裏道話 凩渚は語る
本筋とは違います。
見なくても大丈夫な外伝的な扱いのやつです。
俗に言う別視点です。
俺は凩渚。
四十真近の警官だ。
とんでもない事件が、奇跡か、偶然か、因縁か、宿命なのかは置いておいて、確かに起きたって話をしたい。
このイカれた街で、今日も何かが起きたんだ。
捜査第一課に所属している俺が最初に見たのは、女性が家で殴り倒されている所──ではない。
その家の散乱具合とその旦那と思われる人物の狂気地味た瞳だ。
ハッキリ言って『イカれてる』と、そう誰もが思って事情聴取を別の担当に任せて、部屋に入ると、子供が少なくても二人住んでるという形跡があったが、その子供が何処に行ったのかは分かっていない。
これはまずいと思った俺ともう二人の人間で捜査を進める事としたんだ。
「それにしても、酷い有様ですね⋯⋯。よく住んでられるな」
「口を慎め、有森。軽々しく家庭事情には首を突っ込むな。誰にとってはお前の家もゴミ屋敷かもしれないんだぞ?」
「えぇ、あー、さーせん。小賀木さん」
俺も一瞥はした。
有森の言いたい事は分からなくもないんだ。
何処にでもある散らかった衣服に、穴の空いた床と壁には血痕。
そして、リビングに置かれた机には酒瓶とツマミが有り、床には何故か箸が転がっていて、虫が集っていた。
ゴミはそこら中にあり、ドアに取り付けられている硝子は砕けて筒抜け状態。
ダイニングテーブルには何も無く、キッチンはまだ洗い物をしていないからなのか、それとも放置が前提なのか食べ終わった食器がシンクの高さを超えて一杯積まれている。
「まぁ、こりゃ酷ぇわな」
カッスカスの俺の声は有森と小賀木に聞こえないように小さく、少し同情的だったと思う。
自覚があるのはさておいて、こういった状況をしてしまったのは母親か、それともやはり連行された父親か。
それだけは気になった。
「見たところ、この酒瓶で殴ったんですかね?」
「鑑識がそう言ってんだろ?」
「いやぁ⋯⋯疑っちゃって」
「はぁ〜、まぁいい。それよりも凩。見渡した限りでは、この家に住まう子供の内、一人は高校女児ともう一人は小学男児だ。早く見つけてやらねばならない。急ぐぞ?」
「急ぐって、二階か?もう見たろ?」
「それでも、行方が分からないから行くんだ」
「はいよ」
ギシギシと階段の踏まれる音は耳を通過して、蜘蛛が壁に張り付いているのを一瞥しながら二階に上がった俺達。
「⋯⋯特に変わった様子無くないか?」
まずは最も階段から近い部屋を捜索している俺達は二段ベッドが設置されている、恐らく子供用の部屋なのだろう。
机は奥に高校生の女性が使用してると思われる机、手前左側には下の子で男の子が使用していると思われる机があった。
比較的に姉のは綺麗に収まっている部類であり、弟の方がまだ幼いという事もあって物が、床や机に散らかされている。
「うわぁ〜、このゲーム機!」
「ん?なんだ?」
「懐かしい!このゲーム機、十年前の奴ですよ!ひゃ〜、今時の子でもやるんだ」
『どう考えても違うだろ』とは、言えなかった。
ゲームのカセットが一つしかないのと、既にそのゲーム機は縦にヒビが入っており、修理を頼まないと動かせそうにはなかった。
それでも机にあるという事は、期待して電源を何度も付けようとしていた可能性もあったという事で、ドリルよりも上側に置かれている所を察するに、直近までゲーム機を弄っていたのだろう。
「流石の子供達は親御さんのように部屋を荒らす性格では無かったらしいな」
「あんな散乱具合で習おうとはならないっしょ?」
「それでも、影響は受けるものだ。子供は特には」
「はぁ、そっすか」
「⋯⋯バスケットボール部か。懐かしいな⋯⋯ん?何だこれ?」
姉の勉強机。
その机の上に設置された立て置きが出来る棚に置かれた教科書。
その教科書と教科書の間に隠すように置かれた小さな本がそこにはあった。
「これは⋯⋯、日記帳か?几帳面というか、今時珍しい」
封でもしてあるかのように、ボタンで留められていたそれを開ける。
間違っても、プライベートの詮索のつもりはなかった。
親御さんの為人を知る為と、遠くに行ってしまって居るならばその場所が記載されている事に賭けて、開けただけの事。
調査にも時間はあって有限。
捜索できるならしておきたいのだ。
「なになに⋯⋯」
どうやら、この日記帳は第三冊目らしい。
