軍の魔女3
「驚きましたよ、てっきりあそこが正門なのかと」
「そんなはずが無かろうが。あそこは正門が雪で開けない時に使う通用口じゃ。吹雪のせいで今は見えぬが、それはもう立派な門があるんじゃよ」
一行は木板で舗装された地下道を歩いていた。
あれから数分間、クロスの呼吸が整うのを待ち、それから奥のドアより階段を降りて進んでいるのだ。
「ああ、それとな、協会長殿からここのことはどれほど聞いておる?」
「大体のなりたちとか、城塞としての機能とか、あと専任の火術士がいるってぐらいですかね」
「そうかそうか、協会長もお人が悪いのう」
「どういうことですか?」
「明日か明後日あたりから冬じゃ、その間、ダグナマンバは籠城態勢に入る」
思わず「へ?」と間抜けな声が出てしまう。
籠城態勢。つまりは完全封鎖だ。
「次の年越しと啓蟄は、是非この要塞で迎えるといい。豪勢なゴラの丸焼きが出るぞ」
本格的な冬に突入したダグナマンバ大要塞は、殺人的極寒地帯で唯一のオアシスともなる。
最も近い人里までは吹雪荒れ狂う雪原を1.4kmも進まねばならず、南側であっても雪原の気温は−20℃を下回る。
除雪馬車による街道の手入れもできなくなるため、冬の間は要塞に近づくことすら困難。
クロスらが乗ってきた馬車は強引に運行したものであり、本来ならば一週間前にはもう街道の除雪を停止し籠城を実行しているところであったのだ。
故に、冬が明け、短い春が到来するまで、クロスはダグナマンバに足止めされざるを得ないのである。
「そ、そんな! 招待状はあと四通もあるんですよ!? 春まで足止め食っちゃったら間に合いません!」
「どうせ学会は八月じゃろぉ? 五ヶ月もあれば間に合う間に合う」
「魔界在住の方もいるんですよ! 皆さん準備なんかはもう済ませてらっしゃっているんでしょうけれど、回り切れませんよ!」
「さりとて、おぬしが今この瞬間にここに居てしまっておるのならば、春まで出すわけにはいかんよ。それに、冬の間はどこにも行けぬと定めたはわしでも統王様でもない、北の猛寒気どもじゃ。文句ならば雪の粒ひとつひとつにぶつけてやることじゃな」
これは厄介なことになった、とクロスは愕然とした。
"軍の魔女"に招待状を渡したならば、残る魔女は"群の魔女"、"界の魔女"、"鳥の魔女"、"史の魔女"の四人。
だがこの内二人が魔界在住である。直接会って届けるならば、あと六ヶ月はかかるだろう。
アッサルートはそれらを知っていたはずだが、相互紙が使えない以上真意を確かめるすべはない。
何かいい手を打ってくれているはずだ、と信じる他なかった。
「ま、そう気に病むな。いざとなれば招待状無しでも参集する程度の図太さは、魔女であれば誰しも持っとるじゃろうて」
からからと笑いながら階段を上がり、ドアを開ける。
地下道は門や広場を超えて本丸、それも詰所の一つに直通だったようで、大勢の兵士たちが座って雑談をしたり、カードやサイコロに興じていたり、軽食をかじりながら手紙を読んだりしていた。
「司令官が帰還!」
しかし、ヘリルメリアと一緒に入室した兵士の一人がそう呼びかけると、全員が各々の私事を中断し直立した。
喧騒は一瞬で静寂に変わり、ゆるんだ表情は臨戦のそれへと引き締まった。
その整然とした光景に思わず仰け反るクロス。彼は今はじめて、ヘリルメリアが大要塞の司令官であることを肌で実感したのだ。
「伝令官、前へ」
「はっ!」
当のヘリルメリアにとって、それは全く日常の出来事でしかない。
兵士たちに指図する声とて固くもなく柔らかくもない、自然体な響きであった。
「サイラスとトッテンバットを第三軍議室まで。後は、そのまま」
外套を脱いで兵士に預けながらそう言うと、前に出てきた伝令は敬礼をしてから走り去った。
