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この街は今日も語る  作者: 紫芋
第1シリーズ 笠辺沙耶は語らない

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9/99

二人は夜の街を繰り出す

ゴールデンウィークなので次回の投稿遅れます。よろしくお願いします。



 准《じゅん》は現在、全力疾走である女性に追われている。


「ひぃぃぃ〜〜っっ!」


 黒と白の縞模様の肩出しセーターに赤のスカートにニーソックスにブーツという、どう考えても走る用の服装では無いその女性・笠辺《かさべ》沙耶《さや》によって、軽い悲鳴を上げさせられた桐江《きりえ》准《じゅん》は、決して逃すまいと、マラソン選手と同様の綺麗なフォームで追い掛けて回わされていた。


「逃がさない」


 そう言った沙耶は近くの街灯に飛び移り、一気に距離を詰めた。


「止めて!こんなに嬉しくないパンチラはやだぁぁぁぁぁー!!っあぐぅ!」


 そして、逃走から僅か四秒で幕を閉じるのであった。


「どうして、逃げるの?」


「家に行く気満々過ぎるからでしょ?!怖いよおぉ」


 沙耶はあろう事か必要に准の自宅に行こうとして、そしてそれを止めさせようと何度も話したが、結局分かって貰えず。


 ────ならば!と逃走を選択し実行したのたが、結果はこの有様である。


 馬乗りされて、両腕を押さえ付けられ、抵抗を意に介さない圧倒的なまでの俊敏な捕獲。


 ネズミとてもう少しマトモに逃げ遂せるだろうに、この少年にはそれが出来ない。


 准は地面にすっ転び、背中に乗られた軽い体重を必死に上げようとするものの、沙耶が拘束している手の握る強さがそれすら容赦なく阻止する。


「大丈夫。私は、貴方を守れる⋯⋯⋯⋯筈」


「腕離しなっ!」


「あの光は、何があるか分から、ない。『来ても良い』って言うまで、止めない」


「ちょっと僕に対する好感度高くない?!初対面から僅か一時間程度ですよね?!」


 一度は突き放して、やっぱり協力するそのスタンスはラブコメあるあるでもある。


 それにしても好感度メーターが振り切って暴発でも起こしているかのような親切っぷりには流石の准も恐怖を覚えた。


 そんな恐怖を募らせる心と表情が確認出来ない准に便乗する形で、沙耶は淡々と言い切って見せる。


「大丈夫。私は、空気を読める。彼女さんの邪魔は、しない」


「質問にも答えてくれないぃぃ。ぅぅ。⋯⋯わかった!わかった!家に連れてきますよ!」


「うん。その言葉を、待ってた」


 強く握られた手はそっと離される。


 こうして、准は出会って一時間で高校の先輩を御自宅にご案内するのであった。


 着いた頃には十八時半を過ぎており、暗がりの道路には点々と街灯が灯されていた。


「君の家、案外綺麗に、してる、ね?」


「すいませんね。ご期待に添えずに⋯⋯」


 意気揚々と家の掃除をするつもりだったメイドが、いざ家に入ると、埃一つ落ちていないという部屋の状況によって、用無し状態に陥り、落胆したようなもの。


 肩を少し落としながら、チラチラと家を見定めるように視線を送る沙耶は、興奮が収まらない子供のようであった。


 光る粒による身体の影響は、後々となって何かしらの事態を呼び込む要因となる可能性。


 それが准を不安の一途へと辿らせて、自宅にお邪魔させた一因としてある。


 そして、いくら先輩相手といえども、僅か四秒で追い付かれたという屈辱は早々に晴らせそうにはなかった。


「私、ご飯、食べたい」


「遠慮が無さすぎません?」


「私、君の頭と、ゴッチンコ、した」


