軍の魔女8
ハンターは体の大きさで年齢がわかると言われている。
多くの場合メスはオスより1.2倍ほど大きく、力も強いが、歳を経て体が縮むと体格差は逆転する。
故にハンターのオスは自分より体が小さい、年上のメスと交尾したがる傾向があり、メス側も体格が小さい個体の方が交尾格闘に積極的である。
擬皮も、本体の年齢と体格に合わせて成長するが、歳をとって体が小さくなると擬皮も老人然としたものへと変化する。
だが、中には擬皮が老化せず、逆に若返って子供のような形態に変化する個体も存在する。
本体の体格が縮んだ時、擬皮が老化するか子供化するかは単に個体差であり、実際に老いてみなければどちらに転ぶのかはわからない。
ハンター生態研究の第一人者である魔道士スゥガ・タムトによると、擬皮が若年化する個体は繁殖に対して消極的になり、同族相手でも擬皮をまとったまま接することが多くなるという。
群れなどの社会を形成しないハンターではあるが、同族との縄張り争いは極力避けようとする。
そのため、偶然同族と出くわしたり、縄張りを侵してしまったり、獲物を取り合う形になってしまったりした場合、殺し合う前にまずは威嚇合戦に及ぶ。
その際に、擬皮若年化個体は擬皮を脱がず、威嚇すらせず、早々に相手に勝ちを譲る場合がほとんどなのだ。
その頻度は「老齢個体は戦いを避ける」という常識の域をすらはるかに越えており、自分が有利な状況であっても敗北を受け入れてしまう。
スゥガ・タムトはその様をして「知恵というより無気力。合理というより鬱。あれらは『人間ではないから』というだけの理由で自殺に及んでいないに過ぎないのだろう」と書き記している。
獣も人間と同じように心を病み、鬱状態にかかるという事実は、このスゥガ・タムトによって証明されたものであり、逆説的に人間の鬱も魂ではなく肉体の生理機能の問題であるとの証明にも成功している。
ヘリルメリアを"人間化"したのも、スゥガ・タムトであった。
彼は娘二人をハンターに食い殺されており、それが研究の動機でもあったが、ヘリルメリアというのは二人の娘の名前ヘールとメリーを合わせた名前である。
論文や研究記録では饒舌だったが、口では全く寡黙な男で、表情もハンターの如く乏しかったと同僚が証言を残している。
そんな彼が、ハンターを人間化する実験の成功例に、自分の娘二人ぶんの名前をつけたと知った時、同僚の魔道士たちは口を揃えて「ぞっとした」と述べた。
故に彼らは、スゥガ・タムトが亡くなっても積極的に研究を引き継ぐことは無かったのである。
多くの場合、擬皮をかぶったハンターの外見は美男美女と形容するに相応しいものになる。
そのせいで無表情にも違和感がなくなり、人間の社会に潜伏できる成功率が上がるのだ。
ヘリルメリアも麗しき美女である上、人間らしい振る舞いや情緒、コミュニケーション能力を身につけたことで更に魅力は増し、研究員たちからは好かれていた。
おかげで研究が終了となった時も、魔道士たちは彼女を廃棄するに忍びなく、魔界王コードラン・ハーバントに引き取りを打診したのである。
引き取られたヘリルメリアはただちにヴォロイス将軍に引き合わせられ、ここに実に奇妙なお見合いが成立した。
見覚えのない環境と初めて会う人々に対し、ヘリルメリアは怯えてしまっている。
そんな彼女を襲って組み敷き、強引に行為へと及ぶのがハンターの正しい交接であるのだが、人間としてのモラルや共感力を得てしまったヴォロイスが今更そのような蛮行に及べるはずもない。
結局、両者とも距離をとって互いの様子をうかがうに終始するのみというのが、二頭の馴れ初めだった。
コードランの計らいで二人はその後も会い、慣れるに従って仲を深めていった。
見合いすらなく命じられるまま婚姻を強制されるのがむしろ主流であった時代に、このような悠長さが許されたのは、恋愛歴の豊富な主君が男女愛を尊重したためである。
結婚には愛が必要。特に、この二人の事情は特殊である。
故に、コードランは腹心の孤独を埋めるに際して、決して焦らなかった。
半年もの時を経て、二人はようやく結ばれ、夫婦となった。
知性を得たハンターはこの世でたった二人だけなのだ。
結局は、惹かれ合う以外の運命など存在しないのである。
ヘリルメリアとヴォロイス、結婚した二人はどこに行くにも何をするにも常に一緒だった。
それこそ、仲睦まじき獣のつがいが如く、互いに寄り添い離れなかった。
戦場や軍議の場ですら、ヴォロイスのかたわらには常にヘリルメリアがいた。