他の、直立していた兵士たちも改めて席に着き、各々の休憩を再開した。
先ほどまでと違って、やや控えめの、一度熱がリセットされた喧騒ではあったが。
それに構わずヘリルメリアは進み、クロスは後を追う。
椅子に座ってようやく背丈が並ぶ女児のような司令官に、最前線の兵士たちが整然と従う姿は異様ではあったが、驚きには値しなかった。
兵士たちの所作からは、上官の命令や肩書きの権威を越えた敬意がにじみ出ていたからだ。
「皆さん元気ですね、北の果ての地にしては……」
声を潜めてたずねる。
気になったことは直ぐに質問しなければ気が済まない性分だったが、何を周囲に聞かせないべきかはわきまえている。
そしてヘリルメリアはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「ダグナマンバの大防壁は、1.3kmものトグナイアの隙間を塞いでおるが、要塞そのものは中央よりやや東側に寄っておる。何故だかわかるかの?」
「いえ」
「そこに温泉が湧いたからじゃよ。トグナイアの下にはマグマが流れておるようでな、温められた地下水が吹き出すんじゃ。ダグナマンバの本丸はその温泉を中心に建てられておるんじゃよ」
「温泉、ですか?」
「最重要の防衛目標じゃ。源泉の方からは魔力液が作れるし、要塞全体を温めることもできる。簡単なマメ類を栽培するための温室も保てておるし、雪を溶かして飲み水にするための熱源にもなる。何より、浸からば兵らの疲労回復は言うに及ばず。低体温症と凍傷の予防、衛生管理や自律神経の整調! まさにここを守備するには必要不可欠な存在じゃ」
「は、はあ」
「まあそんな顔をするな。統王も言うておったはずじゃぞ、軍に最も必要なものが矛や盾とは限らん」
本来、どのような大軍勢を置こうと、むしろ大軍勢であればあるほど、寒さがもたらす諸現象による士気低下は著しい。
はるか氷点下の猛吹雪の中で孤立を極めながら、その環境で最も強くなる氷エレメンタル相手に数ヶ月も持ちこたえる。それは軍事的な無謀と言う他ない。
その無謀を100年単位で押し通してきた原動力の最たるものが、大要塞の中枢に湧き出た温泉と、東の砦が守る源泉であった。
隙間を塞ぎ、幾重もの壁を隔てようとも、冷気はじわりじわりと浸透し要塞と兵員を身も心も凍てつかせる。
疫病が如く染み渡るその凍気を押し返す温かさは、要塞と兵力の維持には欠かすべからざる要素だった。
「ここは尋常の要塞ではないぞ。他方で培われ、編み上げられた既存の戦術や兵法はまず役に立たん。そもこれだけの規模の軍事拠点が、戦略的な意義ではなく自然災害の防止というだけの理由で置かれ続けておるのじゃ。それだけで、敵の恐ろしきを想像するには十分じゃて」
一行が進む廊下は古めかしく黒ずんでいたが、木材の配置は入念で、手入れも行き届いている。
兵たちは軍務のみならず、要塞を維持するための雑務もこなさねばならない。
いきおい、技術者としての側面を持つ者も多く、それらを確保するためにも大人数が必要になる。
絶え間無く手入れを行い、寒気の侵入をゆるすような隙を埋めるには、結局多くの軍勢を置かねばならないのだ。
そのぶん、兵士の労務は激しいものとなるであろうに、行き交う兵たちの士気は高いように見えた。
彼らは皆コー・ナイルで目にした時と同様に皮鎧をまとい、毛皮の帽子に防寒用のコートと手袋に厚革のブーツを身につけていた。
それだけなら防寒用の装備とも思われたが、全員が棍や斧、ウォーピックなどを腰に差し、盾を背負っている者もいた。
「随分、重武装ですね。ただの冬ごもりにしては……」
「ま、その訳はおいおいわかるじゃろ。ほれ、着いたぞ」
ヘリルメリアがドアを開くと、そこは中央に長机といくつかの椅子が置かれ、壁際に暖炉が一基据えられただけの殺風景な部屋だった。