 わざとらしい動作で頭を擦る沙耶だが、ぶつかったのは側頭部であり、手で擦っているのは前頭部。


 全くもってぶつけた箇所が違うのだが、准がそこまで見ている訳もない。


 その為、いとも簡単に騙される。


「いや、僕は地面ともですよ?」


「責任、取って」


「な、なんて色気のない言い方なんだ⋯⋯」


 淡白かつ愛想なし。


 淡々と口にした言葉は本来ならば男性を良い意味でも悪い意味でも鼓動を早めるものというのに、それらが全く起こらないのが、不思議なほどであった。


 玄関前で唖然としてしまう。


 ブーツを忙しなく脱いだ彼女は颯爽と部屋を見回し始め、未だにソワソワとして落ち着かない様子である。


 それに気付いた准は、颯爽とキッチンの方へ歩き出す。


「待っててください。なにかは作りますよ⋯⋯。というか、ご両親に連絡されなくていいんですか?」


「うん、大丈夫。私、かなり、自由、許されてる、から」


「さいですか⋯⋯」


 ────准は知らない。冷蔵庫の中身がほぼ全滅しているという事を。


 そう、最後に買い物をしたのは特売があった木曜日──などではなく、時間を戻した影響で火曜日に買い物をしたっきりなのだ。


 そしてその後、事故に遭ってしまい、特売はおろかスーパーにすら寄っていないという結果となってしまっている。


 そんな事態になっているとは露知らず、「あ」と口から漏れ、呆然と冷蔵庫の中身を覗いては閉めて、また開いて覗くを繰り返して現実逃避を図ろうとしていた。


(あれれ?おかちぃーな⋯⋯。僕の記憶とちゃうで?どないなっとぅねん⋯⋯⋯⋯。は!まさか。コレがさっきの光の現象の影響!⋯⋯やってくれたな、あの爺!紳士服の上にオムツ履かすぞ!醜態晒せよぉぉぉ!)


 ぐぬぬと、歯痒そうにしながら立ち上がった准は、そっとダイニング前で内装をキョロキョロと見渡し続ける沙耶へと視線を送った。


「先輩⋯⋯」


「なに?」


「買い物、行きません、か?」


 ほんの少し⋯⋯。ほんの少しだけだが、沙耶の表情は和らいだ。


 持っていた小さなポーチに手を伸ばし、中から長方形で白の財布を取り出した沙耶の口元は少しだけ、緩んでいる。


「うん、財布は、ある。だから、買お」


「⋯⋯あざっす!」


 深々と下げた頭は舎弟のようであった。


 准は気付かない。沙耶の表情の読み取りにくさと話し方の影響で感性や心境を感じ取りにくくなってしまっていたのだ。


 顔を見ず、発せられた言葉を鵜呑みにしていく。


 本当の舎弟のように⋯⋯。


 こうして、二十時に閉まるスーパーへと駆け込み、二人並んで流れるようにカゴに商品を置いていく。


 場所は生肉が並んでいるエリアの横にある魚売り場である。


 鮭の切り身が二匹入っているパックを見比べていき、頷くと共に二パック分をカゴへと丁寧に入れた。


「先輩、魚料理にするんですか?」


「ホイル焼き、する」


「もしかして、先輩が作ってくれるんですか?」


「うん。そのくらいの事は、したい」


「楽しみだなぁ〜」


 嘘である。満面の笑みで放った言葉。さながら、彼女に料理を作って貰える彼氏のようなワクワク感すら窺えてしまえるその表情の裏はドス黒かった。


 この少年、割と冗談抜きで信じていない。


 これほど無愛想で機械的な話し方をする女性と、自分のこれまでなんやかんやで培った料理の腕。


 一体どちらを信じるのか、という観点の結果。


 准は自身を信じたのであった。


 しかし、仮に不味く作ってくれても食べ切る自信には満ち溢れていた准は、味付け兼誤魔化し用にレモンエキスたっぷりの調味料をカゴに放り込み、静かに頷く。


(さぁ、かかって来い!)