そして、始まりが三月であり、途中で止まっているページから計算して、最終ページへ到達するのは7月頃。
四ヶ月を二冊と途中で止まっているのが一冊。
十ヶ月分は続けていた事になる。
「しっかり者だったのか⋯⋯。だとしたら、親御さん達から弟と一緒に逃げて、外に行ってる可能性も高いな」
その可能性に賭けて、日記によく行く場所や親には知られていない場所を見つけようとするも、どれもアテが外れていた。
しかし、一つだけ変わった事が書いてあった。
『四月八日
例の子のお兄さんとクラスが一緒になった。
どう接して良いか、分からない事も大きいというのもあって、話し掛けずらい。
けど、言ってしまいたい。
「貴方の妹さんのせいでウチの家族は滅茶苦茶になる切っ掛けをくれた」って。
完全に皮肉だけど。
けど、それがお門違いというのも知っている。
彼は今日の始業式にも遅れて来ていた。
怪我をしている事もあると友達から聞かされた事もあるけど、何をしているのか、どうしてそうなっているかの詮索は敢えてしない。
聞いた話では妹さんは今も入院中で彼とその妹さんはご両親から離れて暮らしているらしい。
良いなと思ってしまった私は本当に正常なのかを疑った。
弟が小学へと上がった事で送り迎えはいらなくなって、自由な時間が増えた。
やりたい事がないという点を除けば、それはそれで嬉しい事で、バイトもして皆と遊びに行ければそれだけ良いとも思う。
部活終わりの帰り際、彼と鉢合わせた。
何か、困った様子で外に飛び出して、一目散と鞄を揺らして校舎の外へと向かって行ったが、何をしてるのだろうか?
跡をつけて見ると、既に何かは終わったらしく、同じ制服でリボンの色の違いから一年生の子と何か話している様子を見た。
泣き崩れている彼女に対して、彼が一言だけ。
「良かったな」と言って去ろうとして、その去ろうとしている方角が私の所だったから、慌てて隠れた。
そして、見てしまった。
嬉しそうに、何かを眺めている姿を。
それがとても羨ましいと思えた。
思えてならなくて、つい出て来てしまった。
隠れていたのに、出て来てしまって驚いた様子で私を見る。
結局、彼は「暗いから夜道は気を付けろよ」とだけ言って、さっさと去って行ったけれど、あぁ言う何気無い言葉が出るのが彼の美徳なのだろう。
私ももう少しだけ、彼を見る視点を変えてみたいと思ってしまった。 』
「⋯⋯⋯⋯惚気?いや、それよりも『例の子』ってなんだ?誰の事だ?」
『家族が滅茶苦茶になった』と書かれているようで、皮肉とお門違いという点から見ても、関係はあるのかもしれない。
そう思っていた時だった。
一つの悲報が飛び込んだ。
━ ━ ━
どうやら、居眠り運転によって二人の尊い命が去った。
一人は道路の真ん中で頭を強く打って、今も意識不明の重体。
もう一人は車に押し潰されるようにして亡くなった。
ハッキリ言って、見るに堪えない程に凄惨な結果なのだと、現場を見て思う。
何が酷いって、庇ったであろう姉は写真で見た姿とまるで違いすぎているらしい事と守ろうとした弟は今も意識が混濁しているという事。
こんな結末誰が良いって言うかよ。
そんな時だ。
救急車に運ばれる弟と遺体袋に詰められた筈の姉。
俺は確かにそう聞いた。
それが一瞬、弟が建物から覗いているようにも見えてしまった。
視界の端っこで一瞬。
正直に言えば確信はなかった。
何故、弟だと思ったのかも、何故それが男の子で子供と思ったのかも。
不可解なこの街はいつも俺を驚かせる。
最近は『緑色の象が街を駆け回った』とも聞いたし、その前は『炎がタップダンスで人を燃やした』って噂まで流れている。
変質的過ぎるこの噂は何が事実で何が嘘かを正しく見極めなければならない。
そう言えば、一年前にもこんなのあったな。
『低くて重低感のあるラッパの音が鳴った』とか『角を生やした化け物が空から降りてきた』とかなんとか。
SNSでも動画が上がっていると思っていたが、何故か皆この手の話題になると動画を撮らない。
普通、違くないだろうか。
むしろ、若者なら率先して動画回すだろ。
写真も撮るだろうに、何故か。
何故なのか、一年前のそれは全くと言ってもいいほどに何も残らなかった。
噂とちょっとした小話と僅かな怪談と不思議なお話として残っただけ。
これ、警察沙汰か?案件超えてないか?
