法の魔女8
おずおずと、まるで初めて見たものかのように、クランツは証言台に立った。
アイランやクロスには目もくれない。当然、演技だろう。
クロスは抑えた。立ち上がろうとする足を抑え、指差そうとする手を抑え、声をあげそうになる口を抑えた。
拳を握り、奥歯を噛み締めてこらえた。感情のままに動くのはまずい。
取り乱せば、それを理由についさっきしたばかりの証言を切り捨てられてしまう。
我慢だ。ここは我慢しなくてはならなかった。
「お名前は?」
基本的な、判事による質問。
何度も繰り返されてきた、ごくふつうの手続きすらも今は魂をかきむしる。
「ストッグ・マウトルです。後見人はスミライニ修道院長と、親方……センゲン・マウトルです」
偽名、もしくは、意味をなさない本名か。
いずれにせよ、その名を書き留める。
手元のメモと相互紙、その両方に。
「証人として、嘘偽りなく事実のみをここで証言することを誓いますか?」
「は、はい、誓います」
緊張しながらどもる様子は、クランツを知る者でさえ他人の空似を疑わせるほどだった。
だが、クロスとアイランは確信している。これは演技だ、と。
クロスは表情を険しくし、アイランはにやにや笑いを浮かべるという違いはあったが。
「証言補助を申し出ます」
「受理します。質問者、前へ」
原告側の法定代理人が、証言台の前まで歩み出る。
証人が法廷でうまく証言できなさそうな場合、質問形式で証言を補助することが許されている。
あのクランツにそれが必要とは思えないが、ストッグには必要なのだろう。
「ストッグさん、あなたのお仕事は?」
「"負い子"です。井戸城で水揚げしたヒョウガンマスを加工場や倉庫に運んだり、加工品をコー・ナイルやそこらへんの村とか、大要塞に運ぶ仕事です。たまに隊商にも入って、よその土地にまで運ぶこともあります」
「いつからその仕事を?」
「7年前です、親方……センゲンさんと仲間たちと一緒に、色んなとこを働きながら回ってるんです。ここには、ボソニッツ家の隊商に紹介されて来ました」
声には戸惑いと緊張が混じっている。視線もちらちらと魔道士たちの方に泳いでいた。
大勢の前で話すのに慣れていないかのように。
「事件当日、あなたは何をしていましたか?」
「ヒョウガンマス捕りの繁忙期ですから、朝から働いていました。川岸と第三地下倉庫と加工場を何度も行ったり来たりして、魚や加工品や、道具なんかの荷物も運んでました。あの日は週当をもらう日でしたから、何が起きたかはよく憶えてます。仲間のシーンズが川に落っこちて、毛布を取りに行ったんです」
「その時、何を見ましたか?」
「ハロバ卿とマードックさんがいました。お二人とも街で見かけたことはありましたが、井戸城にいるのはおかしいと思ったんで、こっそり後をつけて話を盗み聞きしました」
「何故そうしたのですか?」
「マードックさんがハロバ卿の土地を取り上げるって噂があったもんで、気になって。噂が本当なら、いい仕事にありつけるかもしれませんから」
一言一句、聞き逃さず相互紙に記していく。
クランツがつたない言葉で引っかかりながら話してくれるおかげで、クロス程度の速記技術でも追随できた。
「二人はその後どうしましたか?」
「第三地下倉庫の方に入って行きました。中には、マードックさんの用心棒がたくさんいましたから、建物の外から、壁に耳をつけて話を聞こうとしました」
「二人はどのような話を?」
「細かい部分はわからないです。でも、なんだか言い争ってる感じで、ハロバ卿の声はよく聞こえました。大声で怒鳴ってたんで。でもマードックさんの声はよく聞こえなかったです」
「話の内容をお願いします」
「ああ、すいません、ごめんなさい。ハロバ卿はなんだか、魔女の弟子を誘拐したとか何とか言って、マードックさんを脅してるようでした。魔女をお前にけしかけるぞ、嫌なら土地を返せ、とかわめいてました」
立会人席が少しだけ騒がしくなる。
魔道士たちのひそひそ話も、これだけ人数がいては大合唱だ。
彼らは口々に「どういうことだ?」「秘密の取引だ」「脅迫されてたのか?」等々の疑いを隣人らと共有している。
少なくとも、それらを話しているうちは、彼らは反統王連衡に与していないのだろうと思えた。
