第16話 ヒューマンキラー
ひと言でいってしまえば、少年時代のオレは悪童で、十代のころは不良だった。悪童の頃からケンカに明け暮れ、負け知らず。そんなオレの人生の分岐点となったのは高校を中退してボクシングを始めたことだ。
オレの専属のトレーナーになったのは韓国出身のリュウという名の、世界チャンピオンを3人育てた名トレーナーだった。
先生の指導は厳しかった。
特に減量。
『たくさん食べて、たくさん落とせばいい』
先生はそういうふうに簡単に命令したが、オレは体重の落ちにくい体質で、オレの属するスーパーフェザー級リミットは58.9kg。オレの身長が173cmだということを鑑みれば、その体重をつくるのにはどれほどのハードなトレーニングをこなさなければならないか、それは筆舌に尽くしがたい。
しかしオレはプロ8戦目で世界タイトルマッチに挑戦し、11ラウンドでメキシカンボクサーを葬り、当時日本最速で、世界チャンピオンになった。
オレは先生に抱きついて号泣した。ほんとうに嬉しかった。
だがボクシングジムの格言のひとつである、
『世界は獲るより守るほうが難しい』
の言葉通り、オレは初防衛戦で判定負けの醜態をさらした。
オレは現役を引退し、先生は他のジムに移籍した。
しかしオレからボクシングを取ったら何も残らなかった。
半年後、オレは階級をひとつ上げ、ライト級でリングに戻った。
2.26kgの猶予で非常に楽になった減量。恩師リュウはもういない。新しいトレーナーは、ロドリゲスというアメリカ人で、彼もまた元プロボクサーであり、ミドル級の世界チャンピオンだった男だ。通訳はボクシングオタクの高橋哲也。世界チャンピオンこそなれなかったとはいえインターハイで優勝した経歴をもつ男だった。プロにならなかったのは、網膜剥離を患ったため、夢を断念せざるを得なかったのだ。
オレの復帰戦はいきなりの世界タイトルマッチ。相手のベネズエラ出身のチャンピオンを3ラウンドでマットに沈め、再び世界チャンピオンになった。
オレは勝利者インタビューで、次の対戦相手に「令和のKOキング」と称される男を指名した。
半年後の10月11日、決戦の日。チンの弱いオレはハードパンチャーのKOキングのパンチをもらわないようにアウトボクシングをするようセコンドから支持されていたが、オレは打ち合った。作戦も、秘策も、ない。どっちが強いかはっきりさせてやる、そのためには判定ではなく、KOでの勝利が必要だった。
7ラウンド、オレの放った渾身のワン・ツーでKOキングは倒れた。だがヤツは立ち上がった。そうしてファイティングポーズをとり、まだやれる、とアピールした。
8ラウンド、今度はオレがチンに強打を受け、ダウンを喫した。その時オレは右足首を捻って思い通りのファイトができなくなった。
しかし11ラウンド、右フックで再びダウンを奪いテンカウント。
オレはKOキングに勝利した。
予期せぬこと起きた。オレとの対戦の翌日、令和のKOキングはこの世を去ってしまった。これがボクシングの怖いところだ。ひとを殴ることで生きていくボクシングという格闘技。オレは『ヒューマンキラー』と揶揄されるようになった。
そうして2度目の防衛戦の相手はフランス人の元世界チャンピオンだった男。オレは何度もそいつをロープ際に追い込んだが、3ラウンドでダウンしてしまう。
オレは立ち上がったが、一方的にパンチを浴びた。
オレの潜在意識の奥に、また、殺してしまう、という恐怖が蔓延っていた。
オレはKOこそされなかったものの大差の判定で、敗れた。
オレはダメになっちまったのだ。
そして今日、10月12日、オレは令和のKOキングの墓参りに行くことで、どうにか部屋を出ることができた。あの日以来、ずっと引きこもっていた、オレ……。
そうしてこの手記を書くことで、オレは人間としてのギリギリの一戦を生きっている。




