軍の魔女2
「ああ、憶えておるよ。細かい人数まではわからぬが、まあ大体30人ほどは食ろうたかのう」
「実験のこともですか? 言葉を話せるようになった瞬間はどういう……いえ、言葉を話せるようになろうと思った動機はあったんですか?」
「当時はわしもただの獣じゃったよ。魔道士会の連中が一方的に実験を仕掛けるだけで、その意味は理解しておらんかった。投げつけられるもの、浴びせられるものをただ気ままに受けておっただけの日々よ」
クロスとヘリルメリアは暖炉にあたりながら語らっていた。
と言っても、クロスが次々に質問し、彼女はそれに答えるだけという一方的な会話であったが。
「言葉を話せるようになった瞬間はどう感じました?」
「なんというか、こう、今から思い返したらば、あれは驚きの感情だったのだろうと思う。林の木々がいきなり木造の家に瞬時に組み上がったような、鮮烈な衝撃じゃった。言葉というものが、現実の世界と繋がっていると初めて知ったんじゃからな」
「ハンターの多くは旅人や人里離れた場所に踏み込んだ人を狩ると聞きましたけど、稀に人間社会の中に潜伏する個体も現れます。そういった個体も同様なんでしょうか?」
「他の連中のことまでは知らんよ。だが、わしらは直感的に相手の挙動からその感情を読み取るのが得手じゃからな。言葉がわからんでも、人間との交流を避けるだけで、ある程度人間社会の中に身を置くことは出来るじゃろうて」
「そういうもの、なんでしょうか」
「案外、そういうものじゃよ。変人だと思われるということは、少なくとも"人"とは認識されとるということじゃからな」
ヘリルメリアの略歴はアッサルートから既に聞いていた。
彼女は魔道士会がある事例を再現しようとして行った複数の実験の、唯一の成功例である。
猛獣であるハンターを"人間化"する研究であったが、結局は個体差が最大の要因であるとの結論が得られたのみで、実用に足る研究とは現在は見なされていない。
「懐かしいのう。自分が赤子だった頃をつぶさに憶えているというのは、こういう心持ちなのやもしれんな」
しみじみと当時を懐かしむような表情。その自然な動きに、クロスは感心し通しだった。
ハンターにとって本来意図的に作り出すものであるはずの表情を、無意識的な行動として表出させるには長年の努力と反復が必要不可欠である。
肉体の意識的な反応と無意識的な反応、その境目は非常に曖昧なものとされているが、彼女の存在そのものに一つの答えが秘められているように思えるほどだった。
しかし、クロスにとって最大の興味はそこには無かった。
「ヴォロイス将軍は、どんな方でしたか?」
統王たるコードラン・ヴァルグホーン・ハーバントが、魔界王どころか一家の後継者ですらなかった時代。
彼は公子として同胞を率い、前線指揮官としての戦いを幾年も重ねた。
父である王の方便と体裁のために戦場へ送られ、またそれらのために戦死してもらうことが期待されていた身であった。
そのせいで、彼は王の子としてはあり得ぬほどの小勢を指揮するばかりであった。
それでも、勝敗を重ねながらもしぶとく生き残り、戦功を積み上げ、階級を一段ずつ上がり、ついに一地方領主としての権益と一軍の将としての軍権を授けられた。
その役目に就いたばかりの頃である。
自分の治める土地にハンターが出たとの報告が上がってきた。
噂話と学者の受け売りばかりで実物を目にしたことの無かったコードランは興味を抱き、そのハンターを退治するのではなく捕獲するよう兵に命じた。
そして二日後には、ハンターは捕らえられ、檻に入れられた。
大暴れして手がつけられず、何とか罠に追い込んで麻酔矢を何本も打ち込んで眠らせたのだ。
檻の中でも暴れたため、万一のことが無いようにと檻には布が被せられ、その状態のままコードランの引見の間に引き出された。
しかし、彼はその時ちょうど行政官を叱責しているところで、終わるまで檻を隅に置いて待たせるよう命令した。
この行政官は登記上のミスを犯し、とある10世帯の家族に、あわせて1世帯ぶんの戦災補償しか施さないようにしてしまった上、疑問に思った現場の人員からの陳情を聞き流して事実上黙殺してしまっていたのだ。
この家族らのうちの数名が生活に困って兵士たちから盗みを働き、事情を知らない兵らが不逞の輩として暴力的制裁を加えてしまったことで問題が露見したものであるが、コードランが事態を収拾する頃には民族間対立にまで発展しかけていた。
暴行を加えた兵士がゴン・ガンク族であり、暴行を受けた者が被支配種族であるタウミランだったからである。
このような問題を理不尽な事故ではなく、単なる怠慢から引き起こしたとあっては激しく叱責するのも無理からぬことであり、行政官もひたすら陳謝して許しを乞うばかりであった。
