軍の魔女5
大牙岬の包囲戦か……あれは実に興味深き戦さと言えるじゃろう。
ゴン・ガンク族とマンマート豪族連合のぶつかり合いじゃったが、事の発端は八ヶ月前にさかのぼる。
あの戦さを語るためには、まず"クタラ会戦"の始まりについて語らねばならんからの。
当時、ゴン・ガンク族とカガチ領は同盟関係にあった。
カガチは遥か昔、リナリアン・ポータルを通って来た現界人によって拓かれた土地じゃった。
たゆまぬ開墾の努力と研究を繰り返し、灌漑を行い、持ち込んだ品種と現地の作物を掛け合わせ、肥沃な穀倉地へと成長を遂げたが、その豊かさ故に度々ゴン・ガンク族による略奪の標的にされておった。
それを解決するために、カガチはゴン・ガンク六家のひとつハーバント家に取り入った。
山地では手に入りにくい穀物や衣料品、様々な交易の品を贈り、その後援によってハーバント家は他の五家を制圧してゴン・ガンク族を統一したのじゃよ。
協力と後援の見返りは平和と同盟、交易と庇護じゃ。ハーバント家がカガチを守り、カガチとゴン・ガンクは交易によって共栄する。
その下でカガチは穀倉地帯として更なる繁栄を遂げ、ゴン・ガンクは他民族との協力関係によって得られる恩恵の多大さを学習した。
マンマート豪族連合は元々双角のハン族が統べる一大帝国から身を守るために、16もの都市国家や独立豪族が連合して成立したものじゃ。
やがてハン族がアーゲルンによって倒されると、かつてハン族の支配下にあり、帝国の崩壊によってなし崩し的に独立した部族や共同体を積極的に取り込み始める。
最終的に加盟者の数は41にも上り、アーゲルンが地盤を安定させ、その版図を定むる時には既に一国を凌駕する勢力へと成長しておった。
この連合は一種の議会制によって運営されておったようで、その手法は今の60議会にも受け継がれておるとか。
そして、かつて生き残るためという切実な目的から結成された同盟は、守るために膨らませ広げた力を、奪うために振るうと決めた。
ソライケス王朝、ベルゴン、ボルグマール山のガデラ王国を攻め滅ぼして吸収し、いよいよ、カガチに狙いを定めたのじゃ。
かの穀倉地帯を手に入れられれば食糧事情において全く心配がなくなる上に、カガチは周辺諸国との交易の出入り口になるからの。
カガチに侵攻したマンマート豪族連合は恐るべき速さでカガチ人の守備隊を蹴散らし、たった7日間で全領土の七割を制圧した!
当然、ゴン・ガンク族も黙ってはおらぬ。台所を荒らす不届きな害獣を掃討せよ、とヴァルグホーン王は下知し、瞬く間に8万もの大軍が揃えられた。
陣容は総大将が王の叔父、セリゾルド。第一軍大将がノクテンバウム。パウハイド人と双尾族の混成である第二軍の大将がヒルゼーバ。タウミラン人で構成された第三軍の大将がスツェルネツァクツ。第四軍大将がフルマット人カグ。第五軍大将が、我らが若かりし頃の統王様、コードランじゃ。
──フルマット人って何ですか?
スーランタム山の東に住む穴居人じゃ。
ゴン・ガンクに輪をかけて大柄じゃが頭の働きは鈍くてな、ゴン・ガンクからは"引きずり"と呼ばれて蔑まれておる。
カグはその中では賢い部類であったと言われておってな、「止まれ!」と「突撃!」の違いを理解できたんだそうじゃよ。
話を戻すぞ?
