軍の魔女4
『どうじゃ? これでも全盛期の半分程度の大きさなのじゃがなぁ』
長机の上を、見せびらかすように歩き回る。
クロスは冷や汗を流しながら、それを目で追っていた。
ヘリルメリアのいたずら心は伝わるのだが、眼前の異様なる威容に圧倒されているのだ。
『まったく、おなごの裸にそうまで固ぅなってはのう。"兵の"とねんごろだったとは思えぬ童貞ぶりよの』
ここぞとばかりにからかいながらも、その顔には一切の変化もない。
黒く硬い表皮と満月のような妖しき目は微動だにせず、クロスへ向けられている。
あたかも、獲物に定められた鷹の照準のように。
「ア、アイランさんのこと、知ってるんですか?」
やっと絞り出したのは、ほぼ関係ない話題だった。
クロスの心の半分を占める人物の名が出たのであるから、ほぼ条件反射的にたずねてしまったのだろう。
『面識はあまり無いがの、話はよう聞いておる。諜報や暗殺が主任務のようじゃが、あれほどの武者を戦さ場で用いられたならば、実に面白き用兵ができるじゃろうなあ』
過去、"兵の魔女"が戦場で戦った歴史は、全く無いわけでは無い。
かつての"兵の魔女"の中には、成り行きから戦列と乱戦で剣を振るった者もいた。
だが、個が埋没しやすい合戦という状況においては、暗殺を旨とする静の剣は戦局への影響が微々たるものにしかならない。
有効なのはエルガンのような派手でよく目立つ剛の剣であり、その威をもって敵の士気を挫くことが大勢を決し得るのだ。
そのため、どれほど強かろうとも、"兵の魔女"は暗殺者や工作員として運用する方が、戦況の趨勢に大きく寄与するのである。
無論、それも使い方次第ではあるが。
『ま、ひとまず今日は休むとよかろう。心も体も休まらぬ日々が続いたろうからの』
とん、と体をひねって翻すように机の上で飛び上がる。
空中で回転しながら、あっという間に突起と体をたたみ、全身に擬皮をまとった。
そうして、ヘリルメリアは陽気な女児の姿で元の席に着地したのである。
「サイラス、トッテンバット、案内してやれ」
固まっている間に会話をさっさと切り上げられてしまった。
とはいえ、彼女の言葉ももっともだろう。二人ともひとつの仕事をやり遂げてから、やっと隙間風だらけの馬車ではなく屋内に腰を落ち着けられるのである。
冬の間は幾度も顔を突き合わせるであろうし、今なにかを急ぐ必要はない。
そう結論し、クロスは「それでは、また」と挨拶しながら立ち上がった。
ドアの方を向くと、既にトッテンバットがクロスの荷物を脇に抱えており、サイラスはもう廊下に出ているようだった。
「よろしくお願いします」と礼を取って、自分も廊下に出る。
その前に、何とは無しに振り返ってみると、ヘリルメリアはキセルをくわえてちょうど煙草を詰めているところだった。
何気なく澱みない仕草であったが、効率と機能の集合物であるハンターの行動としては、不自然なほど人間らしかった。
「フォーリーズ殿、こちらへ」
サイラスに催促され、廊下へ出る。その後ろをトッテンバットがついていった。
まるで囚人護送だが、ここは最前線拠点。礼儀もへったくれもない、純然たる軍の施設なのだ。
ならば、せめて会話でもしてみよう。
ダグナマンバは大きいのだ。一冬という時間はヘリルメリアとの会話には十分だが、ダグナマンバを知るには不足に違いない。
「ここは、要塞のどのあたりなんですか?」
質問には、先導するサイラスが答えた。
序列や役職から言っても、彼が答えるのが正しいのだろう。
「第三郭部だ」
「郭部?」
