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この街は今日も語る  作者: 紫芋
笠辺沙耶は語らない

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10/15

【五月病】

五月病には気を付けましょう!

 夜の『空弩街(あくどがい)』は極端である。


 夕方を迎え終えた土日、祝日や休日が明日に迫ると、アミューズメントパークや飲食店が多く建ち並ぶ『食事処』と親しまれて呼ばれる、直径一キロにも及ぶ地点では仕事帰りで飲みに来る人間や大学のサークルの集まりで馬鹿騒ぎや、家族ぐるみで楽しい料理の時間に舌鼓を満喫する。


 しかし、今日は生憎の日曜日であり、月曜日が迫る日付けで、祝日や休日でもない。


 その為、『食事処』へと脚を踏み入れる人間は数が大幅に減少する傾向にある。


 それでも日曜日の静かな夜に、居酒屋やイタリアン料理やフランス料理、郷土料理等が多く建ち並ぶ、この『食事処』にやって来るのは、相当の物好きであり、お気に入りの店舗で少しでも精神的にも、肉体的にも癒しというものを体感したいからだ。


 発泡酒が注がれたグラスを片手に、串に刺さったもも肉の脂身と綺麗に塗りたくられた茶色のタレは照明によって煌びやかに映る。


 贅沢に串を横に持ち、一気に肉を口に運ばせて、タレと肉の脂身を噛み締めて、発泡酒で注ぎ込む。


 大人の嗜みであり、月曜日という苦行の始まりを無理矢理にでも祝福させる為の儀式にも似た行い。


 喉を通り抜け、口をグッと噛み締めるようにしてからパアッと開いた口は見るもの全てが幸せを噛み締めた後なのだろうと誰でも納得出来てしまうほどの恍惚さを滲み出していた。


 そんな、人通りも少なく多くの競走を競り勝って来た飲食店に一人の男が現れる。


 杖をつき、渋い緑色のスーツに白いシャツと黒の帽子。


 扉をガララと横にスライドさせたその初老にも思える男はレジ前の通路を抜けて、定員に声を掛けられた。


 問われたのは人数と席の指定である。


 けれど、男は何も言わない。


 それを不審に思い、もう一度問い掛けをした定員にどこに落ち度があったのだろう。


 次第に心配になった定員は体調不良を疑った。


 ハシゴしてやって来た可能性もある故にバイトの女の子に電話を取れるようにして欲しいとジェスチャーで合図を促して、しゃがみ込んで、その初老の男の顔色を伺う。


 定員は目を見開いた。その男の顔はドロドロに溶けており、眼球は血管が何とか床への落下を阻止しようとしている最中だったのだから。


 驚いた定員は体勢を崩して、後退りのように這いつくばって、電話を掛けようとしていたバイトの子と他の客に対応していた定員やバイトの子達も、そして客も皆が一様に驚いて声を張った定員に注目していた。


 何があったか?それを確かめる為に店を店長に任された定員であり、責任者の男がキッチンからやって来ると、急いで震えて目を塞いでいる定員に駆け寄り、今尚棒立ちで杖を床につけているだけの初老の男を見る。


 その男はゆったりだった。


 冷静に事態の対処をしようと声にならない様子で震えている定員を敢えて放置して、前に立っている老人の方へと歩み寄ろうと脚を出した。


 その時、初老の男の身体は辺り三百六十度全ての方角に弾け飛んだ。


 突然の炸裂音と仕事着に飛び散った黒いドロっとしたものを見て騒然とした皆は急いで逃げるようにしてその男のいた方向とは真反対の方向へと逃げようとして、ある者は叫び、ある者は夢か幻かを疑う。


 すると、一人の女性が苦しみだし、皆がその女性に視線を向けると、その女性の目元は赤く腫れ上がり、掻き毟ろうと爪は勢いよく眼球へと走らせる。


 それに呼応するように発疹が出た別の男性は、拳で思い切りその発疹の出た身体を殴り付け始め、左胸を抑え始めたバイトの女の子はそのまま床に寝転がり、定員の男性は呂律が回らなくなり、そのまま外に出ようと店舗の出入口へと手で扉を開こうともしないまま頭から突撃していき、血塗れ。


 そんな光景を席を立たずにマジマジと見ていたある女性はグラスに注がれていた発泡酒を口に放り込むと、グラスを机に叩き付けて、倒れて亡くなった者達の財布の中身を抜き取って、外へと出て行った。