ゴン・ガンク側の大軍が進発したと聞いて、マンマート軍も残存するカガチ守備隊への抑えを残して出発した。
カガチ北東部のクタラ丘陵帯に3万6千の軍勢を敷き、待ち受けたのじゃ。
率いるのはマンマート豪族連合きっての名将ハルバード・レイゲイン。
彼奴は丘陵を避け、平野部に二重の横陣を布いて敵を待った。
そこに、ゴン・ガンクの軍勢8万が姿を現したのじゃ。
ゴン・ガンク族は元々は山岳の狩猟採集民で、戦闘民族と化してからも山での生活を伝統として重んじておった。
故に、個々の戦力は高く、戦いの技術にも優れておったが、会戦は苦手じゃった。
局地的な奇襲攻撃やゲリラ戦や掃討戦で徹底的に敵を叩き続けるのは得意じゃったが、大局的な連携と駆け引きを要する集団戦は不得手だったのじゃよ。
その問題に対応するために考案された戦型が、偏心集中攻撃。
これは本来防御のために用いる偏心隊列運動を極端に攻撃的に改造したもので、要は敵の弱点と思しき一点に向けて全攻撃能力を集中し、他方ではひたすら堅守に徹するという戦術じゃ。
戦力分散、敵中孤立、主力以外の遊兵化、およそ野戦で犯し得るあらゆる危険を詰め込んだ愚かな戦術じゃよ。
だが、ゴン・ガンク族の異常な攻撃能力と合わさったならば話が別であったろうよ。
要するに局地戦での攻勢に強いというゴン・ガンクの性質を、会戦という場でも発揮可能にするための戦法だったわけじゃ。
群の団結ではなく、個人の武力に重きを置いた、まあ原始人の戦いをあえて理論立てたような戦法じゃな。
連携も戦術もなくひたすら暴れてもらうだけで勝てるようにする戦型は彼奴らの性質に見事に合致し、偏心集中攻撃はゴン・ガンクの基本的な戦陣になっておった。
その陣形が常に歪な矢じり型をしておったことと、ゴン・ガンクの野蛮な戦いぶりから、カガチ人は陰ながら"下手鍛冶"と呼んで嘲笑しておったらしい。
マンマートは歴史ある連合とはいえ、根本的には寄り合い所帯。
その軍勢は統一を欠き、軍装や練度、士気の高低や文化的事情はバラバラじゃった。
ゴン・ガンクの総大将セリゾルドは右翼からやや中央寄りに主力を集め、敵の左翼内側を集中攻撃する陣形を取って戦さに臨んだ。
敵の左翼内側に配置されておる隊がスズリッタ領の兵士らであるとの情報を事前に掴んでいたからじゃ。
スズリッタ領の主な作物はフサイネという穀物で、16日後に収穫の時期を控えておった。
すなわちその隊では厭戦気分が高まり、攻撃を集中したならば士気崩壊をたやすく起こすと思うたのじゃろう。
これを受けて、ハルバードは騎兵隊を右翼後方に配置した。
左翼を狙い来たる敵主力を二重横陣で受け止めておる間に、右翼の騎兵隊で敵側方や後方を突く構えじゃ。
セリゾルドはほくそ笑んだことじゃろう。
その程度の策略など、これまで幾度も叩き潰してきた。
彼奴はこの必勝の陣形に絶大な自信を寄せておった。その上、彼我の兵力差は2倍以上。
事実、ハルバードの策がその程度のものであったならば、確実にすり潰されておったじゃろう。
──統王様は後軍を指揮していたんですよね。
よう知っとるのー。
偏心集中攻撃に対して、機動力を生かした側背攻撃で当たるのは尋常の対処じゃ。
後軍はその動きを牽制し、回り込む敵を防いで時間を稼ぐ。そして敵が崩れた時には後詰として攻勢を維持する。
ゴン・ガンクの戦さでは絶対に必要な役目じゃったが、同胞らからはかえって不名誉な持ち場とされておった。
「後ろ備へに華添えるならば、女子供の血花咲く」と詠われるぐらい、後軍は現場の兵士どもから低く見られておったんじゃよ。
まあ、当時の統王様は部下を除く同胞や父親から冷遇されておったからの、手柄を立てる機会を与えたくなかったんじゃろ。
果たして、両軍は対峙してより7分後に開戦した。
偏心集中攻撃は敵に対応させる時間を与えぬことが重要じゃからな。進軍の疲れも厭わず、セリゾルドは攻撃を命じたのじゃ。
集中させた第一軍と第四軍を突出させた状態で全隊前進し、敵左翼内側にくさびを打ち込んだ。