もしそうなら、俺、警察辞めようかな⋯⋯。
頭を掻き、「クソだな」と悪態をついた俺は署へと戻った。
そして、不可思議は起きた。
俺は、再度昨日の事件があった現場に向かった。
大洲家へと。
けれど、何も変哲の無い普通の家庭が繰り広げられていて、父親も居る、母親も居る、弟も。
姉は⋯⋯居ないのだが。
どういう事だ?
「アンタ、署から抜け出したのか?」
「はい?所?何言ってんです?」
「⋯⋯」
嘘を吐いているとは思えなかった。
勘か洞察か、或いは期待か。
その時、服の裾を引っ張られるように感じた俺は振り返った。
けれど、何も居ない。
正直、君の悪さが先行して、病室へと向かった。
既に病院へと運ばれた弟の方を見に行く為だ。
「⋯⋯あぁ⋯⋯」
居るのだ。
やはり居る。
マスクを口元に当てられて、心電図は今も少年の鼓動を測定している。
「馬鹿な⋯⋯。何が起きて?!いや⋯⋯え?」
確かに家に居たのだ。
後ろ姿だけだったが、明らかに子供で意識不明の重体となっている母親の呼び掛けの声も聞こえて、そこに『当たり前の日常』が繰り広げられているかのような光景がそこにはあったんだ。
「どうなって、やがる?!」
頭がパンクしそうになる。
理解が追いつかない。
俺は署に戻り、間もなく来るであろう有森と小賀木を待った。
そして、彼らがやって来ると俺は急ぎ駆け出して、彼等に声を掛ける。
その表情は相当に切羽詰まった感じに見えたのだろう。
二人は驚いた様子で、俺を見ていた。
「昨日の大洲家の事件。家に、家に家族が居るんだ!父親も!」
「え?大洲家の事件ってなんですか?」
「はぁ?」
「事件が無いのは良い事だぞ?凩。書類と睨めっこばかりだがな」
「え?⋯⋯何言ってるだ?留置所にも居るだろ?大洲──」
「もう休むんだ。凩。お前、夜勤からだったろ?疲れてるんだよ」
「先輩!お疲れ様っす!」
「⋯⋯⋯⋯」
俺は急いで、留置所に居る筈の男の元へと向かった。
幸い、担当している警官は俺に親しげででっち上げの言い訳も聞いてくれる良い奴ではあったから、すぐに入れてくれる事となる。
確かに聞いた筈の男の居る部屋番号。
そして、その部屋に居ると認識しているのに、その男が見えない。
認知していて、認識出来ず、視認出来ないから確認も取れずにいる。
担当の警官に聞いた。
「彼処の部屋に男が居るだろう?」と。
すると、「はい。多分。でも誰だっけな?」と曖昧な返事を返して、中に入っても何も見えない。
「誰もいませんねぇ」
「馬鹿な⋯⋯聞いた番号が違う?いや、記載されてる部屋番号は確かに⋯⋯」
「記載?この部屋に入れる予定の人居ましたっけ?」
「お前!さっきと言ってる事違うじゃねぇか!?どう言う事だ!」
「え?いや、そう言われましても⋯⋯。ここに書かれて居ないんですもん」
「何言ってるんだ?ちゃんと名前と留置理由が書かれているだろう?!」
「え?何処にです?」
「はぁ?」
冷や汗が止まらない。
何を言ってるのか、何が起こっているのか。
どうしてそうなっているのか。
その全てが分からない。
俺は家に帰った。
今日も夜から勤務がある。
早く寝なくてはならない。
そう思っていても、心の騒めきと傷が疼くような感覚が身体を蝕んでいく。
「何が、どうなってるんだ⋯⋯」
事件は起こっていない事となっている。
そう思っていたが、大洲家近くに行った際のご近所の反応を窺った後、話を聞いたが、確かに事件があったようにも思わせる言動をしていた。
では、何故留置所の記載するべき記録は俺には見えて他には見えないのか。
何故、家族は普通に過ごしているのか。
何故、姉は消えたのか。
その全てが闇に消えていそうな感覚が頭を突かせた。
「クソォ、どうなってんだ⋯⋯」
不可思議は信じない。
不理解という人間関係は存在しても、科学で証明出来ないものは無いと信じたい。
けれど、現実として、俺の頭は『異変』に苛まれている。
━ ━ ━
俺は勝手ながらも学校へと向かった。
姉が行方不明となっているのなら、家や学校でも影響があると思ったからだ。
しかし、家は駄目だ。
何かがおかしい。
ならばもう、学校以外無いのだ。
しかし。
「大洲?今日来てますけど?呼びましょうか?」
「え?あ、はい。お願いします」
学校は現在、昼休み。
生徒がグラウンドでサッカーをしたり、教室や廊下で雑談をしていたり、机に向かって勉強していたりしている中、俺は校長室へと案内されていた。
そして、想像とは違う返事が返ってきた。
姉は昨日の晩に亡くなっていて、既に病院の安置所
へと送られている。
それが、その筈がそうでは無いと、担任の口から軽く言われたのだ。
担任は戻って来た。
薄らとした彼女を連れて。
「あ⋯⋯」
「あのぉ、なんですか〜?」
「あ、いや」
なに、『見蕩れたら唖然してしまいました』って感じの顔してんだ俺。
違うだろ!
