お人好しは巻き込まれる
新章です。
キツイ話ばかりはあれなので軽めの話です。
今回語るべき主役は【病】である。
人間に問わず、様々な生物がその身に、心に患うものの総称。
怪我から発症したものもあれば、精神的疾患や先天的に持っている者までおり、白い毛に赤い瞳と有名なアルビノもまた、遺伝子性疾患と呼ばれたれっきとした病であり、個性である。
さて、そんな【病】に向き合う事が常日頃の、ある街のある病院で『大変な事が起きてしまった』のだと、気が付いたのは何処の誰だろうか。
切っ掛けは単純である。
「治りが早いねぇ。若いからかなー」
そう言って頂ける有難い眼鏡をかけたお医者様だ。
しかし、そんな医者が部屋から立ち去って退院の手続きが着々と進んでいく中、本人に言うでも無く、たった一人の個室で、腹の底から声を出した者が居る。
「⋯⋯三日で骨、くっ付いてる?⋯⋯。さてはあの医者、ヤブか!」
その少年の回復能力が異様に早かったのだ。
それはもう信じられないぐらいに。
だが、悲しい事にこの少年・桐江准は全くもって普通の人間である。
実は古武術を習っていたとか、神様にすら敬愛されて加護を持っていますや、触れただけで何でもかんでも壊せる異能持ちという訳でも無い。
本当に平凡な少年であり、交通事故で生きていたのも偶然の産物と結果によるものが大きい。
だが、現実として少年の身体は交通事故でバッキバキのボッロボロであり、脚の骨に至っては粉砕骨折で腕の骨は僅かに筋肉が突き刺さり、治療も困難を極めており、頭からも大量出血で肋骨も突然砕けて、臓器も萎み切った梅干し状態。
それでも入院生活から早三日、准は既にラジオ体操からスクワット、なんならジョギング程度ならば問題ない所まで回復していたのだ。
「⋯⋯一体誰が治したんだ⋯⋯。はっ!まさか!神様が日頃の行いが有頂天の絶頂に位置している僕に微笑みかけて⋯⋯。いや、無いな。神様基本、糞だし。なんだったら呪いかけてくるまである」
テンションはまさに乱高下。
ジェットコースター張りの昂りと急激なまでの冷めは准をベッドへと寝かせていくのであった。
少年は考える。
『どうすれば、テストを受けずに済むのか』を。
馬鹿な事に加えて、逃げられない筈の学生の宿命は、負った怪我へと託そうとしていた准だったのだが、怪我は既に完治寸前。
「仕方ない、明日。考えよ〜」
そうして、締め切った窓と涼しい冷風の風に当てられて、少年は眠りに着いた。
そして、明日はやって来る。やって来てしまったのだ。
「君、もう退院出来るよ?」
「はぇぇ〜」
そして、現在。懐かしくも感じない自宅に居る。
「あれ、おかしいなぁ⋯⋯。僕は病院に二時間前には居たはずなんだ⋯⋯。あれぇ?」
待ち惚けを食らって数時間経った情けない男のように准も今、玄関で立ち竦んで靴を脱ぐ。
「どうしよう⋯⋯やる事無いんだよなぁ」
そんな事を呟いて、嶺二に持ってきて貰った服を脱ぎ、ソファに座り込んでテレビを付けて時間を潰す事にする──筈だった。
「あ!」
忘れていた事を思い出して思わず発してしまった短い単語。
本来ならば、木曜日の段階でやっていなければならない事であり、大切な事。
急いで外行き用の服に着替え直した准は、ある場所へとそそくさと向かうのであった。
アパートを出てすぐ近くにある通学路の途中に舗道されている細く狭い小道へと脚を運び、更にそこから舗道が為されていない雑木林を進んでいく。
