軍の魔女7
大壁のあらゆる場所で「撃て!」と声が上がる。
その度に、岩弾は吹雪を裂いて氷塊を割り砕いた。
突起を折られて倒れるもの、氷塊本体に岩弾が突き刺さって動きを止めるもの。
サティラッチャが放たれた回数と同数の命中弾が、エレメンタルの体を砕く。
だが、致命傷となるのは魔力核を露出させるような一撃のみ。
氷塊の中枢で守られる核を砕かねば、突起も本体も再び凍結によって損傷を再生させてしまう。
故に、サティラッチャは三基が呼吸を合わせて一体を集中射撃し、氷塊の完全破壊を狙っていた。
氷エレメンタルは動きが鈍いため狙いはつけやすかったが、最大効率であっても一体を倒すのに三発かかってしまう。
岩弾は雨のように降り注いだが、どこに撃っても命中はする程、エレメンタルは大量である。
押し寄せる氷塊全てを破壊することは出来ず、氷の軍勢は数十秒で壁面に取り付いた。
大壁に取り付いたエレメンタルは突起を突き立てるように壁面へ叩きつけ、凍結によって固定。
それを土台にして後続がもう一体ぶん高く登り、そこで己を新たな足場とする。
その繰り返しで、氷エレメンタルたちは自らの体でハシゴを組み上げようとしていた。
足場になっている個体が、その上を登る個体の関節を掴むように支えることで、自分の関節を割り砕きながら動く氷塊たちでも壁を這い上がれるのだ。
「来たぞ! 油火を落とせい!」
ヘリルメリアの指示は速やかに各持ち場の指揮官たちによって伝達されていく。
大壁の篝火台の下には、大量の瓶が保管されている。
中身は魚油やサグレ油から精製した油に、魔力液を少量混ぜたものだ。
瓶の栓には、それ自体に蓋のような構造が設けられており、開くと凍ったおがくずがみっちりと詰められている。
擲弾兵はそれを篝火にかざし、火がつくと素早く蓋を閉め、瓶を一度振り、すぐに大壁の下へと投げ込んだ。
落下中に瓶の中は炎で満たされ、氷塊にぶつかって割れると飛び散った。
それを、全ての篝火台にいる擲弾兵が次から次へと投げ落とす。
おがくずに火を点けてからは、3秒以内に投げなくてはならない。
故に、見る見るうちに壁の下は火に包まれていった。
「どんどん投げ込め! 今年はいつもより寒いからのう! 全て使い切ってしまうんじゃ!」
油と魔力液の力があっても、圧倒的な吹雪の勢いと寒さの前に、火は吹き消され、油は凍ってしまう。
そうさせないためには途切れ目なく火を投げ続け、火そのものを強めなくてはならなかった。
かといって壁の上で多量の油と魔力液を燃やしてから流し落とすのは爆発の危険がある。
非効率だとしても、少量ずつの炎を何度も投げ続ける以外に方法が無いのだ。
「クロス! 火術じゃ! なんでもよいから壁下にぶち撒けよ!」
「は、はい」
目の前の光景の激しさと目まぐるしさに圧倒されているクロスにも、容赦なく命令が下る。
カンテラを掴んで掲げ、壁の下を覗き込むと、ほんの数m先で壁を登るエレメンタルと目が合った気がした。
当然わかっている。エレメンタルに視覚などない。
だが、氷の触手を懸命に動かして壁の上を目指す動きが、妙に生き物らしかったのだ。
一瞬ギョッと目を剥いたが、「早よせんか!」と発破をかけられ気を取り直す。
カンテラを握る手に力を込め、魔鳴法をもって"移り火"を実行。
尽きぬ種火の火炎は吹雪すらものともせず、氷塊に付着していた小さな油火を巨大な炎に変えた。
それは氷エレメンタルの全身を包み、瞬く間に氷塊を火の玉へと変じさせたのだ。
火の玉は転げ落ち、壁下へ至ると砕け散った。
そうして、投げ落とされた油火の勢いを助け、炎の絨毯をなさしめたのである。
氷塊のはしごはその熱で支えを溶かされ、次々と崩れ落ち、砕けていった。
兵士らの歓声が上がる。クロスは更に油火を"移り火"で強め、氷塊を次々に溶かし続けた。
自分の炎で氷のはしごが溶けて崩れ落ち、砕ける様。その度にあがる歓声は、なんだか面白いような心地もした。
だが、更に身を乗り出そうとした時、裾を引っ張られて引き倒された。
何をされたか、それを理解しようと思う前に、氷の触手が空気を薙ぐ。
それは、さっきまでクロスが立っていた場所を空振りした。
一体のエレメンタルが全身を一本の触手に変えて、壁下から狙って来たのだろう。