「さぁてと、次は何処に行こっかなぁ〜。あたぴ」


 軽快なステップの後方に溜まる黒い人影。


 それらは徐々に人の形を成して行き、また何処かへと杖をついて歩き出す。


「⋯⋯次は家屋かな?良いとこ当たると良いなぁ。はっはははははははははははーーー」


 爽快な笑みは『食事処』に響き渡って、夜の街を陥れる。


  ━ ━ ━


 睦生むつき嶺二れいじ桐江きりえじゅんに言われるがまま着いて来た。


 探し物は長い黒の筒とそれを縛るようにして括られている白の紐が特徴的な『竹刀』なのだと、誤魔化して三人は落し物を捜索し始めた。


 嶺二は自宅が近い公園を探し、残りの二人は少し遠くの場所にある川やゴミ捨て場等を探す事として、捜索は開始される。


 その道中、桐江きりえじゅんの前方に居る笠辺かさべ沙耶さやを呼び止めて一つの質問をした。


「どういった具合に刀を落としたんですか?」


 この質問に彼女はある方角へと指を差す。


彼処あそこから、此処ここまで、飛んで来た、時に、敵襲に、遭って、勢い、余って、落とした」


「⋯⋯」


 彼処と差された位置はどう考えて今准達の居る場所から五十メートルは離れている建物の屋上であり、此処と流れるように指を動かした先は、嶺二が今現在、茂みを散策している公園である。


 つまり、彼女は五十メートル先から跳んで来た際に宙に浮いている際に後方から敵の攻撃に襲われて、そのまま落としてしまったらしいのだ。


「いや、だったら公園には無いでしょ?」


「どうして?」


「だって、公園に着地する前に落としたんでしょ?だったら、川とか探さないと、見つからないですよ?」


 准達の居る公園のすぐ横は少し濁っている川。


 別段なにかの名称がある訳でもない普通の何処にでもあるもので、曰く付きもなければ、不可思議な事が起こった事のあるものでも何にもない。


 ガードレールに手を掛けて、覗き込むようにする准は睨むように目を細めて、川を眺めた後、そのガードレールに脚を掛けていく。


「なに、してるの?」


「川に入ります。落としたのなら、まだあるかもしらないですし。」


「私が、行くよ」


「当然来てもらいますよ?スマホのライト付けてて欲しいんですよ。照明として」


「分かった」


 歩道から川までの高さ三メートル強。


 梯子を探そうとする准なのだが、その腰を腕で挟んで、准がその方向へと振り返ろうとする前に、ガードレールを飛び越えて、一気に川までジャンプした沙耶。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!」


 何もかもが唐突すぎる故に声を上げてしまう准は上下に大きく揺れた身体が停止したと同時に、それを行った人物を睨みつける。


「⋯⋯こっちの、ほうが、早い」


「限度があるわ!」


「大丈夫。私に、限界は、ない」


「そういう事を言ってるんじゃない!やるなら、『やりますよ〜』って声を掛けて下さいって言ってるんですよ!」


「分かった⋯⋯。息、しますよ?動き、ますよ」


「小学生か!」


 降ろされた准は立ち上がり、川の弱い流れによって濡れた腕を払いながら、辺りを見渡す。


 暗がりの中、月が出ている程度では光源にはなり得ず、街灯も川までは白く光らせてはくれない。


 スマホを取った沙耶がライトを付けて、後方へと流れていく川を見渡して行き、足首よりも下に溜まっている水源を掻き分ける。


「⋯⋯そういえば、先輩って機械音痴ですか?」


「なんで?」


「だって、公園で探している時はライト付けてませんでしたよね?」


「忘れてた、だけ。言わせ、ないで」


「機械音痴じゃなくて、ド忘れって事ですか?」


「⋯⋯そう。駄目?」


 スマホのライトは川を照らして、僅かに白く映る顔からは何も窺えない。


 けれど、沙耶との会話に慣れてきた准は徐々に声色で喜怒哀楽を掴めそうになりつつあった。


(恥ずかしがってる?)