 そして、自宅に戻り、早速と言わんばかりにキッチンに立った沙耶とダイニングでひたすらに待つだけの時間が訪れた。


 この時には、確信すらある。


 猫背で包丁を震わせながら握り、調味料を計量カップに放り込む際の手つきを見て、『あ、料理した事あんましない人だ〜』と思い、救急箱をテーブルに置いて準備万端。


「さぁ、来い」


 小さく呟いた少年は上から目線で仮にも先輩である女性の料理現場を我が物顔で腕と脚を組んで、待っていた。


 悪代官張りの顔付きでニマニマとしながら待つ馬鹿な少年は、およそ数十分後に驚嘆する事になる。


「う、上手いし、美味い⋯⋯だと?!」


 アルミホイルに乗った鮭。そして、盛り付けられたようにえのきとしめじはポン酢が程良く味わえて、鮭は切れ目を僅かに入れて、解しやすく、バターの調整で舌鼓。


 そして、知らぬ間にカゴへと放り込んでいた大根はおろしとして使われており、口に含ませる。


 舐め腐っていた少年の顔は蕩けきった。


「負げだぁぁぁ!⋯⋯うめぇぇぇ」


 少年には鮭のアルミ焼きに大根おろしと隠し味のように使ったバターに完膚なきまでに負けた。


「ブイ。得意、料理。教えて貰った、から」


 意図を読んだのか、はたまた知らずにやったのか。


 それは彼女のみ知っている事ではあるが、無表情でピースサインを突き出して勝利に酔う。


 救急箱は当然、使われる事はなかった。


 そして、交代とばかりに皿洗いを終えた准はソファで座っている沙耶を見ると、ふと言葉が漏れる。


「ちゃんとスマホあったんだ⋯⋯」


 ソファで大胆に寛ぎながら、スマホを操作している姿を確認して、思わず目が点となってしまう。


 沙耶が公園でスマホを使う様子を微塵も見せていなかった為、てっきり所持すらしていなかったか、忘れて来てしまったのだと勘違いしていた。


「機械音痴なのかな?」


 そう判断した准は食洗機のボタンを押して、彼女を呆然としながらも凝視する。


 聞かなければならない──『何故、刀を持ち歩いていたのか』を。


 何かしらを見ていた沙耶もついぞ飽きたのか、それとも終わったのか、スマホの電源を切って寛ぎつつも視線は准の方へと向けた。


 相変わらず無表情でただ呆然としているだけの綺麗なだけの先輩。


 どんな事を思い、どんな事を普段しているのか。


 その強固に凝り固まった表情は読み取らせてはくれない。


 何時までも視線だけ合わせていても埒が明かないと、ソファまで行き、身体をソファに預けきってきっている沙耶の隣へと腰掛けた。


「先輩。探し物の刀は何に使うものですか?戦うってなんですか?」


「言葉通り。『不可思議な存在』を断ち斬る為に、私は刀を、持ってる」


 傍から聞けば厨二臭い台詞であり、表情からでは沙耶の感情を読み解けない事も相まって、真実なのか嘘なのかの判断も付かないでいた。


 しかし、何かを探していたというのは真実であり、一旦は信じる事にした准は流れるように問う。


「代々って言ってましたけど、昔から、その⋯⋯。お父さんとかお祖父さんとかも?」


「うん。先代はお父様。その前はお祖母様。私達、笠辺《かさべ》家は、『魔』や『邪』を祓う為の、一族だから。それを『除者《じょしゃ》』って、知ってる人は、言ってる」


 聞いた事もない単語が飛び出てきたが、驚きなんてのは当然無い。


『現象』関連に関わると、否応なく、初見初耳の単語がポンポンと記憶領域を圧迫していくのは常。


 慣れっこになっている准からすれば、もはや『除者』なんて単語は、スマホに写真を一枚保存する程度の些事でしかない。


「へぇ〜、変わってますね?」


「そうだね。自覚は、ある」


 左手を軽く握って擦るような動きをする。


 准はそれを流れるように見ると剣たこのようなものが指で見え隠れしており、その苦労を感じさせられた。


「大変じゃないですか?その『除者』っての」


「大変、だよ?でも、苦じゃ、ない」


 その沙耶は表情こそ変わらないが、何処か声色は優しいものであった。


 耳に伝わる確かな音色は、ほんの少しだけ、准を微笑ませる。


(もし⋯⋯去年知り合ってたら、もっと変わった気がする。まぁ、言ってもしゃーないか)


 剣たこがどれ程の努力の糧なのか、准は知らない。


 けれど、きっと自分よりは間違いなく強くて、間違いなく頼りになったと確信すらあった。


 去年の春には『空弩街』に居たとなれば、夏頃にも頼れた可能性は十分あった筈だが、終ぞ出会う事は無く、幕を閉じてしまった。


「じゃあ、やっぱり探さなきゃ行けませんね」


「君は、此処に、居て」


 お互いにテレビがある前方に顔を向けていたが、沙耶は隣に居る准に視線を送る。


 その気圧されそうにもなる静かで透き通った闘志が籠った瞳は准を穿っていく。


「気持ちは嬉しい。本当に。でも事態は、変わった」


「と、言いますと?」


「あの、光の粒。何か、分からない。私は、耐性が、あっても、君は、違う」


「そうなのかもですけど⋯⋯」


 根拠がないと言われればそれまでの話なのだが、既に多くの『現象』と対面してしまった反動か、一旦は聞く癖が付いている。


 そんな准にも内心では動揺が広がっていた。


(耐性ってなに?!)


