8. YUNー5
姫さんが、六歳の誕生日を迎えてしばらくのち。
その年の長雨は雨量が多い上に長く続き、国中で、否、ネーデルヴァルト公爵領周辺を除く国中で、長雨を原因とする水害や土砂災害が起こっていた。各地の聖女や聖人は、災害対応におおわらわで、姫さんも災害こそ起こっていなくても危険な箇所はないかと、ネーデルヴァルト公爵領周辺を駆けずり回って状況確認と、災害の芽の摘み取りに勤しんでいた。
「うん」
疲れと焦りの滲んだ顔で、姫さんが頷く。
「この周辺は、これでとりあえず大丈夫そう。良かった」
確かに領地は無事だし人的被害もほぼないが、代わりに姫さんが襤褸雑巾みたいに窶れている。
「なら、少しは休めんの?」
無理だろうなと、予測しながら問えば。
「まさか」
案の定、返ったのは否定の言葉だった。
「ネーデルヴァルト公爵領周辺が、問題ないのならば、皇都の応援に来るようにと、通達を受けているから」
いくら聖女だからって。
「御齢六歳に頼り過ぎじゃない?この国」
「それはほんとにそう」
ふっと吹き出して、姫さんは頷く。
「こんなに被害が出る、想定じゃなかったのよ」
「それ、どう言うこと?」
「水害が多いのは、この国全体の傾向だから」
んーと伸びをしてからオレに手を差し出しながら、姫さんは苦々しい顔で語る。
「国全体の治水工事の必要性は、父に伝えて納得されていたのよ。その上で、各地の工事計画も、立てて渡していて、全国的に工事を、進めて貰っていたの。工事計画通りに、対応がなされていたら、被害は皆無じゃないにしろ、こんなに深刻じゃなかったはず」
風の魔法で飛び上がりつつ、姫さんが毒吐いた。
「ほんと、救いようがないわ、この国」
このひとが、こんな風に吐き捨てるところを初めて見た。
ぽかん、と姫さんを見つめたオレに気付いて、はっとした姫さんが顔に笑みを貼り付ける。
「変なことを言ったわ。忘れて」
「いや」
使えない大人の尻拭いを、姫さんがさせられていると言うならば。
「もっともな意見だと思うけど?まだ子供なのに、こき使われてさ」
大人はなにをしているんだ、と思う。そりゃ、精霊王の加護を受けた聖女や聖人なんてそうそういないにしても、高位精霊の加護持ちなら少ないながらいるはずで。
それに、加護なんかなくても、姫さんがやったことくらい時間さえかければ人力で出来るはずだ。ずっとこの国は水害が多くて。それならば、もっと前に考えて動くことが、出来たはずなのに。
「ユンは優しいなあ」
姫さんが、オレの肩に頬を擦り寄せる。
オレは優しくなんかない。だって、ほんとうは。
「こんな国、捨てて、逃げちゃえよ」
それで救われる何百もの他人よりも、姫さんが大事で仕方がないんだから。
「あはは」
姫さんはそんなオレの言葉を笑い飛ばして。
「いざとなったら、ね。そのときはよろしく、ユン」
まるで冗談のように言った姫さんの、目が本気だったから、今はそれで許してやることにした。
「わかった。ところで」
方向から言ってネーデルヴァルト城に戻っているのはなんとなくわかったから、訊ねる。
「帰ったら一旦休むよな?」
「え、いや、支度を調えてから、すぐ、」
「却下」
「却下、ですか」
姫さんが困ったような笑顔と上目遣いで、オレを伺う。
「急ぎたい気持ちはわかるけど、あんたが死んだら助かるものも助からなくなるだろ。戻ったら、準備だけして、一晩は屋敷で休め」
「でも」
「てか、オレも休みなしで姫さんについて行ってるんだからな?一晩くらい休ませてくれよ」
たぶん、それならユンは家で休んでいてと言おうとしたであろう姫さんの口を、片手でふさぐ。
「一緒に行かない、は、あり得ない。こっちは公爵閣下から直々に、娘から目を離さないでくれって厳命されてんだよ。命令に背いて首飛ばされたら、どうしてくれんの?」
「父は首飛ばしたりは……」
「解雇はあり得るだろ。公爵家クビになった元孤児が、まともな職にありつけると思う?」
まだ数年の付き合いとは言え、四六時中一緒なのだ。姫さんにどう言う攻め口が効くのかは、重々承知している。
「ね、姫さん、オレと一緒に、一晩、休んで、くれるよな?」
噛んで含めるように言い、にこ。と笑みを向ける。塞いだ口は、放さない。
