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この街は今日も語る  作者: 紫芋
Spring hour 桐江准は普通でありたい

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94/98

決戦前夜

すいません。詰め込み過ぎて、長くなりました。


ごめぇぇぇぇぇぇぇん!!


引き返すなら、今だぁぁぁぁぁ!逃げろォォォオーーッ!

 朝倉拓也と別れた僕は『象願林』を出て、言われた通りに左に真っ直ぐ伸びる歩道を歩いていた。


 林の中に入る頃と後では、僕自身の気持ちは幾分も落ち着きのようなものがあって、不思議な感じがする。


 それこそ、『魔法』でも掛けられたように。


 学校近辺は被害が比較的に少なく、鉄骨が道路に向かって伸びている事もなければ、道に亀裂が走っている訳でもなかった。


 しかし、人の影は依然として現れず、僕一人がこの街に取り残された感じもあって、寂しさを覚える。


(改めて思うと⋯⋯⋯⋯この街、やばかったんだよな⋯⋯。しかも犯人が残ってるって言ってたし)


 足音がよりクリーンに聞こえる。


 生活音と呼ばれるものが皆無である事に、違和感が凄まじく、自然と辺りをキョロキョロと見回してしまう。


 舞喜が誰かを襲っていないか、その心配もしていたのだが、朝倉拓也曰く、


「それはない。何処までいっても未成熟な少女の肉体だから、過度に動いて疲れたり、過度なストレスが溜まれば当然、眠気もある。だから、今頃は相手さんは不本意ながら寝てる」


 との事だ。


 これを信じて良いものか、些か不安もあったけど、今はそれを信じるしか他なく、僕も舞喜の行方を追えない訳で、情報提供して貰おうにも、スマホの中にある舞喜の写真は見事に全て変化してしまっていて、顔の判別が出来ない状態にある。


 口頭でどれほど舞喜の特徴を伝えようとも、パジャマの色合いぐらいしか教えられないし、仮に熱心に探してくれる人が居たとしても、その人が次の被害者になりました、では本末転倒も良いところだ。


 結果、今日は用事を済ませて自宅に居る朝倉拓也から、明日の動き方を教えて貰い、その通りに動くしか手がない。


 これ以上、舞喜が誰かを傷付ける事のないように⋯⋯。


「───────うわっ!」


 脚を大きく踏み外しそうになった僕は、不自然に左へと重心が向いていくのを耐えるように、両腕を振りながら、重心を後方へと向かわせていく。


 右脚に力が掛かり、一心不乱に身体を動かした。


 けれど、遂に抵抗は露と消えたように、右膝がカクンッと曲がって、そのまま上半身は前へ前へ。


 そして、顔から思い切り不気味に作られた穴に落ちて行こうとする。


「んーー!嘘だろッ!!」


 暗がりで街灯も付いていない為に気付く事すら出来なかったその穴は、身体が段々と前屈みになっていくに連れて、その大きさを理解し始めた。


 車道、歩道を覆い尽くす程の大きなその穴は地盤沈下にしては綺麗に円が形成させていて、そのまま前へと倒れそうになる僕が奥へ向かって腕を伸ばしても全く届かない程に、デカくて綺麗に象られた穴だった。


 底は目視では確認出来ず。既に左脚は穴に向かって下へ進み、身体はそんな僕の左脚に付き添うように穴へと落ちようとしている。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 瞼を閉じて、死ぬ覚悟すらしていない僕の浮遊感は僅か一秒にも満たない内に終わりを迎えた。


 誰かが左手を掴んでくれている。そう気付いたのは、無駄なぐらいに上に向かってピン!と伸ばされた左腕の感覚と、腕を掘られた穴の側面を身体が擦る感覚がしたからだった。


「准!全く、俺が居なかったら、死んでたぞッ!」


 上から睦生の勇ましい声が聞こえて、僕は見上げた。


 僕の左腕を前屈みになって掴んでくれている。


「⋯⋯⋯睦生?!お前、怪我は?」


「めっちゃ身体は痛てぇよ!正直、今すぐ手放したい!」


「そうか!じゃあ絶対手放すな!死んでも僕を救え!」


「カッコ悪い事この上ねぇーッ!つか、無駄に体力使わせんなーーッ!」


 精一杯に僕を引き上げようとする睦生の顔は暗がりで見え辛いながらも、必死な声色はよく響き渡り、僕は掴んだ睦生の両手を掴んでいいものか迷ってしまう。


 助けてくれようと精一杯なのは伝わって、それでも僕を手放した方が彼の為になるのではないか、そう錯覚すらしてしまった。


「足場悪すぎるでしょ!ここォォ!」


「おい!喋ってどうする!?口より手を動かしてくれ!」


「お前、助けられたいんじゃないの!?だったら態度ってもんあんでしょーよ!」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 正直、どっこいどっこい、と言いますか、そんなに辛いならいっそ手放してくれても最悪、不本意ながら、後で恨み辛みは呟くも良いとは思ってしまった。


 僕と睦生は出会って二週間も経っていない。


 そんな間柄でよく僕相手に助けてくれているな、と素直に感心すらしていた。


(⋯⋯⋯いや、朝倉さんもそうだったか。あの人は何かやろうとしてる事があったっぽいけど、コイツは⋯⋯どっちかと言うと⋯⋯)


 純粋に優しい奴なのだろう。


 僕に舞喜が『別の兄貴の方が良かった』と言われた際にも、睦生を引き合いに出したように、コイツの優しさとか純粋さが眩しく思えていたのかもしれない。


 素直にコイツみたいに、誰とでも仲良くなれて、ひたすらに真っ直ぐな奴でありたいと思った。


 舞喜の兄貴もコイツなら、きっと上手くいった可能性だって大いにあった。


 結果的には、舞喜の兄貴は僕になってしまったから、今更なのだろうが⋯⋯。


 それでも、コイツならもしかしたら⋯⋯、なんて事も思う。


「いや、黙んなーー!!」


 上から若干怒っているようにも聞こえる叫び声が聞こえて、僕はハッとなる。


 暗がりも慣れ始めれば、僕の為に、踏ん張って掴んでくれている睦生の顔が良く見え始める。


 大量の汗を流して、脚を痛めているのか、左側に重心が向いていた。


 眉間にはシワを寄せて、歯をガタガタと言わせながら食いしばっている睦生の手を僕は掴む。


 足掛かりになりそうな場所を手探りならぬ足探りしながら、少しでも睦生の負担を減らそうと懸命になっていく。


「睦生くん、大丈夫!?⋯⋯⋯⋯え?桐江くん!?な、何やってるの!」


 驚嘆な声を上げながら、ヒョコっと顔を出した祟良把があわあわとしながら落ちかけている僕を見る。


 どうしようか、何をしようか、そんな風に目を泳がせながら、手持ち無沙汰な両手を縦横無尽に動かす祟良把の焦り具合いが目に余った。


「祟良把!⋯⋯今すぐ僕を助けてください!お願いします!」


「あれぇぇ!?俺にはッ?!」


「助けてくれたら、礼は言うって⋯⋯⋯⋯」


「よ〜し、言ったなぁぁぁぁぁあ!」


 より躍起になった声が夜空に衝く勢いで上がる。


 顎を前に突き出すようにしながら、僕を引き上げようと奮闘してくれている睦生の表情は段々と痛ましいものに変わっていくように、キツイ顔付きへと変化していく。


 僕も何もしない訳にはいかない。


 足掛かりになる足場を目視では確認しないまでも、脚裏の感触で踏み場や支えになる場所を探して、睦生の負担を減らすように心掛けようとする。


「祟良把さん!お願い⋯⋯⋯手伝ってぇぇッ!」


「もうやってるよーーッ!」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 僕と睦生は黙りこくってしまった。


 僕の体感では、殆ど何も変わっていない。


 いや厳密には、確かに僕の腕には祟良把の小さな両手が触れている感触は、睦生に祟良把が『手伝ってくれ』と言われた時点であった。


 それはもう、即断即決したみたいに早かったのは、間違いない。


 けど────。


(か弱!貧弱ってレベルじゃねぇぞ!)


 全く僕の位置は変動していない。なんだったら、睦生が僕の腕を掴んだ位置を分け合いっこした分、僕は下へと落ちてしまったまである。


 けど、祟良把が精一杯な表情なのは僕から見てもよく分かる。


 文句をとやかく言える立場に居ないのも承知していた。


 だけど、あまりにも貧弱な筋力が僕を引き上げるという行為に於いては、いっそ無情な程に役たたずとなっていたのが、この祟良把杏であった。


(僕、死ぬかもな⋯⋯⋯⋯)


 落ちる先を初めてちゃんと見た。


 何処までも深くて、先が見えず、一面は影一色。


 ほんの僅かでも月明かりが差し込めばとも思ったが、そんな期待をするだけ無駄だと悟った。


 多分、月明かりが差し込んだとしても、底が見えない⋯⋯そんな不気味で不吉な予感が身体を襲ってしまったからだ。


 腕を掴む力が更に加わる。


 僕の左腕は悲鳴を上げるものの、僕は歯を食いしばる事しか出来ない。


「うぅぅぅーー!あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!!」


 雄叫びを上げながら、全体重を後方に移した睦生が僕の身体を上へ上へと持ち上げていく。


 祟良把もそれに乗じて僕の右手を掴んで、ぐぅぅ〜っと引き上げるべく、懸命な顔付きで後ろ後ろへと向かっていき、僕は少しずつ月明かりの下《もと》に姿を現した。


 そして────。


「⋯ほら、右手!早く地面に着けてよじ登って来い!」


 睦生が掴んでいた左手は既に地面に着き、残りの右手は祟良把が離したと共に、小石すら転がっていない歩道へと手を着けた。


 最後は僕自身の手で、自分を引き上げる形で、僕は無事事なきを得たのだった。


 三人共に満身創痍。僕は主に精神的に、睦生は身体に蓄積していたダメージが表に出てきたのか、脚と背を庇うように手で押え始める。


 祟良把は⋯⋯⋯⋯なんだか息を荒くしているから、頑張ったんだろう。


「はぁ〜〜。助かったよー睦生!死ぬかと思ったぁ」


「何が、死ぬかと思ったぁぁ〜っだ!マジで死ぬんだよ!あの穴落ちたら!」


 言いたい事も分かる、大いに分かる。


 けど、僕としても落ちたくて落ちた訳ではない。


 そんな場所に大穴がある事自体、不自然な光景な訳で、街灯も機能停止、近くには光源になるものは存在せず⋯⋯⋯あれ?


(⋯⋯⋯⋯こんなに明るかったのか?)


 月明かりなんてものは、現代では大して過信出来ない。


 それでも、森の中という訳でもなく、屋根のようなものがある訳でもない、この道路は今では目視で大穴がよく見える。


 流石にどれだけ道路に伸びているか、までは確認出来ないが、不自然に道路に穴や黒い何かはあるな、というのは、影の具合いで判別出来てしまう。


(⋯⋯そう言えば、さっきに比べて周りも明るく感じる。なんでだ?)


