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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
軍の章
121/211

軍の魔女9

巨大な手が、まるで砂を握るように氷塊の群れを掴み取る。

指の間からこぼれ落ち、砕ける同胞もグラヤ・ナガは一顧だにしない。

そのまま無造作に腕を振れば、大壁に雹が降り注いだ。

どの雹粒も、2mを超えていたが。


グラヤ・ナガは何度も、何度も、それを繰り返していた。

大壁に近づくことなく、同胞を放り投げ続けていた。

奴が腕を振るたびに、大壁のどこかに氷塊の群れが降り注ぐ。

兵士たちを押し潰し、篝火台を粉砕し、城楼を打ち砕く。

着地した氷塊はそのほとんどが砕けて死したが、百にひとつが生き残り、壁の上で他の兵士に襲いかかる。

それと共に氷のはしごからの氷塊が、"地走り"が、"つぶて"が、攻撃を再開し押し寄せた。


兵士たちの悲鳴と断末魔がそこらじゅうに響き渡る。

だがそれでも、全員が戦い続けていた。

だからこそ、続々と犠牲者が出ていた。


投げ落とされる兵士。


踏み砕かれる"地走り"。


溶かされ叩き割られる"つぶて"。


氷の槍に貫かれる岩則兵。


氷塊に押し潰され、篝火の炎が油に引火し火だるまとなる擲弾兵。


長柄武器に砕かれる氷塊。


前庭のファランクス部隊には"つぶて"の他に、投げつけられて前庭に着地した氷塊の生き残りという新たな負担が加わった。

転がって突撃するだけの"つぶて"ではなく、突起を伸ばして遠間から攻撃を仕掛ける氷塊である。

壁下の兵では防ぐに手一杯で、要塞本丸からのサティラッチャ砲撃に反撃を任せる他ない。


大壁の上などはまさに混沌を極めており、全体の指揮は既に不可能な状態となっている。

各部署の前線指揮官と、個々の将兵の独自判断で防御と反撃の機会を見極めてもらうしかない状況だった。

ヘリルメリアは負傷者の搬送を補助し、退路の確保と、負傷者を搬送している兵士らの護衛に努めていた。

クロスもそのそばにいたが、カンテラの"尽きぬ種火"とヘリルメリア、どちらか片方でも欠けていたならば既に8回は死んでいただろう。


全員が、よく奮戦していた。

グラヤ・ナガの投擲は味方の氷エレメンタルたちをも大勢砕いている。

加えて氷エレメンタルへの対処戦術が各員に徹底的に叩き込まれているため、戦力の損耗率ははるかに氷の軍勢の方が高かった。


だが、氷の勢いは決してやまなかった。

どれだけ討たれたところで、エレメンタルに恐怖は存在しない。

どれだけ同胞に粗雑に扱われたところで、エレメンタルに疑心は存在しない。

どれだけ必死の状況に追い詰められたところで、エレメンタルに降伏は存在しない。

ただ淡々と押し寄せ、浪々とむさぼり、平々と前進する。

士気も功名心も欲望も絶望も理性も信頼も恐怖も愛情も勇気も衝動も無い、凍てつく軍団。

何と戦っているのか?

