5. YUNー2
孤児院に着くとちょうど、孤児院の院長が畑の水やりをしているところだった。
「院長」
呼び掛けて、振り向いた老爺は、オレの背後を見て目を見開いた。
「どうしました、ユン」
「このひと、山で、倒れて」
「なんと。どこか、怪我を?」
如雨露を置いて駆け寄って来た院長に、首を振る。
「魔法の失敗で、魔力欠乏になったって言って倒れたから、病気とか怪我じゃないみたい」
「そうですか。では、救護室で休ませてあげましょう」
「そう思って、連れて来た」
「ユンは、優しい良い子ですね。ありがとうございます。もう少し、背負っていられますか?」
頷いて返すと、院長は微笑んで頷きを返し、では救護室へとオレを先導した。
救護室のベッドにお嬢様を降ろすと、そこでやっとお嬢様の服の上等さに気付いたらしい院長は、ぎょっとした顔でお嬢様を見下ろした。
オレも改めてその容姿を観察し、精霊王に負けずとも劣らない美しさに感嘆する。
邪魔にならないようにか編んで纏められた髪は青銀。汚れも傷みもなく、まるで降り積もった新雪のようにキラキラしている。白い肌は陶器のようで、今は閉じられた長い睫毛に囲われた瞳は、真夏の蒼穹のように澄んで深い蒼色をしていた。
彼女こそ水の精霊王だと言われても、信じる人は多いのではないだろうか。
だが、身を包む服は精霊王と言うには実用的なものだった。害虫や蛭対策か、足元は長ズボンに長靴を履いた上で、スパッツまで着けている。上半身も襟の詰まった長袖に手袋までして、肌が出ているのは顎から上だけと言う徹底振り。しかも、庇付きのフードと高襟が付いたケープまで備えているので、フードを被って襟を立てれば、見えるのは目元くらいになるだろう。まるで、山地に行軍を命じられた兵士か、獲物を求めて森に潜む山賊かのような、野外活動向けの格好だ。
本気で、山中を見て回るつもりだったのか。
齢三つの公爵令嬢が?治水のために??
彼女の両親は健在だし、上に兄も姉も数人いたはずだ。平民どころか孤児でも知るほどに、民に沿った政治をする公爵夫人が、立派に領地を治めている。幼い彼女が治水に頭を悩ませる必要なんて、少しもないはず。よしんば考える必要があったとて、情報集めに自ら足を動かす必要などない。大勢いるであろう使用人に、ちょっとお願いすれば、使用人はすぐさま平民を動かして情報を集めさせるだろう。
意味がわからない。これは、いったい、なんだ?
「この方は……」
どうやらお嬢様の見た目に覚えがあったらしい。顔色を亡くした院長が、震える声を出す。
「この、髪色、皇女殿下……」
言われてみれば、院長室には古びた皇室の肖像画があって。腰掛けた皇后の横に立つ少女は、こんな青銀の髪をしていた。
あれが昔の公爵夫人だと言うなら、なるほど彼女にその血筋を感じるだろう。
蒼白な顔の院長が、よもや倒れるのではないかと思ったとき、折好く、と言って良いのかはわからないが、隠されていた蒼穹の瞳が、ぼんやりと開かれた。
「んん……」
唸って顔をしかめ、はっとして飛び起きる。
きょろきょろと辺りを伺って、目眩でもしたのか、ふらりとよろける。
「危ない」
慌てて手を伸ばして支え、抱き寄せる。
「大丈夫?魔力欠乏で倒れてたんだから、そんな激しく動かない方が良いよ、っ、良い、です、よ」
抱き留めて、そう言ってから、しまったと思うが、もう遅い。触れたことも、話し掛けたことも、この子が身分にこだわる人間だったら、罰される原因になる。
身を固めたオレとは対照的に、お嬢様は安堵したように表情を和らげる。
「ありがとうございます。すこし目眩がしただけで、身体に問題はありません。助けて下さった、だけでなく、ベッドまで貸して、下さったのですね。重ね重ね、ありがとうございます」
「い、や、そんな、たいしたこと、じゃ」
「いいえ。感謝しています。いますぐには、難しいのですが、いずれ必ず、お礼を致しますから」
これが三歳の受け答えだろうか。疑いながらも息を吐き、寝直すつもりはなさそうなお嬢様のために、毛布を丸めて背もたれ代わりにあてがってやる。
「ありがとうございます。優しくて、気が利く方ですね」
それにも微笑んで礼を言い、お嬢様は院長に目を移した。頭は下げず、視線だけで会釈して、告げる。
「起きたばかりで、状況を理解、出来ておりませんが、おそらくとても、驚かせてしまったことと、思います。こんな体勢で、恐れ入りますが、お詫び申し上げます。ご迷惑、ご心労をお掛けし、誠に申し訳ありません」