 身体に何か嫌なものが纏わり着いた感覚がした。


『現象』や『怪異』と呼ばれる存在による妨害、または殺害行為⋯⋯そんな気がしてならない。


 不自然なぐらいの暗さは何処へやら、今では暗視がよく出来る。


 暗順応と呼ばれるものだろうか?偶然見えるようになってきただけかもしれない。


 僕は詳しくない為、偶然だな。そう言い聞かせる事にした。


「バリケードは設置されてた筈なのに、なんで?」


「どっちから来たのさ?あっち?こっち?」


 大穴によって現在は、塞がれた歩道。


 脇道に逸れるように迂回出来る細い道。


 この二つを睦生はそれぞれ指を差していた。


「あっち」


 僕は当然、『象願林』から学校に向かって行ったのだから、大穴がある方向とは反対の方向を指差した。


 すると、ますます睦生の顔は険しくなる。


「ん?じゃあ、なんで?」


 首を傾げて、辺りを探すような素振りをしていく。


 バリケードの類いは僕は見ていない。と言うよりも、あるのなら十中八九身体にぶつかる筈だし、目視で確認出来る。


 キョロキョロと目で探し始める睦生お歩きながら探し出す祟良把を交互に眺めていく僕も次第と辺りを散策するようになっていくと──。


「あ、あの、コレじゃない?」


 祟良把がそう声を上げて指を差す。


 辺りの地面には、ポツポツと小さな凸凹が目立つ中、僕が歩いていた歩道と反対側の歩道に設置されているガードレールの内側にそれはあった。


「マジかよ。⋯⋯⋯⋯ひしゃげてる」


 そのバリケードは本来、膝辺りまである横に伸びた黄色と黒色のよく工事現場にも使われていそうな、僕らもよく見る物だった。


 けど、それは既に機能を損なったように円形に畳まれてしまっている。


 合計八個分のバリケードは、まるで人為的にガードレールに寝かされていた。


「これ、人が出来る事か?」


「いやぁ⋯⋯流石にちょっと⋯⋯⋯」


 ちょんちょんと軽く曲がったバリケードを指で突こうとする僕を、隣に居た祟良把が制止するように腕を掴んでくる。


「駄目だよ!なんか、怖いし⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯分かった」


 祟良把の不安そうな表情に負けた僕はその壊れたバリケードから離れる。


 人為的にしても、機械で無理矢理曲げるしかない。


 だが、金属となれば、ある程度の熱を加えなければ、曲がる前にポキッと折れるのがオチだ。


 だと言うのに、このバリケードは柔らかい材質と衝撃吸収に特化した特殊合金を使っているような物のように、グニャッと曲がっている。


 本来、ハンガーより曲がりにくく、ガラスよりも強度のあるそのバリケードは、不自然な壊れ方をしている事に僕達三人は息を呑んだ。


「そもそも、この穴なんなんだ?」


 僕は奥にある大穴へと目をやる。


 地盤沈下にしては綺麗な形でクッキリと穴が形成されていた。


 事の事情を詳しく知らない僕は凝視する。


 それに答えたのは、祟良把だった。


「ほら、あれだよ⋯⋯。黒くてデカイ怪物が出てきた時に吹き出てきた赤い火柱。アレだよ。鎮火した後は跡だけが残っちゃって、こんな穴になってるって訳なの」


 ターコイズブルーの瞳、蒼黒い筋骨隆々な身体付き。


 聳え立つに相応しい全長と、見る者全てを怯えさせる恐るべき存在。


 朝倉拓也が難なく討ち滅ぼしたあの巨人が雲を引き裂いて地上に現れた際、確かに火柱が立ち昇った。


 その痕跡が中央地区から、かなりの距離が空いたこの場所にあるなんて想像もしていなかった。


 しかも、火柱は一つ二つではない。


 もしかしたら、建物の下から噴き出した、なんて事もあるかもしれない。


 ⋯⋯⋯⋯どうやって地下から炎が噴き出したのか、その原理を聞こうにも、よく知っていそうな朝倉拓也は僕の自宅に居る。


 それに、聞いても多分、僕には理解出来ないだろう。


 横幅車道と歩道合わせて15メートル、奥行きは⋯⋯多分20メートルぐらいあるこの穴の底は、もう覗く気にもなれなかった。


「それより!俺はまだ、感謝の言葉を言われてないぞ?」


 ニコニコと期待に満ちた表情をしている睦生は僕に催促を申し付けてきた。


 正直、そう言う事を言わない方が言いやすかったんだが⋯⋯僕は僕で感謝の言葉を言いそびれていたので、それは口にしなかった。


「あ〜、そうだった。祟良把、ありがとう!」


「え、私?!」


「違うだろーー!俺だろォォォ!」


「分かってるって。ありがとうな、睦生」


「はっ!⋯⋯⋯⋯うむ、苦しゅうない」


 実際に、僕は睦生が居なければ死んでいた。


 感謝は当然として、少し言わせた感があるのが申し訳ない気もする。


 腕を組んで胸を張っている睦生は、わざとらしいドヤ顔を浮かばせ、祟良把は小さくパチパチと拍手をして、静寂だった夜を少し賑やかにさせた。


 それが何処か面白くて、僕は微笑んだ。


  ━ ━ ━


 嶺二、杏の二人が准を救出してからしばらくて──。


 正規のルートであった大通りが【悪魔の王】の出現による影響で発生した『業火の火柱』が災いし、横道に逸れる事を余儀なくされた三人は、示し合わせた訳でもなく、目的地を准達の通う高校へと指定して、歩き出す。


「それにしても良かったよ。准、お前気付いたどっか行っちゃってんだもん。祟良把さんに聞いても行方が分かってないって言うし⋯⋯てっきり⋯⋯」


 少し沈んだ表情を浮かべた嶺二には、現在探している人物がもう一人居る。


『睦生六華』──【刃龍】であり、『怪異《げんしょう》』であり、『暗示』によって意図せず出来た妹である。


 彼女の捜索自体は朝、登校後に起きた災害から始まり、混乱した住民に行方を聞く事は困難であり、自分の脚でアテもなく捜索していた嶺二にとっての最大目標以外の何物でもなかった。


 杏の一言を切っ掛けに、混乱する街へと向かった先で再会した准という存在はある意味では、六華生存に希望が持てる内容だった事は言うまでもない。


 しかし、その目標は現在進行形で、准の腰に括り付けられる形で傍に居るという事に、嶺二は気付く事はなかった。


「悪かった⋯⋯。現に学校に向かおうとしてたのは、睦生と祟良把に会いに行く為だったんだ」


「そうなの?」


「流石に、置いてったからな⋯⋯。悪いと思って⋯⋯」


 絶妙に下手くそな笑いを浮かべた准の表情を怪しむ嶺二と杏、両者共に目を細めていく。


 嘘が苦手な准にとって、致命的にバレてはならない内容に思えて、抑揚を更に加えようとした結果──。


 愛嬌も、抑揚も中途半端、大して面白味もない下手くそなロボット風な笑いだけが仕上がった。


 しかし、准にも思うところはある。


 今日一だけで、嶺二、杏の二人の事なんて忘れていても問題なんて然程ないぐらいの出来事に見舞われて、挙句自身は妹に腹を貫かれたというショッキングな事件を体験しているのだ。


 火曜サスペンスのドラマですら、もう少し愛嬌やバラエティに富んだ事件に出会《でくわ》すというのに、准だけがまるで、じっちゃんの名前を勝手に賭けてしまう後ろ髪を結んだ高校生のような、陰湿で何処かハラハラする事件に巻き込まれてしまったようなものである。


 更に言えば、実の妹からの罵詈雑言、実の両親の失踪に加えて、妹は中学校での暴行事件の主犯格。


 コレからの不安に呑まれて、友人の二人、忘れてしまっても不思議ではない⋯⋯筈だ。


「置いてったのは良くないけど⋯⋯⋯⋯。いや、まぁ良いとして⋯⋯どこ行ってたんだよ?」


「あぁ、中学校に、舞喜を探しに」


 徐々に声のトーンが落ちていく准の言葉を最後まで聞く事はなく、嶺二は嬉々の声を上げた。


「あぁ!!そうだった、准、妹さん探してたんだった!見つかったのかッ?」


 完全に頭の中からスッポリと抜けていた准の妹の存在。


 それを思い出した嶺二は、准の顔を見ながら興味津々に強い語気で、自分の事のように聞いた。


 前のめりな嶺二と反対に准の表情は少し沈む。


 自宅に居て、両親と共に殺されかけました、そう口に出来る筈もなく、しばし考える。


 巻き込まない為の最善の言葉。理解されないような事を口にすれば、徐々に徐々にボロが出る。


 最後には嘘だと露呈して、巻き込んでしまう可能性を危惧した。


 准にとって、嶺二と杏は『日常』の枠組みの内に居て、『怪異』とは縁遠い人生を送って欲しいという自分勝手な優しさから来た感情が、揺り動かされていた。


「⋯⋯⋯⋯まぁ。⋯⋯ここから離れた避難所に居たよ」


 簡潔的に、短く、端的な言葉だった。


 長くなればなるほど嘘だとバレる可能性を危惧しての事。


 罪悪感はなかった。それで二人が気兼ねなくコチラに気を回す心配が減るならば、それに越したことはないのだから、准にとってはむしろ良い事をしたと豪語出来る程だった。


「そっか、別のか!良かったな!」


「⋯⋯⋯でも、その睦生くんは、まだ⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 嶺二の笑顔が一気に消えた。


 まるで火を大量の水を浴びて鎮火したように。


 けれど、事実として嶺二の探している六華は、嶺二目線では見つかっていない。


 嶺二を白昼堂々と街中で気絶させた【刃龍】が六華だと、勘付く事でもあれば、また話は変わるかもしれないが、普通の人間が『六華』=【刃龍】と気付く訳がなかった。


 気付いてしまった准も、昨夜の電波塔近くで起きた六華とコナーの戦闘を見ていたから気付けたようなものだ。


 そして今現在、成人男性の人差し指分の長さしかない筒の中に入っているとは、誰も思いもしない。


「あ、ご、ごめんなさい。私、その⋯⋯悲観させたくて言ったんじゃなくて──」


 手を口元に持っていき、やってしまったと、言いたげな杏の表情を鑑みたように、嶺二は無理矢理、笑みを浮かべた。


「大丈夫だって、絶対に六華は生きてる!⋯⋯⋯⋯絶対に⋯⋯」


 不安が滲み出る嶺二の言葉に、准の右手は、自然と腰に括り付けられている筒に触れていた。


(⋯⋯⋯⋯この中に居るって言っても、封印が解ける訳じゃない⋯⋯。言っても、慰めにはならない、よな。悪いな、睦生⋯⋯)