単純な男たちだが、それ故に、あのクランツの息がかかった上での反応とは思えなかった。
「二人はそれから地下に降りてしまったみたいで、もう話が聞こえなくなりました。それで、仕方なく毛布を取って戻ったんです。シーンズを毛布で包んで、飯場に連れて行って、仕事に戻ると、少しして叫び声が聞こえまして。最初は、加工場で事故があったんだろうと思いました。また誰かが釜に落っこちたんだろうと。でも叫び声は第三地下倉庫から、しかも何人分も聞こえてきて、ただごとじゃないと気づきました。それで、みんなで向かったら、死体があったんです」
「ハロバ卿の姿は見ましたか?」
「いえ、どこにもいませんでした。死体もマードックさんと、その用心棒たちのもので……すげえ死体でした。綺麗な切り口でばっさり斬られたようなのもあれば、獣に引き裂かれたようにめちゃくちゃなのもあって、すぐに魔女の仕業だってわかりました。そこいらじゅう、臓物まみれで……」
やられた。
クロスは素直に、敵の機知を認めた。
ついた嘘が、これで完全に打ち消されてしまったのだ。
魔道士たちが口々に囁く。
「黒幕はハロバか?」「支部長はハロバと魔女が手を組んでると思ったんだ。それで……」「ハロバ本人はどうなった?」「逃げたのだろう。あるいは本当に手を組んでいたのかも」
その声色は疑いと呼ぶには力強く、確信と呼ぶには朧げだった。
しかし、辻褄は合ってしまう。そうである限り、有力な説として補強されてしまう。
この目の前の労働者が嘘をつき、よそ者の小僧の証言に自ら合わせる理由などない。
故に、騙される。理由なき嘘。少なくともそう見えはする嘘。
クロスが陰謀をハロバになすりつけたのを、否定するのではなくかえって肯定し、補強する。
別角度、別視点からの、複数の証言が符合する。これで、ハロバ卿がいなくとも判断が下せるようになってしまった。
クロスがついた嘘を「嘘だ」と糾弾するのではなく、むしろ「本当だ」と裏付けした。多少の脚色を加えて。
マードックとハロバ卿の関係はここにいる全員が知っており、いずれ破綻することにも気づいていた。
だからこそ信憑性があるのだ。
「ここにハロバ家の財務記録があります。衛兵隊が家宅捜索で発見したものです」
法定代理人が巻物を掲げる。
黒い表紙はタールを用いた証拠であり、火をつければあっという間に巻物を燃やし尽くすだろう。
「これによると、ハロバ卿は毛皮販売の利益を横領し、それを"流木団"に支払っていました。マードック氏が分離派に加わっていたとの主張は推測に過ぎませんが、ハロバ卿は少なくとも"流木団"を雇い、指揮していました。誘拐という大胆な手口には驚きましたが、状況的に見て、原告側もこれは事実であると認めます」
巻物を判事に手渡す。
ハロバ卿が"流木団"に報酬を支払っていた。おそらく、それは事実だ。
反統王連衡が"流木団"に金を渡すトンネル役として、彼を使っていたのだろう。
ハロバ自身はそれを知らなかったに違いない。実際に動いていたのは間違いなくマードックとクランツ。
だが、記録の上では、彼が金を払ったことにしていたのだ。
これらを踏まえた、最も合理的な脚本はこうだ。
ハロバ卿はマードックに反旗を翻さんと画策していた。おそらくは、長年の搾取に耐えかねて。
まずは、金を横領し、"流木団"を雇った。地元の者を雇えば、マードックに情報が漏れる危険があったからだ。
しかし直接マードックを襲えば、魔道士会との抗争になる。下手をすると統王まで乗り出す事態となるだろう。
そこで、"流木団"と盗んだゴーレムに魔女の弟子をさらわせ、それがマードックの仕業であるかのように見せかけた。
"兵の魔女"をマードックにぶつけたのだ。そのためには、自分を拉致させる危険も厭わなかった。
そして最後にそれを交渉材料にマードックへ迫るも、老爬虫人は折れず、そのまま殺されてしまう。
ハロバ卿はその場から逃れ、隠れているのだろう。どこかで、ほとぼりが冷めるのを待ちながら。
部分的に事実であり、部分的に嘘である経緯。
間違いなく、今回の法廷ではこの説が支持されることになるだろう。
最も妥当な説で、楽な結論だ。魔道士会も納得するだろう。
クロスの証言とも、決定的に矛盾はしない。
