法の魔女15
3日後、被告人不在のまま再開された裁判で、早くも新たな弾劾事由の提出が行われた。
先日のストランソームによる騒乱は被告人が企図したものであり、裁判の妨害行為に相当する違法行為であるという訴えだ。
若い魔道士たちの間であの件は大変な騒ぎとなっており、それは3日間という更なる醸成期間を経て一つの塊と化し、ついには魔道士会コー・ナイル支部の上層部をも動かしたのである。
そのような動議を起こさずとも、裁判再開直後には即座に有罪判決が下りたであろうが、あの屈辱と、積年の苛立ちを魔女に直接ぶつけずにはいられなかったのだ。
その点では、"兵の魔女"が直接的に自分たちに危害を及ぼしたというあの騒乱は、魔道士たちにとって彼女の言葉通りに自らの拳で以って憎らしき相手を打ちのめす格好の口実であり機会であったとも言えるだろう。
裁判騒ぎに自らの存在感を表したいという欲求、"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデルへの憎悪、裁判に対する苛立ち、これら全てを発散する最高の機会が提供されたのだ。
ブレーンを欠く個々人の集合であった若い魔道士たちは、それに飛びつかざるを得なかったのである。
それらの突き上げが高まり、上層部すらそれが無視できぬと判断し、領主側に新たな弾劾を申し入れる。
この全ての手順が履行されるにあたって、3日間という時間は多過ぎも少な過ぎもしない、実に絶妙なものであった。
これはサイザルの采配であったが、絶妙な時間を計っていたのは魔女たちだけではない。
「過日の騒乱は前後の言動からかんがみても明らかに被告人によって故意に引き起こされたものであり、入念な準備の下で実行されたものと言えます。その計画性は実に悪質なものと呼べるでしょう。故意の司法妨害は、それが計画的であった場合は二等級罪が新たに加えられると明記されていますが、本件を新たな罪状に加え、審議の対象とするよう原告は要求いたします」
「受理します」
魔道士会側の法定代理人の求めに即座に応じる判事。
緊急で割り当てられた、それもブランクの長い老人のわりには立派な語り口だな、とクロスは素直に感心を抱いた。
その感心さえも、結局は確固たる心の余裕がなせる業ではあるが。
『ここまで上手くいくと、まるで容易いことであるようにすら思えてしまいますね、謀なんて』
相互紙にすらすらと書き込む口調も筆致も、今では随分と柔らかくなった。
速さも向上したように思えるが、実際に速さを得たのは筆の速度ではなく反応の速度であった。
『マードックは恐ろしく狡猾で傲慢で独善的な指導者でした。その部下に甘んじるような人々とはつまり、恐ろしく鈍くて無知で直情的な能天気ということです。彼らに少しでも智恵がそなわっていたならば、とっくにマードックのやり方に幻滅して街を去っていたか、マードックを排除しようとして逆に排除されてしまっているでしょう。余人の野心に報いるものなど、彼は決して与えないのですから』
クロスは人が語るほどの姿をマードックからは見出していなかった。
関わった期間と機会の少なさのせいだろうが、その原因とは間違いなく、彼自身が普段の彼らしからぬ行動と決断の下で動いていたからなのだろう。
マードックがマードックたる所以を持たない間の彼しか、クロスは知らないのである。
だが、それでもあの爬虫人は多くの感想をクロスの心に残していった。
信念が無いという信念。信条を持たないという信条。道徳に縛られぬという道徳。
マードックがクロスの信念をただの執着と呼んで、心からそう見なしたのならば、ただ無視してしまえば良かったはずだ。
椅子に縛られたままの小僧の戯言だと思っていたならば、ただ黙って聞き流していたはずだ。
口やかましく、小うるさくて黙らせたいと思ったのならば、猿ぐつわでも噛ませておけば良かったではないか。
しかし、彼は反論を選んだのである。
その選択そのものが、マードックという人物が持つ本当の性質を表しているように、クロスには思えてならなかった。
彼は、否定し、唾棄したかったのだ。意味や信念というものを。
何かを信じることの馬鹿馬鹿しさを常に己に戒飭させながら、彼は生き抜いてきたのだ。
それが、あの老いた爬虫人の強みだった。その強みも、結局は信念の力なのである。
その矛盾を誰よりも知っていたからこそ、マードックはあの時、不必要な反論をぶつけてきたのではないのだろうか?