強い日差しは木漏れ日として少年の身体を当てていき、無風の静寂が流れる道を足音は嫌なぐらいに耳に通り抜け訪れた。
そこは雑木林がもうすぐ終わろうかという箇所にある。
敢えて雑木林の林方面へと横断して、一メートル程の石造りの段差を数箇所降りてから、道半ばに石造りで舗道された人一人分の道を歩く事、十分経過した。
神鏡と三方が人が三人分乗れる程の石に置かれ、紙垂が括り付けられた注連縄とその中心にある『祠』が存在する場所へと少年はやって来た。
街の住人は此処を『象願林』と呼び、大洲藍莉が見えなくなった日の早朝もこの『祠』に来ていたのだが、准がそこに通うのには理由がある。
それは至ってシンプルでかつ多少迷惑な話、この御札が貼られた『祠』に封印された『中の者』が酷く寂しがり屋なのだ。
中に眠っている『翡翠色にも似た象』はゴールデンウィークに意図しない偶然で准の命を救い、褒美として見聞きした事を定期的に話すという約束をしているのである。
そして、律儀に准が付き合うのにもちゃんと理由が存在していた。
『祠』の封印は解こうと思えば何時でも解けるらしく、解けたが最後、この街は恐らく終わるのだと豪語しており、それを聞いた准もそれを確信している。
脅迫にも似ているものの現状、話相手も視認出来るのも准ただ一人に限られている為、渋々付き合っているといった感じに近いが、そこはぐうたれずにいる。
それでも文句の一つは当然出てくるものであり、少年は手を合わせて、流れるように瞼を閉じて祈る。
『出てくるなよ』と。
日曜の空気はヤケに暑く、目を閉じている間、准の身体をまとわり付くように熱気が篭っていた。
それが急にスンッ!と熱気の真反対の冷気が籠りだし、徐ろに瞼を開ける。
「虚象。待たせてすまないな」
『遅すぎる⋯⋯。遅いプォォォォォン』
鼻から水飛沫を吹き出して、金色の瞳と胴体に彫られた数文字の白く光るエチオピア文字と緑の体色。
これが、『翡翠色に光る象』であり、寂しがり屋の象なのだ。
『して、何用で遅れた?』
何処までも一片の余地も無いほどの白一色の世界。
それでも地面は僅かな冷気が漂っており、一人と一匹の影は距離を詰めていく。
「感情の緩急どうなってんだ。酷いぞ?」
『酷いとはなんだァ!最後に来たのは一週間前。今日までどれほど待ったものか⋯⋯』
誕生日プレゼント待ち遠しくしていた子供のように甲高い声が上がった。
残念ながら、子供というには年老いて、見た目もサイズもとてもではないが幼さは微塵も感じない。
「虚象くんさぁ、付き合って拗れ始めた彼女じゃないんだからさぁ〜。ちょっとは余裕もてよ?」
『おい!貴様、無礼だぞ?』
急にスン、と低くなった声に身体は硬直する。
何度も言うが桐江准はナチュラルボーイであり、至ってシンプルかつ普通かつ平凡かつ一般的な少年。
見上げなければならない象相手に調教出来る手立てを持っている訳でも、逃げ足のプロという訳でもない。
某ハンターに見つかれば、三十秒以内に捕まって報奨金もすぐにオジャンというもの。
面白さの欠片もないのは目に見えている。
それが桐江准クオリティなのだ。
そんな平凡な少年を見下ろすは『翡翠色に光る象』ことヘンテコ象なのだが、鼻を高らかに上げて口を開ける。
『私はメスだプォォォォォン!!』
(⋯⋯今なんて?)
