9 天才たちのロックンロール
「あの女は、あんたの父親の師といえる人だった」
ヒースは、血縁上の母の言葉に「そうらしいね」と返した。
「前にも言ったけど、その目……『ホルスの眼』というその目。特定の血族だけに継承されるものなんだけど。アリスはそれを、人為的に高めるように操作された個体の一人だったのよ。とはいっても、その目を正しく発現させたのはアリスだけだったみたいね。あなたの父方のケイリスク家は、そことは何百年も昔に分かれた遠い親類ということになる。ビス・ケイリスクは、あの目で生まれたせいで、十二歳まで無菌室から出られなかったと聞いたわ。微生物から常在菌まで見えてしまうノイズだらけの能力を制御できず、脳みそはパンク寸前。
その制御訓練のためにビスの父親が探し当てたのが、彼女。アリスだった」
「浅からぬ因縁ってわけだ? 」
「……まあ、そうなのかもね。二人の仲がどうだったのかはよく知らないけど、悪くはなかったんでしょうね。そしてアリスはビスを訓練して、そのようすを記録したの。自分とは違う同能力者のデータですもの。貴重な資料になるものね。そこで分かったこと。『ホルスの眼は、個人によって性質が変わる』ということ。
基礎的な科学の話をすれば、万物の現象にはエネルギーがいるわね。もちろん『混沌の泥』とかいうチート物質は脇に置いてよ?
ものが燃えるには熱エネルギーがいるし、動物はものを食べて呼吸する。何かが変化するということは、エネルギーが生まれて消費されているということ。つまり、ホルスの眼も何かを消費して観測を行っていたということが分かり、そしてそれは人によって違う、ということが分かった」
「……それって悪い話? 寿命が縮むとか」
「対策の話よ。対策できるって話。
アリスの『ホルスの眼』は、段階があったわ。ひとりの脳では単純な交感能力。二人以上から交感能力は洗脳能力に。百人単位からは莫大な情報処理を各自の脳で処理することで、本人の目を介さなくても能力を使えるようになった。果ては精度の高い未来予知。
彼女の性能は、『感染』『同期』そして『予測』この三つだった。
対して、隊ちょ……ビス・ケイリスクの未来予知は、自分自身の観測の拡張だった。
過去、現在、未来を観ることができたけれど、それは自分自身と自分が接触した相手だけで、アリスのように『影響が残ることはない』。
他人をコントロールする『感染』の機能はそれじたいが無かったし、相手が遠ざかればその人のことは再び接触するときまでの情報しか獲得できなかった。
つまり、『ホルスの眼』は使用者によって基本性能はそのままに能力が変わる。
さて、アリスが能力使用時に消費していたエネルギーは何だと思う? 」
「……能力に感染したひとの脳にある何か? 」
「違う。もっと単純に、アリス個人の体力と寿命よ。使う人間の脳の数だけ、かかる負荷を分散はできるけど、彼女の能力発動は寿命の前借りだったわけ。彼女の能力は対策ができる。もっとも簡単なのが、拡散される前に本体を叩くことよ。彼女の能力は段階があるわね。つまりスロースタートなの。だから感染者が少なくて能力が制御可能なうちに叩くのが最適解になるってわけ」
「拡散しきっている場合は? 」
「『前回』は悲惨だったわ、と言っておきましょう。あとで資料を読んで。長くなるから」
「ふうん。じゃあ、もう一人。ケイリスク家のビスのほうのエネルギーは――――」
「……あの! それって私が聞いてもいい話ですか!? 」
◇
ミス・グリーンは、ついに耐えかねて大きく腕を上げて自分の存在を主張した。
今、彼女たちは、にぶい音を立てて駆動する大きな機関の内臓部にいる。窓が無く、閉塞感はあるが明るい白に統一された円形の部屋だ。
金属的な地響きが絶えないその場所で、配線やら機関部やらをいじる母子の作業を、さきほどまでミス・グリーンは黙って後ろから観察するように言われていた。
「あの、そもそも私ってどうしてここに? こんな重要そうな場所、私程度が入っていい場所なわけがないですよね? 」
「あら、それは過小評価ってものだわ。グリンヴィア女史。いえ、グリンヴィア博士」
エリカは機械油(ではないのだろうが、青く透き通った機械油らしきもの)で汚れた顔を上げ、にやりとした。その顔が隣で澄ました顔をしているヒース・クロックフォードとよく似ている。
「そもそものあなたの専門は工学よね? 天候学ではなく。天候学にいたのは、観測装置の知識を買われてのことで、あなた自身の研究は工学。あなた自身はエンジニアなのよね? 」
「え、ええ……それが何か」
「この国で魔法が関わらない工学の基礎を修めているというだけで価値があるの。今このときにいたっては、平時の数百倍といってもいい価値がね。さらにあなたは、個人的に我が陣営の姫君であるヴァイオレットの親友であり、秘密を漏らすリスクも少ない」
「つまり、重要な機密を共有する人材に足るってわけだよね」
ヒースがなんてこともないように肩をすくめてそう言った。面白そうに、エリカが続ける。
「そう。とても都合がいい……ごほん、理想的な人材だわ。もっと言えば、あなたが抱える、恩師シモンズ教授への想いも好ましい」
シモンズ教授の名が出たことで、ミス・グリーンは驚いたあと顔を険しくした。
素朴で穏やかな恩師シモンズは、その情熱に見合うほどの評価を得ていないとミス・グリーンは常々として思っていたのだ。
――――その研究から生まれる成果はあきらかなのに!