「ダグナマンバ大要塞の本丸は入れ子構造の多層城塞になっている。冷気を防ぐためだ。最奥の中心部、第一郭部は温泉やその熱を利用するための変換器や濾過器、注水器といった各機関と、それらを管理する人員の作業場。第二郭部は温泉を直接利用する浴場や農場の他、雪を溶かして蒸留する設備や温石の製造設備も置いている。第三郭部が居住区だ。兵営が大部分だが、調理場や酒蔵や武具師の鍛冶場もある」
城砦にも用途に応じて様々な種類がある。
単なる野営の補助としての防塁、兵站の中継点としての軍需拠点、野戦用の急造陣地、都市防衛のための城壁。
ダグナマンバは籠城を前提とした防御要塞であり、連峰の隙間を塞ぐ大壁維持のための都市でもある。
そのため、生活の場としての最低限の機能を有しており、中長期の運用が想定されている。
それがどのような意味を持つかというと──
「参謀! 喧嘩です!」
息を切らせて走って来た兵士の報告に、サイラスはため息をついた。
兵士たちはいずれも士気高く、屈強ではあるが、個々人にそれぞれの事情があり、性格があり、軍歴や経験も異なる。
その異なりが、閉鎖的な空間内での中長期共同生活では必ず何らかの衝突を生むのだ。
知性ある生物による非流動的な社会では必ず起こるものであり、その現象自体には監督者にも、当人たちにすら原因はない。
だが、責任はあるのだ。
「フォーリーズ殿、申し訳ないが私はこれで失礼する。後はトッテンバット殿に」
サイラスは苦々しい顔でそう断ると、報告に来た兵士を伴って走り去ってしまった。
呆気にとられているクロスの隣に、ボーグルの大柄が立つ。
「そういうことだ、よろしくな」
笑顔を一度浴びせかけ、前を歩き出した彼にクロスは追いすがった。
その大きな体で前を歩かれては前方が見えなくなるため、今度は横に並んで歩くようつとめる。
「ダグナマンバは何層まであるんですか?」
「ん? 第五郭部までだ。第一から第三まではサイラスの言った通り。第四郭部は移動や兵器運搬用の通路が主だが、武器や兵器、食料などの物資倉庫、あとは屋内練兵場があるな。食料庫はあえて外の冷気を引き込む構造になっていて、兵糧を冷やして保存している。そのせいで外の魔力が入り込んでエレメンタルが発生しやすくなるんだが、それを予防するのが俺の仕事の一つってわけだ」
「ということは、食料庫はこの本丸にしか無いんですか?」
そうたずねると、トッテンバットは感心したようにクロスを一度見下ろした。
ダグナマンバの火術士は二名。どちらも本丸勤めで、片方が温泉の管理、もう片方が食料庫の管理。
そうなると、東西の他の砦には食料庫を管理できる人間がいないことになる。
故に、食料の管理は本丸でしか行えず、砦の構造がそうなっているからこそダグナマンバの火術士は二名でも支障なしとされているのだろう。
その結論に即座に至った機知をトッテンバットは心中で褒めたのだ。
「ああ、そうだ。全ての砦はそれぞれ地上・空中・地下を通る三本の連絡通路で繋がっている。だから食料庫は本丸にあれば十分というわけだ。ちなみに兵営は無いが、仮眠用のかまど型トーチカは随所に置かれている。この第四郭部は外の冷気が届き始める場所だからだ」
「第五郭部が防衛用の区画ですか?」
「その通り。大壁と本丸の間にはおおよそ200mほどの空間がある。その空間で、侵入して来たエレメンタルどもを迎え撃つ。第五郭部は援護や兵員の移動、交代を行うための場所だ。大壁まで通じる地下通路の出入り口もあるが、こいつは戦闘中には使わない。危険だからな」
「エレメンタルが大壁を越えてくることがあるんですか?」
大壁はトグナイア連峰の隙間を塞ぐ巨大な防壁である。