最前線で攻撃を行うゴン・ガンク族らはひたすら暴れ、敵を押しに押しまくり、属国民である異民族部隊らが守備に徹する。
ゴン・ガンクの低く轟く戦の雄叫びが鳴り響いたろう。巨大な鈍器が盾ごとマンマート勢を打ち倒し、多くがそのまま踏み殺されたという。
じゃがハルバードもさるもの。二重の横陣の一段目が崩れそうになる度、二段目が絶妙に後ろを支え、力を受け流した。
後退しながら二つの横陣は板ではなく葉のようにしなり、穴を作らず、前線戦力に遊兵を作らず、実に効率的に先鋒の攻勢を削いでおった。
そのため、セリゾルドも思い切った全面攻勢や猪突攻撃の命令を下せずにおった。
渾身の力を受け流されてしまったならば、あとは疲れによって攻勢が衰え続けるだけじゃからの。
ハルバードもあえて左翼の補強や増援に回ることなく、敵と距離を置いて対峙し続けた。
それは総勢10万を超える大合戦としては、全く滑稽な光景であったろうの。
横陣は矢じりの先端が食い込む度に後退し、それを追うようにまた矢じりが進む。
まるで童貞とおぼこの情事じゃ。男はおっかなびっくり深く突き入れる機をうかがい、女は小さな痛みの度に腰を引く。
それでも、徐々にマンマート勢は後退していき、避けたはずの丘のふもとに追い込まれた。
特に左翼前線は左方を丘に塞がれ、後方と右方を味方に塞がれておった。
戦闘開始からは既に70分ほどが経っておったそうな。
しかし、そこに至るまでに、ハルバードは二度ほど陽動を仕掛けておった。
戦闘開始から20分ほどの時に、右翼を突出させて敵左翼を突く構えを見せたのじゃ。
これはセリゾルドが左翼の防御を信頼し捨て置いたため、通り一遍な一列弓隊による斉射二連の後、元の位置へ戻った。
もう一つは更に15分ほどが経った時じゃ。マンマートの右翼内側が中央主力に合流し、にわかに中央が厚みを増したのじゃ。
普通ならば、中央を突出させ、マンマートの左翼に食い込むゴン・ガンクの右翼部隊を根元から断ち切る動きと思うじゃろう。
そうなればゴン・ガンクの主力攻撃部隊は切り取られ、包囲殲滅される危険となる。
じゃが、そのような展開はセリゾルドにとって、ひいてはゴン・ガンク族にとってむしろ望むところ。
この作戦によって敵は獣を檻に閉じ込めるのではない。家に招き入れることになるのじゃ。
包囲されることによって、一部が遊兵化していた攻撃部隊はその全てが実働する。
敵中で大暴れする攻撃部隊の包囲を維持するためには、おそらく1万4千は必要になるじゃろう。
状況から見て切り取り可能な攻撃部隊の数が6千ほどじゃから、これによってただでさえ4万4千もある彼我の兵力差は、5万2千にまで広がってしまう。
6千の敵のために、1万4千を割かねばならぬのじゃからな。自由に運用可能な戦力に大きく差が出てしまえば、戦はもはや策が介在できる場ではなくなる。名将と凡将に一切の差がなくなってしまうのじゃ。
ゴン・ガンク側が攻撃部隊の救出ではなく、敵軍の掃滅を目的として動いた場合、陣形においても遥かにゴン・ガンクが有利となるじゃろう。
──包囲って、した方が有利にならないことがあるんですか?
大抵の場合、包囲は愚策じゃ。良策に転じる場合のみ、一撃必殺を誇る最強の戦術となるんじゃよ。
闇雲に敵を包囲したとて、条件が揃わねばかえって窮地を招くじゃろう。
それを知っておるから、セリゾルドはこれも捨て置いた。
ハルバードも、セリゾルドが動かぬと見るや軍勢の配置を元に戻し守勢を続けた。
そうして、ついに、マンマートの左翼が崩壊を始めた。
横陣の一段目が破られ、二段目にも綻びが生じたのじゃ。
それを好機と見て、セリゾルドは一気呵成の総攻撃を命じた!
左翼を除いた、右翼と中央の全軍が敵左翼に殺到し、二枚の葉を食い破らんと浸透したのじゃよ。
その時、3千の伏兵が姿を現したのじゃ。
マンマートの左翼左方を塞ぐ丘の向こうから、機動に優れた散兵が現れ丘上からゴン・ガンクの横面にあらん限りの矢と投石を浴びせた!