 封印が解けるのは、あくまでも施した側の朝倉拓也のみ。


 解く為の条件は、今回、『空弩街』を滅茶苦茶にした者の確保。


 たったのそれだけであった。


「そう言えば、睦生。お前、怪我してるよな?」


「⋯⋯なんで?」


 朝倉拓也から予め言われていた嶺二の傷。


 大穴から落ちそうになった際にも、庇うようにしながら准を引き上げようとしている様子を確認している。


 遅かれ早かれバレる事柄を、見抜かれてしまったように驚く嶺二に准は呆れた顔を浮かべた。


 片脚の痛みは、歩く際には擦り気味とさせて、打った頭部はズキズキと残り続け、背中は針に刺されたような感覚が何時までも離れない。


 肩も鈍器で殴られたような鈍い感覚が表れたり消えたりを繰り返していた。


 それが、睦生嶺二の現状。


 准を引き上げようとするだけで、それらの痛みは更に増していき、度々目を細めながら、身体を擦る様子を見せる嶺二を心配した准は一つの提案をする。


「僕が代わりに六華を探しに行く。だから、安静にしててくれないか?」


 初対面から僅か二週間かポッチながら、准にも分かる事があった。


 それは、六華という妹(偽物)の為ならば、自分という存在の基準を著しく下げる傾向があるという悪癖である。


 良くも悪くも仲の良い兄妹である二人。


 たとえ偽物の関係であり、歪で偽称的な立ち位置であろうと、『暗示』の後の生活は、基本的に六華は命令していない。


 家族はこうあるべき。だから私に何かしろ。


 父親はこうするべき。だから私へあぁしろ。


 母親はこうなるべき。だから私にはこうしろ。


 兄貴はそうあるべき。だから私をそうしろ。


 と言うような、六華の思う家族像を押し付けてはいない。


 細かい命令も要求も、一切していない。


 求めたのは、『六華《わたし》はこの家族の妹で、この家に住んで当然の存在』という立ち位置的なものを『暗示』によって順応させただけ。


 だからこそ、六華に対する家族の対応は全て、『もし、妹が居たら?』という結果を刷り込まれたに過ぎないのだ。


 そして今、肝心の睦生嶺二は、准が認める程の立派なお兄ちゃんである。


 そんな彼は日頃からよく六華の話題をするのだ。


 話し相手の准が嫌気を差してしまう程に──。


 だからこそ、准からしても放っておけないのだ。


 睦生嶺二は必ず無茶をやる。睦生嶺二は必ずトラブルの中に飛び込んででも探し出そうとする。


 たとえ、経緯や意図が詳しく理解出来ずとも。


 たとえ、十年、二十年、三十年、それ以上の月日を掛けようとも、探し続けるという確信が、准にはあった。


 それは桐江准からすれば、睦生嶺二という存在が、『兄』という家族関係の立ち位置において、一種の理想系であるからだ。


 ある意味では盲信すらしている。


 兄として行動する時、『嶺二』ならどうするか?


『嶺二』ならば、こういう時、兄としてどう受け答えをするか?


 といった置き換えゲームのような思考が准には度々ある。


 普段からでは決してないが、その盲信は日に日に増していき、最後には『理想的な兄』という存在にまで、当人も知らぬ間に置かれていた。


「いやいや、准は妹さんの傍に居てあげなくて良いのか?親御さんとかの心配だってあるだろ?」


 ごく当たり前の事を聞かれた──その筈が、今の准には気の重い内容だった。


 両親は街が混乱している最中、キャリーバックとボストンバッグ二つを持って、とっとと逃亡しました!なんて、准でなくてもいい笑い者になると分かりきっている。


 捨て台詞も併せれば、立派な毒親の完成系。


 言い淀む准に対して首を傾げる杏と、肩を押さえながら細い道を歩く嶺二の意識は未だ、後方を着いていく准へと向いていた。


「⋯⋯⋯⋯⋯僕の両親は、今は⋯⋯この街に居ない。だから、舞喜以外に心配する家族は⋯⋯居ない」


「⋯⋯そっか。なんつーか、良かったな。被災してなくて」


 純粋な安堵の息が漏れた嶺二は胸を撫で下ろす。


 杏だけは目を細め、唇を小さく開いた──しかし、直ぐにその唇は閉ざされた。


 そして、募り積もっていく考えを払拭するかのように、先頭を歩いていた嶺二に向けて言葉を発する。


「私も、睦生くんには休んでて欲しい⋯⋯かも」


「祟良把さんまで何さ?」


「⋯⋯駄目?睦生くんのお父さんとお母さんも同じ避難所に居るんだよ?一緒に居てあげなくて良いの?」


「⋯⋯⋯」


 嶺二は俯いた。それが事実なら、子供としても親の様子は気になってしまう。


 ましてや、現状の街は一大事そのもの。


 親の体調や怪我などの不安だってある。


 嶺二の表情は、徐々に険しいものに変わっていく。


 あれ程、痩せ我慢していた身体の痛みは隠せなくなっていき、肩を押さえる力が更に加わった。


 それを凝視していた准も杏によって空いた隙を突くように嶺二の前まで小走りで移動して、言葉を紡ぐ。


「僕に任せてくれないか?明日中には見つけるからさ?な?」


 訴え掛けるように吐いた言葉に偽りはなかった。


 准の気持ち的には、明日には終わらせる予定だったし、急く気持ちも分かってしまうからだ。


「頼むよ、睦生」


 背中の痛みに負けて、近くにある壁に背を付けるようにして凭れた嶺二の険しい表情が浮かび上がる。


(⋯⋯でも、行かせて、もし何かあったら⋯⋯⋯⋯)


 不安の眼差しが准に向く。准では六華を見つけられないという懐疑的なものではなかった。


 ただでさえ、大穴に落ち掛けて助けた身でもある嶺二からすれば、准がもし同じような事になれば、次は誰が助けてくれるのか?という保険がなかったからだ。


 友人をみすみす行かせて、また今日と似たような事が起きてしまえば、准一人でどうにもならない事なんて目に見えている。


 顔を見て、瞳を見た。少し、嶺二の眉が動く。


 小さな変化を感じた。僅かばかりの、変哲もない変化であり、それが以前までの准とは少し違う眼差しであった事、そんな視線を向けていた事に、口を引き結ぶ。


 何かあったのだろう、すぐに嶺二は察して、下に視線を向けた。


 准には転機があって、コレから一大事を乗り越える為の覚悟も済ませている。


 そんな、口にしなければ伝わらない何かを読み取った嶺二は大きく息を吸い、再度真っ直ぐ准を見つめた。


「⋯⋯分かった。そこまで言うなら⋯⋯」


 その瞳に当てられた、そう言い換えても良いのかもしれない。


 嶺二は純然に、准に託す事を選択した。


 自身のお荷物っぷりを省みての言葉でもあっだろう。


 今日の傷が明日に治っている保証は何処にもなく、むしろ悪化している危険性もあった。


 両親に対する心配も当然ある。


 それらが噛み合い、准へと自分の分まで妹(偽物)を任せる事を選択した。


 そんな託された側に位置する准は腰に備えられた小さな筒を手で握りつつ一言。


「ごめんな」


 そう言い、嶺二と、杏を怪訝な顔にさせた。


 当然だった。感謝の言葉を告げられる事は予期出来ても、謝罪の言葉などこのタイミングで出してくる理由は何一つとしてない。


 それなのに、准は敢えてその言葉を発した。


 そこに何か意味があるという事を薄っすらながらも感じる嶺二だが、その真意は掴めず⋯⋯。


「なんで謝るんだ?お前、悪い事してないだろ?」


「え?あ、あぁ、何となくだよ」


「もしかして、センチメンタル?」


「⋯⋯⋯かもな」


 六華を探すなんてのは、真っ赤な嘘。


 妹が別の避難所に居るというのも、真っ赤な嘘。


 六華の居場所も、何があったのかも全て知っていて、六華が睦生家に何をしたのかも知っている。


 それでも、准は既に決めていた。


『日常』を諦めない事を────。


 酷く歪なその思考は、歪みに歪んで、本来有るべき家族の形、数を誤魔化している『龍』の居場所すら自身にとっての『日常』の為、真実を語る事を選ばなかった。


 自己満足なのだと、深く理解しながら、桐江准は『歪で当たり前の日常』を守る為、謝罪一つで承諾を強要したのだった。


「取り敢えず、睦生くんは早く戻ろ?脚、プルプル震えてるよ?」


「うん。ゴメンね、心配掛けちゃって」


 支えるように杏の肩を支えに嶺二は歩き始める。


「ううん。行こ?⋯⋯桐江くんも」


 嶺二を支えた杏はチラッと後方に居る准へと顔を向けて、少し微笑む。


「⋯⋯⋯⋯⋯分かった」


 支えなど要らない准は、一人、彼等の後を追いように歩き出す。


 小さな筒の中身を知っていて、敢えて口にしない事への罪悪感は、痛みに耐える背中を見る度に辛くなり、自然と下を向くようになっていく。


 静かな街を三人、細い道を抜けて、ようやくよく知る道へと回帰した頃には、准だけが二人から意図して距離を離すように歩いていたのだった。


「⋯⋯?准、何やってんだ?お前もどっか身体痛めたのか?」


 心配そうに声を張る嶺二の不安げな顔は准にはよく映る。


「⋯⋯⋯⋯靴紐が解けてただけだ!すぐ行く!」


「待っとくから、早く来いよ?」


「⋯⋯なんなら、私が結んであげようか?」


 嶺二を支えながら、回れ右をした杏は徐々に近付いて行く。


 急な方向転換に焦り出す嶺二には気にも留めず。


 そんな二人の動きを見た准は焦った様子で片手で制止させると、急ぎ屈んで、解けてもない靴紐を結び直した。


 立ち上がる頃には、嶺二と杏で談笑をしている。


 話を振った杏と、それに対して受け答えする嶺二という構図の枠に入るように、准は歩き出す。


「そう言えば、気になってたんだけどさ」


 歩道を並んで歩く、贅沢な三人の内、片脚を引き摺るようにして歩く嶺二が准の方へと言葉を投げ掛けた。


「准って何時まで俺の事、睦生って呼ぶつもりだよ?」


「生涯ですが?何か?」


「うわぁ〜。マジか〜」


 割と本気で言っているのだと、口調や態度に出ていた事により、嶺二は引き攣った顔を浮かべる。


 対して准は、嶺二がそんな表情を浮かべた事に訝しんだ様子を見せ、首を傾げた。


「え⋯⋯駄目か?」


 生涯、苗字呼びで終わる友人関係──そこに意味や必要性などは無く、ただそうだったから程度で終わる物事ではあるのだが、嶺二にとっては少し違う。


「駄目じゃないけど、俺個人としては嶺二ってそろそろ呼んで欲しいかもなぁ〜」


「そうか、睦生分かった、睦生!」


 早々と口にするだけして、お話はお終い──。


 な訳もなく、異議を申し立てるように片手を伸ばして准の肩を掴もうと痛めた脚に体重を掛けた。


「変わってねぇ!なんでだよ!今の流れだったらスムーズに呼べたじゃん!」


「いや、何となくだが?」


 桐江准にとって、呼び方なんてものは何処までいっても、ただの呼称。


 愛称や名称なんてものも、各々で感じた事を素直に言える現代において、准は呼び方一つ一つに、わざわざ執着なんてしない。


 蔑称ではない限りは────。


「呼んであげても、いいと思うよ?ほら、助けたお礼的な、ね?」


 援護射撃の言葉を投げ掛ける杏は顔を前に少し突き出して、准の方へと向いた。


 同情を誘うような笑みに准は唸り声を上げながら、腕を組む。


 瞼を閉じ、星空を見上げるように顔を上へと向けて、考える素振りを始める。


(⋯⋯確かに、助けられた恩だと言われれば断れないな⋯⋯)


