第3話 死について思うこと
小学3,4年生の頃、ぼくたち少年を虜にしていたのは、野球だった。
学校が終わると、いったん帰宅して、ランドセルを置いてバットとグローブを手に再び学校のグラウンドへ。野球バカの少年たちが全員集合すると、校庭はグラウンドから野球場へと姿を変える。そして午後5時のチャイムが鳴るまで少年たちの野球は無限に続けられる。それは月曜から金曜まで毎日行われた。
なんだか子どもの遊びというより尊い宗教の儀式みたいだった。
ぼくには妹がいたけれど、妹は、
「お兄ちゃんと遊ぶとバカになる」といって、兄である年上のぼくを軽蔑するかのような態度をとった。
というわけで、ぼくの土日は、いつも野球をやらない完全フリーの2日間になる。
そんなぼくの土日のすごしかたは、近所の建材屋の幼稚園児と遊ぶことだった。妹はそんなぼくを鼻で笑っていたけれど、ぼくのその建材屋のユウジくんという名前の幼稚園児と戦隊ヒーローもののマネごとをして楽しい時間をすごした。ぼくは悪者、ユウジくんは正義の味方、ぼくは抜群の演技力を発揮してユウジくんを十分に楽しませてからやっつけられる強悪怪物になりきった。
自分でもすごい才能だと自画自賛の演技力だった。
ユウジくんにはお姉ちゃんがいたけれど、ぼくの妹と同じように男のロマンをバカにしているフシがあった。だからぼくとユウジくんは男同士、本物の妹、姉、という関係をはるかに越えた熱い友情で結ばれていた。
しかし残念なことにぼくが小学5年生になると同時に、ぼくたち家族はお父さんの仕事の都合で、横浜から神戸へ引っ越さなければならなくなった。
ぼくは通い慣れた小学校から誰も友達のいない未知の世界へ行かざるを得なくなった。
引っ越し先の神戸でも少年たちは野球に魅了されていた。
地元神戸、やはり野球少年たちは皆、タイガースのキャップを被っていた。そうして横浜の野球少年と同じように、放課後は夢中になって野球に興じていた。しかし、横浜と神戸でも、ひとつ変わらない点があった。それは土日が学校が休みだということ。
ぼくは暇つぶしにプレーステーションの野球ゲームをやって週末の2日間をすごした。
ぼくは淋しかった。
神戸にもユウジくんのような素直でかわいい幼い少年がいたらいいのに……そんなことをぼくは考えていた。
それから中学生になると、ぼくは野球部に入部した。そうして3年間、少年時代と同じように白球を追いかけた。
ふつうだったら、少年時代から夢中になった野球だ。プロ選手を目指すのが当然のように思えるものだが、ぼくは小学校の先生になりたいと思うようになっていた。
元来ぼくは自分よりすっと年下の子どもが好きだった。そう、ユウジくんみたいな。
だからいつでも子どもと触れ合える仕事に就きたいと思うように成長した。そうしてぼくは少年たちと一緒に野球をして遊びたくて、体育系の大学に進学し、そこでみっちり身体を鍛え、大学卒業後は、念願かなって小学校の先生になった。専門はもちろん体育。しかし時代は変わり。神戸の少年たちは白球ではなくサッカーボールを追いかけるようになっていた。でもぼくは少年たちから仲間外れにされることはなかった。
当然だ。体育大で野球以外のスポーツもプロになってもおかしくないほどにみな、遜色なくプレーできるように教育されていた。
それからぼくは、絵を描くのも得意だった。生徒たちから、ポケモンやコナンの絵を描いてくれと頼まれ躊躇なく応じ、生徒たちを喜ばせた。
そうやってすごした教員生活も今日で定年を迎え教職を退くことになった。
ぼくは現役教師の間、自分のクラスからひとりもいじめられっ子を出さなかったという誇りを胸に、今は幼稚園児の孫と一緒にウルトラマンごっこをして毎日充実した老後を生きている。
ぼくは自分がぼくに産んでもらったことを心から感謝している。
小学校の教師になれたこと、同僚の美しい女教師と結ばれたこと。いいことばかりの人生だった。
ただひとつの悩みは、あの世から迎えが来る前に人生を終わりにしたいという感情に苛まれていることだ。
それさえなければ、ぼくは最高に幸福なのに……。