衝撃の事実とは思考を停止させるに至る。
カルチャーショックに陥った准はポカンと口を僅かに開いて感情豊かな象を見上げるのみ。
空白の時間が終わったのは、冷気が脚を凍えさせようと肌を冷やした時である。
驚愕の真実と身体に走る悪寒が脳を再起動させた。
「⋯⋯え?!お前!え?!女だったの?!」
『そうだ。だから、『私』と自身をそう呼んでおるだろ?分からなかったのか?』
「分かるかぁぁ!!世の中にゃ『私』を使って普通に働いてる社会人だって居るんだよ!」
『私は人間では無いから知らん。⋯⋯して、准坊よ、話を聞かせてくれないか?』
「んん⋯⋯。まぁ良いけど」
こうして、『翡翠色に光る象』こと『虚象』のビックリドッキリな新事実を知った准は、彼──以後は彼女に直近で起きた『現象』の話をした。
大洲藍莉の事。
時間を戻って解決した為、遅れた事。
そして、彼女が出来た事を。
虚象は准を自身の胴体に凭れ掛からせながら、その話をただひたすらに聞いていた。
なんの相槌もなく、ひたすらに黙々と。
耳が時折動き、鼻を准に巻き付かせるも抵抗する様子もなく優しく手で擦って、顔を見合わせる。
その少年の表情は憂いもなければ、手遅れとなってしまった懺悔の念も何もない。
だから、『虚象』は微笑む。表情に大した変化はないが、それでも微笑んでいるのだ。
そして、准が語り終えたと同時に彼女は顔を上げる。
『大事ないようで何よりだな。流石に契約者と言っておこう』
「それはどうも。まぁ、僕としては、お前の存在を維持するだけの仮初の契約だから、あんまし誇大して、言えるもんでもないけどな?」
『それが助かっておると言っている』
鼻を頭に乗せる虚象。
以前の准ならばそれを怖がっていた行動も慣れ始めた事で素直にそれを受け取っている。
象と少年だけの空間。
そんな虚象に多少の同情もある准は鼻を手で擦りながら虚象の顔を見た。
「あのさ、こんな事言うのもなんだけど、朝倉さん辺りに虚象の居場所とか作って貰うように言ってもいいんじゃないのか?寂しがり屋なんだからさ、もうちょっと──」
『駄目だ!少なくてもあの男には手を借りない!』
「なんで?」
『あの男、あろう事か私の鼻をジャイアントスイングで投げ飛ばして、綺麗で麗しい私の腹に拳を叩き付けて、風穴を開けた前歴がある!あんな奴に頼むぐらいなら准坊と心中する!』
「やめろおぉ!!折角、僕にも彼女が出来たって言ったろ!?死ぬのなんてゴメンだ!」
あくまでも自分が死ぬのはゴメンという、ちゃっかりな物言いをしていたのだが、『虚象』はそれに気付かない。
『准坊こそ、男を見せろ!これでも神の系譜の者との心中。悪くない提案だと思うが?』
准が本人──本象に聞いた限りでは、『虚象』は神の血が混ぜ込まれたれっきとした神なのだとか。
祭り上げられた訳でも、仕立てあげられた訳でもない。
れっきとした由緒正しい神であり、下界に残った最後にして、寂しがり屋の神。
「生きた時代の違いだな。昔は兎も角、今の時代、そんな事で『はい、喜んでーー!』ってならないんだよ」
『世知辛い世の中だ⋯⋯』
真意から悲しそうな口調で今世を憂い、鼻が白一面の地面に着いてしまう。
「虚象?お前、神様の近類なら人に化けるなりして生活しろよ。そっちの方が楽しいかもよ?」
『私は人には化けれない。人を化かす事は出来るがな』
「なんだよ?世の中には、馬や戦艦、刀に細胞や国すら擬人化してるハイブリットな世の中なんだぜ?」
バサッと耳が動き、訝しんだような瞳を准へと向けた。
まるで何か、聞き捨てならない内容でもあったように唸り声を上げて真っ直ぐに見つめる。