 人が歩道を通る。


 何事かと、月明かりにしては明るく、暗く濁った川を白く波打つライトに目をやって、興味深そうに眺める者もいれば、一瞥だけして無関係である故に去ろうとする者もいる。


「いや、駄目って言うか⋯⋯。気付くだろって言うか」


「今、そこはかとなく、馬鹿にした、ね?」


 声色は少し怒りを含んでいるのが、誰にでも分かる。


 そのくらいには声色は低かった。


 しかし、そのぐらいでたじろぐ程、生温い経験と体験をしていない准は彼女の怒りには我関せずといった様子で一瞥だけした沙耶から視線を外す。


「むしろ、しないんですか?」


「私は、しない」


 淡々と『箸は持つ物』で『転がす物』では無いというような当たり前の如く、口にした沙耶。


 道路に人が通る。数人の人間。


 ポツポツとごく自然に。


 その人達が突然苦しみだしたのだから、当然。


 二人は何事かと上を見上げた。


「どうした?」


 呻き声と苦しく苦悶の表情は川に入らぬようにと設置されたガードレールから出てきた。


 腹部を押えて、見開かれた瞳は生への懇願を求めている事が容易に想像出来る。


「なに?」


 二人が川に入って二分弱の事。


 三人目は頭から川に入水した。


「大丈夫か?!」


 真っ先に落下してしまった男性に駆け寄った准。


 それを追うように脚を動かそうとした時、踏み込んだ川底から何かが浮かび上がっていくのを沙耶は確かに見た。


 白く、眩いライトの明かり。


 川の流れが小さく矮小な波を作り、明かりはそれに打たれて歪んで見える中、その足下には百は下らない虫の死骸が溢れていた。


 絶句した沙耶は身体の小刻みな震えにより、動けずにいる。


 鼠が浮かび上がり、川の流れで沙耶の足元を通り過ぎた頃にようやく事態を飲み込む事になり、目の前で身体を摩って落下した男を心配そうにしている准を視界に収めた。


『急いで避難しなければならない』


 そう認識した沙耶の脚は、漂う無数の虫も脚を濡らす川も弾かせて、一気に准の元へと駆けて、身体を掴む。


「おい!なにし──」


「逃げる」


「けど、あの人は!」


「今は、自分、優先」


 腰を掴む腕に力が入る。


 抱き抱えられたまま、ジタバタする事を選択した時には、飛び上がった准の身体は宙へと滞在していた。


 アスファルトを大きく鳴らし、華奢な様相からは想像出来ないほどの頑丈な脚部は沙耶自身と抱えた准を支えて、折れる事なく着地させる。


「何か、様子が、変」


「え?何が?」


「あの人の、苦しみ方、普通、じゃない」


「だから、助けないといけないんだろ?」


「君に、医療技術は、ない」


「⋯⋯それは、そうだけど」


 言い訳の猶予と弁明の余地は既に有効期限切れとなった。


 窓を思い切り開けられた住宅から飛び出した人間の悲痛な叫びと、運転中の車が突然歩道に飛び出して近くの建物に衝突。


 衝撃音と激突により漏れたガソリンの匂い。


 眼鏡を掛けたふくよかな男性はジタバタと地面に転がりながら口から吐血し始め、唸り声を上げて静かに眠る。


 それを皮切りに、准と沙耶の周りに点在する家屋や店舗の中が騒がしくなっていく。


 大人も子供も男も女も若者も老人も犬も猫も鳥も全てが、一斉に悶え、苦しみ、足掻くような喉を掴まれたような空気が漏れたような声を盛大に上げた。


 犬笛のように微かに聞こえる高いものもあれば、ガラガラ声のような喉を詰まらせた人の声もあり、辺りを見渡した准は何がなにやらと目を細めていく。


 やがて、それらの音は全て消えた。


 静寂と僅かな間。


 車が車道を走る。


 准と沙耶の横を素通り、未だ赤となったままの信号。


 アクセルは全開。オートマの賜物はアクセル踏み込めば、嫌でも速度が上がる所。


 速度は上がる。上がる。上がる。上がる。


 バーは右へと示していき、時速百キロを超える。


 そして、前で停止している車と衝突して、ピンポン玉のように弾け飛んで反対車線の道路にこんばんわ。


 突っ込んだ車は左折してすぐ近くにあるガソリンスタンドに入り、チリチリと音を鳴らしたと思えば、すぐ後に大爆発した。


