軍の魔女12
どの城、どの砦、どの塞にも必ずあるのが、鳥小屋である。
伝書鳥を用いた通信は信頼性が低く、訓練にかかる手間や餌代ぶんの働きをする前に失ってしまうことも多い。
いくらしつけられていようとも所詮は鳥。文を届け、帰る、その道中で迷子になってしまう可能性を除外できないのだ。
狩人や天敵となる野生動物に殺されてしまう場合も多々あり、放った文が途絶えることなど日常茶飯事。
そこまでの危険がありながら、送られる情報はごく短いものだけ。
鳥の飛行を邪魔せず、体力も浪費させない小さくて軽い、紙切れのような手紙や摘んで運べるようなモノしか運べない。
だが、それらの不利点を凌駕する魅力が、伝書鳥にはある。
速度、運搬経路の自由さ、そしてなにより隠密性。
敵に包囲されることの多い防衛城塞では、包囲の外と連絡する手段が非常に限られる。
秘密の伝令は複数回の連絡を取るにはあまりにも危険。
しかし鳥ならば、野生の鳥に偽装して敵の包囲を飛び越えられるのだ。
空を飛べる。様々な不利点を抱えようとも、その一点の強みはあまりにも魅力的だった。
ダグナマンバにも、そのための鳥小屋がある。
もっとも、かの要塞を包囲するのは人間の軍ではなく、冬将軍の雪と寒気であるが。
地の果てにある要塞が中央と連絡しようとする場合、冬以外の時期ならば伝書鳥が便利に使えるのだ。
「なるほど、カルフールとは、大したものじゃのう」
てのひらに乗せた一羽の小鳥を、ヘリルメリアは目線の高さまで掲げた。
スズメに似た体格ながら、羽毛はごわごわと硬く、太い。
目は常に薄灰色の保護膜に覆われており、皮膚はぶよぶよと柔らかい。
カルフール、競争率の低い寒冷地に住まう鳥で、長距離の飛行は不得手。
だが、気温が極端に低い環境に置かれると、魔力によって自身を発火させ、燃えながら飛ぶ。
火だるまのまま吹雪の中を飛ぶ姿はあたかも流星。
寒さを凌げる場所を目指して飛ぶ習性があるため、吹雪の中で迷った者にとって"導き星"という別名で呼ばわれるのは当然の帰結と言えた。
ただ、炎の熱にも耐えられるようになっている構造上、連続した長距離の飛行ができない上、体力もあまりなく、高温多湿環境に弱い。
伝書鳥としては、本来全く適さない種である。
だからこそ、とても重要な報せなのだと推測できた。
無茶を承知で、それを押し通さねばならぬほどの報せとは。
「ようやったぞ、カプリ」
指先で小鳥の頭を撫で、その指で背中に結わいつけられている小筒をほどく。
カプリは足環の裏に書かれていた言葉で、おそらく小鳥の名前だろう。
小筒の中には、丸められた紙片が収められていた。
カプリを鳥小屋のカゴに入れてから開くと、後ろからクロスも覗き込んだ。
そこには、たったの二行。
がたがたに乱れた、大きさの違う文字でこう書かれていた。
『北の南に穴ひとつ、そう、ひとつだけなのだ。
──11代目"界の魔女"ピリーターツ・ノクトング』
ヘリルメリアとクロスは同時に顔をしかめた。
その理由は、それぞれ違っていたが。
「どういう意味でしょう?」
「知らぬ」
クロスは驚きと怪訝から、ヘリルメリアは主に呆れから言葉を放った。
「大事な報せかと思えば、なあんじゃこれは? しかも"鳥の"でも"屍の"でもなく"界の"じゃとぉ?」
"界の魔女"、今回クロスが招待状を届ける相手の一人だ。
「どういう方なんですか? "界の魔女"さんって」
「あやつは狂っておる、住んでる場所が悪いんじゃろうなあ。学会でも毎度毎度わけのわからん論文ばかり発表しよるし、あやつの言葉は理解できんことばっかりじゃ!」
「でも、大事な手紙なんですよね、"鳥の魔女"さんがわざわざこんなところにまで届けさせるぐらいですから」
「金さえ積めば"鳥の"は仕事の中身など選ばん。まったくこの非常時にこんな訳のわからん文なぞ送ってよこしおって!」
怒りながらも、文は破りも捨てもせず懐にしまい込む。
あるいは、こんなものに全力で期待してしまった恥ずかしさの証拠が、余人の手に渡らぬようにするためか。
「司令!」
新たな伝令がまた彼女を呼ぶ。
さすがに「今度は何だ!」とやや苛立ちながら応えるが、伝令はひるむ様子もなく役目を果たした。
「ただいま、トッテンバット殿が帰投しました。第二郭部の応接室でお待ちです」
「はぁ? 帰ってくるのは明日の予定じゃろ」
「"導き星"が見えた故、よもや火急の伝書鳥か、と予定を切り上げて参ったご様子でした」
ヘリルメリアは頭を抱えた。
よく気働きのする優秀な部下を持ったものだ、という感心の裏返しだろう。
大要塞へ真っ直ぐ向かったカルフールの火球を、まさしく火急の報せと察知して命令を待たずに適切な行動をする。
見事である。その見事さ故に、頭を抱えたのだ。
「よし、会おう」
だが、帰ってきてしまったのならば会わねばなるまい。
第二郭部応接室は、普段あまり使われることがない。
秘密の会話のために作られた気密性の高い部屋ではあるが、秘密の会話が必要になる状況に置かれるのが稀であったためだ。
外からの客も少なく、中央からの軍令を携えた使者も、会議室で指令を発表するのが習わしであった。