しばし、オレと見つめ合った姫さんは、観念したように、こくり、と頷いた。勝った。
「ユンくんがいじめる」
「いじめてない。あのね、姫さんは、身を削り過ぎなの。ヨソにはヨソの聖女なり聖人なりいるんでしょ?責任の所在はそこなんだから、姫さんがそう躍起になる必要ある?」
「でも」
拗ねたような顔で、姫さんが反論する。
「水の王の聖女は、わたしだけだもん」
「それで頑張り過ぎて、姫さんが死んで」
あの、姫さんを溺愛する精霊王たちが。
「水の王が喜ぶとでも思ってんの?」
喜ぶはずがない。姫さんを、大事に大事に思っている、水の精霊王は。
あの、愛情深く善良な女王は、己が加護を与えたばかりにと、自分を責めるはずだ。
「あんたさ、もっと自分が愛されてるんだって自覚持てよ。オレだって見たくないよ。魔力枯渇で死ぬ姫さんなんてさ」
姫さんが、困り顔で笑う。
了承の言葉を、出すつもりのないときの顔だ。
姫さんは頑固で。秘密主義で。きっと山のように考えているであろう考えごとの、ほんの一部しか周りには教えてくれない。
「わたしだって、別に死に急ごうとは、思っていないのよ。自分の限界は、ちゃんと見極めているもの」
「あのね」
常識がないのだ。このひとは。
「普通の人間の価値観なら、魔力欠乏でぶっ倒れるのは、限界を超えてるんだよ。あんた全然、自分の限界見極められてねぇから」
「ユンがいるから大丈夫だもん」
「毎回それで流すけどさ」
確かに毎回、オレが拾って野営地を整えて、目覚めるまで見張っているけれど。
「オレが裏切ったらとか、考えないのかよ」
いや、そんな、道端で見かけた野犬が突然流暢な上流階級言葉で話しかけて来たみたいな顔するほど、意外性のある疑問じゃないだろ。
「……ユンくんが、うらぎる……?」
「あり得るだろ、買収されたとか、脅されたとかで」
「ない」
断言かよ。
「いやだって」
姫さんが困惑も露わに言う。
「ユンがさっき、言ったじゃないの。愛されている自覚をって。わたし、マイムたんにもエジムさんにも、両親にも兄姉にも、愛されているのよ?そんな豪華面子の、怒りを買うってわかっていて裏切るほど、ユンはバカじゃないわよ」
信頼とかじゃなくて、恐怖政治。
言われてみればそうだけれど。
否定は出来ないけれど!
「姫さんの馬鹿」
「馬鹿って言う方が馬鹿なのよ」
「今度倒れたら顔に落書きしてやるから」
ぶすくれて言えば、ぽかん、とした後で、噴き出された。
「山中で落書きされて、誰が困るのよ。脅すなら、顔に傷を付けるくらい、言えば良いのに」
「姫さんの顔に傷なんか付けたら殺されるから。落書きだってギリギリ有罪判定かもしれないのに」
「よほど悪辣な傷じゃない限り、治るけれどね」
「治るとか治らないとかの問題じゃないから」
「治るならべつに良くないかしら?」
「良くないって。ちょっと、あんたの顔の話をしてるんだけど!?もっと愛されてる自覚持てよ!」
「え、話が回ったわ。怖」
馬鹿みたいな会話をしている間に、ネーデルヴァルト城に到着する。始めは速度に度肝を抜かれた風魔法での移動も、今となっては慣れたもの。城の人間も、突然出掛けて突然戻って来る姫さんに、すっかり慣れきっている。
「明日の朝まで、しっかり休ませてくれる?」
出迎えにやって来た侍女たちへ、姫さんがなにか言う前に告げれば、イイ笑顔で頷かれた。
『かしこまりました!』
「ちょ、ユンくん??」
「出発昼ね。準備は朝からやって。じゃ、ごゆっくり〜」
「話が違、あっ、待って持ち上げないで、ユンくんに話がぁぁぁ〜……」
サッと持ち上げられて運ばれる姫さんを、手を振って見送る。
「さて、オレも報告したら休もっと」
走り書きのメモ紙の束を取り出し、城の廊下を進む。
「騒がしいと思ったら、戻ったのか、ユン」
「明日にはまた出ますけどね」
廊下で出会した姫さんの長兄に、持っていた紙束を渡しながら答える。
「そうか。いつも悪いな」
「いえ、姫さんには、恩があるんで」
「理由はどうあれ、助かっている。オリヴィアからの報告は期待出来ないからな。ありがとう」
オレなんか、ただの孤児なのに。
