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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
法の章
108/211

法の魔女14

魔道士会側が新しい法定代理人を用意できたのは6日後のことだった。

コー・ナイルの制度と経済を掌握する魔道士会が新たな法定代理人に払うべき報酬に困るはずはなかったが、結局これだけの時間を浪費してしまった。

新たな法定代理人として依頼を持ちかけた法曹人たちがことごとく日頃の恩顧も投げ打って断りを入れたためである。

何せ、魔女との係争中に突如全ての代理人が失踪するなどという異常事態は、瞬く間に街中の世間話に上っていたのだ。

法曹人らにとって何が起きたのかは十分に察しがつくものであり、己が魔女の毒牙にかからぬよう全力で自衛を図るのは当然の成り行きと言えた。


彼らがようやくその空席に押し込めた人物は、能力の低い貧乏な、老いた男一人だった。

マードックが違法行為を行う際の身代わり用の名義貸しとして確保した人々。彼はその一人である。

かつては法曹人の一人であったが、若さ故の野心に任せて能力を超えた案件を複数掛け持った結果、その全てに敗北。

かえって依頼人らに訴えられ、多額の賠償を背負い、行政使府からの借金でそれら全てを支払った。

もし返済が不可能になった場合、彼は公田での労働で借金を返さねばならなくなる。

彼が農民であれば、それは悪い人生ではなかっただろう。報酬こそ少ないが、国から完璧に生活を保障されるからである。

しかし彼は農民になることなど耐えられないと思った。土と草の匂いにまみれ、鋤を掴む手にマメを滲ませ、額を汗で濡らす労働など真っ平ごめんだった。


それで彼は、最も頼るべきではない人物を頼った。アーリー・マードックである。

その爬虫人は借金を全て肩代わりして支払い、彼の人生そのものを買い上げた。

以後、彼はコー・ナイルに繋ぎ止められ、捨て石の奴隷となった。

魔道士会に飼われ、都合よく利用され、いざとなれば捨てられる。

もしコー・ナイル支部に見放されれば、彼は生きていけないだろう。飼われた鳥が自然界では生きていけないのと同様に。


故に、そうと知りながらも彼は引き受けざるを得ない。

タプセ・ナク・モンク。承知の上で、供儀台に横たわらねばならない。


逆に言えば、その選択しか取り得なかったほどに、タプセ・ナク・モンクの呪文は力強く魔道士会を殴りつけたとも言えた。

この決定は魔道士会コー・ナイル支部の内部亀裂をさらに深くしただろう。

即ち、いざという時に法定代理人に全ての責任を被せ、スケープゴートに仕立てることで保身を図ろうとする上層部と、今回の騒乱に乗じて自己の存在感を強め、のし上がろうとする下部の魔道士たちである。

下部の魔道士らは法定代理人を立てずに、魔道士会として直接被告を弾劾し、裁判を戦うべきだと主張していたのだ。

法廷闘争を知る者ならば、かえって敵を利する結果にしかならないと気付くだろう。

だが結局のところ、この裁判は勝利を前提とした、魔道士会内部の権力闘争なのである。

問題なのは勝つかどうかではない。勝つのは当たり前であり、問題はその勝利をどの魔道士が掲げているか。

これはどのような軽率な判断や強引な蛮行も下りうる、特殊極まる裁判なのだ。


その中で、魔道士会の敗北を信じて疑わぬ者が3名いた。

被告人である"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデル。

被告側法定代理人代理のクロス・フォーリーズ。

そして、再び姿をくらませたクランツ・フェルマー・ルネイ。




「本証拠をⅡ型証拠として用いた場合、ホンバイ氏の証言との整合に矛盾が生じると思われます。ゴーレムの魔力炉の術式によって被告は誘拐の主犯をマードック氏と推測したのであり、襲撃と誘拐にマードック氏が関与していないとの見解は誤りであると主張します。術式の再検証と証言は第三者の研究者、術学者でなければ、公平性を欠く結果であるとの疑いを否定しきれません」