やがて、長い叱責が済むと、処分は追って沙汰すると結論づけた上で蟄居を命じ、下がらせた。
それからようやく部屋の隅で待たせていた檻を眼下に引き出し、布を剥ぎ取らせた。
そこで露わになった、初めて目の当たりにするハンターの姿に彼は機嫌を直し、感嘆の声をあげて目を丸くさせた。
ハンターの方は視界を遮っていた布が取り払われたことで再び暴れ出し、檻を攻撃し始めたため、兵士の一人が鞭打って制止を試みる。
鞭打たれたハンターは人の姿に擬態した。同情を引こうと思ったのだろう。
その行動自体は特殊なものではない。人の姿をして同情を買い、獲物を油断させるのは常套手段であり、よく知られた生態であったからだ。
その場にいる全員を驚愕せしめたのは、擬態したハンターが即座に、覚束ないながらも人の言葉を話したからだ。
「おゆるしを」「ごようしゃを」と、無表情のまま懇願するような声で。
衛兵や近侍はとにかく驚くばかりだったが、コードランは即座に気がついた。
言葉の選択や声の調子が、先ほど叱責された行政官のそれと非常に似ていることに。
このハンターは、言葉を真似たのだ。その言葉が持つ意味を直感的ながらも理解した上で。
興味本位で捕え、最終的には処分するつもりで引見したものの、俄然さらなる好奇心をかき立てられた。
この日を境に、コードランは自らの手でハンターの教育を始めたのだ。
政務や軍務の合間を縫い、毎日会っては言葉を教え、世の中のことを教授した。
それは、この時点では夫人との子宝に恵まれていなかったコードランにとって、手探りながら初めての子育てのようなものであった。
つたなく、不十分な授業であったろうが、ハンターは持ち前の知能でもって次々に新たな言葉を憶えていった。
言葉を学び、使えるようになれるほど意味に精通するようになれば、不思議なもので自然と人間的な情緒や知性、社会性も芽生えていった。
あるいは、それはコードランとの交流の中で萌芽したものであり、もとより種子は存在したのかもしれないが。
そのような日々が9年も続き、一頭のハンターは既に一人前の人間そのものへと変貌を遂げていた。
殿様の酔狂な道楽と断じ、陰ながらあざ笑っていた者とてもう一人もいなかった。
コードランは、ハンターに新たな名を与えた。
ヴォロイス。彼はコードランに仕えることを自ら願い出た。
その後は軍事に興味を持ち、独学で兵法や軍の動かし方を学び、一将として兵を指揮するまでに成長する。
その才覚はコードラン本人をも遥かに凌ぐほどであり、野性的な直感力と洞察力で状況を把握するのに長け、類稀なる行動力と決断力で戦果を上げ続けた。
特にアーゲルン人との戦いでは思考の素早さと高い決断力によって、こちらの動きに対応させる時間的猶予を敵軍に与えず、早期の勝利に大きく貢献した。
現界への遠征においてはスロヴ方面へ進軍する魔界王の本軍から離れて北西部一帯を制圧するという大任を帯び、見事にそれを成功させた上、その後東進してダグナマンバからディゴ荒野までを攻略。
本軍とともにデルグンドラ諸侯を挟撃し、決定的な勝利をもたらしたのである。
ヴォロイス将軍。かつて一頭の獣に過ぎなかった者は、統王の覇業達成に特に貢献した五人の将軍、五大将の一人として数えられるまでになった。
統王からの信頼も厚く、彼はヴォロイス一人の人権を保障するためだけにハンターを民族認定し、法的に国民と定義したほどである。
今は既に亡くなっているが、統王はその死を惜しみ、ヴォロイスという名に新たにハーバントという姓を加えて、おくりなの代わりとした。
それは生前、ヴォロイス本人に固辞され続けてきた沙汰であったが、統王は「先に逝ったお前が悪いのだ。遺された者らへの償いとして、否が応でも受け入れてもらうぞ」と呟き、実現させたという。
ヘリルメリアは、そんなヴォロイス将軍の妻として半生をともにした女性である。
ひとつの伴侶とつがい続ける。それもまた、ハンターとしては異例なことだった。
「あやつは、礼儀正しく、紳士的で、しかし戦いのこととなると別人のような激しさを爆発させる男じゃったよ。それが面白くてなあ、わしもよく挑発してその気にさせたもんじゃ。実に、かわいらしい」
うっとりとした顔で昔を思い出す彼女の表情から、かつて何が行われていたのかを大方察したクロスであった。
ハンターは異性を力づくで屈服させる。その時と普段の時の差が大きいほど、ヘリルメリアには魅力的に映ったのだろう。
本来ならば互いに殺し合うハンターの夫婦がいかにしてそのような人間的な関係を築いたのかという興味も涌いたが、さすがにそれをたずねるのは躊躇われた。