せいぜいが、マードックからの秘密の支援の申し出を伝える使者が、この応接室での面会を求める程度である。
しかしそれも、結局はヘリルメリアが「ご支援まことに結構。将兵に申し伝えたく思うのでご使者どのも軍議に同席してくだされ」と暗に断ってしまうため、実用されたのは片手で数えられる程度だ。
何故そこでトッテンバットと会うことになったのか。
扉を開けた瞬間、クロスはそれを理解した。
「いや、お恥ずかしいところをお見せしてすまない」
はにかみながら手を振るトッテンバットの左腕は包帯に覆われていた。
応接室には応急医療の設備があり、包帯や軟膏が置かれている。
彼はそこで、包帯を取り替えていたのだ。
「ど、どうしたんですかそれ」
思わず駆け寄り、包帯に触れるクロス。
触れた感覚からして、おそらく凍傷だろう。
"腑の魔女"のところで何度も見た症例だ。
「追撃中に、ちょっとな」
それほど深くはないが、範囲は広い。
痛いだろうに、トッテンバットは笑みを絶やさなかった。
それが余計に痛々しくて、クロスは応急手当を引き継ぐことにした。
これもまた、"腑の魔女"のところで学んだことが役立った。
「で、どうじゃった?」
その間に、ヘリルメリアは席について、問う。
神妙な顔つきであり、それに釣られてトッテンバットの声色も低くなった。
「わかった範囲で30体ほど狩ったが、まだまだ大勢いるはずだ。村やコー・ナイルに向かった奴らより、雪原をうろついている連中を狩り尽くすのが骨だろう。時間がかかるぞ」
「犠牲者の遺体はどうした?」
「その場で埋葬した。幸い兵士に戦死者はいないが、今後どうなるか」
「で、どう思った?」
「どうって、なんだ?」と思わずトッテンバットは呆けた面をさらしてしまった。
何を答えてほしいのかを図りかねたからである。
「おぬしの所感を訊いておるんじゃよ。連中と戦って、どう思った」
理解できても、答えに窮した様子を見せた。
腕を組んでうーむとうなり、探りながら言葉を始める。
「なんというか、遭遇頻度と密度からして、敵の数は大体200ぐらいだろうと思う。その200の浸透に対処するために、俺たちは総勢2100人を要塞から後方に回さざるを得なかった。それでも、"地走り"どもをいつ殲滅できるのか、全くわからん。それで、つまり、直感に近いもんなんだが」
トッテンバットは言葉を選んでいるようだった。
しかしボーグル人としての気質が、結局は最も直入の道を選ばせた。
「負ける。俺たちは、負けると思った」
1500の兵が震える体を抑えながら雪原を進み、必死に、そして懸命に戦い、日が傾けば身を寄せ合って眠る。
それら全ての瞬間で、雪の奥から突き出される奇襲の槍に怯えながら。
そんな彼らを励まし、率い、戦い、負傷するまで力を尽くした。
30体撃破と、兵士に戦死なし、という数字はその現実の上に成り立つものである。
故に、トッテンバットは肌で感じていた。
「奴ら、今年に賭けてる。次の春までに、ダグナマンバを陥落させるつもりだ」
200の散兵が、2100もの敵兵を前線から離脱させた。
もし、これをもう一度やられたら? 200ではなく500を送り込まれたら?
南側に送り込まれた”地走り”の数が1000を超えた時、それが一斉にコー・ナイルに押し寄せたら?
雪原の下にもぐり込んで潜まれたら? 潜んだ2000もの"地走り"が同時にダグナマンバを後方から攻めたなら?
トッテンバットは南側の"地走り"の戦いぶりと殺しぶりを見た。
破壊された村々を見た、虐殺された村人たちの遺体を見た。
そして傷つくまで戦っても、せいぜいが30体。
1500人が死力を尽くしても、2日間でたったの30体。
「平野の"地走り"は、改めてとんでもねぇバケモンだ。数が増えれば、10倍の兵を繰り出しても追っつかなくなる」
ヘリルメリアの表情は固かった。
動揺してはいなかったが、楽観もしていなかった。
「ところで司令官殿、"導き星"が見えたんだが、ありゃあやっぱり伝書だったか?」
だが、この言葉によってヘリルメリアは苦虫を舐めたような顔で舌を出した。
明るい表情ではなかったが、どこかおどけたようなわざとらしさだった。
「その話はよい! 確かに伝書鳥じゃったが、狂人の無意味な私信じゃったわ!」
「やっぱりか! てことは魔女の伝書鳥だな。火術士として興味がある、その鳥、見せてもらっていいだろうか?」
「構わん。クロス、案内せい」
「は、はい」
トントン拍子でクロスがカプリまでの案内を務めることになってしまった。
ヘリルメリアは考え事をすると言って応接室に残り、応急処置のやり直しも終えた二人が鳥小屋へ向かう。
一人残った司令官は、ため息はつかなかった。
しかし、キセルを取り出し、詰めたタバコに火をつけると、深く深く吸い込んだ。
吐き出される紫煙の太さは、彼女の心にかかる雲を晴らすのか、濃くするのか。
「穴、ひとつ」
独り言のつぶやきは、誰に向けたものでもない。
自分に向けたものですらない。
満載となった心から、勝手に溢れ、こぼれたに過ぎないものだ。
「いや、まさかな」
だが、これは自分に向けて放ったつぶやきだった。




