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この街は今日も語る  作者: 紫芋
第1シリーズ 大洲藍莉は語る

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6/99

こうして、大洲藍莉は語り出す

まずは、ここまで閲覧していただきありがとうございます。


曲聴きながら書いてる紫芋です。


好きな食べ物はじゃがいもで、好きな色は紺色です。


前回のあらすじを一言で纏めました。


『ヒロイン死んでた。弟は死んだ。』


以上です。


今回で1キャラ分終わりという感じです。


1キャラ毎にある話のオチは私の独断と偏見で決めてます。


それではクソッタレなお話へどうぞ。

 校門前で美羽《みう》が少年に放った言葉はただ一つ。


「放課後、屋上に来なぁさい?」


 どういった用件があるのか少年には全く心辺りが無かったが、取り敢えず頷くだけに留まり、美羽と共に校舎へと入って行った。


 教室に着いたのは三時限目が終わったばかりというなんとも中途半端な時間だった。


 悲痛な涙を見せる顔をしていた准《じゅん》は既にそこにはいない。


 確固たる意思を胸に抱き、教室へと戻ると一人の生徒が慌てたように駆け寄って来た。


「あー桐江《きりえ》くん!いい加減に藍莉《あいり》返してよ〜!」


 言葉を発したのはボブヘアで活発な様子を常に見せる牧原《まきはら》逸花《いつか》であり、大洲《おおしま》藍莉《あいり》の友人であった。


 分け隔てない態度を常にしている桐江《きりえ》准《じゅん》のクラスメイト。


 そんな彼女が発した言葉は一つの鐘の音のようであり、教室に滞在しているクラスメイトは各々のタイミングで視線を浴びせる。


 一種の洗礼でもあるかのようであり、見世物のようであった。


 先程まで当たり前のように彼女は登校していたにも拘わらず、まさかたったの三時間ぽっちで死んでしまっているとはこの教室という箱庭の中では誰一人、夢にすら思わない。


 准が見て聞いた状況を理解出来ている訳もない逸花はグイグイと前に迫り、首を傾げて答えを待っている。


 情け容赦や妥協の類いは一切ない。


 純粋な好奇心と純粋さから成すクラスメイトの表情に准は口を開く。


「⋯⋯なぁ、牧原」


「なに?」


「お前、大洲の事好きか?」


 僅かに目を細めて、うぅぅ〜ん!と唸り声を上げるものの、パッと顔の向きを正すと溌剌な笑顔で言い放つ。


「当然・断然・必然だね!」


 その自信に満ち溢れた言葉に准は胸が締め付けられていく。


 他でもない、桐江准当人が昨日今日とクラスメイトと接していた大洲藍莉を、文字通り塵とさせて、本物の大洲藍莉の環境ですら大きく一変させた張本人なのだ。


 心が痛まないなんて事が、ある訳がない。


 強く握り締めた拳──けれど、すぐにその力は抜けていき、俯いたように床を見る。


 低身長な逸花からすれば、丁度良い程であり、何故自分を凝視しているのか甚だ理解出来ずにいた。


「そうか⋯⋯⋯⋯。僕もだ⋯⋯」


「え?」


 か細く、微風にすら吹かされれば飛んで行ってしまいそうになる程の覇気のない肯定の言葉に逸花は少し驚いた顔を浮かべて、教室の中へと本格的に入ろうとする准の小さくなった背中を呆然と眺めた。


 だが、障害というのは一つでは決してない。


 クラスメイトからの注目を一身に浴びている准にとって、現状最大の敵が産声を上げたように叫んだ。


「オイ、桐江。藍莉はどこ行った?なんで一緒に居ないんだ!」


 待ちに待ったとばかりに勢いよく椅子を後方に弾いた。


 その後ろに置かれた机は掻き鳴らされた金属音と共に、元あった位置からズレて、斜めに向かされる。


 武島《むとう》颯悟《そうご》の威圧的かつ好戦的な視線は他の誰よりも強く、鋭く、鈍く、標的の准へと定まった。


 俯く事も逃げ出す事も許されない。


 彼等からすれば、友人が半ば誘拐のように腕を掴まれ、訳も分からないまま連れて行かれてしまい、連れて行ったご本人のみがご帰還なさって、肝心の連れて行かれた友人に至っては、姿形もないという状況。