「い、いえ、そんな、」
「魔法を失敗し、上空から落ちてしまいまして、死にかけたところを、彼に救って頂きました。その上、おそらく、ここまで運んで、頂いたのかと、思います。心より、感謝致します」
これが三歳の受け答えだろうか。
「もったいないお言葉で、その、ここはレンダル山脈の麓にある、ネリー孤児院です。わたくしは、院長を務めるイド・メルニと申します。彼は、この院の子供で、ユンです」
「これはご丁寧に、ありがとうございます。わたくしは、ネーデルヴァルト公爵が三女、オリヴィアと申します」
本当に、公爵令嬢だったのか。
どう、反応して良いのかもわからず固まるオレの横で、院長が床に額突こうとする。
ああ、それが正しい反応、
「お止め下さい。正式な場では、ございませんし、わたくしはなんの、功績もない小娘です。なにより、いまはわたくしが、あなた方に、感謝する場面ですから」
「……精霊王の加護を得ているのは、十二分な功績じゃないかな」
「ユン!」
「あっ、済みません、失礼を、」
「いいえ」
院長の叱責に謝罪しようとしたオレすら止めて、公爵令嬢様は言う。
「構いません。ユンさんは、命の恩人です。この場では、楽に話して頂いて、大丈夫です。わたくしがあなた方の、不利になることをするつもりは、一切ありません」
「……ありがとうございます。失礼ですが、ユンがあなた様の、命の恩人と言うのは?こちらもつい先ほど、ユンがあなた様を連れて戻ったところで、状況がわかっておらず……」
「そうでしたか」
頷いて、公爵令嬢様はちらりとオレを見た。それから院長に目を移して、言う。
「魔法を失敗し、上空から落ちて、運良く、木枝が緩衝となって、命は助かったのですが、木の上に引っ掛かって、降りられなくなってしまって」
目を見開いたオレに、公爵令嬢を見ていた院長は気付かなかったようだった。
「魔法で降りようにも、魔力欠乏状態で、意識も朦朧としていて、もう気絶して、落ちるしかない、と言うところで、通りがかったユンさんが、見付けて下さり、無事に、降りることが出来ました。ただ、恥ずかしながら、そこで気を失いまして……」
「お嬢様が、倒れ、られたので、このままには出来ないと思い、孤児院まで運ん、運びました」
「楽な話し方で、良いですよ?呼び方も、お嬢様なんて柄では、ありませんから」
本当に、この子は三歳なのだろうか。
もう何回思ったかわからない疑問を、また抱く。この子は起きて数分もせずに、オレが加護を隠していることを察して、院長にオレの加護が気付かれない状況説明を組み立てたのだ。
しかし、いくら頭の回転が速くても、身体がついて行かなければ駄目だろう。
「顔色、悪いよ?まだ、休んだ方が良いんじゃない?」
「ですが、あまり、迷惑は」
「空いてるベッドだから問題ないよ。でしょ、院長」
院長に振れば、慌てたように頷かれた。
「ええ。ええ。大丈夫です。どうか、しっかり回復するまで、お休み下さい」
「院長、水やりの途中だったよね。オレが見てるから、行って来れば?」
「ユン、いや、しかし」
ちらりと、公爵令嬢を見やれば、オレの意図にも状況にも気付いたらしい。
ここでお嬢様が休むと言わなければ院長は水やりに戻れないし、院長がいるところでお嬢様は水の精霊王に話し掛けられない。
「お言葉に甘えて、少し休ませて頂きます。メルニさまは、どうぞお仕事に、戻って下さい。ユンさん、申し訳ありませんが、付き添いを、お願い出来ますか?」
大丈夫がこのこ。
自分でそう仕向けたとは言え、あっさりオレを信じるお嬢様に、ついそう思う。孤児のなかには性根の悪いものもいる。飾りっ気のない格好とは言え、釦は金だ。むしって売れば、良い値段になる。
「良いよ。今日の分の薬草は、もう摘めてるから」
「ユン」
「良いです。そうして楽に、話して貰った方が、気が楽です。お邪魔しているのは、わたくしですから」
言外に、だから気にせず行けと言っている。
「……わかりました。ユン、頼みますよ」
「ん、わかった」
院長が遠ざかる足音を聞き届けてから、お嬢様が言う。
「べつに、誰でも彼でも、信じるわけではないですよ?ただ、あなたはわたくしに、水の精霊王が同行しているのを、知っているでしょう。精霊王に喧嘩を売ってまで、手出しはしないだろうと、判断しました」
「……なるほど」
言われてみればそうだった。下手な護衛よりよっぽど怖い護衛が、このお嬢様にはついているのだ。