そのうち、クロス・フォーリーズは法廷で粘りに粘り続けていた。

裁判の進行を少しでも遅らせようと努力を重ねていた。


しかし同時に、それが限界に近づきつつあるのを肌で感じてもいた。

法廷に漂う、魔道士たちの苛立ちと焦れ付き。

勝利を確信しているはずの彼らが、その勝利の遠さに焦れている。

無言を守りながらただ座るだけの時間に飽き始めている。


舌戦といちゃもんで時間を稼ぐのは、もう限界だ。

溜まった鬱憤をそのまま抑え続けていては、いずれ思わぬ形で暴発してしまう。


一度、爆発させなければ。


それも、こちらの目的にかなう方向に。




『では、最後の手を使いましょう』




"法の魔女"の言葉に、クロスは息を呑んだ。

書類を片付け、呼吸を整えて気分を落ち着ける。

その程度で落ち着くはずもなかったが、落ち着くよう努めなくてはならなかった。


横目で被告席を見やると、ゆったりと座るアイランの後ろ姿が見えた。

これから起こるものを知っている身からすると、心配せざるを得ない。

いや、それはこれからではなく、今まさに起きつつあるはずだ。

そう考えると、過去の自分を叱り飛ばしたくもなった。

よくもこんな酷い策を実行したものだ、と恥じ入りたくもなった。


しかしそれと同時に、これが非常に有効な手段であると冷徹に確信している自分もいた。

その自分とは、あのクランツが自らの魂目一杯に広げている悪しき領域そのものと、全く同質の何かなのではないだろうか。

そう考えると更なる自己嫌悪にも陥ったが、既にひるがえす方法もない。

自分はもう、ただ阿呆のように座り続けるしかないのだ。



「では、最終審議に入る前に、被告陳述の機会を与えます。被告人は最終陳述を希望しますか?」



判事が流れ作業のように規定の手順を踏む。

全ての証拠が出揃った後、最終審議を経て判決ということになるが、たいていの場合最終審議は省略されてしまう。

これは判事が判断に迷った場合に用いる制度として設計されており、法判や検吏との協議によって判決を定める手順なのである。

そして法判と検吏は、判決後にその判決内容に異議申し立てを行える権限を有するため、この最終審議に於いてはあえてこれらの意見を求める必要は無い。

彼らに異見あらば、異議申し立ての場で行ってもらえばいいだけだからである。


そのため、今回の場合に限らず、最終審議とはほぼ裁判の終了宣言に近しいものとして扱われている。

その直前に被告人に最後の弁論の機会を与えるのは、ある種当然のことと言えた。

もっとも、大抵の法定代理人は被告人の放言による心証悪化を恐れて、この権利を棄却するよう勧めるのであるが。


だが、アイランは静かに立ち上がった。

水のように平静で涼やかな歩み。

その儚げで淑やかな佇まいからは、とても想像できないだろう。

ここにいる全員を、数分もかからずに皆殺しにできる人物なのだと。

あるいは、その柔らかな物腰が魔道士会を図に乗らせているのかもしれないが。

"兵の魔女"の様々な伝説を聞いてはいても、その業前を実際に目にした者は少ない。

彼女が殺しの本領を見せる者は少なく、目の当たりにした者の多くはその場で絶命するからだ。

その無知が、かえって若い魔道士たちを恐れ知らずにさせていた。


ともあれ、彼女は判事と向き合う。

手枷は外されていない。彼女ならば丸腰のままこの距離から判事を殺せるからである。



「私は、ずっとこの街にいた。この街に来る前から、ここにいた」



そして、静穏な立ち姿そのままに、穏やかに言葉を始めた。



「私の世界に染まったこの街で、お前たちに見せ続けてきた、何度も何度も、子供に言って聞かせる親のように、時には飽きるほどに何度も見せつけた。力というものを」



立会人の魔道士たちがざわつき始めた。

静粛を命じられるほどではないにしろ、それは静かな動揺だった。


「でも、お前たちはまるで思春期の子供ね。親の地道な説教よりも、友達が見せる煌びやかな新しいおもちゃに夢中。家に帰るのは朝で、朝食もまともに一緒してくれない。会話をしたくても、お前たちは無視してさっさと遊びに出かけてしまう。寂しいわぁ、悲しいわぁ」


クロスから彼女の表情は見えない。

だが、ありありと想像できた。

彼女が今、どのような笑みを浮かべているのかは。



「でも、おいたをしたわね。権力、利益、地位、交渉、取引、いろんな快楽に溺れて、本質を見失った。そして、やってはいけないことをしたのよ。自分を過信して、母親の愛に甘えて見くびって、不可能なことをできると思い込んだ。嬉しいわぁ、教育をし直す絶好の機会じゃなぁい?」