無駄に空間が広いように見えるが照明は多く、彼女はその一つ一つに火を灯していく。
伴を務めていた兵士たちも敬礼の後に下がり、部屋には二人だけが残された。
「荷物はひとまずそのへんに置いておくがよい。後で個室まで運ばせるでな」
最後の明かりを灯しながらの言葉に甘え、まずは荷物を置く。
そこで初めて荷物の隙間に挟まった雪らを見つけて、手で払い落とした。
軽くはたけば、雪は溶けながら床に落ちていく。どうやら、本当にこの要塞はそれなりに温かいようだ。
息も白さを失っており、指先や足先の痺れるような感覚も無い。
この部屋はどうやら、要塞の中でも内部に位置する場所のようだった。
「さて、それでは今おぬしが置かれておる状況について話して進ぜよう」
椅子の一つに座り、向かいの席を勧める。
彼女の座った椅子は他のものに比べて幾分か高く作られており、子供用の高椅子と言った風情であった。
その向かいに腰を下ろすと、すかさず言葉が浴びせられる。
「まずは、おぬしより感謝の言葉の一つでもいただこうかの」
クロスははじめ、きょとんと目を丸くさせた。
だが、じきに思い至ると、慌てて頭を下げた。
「コー・ナイルではありがとうございました、軍勢を割いてまで協力してくださって……」
ヘリルメリアの協力あってこそ、あの裁判を乗り切れた。その礼をまだ言っていなかったのである。
ただ当人は快活に笑いながら「律儀じゃのー」と返してきたが。
「ま、その律儀さにつけ込ませてもらおうかの。今回、勅命に従い叛徒どもをひっ捕らえたわけじゃが、いかほどの人数をコー・ナイルに送るかはわしの裁量に委ねられておった。かの街は実際の大きさ以上に大きい。平らかを保つには1200の兵士を置かざるを得んかった。わしがそのようなことまで気を配る義理は本来無いのじゃがな、コー・ナイルはダグナマンバにとっても重要な、補給の中継地点じゃからの」
足をぱたつかせながら話す様子はなんだか楽しげであった。
「この要塞には全体で6万ほどの兵が駐留しておる。じゃが、今年の冬は既に1200もの兵を欠いた状態で越さねばならん。それも、欠けた1200はいずれも統率に優れ、肝の据わった精兵どもじゃ。この穴は大きい」
ここまで話したところで、部屋のドアが開かれた。
振り向くと、先ほどヘリルメリアが呼びつけていた者と思われる二名が入室していた。
片方はちぢれたヒゲを下あごに蓄えた、日焼けしているボーグル人。
もう片方は、左手首から先がカギ型の義手になっている壮年の現界人だった。
どちらも屈強かつ自然体であり、古参兵、という言葉を自然と頭に浮かばせる男たちであった。
「ちょうどよいな、クロス、こっちのボーグル人はトッテンバット、要塞火術士じゃ。現界人の方はサイラス、わしの参謀で、憲兵の指揮を任せておる。互いに挨拶せい」
「サイラス=ボッツ・ゾーレルです、以後よろしく」
「トッテンバット・ギィレググ。会えて光栄だ」
二人が礼を取ったので、クロスも急いで立ち上がって「クロス・フォーリーズです、よろしくお願いします」と返した。
「火術士はあと一人おるんじゃが、そやつは温泉の管理専門で一日中仕事場に詰めておるでな、湯に入る時にでも挨拶しておけばええじゃろ」
話を続けながら、手振りで再度の着席を促す。
それに従い席に着いても、サイラスとトッテンバットは立ったままだった。
「話を戻すぞ。コー・ナイルに兵を出すにあたっては、実はおぬしの師、協会長殿に相談しての。十分な兵数を派遣してくれるなら、その穴埋めに火術士を一人よこすと約束してくれたのじゃ」
「えっ」
「クロス、確かにおぬしは客人じゃ。しかしな、実は現時点を以ってダグナマンバ守備駐留軍の一員として任命する」