もしそうなら、その部下である彼らの行動が持つ意味も多少変わってくる。
野心はあるだろう、軽率な打算もあるだろう、だが、ただの愚直ではない。
それは更に力強く、そして危険な類の愚直さからくるのかもしれない。
極端な話、恐るべきことにマードックが今ここで騒ぎ立てる彼らから曲がりなりにも"忠"を得ていたかもしれないのだ。
『ともかく、計画通りにやっていきます』
そう書き入れて顔を上げると、立会人らの野次が雨のように飛ぶ中で、判事が半ば以上諦めながら裁判を進めていた。
横入りした新たな審議の争点は、二点。
あの騒乱がストランソームを故意に用いた司法妨害であったか、それとも単なる事故であったか。
司法妨害であった場合、突発的かつ衝動的なものではなく、計画的なものであったか。
この二点について、アイランに過失があるとの決定を下すよう、既に魔道士会と判事の間では了解がなされているだろう。
それらがスムーズに進行してしまえば、結局今日判決が下ることになるだろう。
そうさせないためには、結局、原告側の主張に真っ向から反発するのが正しい方法である。
ただ、それを舌戦によって行うのは控えなくてはならない。
魔道士たちの憎悪がこれ以上、直接被告側に向けられるような状況は避ける必要があった。
では、どうすべきか?
「それでは証人を」
「はい」
衛兵に守られながら、証人が入廷する。
事態をかんがみた行政使府によって、今回の裁判では特例として衛兵の増員が決定されていた。
背を丸めながら証言台に登ったのは、医者だった。
彼はこの街の監獄付きの医師であり、アイランがストランソーム騒ぎを起こしてから最初に現場に駆けつけた医者でもある。
日常に於けるその役目は囚人の健康管理にある。つまりアイランが事前にストランソームに寄生されていたならば、彼はそれを見抜け得なかったことになってしまうのだ。
例え、事前の発見が神業を必要とするような難しい状況にあったとしても。
「氏名を」
「はい、トンド・ソラオリスです。あの、証人として嘘偽りなく証言することを誓います」
ソラオリス医師のそのような立場の危うさを、魔道士会が利用しないはずはなかった。
彼はもともと領主に雇われている身、つまり魔道士会側の人間なのだ。
既に、解雇を免じるとの条件で、原告に有利な証言をするよう手筈が整っている。
ましてや、被告に有利な証言をしようものなら、偽証の罪を唱えられ己が魔道士に追い込まれる立場に転じてしまうのは明らかなのだ。
演劇の台本のように、法定代理人が質問を始めた。
「ソラオリスさん、医師として、ストランソームの治療にあたった経験はありますか?」
「はい、ヨーデバイルで勤めていた時は、月に二度か三度、ストランソームの患者を治療していました」
「ストランソームの生態について詳しいですか?」
「ただの医者ですので、専門家ほどにというわけには……」
「ストランソームの成長過程について説明できますか?」
「それならできます」
「では、お願いします」
医師の証言で決まるのは、被告がストランソームを司法妨害のためにあえて仕込んだかどうかである。
具体的には、あの個体が何日かけてあの産卵期に至ったか。あの個体が生後何日かがわかれば、逆算してそれを裁判の直前か裁判中に仕込んだのか、はたまた全くの偶然で寄生されたのかが明らかになるという論法である。
「今回確認されたのはストランソームの中でもデリタル種と俗に呼ばれるもので、主に腕の骨に寄生し、成長の早い種として知られています。特徴としては結節の間隔が長いわりに全長は短めで、比較的細い体をしています。しかし最大の特徴は鉤爪の形状で、他の種よりも長く、そして歪曲しているため成長と共に凄まじい痛みが──」
「ソラオリスさん、その種の成長期間、というよりも本件の個体の日齢を教えていただきたい」
「はっ、し、失礼しました」
それきり、医師は、明らかに狼狽の様子を見せながら口をつぐんだ。
人目が多くて緊張しているのは確かだが、いきなり躊躇するように口を震わせ始めたのだ。
その豹変ぶりを、法定代理人は多いに訝しむ。改めて「ソラオリスさん?」とたずねさせる程度には。
やがて、医師は額の汗を拭うと、意を決したように口を開いた。
「デリタル種の成長期間は、おおよそ12日から30日ですが、本件の個体は結節の数と、全長、太さと推定頭囲から……間違いなく30日以上の個体かと」
立会人席が一斉にどよめいた。
30日前と言うと、この裁判が影も形もなかった頃であり、まだクロスすらコー・ナイルにいない時期である。
そんな以前から、この裁判を予測してストランソームの卵を仕込んでおくことなど可能であろうか?