薄いんだよ、身体が!
どうなってるんだ?
幽霊?
いや、ボヤけてるのか、はたまた日差しの影響か。
瞼を閉じて今一度確認する俺は見た。
薄い彼女を。
割り切って、彼女に話をした。
予定になかった事だが、仕方ない。
「君は昨日の夜、何処にいた?」
「え?家ですけど?え?なんですかこれ?」
「いや、家に居たなら良いんだ」
「は、はぁ?」
「あの〜、彼女に何かあったのでしょうか?『近場で事件が起きた』とそうお伺いして此方は協力していますが、どういった事が起きたかは、お聞かせ願えませんでしょうか?」
「⋯⋯いえ、守秘義務があるので、今はなんとも」
「は、はぁ」
校長先生の疑う視線が痛いが、此方としても目を覆いたくなるような事が眼前で起きている。
間違っても俺はおかしく無い、筈だ。
何も得れるものは無かった。
それどころか、学校関係者も俺を不審な目で見られるだけの、俺に損しか無い状況下で学校を後にする。
無駄足にしては大変危険な出来事に遭遇した感覚もして、成果と言うには拙すぎる結果であった。
「この街、どうなってんだぁ⋯⋯。こんな事、他でも起きてんのか?」
だとすれば、『もうドラマでありそうな特殊部隊でも作ってしまえよ』と悪態を心の内に留めて、俺は家に戻り、眠る気も失せた身体は、ネットへと向かった。
サイトで閲覧出来る情報もあながち馬鹿にもできない。
過去の出来事がそう言っている。
情報の基本は目と耳と口だ。
視て、聴いて、喋って、それを誰かに届ける事で情報の信憑性は段違いに上がる。
それが嘘か本当かは置いておいて。
だから、『不可思議な現象を取り纏めたサイト』へと、俺は誘導されるようにパソコンを付けた。
「⋯⋯なんだ?『本を購入していないのに、何故か手元にある。なんだこれ?』⋯⋯何だこれはコッチの台詞だっての⋯⋯」
舌打ちして、スクロール。
「『赤い糸を指に括り付けて祈ると叶うって言われている『空弩害にある小さな神社』に変な影。なんだろう?』⋯⋯お前の影じゃなくてか?⋯⋯なんなんだコレは?」
イマイチ信憑性に欠ける。
そもそも、赤い糸一つで願いが叶うなら、皆がやっている。
やらないって事は真実ではなく、ネタとしての需要が大きいのだろう。
「クソだな」とだけ捨て台詞を吐いて、俺の指に添えられているマウスホイールは下を行く。
「『ある中学で人が変わったみたいに豹変した女子生徒。小学校から一緒だけど、そんな子じゃ無かったから、何かある!』⋯⋯思春期だからだろ?」
「馬鹿馬鹿しい」と目を細めて、俺は遂にパソコンを閉じた。
「時間の無駄だな⋯⋯やっぱり」
何をしているのだろうか。
こんな事する暇あるなら、眠りに着いた方が建設的過ぎるだろうに。
「あ〜あー。どうなってんだぁ⋯⋯」
机にある煙草の箱を取り、俺は開ける。
「ん?ねぇじゃん⋯⋯」
パソコンを操作している間、ずっと吸っていたらしい。
気付かないなんて、相当である。
溜め息を吐いて、俺は近くのコンビニへと向かう。
時刻はもう夕方を回っている。
寝るのは駄目だろう。
起きれない。
コンビニへと足を運ばせた俺は何時もの銘柄を言い、そして帰る。
その時だ。
「なんでも良いけどさ、荷物一個ぐらい持っても罰当たんなくない?」
男の声がした。
若くて、学生服からして、俺が昼間に行った高校の物だろう。
黒髪で、何処か気怠げなら感じにも見えたその少年は誰かと話している。
電話でもしている?