「それと、盗んで売るなら、釦はお勧めしません。これ、純金ではないので、びっくりするくらい、硬いですから」
「真鍮なの?公爵令嬢なのに?」
「いえ、金より高値で、取引される石ですよ。希少だから、ただでさえ足が、つきやすい上に、ネーデルヴァルト公爵家の、紋章入りですから、まともな経路では、売れません」
ああだから、硬いと言ったのか。叩いて紋章を潰すことも出来ないと。
「オレは盗もうと思ってないし」
「でしょうね。生計を立てる手段は、お持ちのようですから」
なんだか、そんなことにしか魔法を使わない自分が、責められたような気がした。
「なに。もっとひとのために使えって言う?」
「いえ。そうは思いませんが。好きなように、使えば良いと、思いますよ」
「お嬢様は、聖女としてひとのために使うのに?」
「わたくしは」
幼い顔に似合わない大人びた表情で、お嬢様は笑う。
「皇族の血を、引く貴族ですから、民に尽くすのが役目です」
「オレに」
精霊王ではないにしろ、高位精霊の加護を持つオレに。
「聖人になれって言わないの」
「ならなくて済むなら、ならない方が良いですよ、そんなもの。良いように、使い潰されるだけですから」
あんたこれからその、聖女になるんじゃなかったか。
「逃げられないわたくしが、とんまで間抜けなだけですよ。逃げられるのなら、逃げて良い。人生は、自分自身の、ものなのですから」
「お嬢様、本当に三歳?」
「三歳ですよ。あと半年で四歳ですが。それより、お嬢様でなくて、良いですって」
そうは言っても、皇族の血すら引く貴族のお嬢様の名前を、軽々しく呼ぶわけにも行かないだろう。
「じゃあ姫さん。あんたも呼び捨てで良いよ。さん付けなんて、される柄じゃないし」
元皇女の娘なのだから、良いだろう。
姫さんはいまひとつ納得の行っていない様子だったが、飲み込んだようだ。
「なんで、院長に嘘吐いたの?オレが、魔法で助けたんだって、言えば良かったじゃん」
「隠しているの、だろうなと思ったので」
その通りだ。けど。
「国や領地のために働かせようとか、思わないの?」
「わたくしは、国や領地として、動いているわけでは、ありませんから」
「……水害対策、なのに?」
姫さんは、きょとん、としたあとで、ああ、と頷いた。
「マイムたん、水の王が、話したのですね」
「精霊王をその呼び方はどうかと思う」
いや、その恐れを知らない言動は、年相応と言えなくもないけれど。
「えっ、可愛くないですか?マイムたん」
「可愛い可愛くないじゃなくて、不敬だって、怒られるよ」
水の精霊王自身が気にしなかったとしても、教会にとっても、多くの人間にとっても、精霊王とは偉大で尊ぶべき存在なのだ。
「姫さん、皇女の娘なんでしょ。国全体が、精霊王を軽んじてると思われたら、どうするの」
「軽んじては、いないですよ」
「姫さん自身がどう思ってるかじゃなくて、周りからどう見えるかだって。頭の中なんて、周りからは見えないんだから」
ああ違う。あんまりな呼び方をするものだから、話が逸れた。
「とにかく、他人の目があるときは、ちゃんとしなよ。それで?水害対策なんでしょ?個人でやるものじゃなくない?」
「確かに、本格的に動くとなったら、国家規模の話ですけれど」
まだ、十分に魔力が回復しきっていないのだろう。少し、とろんとした目になりながら、姫さんが言う。
「いまはまだ、国を動かすための、下調べなので」
「なんでそんな、水害を対策したいの?慈善事業のつもり?」
「いいえ」
口調まで、どこかとろりと溶かしながら、姫さんは答えた。
「わたくしの、願いを、叶える、ために」
「願い?」
「つらい、おもいを、する、こどもが、ひとりでも、すくなく……」
小さな身体から、徐々に力が抜けて行く。
「良いよ寝なよ。ほら」
背もたれ代わりに背に当てていた毛布を抜いて、起こしていた半身を寝台へ沈めた。
「見てるから。誰にも悪戯はさせない」
孤児院のチビ共にするように額をなでようとして、オレの荒れた手で触ったら傷付けそうな白い肌に躊躇う。
代わりに白い手が、オレの手を握った。
「あなたの、ひみつは、まもるから、あんしん、して」
「寝なって、無理し過ぎなんだよ、あんた」
「てつだって、くれたら、たすかる、け、ど……」
ちゃっかり虫の良いことを言って、姫さんはそのまま寝落ちやがった。
手伝え、だって、オレに?
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
続きも読んで頂けると嬉しいです