 その赤の飛沫が炎の粉塵であったのだと、理解したのは爆発から僅か数秒後の事であり、その爆発の中、陽気に鼻歌を綴る女性が居るのを准は視認する。


 惨劇の始まり、軽快なステップとハイテンションな笑いは『人ではない』と直感がそう伝えていく。


  ━ ━ ━


「アッハッハッハッハッハッハッハ〜。なになに?最っ高ォォォーじゃん。あの弾け具合に、啄まれたような衝撃音とその嘆きィィィ。楽っのしィィねェェ」


 女は笑っていた。


 爆炎に燃え広がるガソリンスタンドの巻き添えで燃え盛る道路を悠々自適に、庭とでも呼ぶように軽々と炎の中を歩いている。


 揺らめく事を忘れたのか、二人の視界に映る女は炎の影響で身体が波のように靡く事は無く、淡々と確かな存在を現していた。


 渋い緑のジャンパーとキャップを被り、ベージュのズボンにスニーカーという至って何処にでも居る普通の女性の様相をしたソレは二人と距離を詰めるように歩き出す。


「⋯⋯、先輩、あれは?」


「逃げて。君は、逃げる、べき」


「先輩は?!」


「私は、足止め⋯⋯。それしか、ない」


「先輩の跳躍力なら行けるでしょ?!」


「あいつが、何時から、そこに、居たか、わかる?」


「え?」


 苦い顔をした沙耶は近付いて来る女から目が離せずにいた。


 指は掌に畳まれていく。


 握り、意気込もうと腰を下ろすも、前に脚は動けずに硬直を余儀なくされている。


「爆発する、少し、前から。突然、現れた。急に、だよ。つまり、私よりも、あの人は、速い」


「⋯⋯」


 四秒で終わった鬼ごっこを思い出した。


 街灯に乗り、一気に距離を縮められて、馬乗りになられたあの時間。


 そこそこの逃げ足には自信があった准の明確な敗北を期した沙耶。


 そんな沙耶からの『速い』という言葉は、重く准の精神と身体に重くのしかかる。


「あっれ〜。おかしいなァ。もう問答無用で死んでる筈なんだけどなァ〜。君達ィ、何?」


 首が傾いた。


 その視線に光は無いと准の視界が訴えている。


 炎に揺らめいている筈の瞳には、光は差されていない。


「貴女、なに?」


「なになに?私の事を気にしてるの〜?やッめてよー。そんな事してたら、悪化するよォ?」


「え?」


「でも、進行が遅いんだよねェ?なんでだろ?⋯⋯あ、ひょっとして巷で噂の『魔法士』とか?」


「⋯⋯だとしたら?」


 溜めた言葉は震わせたままにして、目を細めて嘘を吐く。


 准は彼女が『除者じょしゃ』であると名乗っているのを今でも覚えている。


 彼女を見て、怪訝そうに見つめる視線。


 それを受けて尚、彼女は目の前に迫る女にのみ意識を集中させていた。


「アッハッハッハッハ〜。良いねぇ、だったら私の【現象】にも免疫があるはずだよォ?なんで⋯⋯あれェ?君⋯⋯何処かで嗅いだ事のある匂いだねェ?何処かであった?」


「え?⋯⋯僕?いや、無い、筈」


「そうだよねェ〜。私も顔見てないしィ〜。⋯⋯あ、そうか!そうか!あァ〜なるほどね。なァァァァるほどねェェェェ」


 高らかな笑みは燃える街に響く。


 手は額に添えられて、腹から精一杯の笑いが木霊して、准と沙耶を困惑させる。


「アッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!最っ高ォォォ〜。ようやく逢えたァァァァア〜。私の母の血に!」


「え?何を言ってるんだ!僕はアンタのような子供なんて持った覚えはないぞ!」


「何その返しィィ。アッハッハッハッハ〜、最っ高ォだよ?⋯⋯そうだね。君は敢えて生かすよ。何せ、私の生みの親が悲しむもんねェェ。嫌だよォォ〜?私、怒られるのなんて」


 そう言って、脱力したように腕をぶらんと落とした女は顔を前へと向ける。


 その紫色の瞳は真っ直ぐと沙耶を凝視していく。


「貴女は⋯⋯要らないかな?」


 膨れ上がる。


 身体はドクンッ!と内部から押し出されたような強烈な感覚が沙耶を襲う。


 悶えるように血反吐を吐いて、地面に滴る血液がドバドバと溢れると、脚は乱雑なステップとダンスをして、柵に身体をぶつけて、ガードレールを握って胸を抑えるようにして倒れ込んだ。