クロスの抱いた疑問は、まさに正中を射抜いていた。

まるで、矛を手に津波に立ち向かうかのようだ。




喧騒と風音の中、クロスの名を叫ぶ声がかすかに聞こえた。

周辺を見回すと、いつの間にか離れていたヘリルメリアの姿がなんとか見えた。

兵士の一人に肩車をしてもらい、もみくちゃの群衆から頭一つを飛び出させている。

彼女は何かを振るように右拳を掲げながら揺らしており、左手はしきりに大要塞本丸の方を指し示していた。

とっさに指された方向に視線を向けると、吹雪の奥に浮かぶ要塞の影が見える。


だが、影の形が変わっていた。

天を衝くように伸びる、三本の尖塔のような影がそこにあった。


すぐに、クロスは右手のカンテラを掲げて、要塞に向かって合図するように振った。

その種火の光は、松明や篝火よりも明るかった。




「合図だ!」「合図だ!」「合図が出たぞ!」


本丸で光を見た兵士たちが口々に叫び、伝える。

伝言の向かう先は、三本の根元。

百人がかりが歯を食いしばり、玉汗をほとばしらせながら綱を引く。

天井の蓋が取り払われると容赦ない寒風が吹き込んだが、誰もそれを気にかけなかった。

横たわる神木がごとき巨大な支柱は、まさしく樹齢数千年の魔界のオオダタラスギをまるごと一本用いたもの。

その先端に取り付けられた家ほどもある木椀に、大の男が十人がかりで巨大な玉を乗せる。

直径だけで5mはある玉は氷の外殻と粘土の内張によって構成されており、中は油と魔力液で満たされていた。


「固定完了!」「固定完了ー!」


綱の根元で歯車に金具を噛ませ、兵士たちが叫ぶ。

続く「退避!」の号令にあわせ、綱を引いていた男たちは汗を拭う暇すら惜しんで支柱から離れていった。


「砲台固定異常なし!」

「砲弾構成異常なし! 点火可能!」

「点呼終了! 人員退避完了!」

「発射準備完了しました!」


「おう」


兵士たちの報告を受け取り、トッテンバットは椅子から立った。

先端に据えられた巨大な玉を見やる。それがあの玉の製作者としての、最後の確認だった。

クジラのうなり声のような、木と金属の軋み音が響く。

長年聞き続けたその音こそが、全ての準備完了を告げる報せであった。


紐を掴み、ぴんと張るまで腕に巻きつける。


「発射ぁぁ!」


それを思い切り引っ張ると、鉄球振り子が留め具を叩き外した。

その瞬間、その場にいる全員が耳を塞いだ。

神が起き上がるかのように巨木が立ち上がる。

神木が一本の腕のようにしなり、溜め込まれた力を振るった。

そうして、爆発音に似た音と共に、砲弾は射出された。


砲弾は吹雪を割り裂き、空中で巨大な火の玉と化す。

恐るべき寒気でも炎は消えず、だが氷も崩れず、砲弾は大壁を飛び越して、氷塊の群れの中に着弾した。

爆ぜた砲弾から飛び出た炎に、大量の氷エレメンタルが包まれる。

衝撃波で砕けるものもあり、周囲一帯は火の海となった。


それも、一発だけではなかった。

ほぼ同時に三発の砲弾が飛来しており、それは氷エレエンタルの軍勢を半ばから断ち切った。

少なくとも、"地走り"はもう走り寄られないだろう。


だが、グラヤ・ナガには当たっていなかった。

奴だけが、砲弾の射程のギリギリ外に立っているのだ。

しかしこの砲弾があるからこそ、奴は大壁にこれ以上近づけずにいるのだ。



「火線が動いたぞ! 押し返せい!」



ヘリルメリアが反撃の指揮をとる。

兵士たちもここぞとばかりに奮起し、防御から反撃に移った。

戦線を上げて敵を再び壁際まで追い詰め、火線の内側の敵を壁下へと追い落とす。

残った"地走り"を狩り尽くすまで、槍の攻撃は手痛くなるが、勝敗はもう決した。

グラヤ・ナガも氷塊の投擲をやめて、氷の紋様の真後ろまでゆっくりと退いていく。


そこへ、巨大な火の玉の二射目が飛来した。

火の海の隙間を埋め、炎の熱が壁の上にまで届く。

大壁の前に限って言えば、既に炎が冬の寒さにまさっていた。



「すごい」



思わず感嘆の声が漏れる。

クロスが初めて目の当たりにする、生活の火とは全く異なった、戦争の火炎だった。


「投炎機じゃ。魔力液と油を詰めた砲弾に、イラギ粉を入れてある。普段は沈殿しておるが、投射すると中で激しく撹拌され、互いにぶつかり合い、火花を生じさせる。だから空中で火がつくんじゃよ」