 聞き馴染みはある。ゲームや漫画といったクリエイティブな内容に限ってではあるが。


 現実で耐性と言われれば『アナフィラキシーショック』のような耐性や体質といったものが想起しやすく、似たようなものだと一応の割り切りをしていく。


「私、これでも、強いよ?」


「それ、見てないんで分かりません」


「今は、弱い⋯⋯けど」


「どっちなんですか?」


 呆れたような物言いを放つ。


 少しだけ目を細めて、体育座りをした沙耶は華奢な脚に顔を埋めて、チラッと覗き込むようにして准を見た。


「刀があれば、強い。無かったら、そこそこ」


「おかしいな。俺の記憶じゃあ街灯に乗ってたような⋯⋯」


 あれをそこそことは言わない。どう考えても埒外だ。


 一般人で街灯に登れる人間は居ても、跳躍力一つで街灯のてっぺんに登る者も登れる者も居ない。


(⋯⋯いかん。朝倉さんとかアイツを思い出したら、この人の異常性が、どうも普通に感じる⋯⋯)


 感性の麻痺は去年の段階から起こり始めて、今では沙耶の街灯へと跳躍した動きが可愛くも思える准の常識は、もうボロボロ。


「お風呂、入りたい」


「急ですね」


「耐えられない。この、空気に」


 淡々と口にした彼女は立ち上がる。けれど、問題もあった。


「良いですけど、着替えは?」


「大丈夫、君のを、借りる」


「え?!」


 思わず立ち上がり、お風呂へと向かおうとする沙耶の腕を掴む。


 以前も小さな小さな、おチビちゃんと化したミニ藍莉に服を貸した事自体はある。


 けれど、あれは妹の舞喜《まき》の物で、『小学生の女児に貸してあげた』という、ある種の罪悪感からの脱却を図っていた結果だ。


 けれど、今回は違う。


 見た目も大人、妹の衣服では恐らく、丈が足りないというのは見ただけで分かる。


 胸部と身長という残酷な現実が選択肢を限りなくゼロへとさせた。


「うぅ。まぁ、ジャージなら?」


 妥協に妥協を上乗せ。しかしジャージを素肌に羽織る奴は基本的にいない。


 それに気付かないで発言してしまっている辺り、准のテンパり具合がよく表れていた。


 一方の沙耶はそこら辺に大した頓着がない故に、ジャージでもいいや、と何処か楽観的。


「決まり。じゃあ、入って来る。覗いても良いけど、責任取ってね?」


「覗きません。覗かなくても、僕の想像力は天地を揺るがす程なので」


「そう。うん。──」


 何かを不意に呟いた。そう気付いた時には、彼女は既に洗面所へと向かい、着替えであるジャージは既に彼女の手元へと。


(なにぃぃ?!何時から?!あれ?僕場所教えてないよね?)


 淡々と教えてもいない洗面所へと駆け足気味で入った音が聞こえた准は頭を抱えた。


「というかさっき、『変わらないね』って言った?⋯⋯会った事があるのか?僕とあの人」


 少年の記憶では、幼なじみも居なければ、将来を誓い合った仲の人も居ない。


 あれほど抑揚の無いロボットのような話し方をする彼女はかなり印象強く残るものだ。


 思い返してみるも、やはり一向に思い出せない。


「う〜ん⋯⋯」


 考え込み、リビングは沈黙と孤独に溢れた空間と化した。


 ふと立ち上がろうとするものの、身体は異様にフラついてしまい、ソファに倒れ込んだ。


「あ、⋯⋯あえ?」


 急激な倦怠感、吐き気はなく、唐突な目眩が視界をグラつかせる。


(なんだ?!これ⋯⋯急に?!⋯⋯毒?あの人が盛った?いや、違う。あの光の粒だ⋯⋯。だとしたら)