「笠辺先輩!」


「アッハッハッハッハッ。流石に免疫があるって言ってもこれが限度か〜」


「お前、一体なんなんだッ?何をした!」


「えー。そっか、名乗ってなかったねェ〜。私の名前は⋯⋯なんだっけ?この身体の名前知らないんだよねェ〜。まぁ、今が今だし、【五月病】って名乗らせてもらうよ?」


「【五月病】?ふざけんな!五月病がこんな派手な血反吐吐くか!」


「でも、私が生まれたのは五月だしィ⋯⋯。それに【五月病】って診断結果じゃあ、うつ病なんだよォ。嫌でしょォ〜?伝染(うつ)るのォ?」


 両手を開いて、閉じてを繰り返して、煽るような仕草を取る女。


「⋯⋯」


 伝染るという事は死ぬという事以外に無い。


 たった十数秒の間に起きた無差別連続殺人。


 ドミノ倒し形式でバタバタと倒れて息を引き取る者が後を絶たない現状で准が出来るのは、話を僅かでも長く続けて、被害を抑える事であった。


 否、テロにも近いそれを引き起こした女は微笑むのみ。


「でも、おっかしいなァ〜。普通、私が君に気付いた時点ではもう死んでてもおかしく無いのにィ〜」


「え?」


「だって、私()歩いてるだけで人が死ぬんだもん〜」


「歩いてる、だけで⋯⋯?」


 准には耐性と呼ばれるものは無い。


 あるのは小さくか細い契約一つ。


 それは、どちらにも大したメリットもデメリットもない小さな約束の為のもの。


 決して、『病気を発症しない』『怪我がすぐに治る』『あらゆるものを見通せる』といった要素は無い。


 もしあるのならば、自宅で倒れ込んだりする事もないであろう。


 不審そうに見つめる視線の先に居る少年。


 動けず、倒れた先輩の元にも駆け寄る事も出来ずに居た少年は震える身体を前に向けているだけで精一杯であった。


「おっかしいねェ〜。君も、『魔法士』だったりするのかな?」


「僕がそんな、高尚な者に見えるのか?」


「⋯⋯だよねェ〜。良かった良かったァ〜」


 腕を後頭部にやって、あっけらかんとした様子で微笑んだ女は、歩こうとする。


『行くな』と声を出そうと口を開こうとする准の口は閉じたままであった。


 すれ違い、素通りされて、無力さに歪んだ顔についた瞳は、横を素通り、後方を行く女へは向かわない。


 地面と、赤く揺らめく炎に支配された歩道を見つめるに留まっていた。


「うぅ、うぅ⋯⋯」


 准の左後ろで倒れ込む女性が唸り声を上げた。


「⋯⋯は?」


 踊るようにして散らした生命。


 そう思っていた女は思わず振り返る。


「先輩ッ?!」


 その唸り声に反応した少年は嬉しそうに見つめる。


 ガードレールに手を伸ばして、無理矢理にでも立ち上がらせようとする身体。


 衣服に付着した自身の血が吐血という凄惨さを物語っていた。


 産まれたての子鹿の如く、脚は震えて、苦しそうにする表情に目を見開いた准。


 その表情には、明確な『怒り』が窺えたのだ。


「⋯⋯下ら、ない⋯⋯。つまり、貴女は、歩いてる、だけで、人を殺す、病原菌、て事、だね?⋯⋯燃え尽きれば、いい、のに」


「⋯⋯コイツ、どうなってるの?身体に菌が繁殖し──」


 驚愕の表情で口を開けていた女の顔に重い拳が飛んできた。


 勿論、殴ったのは沙耶である。


 我を忘れたかのように見開かれた眼と一直線に伸びた右手は女の目元を直撃して、歩道を転がっていく。


「うぐゥッ⋯⋯、うゥ。⋯⋯ッ痛てェな!」


「先輩?無事なんですか?」


 恐る恐るといった様子で聞く准。


 正直、無事な訳が無いというのは分かっていたが、聞かなくては心配が収まらないといった思考が、そうさせていた。


「言ったよ。身体は、器、なんだよ。保って、いるなら、私は、死なない」


 無表情の顔に戻った沙耶の口元は紅が垂らしながら准の方へと顔を向けた。


 鼻からも少し垂れているが、そんな事を気にする状況では当然無い。


「⋯⋯どういう事だ?私はアイツの胃と肺を確かに潰した筈⋯⋯なのに、なんで?」


 顔を抑えて、痛みに耐える様子で睨む。


 けれど、それを一瞥だけして、また准の方へと向き直る。


 准には、それが強者の余裕にすら思えた。


「刀、探して。私なら、斬れる」


「え?でも何処に?」


 そう、刀を探しに来たのだ。


 けれど、手掛かりもなければ人でも情報もない。