『待て、あの矮小な馬が⋯⋯?駆ける事と馬刺しにした活用されないあの馬が?』
「よく馬刺し知ってんな⋯⋯」
『しかし、出来んものは出来ん。何せ、私は人より知能が高いからプォォォォォン』
噴き出された水飛沫は准の全身に降り掛かり、ずぶ濡れにしていく。
髪は濡れて、服も当然濡れる。
それに、少し不機嫌になった准は怪訝そうに虚象を見た。
「水飛沫飛ばすなよ⋯⋯。お前。いつか、脱水症状で死ぬぞ?」
『この空間は精神世界と現実の狭間に近い。脱水症状なぞになるか』
なんと、水源無料の無制限!今なら象の鼻の穴からご提供頂けるスペシャルサービス付き。
さて果たして、誰がテレフォンならぬエレフォンしてくれるのだろうか。
「僕がこの冷えた空間と暑苦しい空間の合間合間で風邪を引いても良いってのかよ」
『馬鹿は風を引かんと言う。つまり、准坊は風邪を引かないという事だ』
「なんだよ?夏頃に気付くってか?僕はそれほど鈍感じゃない」
『ん?何を言っておる?『馬鹿は風邪を引かない』ということわざは文字通りの意味なのではないのか?』
訝しむ『虚象』に対して、やや自慢気な准。
珍しくマウントを取れてしまえる事に、胸が高鳴っていく寂しい少年。
表情に出さないようにと心掛けるもこの少年、顔に出やすい部類であり、口角は僅かに上がって頬に緩みが見受けられるのであった。
「違う。『冬に引いた風邪が鈍感のせいで夏頃になって気付く』って事だ。まぁ、春から秋でもなんでもいい。つまり、遅れて気付くって事だ」
『な、なんだプォォォォォン』
「飛ばすなぁぁぁ!」
白一面の世界に少年の叫びは鳴り響く。
象の鳴き声よりも高く、長く。
━ ━ ━
日曜日に雨模様は様子はない。
天気予報のお天気お姉さんすらそう言っていた事を准は病室に備え付けられていたカードを挿入して観る事の出来るテレビで確認済み。
そんな贅沢バンザイな准は現在、雨に打たれたようにずぶ濡れである。
あまりにも早すぎる着衣泳をした後のように『祠』と向き合うようにして立っている准。
あくまでも『精神だけが飛んで会いに行く』と説明されていたにも拘わらず、結果は服までびしょ濡れのままであり、遣る瀬無い気持ちをグッと堪えて、帰る事とした。
都合の良い事はそう簡単には起こらず、都合の悪い事は簡単に起きる。
現実は非情に埋め尽くされていた。
「アイツ、覚えてろよ⋯⋯」
悪態をつくように膝辺りまで伸びた草っ原を掻き分けて行き、歩道にまで横断するようにして戻って来た准は、ふとした気持ちで近くにある公園を見た。
その公園は、ミニ藍莉が精神的に幼くなってしまった際に嶺二に存在を確かめた公園でもあり、約束をした場所でもあった。
「⋯⋯結局、遠出は出来なかったな」
ちょっとした後の祭りを今更悔いている少年は、既に懐かしさすら感じているベンチを眺めていた。
すると、そのベンチを付近をキョロキョロと紺色の髪をした女性が見回りだす。
流石にここで、長々と見ているのもおかしいと思い、その場を後にしようとする准なのだが──途端、足音は接近し右手をガッシリと掴まれてしまう。
少年は嫌に恐怖耐性だけが身に付いてしまい、腕を掴まれた程度では動じたりはしない。
(⋯⋯おかしい)
そう思わざるを得ない准は苦い顔をした。
しかし、流石に事態の把握に時間は要する。
その腕を掴んだであろう人物を一瞥して、また前を向き直り、抵抗と抗戦の末、無理矢理引き摺られて先程まで眺めてベンチに座らされたのだった。
「君、私の後輩、だよね?」
「いえ、貴女のような先輩を持った覚えがないです」