強いて言えば、ゴーレムのくだりだろう。ゴーレムとは、ハロバごときに用意できるものでもなければ、盗んで使えるような簡単な代物でもない。
複雑かつ難解な構造物で、術式学と魔力力学に精通していなければ動かすことすらままならない。
だが、その複雑さを判事に説明しきれない。
魔女協会がいくら言葉を尽くしても、当事者の利害関係者であるとして、信憑性を疑われるだろう。
学術的な知識や専門的な知見というものは、よほど明快でない限り、司法の人間からは警戒されてしまうのだ。
そして魔道士会は、そもそも説明しようとすらしないだろう。
黙っていれば、自分たちに都合がいいように落着しそうだと考えるだろう。
『指摘して時間を稼ぎますか?』
もっとも、目的は時間稼ぎであるのだから、負けるとわかっている議論であっても仕掛ける価値はある。
クロスは相互紙を通して"法の魔女"の指示を仰いだ。
是、という答えが返ってくるのを期待して。
『いえ、反統王連衡の動向を探るいい機会です。ここは動かず、観察に努めてください』
返ってきたのは、否という指示。
意に沿わぬ命令であったが、従う以外になかった。
一度信頼すると決めたからには、とことん信じ抜いてみせる。
そう、自ら戒めていた。
「ハロバ卿に対しては後ほど正式に告発と訴追があるでしょうが、この場はアイラン・ヘルゼンデルに対する法廷です。スタッグさん、被告人を見たことはありますか?」
ここで、入廷してより初めて、クランツの視線がアイランの方を向いた。
彼女は今までそうしてきたように、微笑みながら小さく手を振る。
これまでと同じ動作に過ぎなかったが、クロスの心中では黒い雲が胸を圧迫した。
奇妙な苛立ち。それは消えることはなく、クランツがふいっと他人のように簡単にそっぽを向くと、かえって強まった。
他者に対し、これほどまで不快に思うとは。クロスも後に、自ら省みて驚くのだろう。
「見たことはあります。でも、あの事件の日には見てません。それらしい足跡もなかったです」
「わかりました。証言は以上ですか?」
「ええ、はい」
「ありがとうございました」
「証人の退廷を許可します」
流れ作業のように、証言の手順を畳んでいく。
その段階にあってすら、クランツは演技を切らさなかった。
どうしていいかわからず、法定代理人に声をかけられるまで証言台に張り付き、離れてからもそそくさと早足で退散する。
だが、一瞬だけ、彼が横に流した目と、クロスの目が合った。
一瞬の視線の交錯。それに気づいた者はお互いだけだろう。
その一瞬の目の奥に、輝きはなかった。意思も感情もなかった。
目だけが偶然クロスの方を向いただけで、それは何も映していなかった。
クロスにはわかる。これが"忌み子"の目だ。自分も同じだからわかる。
そしてクランツも、同じ"忌み子"と視線が合ってしまったせいで、瞬間的に思わず本質が現れてしまったのだろう。
彼らにとって、万物は意味もなく自分の周囲を漂う影に過ぎない。
魂は霧の中なのだ。そしてお互いが、お互いによってそれを理解したのだ。
クロスはとっさに視線を逸らした。
あの地下倉庫でも味わった、背筋を刃先でなでられるような感覚。
それが嫌だった。
「第二回審理はこれまで。第三回審理は3日後に第二法廷で開廷とします」
判事が閉廷を宣言する。
経過は概ね、理想的に進行している。
原告と被告がともに最終証人を立てたことで、第二回審理を証言だけで乗り切った。
魔道士会に戦略の練り直しを迫ったことで、第三回審理を3日後まで引き延ばせた。
マードック殺害は正当防衛であると実質的に認めさせ、極刑判決の可能性を大幅に減らした。
だが、クロスの心は晴れなかった。
してやられた、という敗北感すらあった。
奴は、備えていたのだ。こちらがどのような手を打ったところで、その対策は用意してあるのだろう。
数多の脚本を揃え、演技を組み立て、証拠を作り、それらしい服まで仕立ててきやがった。
一体、どれほど前から予測を立て、準備を重ねてきていたのか。
途方もなく周到で、余人からはあまりにも無意味な策略。
そこまでする価値があるのかどうか、それすら見極められていない。
しかし折れる訳にはいかない。
クロスは相互紙を開き、ペンを走らせた。
『原告団の中で、反統王連衡に通じている者がわかりました』