「注意は怠るでない。目立てば狙撃されるは必定じゃからの」
横からヘリルメリアの声が響き、彼女に引っ張られたのだと気付いた。
またもや彼女のおかげで命拾いした。「ありがとうございます、すみません」としか言えないのが残念だろう。
「まあ良い、中々の働きぶりじゃ。大壁全体を守れるほどの大火ではないが、ここいら周辺はしばらくこの火で保つじゃろう」
台に上り、壁下を覗くヘリルメリア。
それでも先ほどのクロスとは違って、胴体は壁に隠し、頭も一瞬だけ壁下へ向けられただけだった。
「エットレーゼ!」
声を張ると、兵士の一人が近づいて礼を取った。
ヘリルメリアはその者に「ここは任せた、わしは東へ移る」と告げると、クロスを引っ張り起こした。
「移動するぞ!」
それだけ言い放ち、東へ向かって足早に歩を進める。
クロスも慌ててその後を追った。カンテラを握りしめたまま。
大壁の上は、どこも同じような喧騒が支配していた。
サティラッチャを放ち、油火を投げ落とし、兵士らは声をあげて壁を守る。
壁の上まで氷エレメンタルが手をかけた場合は、その手を周囲の者全員で袋叩きにし、砕いて突き落とす。
どの場所にも、ほとんど等間隔で氷のはしごが架けられており、氷塊の軍勢はどれだけ叩き落とされても全く怯みも目減りもしなかった。
氷エレメンタルによるはしごが完成し始めて、兵士たちにも犠牲が出つつあった。
油火によって崩れるはしごも多かったが、溶けた氷はそのまま水となり、火を鎮める。
氷が溶け続けたらば、どこかで、その消火力が油火の供給速度を上回ってしまうのだ。
今のところは全ての侵入を抑えられているが、叩き落される前の氷塊が兵士を攻撃する場面もあった。
「ここって、いつもこうなんですか!?」
横目で戦いを見やりながら話しかける。
こんな時でも、気になったことを質問せずにはいられない性分は健在だった。
「最も攻撃が激しいのは初日! 冬至! 新年! 大寒! 二冬! 残結! じゃが攻撃そのものはほぼ毎日じゃ!」
「こんな群れが、毎日!?」
「そうじゃよ、まさに大自然の奇跡! 天の秘跡じゃな!」
がははと笑ってから「ガリンガル!」と呼びかけると、兵士の一人が振り向いて駆け寄った。
「状況はどうじゃ!」
「かなりきついです! 風が強くって油火の効きが悪いんで、このままだと"地走り"が……」
「"地走り"より"つぶて"じゃ! この風速だと思うたより早ように来るぞ! 前庭の盾兵に合図を出して20歩ほど下がらせよ!」
「了解!」
兵士は篝火台から松明を取り出すと、大壁の内側を向き、列をなしている盾兵たちに合図を出した。
程なくして、盾の列はゆっくりと後退し始める。
それを眺めていると「クロス! ボサッとするでない! さっきの火術をやるのじゃ!」と命じられ、慌てて前へ向き直った。
先ほどヘリルメリアがやっていたように、恐る恐る壁の下を覗く。
雲霞のごとき大群、さっきの場所より数も勢いもある。
密集する氷が擦れ合う音が重奏のように響き、蠢いていた。
どこもかしこも、見渡す限り氷、氷、氷。
その隙間に火を見つけなければ"移り火"は使えない。
氷エレメンタルに対して直接"移り火"を行なっても、氷が燃えることはない。溶かし、湯に変える程度だろう。
炎を敷くには、燃料か火種が移り先に存在していなくてはならないのだ。
油火の小さな火を強め、大きくする。
投げ落とされる火が蛇のように這い回り、氷のはしごを切断した。
しかし、キリがない。
大壁の全ての場所でこれを出来ればいいが、カンテラの尽きぬ種火以外で火術を執り行えるほど、クロスは火の魔法に習熟していない。
1kmを超える大壁の全てを自分一人でカバーすることなど、不可能だ。ましてや1000人力など、とても。
兵士たちの咆哮が響き渡る。
槌や斧で敵の足を砕き、壁の下へ突き落とす。
それの繰り返しで、果たして守れるものだろうか。
侵入を許さず、これほどの大軍を弾き返すことなど……
「メリアさん、これじゃとても……」
「なあにまだ序の口じゃよ!」
クロスは一旦身を引いた。火術を連続使用するのは負担がかかる。
一度、息を整えねばならなかったのだ。
そのとき、東の方から兵士が一人走って来た。