他の武官たちはいい顔をしなかったが、コードランが笑いながら許可を出すものだから、糾弾することもできなかった。
それに、女人とはいえ本性はハンター。いざとなれば擬皮を脱いで夫を守るだろう。
なれば、風変わりで例外的な従士か親衛とでも思って、気に留めぬようにすることもできた。
そうして、2年も経てば、二人の姿はすっかりハーバント家中に溶け込み、慣れていた。
ヘリルメリアも主君や家臣の奥方らとの交流が増え、孤独の意味すら忘れ去った日々が続いた。
結婚3年目、アーゲルンへの遠征が始まる1年前までは。
「地走りが来たぞォォーーー!」
城楼の兵士が半鐘を打ち鳴らしながら叫ぶ。
大壁の外へ視線を向けても、吹雪にうごめく氷塊と"つぶて"の乱れ飛びが視界を埋めているのには変わりない。
だが、氷塊の間を縫うようにして、何かが雪を巻き上げながら突き進んでいた。
それが進んだ跡には凍った道が残り、その速さは魚がごとし。
油火の勢いが弱いところを狙って突っ込み、大壁に至ると瞬く間に頂点へと一挙に駆け上がる。
そして、それは壁の上で姿をさらした。
氷塊ではなく、筋のような、あるいは帯のような形の氷エレメンタル。
それは大壁を登りきって飛び上がると、一瞬のうちに先端部の核から十数本の新たな帯を槍ぶすまのように突き出した。
帯は周辺の兵士の体や防具を、あるいは虚空を貫く。
のみならず、壁の上に着地すると、雪の上と同様に、稲妻のような俊敏さで走り始めた。
突き出される槍はでたらめでほとんどは命中しなかったが、足元を走り回る敵に兵士は慌てふためく。
ただでさえ、氷塊や"つぶて"の猛攻にさらされ、対処に追われているのだ。
この小さな暴れ者の乱入に、混乱をきたして隊列を崩すのは無理からぬことであった。
味方同士でぶつかり合う者、転倒する者が続出し、走る氷はただ走っているだけでも守りを崩していた。
その核を、黒き刃が縫い止めるように踏み貫いた。
「取り乱すでない! 各員前方に集中せよ!」
ヘリルメリアが足から黒い突起を突き出して、刺し砕いたのだ。
大喝に兵士たちの動揺は止み、注目が集まる。
「いつも通りじゃ! 氷塊は壁際ではなく壁の上で迎え撃つ! "地走り"は岩則兵に任せよ! 擲弾兵と篝火を守るのじゃ!」
氷塊が壁の上まで登ってきた場合、攻撃を盾で防ぎながらひたすら袋叩きにする。
支えとなる突起を砕き、身動きを封じてから本体をひたすら殴る。
そして、粉砕した残骸を投げ落として兵器とするのだ。
「さあ叩っ壊してやれい! 砕いた彼奴等を今宵の酒に浮かべてくれようぞ!」
檄に奮起し、兵たちは改めて氷の怪物たちに立ち向かった。
壁際で叩き落とす作戦ではなく、大壁の上に引き入れてから囲んで追い詰め、殴り倒す。
動きの遅い氷塊どもが浸透し、壁の上に展開する前に一匹ずつ確実に殺していくのだ。
意気を取り戻した兵士らの背中を見ながら、ヘリルメリアは鼻で息をつく。
その足元で、尻もちをついたクロスが間抜け面をさらしながら、なんとかたずねた。
「い、今のは?」
「"地走り"じゃよ。のろまな塊とは違う、素早く這い回る氷の閃光。スロヴ以前の原住民らは"八ツ頭の光ネズミ"と呼んでおった。魔力と踏破力が高く異常に素早い危険な個体じゃが、そのぶん、もろい」
油火を投げ落として炎を敷き詰めるのは、この"地走り"を抑止するためでもある。
魔力核をごく薄い氷が覆っているだけであるため、火に近づくだけでも崩壊してしまうのだ。
しかし、大壁の上まで引き入れてしまっては、火は使えない。味方の被害と混乱を招くだけだ。
では、どうするか。
踏んづけるのだ。
「岩則兵はブーツにわらだけではなく、尖らせた鉄岩も巻きつけてある。とがった靴底は滑り止めにも使えるが、"地走り"程度なら軽く踏むだけでも砕けおるわ」
隊列の前面が氷塊と戦い、後列が足を踏み鳴らして"地走り"と戦う。
ヘリルメリアの言葉通り、その様は全く尋常の戦ではなかった。
どのような史書にも、兵法書にも、このような戦の光景は記されていないであろう。
「それより、今年はいつになく攻撃が激しいな! 南でなんぞあったんかいのう!」
慣れた手つきで"地走り"の槍を叩き折りながら、話す。
今や大壁の上は奇妙な乱戦状態にあった。
「南、ですか?」
クロスは"地走り"に"移り火"を行う。
一体一体を丹念に潰すだけでよいなら、直接炎の魔力を叩き込めた。
エレメンタルは空気中の魔力と、その流れ、つまりは気候に大きな影響を受ける。