姫さんに感化されたか、この家の人間は当たり前にオレにも感謝の言葉を告げる。敬語もままならないオレと、普通に会話を交わす。
文字もまともに書けなかったオレに、一通りの文章が書けるよう文字を教えてくれたのは、目の前のこのひとだ。姫さんは、教師役には向かないひとだったから。
「困り事や、必要なものがあれば、僕にでも母にでも、遠慮なく言うと良い。ユンがオリヴィアと共にいるために必要なことならば、協力は惜しまない」
顔合わせのときにも、思ったが。
皇女が降嫁するような公爵家の人間が、どこの馬の骨とも知れぬ孤児のガキひとりを、全力で囲い込もうとする。そこまでされるほどに家族を追い詰めた、オレに会う前の姫さんは、いったいどれほど人間を遠ざけていたのだろうかと。
そして、同時に思う。
これだけ心配するくせに、誰も姫さんの行動を妨げようとはしない。自分たちの娘や妹の安全より、国の平定と民の安寧を採る。
あまりに貴族然としたその行動と考え方を、そら恐ろしいと。姫さんの人格形成も、確実にこの両親兄姉の影響が出ていると。
「ありがとうございます。必要なものは姫さんが手配してくれてますし、困り事は姫さんが無茶ばかりするので、止めるのが大変なことくらいです。お気遣い、痛み入ります」
ついつい皮肉混じりの返答をしたオレを、姫さんの長兄はなぜか優しい目で見返した。
「そうして止めてくれるきみが、オリヴィアのそばにいてくれて、本当に良かったと思っている」
ぐ、とわずか、姫さんに似た美しい容貌の、秀眉が寄せられる。
「公爵家の、宰相の息子としても、皇族の血を引く者としても、僕たちが個人の感情を優先させることは許されないからな」
ああ。
そうだよな。このひとたちは、姫さんを確かに愛しているんだもんな。止めないだけで、止められないだけで、止めたくないわけがないよな。
「そのために、オレがいますから」
「ああ、今後もよろしく頼む。報告書、確かに受け取った。今日はきみも、ゆっくり休むと良い」
ぽん、と肩を叩く少年は、記憶が正しければ御齢十三歳。オレより三つも歳下だ。
姫さんはもうなんか神の使いかなんかだと言われた方が信じられるくらいの人外的な賢さだが、この方も大概、年齢以上に大人びている。貴族の子供、と言うのはこう言うものなのか、この一家が特別なのか。
「お言葉に、甘えます」
頭を下げて、廊下をすれ違う。オレの部屋は、姫さんの部屋の横。従者が控えるための小部屋だ。小部屋と言っても、孤児院の部屋よりずっと広い。本来それなりに出自のはっきりした者以外許されない部屋なのだろうが、姫さんの随行者として特別に許されている。
衣類と食事は支給され、洗濯も掃除も担当者がいて、そのほかに法外な給金まで支払われる。
姫さんと会う前なら、想像もしなかったような、恵まれた立場だ。姫さんに方々引き回されはするが、酷い仕打ちを受けることはない。
この立場は、姫さんが人間ではオレだけをそばに置くから与えられている。もし、姫さんが死んだなら、即叩き出されることはないにしろ、せいぜい雑用として置いて貰えるかどうか、と言ったところ。
姫さんに死んで欲しくないのは、それが理由ではないけれど、でも、そう言ったら、姫さんは少しは無茶を自重してくれるだろうか。
「いや、ないな」
たぶんイイ笑顔で、わたしが死んでもユンが困らないように根回しして置くわね!と言われるだけだ。あのひとは、ほんとに、もう。
「なににそんなに、焦っているんだよ」
なにをそんなに、抱え込んでいるのか。
本人に訊ねても答えの返らない問いなら、オレがひとりごちても答えなどわからない。
ただ、焦燥で日に日に窶れて行く姫さんが、痛々しくて。見ていられない。
それでも見ていないところで倒れられるのはもっと嫌なので、目を逸らしはしないのだが。
「いつかわかれば、良いんだけどな」
呟いたオレはまだ、そのいつかが近いことなど、知るよしもなかった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
主人公よりユンくん視点の方が長くなっている件
客観視点の方がさらっと書けるので短く済ませたいときは便利で……
続きも読んで頂けると嬉しいです