赤い一文字が塗りつけられた帽子は、伝令役の証である。
「東の砦に敵多数! 第三地点から攻撃されています!」
氷エレメンタルたちは大壁に押し寄せるが、一部が東に流れる。
何故ならば、東の方にはコー・ナイルがあり、そこで息づく人々の魔力の群れにエレメンタルどもが惹きつけられるからだ。
もし、彼らが東側の斜面を通って大壁の裏まで抜けたならば、大変な事態になる。
それを防ぐために東の砦が山腹に建てられているのだ。
「雪崩砲を撃て! 照準は第四のやや西じゃ!」
指示を受け、伝令役はただちに踵を返して走り去った。
「雪崩砲って何です!?」
「魔沸砲の空撃ちじゃよ。湯を張らずに大振りのかめを山に向けて、集音器で束ねた音をぶつけるんじゃ。山肌にはかすかに地熱があるからのう、積もった雪と山肌の間を雪解け水がほんのちょっぴり流れて、ほんのわずかじゃが緩んでおるんじゃ。冬になると雪解け水がまた凍結するから、普段はまったく影響ないんじゃが」
おもむろに、ヘリルメリアがクロスの両耳を手で塞いだ。
驚いてとっさに払いのけかけたが、そうする直前、東の彼方から凄まじい音が響いた。
教会堂の鐘の音を低くして何百倍にもしたような、全身の毛先から臓腑の隅々までが震える音だった。
音の反響から、音源は視界に入らぬほど遠くだと思われたが、耳元で釣鐘を揺らしたような容赦のなさだった。
耳の痺れに体を震わせていると、同じ方向から、今度は轟音が響き始めた。
こちらの音は、聞き覚えがある。コギ谷で"石の魔女"が自ら起こした、土砂崩れの音。
質量の塊が、一斉に大崩壊し、滑り落ちていく轟音だ。
「まさか」
「あれが雪崩砲じゃ。音と衝撃で、意図的に雪崩を起こし、敵を押し流す。晴れの直後にしか雪崩が起きんのが難点じゃが、これで東の砦は守れるはず──」
言葉を切って、ヘリルメリアは鼻を鳴らした。
何かを探るように視線を宙空に浮かせ、集中した様子で感覚を研ぎ澄ませる。
偶然拾った断片の残りを探り、状況をかき集める。
「"つぶて"じゃ! 迎撃用意ィィーーーッ!!!」
やにわに、大壁の後ろへ号令する。
突然の大声にクロスは怯んだが、兵士たちは構えを引き締め、防御を固めた。
その数秒後、衝撃音と共に大壁が揺れた。
縦揺れの地震がごとき瞬間的な振動にクロスはよろけ、尻もちをついた。
が、尻もちをついたことで視線は自然に上へと向き、おかげで何が起きているのかを理解した。
氷エレメンタルが、空を飛んでいた。
兵士たちとクロスの頭上を飛び越え、2mはある氷の球が飛来し、大壁の後ろに着弾した。
すぐに立ち上がり、大壁の前方、氷の軍勢の奥へと目を凝らす。
氷の紋様の下にある空白地帯、そこには人間に似た形の氷エレメンタルがいた。
奴らが、投げているのだ。
球形の氷エレメンタルを、大壁を越さんと投げているのだ。
「氷の巨人どもじゃよ」
愕然とするクロスの横で、ヘリルメリアが囁く。
「ここには生き物がおらんからの、人間の魔力を取り込んだエレメンタルは、人間に似た形になるんじゃ。人間をより多く喰ろうた個体ほど、形も人に近く、力も強い。半ばヒトエレメンタル化している状態じゃな」
壁の兵士たちは防御に徹している。
氷の巨人が投げ打つ"つぶて"が飛来している間は、登ってくる氷塊への対処を後回しにし、姿勢を低くするしかなかった。
どのみち氷塊どもも"つぶて"の餌食である。それでも壁上に到達した個体とは戦闘を繰り広げていた。擲弾兵も油火を投げ続けている。
"つぶて"の多くは壁に激突するか仲間に命中するかであったが、一部は壁上の兵士たちを潰し殺し、さらにごく一部は壁を飛び越えていた。
戦場は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化し、絶え間なく破壊と衝撃の音が響き渡った。
負傷した兵士たちのうめきと、悲鳴も。
「ありえない」
クロスは呟かざるを得なかった。
目の前の光景が信じられなかった。
知性を持たないエレメンタルが連携し、本能のままの"狩猟"ではなく、組織的な"攻城"に及ぶなど。
「これじゃ、まるで、攻城戦じゃないですか」
駆除でもない、防災でもない、これは、戦争だ。
氷と魔力の軍勢。氷と魔力だけの軍隊。
なら、誰と戦っているんだ?