「ちょ、ちょっと待ってください、私も戦いに加わるんですか? 火の魔法なんて"移り火"ぐらいしかまともに使えませんよ。あとは火を押したり飛ばしたり、魔道具の種火に吸わせたりする程度で、とても1200人ぶんの働きなんて」
「十分じゃよ、おぬしには10人ぶん程度の力があればよい。あとの1190人ぶんはわしの指揮でいかようにも、な」
要するにクロスはやんわりと身売りされたということらしい。
これから春まで、客人としてではなく、一員として守備に努めなくてはならない。
それも、1200人力の火術士として。
トッテンバットが小さく吹き出す音が響いたが、クロスは気付きもしなかった。
「まあ色々報酬もある。戦傷手当や医療福祉特典、施設使用料の免除に、配給権もあるぞ。短期ゆえ年金はつかぬが、火術士待遇ならば俸禄も破格じゃ。更に、おぬしにはわしの従士も勤めてもらうからの、わし個人からの礼金もある」
「従士もですか? 着付けや作法なんて何も知りませんよ」
「なあに形だけじゃよ。協会長殿からは、色々と叩き込んでおいてくれと言われておるでな。おぬしをそばに呼ぶための方便じゃ」
そこまで言うと、「さて」とわざとらしく声をあげ、魔女帽のつばを両手で掴んで正して見せた。
察したクロスはポケットから招待状を取り出し、差し出す。
ヘリルメリアはあっという間に奪うように受け取ると、人差し指の皮の奥から刃の突起をはみ出させて封を切った。
一瞬後には再び皮は閉じられ、彼女は素早く招待状に目を通していく。
その全てを読み終わった瞬間、少女の正中線に裂け目が生じた。
切れ目はそこから全身へと枝分かれし、そこから皮膚が剥け始める。
剥けた皮は虫の羽が如く整然と、機械的に畳まれていき、その下に常にあった黒い塊を露わにした。
皮膚の下でまとめられていた突起が開き、関節が組み替えられ、擬皮は背中側へとまとめられていく。
数秒もすると、そこには一匹の異形の獣がいた。
骨格そのもののように細いが、鞭のようなしなりをもそなえた体と手足。
獣のような四足歩行の前足に指はなく、腕自体が一本の鋭い針のような突起となり、それに沿うように他の鋭い突起が何本も生えている。
全身の皮膚は骨のような硬さを感じさせる質感をそなえ、光沢があり、全身が余すところなく紺色の色味が混ざった黒によって染まっていた。
唯一の例外は鼻も口も耳もない覆面のような顔に張り付いた、拳大はある二つの大きな目のみ。瞳の無い、満月のように丸くて輝く金色の目だけが全身の闇から浮かんでいた。
頭部から背面にかけて、そして胴体の前面部からは何十本もの鋭い突起が生えており、短くて手のひら大、長いものでは人間の足の付け根から爪先までの長さを持つものすらあった。
そして、前面部から生えている針は床に突き立ち、動き、歩行と姿勢維持を補助しているようだった。
鋭い突起は後ろ足からも生えており、既にブーツを押しのけて脱がしている。
それらの中で、服ごと折りたたまれまとめられた擬皮が、コウモリの翼のように背中の突起に絡んでいた。
その様はまさしく、人間の皮によって作られた翼膜であり、全身の異様さを更に引き立たせていた。
黒い刃の塊から覗く、金色の白目と、人皮の翼。
そんな生き物が背中の突起を動かして魔女帽を持ち上げると、改めて被り直し、クロスと正対した。
初めて目の当たりにした、ハンターの正体と変身。
クロスはただひたすら圧倒され、唾を飲む以外の動作を取られなかった。
──これが、ハンター。人類の天敵にして、最強の捕食者の姿。
『私は"軍の魔女"。軍の魔女ヘリルメリア』
先ほどまでの女性と確かに同じで、決定的に異なる、重奏が如き声。
慣習に則った、労いの言葉すらかけられなかった。
彼自身の本能からくる緊張が、椅子の上で彼を硬直させていた。