 彼女も同様の事が起きている事への危惧が、心を囃し立てる。


 倒れた彼女を想像してしまい、フラついて仕方ない身体を強引に立ち上がらせて、前にある机に脚をぶつけながら、壁まで寄り掛かった。


 渦状に回り出す視界は、やがて映る景色の輪郭を二重にしていく。


 挙動は徐々に雑になっていくものの、ダイニングの隣にある扉を開けて、更に前進。


 身体の奥底から一気に何かが込み上げるような感覚が押し寄せて、倒れ込んでしまう。


「うぅ、がぁ⋯⋯ううがぁ」


 熱で焼かれたように熱く、手脚の先は氷で直接冷やされているように冷たく、それでいて、頭痛に追いやられていき、徐々に感覚は遠退いて行き、消失一歩手前。


 身体の感覚は気付けば遮断されたように無くなっており、必死に腕を藻掻くようにしてフローリングに着けて、這いつくばり足掻く様子で洗面所の扉を伸ばした腕で開けようとする。


 その扉は一気に開かれた。開けたのは准──ではなく、バスタオルを巻いた状態の沙耶であった。


 一瞬、前に踏み出そうとした脚は止まり、すぐに真下に倒れ込む准を見つけると、しゃがみ込んで背中を擦る。


「大丈夫?安心して、私は無事、だから」


「な、なんてぇ⋯⋯?」


 劈く耳鳴りの酷さは目の前に駆け寄ってくれている沙耶の発した言葉を何一つとして理解させようとはしない。


 肺から口へと送られる筈の息は口にも鼻にも渡らず、頭が重くなっていく。


「借りる、ね」


 彼女は急いでテレビのリモコンを取り出して、巻いていたバスタオルを剥がす。


 そして、冷蔵庫にあったケチャップと床に落ちた准のスマホを倒れ込んだ准の傍に置いて、ケチャップを左右の壁にぶち撒けて、指で魔法陣を描いていく。


「後は、傘と⋯⋯シャワー、かな?」


 浴室にあるシャワーベッドを迅速に回して、ホースから外した後、垂れた水を数滴ほど、准の身体に振り掛けて、ダイニングの扉を閉め、傘を広げて廊下の進行を塞ぐように置く。


「大丈夫、大丈夫、大丈夫。必ず、必ず⋯⋯」


 タオルで壁から垂れていくケチャップを拭いて、リモコンの電池二つとスマホ准を三角形で囲むように置き、最後に左手首を噛んで、垂れた血を准の上へと散らばらした。


 その血液は落下する事は無く、宙に漂い、鮮血の光を纏って徐々に光は回転を起こして、准の上空を駆け回り出す。


「助ける、から」


 その光は青と緑に染まると、沙耶は右手を前に翳し、唱えた。


「【笠辺沙耶の名の下に告ぐ。この域《ば》は我が祈りの地。禁足を仇なす者に絶対の裁きを下すと知れ。──来たれ。静脈を宿る青。輪脈を促す緑。交《まじ》れ。携え、促せ。彼《か》の生命《いのち》に恩恵を授く。我が生命を糧にて、御業届けよ。──寛解《かんかい》癒霊《ゆれい》】」