 一理はある、ぐらいの感覚で受け取った准。


 それに対して、攻め時だとばかりに口達者に言葉を並べていく嶺二。


「そうだぞ!俺がお前の命の恩人だぞ!尽くせ?」


「何コイツ、助けられるんじゃなかった⋯⋯」


 ドン引いた風に一歩分だけ嶺二から離れた素振りを見せる准に、杏は軽く笑う。


 だが、その微かな笑い声すら聞こえていなかった嶺二は、慌てたように杏の方へと視線を送る。


「ちょっと!ひっど!ひっどくね!?ねぇ、祟良把さん!い、今のどう思うよ?!」


「うーん。名前呼びって、いざとなったら恥ずかしいのかな?って思うよね」


「あれ?ハシゴ外された?味方だったよね?さっきまで?」


 純粋に、傲慢になりだした態度が少し癪に障った杏は、そそくさと逃げるように嶺二の援護を取り止めて、准の側へと付いてしまう。


「外してな〜い」


「そういう訳だ、睦生。僕はお前の事を下の名前で呼ばない。分かったな?嶺二?」


「おい!誰が嶺二だ────あれ?合ってるな」


 一瞬、止まった思考。呼ばれた嬉しさが表情に表れ始めると、催促を目で訴え掛ける。


 それをひらりと躱すように嶺二から視線を外した准は、嶺二がいる方向とは反対の方向へと目を向けた。


 そんな准を見て、杏はまた微笑む。


「素直じゃないね、准くんは」


「そうだな、杏杏」


「なんか、雑誌の名前みたいになっちゃったよ。そこは杏でよくね?」


「そうだよ?パンダじゃないんだから」


「はいはい。⋯⋯杏ね」


 気恥しさが准の耳まで真っ赤にさせる。


 それを隣に居た二人はニヤニヤとした顔で見届けた。


「私も嶺二くんって呼ぶけど⋯⋯良いよね?」


「ウェルカムだよ!杏ちゃん!」


 とびっきりの笑顔をかました。過去一度として邪険に扱われなかった嶺二のそのスマイルは濁りも曇りもない満面の笑み⋯⋯。


 なのだが、通じない相手にはトコトン通じない。


 少なくても、祟良把杏には嶺二のニッコリスマイルを用いた『ちゃん呼び』は無効化されてしまう。


 杏が首を傾げ、笑う。ただ必要のない笑みを浮かべている。


 徐々に、嶺二お得意の笑顔は翳りを見せ始め、最後には冷や汗が頬に流れ込む。


 眉はピクピクと、口元は震え、笑顔は歪になっていく。


 そして最後には──物言わせぬ撃沈だけが嶺二に降り掛かった。


「────あ、はい。ごめんなさい、杏さん」


「杏で良いよ」


「なんでお前、下の名前呼びさせようとしたんだ?なにか意味でもあるのか?」


「え?意味って?友達って下の名前で呼び合うものでしょ?常識的な⋯⋯」


 少なくても、准にとっては初耳の情報だった。


 人付き合いも、極力端的に済ませてきた准にとって、それが本当に常識なのか、否なのか、判断に困ってしまい、頼みの綱へとパスする。


「⋯⋯そうなのか?たた⋯⋯⋯杏」


「うーん。私も友達付き合いがそれ程多くないから分からないけど、別にそんな事はないんじゃないかな?」


 首を左右にゆっくりと傾げながら、口元に人差し指を当てた杏の言葉に、准は乗じた。


 自信のなさは何処へやら。


 杏が述べた事に便乗する気満々の准は、勢い任せに嶺二へ向かって告げた。


「つまり、嶺二の勘違いか。やっぱり、睦生呼びに戻そう」


「えぇ!ここに来て?!ようやっと取り付けた契約が、突如にして別の企業に掠め取られた気分だよ!」


 相当のショックを隠しきれない嶺二は嘆いた。


 だが、准は当然リーマン経験なんてある訳がなくて、それがどう言った意味を持つのか全くと言っても良い程に分かっていない。


「いや、お前リーマンじゃねぇだろ」


「でも、気持ちはそうなんだよ〜。下の名前で呼びあった方が、友達らしい!って言うかさ!ねぇ?思わない!?」


 訴え掛けるように杏、准を交互に見つめる。


 瞳に宿る強迫観念上等の視線は生暖かく、何処か尖ったものだった。


「別に」


 杏はそれをスルリと回避してしまい、一蹴。


「大してないな」


 准はそもそも嶺二すら見ていない為、効果なし。


「あれぇ〜?」


 想像通りに行かない嶺二は首を傾げてしまう。


 精一杯の抵抗は虚しく理解されないまま、会話が途切れる。


 失策だったとは誰も言わないだろう。


 二人して、名前呼びに大した頓着が無いだけであり、嫌だという訳ではない。


 純粋な気恥しさだけが残る准に、面白そうだからその案に乗ろう程度の考えで居る杏からすれば、どちらでも良かったのだ。


「准くんは私の事呼ぶ時、ぎこちなくなっちゃうね?」


「むしろ、女子は楽でいいな。気軽そうだもん。異性の名前呼ぶの」


「うん!大して気にしてないから!呼ばれ方は気にするけどね?」


「准、聞いたか?俺達よりも一歩先に行ってるぞ?追い付かなくて良いのか?」


「いや、これに追い付くとかあるかよ⋯⋯⋯⋯」


 再三の催促を口にする嶺二の言葉を一蹴していると、遂に高校前にある坂まで辿り着いた。


 もうすぐお別れの時間がやってきたと、嶺二はわざとらしく歩幅を短くし、杏は逆に大股になっていく。


 一向に足並みが揃わない二人の足音が雑なリズムを醸し出す。


 その絶妙な二人の歩く歩幅を不安そうに見つめる准を差し置いて、校門が見え始める頃、三人は緩やかに停止した。


 校門は開いたまま、ほんの僅かに声がポツポツと聞こえて、人気の有難みを感じる准は何処か落ち着いた様子を見せ始める。


 一方の杏は、何処かソワソワとした様子であり、嶺二は准の方へと静かに視線を送った。


「准はどうするんだ?この避難所で泊まるのか?」


「いや、自宅に帰る。待たせてる人も居るからな」


「そっか。じゃあ、今度は落ちないようにしろよ?」


 揶揄い半分、本音半分の言葉を胸にしまった准は、朗らかに笑い、一歩、また一歩、後退した。


「あぁ、じゃあな、嶺二、杏」


 先んじて腕を上に伸ばした准は背を向ける。


 そのまま歩き出し、後方から「おう!」と嶺二の声が聞こえたのを最後に伸ばした腕を下ろした。


 ポケットに手を入れ、自宅へ戻ろうと意気込む准は目を見開き、眼前に広がる街へと駆け出そうとした───が、不意に服が引っ張られてしまう。


 真後ろから、突然に。


「ねぇ?准くん?」


 声の主は祟良把杏であり、指で衣服を摘んで、准の移動を阻害する。


 嶺二を置いて、わざわざ戻って来た訳を聞こうとするも、先に口を開いた杏が先手を打った。


「私の勘違いだったらゴメンなんだけど⋯⋯」


 ソワソワと目を泳がせながら、言い淀む杏に眉を顰めた准は首を傾げて、続きを待つ。


 何が大事な話かもしれないと、自然と緊張感だけが高まっていく。


 そっと、服を摘んでいた指は離されていき、降り切ったと同時に顔が上がった。


 身長差を鑑みれば上目遣いにも似たものであり、微睡んだ瞳は准へと向けられる。


「お父さんとお母さん、本当に街に居なかったの?」


「⋯⋯なんで、そんな事聞くんだ?」


 視線が僅かに逸れて、口を引き結ぶ。


 何処か言いづらそうに口をモゴモゴとさせて、言うタイミングを測るようにチラチラと准へ視線を向かわせては、外してを繰り返しだした。


(?本当にどうした?)


 傍から見れば告白でもされるかのような、落ち着きのなさを見せる杏に、流石の准も何か声を掛けるべきかと、悩んでいた時だった。


「その⋯⋯准くんが嘘吐くの苦手だから、かな?」


 准は素直に呆気に取られてしまう。


 あれほど、何か思わせぶりな仕草をしておいて、その内容がまさかの激浅だったのだ。


 それは思わず、口をポカンと開けたっきり、表情が固まってしまった程である。


「⋯⋯⋯⋯あっ!参ったな。そんな事、今日だけで二人目だ」


「結構、バレるよ?嶺二くんも多分勘付いてる感じだったよ」


「⋯⋯⋯⋯そっか」


 赤毛の女性の顔が脳裏を過ぎった。


 まだ、今日の事件が街に起こるなんて、予期すらしていなかったあの朝の時間。


 桐江准は、倒れてしまった自転車をわざわざ立て直してくれた、名前も知らないその女性を思い出し、少し目を細める。


「──成程ね。坊やは嘘が苦手なようね」


 大人の魅惑が有りながらも、何処かミステリアスさが滲み出ていた外国人の女性の言葉を准は、思い出した。


 ただの会話だと言ってしまえばそれまでだが、この時の准には、妙な引っ掛かりがあった。


 神妙な顔付きになっていく准にはお構いなしに、杏は言葉を綴っていく。


「もし、何かあったら言ってね?嶺二くんは安静だけど、私ぐらいなら動けるから、ね?」


 首を傾けて、わざとらしく可愛げがあるように振る舞う杏に准は少し動揺する。


 可愛いから?違う。何故か、らしくないと感じたからだ。


 黒いお下げ髪の二つ結び、黒い瞳に少し身長が低めの読書家であり、趣味のみ全力疾走で突撃していくだけの、比較的に大人しい性格をしている女子高校生。


 そんな、何処にでも居る少女の瞳の奥からは、強迫観念にも似た圧力が酷く身体を襲う。


 彼女の誕生日が後三日と迫った際、彼女からそこはかとなく会話の流れから、三日後に迫った事を濁して伝えると、彼氏が完全に忘れてしまっていた事に気付いたのと、同じぐらいの圧を准は感じた。


 酷く、肌を突き刺すその圧に屈してしまいそうになる准は、ぎこちなく笑いながら、その場を後にしようとする。


「⋯⋯分かった。頼りにするよ」


「うん!気を付けてね!また今度!」


 依然、表情は笑いを浮かべてながらも、瞳が一切笑っていない杏から逃げるように、そそくさと歩き出した。


 最後の最後まで、准が見えなくなるまで、ひたすらに手を振っていた杏の健気さを、准は決して振り返るものかと、確固たる意思が幸いして、杏の姿を最後まで見届ける事をしなかった。