単純な自然科学。世界の法則を解き明かすだけの、しかし偉大な分野だ。だというのに、教授の研究は軽視されている。
「この国では、純粋な工学を極めることとは違う意味で、天候学を極めることは難しい」
エリカ・クロックフォードは、そう当たり前のことを言った。
「なぜならば、この世界において、『天』とは神の領域だから。
五百年前。飛鯨船を最初に開発したレベル親子は、飛行実験で息子イカロスを喪った。
レベル博士はその後、裁判にかけられて死刑になっている。
その罪状は『空を飛んだから』。息子の落下事故は神罰によるものだとされ、それを根拠におそれ多くも天へ挑んだ父親は、神への反逆者となり死を賜った……というわけ。
そんなレベル親子の研究を引き継いで飛鯨船を実用化までもっていったのは、実業家のモモ・ペルシウス。
彼は『ケツルの民』だった。学者を雇い、工夫にケツルの民を使って、信仰を楯に糾弾する輩を『ケツルはもともと空と海の民である』と黙らせて、レベル博士の設計図を実用化したわ。でもそれも、親子の死から五十七年も後のこと。
『天を解き明かすことはしてはいけない』
上層世界が失った信仰が残るこの国では、レベル博士を殺した思想がまだ残っている。この世界でもっとも空に詳しい専門家が、龍人であるクロシュカ博士であるところからも、その思想がいまだに根強いのは明らかよね」
「……ええ、はい。ある一面をみれば、そうだといえるでしょう」
ミス・グリーンは、渋面で額を撫でた。
この国で、魔法を使わない工学には魔法工学よりも価値が低い。そんな彼女を拾い上げたのが、冷遇されるシモンズ教授の研究室だった。
そこに、違う意味で空に魅せられたヴァイオレットが加わり――――そうしてあの塔の上の教室が構成されていたのだ。
「あなた、縁談が進められているでしょう」
「……それもご存じで」
「ええもちろん。コリーン公爵家は南の商売と社交界を掌握した大派閥だけれど、学閥には弱いのよね。パトロンとしては手を広げているのだけれど、御当主はいわゆる学歴コンプレックス。身内に実績がある学者を何年も欲しがってる。今回のことで、よりその想いが強くなったみたいね。だからあなたを過剰に支援してくれる」
そこまで言い当てられて、ミス・グリーンの肩からはむしろ力が抜けていった。
「……そのとおりです。今、わたしには神官家系であるアーロン家のアンドリューという男との縁談の話があります。本家は『伝統的な神官の血筋』も身内にほしがっていますから。アンドリューは……サレンダーの魔人研究は魔法工学の分野ですから、それもあって二人でまとめたらちょうどいい、となったみたいですね」
「ええ。でもこちらとしてはね、サレンダーなんて男と、将来有望なあなたをくっつけるわけにはいかないのよ。だからあなたの大おじいさまを黙らせる、もっといい縁談をあなたにあげる」
エリカは、じっと覗き込むように相対する緑色の瞳を見つめた。
「相手には話が通っているわ。結婚はしてもしなくてもいい。あちらはただ単に、外野を黙らせるための丁度いい相手がほしいだけなの。適齢期の身元が確かな令嬢で、彼らの事情に通じている人で、彼らと縁づくことで将来が遠ざからない人。そして、絶対に裏切らない人。あなたってぴったり」
ミス・グリーンの顔が、赤くなるよりも青くなる。脳裏にはヴァイオレットと共にいることで見聞きした、さまざまな状況が浮かんでは消えた。
「……その相手って、まさか! 」
「荷が重いです! 」と、叫んだ声は悲鳴のようだった。甲高く響いたそれは、しかし降り注ぐ轟音の中に消える。