目の前にあるのは、ただの氷と魔力だ。
それが単に組み合わさっただけで、あれは生物でもなんでもない、単なる動く氷だ。
一体、何が起きているというのか。
「確かに、ありえん。だが現実じゃ。なればわしらは戦わねばならん」
座って壁に背を預けているヘリルメリアが、大壁の内側を指差す。
その方向に視線を移すと、今まさに押し合いが繰り広げられていた。
盾兵たちの「押せ!」「押せ!」と力を合わせる調子がこだまする。
壁の後ろに着弾した"つぶて"は、盾兵たちへと突進する。
兵たちはそれぞれの持ち場を守り、全力で踏ん張って押し留めていた。
そうやって足止めしている間に、さらに後方の、要塞の一段目上に並ぶ篝火台から、火矢を撃ち込むのだ。
油火より火は弱いが、狙いがつけやすく射程も長い火矢。
この強風下ではその狙いも難しかったが、盾兵の隊列をあえて下げさせ、十分にひきつけることで精度は回復していた。
火によって氷が緩めば、頃合いを見計らって一人の勇猛な兵士が、盾を支える者らを踏み台にして立つ。
そして、気合いと共に大ツルハシを振るい、手ずから"つぶて"を叩き割るのである。
火矢の雨に背中をさらし、炎の熱と氷エレメンタルの危険に無防備なまま挑みかかるのだ。
力の限り叩き、削り、20回以上、8kgはある大ツルハシを振るってようやく一体の"つぶて"を破壊できた。
その間も、盾兵たちは全力で"つぶて"を押し留めていた。その上、休む間も無くまた隊列を維持し、次に備えなくてはならない。
その全てを、兵士たちは淀みなく行なっていた。
轟く咆哮と、鬨の声と共に。
「"つぶて"は壁の内を走り回りおる。素直に要塞へ向かってくれればあのように対処もできるが、中にはホレ、あのように」
更に指差した先には、雪の上を転がり回る"つぶて"がいた。
盾兵の隊列に突っ込まず、そこいらじゅうを不規則に転がり回りながら雪をまとい、体を大きくしている。
やがて倍ほどの大きさになると、それから盾兵に突っ込んで行った。
「彼奴等には個性がある。大きさや形状などの個体差だけではない。全ての岩にひとつとして同じ形は無かろうが、岩は岩じゃ。じゃが彼奴等には個体によって行動に差がある。性格があり、傾向があり、論理があり、思考がある」
当然のように盾兵はそれを受け止めるが、その直後、雪は爆裂し、"つぶて"本体は跳躍した。
それは盾兵の隊列を更に飛び越え、要塞の一段目上のひさしを破り、突き刺さる。
「そんなもの、あるはずが無いというのになぁ」
しかしその直後、サイラスの「赤槍隊前へ!」の号令と共に、赤熱した穂先を揃えた槍ぶすまが突き出された。
篝火台で焼き続けられた槍を十数本突き立てられ、悲鳴のような音を立てる。
それがどれだけ甲高く、悲痛な響きであったとしても、単に氷が急速に溶けて締まる物理的現象の結果に過ぎない。
"つぶて"は動きを止められ、高熱の槍に全身を穿たれ、とどめとばかりにサティラッチャの砲弾を至近距離から受けるのだ。
砕かれた氷はもはや鳴きすらせず、兵士たちによって投げ落とされるのみだった。
「ダグナマンバより北、前人未到の大雪原を越え、吹雪の生まれ出づるところ、そこには何かがあるんじゃよ。誰もが慄くような、おぞましき秘密。ありえんことを実現する、自然の摂理をひん曲げる何かが、あの白い地平の先にあるんじゃろうなぁ」
クロスはヘリルメリアの顔を見て、すぐに見なかったふりをした。
そこに、何の感情も表情も無かったからである。
ハンターとしての本来の顔を、見てしまったからである。
それが何故だか、クロスには禁忌に思えてならなかったのだ。
「じゃが、わしらはここで戦わねばならん。どのような謎も、いずれは明かされるじゃろう」
クロスの肩に手が置かれる。
改めて振り向いてみると、そこにはハンターではなくヘリルメリアの表情があった。
快活で豊かで、幼く、それでいて深い経験が現れた、いつもの顔だった。
「ま、ひとまずは今日を生き延びようではないか!」
戦場には似つかわしくない、むしろ不自然とすら呼べる顔だった。