 あるのは彼女が落としたであろう場所のみ。


 誰かに拾われてしまっていては何もかもがパーだ。


 けれど、彼女は確信を得たように、自身が先程までに転がっていたガードレールと川の方向へと指を差して准に見せた。


「川の中。倒れた、時に、僅かに、違和感が、あった」


「川?」


「うん。道路の下に、ある。お願い」


「は、はい!⋯⋯でも、倒せるんですか?病気って言ってましたし⋯⋯」


「コイツの、正体は、どうでもいい。必要、なのは、斬れるか、斬れないか、だけ。それだけ」


 一歩前へと進んだ沙耶の瞳は殺意に籠っていた。


 そして、ガードレールに跨って、飛び降りた准。


 バシャバシャと鳴らした川は冷たく、上からは空気を殴るような豪快な音が響き渡る。


 焦る心と大量の死骸が道を譲るように掻き分けられていき、遂にその筒を視界に収めた。


  ━ ━ ━


 嶺二は公園を探していた。


 そう、言われたまま探しているのだ。


 茂みを探し、ベンチの下や滑り台の中から砂場を掘ったりと手を尽くす。


 けれど見つからない。


 見つからないので、諦めたようにベンチにへたり込む。


「はぁ〜ねぇな。黒の筒と白い紐?だって⋯⋯目立つもんなぁ。こん近くのガキ共にぶん取られたかなぁ?」


 スマホで准に連絡を取ろうと操作してメッセージを送るも、一向に返って来る事は無く、モヤモヤもした気持ちは募っていく。


「なんで返事が無いんだ?」


 頭を掻いて、「仕方ねぇな」と面倒臭いといった様子で立ち上がった嶺二。


 二人の向かった方向へと、脚を動かしていく。


「全く、なんで出ないんだよぉ〜」


 スマホをポッケに入れて、トボトボと歩く彼からは傍から見れば哀愁すらある背中を見せていた。


 そんな彼は見た。


 街灯に揺らめく、一つの横たわる何か。


 転がるように、物のように置かれたそれ。


 長くも太くも見えるが、距離的にまだ遠く、全容を正しく確認が取れない。


 嶺二は不審な面持ちで脚を止めて窺っていく。


「⋯⋯⋯⋯ん?」


 目を細めて、様子を伺うも一向に動く気配も無ければ、コチラに反応するといった事もない。


 歩幅は小さくなっていく中、近付いた。


 何故か、高鳴る心臓と震え始める脚に意味を求めようと思考は加速する。


 喉を鳴らして、その転がっているものに近付く嶺二は手を伸ばそうとして、動きを止めた。


「あ、あぁ⋯⋯人?!」


 置かれているものが倒れている人だと分かった時、一気に顔色は冷めていき、座り込んでしまう。


 声を掛けるか、警察と救急車を呼ぶか。


 その二択を迫られた結果、彼は後者を取る事として、スマホを操作していく。


「⋯⋯何があったんだよ⋯⋯アイツら大丈夫なのか?」


 人の死体を初めて見た。


 だからこその動揺が手を震わせて、スマホを落としそうになって、二、三回程、手でお手玉のように弾ませながら、何とかキャッチした嶺二は倒れている人とは反対方向の方角を向いている。


 そこに曲がり角。


 フェンスで駐車場を囲んでいるその場所から見える死体の山。


「⋯⋯え?」


 数にして八人。


 駆け寄る事は出来ず、スマホを操作する事も止まってしまって、呆然と眺めるだけの彼は恐怖で後ろへと後退していく。


「⋯⋯⋯⋯」


 口は固く閉ざされ、汗は身体を汚す。


 振り返って、走り出そうとする身体はぎこちなく、涙が流れそうになるのと、嘔吐を促す不快感が腹部から込み上げていく。


 スマホは手の中。


 震える身体は後ろへ、後ろへ。


 そして、見た。


 落し物の捜索をした二人が向かったであろう方角とは真反対の位置。


 准の家がある方面に苦悶の表情で倒れ込む人の山を。


 老若男女問わずの遺体の数。


 前にも遺体、後ろにも遺体。


 唖然となって、膝から崩れ落ちる嶺二は頭を抱え始めた。


「お、俺。なんで気付かなかったんだ⋯⋯。なんだ、これ?なんだよこれ?!」


 道端に倒れる人と犬猫。


 そして、ただ一人の生存者の如く座り込んで、状況に恐怖する嶺二は泣いていた。


全体的に短いのが笠辺先輩編ですが、重要な回でもあります。


お話全体で見ればですがね。

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