ヒースが「わーお」と壁にあるパネルをいじった。透明な板ごしに、いくつもの文字や数字があらわれては消えていく。ミス・グリーンの知識が、それが外界の状態を示していると導き出した。
壁の向こう、機械音が占めていた轟音は、大量の水が流れこむ音に変わり、庫内の気圧もゆっくりと変化していくのが体感としてわかった。
スケジュールを脳裏に描く。
波間を漂うように岸を目指し、これから小一時間。
予定の位置で浮上準備を整え、さらに十六時間かけて、この施設は海層特異点がある地点を離れて散会する。すべての工程が終わるまでは、明日の昼までかかるだろう。
しかしまだ轟音の最中だ。ミス・グリーンもまた、壁に取りついて慣れない手つきでパネルを叩いた。
エリカのすぐ近くで同じ作業をしている。
「―――――あなたをここに呼んだのはね、プリムローズ」
エリカが、なんともいえない声で言った。それは静かなのに不思議と彼女の耳に届き、奇妙な、不安がいっぱいだというのに温かな、という矛盾した感慨をもたらした。
「あなたには、わたしの作ったこの装置を娘とともに託すに足ると思ったからよ。あなたはこの国の柱になれる」
「……できますか? 私に」
「どうせできるようになるわ。やっていればね」
そう、エリカは娘そっくりに肩をすくめた。
「……なぁ、もういいか? 」
そのとき、狭い密室に響いた男の声に、彼女たちは文字通り飛び上がった。
半透明の青い影が、どこか気まずそうな表情で壁から半身を出している。
「ジッ、ジーン帝!? 」
「冥界に戻ったんじゃあ……」
「スカウトしたのよ。だってこの人、とっても頭がいいんだもの」
「だからって、完全に門外漢だぞ俺は。……まあ、今の冥界に帰ったところで、列で二十年待ちって感じだからな。後継者たちのために、現世でちょっと仕事をしてから帰ることにしたんだ。うっかり全部聞いちまったんだが、悪かったな」
ジーンは、ばつが悪そうに頭を掻くと、「邪魔したな」と戻っていった。
◇
「あれは何? 」
奇妙な地震だった。
地響き、轟音、そして風。
それは海から、あるいは湖の波を割ってあらわれ、あっというまに、あきらかに水深よりも長大なその全貌を民衆の前に見せつけた。
それは、あまりに大きな乳白色の円柱のように見える。水底にいたというには、藻や水の汚れは取り付いておらず、まる一昼夜をかけて青い空に高く高く浮かぶと、空に白く線を引いたような、そういう不思議な形の雲のようにも見えた。
「あれは何!? 」
この海層が有する海層特異点の、三つのうち二つが封印されて百年以上。
ラブリュスの湖が『それ』であったと学生たちが思い出して三か月と少し。
そして、領地サマンサ北東沖の『それ』の存在を領民たちが思い出し、恐怖し、何も起こらないことに慣れたころ。
エリカ・クロックフォードが、ゆうに三千年をかけた計画が始まるのだ。
語り部
『記録』『思考』『拡張』
アリス
『接続/感染』『同期』『予測/観測』
ビス
『接続』『観測』
ジジ
『分散』『増殖』『吸収』『変型』
まとめるとこんな感じ。
補足ですが、ビスの『接続』は、自分と遺伝子が近いと、離れていても観測が可能な場合があります。
自分と直系で繋がる親と祖父母、または自分の子供からは、自分が生まれる前/死んだあとの観測が可能です。
つまり子孫が繋がるぶんだけ、過去のビスが観測できる未来が伸びます。
アリスの『感染』がないかわりに発達した能力です。
星よきいてくれ本編では故人の設定なので言及だけして使わないネタですが、気になった方向けに解説してみました。