会話的に誰かが近くに居なければおかしいのだが、あれ?
誰か居たような⋯⋯。
いや、一人か。
「君ぃ?さては、あれだな?子供を盾になんでも甘えれば、それで良いって思ってんだろ?良くないぜ?⋯⋯え?止めなって!折角、特売で買った卵を引き摺るなんて行為をしてみろ。僕は生涯お前を恨むぞ?」
誰もいない場所で一人で騒ぐ光景を見ている俺。
「⋯⋯⋯⋯頭おかしいんかな⋯⋯」
俺は反対車線側の歩道を一瞥して、歩いて行く。
そう言えば、何故俺は夕方頃まで起きているのだろうか?
何故、あんなに留置所の事を気にして、学校まで行ったのだろうか?
まぁ、良いか。
明日も朝までか⋯⋯。
あれ?昨日、なんの事件担当したっけ?確か、外には出たんだよな?
━ ━ ━
夜になり、書類を書いて、同僚と当たり前の会話をして、俺の勤務時間は終わりを迎えた。
今日を過ぎれば明日は休み。
気張って行かなければならない。
適当にご飯食って、適当にスマホで連絡確認して、趣味っていう趣味もないから家でゴロリと眠りにつく。
そんな時だ。
夕方頃、何かが砕けた音が鳴って、俺は飛び起きた。
「っな!なんだ!?⋯⋯あぁ?」
急いで、部屋を見回すも、何も変わっていない。
しかし、鐘の音が耳を響かせるのだ。
「⋯⋯結婚式?いや、にしては教会なんて近くにねぇし⋯⋯なんだ?」
外に出た俺は唖然を通り越して絶句した。
「な、な、なぁ⋯⋯」
世界がひび割れている。
呑み込まれるような暗い黒の闇がポツポツと見えて、高速で駆け上がるエレベーターに乗っているような身体が締め付けられるような感覚がやってきた。
「ぅぅ!」
それは光った。
視界いっぱいに広がる当たり前の日常は夕暮れ時の筈の物が白一面に変化して、黒は塗り潰されていく。
それに呑み込まれた俺は目を覆いたくなる程の眩い光に包まれたのだ。
車の音が聞こえた。
人の話す声と、カラスの鳴く声が耳に伝わる。
「⋯⋯⋯⋯え?」
俺は寝ていた。
夕暮れ時の俺の部屋、俺の寝室。
俺のベッドの上で。
急ぎ、起き上がり、身体を確かめる。
異常があるか、何が起きたのかよりも先に。
「どうなってるんだ⋯⋯え?⋯⋯あれ?」
なんだ?なんで俺は大洲家の事を忘れていたんだ?
何が起きて、どうして違和感を持たないで⋯⋯。
飛び上がり、急いでスマホを見た俺はまた絶句した。
「⋯⋯五月⋯⋯九日?はぁ?十一じゃねぇのか?え?何が?は?」
頭は真っ白に、フリーズしたように硬直した。
テレビを付けて見ると、八日にやっていた野球の試合結果とそれを番組に出ている人間が解説していた。
野球を普段見ない俺だが、サヨナラホームランを打った選手が手を挙げて歓声に包まれている場面を新聞で見ている。
その光景と瓜二つの場面が映像として流れていた。
しかも、「昨日の」と強調するような言い方をしていた為、言い逃れが出来ない。
「⋯⋯時間が戻った?どういう事だ?」
「へぇ〜、観測者か?」
「っ!誰だ!」
声の方向へと振り返る。
ベランダの窓を開けて、佇んでいる男が居た。
けれど、戸締りはしていた筈。
何故、開いている?