いかに"兵の魔女"が人の理を超えた怪物であろうとも、そのような正確な未来など看破できようはずもない。
この証言は、はっきりと被告は無実だと主張したに等しかった。
ついに怒号や罵声が散発的に上がった。
「でたらめだ!」「嘘つきめ!」既にしばしばこの場で響いた言葉である。
判事がそれをなだめている間に、クロスは心の中で拳を強く握って成功を喜んだ。
ストランソームを仕込み、裁判を中断させ、更にその行為を怒れる魔道士たちに弾劾させる。
そこまで絵図を描いた身としては、更にその先まで予見し手を回すのは当然であろう。
それこそがサイザルに課せられた二つの役目の内の残りの一つである。
魔道士たちからしてみれば、司法妨害を弾劾するにあたってはソラオリス医師に証言を求めるのは自然な流れであり、圧力による強要という安易な手に走るのも当然の帰結と言える。
故に、彼らが圧力をかけるのに先んじて、ソラオリス医師に法的保護を約束したのである。
サイザルが直々に彼に明言し、文書も作成したのだ。本件の証言について、偽証であるとの追及は決して法的に行わないとの約定を、統王の名代たる行政使府として発行したのである。
また、クロスは彼の身柄と生命の安全を保障した。具体的には"屍の魔女"と"法の魔女"による保障を代弁した。
ソラオリス医師が証言した後は魔女協会が身柄を保護し、王都に匿うとの約束である。
こうして、ソラオリス医師は二つの勢力の板ばさみとなった。
かたや今現実に己を取り囲み支配している魔道士会コー・ナイル支部。
かたや飛ぶ鳥を落とす勢いの魔女協会と、全世界を掌握する王の名代の同盟。
どちらを選んでも危険であり、どちらを選んでも約束のものが無事手に入るかはわからない。
だが、一方的に魔道士会側から圧されるだけだった状況を、五分五分の板ばさみのところまで押し戻した。
「すいません、それではあの個体は被告人が意図的に仕込んだものではないと?」
「裁判中に利用することを思いついたかもしれませんが、少なくとも、裁判のために仕込んだのではなく、偶然に寄生されたものだと判断します」
「誤診の可能性は? あなたは囚人の健康管理が役目なのに、あの事態を事前に察知できませんでしたよね?」
「あれは! 触診できなくて問診しか許されなかったからです。しかも問診すら牢屋越しでした! 患者が激痛を訴えてくれれば良かったが、あの患者はそんな素ぶりちくりとも見せなかった!」
声すら荒げて尋問に抗するのには、理由がある。
五分五分の力で板ばさみにされた時、最後の決め手になるのが、事実だ。
事実と虚偽の両方にリスクがあるならば、人は事実を選ぶ。
嘘はつく必要がない限り、つかれることがない。
重要なのはいかに自己を正当化できるかどうかであり、嘘に必要があるならば後々でも「仕方がなかった」などと当時の判断を擁護し得るが、必要のない嘘は罪悪感として魂を弱め、誇りという芯を砕き、己を卑下する材料となる。
要は、その程度のささやかな心情によって傾いてしまうほどに天秤を均衡させてしまえば済む話なのである。
あとは、被告にとって都合の良い展開を、医師に事実だと思わせればいい。
あのストランソームが生後30日相当の成長を遂げていたのは確かな事実ではあるが、真実は別にある。
獄に繋がれたアイランにストランソームの卵を含んだ結節と、計画を記した手紙をもたらしたのは"法の魔女"とクロスの手腕によるものである。
だが、肝心の結節を用意したのは"胞の魔女"クルギャであり、彼女は寄生虫の成長を促進する薬を同時に送ってよこしていた。
これを同時に服用したのに加えて、"兵の魔女"が代々受け継ぐ魂の力。
本来目に見えないのが魂というものであるのに、光を歪め、魔力を断ち切り、輝きを放つほどに凝集されたエネルギーと化した、異形の秘密。
そのエネルギーを意識的に注ぎ、急速な成長を促した。
その結果として、ほんの10数日程度で30日ぶんもの成長をストランソームに遂げさせたのである。
魔女の薬や"兵の魔女"の魂の秘密など知らない一介の医師に、このような真実を見抜けと言う方が無理であろう。
「いま現在治療にあたっている医師や、あるいは専門家を招聘して調べさせてもいいです。あのストランソームは、確実に30日間以上成長を続けて産卵期に至った個体です!」
力強い力説は真に迫っていた。嘘や演技ではない。
何せ、彼はいま己の全存在をかけて証言しているのだ。
