第11話 餃子の桐谷
第11話 餃子の桐谷
空は前日から大地に大粒の雨を多量に叩きつけていた。
桐谷は独り暮らしの、築30年以上になる古いアパートの窓を開けた。
「生憎だな」
桐谷は短く呟いた。
その日は桐谷の母と妻の命日だった。
空が泣いている……。そんなことを考え、桐谷は自嘲気味に笑った。時計の針を確かめると、まだ午前6時32分だった。
街が動き出すにはまだ早い時間だ。
もうひと眠りするか。そう呟いて桐谷は敷きっぱなしの布団に入った。
桐谷の部屋は六畳と三畳の二間で、六畳のほうに、テレビ、タンス、三畳のほうに台所があって、冷蔵庫、その上に電子レンジ、それからトースターと電子ケトル、家具家電はそれだけだ。
桐谷は目覚まし時計のアラームを9時にセットして目を閉じた。
ピピピ、ピピピ、というアラームの音で桐谷は再び目を覚ました。すぐに、冷蔵庫に保存してある8枚切りの食パンをトースターに入れ、1分半にセットする。食パンが焼きあがるまでの間に電子ケトルで湯を沸かしスティックコーヒーを淹れる。そうして食パンを右手に、コーヒーカップを左手に持って、布団の上で軽い朝食をすませる。
それから紺のジーンズに白いトレーナー、そしてグレーのジャケットに着替え、財布とスマートフォンだけを入れたボディバッグを肩にかけ、裸足をローファーに突っ込んで、傘を持ってアパートを出た。
桐谷の父は桐谷が10歳の時に、女をつくって家を出ていった。それから母は桐谷を懸命に育ててくれた。
桐谷の名はアキラ。日本人としては珍しく、カタカナで、アキラ、だ。母はいったいどんな願いを込めてこの名前をつけたのだろうか。
母と妻の眠る墓地まで車で30分と少し。途中、仏花と母の好きだったレモンティーと妻の好きだったカファオレを買って墓に向かう。
その日の夜、桐谷は餃子を大量につくった。子どもの頃、母と一緒に餃子をつくった日のことを思い出しながら……。
桐谷は母のつくる料理の中で餃子がいちばん好きだった。そんな経緯から、桐谷は子どもの頃から大人になったら餃子屋になることを夢見るようになった。そうして中学を卒業すると、高校へも専門学校にも進学せず、自分の足で街中の中華料理屋を巡り、修行させてもらい、将来は自分の店を持つことに情熱を傾けた。が、現実は甘くなかった。
桐谷は仕方なく、ファストフード店でバイトをしながらYouTubeを見、独学で料理の勉強をした。
そうして調理師資格を3回受けて、ようやく取得し、同時に食品衛生責任者の講習を受け、銀行で資金を借りて、自分の店を構えた。屋号は「餃子の桐谷」。23歳で桐谷は夢を叶えた。
しかし店の経営は思うように運んではくれなかった。
まったく流行らず、日本中の人に食べてもらいたかった母の餃子の味は誰からも求められなかった。
そんなある日、右目に眼帯をした40代半ばくらいの女が来店した。
「いらっしゃい」
桐谷は1日に2,3度しか口にしないセリフをいった。
「ここ、餃子の専門店なの?」
「いや、中華料理屋だ」
「餃子定食ってできる?」
「ああ」
「じゃあそれ、お願い」
昼食時にもかかわらず、自分以外に客のいない店に眼帯女はどんな印象を受けただろうか。
「ウマいじゃん」
できあがった餃子を一口食べると、眼帯女はそういった。
やっと、母の味が伝わった。
桐谷はその眼帯女と、その次の日に役所を訪れ婚姻届けを提出した。
それからというもの、眼帯を外した美人の接客する餃子のうまい店として、桐谷の店は評判の名店になった。
しかし幸福な日々は永くは続かなかった。桐谷の妻が、15歳の中学生に刺され、死んでしまった。くしくも、その日は、母の9回目の命日だった
桐谷は店のメニューから餃子を外した。
餃子を出さない「餃子の桐谷」。
……。