  ━ ━ ━


 かなりの時間を有して、僕は自宅へと帰ってきた。


 既に脚はパンパンで、頭はフラフラと揺らされているようで、太腿辺りは筋肉が悲鳴を上げているように固くなっている。


 そんな僕に、一つの衝撃が舞い込んだ。


「マジかよ⋯⋯⋯⋯戻ってる」


 玄関前にまでやって来ると、玄関扉が元ある位置へ設置され直されていた。


 後ろを振り返り、野晒しに転がっていた道路へ目をやると、やっぱり無い。


 この家を最後に出た時には、確かに破壊されていた玄関扉は、道路に捨てられたように置かれていた筈だと言うのに、今では元通り。


 恐る恐ると、ドアノブに手を掛けて、ゆっくりと引いていく。


 鍵は掛かっておらず、中の様子が徐々に視界を染め上げる。


 現在は、水、ガス、電気の類いは停止中。


 だと言うのに、リビングは普段と変わらないぐらいに明るい。


 今までの外の静けさと薄暗さが冗談のように、家は温もりがあるのを感じた。


 僕は思わず、惹き付けられるように靴を脱ぎ、リビングへと歩き出す。


「おう、少年。家、戻しといたぞ?」


 リビングを開ければ、ダイニングテーブルでスマホ?なのか、デバイス機器を使って、動画を視聴している朝倉さんが、ニヤニヤとした表情のまま、コチラへと視線を向かわせた。


 何やら賑やかな声や拍手のような音がデバイスから漏れているも、電源を切ったのか、それらの音はピタリと止み、デバイスをポケットにしまいこむ。


「⋯⋯アンタは一流の大工か何かだったのか?」


「いや、この家の時間を戻しだけだ。ぶっ潰れる前のな」


「へぇ〜。⋯⋯⋯⋯」


 正直、何言ってるかサッパリだけど、家が元に戻ったのなら、それはそれで嬉しい事だ。


 嬉しい⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。


 いや、待って欲しい。よく見なくても、舞喜が暴れた時のままなのだが⋯⋯。


 白の壁はヒビだらけ。テレビ台は粉砕。写真立ては転がって、ソファは倒されて、父さんと母さんが倒れた位置には、丁寧に染みのように血痕が残っている。


 窓ガラスも少し割れていて、カーテンレールからはカーテンが不自然に傾いたまま放置の状態。


 僕は眉を顰めて朝倉さんを睨む。


 ひたすらに目を細めて、意味ありげに。


「おい!何が、時間を戻しだけだ、だ!内装変わってねぇじゃねぇかッ!」


 期待を返して欲しい。てっきり、元通りになっていると思ったのに、玄関扉だけ直して、満足なんて詐欺もいいところだ。


 せめて、ソファとカーテンぐらいは戻して欲しかった。


 僕の非難、批判の言葉にあっけらかんとした様子でダイニングチェアから立ち上がった朝倉さんは、直ぐさま面倒くさそうな顔をしながら、これまたつまらなさそうに口にした。


「だって戻したのは、玄関扉だけだしな。勝手に中まで戻ってるって勘違いしたのはお前だろ?」


「ぐぬぬぬぬ。確かに、早とちり感は否めないけど⋯⋯紛らわしいんだよ!」


「取り敢えず、飯は作っといてやったから。早く手洗って食え」


「え!?作ってくれたのっ?!⋯⋯⋯⋯悪いけど、あんま食欲無いんだが⋯⋯」


 そもそもの話、インフラは停止中の筈。


 なのに、天井を見れば照明はしっかりと光っていて、キッチンに行けば水も出る。


 ガス栓を開けて、お湯だって出てくる。


 ⋯⋯⋯⋯『魔術』という奴なのか。


 本来、街全体がインフラの一時的停止が余儀なくされている中、僕の自宅だけが平然といつも通りの暮らかが出来るというのは、少し恵まれている気もしたが、有難く使わせて貰おう。


 そして、机の上には円形の薄皿の中に盛られた黄色い米に、魚介とオリーブオイルの匂いが立ち込めるパエリアがあった⋯⋯。


(⋯⋯⋯⋯もっとあったろ⋯⋯⋯⋯)


 どうしてパエリア?どうしちゃったの?何故にスペイン料理なのか。


 普通はもっと簡素で、どちらかと言えば手頃な物を食せると思っていたのだが⋯⋯、出てきたのはパエリアだった。


 徐々に顔を引き攣らせていく僕は目の前にドン!と置かれた皿に驚愕せざるを得なかった。


「ちゃんと食っとけ。明日は大忙しだ。少しでも回復させとけ」


「寝るだけで済むんじゃ⋯⋯」


 しばらく、じぃーっと固まったように動かなくなった。


 するとプイッと、油が抜けた機械のように徐々に徐々に、視線が右へと逸れていく。


「おい、なんで視線を逸らす」


「いやぁ⋯⋯。あの、その通りだなぁ〜っと思っちまって⋯⋯」


「アンタ、変な所抜けてるな⋯⋯」


 あははっ、とぎこちなく笑いながら、頬を指でかいて誤魔化そうとする朝倉さんに訝しんだ視線を送り続けていく。


 目の前に置かれたパエリアは放置。温かく湯気が立ち込めているその料理に目を向けようとしていた頃だった。


「なら、私が食べるから置いておいて」


「え?」


 突如、背後から声がした。


「鶏の足だけじゃ、満腹にならなかったから」


 ペロリと舌で音を鳴らしながら、椅子の背凭れ越しに顔を覗かせるその少女に驚いた僕は、椅子ごとひっくり返りそうになってしまう。


「うわぁぁッ!妖怪ロリン子!」


 バタバタと前屈みに倒れそうになるのを机を支えにして、何とか持ち直した僕はまじまじと少女を見る。


 黒くて長い髪は下に下がれば下がる程赤くなっていき、尖った目尻と凍てつかせる程に透き通った青い瞳が、僕を忌々しく思われているのか、鋭く睨んでいた。


「⋯⋯殴るよ?」


「ひぃッ!ま、まま、舞喜より怖い!」


 黒色を基調とした洋服を身に包み、スラッとした手脚は、将来的には別嬪さんだねぇ〜、と近所のおばちゃん辺りにキャーキャー言われる事間違いなしの美貌である。


 しかし、警戒でもしているのか、敵対されているのか、鋭い眼差しが僕を突き刺す。


「あの小娘と一緒にしないで。私はアレよりは大人しい」


「つか、誰ぇぇ?!」


 突如現れた少女。この家は何時から真の意味で防音になってしまったのだ。


 身近に居たと言うのに、足音一つしなかった⋯⋯もう、初めからそこに居ました、そう言われた方が納得がいくぐらいには、何も音がしなかった。


「⋯⋯ローシャ。俺の旅仲間っていうか、お供一号だ」


「その呼ばれ方、好きじゃないって言ったのに⋯⋯」


 朝倉さんからのご紹介預かりにより、ローシャが怪訝な顔をさせながら、スプーンを手に取り、僕の為に用意されていた筈のパエリアをバクバクと食していく。


「⋯⋯⋯⋯!?!」


 その食べる速度が尋常的ではなかった。


 貝は殻ごと食うし、皿を手に持って、喉に注ぎ込むように皿を斜めにしながら口元に注ぎ込んでいく。


 カレーを飲み物だと言っている人も、こんな感じなのかな?と少し⋯⋯⋯いや、かなりドン引いてしまう。


 気付けば、皿は米粒一つ無くなってしまっていて、皿をゆっくり机に置くと、手を合わせて「ご馳走様」と律儀に口にして、少女は立ち上がった。


  「ねぇ、ガキ。妹さんに言い訳は考えたの?考えておかないと、死ぬよ?」


「⋯⋯⋯⋯そのガキは止めろよ。僕はお前より歳上だ」


 明らかに容姿から何まで、僕より歳下は確定事項だった。


 そんなガキにガキと言われる謂れはあるかと問われれば、当然NO。


 けど、諦めがつかないのか、呑気な顔をしながらデバイスを弄っている朝倉さんの方へと近寄り、着ている黒いジャケットの裾を引っ張りだした。


「拓也!言ってやって!私の年齢を!」


「十歳」


「っ?!違う、設定年齢の方だ!」


 設定年齢?何それ⋯⋯。


 僕は少女の言うその『設定年齢』とは何か、僕なりに考え、考え抜いた結果、一つの結論に至った。


「⋯⋯⋯⋯あ、あ〜、ままごとか⋯⋯」


 ローシャという少女のままごとに、わざわざ朝倉さんは付き合ってあげている。


 そう納得した様子で、手を叩いた僕だったが、恨み辛みが多分に含まれた視線をギロッと向けたローシャがそれを許さなかった。


「違うゥゥゥゥゥ〜。我《わたし》にはちゃんと、地球から設定された年齢があるのーーー!」


「⋯⋯⋯⋯⋯って言う設定だよね?駄目だぞ朝倉さん。十歳の子供だと、もうそういうの終わらせとかないと⋯⋯」


 十歳となれば、小学生四年生辺り。


 流石にままごとぐらいは卒業して、将来に対して漠然とした夢を語ろうとする時期だろう。


 野球選手になりたい!アナウンサーに憧れている!世界で活躍するグローバル企業に就職して役に立ちたい!⋯⋯的な感じ。


 なれる、なれないは置いておいて、そういう経緯や手段、方法や資格等を経由せず、結果に思い馳せる歳頃だと思う。


 舞喜もパティシエになりたいとか、なりたくない、とかとやかく言っていた気もするが、どうだったろうか?もう、忘れてしまったが、多分言ってない気もする。


「そうなんだよなぁ〜。困っちゃうよな〜。俺も手は焼いてるんだよ。トホホ〜」


「なんで、そっち側に行くの?!こっち側だったのに、掌返しが早すぎるよっ!?というか、わざとらしい!」


 黒いジャケットをグイグイと引っ張り続けて抵抗するローシャはいよいよ泣き出しそうになってしまった。


 うるうると涙を溜め込み、上目遣いで朝倉さんを見つめる。


 それを面倒くさそうに、溜め息を漏らしながら僕の方へと目線を送り、語ってくれた。


 本当に面倒くさそうに⋯⋯⋯⋯。


「まぁ、アレだ。俺が地球に意図せず依頼して、創って貰ったんだよ。命《こいつ》を一人。設定年齢ってのは、地球がコイツを創る時に、俺が願ってた理想的な条件に一番合う種族とかを見繕った時に、該当していた奴の年齢だな。でも、生まれたのは間違いなく十年前だ」


 壮大なスケールに着いていけない僕はポカンと口を開き、首を傾げた。


 グググッと、口角が上がっていく。


 まるで誤魔化すように。


 分かった気になっているように。


 必死になって話に着いていこうと足掻いていた。


「クライアントがアンタってのは分かった。⋯⋯⋯⋯ごめんなさい、他は訳分かりません」


 足掻いたけど、やっぱり着いていけそうになくて、謝ってしまった僕に、朝倉さんは「まぁ、だろうな」と軽く流してくれた。


 けど、ローシャは違う。まるで自慢でもするように、悪代官さながらの悪い笑みを浮かべながら、ドヤ顔を披露してくる。


「フフンッ。だろうね。我《わたし》と拓也の仲なんだ!そうそう理解されてたまるか!」


 ピンッと、人差し指を僕な突き出す。


 腹立つ事この上ないが、実際僕では二人の関係性を詳しく理解出来なかった。


(⋯⋯なんだろう、この敗北感⋯⋯。腹立つ)


