱を拾い直し、男たちは再び列を成す。
再び太鼓が鳴り、「引け!」の掛け声と共に同じことが繰り返された。
ただし、今度は大盾を構えた兵士たちが破城槌の先端部、大壁の穴の付近で陣形を敷いていた。
神木を引き抜けば、そこは単に大壁に開いた穴となる。再び十分に破城槌が引き絞られるまで、前庭に繰り込もうとする氷の軍勢を押しとどめ、綱の引き手たちを守らなくてはならないのだ。
大壁の内側でも堅固なファランクスが敷かれ、穴から大壁内部に敵が浸透しないよう備えていた。
この守りが問題だった。
三つの神木破城槌は絶大な威力を誇るが故に、取り回しが難しく、どうしても弱点を作ってしまう。
あまりにも大ぶりなため、隙間を生じさせざるを得ないのだ。
その隙間を人間の力で埋められるかどうか。それが大きな問題だった。
当然、そのような兵器を用意し、使わねばならない理由はある。
サイラスは大壁の外、吹雪の奥を見据えた。
巨大な影は大きく、近くなっており、破骨に吹き飛ばされた氷塊の欠片を吹雪の奥から伸びた手が掴み潰した。
続いてその全身を現したのは、まさしく天を衝く大巨人。
原住民に冬そのものと謳われる氷の神、グラヤ・ナガだ。
サイラスは、祈るような気持ちで後ろを振り返った。
兵士たちは、村民たちは、皆懸命に戦っている。
あらん限りの力を振り絞り続けている。
その姿を見て尚、不安を抱かずにはいられなかった。
破骨、破角、破髄が作られた理由はただ一つ。
氷の軍勢を砕くためではない。グラヤ・ナガただ一体の肉薄を押しとどめるため。
奴の拳が大壁を完全に打ち砕くのを阻止するためだ。
果たして上手くいくだろうか。
上手くいったとして、明日はどうだろうか?
彼らは同じ力を振り絞ることができるのだろうか?
これを毎日繰り返して、どれだけ皆の体力と命が保つというのだろうか?
ボロボロの要塞と乏しい資源で、いつまで持ちこたえられるというのか?
サイラスは先だって戦友に贈った自分の言葉を思い出していた。
『要塞はもう、10日も保たない』
それが現実のものとなりつつある。
「"つぶて"が来たぞ!」
誰かが叫んだ声で、今まさに頭上を越えてゆく"つぶて"の群れを見上げる。
心の内で、諦めに近い祈りを捧げずにはいられなかった。
「司令官、ご無事で」
その司令官とお伴二人が、北の果ての雪原をひた走っていた。
後ろから追うのは数十体の"地走り"。
あれから三人は堀から脱出したが、堀の中を追って来ていた"つぶて"は壁にぶつかると弾け、その中から"地走り"の群れが飛び出したのである。
ヘリルメリアは既に擬皮を脱ぎ、トッテンバットはソリを担ぎ、荷物を脇に抱えて走っている。
しかし最も遅れているのはクロスであった。
氷の触手と戦った時の魔力消費が完全に復活しておらず、体力の消費が激しくなっているためである。
しかも重くて動きづらく、呼吸もしづらい防寒着に身を包み、足場の悪い雪の上を全力疾走しているのだ。
冷えた空気によって肺にもダメージを負っている。
彼ならずとも、常人ならばあっという間にバテて然るべきであろう。
やがて、ついに足をもつれさせて膝をついてしまう。
立たねばならぬ、走らねばならぬと焦り、息を激しくつくほどに足から力が抜けてゆく。
痙攣を起こす一歩手前だ。目眩と強烈な疲労感もあり、走ることなどとてもできなかった。
その背中に"地走り"が襲いかかる。
体を貫き、内にある魔力を貪らんとして。
「クロス!」
だが、その目論見は果たせなかった。
ヘリルメリアが割り込むように、横から"地走り"の核を蹴り刺して砕いたからだ。
続いて二体が躍り掛かっても、体を横に振ってあっという間に突起で切り裂いてしまう。
全身の突起を剣か舞のように振るい、襲い来る"地走り"を次々に打ち落とす。
「立てるか!?」
戦いながらも声をかけるが、従士はそれがやっととばかりに力なく首を振った。
トッテンバットが駆け寄って助け起こすが、離脱はできない。
"地走り"が周囲を取り囲むように周回し始めたからだ。
「突破するぞ! わしがしんがりじゃ!」
「応!」
クロスをソリに乗せ、ぐいと担ぎ上げる。
荷物は背負って左手を空けておき、包囲の北側へ向けて敢然と突進した。
破らせまいと襲い来る"地走り"に左手を向け、籠手で防ぐ。
そして敵が触れた瞬間に、手のひらの鋼板は赤熱して"地走り"をただの弾ける水へと変えた。
開いていた手をそのまま包囲へ向け、発射。
火を噴きながら突撃する籠手は雪と氷を弾き飛ばし、見事に包囲に穴を開けたのである。
そこを走り抜け、籠手を抱えるように拾い直しても、振り向かずにひた走る。
クロスはぼんやりと呻きながら、ソリの上より見た。
遠ざかっていくヘリルメリアの背中を。
幾十体もの"地走り"を弾きながら踏みとどまり、戦い続ける姿を。
雪の光の奥へと消えてしまうまで、一言でも発する元気も明瞭さも無いままに。
軍事の知識は浅いクロスだったが、それでも、知っていることはあった。
「しんがり」。その言葉の意味くらいは。




