13. OLIVIAー6
なんでこんなところにいるんだ。
内心で唾棄しながら、顔は平静を取り繕った。
ユンの肩を叩き、背から降ろして貰う。少しふらついたが、なんとか踏み留まれはした。
ユンが慌てて背を支えるのを、大丈夫だと下がらせる。
黙って、頭を下げた。
ユンを殺されては堪らないと先んじて発言したが、実のところ許しもなく口を聞いて良い相手ではない。まあ、わたしの場合は水の王の聖女なので、本来は対等に話して良い相手であるのだが。
「直答を許す」
「水の王の聖女、オリヴィア・ネーデルヴァルトでございます。皇帝陛下におかれましては、ご健勝にお過ごしのこと、お慶び申し上げます」
溺愛する皇后がついさっきまで瀕死だったのだ。大人しく見舞っていろよと、心の中で吐き捨てる。
え?ヒロインが嫌いなのに読んだのだから、ヒーローは好きなんじゃないかって?いや、二次元の暴君は対岸の火事だから良いけれど、三次元の暴君はご遠慮願いたいよ。心から。
「妻がお前に、世話になったと聞いた」
「聖女として、当然のことをしたまでです。お気になさらず」
だからとっとと妻を労りに行け。
「お前の従者は、そうは思っていなかったようだが」
その話が耳に入って、わざわざ来たと?
そのフットワークの軽さがあるなら、もっと迅速な災害対応は出来んのか。
「……わたくしが」
顔を上げて、皇帝の顔を見上げた。憎たらしいほど高い位置に、憎々しいほど整った顔があった。さすが、少女小説のヒーロー。顔だけは本当に良い。
まあ?中身で言うならうちのユンの方が?千倍はイケメンですけどね??外見だって?精霊王たちの美しさには?はるかおよびませんけどね??
「道中愚痴を吐いていたからでしょうね。父を通して、提言した治水工事が、計画通りに進んでいれば、もっと被害は、抑えられたはずだと」
「治水工事……?」
あんたがろくに読みもせずに判押したやつだよ。段取りは全部父がやって、その通りに進めれば余裕の工期だったのに、指示受けたそこかしこがもたつきやがって、場所によっては全然間に合わなかった。
本当、この国は父のお陰でなんとか保ってると思う。ありがとう父。
皇都の川はわたしの造った地下神殿のお陰で氾濫しなかったが、ほかの治水工事が間に合わなかった地区では、川の氾濫で死人も出ている。中途半端な治水工事が、逆に被害を拡大させた土地もあったかもしれない。
わたしにもっと、力があれば。
思うが実際、力があっても権力がなければ出来ることは限られる。地下神殿が作れたのは、領主夫人である母の全面的な協力の下、権力を笠に着たからだ。
「長雨で氾濫する川。確かにそれで、土壌が潤って、農耕に役立った面も、ありました」
川の周辺に文明が生まれやすいのは、水が安定して手に入るからと言うだけでなく、川の氾濫が土地を肥えさせるからでもある。だが、定住せず遊牧するならともかく、家を構え田畑を作って暮らすなら、川の氾濫は益より害の方が大きい。
「けれど人工的に土地を、肥やせるようになった今、氾濫する川は、家や畑を駄目にし、ヒトや家畜の命を奪う、害です。防げるならば、防いだ方が良い。そのための、治水工事です」
洪水、津波、土砂崩れ、雪崩。水は突然牙を剥き、簡単にヒトの命を奪う。それは自然の摂理で。でも、だからと言って諦める理由にはならない。
「事実、今回の長雨、治水工事が、間に合った地域では、明らかに被害が、抑えられています」
だから、小説と異なり、聖女にもまだ余裕があった。忙しいのは確かだが、わたしは公爵領を離れられたし、皇都に残せた人数も多く、皇城に駐在している聖女が倒れることもなかった。
「政治でいくらでも、国は善く出来る、と言うことです。どうかそのお力で、より善く国を、導いて下さいませ」
深々と頭を下げ、そして上げる。
いくら暴君でも、聖女は治外法権だ。直接的に罰することは出来ない。だから小説でも、戦の前線に送り込むなんて迂遠な手を使ったのだ。
だからあえて、怒りの矛先がユンからわたしに移るよう、生意気なことを言った。
「そう言うなら、お前が皇后にでもなって、導いたらどうだ?ちょうど皇子が生まれたところだ。あれの婚約者になれば良い」