 准の真上に青と緑の光は交差して螺旋となり、未だ尚、眩い光を照らす廊下は青と緑の双奏を謳い、准の身体へと入り込んだ。


 壁に塗りたくられた赤色のケチャップは緑色の蛍光ペンのように変色を遂げて、徐々に焼ける。


 三角形に囲むようにして置いた電池とスマホは消えて、後に残ったのは、沙耶が自ら自傷によって傷付けた左手首の噛み傷とそれによって垂れた血のみ。


 ポタポタと滴り落ちる事を厭わずに、呼吸と意識を明確に安定させていく准をそのまま抱き締めた。


「ちゃんと、助けれた。うん、良かった。⋯⋯良かった」


 意識が徐々に回復させて、輪郭がハッキリしだした准は何故、裸の彼女に抱き締められているのか、全くもって分からずにいるのであった。


  ━ ━ ━


 三味線を鳴らす音が好きだった。


 私はきっと、お母様のあの優雅さに憧れたんだと今でも思う。


 けど、私は『才』があった。


 お父様は喜んで、私の身体を掴んで嬉しそうな顔をして高く持ち上げる。


 喜んでくれるなら、私はやってみようと思った。


 姉に当たる人が言った。


「出来るのかい?」と。


「出来る。やりたい!やってみたい!だって、お父様もお母様も喜んでくれるんだもん」


 私はその時の姉の顔を決して忘れない。


 可哀想な者を見る、哀れんだ表情と抱擁を一度。


 そして、次の日、姉は勘当された。


 見送る事も出来ず、何故そうなったか、私には分からない。


 次の日、私の皮膚は抉れた。


 斬られて、斬られて、着られた。


 手拭いが口に。手首を手錠で。足首を縄で。


 体温の抜ける感覚と意識の放出。


 視界は紅に染まり、臨界に達した精神は悲痛さを表そうと喉から口へ、口から外へと。


 けれど、誰も、何も、言わない。


 淡々と私は身体を抉られた。


 それは四週間と四日と四時間続いて、ようやく終わりを告げられる。


 父が言う。


「身体は器。心は刀に宿して一流の除者となれるんだ」


 母は言う。


「お前はこれから生涯私達ではなく、この世の理に向き合わなければなりません。いいですね?」


 頷いた私。八歳の私。身体を痛め付けられた私。


 侵《こわ》されそうな私。


 刀は何処?


 刀が無いと戦えない。


 刀が無いと戦《き》えない。


 奴らの生命は紫色に揺らめく怨霊の如き存在。


 彼らが持つ意志は鈍く照らす終幕の一助。


 お前の精神《こころ》は息吹く刀に籠められる。


 私の余生は全てこの世の為。


 私の明日は未来の他人《ひと》の為。


 私の生涯は次の世代へと継がせる為の袋。


 血濡れて、染まって、微睡みは与えない。


 視界に居る貴方は私のお陰で今日を生きていられる。


 視界に居る貴女は私の人生を費やして笑っていられる。


 当■は私に言う。


「才能しかない凡夫」と。


 お■様は言う。


「出来損ないに不出来を掛け合わせた最悪手の欠陥品」


 お■様は言う。


「自覚を持ち、心に線を張って、生命を宿しなさい」


 握る刀は何も言わない。


 納めた刀は震えない。


 この街に越すにあたって、役目を与えられた。


『街に巣食う『魔』を一つでも祓い、笠辺家の名を知らしめる一助になれ』


 両■の言葉だ。


 私は果たしたい。


 自由になりたい。


「なれば良いじゃないですか」


 ある日言われた有数の光。


「なれない、よ?」


「僕はもう手遅れですけど、笠辺先輩は違うでしょ?まだ、言える相手が居て、ぶつける理由もある。それで充分ですよ」


「充分、なの?」


「はい。充分です」


 砕け散った未来と終わった世の中で君は、何時も笑ってるね。


 それが虚勢だって知ってる。


 それでも、誰かの為に、繰り返さないように、嘲笑われないように。


 その日を生きているんだね。


 だから、頑張ろう。頑張ろう。頑張ろう。


 頑張った視界に赤が一杯。


 グラスから零れたにしては多く、大きい。


 臨界に達した精神は、虚しさと怒りと悔しさで叫声を上げた。


 抱き締めた体温は冷たくて、濡れ落ちた雨が邪魔で仕方ない。


 あぁ、そうだよ。私は君の未来を見てみたかったんだ。


 私は砕ける。


 私の今日は終わりを迎えた。


 良かった。■■様と■■様の思い通りにならずに済む。


  ━ ━ ━


 准が目覚めた第一声は簡易的なものであった。


「なんですとぉぉ──ゴホッ、ゴホッ!」


 素っ裸に濡れた身体は密着状態。


 理解不能の事態と状況を、如何に早く整理整頓出来るかが、少年の次に課された使命であった。


「君は死んだら、駄目。良い?」


「⋯⋯あ、はい。あの、服⋯⋯」


「身体は器、だから」


 何を言ってるのだろうか?と首を傾げるものの、羞恥心には敵わない。


 絹のように無駄に綺麗な肌。まだ濡れたままの紺色の髪の先端は雫が落ちて肩に落ちる。


 ボディソープの良い匂いは鼻腔を擽るものの、堪能なんてできる余裕は無し。


 脚を折り曲げて全裸の状態で肌寒さも感じさせないその体温は妙に冷たく感じる准は、彼女の顔を窺う。


(やっぱり⋯⋯変な人だな⋯⋯⋯⋯)