同時に、崩壊して逃げ始めたはずのマンマート左翼の兵士たちも反転し反撃!
半分崩壊した横陣左翼は袋状に変形し、ゴン・ガンクの軍勢をがっちりと押さえ込んだのじゃ!
いかに膂力に優れた勇者であろうとも、身動きを封じられ、矢と投石の雨にさらされれば等しく斃れるしかない。
しかもマンマートの右翼後方に待機していた騎兵隊が動き始め、ゴン・ガンクの左翼を回り込み始めた。
後軍はそれを抑えに動かざるを得なくなり、本軍の窮地を救いに行けなくなってしもうたのじゃ。
無論、セリゾルドは丘上の散兵を討とうと軍勢の一部を差し向けたが、散兵らは丸太を転がし落としてそれを防いだ。
ハルバードは全て仕組んで、準備しておったのじゃ。
丘向こうの伏兵が気付かれぬよう丘から離れて布陣し、スズリッタの兵士らを集めて左翼に配置し、その後方を主力で固めた。
実際の弱点は左翼ではなく、前三列を固める歩兵の後ろは全て長弓兵と騎兵で構成された右翼であったのじゃ。
この右翼長弓兵が前進してゴン・ガンクの左頬に大量の矢を浴びせ、ゴン・ガンク勢は左右から飛び道具の乱流で挟まれてしもうた。
あっという間に、形勢は逆転した。
枯葉を砕くようにゴン・ガンクは損耗し、混乱し、まず属国民の兵士らが潰走。
それが始まってしもうては、もう止める術は無い。
ついにマンマート勢の中央までもが攻撃を開始し、分断された敵左翼を壊滅させた後、味方右翼と合流してあらかじめ定められておった手順で再編成。
その後、一つになった右翼と中央を再び二つに分け、一つをゴン・ガンクの後軍へ、もう一つをゴン・ガンク本軍の後方へ回り込ませた!
ここに至ってついに混乱はゴン・ガンク族の屈強な戦士たちにも伝播し、戦の趨勢は完全に決したのじゃ。
伏兵が現れてから勝敗が決するまでは、たったの20分程度だったそうじゃ。
総大将セリゾルド、第一軍大将ノクテンバウム、第二軍大将ヒルゼーバ、第三軍大将スツェルネツァクツ、第四軍大将カグ、全員がこの戦いで戦死した。
カグはその巨体が格好の的になり、全身に矢を浴びせられて死亡。
カグと共に攻撃部隊を指揮しておったノクテンバウムは敵の前線指揮官を道連れに相打ち。
ヒルゼーバは士気崩壊を起こした兵らを督戦中に流れ矢に当たり、その後捕虜となったが夜半に死んだそうじゃ。
スツェルネツァクツは血路を開いて多くの兵を逃がしたが、最後まで自らしんがりに残って討ち死にした。
セリゾルドは完全に包囲され、敗北を悟ると、全面的な退却命令を発した後に自刃して果てたとか。
8万もいた軍勢は2万以下に減り、ほぼ無傷なのはコードラン率いる第五軍のみであった。
ハルバードも追撃はせず、無茶な掃討や包囲殲滅も行わなかった。行いたかったじゃろうが、マンマート勢とて既に限界に来ておったのじゃ。
クタラ会戦はこのようにして決着した。
ここまでで、何か質問はあるかの?
──ハルバードが初めから全てを予測していたんなら、二回の陽動には何の意味があったんでしょうか?