「じゃが軍人としては、世評通りの将軍じゃったよ。獰猛で野生的な用兵は堅実的ではないが、狩りのように計画的。ハンターとして生まれ持った本能と直感力に、知性と軍略を結びつけて、軍事の成果を実現する。それはそれは惚れ惚れするような見事な手際でな、理性と本能が互いを高め合う稀有な武人と言えるじゃろう。ヨグロ=ナ=ダンド城攻略戦の時に偽兵をたてて相手を野戦に引きずり込んだ手腕などはもう幽玄とさえ言える心理戦の妙でなあ」
亡夫を語る彼女は何だか楽しげだった。
敬意と愛が等しく、そして高水準で同居している表情と、弾んだ語り口に、クロスはかえって切なさを感じた。
異性への愛情というものをつい最近知ったばかりで、その感覚もまだ色濃く実感として残っていたからである。
ヘリルメリアの愛と自分の愛をついつい重ねて、更にはヴォロイス将軍の死を惜しむ統王への敬意が悲愴を増大させたのだ。
「"軍の魔女"になったのは、旦那さんの影響ですか?」
そのせいか、ついつい茶を濁したような質問へと変えてしまった。
それでもヘリルメリアは、律儀に少しの間鼻を動物のようにふんふんと鳴らす。
おそらく、考えを巡らせる時の癖なのだろう。
「それは間違いなかろうと思うが、やはりあやつに先立たれて、暇な時間が増えたからじゃろうなあ。統王の奥方らの中で、元魔女じゃった婦人方と話してて、前々から興味を持ってたしの。それで、"軍の魔女"が後継者を探しておると聞いて名乗りを上げてみたんじゃよ」
当時の"軍の魔女"は、確かナン・シーラ=アル・バヴツ。
統王に降伏した7代目"屍の魔女"の幕僚だった人物である。
「どんな方でしたか?」
先ほどとあまり変わらない問いだったはずだが、ヘリルメリアは顔をしかめた。
機嫌を損ねたというよりは、考えあぐねている様子だった。
「うーむ、それが、どのような人となりであったのか、わしにはどうにも解釈できぬようなお人じゃった。余人を寄せ付けぬ雰囲気をまとい、実際に自分を理解してもらおうとは思っておらんかったようじゃのう。気は強かったが、見せびらかすような態度はなく、かといって慎しみ深いというわけでもない。それこそ、どんな人間でも毒舌をもって批判する人じゃったが、決して同じ言葉や主張を繰り返し言うたりはせなんだ。統王様や五大将を非難した時はさすがに閉口したがの」
"軍の魔女"の専門分野はその名の通り、戦略や戦術、軍隊経営の研究にある。
実際に兵を率いて理論を実践する機会も多く、先代の"軍の魔女"は三角連衡の乱の際には武装魔女と傭兵の指揮を任されていた。
「じゃが、わしを直弟子として迎え入れる時と、卒業させる時に、印象深いことを言っておったよ」
「なんて言ったんですか?」
「師の言葉は面白くての、言行録としてまとめておる。気が向いたら、読ませてやろう」
その時、馬車が停まった。
ヘリルメリアは「どうやら着いたようじゃの」と呟いて立ち上がり、外へ向かう。
クロスもまとめておいた荷物を背負い直して、慌ててその後を追った。
外へ出たクロスをまず出迎えたのは、顔が凍りつきそうなほどの冷風と猛吹雪だった。
自分の目の前にいるはずのヘリルメリアの姿すら朧げにしか見えないほどの濃い吹雪であり、目を開けているのすら困難だった。
さりとて、目を閉じればまつ毛が凍ってくっついてしまう。
なんとか手で雪よけを作り、目を凝らし耳を澄ませて情報を拾うしかなかった。
「こっちじゃ! 明かりの方向を目指せ!」
強烈な風の音に混じって微かに響く声に従い、明かりを探す。
なんとか見つけたそれの前には、ヘリルメリアと思しき小さな影も存在した。
膝近くまで積もっている雪を何とか踏み分けながら明かりの方へ向かうが、風に煽られ、よろけて膝をつく。
兵士たちに助け起こしてもらい、なんとか明かりの下へたどり着くと、玄関扉程度の大きさの戸が開かれた。
要塞への入り口にしては簡素に過ぎたが、今は一も二もなく飛び込んだ。
倒れこむように部屋へ入ると、後に続いて兵士たちがぞろぞろと入ってきた。
この短時間、短距離を進むだけでクロスはすっかり息が上がっていた。
冷たい空気が肺を冷やし、あっという間に体力と呼吸を奪ったのだ。
「ほら、しっかりせんか若もんが」
短時間で服に絡みつき、積もった雪を払い落としながら、ヘリルメリアが活を入れる。
兵士たちにもう一度助け起こしてもらうと、自分がどんな場所へ来たのかがよく見えた。
そこは、分厚い木材を幾重にも組んで作り上げられた、緻密な山小屋といった風情の部屋だった。
中央に暖炉が据えられている他は、出入り口と、奥の壁に取り付けられたもう一つのドアぐらいしかない部屋で、とても大要塞の玄関口には見えなかった。
しかしヘリルメリアはクロスの背を荷物越しに叩くと、にかりと笑った。
「ようこそ、ダグナマンバ大要塞へ」
最北端の軍事拠点にして最大規模の要塞。
ついに魔女協会領から、この遥か遠い地までやって来たのである。
荒く息をつく本人に未だその自覚はなかったが。