木材を強引に引き捻るような音が唐突に響いた。

いや、実際に捻じ切ったのだ。木製の手枷が、まるで海綿のように。


即座に衛兵が取り押さえにかかったが、一瞬後には蹴り飛ばされて壁に背を預けたまま気絶していた。

立会人のざわめきが一層大きくなり、恐慌めいた色すら帯び始める。

判事も目を見開いて立ち上がりかけたが、それらの一切は静止された。

アイランが手枷の残骸を判事席に投げつけ、壇にめりこませた衝撃音を以って。



「力とは、何か?」



ゆっくりと、踊りの振り付けであるかのように、アイランは右腕を横に広げた。

クロスは己が唾を飲んだ音を自ら聞いた。



「私の指がすべて閉じられた時、そこにあるものよ」



そして、アイラン・ヘルゼンデルは丁寧に、確実に、右手の指を全て、閉じた。


直後、袖の上からでもわかるほど彼女の手首周辺が内側より隆起した。

内側で何かがもがくような動きは、一瞬後に彼女の皮膚を突き破った。

赤い血が飛び散り、周囲の人々の顔を濡らす。

それらが拭い去られる頃には、"それ"は姿を現していた。


手首からぶらりとぶら下がる、不自然なほど白い紐状の何か。


骨まで達する傷口から垂れ下がるそれは、生きているかのようにうねり、そして、鎌首をもたげた。


ゼリーのように柔らかい頭部が、小さく膨らみはじめる。


そこで、ようやく、魔道士の一人が叫んだ。




「ストランソーム(骨の飾り布)だ!」




直後、法廷は混乱の坩堝と化した。

人々は叫びながら逃げ惑い始め、判事も困惑しただおろおろしている。

一体どうすればいいのか、誰もわからないままに、ひたすら魂が発する危険信号に本能的に従っていた。


何故か? ストランソームの頭部が爆裂して、自身の体液をそこらじゅうに撒き散らし始めたからである。

ストランソームは寄生後、成長すると、産卵のために頭部を宿主の体から露出させる。

そして自身の頭部を炸裂させ、自分の卵がたっぷりと含まれた体液を撒き散らすのだ。

産卵期のストランソームは自分の全ての体液に卵を混入させ、その液は卵液と俗称される。

この卵液のひとしずくでも体内に取り入れてしまったならば、その生き物は新たな宿主となるのだ。


アイランが腕を一振りしたならば、飾り布ののたうちと合わせて卵液が飛び散り、悲鳴が上がる。

判事や原告、法定代理人もようやく事態を呑み込み、慌てて逃げ始めた。

出入り口に人波が殺到し、恐慌と悲鳴の中で互いが互いを潰し合う地獄が生まれた。

彼らを追い立てるのは、折檻のように白い鞭を振るう魔女。

張り付いた笑みと、貴婦人のような足取りで迫り、一振りごとに哀れな犠牲者の悲痛な叫びが上がる。


その後方で、クロスはただ座って事態を眺めていた。

もはや、着くべき席にそのまま着けているのはクロスのみであった。

逃げ惑う魔道士たちを、まるで遊びのように追い立てる魔女。

裁判どころではない大騒ぎに、クロスはむしろ安堵した。



──成功して、良かった。



胸を撫で下ろし、息をついて立ち上がる。

その十数秒後には、他の者はすっかり逃げ去って、法廷にはアイランとクロスの二人だけが残された。



「クロスちゃん、あなたも逃げなさい。増援と医者が来た時にそうやって平然としていたら、怪しまれるわよぅ」



力ずくでストランソームを引き抜き、床に叩きつけて踏み潰す。

丹念に擦り込むようにして踏み潰すのは、法廷という権威の場を穢す楽しみからだろうか。


しかし、静かに澄んだ声色を響かせようとも、横顔に浮かんだ汗は隠せない。

痛くなかったはずは無いのだ。右腕で育ったストランソームが皮膚と肉を突き破ったのだから。

育つ間も、骨を切り裂き削るような激痛が常に起こっていたに違いないのだ。



「アイランさん!」



たまらず、クロスは駆け寄った。

用意していた綿丸を手首の患部に押し当て、軟膏を塗って隙間を塞ぐ。

その上から包帯を巻いて固定し、更に二の腕にも巻いて圧迫止血を施す。


その様を、アイランは微笑ましく見守っていた。

必死に応急処置を施す姿が、とても愛らしく思えたからだ。