まさにそこじゃよ、重要なのは。
ハルバードは敵が偏心集中攻撃を仕掛けるのを読んだ上で、それを利用したのじゃ。
敵を左翼に集め、素早く後退できぬほど敵を密集させた上で拘束し、左右から射撃を浴びせかける。
これを実現するためには、敵には左翼に深入りしてもらわねばならん。
その深入り、つまりは全面攻勢を誘うために陽動を行なったのじゃ。
先の二つの陽動は、どちらもマンマート左翼への攻撃を牽制するかのような動きじゃ。
セリゾルドはその陽動を回避する度に心を固めておったろう。「敵は左翼への攻撃をやめさせようとしている。やはり左翼が弱点なのだ」とな。
そうして、彼奴は三つ目の陽動である"偽の隊列崩壊"に引っかかったのじゃ。
じゃが陽動にはもう一つ効果があったろう。
この作戦は、その成功を全ての将兵が確信して士気を保ち続けなければ決して成功できん。
名将ハルバードという武名が大きく寄与したじゃろうが、実戦となるとそれだけでは足らぬ。
故に、作戦が問題なく、勝利に向けて進行しているという安心感と信頼を固着させるために、陽動作戦というわかりやすい形で途中経過の推移を将兵に示す必要があったのじゃ。
敵は陽動に反応していない、作戦通りだ。だから勝てるはずだ。そう思い込ませるのが重要だったんじゃろうとわしは思う。
じゃが、少々疑問も残る。騎兵隊の動き出しが遅いことじゃ。
三重の陽動策で、三つ目に焦点を絞っておったのなら、偽の崩壊を始める直前に騎兵を動かし始めるべきじゃ。
しかして実際の騎兵隊の動き始めは、伏兵が登場し、崩壊しかけた隊列が袋状に再構成された後じゃった。
この動きと、他の戦力配置を鑑みるに、陽動策は三重ではなく五重まであったのではないかとわしは見ておる。
他の軍学者はそう思っておらぬようじゃがの、その分析と研究をまとめた論文を次の魔女学会では発表する予定じゃ。
「それで、どうしてそれを私に?」
クロスは率直な疑問を口にした。
そしてヘリルメリアは、シチューの入った匙を口にした。
食卓を囲む二人の間には、三巻の巻物が置かれていた。
「どうしてって、そりゃおぬし」
ヘリルメリアはきょとんと目を丸くしている。
「学会でわしに代わって発表してもらうからじゃけど」
これにはクロスも目を丸くする羽目になった。
「なんじゃその顔は。あのなあ、わしはこの大要塞から動けんのじゃぞ? 学会に出席して、わしの理論を解説してもらう代理人が必要じゃろうが」
「それ、は、はい、わかりますけど」
「どうして私なんですか?」という言葉は呑み込んだ。
言う必要がないからだ。
「これまでは適当な副官に任せておったんじゃがの。より学識に優れ、賢い者にやってもらうに越したことはなかろう。しかもおぬしは学会までにはシリネディーク城に戻るんじゃろ? もののついでってもんじゃよ」
「でも、軍事は素人ですよ私」
「じゃからこーして話しとるんじゃろがぁ! 春までに、わしの論文が理解できる程度には知識を身につけてもらうぞ」
押し付けられているようで、確かに少々不快感はあった。
だがよくよく考えたらば、実に良い機会でもある。
"軍の魔女"から直接、何ヶ月も教えを授けてもらえるのだ。
これを機に、軍事の素人を卒業してしまっても良いのかもしれない。
「はい、そういうことなら」
「なんじゃいきなり素直になりおって。変な奴じゃのう」
「お互い様ですよ。それでは早速、教えの続きを授かりましょうか」
「生意気じゃのー。おぬしの師にそっくりではないか」
ゴン・ガンク勢の残兵2万と少しは、統王様ことコードランが指揮を引き継いだ。
当然じゃな。他の将はみんなおっ死んじまったんじゃから。
そこから更に逃亡兵が千人ばかり出るんじゃが、コードランは何とかあとの兵を率いてカガチ領を脱出し、タウミラン南西部のカン砦まで退却した。
そこで散逸兵の再集結やら再編成やらの他に、兵站の組み直し、負傷者の治療、そして根本的な戦略の練り直しを余儀なくされた。
その時のゴタゴタは知っておるか?