 僕がローシャを睨めば、仕返しとばかりに鋭い視線が返ってくる。


 こんな身長140センチ程度の小娘に言い負かされるのが、ここまで悔しいなんて⋯⋯呻き声でも上げてしまいそうだった。


「俺とお前の仲⋯⋯?あ!おいローシャ、焼きそばパン買ってこい、三秒以内だ」


「短ッッ!?というより、舎弟と兄貴の関係なの?!運命共同体、一心同体じゃなかったの!?」


「もう時間切れだ。罰として、ロールケーキ買ってこい。外箱振らず、十秒以内な?」


「ひぃッ!!ひ、酷い⋯⋯⋯⋯」


「悪魔だな、アンタは⋯⋯」


 有難う、朝倉さん。でも酷いよ、朝倉さん。


 がっくしと肩を落とすローシャを放置して、ぼ僕は朝倉さんから明日、相手する人物達の情報を共有する為、リビングで腰掛ける。


 どうやら今回の犯人は、アメリカ合衆国からやって来た六人組の集団だったらしいのだが、今ではボッチになってしまった男が主犯格の人間らしい。


 そんな男の使役する『現象』を朝倉さんから伝えられたが、どうして一人で出張らなかったのか、不思議で堪らない。


 僕からすれば、万能的な能力過ぎて、使い余しそうな予感しかしないその『現象』は男にとってもそうだったのか、それは直接出会った時にでも聞けば良い事。


 肝心の舞喜の『現象』に関しては、更に厄介だった。


 そもそも、この世界で【当て馬】に対抗出来る人物が、ヨーロッパ諸国を転々としている男のみが対処可能であり、朝倉さん的には相性しか良くない、との事。


 その為、僕は舞喜に対して説教《せっとく》をして、【当て馬】を引き剥がす役を命じられた。


 朝倉さんが直接手を下すのは、舞喜の時のみ。


 基本的には僕を主軸に行動を起こす、との事なのだが⋯⋯。


 言い訳も内容もしっかりと事前に考えておく必要もあり、アドリブだって必要だ。


 受け答えをたった一つでも間違えれば、僕は当たり前のように死ぬ。


 妹の手によって、簡単に斬首されるのだ。


 正直、滅茶苦茶不安が募った。


 怖いとかも勿論あるけど、何よりも、上手くいく様子が想像付かない。


「本当に、勝てるのか?言っちゃなんだけど、勝算低くね?」


「うーん。無理ならその時は、お前の首がポンッと刎ねられるだけだ」


 首に手を当てて、軽くトンッとする朝倉さんに、僕は笑えなかった。


「軽く言ってるけど、ショッキングな展開止めろよ!想像しちまったじゃねぇか!」


「良いか?お前の相手は二人だ。最初の一人は『舞喜』⋯⋯つまり、お前の妹だ」


「説得するのは分かる。【当て馬】の対処をしてくれるのも有難いけど⋯⋯。アンタか一から十じゃ駄目なのか?」


「俺の事はあくまでも最終兵器と思え」


「最終兵器?」


 最終防衛ラインみたいな言い回しをする朝倉さんだが、ちょっと頑強過ぎません?陥落しないじゃん。


「戦争始まって初っ端から核は撃たないだろ?それと同じだ。どうしようもなくなった時の秘密兵器。どーにも、こーにもならない、どうにもならないそんな時、俺を呼べ」


「なんで今、リズム良く言ったんだ?」


「何となくだ、気にするな」


 この人、さては遊んでるな⋯⋯。


 僕はそんな気分には全くなれない。明日の事で不安が一杯だ。


 期末テストの返却で、母さんに叱られるか褒められるかの二択が迫った時ですら、ここまで心臓はバクバクと鳴ってはいなかった。


 命が掛かっている。僕の──も勿論あるが、舞喜の命だって、危うい事に変わりない。


 僕に失敗は許されない⋯⋯。僕に間違いは犯せる立場にない⋯⋯。


「⋯⋯⋯⋯⋯分かった。取り敢えず、アンタを呼ぶのは舞喜を説得しても駄目な時⋯⋯だよな?」


「そ!説得するのは必須項目だ。お前の、お兄ちゃんとしての役目だ。それをしない事には進めないと思え」


 僕は深く頷いた。


 ──神妙な顔をさせていたのだろう。


 僕に対して、少し前屈みになる朝倉さんは朗らかに笑いながら、言葉を発した。


「妹さんは、お前の言葉を待っている。お前じゃなきゃ駄目なんだ。俺じゃあどうしても暴力的になる。お前の言葉で、妹さんが欲しい言葉を投げ掛けてやれ。大丈夫だ」


 欲しい言葉。それはまだ僕は感知していないし、理解出来ていない。


 きっと、昨日と今日の内に答えられる筈の答えを、僕は見逃してしまっているのだろう。


 今まで逃げてきたツケがここに回って来ただけの話。


 拳が強く握られた。瞼を閉じて、静かになったリビングで息を呑む。


 目を開き、朝倉さんを見つめた。朝倉さんはゆっくりと首を振り、僕は頷く。


「次に相手するのは『プルトン』というアメリカ人。電波塔で一人寂しくお寝んねしている奴だ」


 今回の事件の主犯格、『プルトン』は仲間連れで日本な訪れて、残り一人となってしまった男だ。


 どうして日本にやって来て、こんな事を仕出かしたのか、それは当人に聞くまで分からない。


 聞いても納得は⋯⋯きっと出来ないだろうけど、聞く必要がある。


 この街での死者は一、二に限らない。百単位に及ぶ死者が出ている。


 誰も、穴が空いて封鎖された電波塔に目を向ける者は居ない。


 皆、それどころではないし、まさか街にまだ犯人が潜伏しているなんて考え付かないだろうからだ。


 既に事が終わって十時間以上が経過している現状、逃げ道さえ確保できれば、この街を離れても良い筈なのに、何故か逃げようとしない。


 その理由を、朝倉さんは語ってくれなかった。


「奴が使役している『現象』は特殊だ。その気になれば何でも出来るし、何でも果たせる。まぁ、一個人特化ではあるがな」


「朝倉さんでも負けるの?」


「いや、俺は余裕だぞ?お前は⋯⋯⋯⋯触れる前に死ぬかな?」


「駄目じゃんんん〜〜」


 蹲って嘆いた。それはもう、この世の終わりと同意義なぐらいに叫んで、チラッと朝倉さんを見る。


「まぁ、確保を優先とは言ったが、無理なら殺ってしまえ。いのちだいじに、って奴だ」


「条件上がってません!?!」


 触れる前に死ぬのに、どうやって殺せと⋯⋯。


 いや、そもそも僕に殺人を行える度胸があるかどうかの話だ。


 多分、日和る。絶対に日和って、隙を突かれて死ぬ未来しか見えない。


「泣きべそかかない。貴方がやらないなら、誰もしない。我《わたし》も、拓也も」


「アンタらは超絶パゥゥワァ〜があるから何とでも言えるんだ!」


 僻みを口にした僕を憐れむような顔をしながらローシャは首を横に振る。


「やっぱり、我《わたし》が行こうか?瞬殺してくるよ?」


「いや、少なくても今の俺とお前は、少年の言葉に対して否定出来ないだろ?⋯⋯それに、少年!何でも良いが、お前がしなきゃ、その小っちゃな筒の中は開けさせてやれないぞ?」


 もうこんなの一種の脅しでしかない。


 僕にだって出来る事ならしたいものだが、実現可能な事と、実現不可な事の違いぐらい分かる。


 そのプルトンの『現象』の効果を聞いたが、どう考えても勝てるどころか、コチラの言葉を聞いてくれもしない気がした。


 何でも出来る万能性。王者故の特権を持った驕りと慢心の塊みたいな能力。


 対して、相手は僕だ。


『現象』について大した知見もなく、一般市民。


 大富豪ならいざ知らず、革命なんて出来るものか。


 相手は『アメリカ』だぞ。借金と我儘の権化にして、多民族国家万斉の国のお方だ。


 勝てるビジョンが湧かない。


 けど、やらないといけない。やるしか選択肢がなかった。


 腰に身に着けた小さな筒の中身は誰でもない六華が封印されている。


 それを解いてやれるのは、僕だけ。


 六華を待つのは、僕だけじゃない。


 嶺二だって同じだ。杏もきっとそうだろう。


 明日、全て終わった時に、六華の前に嶺二が居る──そんな当たり前の日々を再建する為に、僕は奮闘しなければならない。


「⋯⋯分かってるッ。言ってみただけだって。⋯⋯やるよ!」


 僕は無理矢理意気込んだ。いじけた子供のように、顰め面をさせながら、グッと歯を食いしばる。


 そうでもしなければ、なってられないからだ。


「⋯⋯⋯それで、弱点は?」


「さっき言った通りだ。貰い物を使え。それだけでいい」


 それは、今も僕の部屋に置いてある遺品。


 一生、後生大事に部屋に飾るつもりだったそれは、どうやらお役目があるらしく、今、僕の手に握られている。


 既に朝倉さんに使い方を教えて貰っている為、やろうと思えば、僕でも多少は戦える状態ではあるが、使い所は僕次第であり、委ねられている状況。


 朝倉さんから、ここで出せ!みたいな指示も特にはされていない。


 だが、最大の問題は別にあった。


「僕、正直に言うと⋯⋯うる覚えなんだが?」


「その対象の顔とか、能力を知ってれば発動出来る。何もシリーズ跨いで知り尽くせって訳じゃないから、安心しろ」


「うぅ、分かった」


 僕は頷くしかなかった。やるべき事は語り終えて、特に質問のようなものも思い浮かばなかった為、静まり返ったリビングでポツンと胡座をかいて座るのみ。


『舞喜』を説得して、【当て馬】の対処を朝倉さんに委ねる。


『プルトン』の意表を突き、『遺品』を使って成敗する。


 この二つが主な課題。荷が重い気もするし、やり切れる自信もなかったが⋯⋯⋯⋯やらなければならない。


 それだけが、今僕が出来る事なのだから──。


「そういやぁ、丁度ここにDVDが一枚ありますねぇ?えへへへ」


 ポケットから取り出したのは、一枚のDVD。


 パッケージからして、僕の数少ない知っている映画のもので陰鬱な色合いをしていた。


 僕は壁に掛けてある時計を見た。


 既に二十三時過ぎ。もう、寝ても文句は言われない時間帯。


 ましてや明日はやる事が多くある。


 それなのに、ニヤニヤとしながらそのDVDを、何処から取り出したか、DVDプレーヤーとテレビを床に直置きして、リモコンを使って、チャッチャと視聴する準備を進めていく。