「ベランダの戸が開いているぐらいで騒ぐな。それ以上の事が起きただろ?おっさん」
「⋯⋯お前誰だ?」
「不法侵入って自覚はあるから言わない」
「⋯⋯俺が警察官だって知ってて入ってるのか?」
「当然だ。とはいえ、お前が警察官だろうと医者だろうと関係ない。伝えるべき事だけを伝えに来た。それだけだ」
「つ、伝える?何を?」
「⋯⋯お前はある程度『異質』に対して耐性があるって事と、『観測者』としての側面があるって事を伝えに来た。何も知らないのは嫌だろ?」
「⋯⋯何言ってんだ?お前?」
「誤魔化すのはよせ。みっともない。大人なら現実と少しでも向き合ったらどうだ?」
「⋯⋯」
確かに、夢ならそれで良い。
けれど、現実では俺は不可思議な出来事に遭っている。
そして、先程見た白い光と砕けたような世界。
何が起こったかは兎も角、眼前で確かに俺は目撃した。
居ない筈の家族と閉じ込められている筈の男の消失と警察官達の不審な言動。
女子高生の半透明な姿。
どれも、異質だ。
「俺にそれを伝えて⋯⋯どうしたいんだ?」
「なぁに、ある場所、ある時間に救急車を一台向かわせて欲しいだけだ」
「なに?」
「事件は起こるって言ってんだ」
目を見開いた。
それを聞いて黙っている程、俺も馬鹿ではなかったからだ。
「だったら──」
「お前が行ったら意味が無い。少なくても、あれは少年の精算の話でもある。お前の意思で子供の意志を踏みにじろうものなら、俺はお前を殺す」
「⋯⋯その言い方は恐喝罪だぞ?」
「なら、逮捕状出せよ?まぁ、世界中が動いても俺を捕まえるのは無理だがな」
「はぁ?」
こいつ、何言ってんだ?
そんな経験でもあるかのような口ぶり。
むしろ、何を食えばそう言えるようになれるんだ?
男は羽織っている黒のジャケットのポッケに手を突っ込んで、何かを取り出して、それを俺に見せた。
なんだコレは?
「紙に指定した場所と時間を書いた。この通りにしろ」
「⋯⋯嫌だと言ったら?」
後ろへと一歩、後退る。
距離を稼いで、電話を使って、通報。
抑えるにしても、武器を持ってるかも分からない。
鞄のような類は無いが、ジャケットの材質が分厚い為かポケットナイフ程度なら形は浮き彫りにはならないのだ。
「⋯⋯⋯⋯その時は、仕方ない」
「⋯⋯」
何をする?
どうするんだ?
「取り敢えず、お前には操り人形になってもらうだけだ」
人差し指を突き出して、手で銃の形をして、少しだけ、人差し指を動かした男。
「な、何を言っ──」
「⋯⋯じゃあ、頼んだぞ?」
「わかった」
「安心しろ、役目が終わったら解ける。その後は勝手に検挙でも嫌疑でも何でも掛ければ良い。覚えていたらな」
━ ━ ━
あれから何故か、俺は署に居た。
いつ出勤したかも覚えていないが、普通にいつも通りだったらしく、突然、何処かに電話を掛けに行き、それから俺は意識を覚醒させたのだ。
「なんだ?何か誰かと話していたような⋯⋯」
「何言ってんすか?凩さん?」
「いや、なんでもない。あぁ、なんでもない」
記憶の混濁。
流石に歳かもしれないと思いつつも、俺はいつも通りの日々を過ごしている。
署に向かい、仕事をして、偶に事件に駆り出される。
そして、戻ってまた書類と睨めっこをして、帰ってご飯を食べて、寝て、また仕事。
辛くないかと言われたら最初はキツかった。
けれど、今は割とそうでもないのだ。
「聞いてませんよ?」
「言ってなかったもの。当然よ」
「いや、あのね?アパート借りる事になったは聞いたよ?でも、普通そこからお隣に住むって聞かされるものじゃない?」
「サプライズの一つもマトモに受けられないなんて、彼氏として情けないわね」
「通院してる奴のサプライズはプレゼントぐらいのもんだ!」
「プレゼントよ。同じ屋根の下で暮らす事の何がプレゼントではないのよ?」
「いや、まぁ、それはそうなんだけど⋯⋯」
「また、作ってよね?カツ丼。今度は味は薄目がいいかな?」
「お前、やっぱり我慢して食ってたのか?!言えって!」
「馬鹿言わないで。そうしたら、『お前が作ってみろよ』なんて言われたらあの時の私じゃ、作れなかったじゃない?」
「逃げたのかよ?!」
「れっきとした計画的逃亡ね」
「行き当たりばったりじゃねぇか⋯⋯」
今日も騒がしい一日が舞い込んでいる。
それでも、こんな何気ない日々を送って貰う為に、俺はこの街で警官をやっているのかもしれない。
そう思うと、まだ、がんばれる気がするんだ。