先程ベンチでキョロキョロとしていた女性の言葉を跳ね除けるように一蹴。
黒と白の肩が出ている縞模様のセーターに赤のスカートに黒のニーソックスに黒のブーツ。
まつ毛が長く、綺麗な顔立ちをしているのに、何処か無機質にも見える表情は、本能的に准の身体を引かせてしまう。
「探し物、して?」
「嫌です。帰らせてください」
「ありがとう。貴方はこっち、私は、ここを探す」
「ちょっと!聞いてくれませんかね?!マジで貴女、誰ぇッ?!」
「私?私は、私だよ?」
「おかしいな。会話のキャッチボールにナックルは要らないんだよな⋯⋯」
直球、良くてもカーブがスライダー辺りが『ナイスピッチ』と言える範囲内の准には、未知の軌道をするナックルは対応外。
「ナックル?⋯⋯あ!アシタカの相棒の?」
「それ、ヤックル」
「掃除した後に、するベトベト」
「ワックス」
「海外の、斧」
「アックスゥ〜」
「思いっきり、パンチ」
「それ、殴る⋯⋯。因みにゴーグルでもない」
「⋯⋯君、エスパー?!」
僅かに目を見開いて、驚いたような仕草をして身じろぐ女性──だが、表情にあまり変化が無く、女性が果たして本当に驚愕したのか、していないのかの判断が付かずにいる。
「⋯⋯どうしよう。本当にやばい人に捕まったかも」
「私は、やばいって、名前じゃない。笠辺沙耶。それが私」
「僕は桐江准。後輩って僕に言ってたって事は⋯⋯」
「そう、私と、同じ高校に、君が居る。噂は、聞いてるよ?」
腕を後ろに組んで、何やらグラビアの撮影のようなポージングをしているが、依然。表情は変わっていない。
マネキンとして彼女を置いていても恐らく通ってしまう程。
「噂?」
「頭が、悪いって、噂」
思い切り指を差して一言。
呼応するように差された段階からして『ろくな事は言わないのだろう』と察して身構えていたが、一つの決断を下した。
「帰ります」
それは帰宅である。
ただでさえ、象にずぶ濡れにされた挙句、出会って間もない先輩から罵倒されれば、必然的に帰りたくもなる。
何よりも少年は、一刻も早く濡れた服を乾かしたいのだ。
けれど、女性は逃げようとする──否、帰ろうとする准の腕を再度引っ張り、公園に引き留めようと踵を地面に滑らせながら、准に引き摺られながらも抵抗を始める始末。
「事実を認める事も、一つの、成長ぅぅ」
ようやく見せた顔色の変化は不安げなものであった。
しかし今更、喜怒哀楽を見せたところで事態は既に終わった事のように、迅速かつ徹底的に腕を剥がそうと掴まれた腕を払う。
しかし、往生際が悪い子供のように更に掴み返して、剥がそうとしてを繰り返し続ける。
「すみません。その事実はとうに分かりきってる決定事項なものでしてぇぇーー!ってかなんでこんな力強いの?!この人〜〜〜ッッ!」
「お願いっ。探して、お願い」
「僕じゃなくても良いでしょ?」
「そこに、居たから、探して欲しい」
「無茶苦茶だっ!パシるならもっとマトモな理由作ってください!」
別段何かしらの期待を寄せていた訳では決してない。
けれど、自分にしか出来ない事だと多少なりとも思ってしまうのも自然な事であり、しがみ付くようにして要求する沙耶の意図が准にはやはり分からないのだ。
「駄目?お礼も、するよ?」
「いえ、結構です」
だから、当然のコレも期待しない。
沙耶は身体を引っ付けて、胸を腕に押し当てていたにも拘わらず、それを邪険にする准。
ドギマギの一つでも、本来ならばするのだが、それらは今回は起こらなかった。
少年からすれば人生で初の経験でもある。
「私、アレが無いと、帰れない。だから⋯⋯あ」
「⋯⋯頑張ってください」