 女性らしい部位は発育の良さを感じさせるも、乳房すら隠す素振りの無い無機質な人形のような彼女に不安感が蘇った。


「僕が困るんですよ」


「わかった、離れる⋯⋯。離れるよ?⋯⋯良いの?」


 再三の報告にウザったいと感じる准は無理矢理、身体と身体を離すように手で押す。


 密着した身体は離れて、本日二度目のびしょ濡れを味わいながら、准の視線は遠くへと送られた。


 着替えを済ませてドアを開けると、改めてソファに座った彼女が手でポンポンと隣を叩き、准を座らせるように促す。


「僕のあれ、なんだったんですか?どうして、僕、助かってるんですか?」


「原因は光の粒、だよ。助かったのは私の術で、君の身体を癒した、から」


「ありがとうごさいます」


 自然と頭は下がった。命の恩人でもある彼女は「いいよ」と淡々と口にして、頭を上げさせる。


「⋯⋯先輩、普通でしたね。助けに行こうとしたのに、割と意味なかった⋯⋯」


「私には、耐性がある、から⋯⋯。君には、無いもの、ね」


『除者』は『魔』と『邪』を払う存在。


 ならばこそ、なのだろう。


 防御力が皆無な状態で挑むというのは普通有り得ない。


 相当のマゾでもない限りは。


 耐性があるのがステータスであり、絶対なのだ。


 一方の准はそんな『除者』ではなく、ただの高校生であり、訓練も受けてなければ、刀すら握った試しもない。


 しかし、それが本来の普通なのだ。


「でも、何故でしょう。身体がまだ熱いんですよね⋯⋯」


 身体をペタペタと触り、熱を掌で確かめる。


 それが偽りではないと自身で確定させるように。


「あくまでも、抑えてる、だけ。だから、身体自体には、まだ、巣食ってる」


「え?!治ったんじゃないんですか?」


 首を横に振り、じっと准を見る沙耶の表情は真剣なものだった。


 決して安心できる状態ではないのだと、その瞳は訴え掛けているように准には映っており、緊迫感が背筋を走らせる。


「治ってない。あくまでも、動けるようにした、だけ」


「じゃあ、僕はどうすれば!」


「⋯⋯刀で、斬る。そうすれば、一発で、終わる」


 持っていない為に、架空の刀を握った体でそれを准目掛けて振るう動作をする。


 それに呼応するように「あぁぁ」と嘘臭い演技をした准はソファにわざとらしく凭れ掛かり、恐る恐ると沙耶を見た。


 無表情で嬉しいのか、楽しいのか、哀れんでいるのか、嘲たいのか、いずれにしてもスベり転けただけに過ぎない。


「あの、その。⋯⋯痛いですか?」


「痛く、ない⋯⋯⋯⋯⋯筈」


 随分と待った間と僅かに逸らした視線が一気に恐怖心と疑心感を募らせていく。


「ちょっと?!」


「でも、仕方、無い。⋯⋯だから、これから、行く」


 ソファから勢いよく立ち上がった沙耶はそのままリビングから離れて、准が先程倒れた廊下へと脚を運ぼうとその方向へと身体の向きを変え始める。


「何処にですか?」


 暗に『刀のある場所は知っているのか?』と問う。


「刀、探しに。もう、悠長に、出来ない」


 けれど、意図は伝わらない。


「⋯⋯まぁ、そうだよな。因みにですけど、僕、このまま放置だとどうなります?」


「私が発動した術は、多分、七時間ぐらいで、効力が、切れる」


 現在時刻、二十一時四十分。


 早朝頃に准は再び苦しむ事になるという事である。


「えぇと、つまり⋯⋯。僕、七時間後に」


「⋯⋯察して」


「察するって言うか、もう!言ってるようなもんでしょ!?⋯⋯ヤバい、どうしよう!二人じゃ手掛かり無しの探し物なんて。せめて人手があれば〜」


 背けられた身体がその後の事態を全て察してしまった、


 けれど、准の言葉に背けられた身体は再び准の方へと向けて、人差し指を准の額へと突くように当てられる。


「君、お留守番、だよ?」


「え?冗談でしょ?僕のせいで怪我までさせたのに、その人がまた僕の為に動いて貰うんですよ?どう考えても手伝いますよ?」