 ⋯⋯⋯⋯正気とは思えなかった。


「こんな時間からっすか?!嘘だよね!僕、言っちゃなんだけど、ホラー耐性はある方だけど、めっちゃ眠たいんだが?!」


「安心しろ。夜中一時に終わる計算だ」


「あわわわわ〜」


 手を頬に当てて、ムンクの叫びのような表情を浮かべてた。


 それを、残念だったね(笑)みたいに嘲笑を浮かべるローシャにイラッときた僕は、あらん限りに睨み付ける。


 対抗するようにローシャも僕を睨む────けど、すぐにローシャの表情は怪訝なものに変わって、玄関の方へと顔を向けて、立ち上がった。


「────ん!誰か居る⋯⋯!」


 ローシャは警戒心を跳ね上げさせて、身構える。


「やっと来たか。遅っせぇな、お前」


 予期していたのか、玄関の方へと顔を向けず、リモコンをポチポチと押しながら悪態をついた朝倉さんは立ち上がった。


「あ、アンタは⋯⋯⋯⋯」


 僕はその人物を知っている。たった一度だけ出会ったその人の顔を見て、目を見開いた。


 その人は申し訳なさそうに微笑んで会釈する。


  ━ ━ ━


 焚き付けたマッチ。燃え盛る炎に際して色濃く映る影は揺らめきを忘れない。


 ソレは笑った。ソレは興奮を抑えられないように心臓が早鐘を打っていく。


「コレだけの悲劇。可哀想だけど、子供が沢山出来る。フフフフ、最高⋯⋯⋯⋯」


 影はミラーボールに当てられたようにチカチカと光る。


 マッチの光はソレを淡く浸透させて、濃厚に、濃密にしていく。


 影ある所に、ソレは要《あ》る。


 誰がなんというと、世界の摂理。


 自身ですら、望んだ訳でもない存在定理は潤う事を知らない渇望と、充実とした日々に飢えていた。


 ソレは異質であり、正しく異端だった。


 そこに、異端者が現れる。本物の、正しく怪物の男が。


「へぇ〜、お前の声⋯⋯ノイズが入るのか。変わってるな」


「?!誰?」


 マッチは一瞬で掻き消された。


 あらん限りに見開かれたその瞳には、朝倉拓也が映っている。


 深夜三時。決戦日となった日付けの三時間後の頃。


 男とソレは初対面した。


「あなたは⋯⋯」


 驚きの表情を見せていたソレは、徐々に険しい顔へと変わっていき、指で摘むようにして持っていたマッチ棒を握り締めて、バキッと小さな音を立てて割った。


「──────そう、あなたね。私の計画を崩してくれた邪推者は⋯⋯」


「チッ。コッチから波長《チャンネル》合わせないと、会話がままならないな。酷い設計だな、クソめ」


 ソレは言語が違う。ソレは波長が、意識が存在がそもそも違っていた。


 異端であり、異質の存在であるソレに波長《チャンネル》を無理矢理合わせる事をしなければ、言葉の節々にノイズが走ったような音が鳴り、聞き取れなかった。


 郷に入っては郷に従え。男はソレと波長を合わせ、改めてその存在を認識する。


 揺らめいていた。影が辺り一面を侵食している。


 スカートをヒラっと揺らしながら、向かい合うソレは、睨む。


「警告だ。【刃龍】に手を出すな」


「⋯⋯⋯何故?」


「後々、厄介になるからだ。お前は『未来視』出来る訳じゃないから、実感ないだろうが、奴が居るのと居ないのとでは、この街や日本の実害の規模が変わる。お前に中途半端で曖昧な理由で殺されるのは堪えるんだよ」


 朝倉拓也が初めてこの世界に現れた時、最も警戒したのは誰か?


【七人の天使】か?【悪魔の王】?【紅蓮の龍】?それとも【生命の種苗】?【裁きの火柱】⋯⋯。


 違う、どれも違う。現状の対処として真っ先に【七人の天使】から襲撃こそしたが、最も警戒したのは、この目の前に居るソレであった。


 上空から見下ろした時点で、肌を突き刺す異質さは、朝倉拓也すらも同情してしまいそうになる程の異端さだった。


「『未来視』⋯⋯⋯⋯奴らのような事を言うのね?あの忌まわしい神々のような事をッ⋯⋯」


「安心しろ。俺もお前と一緒でアイツらの嫌われ者だ。ただ、違いがあるとすれば、お前は神々を屠れんが、俺はいとも容易く滅ぼせるって違いぐらいだ」


「それは⋯⋯⋯⋯新手の自慢?」


 引き攣った笑いをして、怒りを抑え込もうとする。


 長年叶わなかった宿業と切願。それらを胸に抱いたのは神が切っ掛けであり、神を理由に断ち切らざるを得なかった。


「⋯⋯?自慢?何処がだ?あんな何かに尖った性能しかないピンキリ共、特定の奴が居なければ、訳なく殺れて当然だろ」


「⋯⋯⋯それが自慢って言ってるのっ!」


 両手を前に出して、制止を促す素振りをする。


 閉眼し、緩やかに、余裕を持って落ち着いた手振りで小動物をあやすように声を掛けた。


「そう怒るなよ。悪かった、悪かった。だから──」


 開眼した。瞬時に空気が砕けたような感覚なソレは陥り、密かに動かしていた指を止める。


「影を忍ばせるのは止めろ。ウッカリ殺されちまうぞ?」


「ッ!?」


 二人の全周囲は影一色。黒の世界と言って差し支えがない。


 テリトリーであり、ホームであり、アドバンテージはソレにあった。


 だが、悟らされてしまう。


 ────勝てない、と。


 その男の影、一人の少女が潜む。


 寝首を掻こうとするソレに対して鋭く、殺意に溢れた青い瞳が萎縮させた。


「なんで分かった⋯⋯みたいな顔してんじゃねぇよ。専売特許ってのは、必ずしも一人だけとは限らないって事だ」


 一歩、身動いだ。


 二歩、視線を泳がせて対処を思考する。


 三歩、逃げる為の道を確保しようと、影を伸ばす。


 四歩────男に首を掴まれた。


「ッ!!!な、ぁぁぁぁ」


 気付けばそこに居た。知らぬ間に眼前。遅れて絞められる手を力一杯に掴んで抵抗するものの、一切の微動を見せない。


「コレは忠告だ。そんでもって、俺は再三の忠告は嫌いだ。仏の顔も三度まで、なんて言うが、俺は仏じゃない。だから、二度までしか言わん。三度目、手を加えた瞬間、いや⋯⋯⋯⋯少しでもその意思を見せた瞬間⋯⋯」


 男の眼光が鋭く尖る。


 滲み出る汗は顎を伝って、腕に落ちた。


 唇の震えは止まらず、ひたすらに聞いて従うという行為に浸るしかないと、理解させられていく。


「問答無用で殺す。お前好みに天界へと魂は送らないようにしてやる。永久に無を彷徨えるご褒美付きだ。感謝感激、感涙感嘆の余りに吠えちまう前に、その首を魂ごと消し去ってやるからな」


「うぅぅぅぅ!!は、はな、はなしてぇぇぇッ!」


「それと、お前だろ?少年を一回、落とそうとしたの。俺に会いたかったのか?それとも【刃龍】目当てか?⋯⋯まぁ、どちらにしても、失策だな」


 桐江准が『象願林』から学校へ向かう際に落ち掛けた大穴。


 あそこにはバリケードがなければならなかった。


 夜の時間帯だから、敢えて設置を止めました──そんな間抜けな事をする訳もなければ、人為的でも難しい捻れ方をしたバリケードは、果たして誰がやったのだろうか?


 朝倉拓也に首を掴まれて持ち上げられているソ(・)レ(・)だ。


 屋外で月明かりが大した光源にならないとしても、人な眼球には明暗調節と呼ばれるものがある。


 暗がりであれば瞳孔が開き、明るければ絞られていくものだ。


 歩道も車道も共に基本的には灰色。


 車道には白の破線と黄色の実線が車道に敷かれていた。


 それが大穴によってクッキリとくり抜かれた状態となっていれば、近付けば近付く程、何かあると目視で確認出来るものだった。


 しかし、准が学校へ向かい足を踏み外すまでの間、すぐ目の前に大穴がある事すら気付かず、律儀に落ち掛けてしまっている。


 では、何故か?准が馬鹿だから?それもあるだろう。


 だが、最大の要因は一つ。


『影が常に車道、歩道を埋め尽くしていた』から、この一点に限る。


 薄っすらと暗く、奥行きがハッキリとしないその光景の中、准はすぐ横に設置されているガードレールを頼りに沿うように道を歩き続けていた。


 途中から変化していれば違和感に気付くものの、『象願林』を出た段階から周到に張り巡らされた影によって、その露骨な変化は、変化として認識出来ず、のこのこと准は歩いて行ってしまっていた。


『大穴』に向かって⋯⋯。


 深さ1500メートルの大穴。落ちれば当然死ぬのは確定事項であり、一つの手段として用意した策。


 結果としては准さ友人に救出されて事なきを得た。


 だが、朝倉拓也は気に入らない。


 ただ純粋に、気に入らなかったのだ。


 乱雑に投げられたソレは、背を大きく打ち付け、痛みに呻く。


「分かったのか?言葉にしろ」


 蹲った姿勢のまま、ひたすらに睨み付けるも、為す術もないと、心が先に敗北を認めて、力んだ腕も顔も、自然と力が抜けていく。


「⋯⋯⋯⋯分かったわ⋯⋯」


「ったく。何故あんな事をした?」


「⋯⋯あなたを見つける為。あなたを食えば、障害は無いも同然でしょ?」


 異常事態が重なっていた。そもそも、朝倉拓也は別世界《よそさま》の人間であり、部外者。


 突然、空間を割ってやって来るなんて事は、誰にも予期出来ない事態だった。


「成程、確かに少年の味方をしている時点で、俺なら駆け付けるわな。まぁ、失策に変わりは無いがな」


「っ⋯⋯⋯⋯そうね。反省してる」


 それは本心からの言葉だった。


 やり過ぎた、少し手を掛け過ぎた、そう言っても良い。


 ほんの少し脅す感覚で、准を危機的状況に追い込もうとしたソレは、後になって後悔を募らせていた。


 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて、地面に額を付ける。


「人を食ってる癖に、人が無いなんて、邪道もいいところだ」


「それと、お前の目的や目標に、【刃龍】は要らないように感じるが?」


「黙りなさいッ!!あなたに何が分かるの?!」


「分かるさ。直に浴びたしな。あの血(・)に」


 目を見開いた。考え込むソレは、何か言葉をしようとして、結局止めてしまう。


 長年待ちに待った宿業を果たす為に必要最低限の血。


『刃龍の血』と呼ばれる生命長寿と消滅を担う不思議なエキス。


 朝倉拓也が【刃龍】の腕をぶっ千切った際に大量に噴出したその血は、朝倉拓也の策略により、全て彼女の元へと還元されている為、現状は誰の手にも渡っていない。


「まぁ、不老不死が望みじゃないんだろ?まだ人よりはマシかな⋯⋯。ただ、もっと価値観は変えた方が利口とも思うがな」


「あなたは敵?味方?どっち?」


「⋯⋯俺は贔屓が大っっ好きだ。平等を掲げてる奴程、平等性や均等性から掛け離れるのは必然だと思ってるしな。だって、その考え方自体、平等でも、均等でもない。自分の意思を優先してるんだからな。真の平等、均等は意思表示しない。言葉にせずとも相互理解と明確な明示によって実行されていくものだ。同調圧力や空気を読むとも言う、かな?」


「それは⋯⋯ただの屈服よ」


「慣れれば、成れる。それだけだ。結局、人の意思そのもの、思考や価値基準からして、平等や均等なんて驕りなんだよ。まぁ、そういう訳で、俺は自分が助けたつって思う奴しか助けない。よって⋯⋯お前は敵だ」