ダグナマンバ大要塞の本丸はその大壁の南側にあり、大壁の防備を支え、補佐する要塞なのだ。
「そりゃあな。奴らは強大だ。大壁だけで防げるのならば、ダグナマンバにこれほどまでの巨大さは不要だろう」
「でも、そうなると兵士たちは外で戦うってことに」
「日によっては眼球すら凍りつく寒さになるが、連中の侵入を阻むには、これが一番確実なんだ。冬が来れば、あんたにもわかる」
クロスは嵐の中で水エレメンタルと戦った時のことを思い出していた。
激しい天候と魔力の乱流はエレメンタルに強大な力を与える。
だとしても、山ほどの高さがある大壁と、そこで待ち構える軍隊を乗り越えられるような力があるかとたずねられれば、容易く首肯はしかねると思われた。
「それより、あんたか? コギ谷で嵐と戦ったんだってな?」
「え、うーんまあ、戦ったのは"石の魔女"さんですけども」
嵐と戦った。
どこでどう尾ひれがついたものか、あの件がどのような超人伝へ変貌を遂げたのだろうか。
クロスにそれをわざわざ指摘するような無粋さは無かったが、あれを自分の手柄と思い込むだけの図太さも無かった。
「俺はコギ谷の出身でな、故郷が世話になった。お礼なんぞもう聞き飽きちゃいるだろうが、俺からも言わせてくれ。ありがとうよ」
「いえいえ、私なんかがそんな」
「謙遜するな、火を吹くカンテラで雨雲を追い払ったと聞いたぞ。まあ、そいつは誇張した話だろうがな」
火を吹くカンテラ。雨雲。
水エレメンタルに火術を使ったところを見たのは"石の魔女"ガニツ・グ・スゥレイのみ。
となると、この話の出どころは彼女だ。
何事も激しき語彙をもって語る彼女の言葉を、ボーグル人たちが誇張して解釈したのだろう。
それを修正しようとしないあたりがまた、ガニツらしいと思えた。
──困った人だなあ。
呆れるようにため息をつくと、トッテンバットが立ち止まった。
目的地にはまだ着いておらず、その巨体はまっすぐにクロスを見下ろした。
「それでな、そのカンテラを見せてもらえないか? その腰に下げているのがそうなのだろう?」
体を傾けて覗き込みながら、クロスの腰に下がったカンテラを指差す。
彼の声は、いくぶんか弾んでいた。
「ああ、いいですよ。そんな特別なものでもないですけど」
腰から外したカンテラを渡すと、トッテンバットはそれを目の前まで持ち上げてまじまじと眺め始めた。
その表情は真剣そのもので、クロスは少々困惑してしまう。
このカンテラもシリネディーク城を経つ時に師から渡された特製の品ではあるが、機能はごくありふれた"魔女の灯籠"と同じものだ。
既製品と異なるのは"屍の魔女"の紋章が上部に彫刻されている点と、底部にゴロ錬鉄が使用されている点ぐらいだろう。
それをじっくりと眺め尽くした後に、トッテンバットは唸りながらまずは「すごいな」と呟いた。
「このカンテラは、特注品か?」
「ええ、その、師匠が──アッサルートが作ってくれたものです」
「道理でな。こいつは"尽きぬ種火"だ。俺も見るのは初めてだ……」
「何です? それって」
「こいつを見ろ」
カンテラをクロスの目の前にぶら下げ、ガラス越しに灯の芯になる部分を指差した。
カンテラは中にロウソクを差すか、下部に貯蔵された燃料から伸びる紐に火を灯すかで、照明として利用する。
魔女が燃料として利用するのは魔力液だ。それを不燃性の金属に込めて、灯の芯とする。
炎は芯の中で燃え、芯に開けられた穴から漏れ出る光で暗闇を照らすのが、魔女の灯篭の主流の仕掛けである。
「この芯は金属じゃない、岩石か何か、おそらく溶岩から削り出したものだ。空洞もなければ、燃料もない。というより、何の仕掛けもない。ただ固定する台にはまっているだけだ」