執拗いぐらいにしがみ付いていた腕をようやく剥がして、僅かに当たった体温は遠くへと。
その場を逃げるように去る少年の背中は小さく、それを呆然としたかと思えば、しょんぼりとした表情で眺めるに留まった沙耶の表情を見た准は振り返る。
「⋯⋯」
しかし、速歩きで立ち去るようにようにして公園を後にした准は、もう振り返らない事を意識して脚を動かした。
絶対に、頑なな意識と確固たる意志を持って、脚を前へとひたすらに向かせて──。
「迷惑掛けられそうになったのは、こっちだし、別に僕は悪くない」
事実として、少年は一切悪くない。
本当に押し付けのように腕を引っ張られて勝手にベンチで座らされて、寒いコントをさせられたに過ぎないのだ。
「僕は悪くないんだよな⋯⋯」
そう言えば、そうだと思い込める。
ゆっくりと減速していく。さながら考える猶予を自ら与えたようであると同時に、相反して立ち止まってしまう事を否定した。
「帰れないって言ってたけど、まさかな⋯⋯」
目が泳ぎ始めていく。
このご時世に親が子供を締め出しっぱなしなんて事がある筈が無いと思うと共に、悲しそうな表情が蘇る。
ベクトルは違えど、あまりにもいき過ぎた親の行動というのを既に知っている少年。
「ここまで来て、もうアパートも真ん前だし⋯⋯。ここから引き返す理由も、無いし、なぁ⋯⋯」
回れ右は必要ないのだ。
彼女の問題は元より少年には何一つとして関係がなく、今日知ったばかりの先輩の為にわざわざ戻る理由もない。
既にアパートの敷地内、玄関前までやって来た准はゆっくりと腕を伸ばすもドアノブまでには至らず。
俯いて、何も間違っていないのだと、自問自答を繰り返して、正しさを提示しようと言い聞かせていく。
「⋯⋯」
けれど、心に凝りが残ったように──躓いて止まってしまい、動けずに燻り続ける自分に対して、誰かが助けてくれたあの優しさと救済の念を知っている。
知ってしまっている。
ドアノブまで伸びた手は力なく垂れた。
准は今日この日、誓った。
将来的に生まれ変わりがあるとしても、『今のような人間性』には決してならないようにしようと。
そう、心の奥底で誓願するのであった。
━ ━ ━
走る事はしなかった。走る事よりも怪我をせず、余裕を持って来たのだと知らしめたいという、ちょっとした願望を持って、少年は逃げるように去った公園へと再び帰って来た。
「⋯⋯、居た」
時刻的にも既に暗がりが辺りを支配し始めていた。
懐中電灯やスマホといった光源となる類いの物を所持していないとすぐに察せられる。
何故ならば、黒色と紫色と橙色の彩りが広がる夕暮れ時に、一人寂しく公園のベンチから滑り台、ブランコの奥にある茂み等を黙々と探しているのだから、気付かない訳がない。
意を決して沙耶の元へと行くと、最初は気付いていなかったようで准には目をくれずに散策をしていたが、気が付いたと同時に呆然としたのか、何も言わずに探す動作は取り止められて、駆け付けた准を凝視していた。
「⋯⋯」
「手伝います」
開口一番は准から。首を僅かに傾けて瞬きを数度、徐ろにした彼女。
「良いの?嫌、だったんでしょ?」
「嫌ですよ」
「なら、無理強いは、しない」
「嫌だけど、一緒に探してあげない自分も嫌っていうか⋯⋯なんと言うか」
「⋯⋯お礼、何が、いい?」
「いえ、要りません。それで何を探してるんですか?」
「良いの?」
最終確認のように准との距離を縮める。
少年もここまで来て「やっぱりやーめた」と発するほど薄情ではないし、なりたくもないのだ。
「はい」