「⋯⋯殺すの?」


 恐る恐る、述べた。息を荒くさせて、身動き一つ取れないソレは、男を注視していく。


 真っ直ぐ、見下ろす視線は一向に外れない。


「死にたいのか?やーよ、面倒くさい」


「⋯⋯⋯」


 敵意も殺意もない、純然な圧に屈服しそうになるソレは、ゆっくりと立ち上がる。


 首に残る違和感を手で擦りながら緩和させようと努めるソレは一歩、ようやく後退し始めた。


「一つ、教えて?」


「なんだ?」


「【刃龍】が居ないと、一体どうなるの?」


 目的の物は【刃龍】の体内を循環する血そのもの。


 居なくなれば、それはそれで問題なのは、ソレ自体も承知している。


 だが、ソレは『未来視』が出来ない。


 予想は出来ても、確実性の無い空想論の域を出ないのだ。


 だから聞いた。最も、予言や予知を言い当てられる男に質問を投げ掛けた。


 朝倉拓也は神妙な顔で語る。


 その先の未来、まだ起こりうる可能性の話を。


「─────滅びる。人類滅亡RTAの始まりだ」


 ソレは目を細めた。未知の状況、曖昧な言い回しに拐かされるように思考していく。


「⋯⋯⋯隕石でも降ると言いたいの?」


「その方が諦めが付いたろうな⋯⋯。そうじゃないから、困るんだ」


 背を向けて、片手をポケットに入れた朝倉拓也は、余ったもう片方の手を少し上げる。


 雑に曲がった指は気怠げで、興味も無さそうにしながら、ソレと距離を空けていく。


「そうだった。お前⋯⋯俺が来た所為で、こ(・)の(・)先(・)、(・)面(・)倒(・)に(・)な(・)る(・)だ(・)ろ(・)う(・)けど、まぁ⋯⋯頑張るんだな。じゃあ、忠告はしたから」


 ソレは朝倉拓也が立ち去り、背が見えなくなるまで、凝視していた。


【刃龍】を諦める────ソレにとって最も忌避すべき事柄であると、朝倉拓也は知らない。


 ひたすら嘆願し、切望と絶望と失望を重ねた結果に辿り着いた光明を今更になって投げ出せる程、ソレの執念は軽くなかった。


「⋯⋯良いわ。あなたが去った後⋯⋯じっくり料理するから⋯⋯」


 それは苦し紛れの言葉であり、敗北を認めるものだった。


 だが、それでも構わなかった。


 大した理解も示さず、大した期待もさせない朝倉拓也にどうこう言われた程度で、収まる情動なら、初めから棄てている。


 ソレは躍動しなければならなかった。


 ソレは求め続けなければならなかった。


 ソレは滾らせなければならなかった。


 可愛い子供を生むという行為もその一環。


 人類滅亡という言葉に対して、金槌で打たれたような衝撃が心に響かなかった時点で、もう結論は決まっていた。


 望みは一つ。その為だけに長年生き続けて来た。


 その衝動は木霊する。その情動は炎に照らされた。


 マッチを一本、箱の側面に擦り付けて、摩擦熱から生み出される火は小さく揺れる。


 影は濃くなる。辺りを僅かに照らしていくその火は温かく、何時までも抱き留めておいても損はないと⋯⋯⋯⋯なのに、自然と心は冷たくなっていく。


 泥濘に堕ちたかつての栄光と光景は、今になって思う馳せられた。


 涙がすぅーっと頬に伝う。


 何時かの約定、何時かに交わした指と指での約束は塵芥となって幾星霜の時間を経た。


 二十歳そこらのガキに忠告された程度で、静まる感情なんてものは、既にかなぐり捨てている。


「⋯⋯私は捨てない。私は逃さない。私は手に入れる。私の為に、私の為だけに。【刃龍】⋯⋯そして、その『血』を⋯⋯⋯⋯。ようやくっ!やっとっ!炙り出せたのに、諦める謂れがあってたまるものですか⋯⋯」


 吹いた吐息の揺らめきに負けて、マッチの火は消される。


 全周囲に人の瞳が顕現する。モノクロのその瞳は瞳孔の奥が虚空であり、何処までも意思が感じられない。


 逃さない為、その瞳は蠢く虫の集団が一斉に辺りへと撒き広がるように、動き始めた。


 影に浸透し、街に蔓延る為、ソレは一人、ポツンと佇む。


  ━ ━ ━


 喉が乾いた。そう思い、僕は部屋を出てキッチンへと向かい、食器棚からコップを手に取ろうとした。


「⋯⋯え?」


 食器の数が大きく数を減らしていた。


 両親、僕、舞喜の分を含めて、コップの数は六つ。


 皿も十数枚あった筈が、皿はゼロ枚となり、コップは三つにまで激変していた。


「どうなってるんだ?!」


 こんな手の込んだ悪戯をする意味はなんだ。


 何があって、どうしてこんな事をしなければならないのか。


 軽く戦慄した声を上げた僕は、自分のコップを手に取った。


「⋯⋯⋯⋯そう言えば──朝倉さん、食器棚を見れば分かるって⋯⋯。コレの事か?」


 言語化しろ。そう言われた僕は、『象願林』の中にある湖の前で告げた。


「──出来る訳がない。僕は特に嫌われてる」


 その言葉に対しての返答が、


「家に帰って、食器棚の中を覗いてみたら分かる」


 というものだった。


 食器棚の中は三つのコップ。たったこれだけの事で、舞喜の気持ちが分かるという事に他ならない⋯⋯はず。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯全く分かんない⋯⋯」


 朝倉さんが『分かる』と言っていたから、てっきりすぐに分かるものだと思っていたが、皆目見当も付かない。


 僕達が昔から使っているコップと、ちょっと前に舞喜へプレゼントしたコップだけ。


 プレゼントしたコップは、あの不気味な青白い男による襲撃のせいで、薄くヒビが入ってしまっており、一度も使われていない。


 なのに、舞喜は律儀に残している。


(⋯⋯⋯⋯⋯なんで残してるんだ?)


 色も濃いピンクでかなり派手。


 タダでさえ兎柄の模様が彫られた目立つというのに、ヒビが見え隠れして、使い物にならなくなってしまった。


 それなのに、どうして残しているのだろうか。


「捨てちまえば良いのに⋯⋯」


「捨てられる訳が無いだろ?」


 ダイニングチェアに座って、寛いでいる朝倉さんが、優しい声色でそう言った。


 さっきまで居なかった筈の人が忽然と現れた事にも驚いたのも間違いないが、何よりも驚いたのは、朝倉さんが口にした言葉にある。


 捨てられない、その意味が僕には理解出来ずにいた。


 再度、あげたコップを見つめて、手に取ろうとする。


「⋯⋯⋯⋯なぁ、朝倉さん」


「ん?何さ⋯⋯?」


「なんで、食器が無いの?親が取ってったとか?」


 両親が夜逃げの準備を進めていた頃、僕は寝ていた。


 空白の時間に、両親が律儀に食器を鞄に詰めたという可能性に賭けた。


 けれど⋯⋯。


「親御さんは取ってない。そもそも、皿を捨てたのは⋯⋯妹さんの方だ」


「⋯⋯⋯⋯なんで?」


 捨てる訳が分からない。苛ついて皿を捨てるなんて、日本昔話にも似たような事をするのが、【当て馬】と言う奴なのか。


 それとも、皿を捨てる事に意味があったのだろうか。


 いずれにしても、全ての事情を見聞きしたような物言いをするこの人は、当然、何故舞喜が皿を捨てたのかも分かる筈だ。


 律儀に朝倉さんの言葉を待っていると、それに応えるように朝倉さんは立ち上がり、僕に近寄ると、指を鳴らした。


「え!?」


「分からなかったのか⋯⋯。はぁ〜、もう、直に見せた方が早いな、コレは」


 景色が暗転していく。光が視界を埋め尽くす。


 浮遊感に身体は漂い、周囲は一変していく。


 自宅の匂い、肌を触れる空気の感触、耳に伝わる生活音が一気に雪崩込み、耳を塞いだ。


 心臓の音が跳ね上がっていくものの、朝倉さんは僕の肩にそっと触れる。


「安心しろ、時期に済む」


「分かった⋯⋯」


 疾走感が身体を覆い尽くす。まるでジェットコースターに乗り込んだように、風が身体に纏わり着いて、気付いた時には──。


 自宅は明るくなっていた。


「え⋯⋯?」


「まぁ、見てろ。もうすぐ分かる。何が起きたか」


『直に見せる』⋯⋯そう言った意味が既に分かり始めていた。


 電気付けず、真っ暗なキッチンだった筈が、今は何故か昼間のように明るい。


 いや、事実として昼間なのだろう。


 カーテンから漏れる日差しは白く、家の内装は荒らされたような形跡もなければ、壁がヒビ割れた様子もない事から、おおよその察しが着いてしまった。


「ただいま」


 身体が少し跳ねる。ビクッと震わせ、玄関の方向へ向かった。


「⋯⋯⋯⋯舞喜」


 靴を脱ぎ、トボトボとコチラに向かってくる妹の舞喜が確かにそこに居る。


 唇が自然と噛み締められていく。僕が犯した罪の象徴。


 僕が見過ごして、軽視してしまっていた存在。


「ま、舞喜⋯⋯!」


「待て待て。どんなに頑張っても妹さんには触れられないし、声も届かない」


「!!⋯⋯⋯⋯そうだよな」


 肩を掴まれ、制止させる僕は朝倉さんの顔を見つめた。


「悪いな。コレはあくまでも、『記録』を見てるだけなんだ」


「『記録』?」


「『世界の記録』だ。どんな世界でも、生きた証、痕跡があるものだ。世界そのものもそれを常に観測して、記録している。俺達は今、その『記録』の中に居るんだ。日記の中に飛び込んだようなものさ。だから触れられないし、声を届けられない」


 説明を受けた直後、玄関口から、パジャマを血に濡らしていた状態の舞喜が僕達とぶつかる────筈だった。


 思わず、端へと身体を反らすようにしてしまうものの、間に合わず。


 なのに、舞喜は僕の身体を透き通っていき、当たり前のように僕の後方へと進んでいく。


「⋯⋯⋯⋯」


「驚いたろ?コッチが触れないなら、アッチも触れない」


 この先の光景は何があるのか。


 何があって舞喜は両親を襲ったのか。


 その全貌が、知れる⋯⋯⋯⋯。

えへへ、謎を何個残して置いたよ。


考えてみたらすぐに分かるようなものだけどね。


ローシャっチの設定は深堀しません。


この作品でするだけ無駄ですからね。


お助けキャラ一号程度に思ってください。


現状の実力だけなら、【刃龍】の五倍のポテンシャルがあると思ってくれて結構です。


因みに、地球に居れば死にませんし、再生します。


ベニクラゲかプラナリアのようなものです。


耐久値はクマムシ以下。


そして、逆説的に言ってしまえば死なないだけです、病気にもなります。


毒の類いは効きません。毒そのものですからね。


コウモリみたいなものです。


そして、この子も変身します。⋯⋯宇宙の帝王かな?


まぁ、三回ではなく、一回ですけど。つまり、甘かった自認した後に、機械と一体化した100億パワーのお兄ちゃんの方ですね。

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