この氷の軍勢とて、冬の到来と共に押し寄せたのだ。
その力が強いというのならば、どこかにその要因があるはずだった。
思い当たることは、いくつかある。
「そういえば、今年はコギ谷で大嵐がありました! ナッグでは木のエレメンタルの大発生! デルグンドラ総督府領では例年にない害虫も!」
「それじゃな! 世界規模で魔力の流れが激しくなっておるんじゃろう!」
クロスに迫る"地走り"の槍を、ヘリルメリアの左足が蹴り砕く。
その下からすかさずカンテラを掲げ、"移り火"を実行。
氷よりも先に魔力核が沸騰し、"地走り"は泡のように弾けて散った。
「統王様の改革で世界は大きく変わった! 人の世が変化し、天地万象がそれに自分を合わせようと身をよじっておるんじゃろうなぁ!」
ヘリルメリアが氷塊の残骸を蹴り飛ばす。
大壁の下から飛び出た"地走り"にドンピシャのタイミングで命中し、紙くずのように潰しながら弾けさせた。
そこへ更に油火が投げ込まれたのを見て、大壁の下へと消える寸前の瓶に"移り火"を行う。
瓶の中の炎は一挙に高温化し、大壁の半ばほどまで落下すると着地を待たずに爆発。
氷のはしごを二つまとめて崩壊させた。
「ほーッ! すごいもんじゃのう、それが"尽きぬ種火"の力かえ?」
「なんか、今日は出力がケタ違いです。大気の魔力が濃いせいでしょうか」
「その調子でガンガン頼むぞ! いましばらく時を稼がねばならんからのう!」
ヘリルメリアに背中を叩かれた、その直後、地響きがあらゆるものを揺らした。
それも一度だけではない。ずしん、ずしん、と幾たびも。
分厚い雪で和らげられるはずの衝撃が、雪を、大地を、大壁を、氷を、兵士を揺らした。
「来たな!」
雪原と吹雪の彼方を見やるヘリルメリア。
兵士たちも自然とそうしていた。
気付くと、エレメンタルたちの攻撃も止んでいた。
衝撃と音は、回数を重ねるたびに近づいた。
トグナイア連峰の山肌にこだまするほどの地響き。
その正体がやがて、吹雪の奥に影を形作る。
クロスは、はじめその影を、吹雪に映ったダグナマンバ大要塞の影だと思った。
山で濃霧や吹雪が出たとき、物体の影が空中に投影されることがある。
それだと思った。
だが、影は揺らめき、吹雪の奥から歩み出た。
それは氷の巨人だった。
人の形をした氷エレメンタル。
自分の足を折りながら歩く低俗な氷塊とは違う、関節をそなえた氷の人形。
だが、その体はあまりにも巨大だった。
宙に浮かぶ氷の紋様と同程度の背丈は、大壁にも迫る高さ。
下から見上げたならば、まさに天を衝く大きさだ。
手足は太く、分厚く、一歩進むたびに10体以上の氷塊を踏み砕いている。
腕の太さと拳の大きさたるや、並の城塞なら一撃で粉々にしてしまうだろう。
重さは、いったいどれほどなのか見当もつかない。
ただ間違いなく、コー・ナイル全住人の体重を足したとて到底届かないだろう。
「"グラヤ・ナガ"じゃ。伝説に歌われる、氷の大巨人」
呆気にとられるクロスの横で、淡々と言葉が紡がれる。
兵士たちは全員が姿勢を低くして、防御に徹する構えに入った。
「あやつの存在が確認できる最古の記録はおよそ700年前、原住民に伝わる歌に神として現れる。おそらくは、あるとき偶然に魔力がより多く溜まった場所で、より大きく高密な一枚氷が偶然作られた。それがエレメンタル化したのち、偶然退治されることも傷つくことも溶けることもなく、氷の体を肥大化させ、並行して人間の魔力を貪り続けた」
エレメンタルの魔力核は魂によって覆われていないため、消耗が激しく、あっという間に尽きてしまう。
だが空気中の濃密な魔力と、人間の魔力を一定以上の期間を置くことなく取り込み続けたならば。
成長を続ける間、奇跡的に体が自壊も破壊もされずに高い気密性を維持できていたならば。
「体と魔力は膨らみ続け、ついにはその巨大さと膨大さを以って自らを安定させてしまったんじゃろう。分厚すぎる体が魂のように魔力を留め、強力すぎる魔力核は体内で4つに分かれて常に互いを補い合う! 最大にして、規格外のエレメンタル。それを原住民とスロヴ人はこう呼んだ──」
一歩ごとに地が震え、壁が震える。
兵士たちは互いを支え、壁の上にしがみつく。
「──山を恐怖させるもの、大地を怯えさせる悪神、グラヤ・ナガとな」
氷の大巨人──グラヤ・ナガは大壁へと突き進む。
石が震え、吹雪が震え、山が震えた。
あたかも、おののくように、怯えるように。