「⋯⋯このぉぉぉっっ、ぐらいの、長さの黒い筒、それと、白い紐が、括られてる、物だよ」
両腕を精一杯に伸ばして、長さをアピールするものの、沙耶の腕の長さが足りていないのか、それとも本当にそのぐらいなのか。
グゥゥゥッと腕を伸ばす動作に脚をピンッ!と伸ばして身体が斜めに傾く程にその長さを伝えようとする。
それでもやはり、表情は変わらない。
気張る表情も、瞼を閉じるわけでもない。
それを一瞥した准は、スマホの電源ボタンを押して、流れるように明かりを灯した。
「公園で落としたんですよね?」
「うん、そう」
「家に帰れないって言うのは、なんですか?親御さんから貰った物、とかですか?」
「ううん、違う。私の、所有物。代々、受け継いでる、だけ」
「受け継いでる?」
白く光るスマホは沙耶の方へと向かう。
彼女は准を見ずに、地面を覗き込むように屈んでいるのだが。
「⋯⋯あ」
スカートの中が見えてしまった。
そう思ったと同時に、スマホの明かりは身体の正面へと向かい、無かった事にして言葉を待つ。
「⋯⋯⋯⋯」
「私は代々、それを継いで、戦ってる」
「⋯⋯え?戦っ⋯⋯え?」
(戦ってる?何と?厨二病と?おいおい良してくれよ。厨二病は一人居れば十二分だぞ?)
沙耶の言葉には確かに臆面もなければ、恥も外聞も気にしない物言いであり、真剣そのもの。
しかし、表情筋が硬すぎるのか、言い慣れている故に表情を変える必要性を感じないのか。
どちらにしても、少し怖くも感じる准なのだ。
「そう、私は、斬れない物を、斬る。その為に、ここに、越してきた」
「越してきたって何時です?」
「去年の、四月」
「去年か」
納得が言ったのだ。
比較的に学校の噂は学年問わずに流れてくる。
しかし、准は『先輩が新たに一人増えた』という情報を耳にした事が無い。
サッカー部でなんでも情報を引っ張り出してくる嶺二や、直接話さなくても聞こえるほどのお喋りな逸花等が居るクラス内で、情報というのは嫌でも入る。
けれど、まだ准達が進学したての新入生と同時期に学校に来たのならば話は変わってくる。
部活に入ったとしても先輩から、わざわざ『俺のクラスに転入生来たんだけど〜』と話のネタにする理由が無い。
ましてや入部ホヤホヤの後輩相手には言わないのだ。
「去年の、春前に、持ち出されたの、嫌なものが」
「嫌な物⋯⋯ですか?」
「うん。小さな箱の中に詰まった、黙示の、水⋯⋯」
そこまで述べたというのに、ピタリと口噤んでしまう沙耶に思わず視線が行ってしまう。
「ん?」
「君は、知らなくて、大丈夫、だから」
そう言われれば気になってしまうのが性分というものだろう──しかし、言及はしなかった。
去年の時点で既に痛い目に物理的にあっている。
そう、舞喜関連でだ。
何よりも、去年の四月に持ち込まれたという内容からして、舞喜が巻き込まれたその事件と関連性が高いと察した少年はそっとその話を終わった事として心にしまい込む。
「それに、しても、無い⋯⋯。なんで?」
「本当にここで落としたんですか?」
「落し、たよ?」
ただでさえ言葉節々を途切れさせながら喋る彼女が動揺を含んだ区切り方をした挙句、言い淀んだようにも聞こえて不審感が募っていく。
「なんで疑問形?」
「⋯⋯多分」
「え?!多分って⋯⋯」
「実は、ある奴と、戦おうと、して、落としたの」
「⋯⋯」
突っ込んでやるべきか、否か。
どう考えても浮世離れしているのだ。
准とて危険な目や、不可思議な現象には遭遇こそしているが、戦っている訳ではない。
あくまでも『対処』や『解決』をしているだけで、戦闘らしい戦闘はした事がないのだ。
せいぜい取っ組み合いの喧嘩程度のもの。