この策を編み出し、実行させたのがクロスである以上、その本人の献身はともすれば偽善的ですらあったが、彼女にとってそれら全ては愛であった。

懸命でひたむきな姿だけではない。その表情に滲んだ罪悪感すら、好ましいものなのだ。



「ね、クロスちゃん」



あらかた処置が済んだ頃を見計らい、声をかけた。

「はい?」と見上げたクロスの一瞬の隙を突いて背中に腕を回し、自ら腰を寄せて抱きとめる。

そして、間近で、それも真正面から笑みを浴びせかけた。


「このまま、どこか行っちゃおっか」


悪戯っぽい笑みに、心臓が高鳴る。

熱くなり、硬くなったものが相手に気付かれていないことを祈ったが、どうせ気付かれているんだろうなという諦めも同時にあった。

本気混じりに、冗談混じりに、たやすく人の心臓に短刀を差し入れる。

鋼であれ言葉であれ、彼女は極上の暗殺者だった。



「そ、そういうわけには」



思わず視線を逸らしてしまう。

それすら可愛らしく思い、アイランはますます笑みと、背に回した手の力を強めた。

その時、力に抗うかのように、クロスは笑みを睨み返した。

たとえ精一杯の強がりであろうとも。



「アイランさんを助けるのは、僕の役目です。だから、待っていてもらわないと困ります。放してください!」



くすりと笑って、アイランは彼を解放した。

クロスは鼻をこすって赤面をごまかしながら、背を向ける。

これ以上彼女の顔を見ていたら、誘惑に負けてしまいそうだったのだ。


「クロスちゃん」


その背中に、優しい声が投げかけられる。

クロスは出口に向かう足を一瞬止めたが、振り向きはしなかった。


アイランは、自分の胸を抱くように手を合わせ、クロスが治療してくれた手首の包帯に指を這わせる。



「待ってるから」



陶然としながらも弾んだ、乙女のような声だった。

情熱と期待に満ち満ちた魅力に、クロスは振り向きそうになる己を懸命に堪えるのに必死にならざるを得なかった。

そして可能な限り気丈に、頑固に歩調を強め、背中で強がりながら足早に立ち去った。



「待ってる、から」



残され、一人で噛みしめるように、もう一度呟く。

何度でも、味わおうとするかのように。



2分後、駆けつけて来た数十人の衛兵と一人の医者によって、立会人席に腰掛ける"兵の魔女"が改めて拘束された。

深手であったため、彼女の身柄は現場判断で牢獄ではなく医療所へ移送され、駆けつけた衛兵らは即座に護送兵と化した。

事態を掴んだ行政使府は裁判の3日間の延期と、医療所の労働人員の増員と、裁判を被告人抜きで進行するよう要請する通達の発行を命じた。

これらを判断したのは、無論のこと、サイザル・モロウナであった。

医療所にはストランソームの卵液を浴びた者たちが大挙しており、それらの検査と虫下しの処方が終わるまで裁判を延期するというのは、妥当な決断だと民衆には受け取られた。


"兵の魔女"の治療と絶対隔離は厳重な警備下で行われた。

感染拡大と脱走を防ぐためと説明されたが、医療所に同時入院した被害者と加害者の衝突を抑止するのが主目的であることは、誰の目にも明白であった。

そのため、入院中のアイランを見舞ったり、連絡を取るなどの手をクロスは打ちえない。

入院中は、投獄中よりもかえって警備体制が厳重となっており、それはサイザルがクロスらに対して協力の姿勢を示しつつも、あくまで街の秩序を守る検吏としての立場と役目を優先するという意思表示でもあった。

だがそれこそが、クロスらがサイザルに期待したものだったのである。

反統王連衡が行政使府を介して干渉するというルートを潰してもらう。それがサイザルの担う役割の一つだった。

それを実現しうるのは彼女が持つ勤勉さのみであり、それを存分に発揮してもらえるだけで十分だったのである。


ともかくも、裁判は更に延期された。

その期間中に育つであろう、魔道士たちの滾る怒りを孕ませながら。

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