「ええ、特殊な魔石を使ったもので、魔力を当てるだけで火がつくそうです」
トッテンバットはふぅむと唸って息をついた。
腰に手を当て、やや逡巡する。どう説明したものか、と。
「あのな、火なんてもんがあまりにもありふれ過ぎちまってるせいで実感が湧かないのかもしれんが、何かが点火する、引火するなんていう反応が起きるためには、それはそれは大変な熱量が必要になるもんなんだ。昔の人は指先一つぶんの火を作るのにさえ、全身にあらん限りの力を込めながら何分も木を擦り合わせていたぐらいだ。しかし、こいつは──」
カンテラの横で軽く指を鳴らす。
その直後にカンテラには火が灯り、芯は煌々と光を放った。
「──ごくわずかな魔力をぶつけるだけで、火が灯り続ける。燃料の供給もなければ、既に高温だったわけでもない。完全に冷え切った状態から、一瞬で点火される。しかも炎自体が強い魔力を帯びていて、触らずとも簡単に魔力誘導ができる。あらゆる火の魔法の触媒になれる親和性と安定性を兼ね備えていながら、そのエネルギーはほぼ無尽蔵。たとえ火が消えたとしても、溶岩の深奥に火の熱さが残り続ける」
「それが"尽きぬ種火"なんですか」
「ああ、火術士なら誰もが欲しがる品だ。これ一つあれば、どんな火の魔法も思いのままに、途切れることなく使い続けられる。扱うための自分の魔力が続けばの話だがな。この種火は、おそらくあと3万年はもつだろう」
「さ、さんまん!?」
これまで「そういうものかあ」と気を抜いて聞いていたクロスも、3万年という数字には驚いた。
「なあに、これでも"尽きぬ種火"の中では短命な方さ。パドミ拝火教が本尊として崇めているものは、あと1億7000万年は熱を保つと言われている。世界の誕生と同時に生まれた火が分かたれ、今もなお燃え続けている、という伝承が本当なら驚くことはない。残りの寿命を遥かに超える時間、これまで燃え続けてきていたわけだからな」
このカンテラは、諸々の荷物が詰まったザックに引っ掛けられて、きぃきぃと軋みながら揺れている状態で手渡されたものだ。それも師自らの手によって。
まさかそれほどの貴重品とは思わず、これまで散々雑に取り扱ってきたことを後悔せざるを得なかった。
"胞の魔女"の家などでは、取っ手を外して鉄の蓋をこじ開けるのに使ってしまっている。
そう思えば、自然に冷や汗も垂れてきた。
「このちっぽけな溶岩の、限りなく0に近い深奥では俺たちには想像もつかないほどの膨大な熱が渦巻いている。俺たちがその一部をちょいと取り出して炎として使うことなんざ、例えれば海の水をスプーンでひと掬いする程度のもんなんだろうなあ。だからこそ、人の手では絶対に作れない、まさに天からの贈り物ってわけだ」
嬉しそうに"尽きぬ種火"を眺め、笑う。
トッテンバットならずとも、火術士ならば誰もが目にするだけで喜びを覚えるだろう。
その様を見て、冷や汗を拭いながらもクロスの心中には誇らしさが芽生えていた。
そして、心に誓う。袋に詰めて湯たんぽ代わりに足に敷くのはもうやめよう、と。
「良いもんを見せてもらった。大事にしなよ」
まるでそれに釘を刺すかのように笑いかけられ、カンテラを手渡される。
一体どうしようか、と少しの間おろおろと逡巡した後、結局元どおり腰に着け直した。
結局、そこ以外に置いておく場所も方法もないのだから仕方がない。
その様をワハハと笑って見届けながら、トッテンバットは歩き出していた。
急いで後を追うクロスの足音にすら、可笑しさを見出しながら。