余談ではあるが、彼の決断の天秤を更にわずかに魔女側へ傾かせた要因があと一つある。
コー・ナイル育ちではない彼には、この地の寒さは慣れたとしても過酷なものであった。
その上、周囲を魔道士会に囲まれ、事あるごとに彼らの圧力を受ける生活に辟易してもいた。
そんな彼にとって、王都への移住は彼自身意外に思うほど魅力的に感じたのである。
完全に想定外の事態に、法定代理人は口を魚の呼吸のように動かすばかりだった。
そしてついに、そのまま「質問を終わります」と言って引っ込んでしまったのである。
続いてクロスに質問の権利が振られるが、彼は軽く手を振って権利の放棄を判事に伝えた。
ここで言を重ねては、かえって魔道士たちの反感を買うだけ。
既に作戦は成功したのだ。これで裁判は更に長引き、しかも魔道士たちの憎悪と熱狂は裏切り者たるソラオリス医師へと逸れたであろう。
医師は衛兵に警護されて退廷したが、その途上で幾度か物を投げつけられており、浴びせられた罵声は言うに及ばないほどであった。
『ソラオリス医師の保護については、どういう手筈になってますか?』
予測していたこととはいえ、その凄惨な仕打ちを目の当たりにして、彼の行く末が少し気にかかった。
『魔女の関与を疑わせては本末転倒ですから、行政使府が主体となって進めていきます。サイザルさん本人が外で待機していますので、彼女が盾として機能するでしょう。さすがに、検吏を害してまで医師に危害を加えようとする暴漢はいないでしょう。問題は反統王連衡の連中が動いた場合ですが、備えとして既に"兵の魔女"を待機させています。絶対隔離状態ですので、脱走に感づかれるのは1時間後の昼食時。それまでに、医師が行政使府に連行されるまで陰ながら護衛し、然るのち密かに自分の寝台に戻っていただければ問題ありません』
『アイランさん、もう動けるんですか?』
『ストランソーム程度の負傷なら、2日で身体能力に支障が出ない程度まで回復可能と聞いています』
ストランソームを凄まじい速度で成長させる魂の力と"兵の魔女"に生来備わる生命力は驚異的な回復力を実現する、ということなのだろうが何とも凄まじい話だ。
つまりは、どのように負傷しようとも、戦い続けよと指令するために作られた体なのである。
ストランソームの結節の出所とあわせて、"胞の魔女"クルギャの言葉が改めて思い起こされた。
『彼女は、私の妹です』
その言葉はまさに、産み落とされたままの性質と、宿命によらない自ら得た性質とが混在する、二人の魔女の本質を如実に表した言葉なのではないだろうか。
しかし、今すべきは心配ではない。
これでストランソーム騒乱の件はこちらにかなり有利となった。
あそこまで強弁された証言、それも客観的にも信頼性が高いと見なされるのが妥当な証言は、握り潰すにはあまりに法に適いすぎている。
これを無視しては裁判の判決そのものに疑義を抱かせる余地を与え、かえって逆転を許してしまいかねない。
魔道士会が勝利を盤石とするには、ここは譲歩せざるを得ないだろう。
なあに、計画性の線が消えただけで、まだ騒乱そのものの故意性については争える。
それも被告側にとって有利な証言者となった医師の口から「裁判中に利用することを思いついたかもしれませんが」との言を引き出せた。
ならば、ここはその点に絞って争い、盛り返すべきだろう。しかも、あの騒ぎが故意であるとするのはあらゆる観点からも妥当なのだ。
原告側はおおよそそのようにまとまったようだ。
そうなると、あの騒乱の被害を受けた当時の立会人たちを証言者として準備せねばならない。
計画性さえ立証できれば故意性も自動的に立証できるため、彼らが証言者として準備していたのは医師だけだった。
その準備不足もまた、裁判の再開を3日後とした采配の絶妙さがもたらしたものであった。
法定代理人が判事に耳打ちし、判事は閉廷を宣言。2日後の再開をその場で通告する。
証言者を探し、証言内容を定め、その練習を最低限済ませておくのにそれだけの時間を要するのだ。
逆に言えば、幾人もの証言者を用意するのにその程度の時間しか必要としない、魔道士会の組織力の高さを同時に物語る数字とも受け取れる。
なんだかんだと問題は山積していても、魔道士会コー・ナイル支部の権力の手の長さと動員できる人員の数は、圧倒的なのだ。
しかし、それもじきに終わるだろう。
街を支配する力の均衡は、近く崩れ去る。
迫る軍靴の音は、未だコー・ナイルの民衆の耳には届いていない。