「⋯⋯駄目」


 立ち上がろうした准の肩を無理矢理掴み、座っていたソファへと戻そうする。


 それに抵抗するように横に身体をズラして、立ち上がる事に成功する准は腰に手を当てた。


「行きます。落し物なら、一人よりも、最低人数二人でしょ」


「でも」


「そうと決まれば行きましょう。落し物なら、アイツも呼んで⋯⋯。あれ?スマホは?」


 ポケットに入れていた筈のスマホが無い事にこの時気付き、焦るようにして探し出す。


 机の下や洗面所付近を探すべく、歩き出そうとした時、腕をグッと掴まれてしまい、思わず振り返ると、俯いている沙耶が視界に映った。


「⋯⋯ごめん。君を助ける為に⋯⋯⋯⋯消した」


 何も言えなくなった。


 言い方を変えれば、スマホ一つで命が助かったという事になる。


 准は割り切る以外の思考は一切シャットダウンさせようと心に決めた。


 何せ、助けてくれた本人が、本当に申し訳なさそうに俯いている。


 これだけではもう、仕方ないと思うしかない。


「⋯⋯まぁ、仕方ないか。命には変えられないし」


「ごめん、ね」


「謝らないでください。僕のせいですから」


「⋯⋯ごめん」


「⋯⋯行きますよ」


「本当に、良いの?」


 准の「はい」という一言により、夜の街へと繰り出す事となった二人。


 暗闇となっている街で落し物探しは再開される事となり、最初に准が向かったのは、沙耶と出会った公園。


 ではなく、その公園近くにある友人の自宅である。


 スマホがあれば、連絡を取れるのだが、命と引替えに消え去ってしまった為、連絡手段は直接会う事のみと制限が掛かってしまった。


 睦生《むつき》嶺二《れいじ》。


 准の唯一の友人であり、良き理解者(仮)である。


 そんな彼の一軒家のインターホンを准は連打した。


 それはそれは傍迷惑極まりないピンポンの嵐。


 いじめっ子でもそこまで執念深く押す事は無いだろうというぐらいの回数を、無心で押していく。


「君、夜、だよ?」


「コイツはこれでいいです」


「いや、ご家族が⋯⋯」


 そう言っていると、「はーい」と元気な声で扉を開けた嶺二が全身鼠色のスウェットで二人の前に現れる。


 玄関を開けた嶺二は、視界に准が目に入ると、訝しんだ表情を浮かばせながら首を傾げた。


「あれ?准?何⋯⋯入院中⋯⋯あれ?退院したのか?」


 たった三日の入院生活は幕を閉じた事を聞かされていなかった嶺二は、目を見開いた。


 聞いていた話では交通事故。三日で退院出来るような状態ではなかった筈だと、記憶を巡らせるものの⋯⋯。


「手伝え、れい⋯⋯ムッくん」


「え?!何をさ?」


「彼女の落し物探しだよ」


「まぁ、良いけどさぁ。⋯⋯⋯⋯こんな夜に?」


 探すなら目晴らしの良い朝から昼帯がバッチ来い!のタイミングだろう。


 妥当かつ当然の言葉を放つ嶺二であったが、准は自信満々に口にする。


「大丈夫だ、僕とお前。二人いれば何とかなるだろ?」


「はぁ〜。分かったよ。ちょっと待ってろよ?」


 溜め息混じりながら、嶺二は玄関の戸を閉めた。


 その様子に沙耶は驚いた様子で准を見る。


 彼女の言いたい事なんてお見通しだとばかりに凝視された視線に応えるように彼女を見て、ニッコリと微笑んだ。


 こうして、三人となった落し物捜索は開幕へと向かった。

三人称視点と一人称視点のパートを合間合間に入れるのが好きな紫芋です。


ご閲覧頂きありがとうございます。


今の所、話の齟齬は噛み合ったままですが、お調子者の私はいつかヘマをします。


そして、古文や古語といったものをもっと真剣に習っておけば良かったと後悔しています。


いいもの届けたいじゃないですか。⋯⋯まぁ、素人なんであんまし皆様も気にしていらっしゃらないと思いますが。


では、また次回お会いしましょう!

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