──讒言で統王様が罷免されかけた話ですよね? あの話大好きなんですよ。都に残っていた妊娠8ヶ月目の第一夫人が自ら斧を手にとって、罷免の辞令を携えて出発するところだった伝令を殺したとか。夫人はそのまま血がついた斧を持って玉座に押し入り、王に詰め寄って罷免を取り下げさせたと。
実際には斧で脅したのではなく、因果を説いて納得させたんじゃがな。
統王様はゴン・ガンク族の男には軽んじられておったが、自領に住まう異民族や女たちには好かれておったからな。
特に実の姉たちは蝶よ花よと細身で美しい弟を可愛がっておったから、下手に害したならば王といえど肩身の狭い思いをすること請け合いじゃったろうて。
まあそれはともかく、コードランは散り散りになった兵をかき集め、現地民も徴兵し、なんとか軍勢を2万6千まで回復せしめた。
物資と兵站の面では不安が残ったが、十分に備える時間は無かった。
ゴン・ガンクの敗残兵を掃討すべく、マンマート勢が進発したとの報せがもたらされたからじゃ。
この報せは事実じゃったが、実のところハルバードは追撃には不服じゃった。
追撃はマンマート豪族連合の総意による指令で、ハルバード本人はカガチ領内に駐留し、守備隊の制圧と占領の強化、民心の慰撫を優先したかったのじゃ。
カガチ守備隊の残存兵力は5千にも満たぬ小勢であったが、南端の小山に急造の砦を築き、頑なに抵抗を続けておった。
守備隊には一方的な侵略から国と家族を守るという大義があり、またゴン・ガンク相手にすら主権を譲らなかった歴史への矜持がある。
彼らは最後の一兵まで戦う覚悟だったじゃろう。その覚悟がいかに厄介なものであるか、同じく小国の出身じゃったハルバードはよう熟知しておった。
戦さに勝って時間の余裕を得た今こそ、カガチへの支配を確固たるものとし、迎撃態勢を整えておきたかった。
じゃが、膨張する一方であったマンマートの欲望は、既に暴走という表現に近いものになっておった。
貪欲に勝利だけを求めて拘泥し、敵を粉砕する快感に酔いしれ、祭りのような興奮に浴する。
そのような首脳部の乱痴気騒ぎにも、ハルバードは嫌気が差しておった。
じゃが、主命とあらば従わざるを得ぬ。
ハルバードは3万4千の兵を率いてカン砦へ進発した。
この動きを、ゴン・ガンク残存軍の首脳らは既に予測しておった。
そしてコードランは、これを野心の実現に近づく好機と捉えておった。
彼が示した指針はひとつ。
「奴らを残らず併呑する。可能ならば、誰一人殺さずに済むように」
これを完璧に実現する方法はたった一つ、調略じゃ。
マンマート豪族連合は寄り合い所帯の連合勢力じゃからの、総意に押し潰された個々の不満もくすぶっておったはずじゃ。
じゃが調略にはゴン・ガンク本国の外交筋と経済筋の協力が必要不可欠。
コードランがそれらを得るのは至難であり、また時間も足りるとは思えんかった。
腹芸をしておる間にまた合戦が始まってしもうては台無しじゃからの。
故に、取るべきは次善の策であると決定した。
すなわち、包囲じゃ。敵を完全包囲して戦意を奪い、降伏させる。
成功したならば、完璧とは言えぬまでも、互いの戦力をかなり維持したまま併合できるじゃろう。
しかし! コードラン勢は敗残兵と民兵を含めた2万6千! 対するハルバードの軍勢は練磨の精兵3万4千!
少数が多数を包囲するなど、無謀としか思われぬ。薄くなった包囲の壁を食い破られ、かえって各個撃破の憂き目に遭うじゃろう。
じゃが追い詰めたらば別じゃ。障害物へと追い詰め、自然の地形が包囲の一辺を担うならば、少数の軍でも他方の辺を分厚くできるんじゃよ。
それを叶えるための最適地として選ばれたのが、タウミラン北西部から湾に突き出す大牙岬。
そこへ敵を誘い入れ、崖に追い詰め出口を塞ぐのが目標とされたのじゃ。
誰もが息を呑み、我が大将の正気を疑う者も多かったじゃろう。
あの名将ハルバードが、そんな危険地帯におめおめ誘い出されるものか?
包囲されるを手をこまねいて良しとするであろうか?
包囲などという高度な機動を、綻びだらけの我らが軍勢で完成できるものだろうか?
まともに合戦しても勝ち目は薄いとはいえ、包囲戦など無謀と言う他ないのではないか?
結果はおぬしも知っておろう。
勝つんじゃよ、コードラン・ヴァルグホーン・ハーバントは。