「あんなに大きな火を見たのは、初めてです」

「これまでのは全て、あれの準備のための時間稼ぎじゃからな。どんな強風や冷気にも負けずに、あれほどの燃料を300mは飛ばすとなると、かなり大きな機械にしなくてはならん。かといって外に放置してはすぐに壊れるからの。普段は分解して要塞内部にしまってあるんじゃ」


それほどの投石機を組み立てるとなると、冬の到来を告げる角笛が鳴ってからただちに取り掛かってもかなりの時間を要する。

それを、三基も。

大勢を割いていたのだろうが、その一人一人が効率的に機能してこそだろう。

全てを組み上げて発射の準備を整え、発射するまでには1時間弱しか経っていないのだ。


「さあじゃんじゃん押し返せ! 敵を殺せ! 追い落とすのじゃ!」


兵士らの鬨の声が轟く。

気勢をあげ、呼吸を合わせ、氷塊を突き落とし、"地走り"を叩き砕き、"つぶて"を押し返す。

さしもの"つぶて"が束になっても、投炎機の砲弾にはなすすべなく撃ち落とされるのみ。

太陽が落ちてきたかのような火炎砲弾が降り注ぐ度に、氷の軍勢は千々に乱れ、火炎が雪の上を満たしていった。

ここぞとばかりに乱れ飛ぶサティラッチャの岩弾が氷を押し潰し、火炎で緩んだ氷塊は投槍でもたやすく割れた。

軍勢は炎に追い散らされるように後退し、"つぶて"も飛んで来なくなっていた。



「ひとまず、これで勝利じゃ。今日のところはな」



腕を腰に当てて鼻息を鳴らす。


そこに、兵士の一人から「司令官」と呼びかける声があった。

彼は身を乗り出して遠くを覗き込んでおり、ヘリルメリアが「どうした?」と声をかけながら近づくと「妙です」と指差した。


その先にいるのは、グラヤ・ナガ。

だが、中央の氷の紋様を後ろから掴んでいる。

投炎機の射程外に逃げたはずの奴が、何故かまた大壁の方を向き直って"前線基地"のふちに両手をかけているのだ。


「なんじゃあ? 何しとるんじゃ?」


双眼鏡の蓋を開けて覗く。

壁下の炎の海のおかげで、壁の上はレンズが凍結するほどの気温ではなくなっていた。



グラヤ・ナガの足下に大勢の"地走り"が集まる。

炎の海のせいで大壁へ迫ることができなくなったものらだ。

数にして400は下らない。まるで身を寄せ合う蛇の群れだ。


それらはグラヤ・ナガの体を登り、内部に侵入し、4つある魔力核のうちの一つに集まる。

何百もの"地走り"が一つの魔力核に集合している。そう見えた。

魔力核は晴れた日の氷の煌めきのような白い光を放ち、それは塊というよりも光そのものへと変化していく。

氷の質感と乾いた輝きは、冷たい魔力の光に上書きされていく。

"地走り"と混ざり合って光と化した魔力核。


それが、グラヤ・ナガの胸を突き破って飛び出した。


光は氷の紋様の中央を通ったことで、さらに加速しながら軌道を変える。


まさしく、それは流星のように、大壁を飛び越え、ダグナマンバ大要塞をも飛び越え、ようやく南の雪原に着弾。


砕けた魔力核から数百もの"地走り"が分離し、飛び散った勢いそのままに南へ進撃を開始した。


まさしく、それは霜が広がるように。


さしものヘリルメリアも絶句した。

クロスもそうだ。

だが、気づいた兵は少数だった。


一体何が起きたのか?

それを考える前に、しなくてはならないことがあった。


ヘリルメリアは懐から角笛を取り出し、力の限り吹き鳴らした。

これまで響いたどの音とも違う、高音と低音の混ざった、かすれながらも山肌によく響く音だった。

その音を聞いて、全ての兵士が悟ったのだ。



『氷エレメンタルが大要塞を突破した』

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