だからこそ、今目の前で探し物をしている沙耶の『探し物』がマジモノの危ない物だった場合。
最初、准はゴルフクラブでも落としたのかと思っていたのだ。
しかし、『受け継ぐ』と『戦う』のワードと流行りもの好きな傾向から導き出された『探し物』に准は口を開く。
「まさかと思いますけど、探し物って⋯⋯『刀』とかじゃないですよね?」
「凄い。なんで、わかるの?」
「⋯⋯⋯⋯やべぇ人だった」
手に持っていたスマホの明かりは地面に揺らして、唖然とした様子で沙耶を見る。
「はぁ〜」と露骨な溜め息を吐いて、『別の場所を探し、見つけて、明日から他人のフリを決め込もう』と心に誓った時だった。
揺れるスマホのライトは何かを照らした。
公園の入口前、佇む黒い影。
帽子を被り、杖を持った、シルエットのみでは老人のようにも思わせるその人物は准たちを眺めていた。
傍から見れば怪しいのは准達であり、探し物もかなり危険である。
様子見として、一度離れた方が良いかもしれないと判断した准は沙耶の方へと歩こうとした。
だが、准は勘違いしていたのだ。
暗くなり、夜闇に近くなっているというのに、影が誇張して見える筈が本来無いのである。
それに准は一切気付く事もなく、沙耶との距離を詰めて行く。
視界の端が眩くチカチカと照らされる。
思わずにその方向を見る准は唖然とした。
それは、光る粒。
緑にも見えれば、白にも見えるようで、黄色にも見えてしまい、青にも思えるその粒が公園入口前に居る人物の身体を溶かすように分解していき、准達へと突然迫った。
「⋯⋯っ!」
『何か』が起きた。そう判断して、沙耶の方へと急ぎ駆け寄ろうとすると、既に沙耶も似た動作を取っており、思い切り准と沙耶は頭をぶつけて、その粒は二人を包んだ。
視界いっぱいに広がる鮮明な配色達。
身体を透き通って行き、触れている感触はあっても嫌な感覚が全くしないのだ。
波のように流される感覚があるのに、落としたスマホと位置が一ミリも変わらない。
音もなく、純粋に流れるままに身体をすり抜けていく粒達は空へと昇って、消えてしまったのだ。
「⋯⋯なんだったんだ?」
「⋯⋯今の、なに?」
何も起こらない。
ジッと見つめる手脚に異変は感じず、身体を弄っても変化があるようには思えず、入口前に居た老人は既に影も形も無くなった。
「⋯⋯君、大丈夫?」
「え、えぇ。僕はなんとも⋯⋯」
「⋯⋯」
准は今日、初めて見たのだ、沙耶の不安の表情を。
とはいえ、本来不安の表情を促し、させるものではないのだが、喜怒哀楽の要素が欠如したかのような彼女が見せる表情は少し子供っぽくもあり、瞳を僅かに潤ませている。
否、違うのかもしれない。
その意図はすぐに彼女の口から伝わった。
「君、今日は、私の、傍に、居て。危ないかも、しれない」
「え?!いや、そういう訳にはいかないでしょ?」
「⋯⋯分かった」
「⋯⋯なんだ意外に物分り──」
「私が、君の、家に、行く」
「⋯⋯⋯⋯え?」
夜の公園、二人『何かが』起きた。
それを体感するのは、もう少し後になってからだと言う事は、この時の准には分からない。
『馬鹿は風邪を引かない』の本来の使い方のように、日本語は時代と共に使い方や言い回しの変化が如実に変わる言語だと私は中学生の時に知りました。
そして、思い知りました。
『日本語って鬼畜じゃね?』ってね。
かつての日本人は、中華圏からやってきた漢字を日本でも取り入れた訳ですが、後の人間の苦労も考えて欲しいものと悪態を吐いていたのが私です。
『行く』『逝く』『良く』『往く』『去く』⋯⋯多いわ!