暴君皇子の婚約者だと?冗談じゃない。
「身に余る光栄ですが」
微笑んで、はっきりと断る。
「わたくしは、水の王の聖女。わたくしの仕える相手は、水の精霊王、ただおひとりです。誰であろうと、夫にするつもりはありません」
三十六計逃げるに如かず。
言うだけ言ってわたしは、では失礼しますと、脱兎の如く逃げ出した。幸いもう、城の出口は遠いながらも見えていたので、兵士の案内を待つ必要もない。
「おい」
はいはいはいはい。聞こえませーん。
幼女の急ぎ足なんて、大人からしたらゆっくりにも程があるだろう。だから、おそらく皇帝は、そこまで積極的にわたしを呼び留めたかったわけではないのだ。
振り返らないわたしを追うこともなく、踵を返したのだから。
そのまま一目散に城外へと出て、閉まった扉に安堵の息を吐く。ふらっとよろけたわたしを、ユンが支えた。
「オレなんか、見捨てれば良かったのに。あれじゃ姫さんが目を付けられただろ」
わたしを背負い直しながら、ユンがぼやく。
「んーでも、ユンがいないと、嫌だし困るし、わたしについては、もういろいろ、手遅れな気が、したからさあ」
ユンを巻き込んだのはわたしだ。だからわたしには、その責任がある。
「大丈夫。いくら暴君でも、聖女をいきなり、手打ちには出来ないよ。猶予さえあれば、逃げられる」
そうだ。いざとなれば、わたしは逃げられる。
でも、それを言うなら小説のオリヴィアちゃんだって、逃げることは出来たはずだ。
なぜ、オリヴィアちゃんは逃げなかった……?
「……ほんとに、逃げられんのかよ、あんた」
信じていない口調で、ユンが言う。
恭しく頭を下げる門兵に見送られて、城壁を抜けた。
そのときだった。
「おい、聖女様が出ていらしたぞ」
「あんな、お小さい身体で私たちを」
「聖女様、ありがとうございます!!」
「聖女様万歳」
「あなたのお陰で助かりました」
「ありがとうございます」
ど、と、世界が揺れるような歓声。
「え、なに」
「皇都の者たちです。聖女様に感謝を伝えたいと、先ほどから押し寄せていて」
戸惑うわたしに、門兵が告げる。
騒がしい。耳が痛い。くらくらする。
「大丈夫か?姫さん」
でも、みんな喜んでる。笑ってる。泣いているひともいるけれど、それでも、笑顔だ。
「だ、」
大丈夫、と言おうとした。けれど、身体は疲れきっていて。
「だめかも……」
「おっけー寝てな」
よいしょとわたしを揺り上げて、ユンは大きく息を吸い込んだ。
「お前ら落ち着け!感謝は伝わったから、もう散ってくれ!聖女様はお疲れなんだ!休ませてやってくれ!!」
触れていないと声も届かないような騒音のなかで、けれどユンの声は響き渡った。歓声が止み、その場が静かになる。
「通して。もう大丈夫なんだろう?ボロボロになるまで頑張った聖女様を、家で休ませてくれ」
ユンが足を進めると、まるで海を割ったモーゼのように、民衆が割れて道が出来た。その道をユンが通るのに合わせて、ひとびとが跪いて行く。
それは、無言の感謝。
わたしの、奔走が、無駄でなかった証拠。
ああ、そうか。
だから、逃げられなかったんだね、オリヴィアちゃんは。
たとえ、皇族に疎まれても。馬車馬のように働かされて、皇帝からは労いも感謝もなかったとしても。
自分の力が確かにヒトを救うことも。ひとびとが、それに感謝し拠り所としていることも。
そして、自分が逃げてしまえば、無辜の民がより多く犠牲になることも。
知っていたから、聖女として、そしておそらく、この国の皇族の血を引く者としても、逃げられなかったのだ。
たとえ蔑まれても、オリヴィアちゃんは、どこまでも、聖女で貴族だったのだ。
人垣は切れた。それでも、道行くひとが足を止め、なにやら仕事をしていたひとまで手を止め駆け出して来て、長雨でまだぬかるんだ地に膝を突く。
皇帝は暴君で。政治も巧く回っていなくて。
そんな彼らにとっては、聖女こそが救いで、希望なのだ。
重たい。そんなもの、背負いたくない。潰れそうだ。
それでも。それでも。
小さな決意を胸に、わたしはユンに囁いた。
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