 怒るなというのが無茶な話だ。


 今すぐにでも殴り掛かりそうな形相で准の元へと近寄った颯悟は向かい合うように仁王立ち。


 ここで答えるまで一切逃がさないといった状況に、准はゆっくりと颯悟の問いに対して口を開く。


「居なくなったからだ」


 ありのまま起きた事を話す気は准には到底なかった。


 言える訳もない。


 言葉通りの文脈で『察して欲しい』という気持ちと『気付くな』という相反する心境が、さながら我儘な子供のように渦巻き、口にした本人自身が最も胸を穿つ。


 しかし、怒髪天寸前だった颯悟からすれば、期待通りの言葉を貰えてはいない。


 胸ぐらを掴み、体格差がものを言わせる。


「はぁ?お前が何処かにやったんだろ?何処にやったんだッ!」


 脱力した准の身体は颯悟の力により僅かに浮かぶ。


 苦し紛れの言い訳にしては拙すぎて、かと言って丁寧で筋の通った言い訳などされれば、それはそれで腹の立つ今の颯悟にとっては、准は明確な敵でしかない。


「藍莉、電話に出ないんだけど⋯⋯」


「ていうか、メッセージも既読すら付かないってヤバくね?」


 各々が二日前に亡くなった彼女の近況を確かめるべく、スマホを取り出して連絡を取り始める。


 スマホを耳に添えるも着信が帰ってこない事に苦い顔を浮かべる者や、画面と睨めっこをしている者が多数。


 教室内は少しずつ、ゆっくりと騒然となっていく。


 大洲藍莉のスマホは部屋に置きっぱなしであり、充電も切れている事で、既に反応すら受け付けない状態だった。


 僅かにロッカーの方へと視線を向けた准は思わず目を見開き、心を更に穿たれる。


 元の状態に戻った事により、別れた身体《そと》側の大洲藍莉が使用していた物は本物が亡くなった時点で置いてあった位置に戻っているのだ。


 その為、登校時に持って来ていた藍莉の鞄はロッカーの中には置かれていない。


 反対方向にある藍莉の机へと目を向けるものの、机の側面に備え付けられているフックにも当然のように掛かっていなかった。


「ていうか結局さ、大洲さんの鞄どこ行ったん?」


「知らねぇよ。先生が探してんだろ?俺達マジでなんも知らねぇのにさ⋯⋯」


 混乱は准が教室へ帰ってきた時よりも酷く加速し始める。


 既に一部の生徒は、鞄が行方不明である事を切っ掛けに怪しい何かがあると薄っすらながらに察していた。


 未だ、准の胸ぐらは掴まれたままの准は揺らされて、身体には抵抗の意思は表れない。


 否、既に抵抗する気すら起きなかったのだ。


「おい!いい加減に何とか言ったらどうなんだ?!えぇ!」


 激しい怒声は准の耳を劈く。鼓膜が破れてしまうのではないかと錯覚してしまう程であり、近くに座っていた生徒も思わず人差し指で耳の穴を塞ぐ程であった。


 耳鳴りが響く中、抵抗を示さない准の意思は未だ変わらず。


 ただひたすら我儘な子供のように口にする。


「言えない⋯⋯」


「はぁぁ?!巫山戯《ふざけ》んなよ!?」


 青筋が立つ颯悟は、いよいよ我慢の限が訪れた。


 准の身体は颯悟の右手が胸元から離された事により脚が床に着いた。


 だが、離した右手は固く握りしめられて、思い切り前に突き出そうと構え始める。


 そんな逼迫と緊張が走る中、ただ一人、颯悟の右腕を両腕で制止させた者がいた。


「ま、待って待って!」


 睦生嶺二だった。桐江准の唯一の友人であり、理解者のようなもの。


 彼一人、准の様子が登校時以前から、明らかにおかしい事に気が付いており、割って入るように颯悟の一撃を未然に防ぎに入ったのだった。


「嶺二?お前はどいてろ。コイツは殴られなきゃ分からないらしい。俺がどれぐらい本気かを」


「だから、それを待ってくれって言ってるんだ」


 語気が強くなる二人。准の胸元を掴んでいた颯悟の左手に向かって嶺二はそっと右手を伸ばして、准から距離を離させようとする。


 だが、それを簡単に許す事が出来ないのもまた颯悟なのだ。


 そんな抵抗を続けていると、嶺二の方も躍起になり始め、颯悟を睨むになった。


「ムッくん⋯⋯」


 准にとってもかなり意外な光景であった。


 普段、あまり喧嘩や凄みに行くといった行動や言動はしない彼がここまで颯悟に対して圧を掛けにいくのは珍しい事だった。


 お互い膠着したように動きは止まる。


「チッ。わかった」


 颯悟の左手は嶺二の右手に沿うように離された。


 ブレザーの中に着ていた白いシャツはシワが作られており、小さなボタンが外れかかっていた。


 舌を鳴らして何時ものメンバーの居る所へと不服そうな態度を醸し出しながら戻っていく。


 そんな彼の視線だけは、准を決して離す事はしなかった。


 大きく息を吐き、生気が抜けたように茫然自失となっている准の方へと顔を向けた嶺二は顔を覗かせるようにして准の様子を窺う。


 目を細めて、しばしの間が空く。すぐさま嶺二は何かを察したように准の肩に手を置いた。


「取り敢えずさ、なんかあったんだろ?授業サボってでも良いから聞かせてくれないか?」


「⋯⋯でも」


「でも、は無しだ。ほら行くぞ?」


 先導するように一足先に廊下へと向かった嶺二の背を見つめた准は、後方から集まる厳しい視線から逃げるように廊下へと脚を動かす。


 階段を上がる二人。互いから言葉を掛ける事もない。


 アクションと呼べるアクションは嶺二がチラチラと後方を確認して、准がしっかりと着いて来ているかの確認をする程度のもの。


 そんな心配性な性格が露骨に表れている嶺二を確認した准は少し微笑んだ。


 向かった先は鍵が壊れた校舎の屋上であり、既に授業の開始を意味するチャイムも鳴り響き、誰一人としてその屋上には居なかった。


 たった二人で上空にある太陽の煌びやかに眩しい陽光を浴びる。


 先行していた嶺二は准に構わず、建て付けられた緑色のフェンスに凭れ掛かり、背を追うようにやって来た准はそんな嶺二に合わせるように隣に腰掛けた。


 隣で准の様子を窺う嶺二の視線は教室内に居る時に比べても比較的に軽く、圧のようなものは一切なかった。


 純粋な心配と不安からくるものだと、准は気付いている。


 ましてや嶺二からすれば准の私情で授業を丸々一つすっぽかしたようなもの。


 罪悪感のようなものもあった准は自ら口を開いた。


「ムッくん、言っとくけど俺がお前に教えられる事は無いぞ?」


 牽制と言われればその通りではあるが、安易に踏み込むなという警告でもあった。


 巻き込む事を良しとしない准にとって、最も『現象』関連で巻き込みたくない相手は二人居る。


 一人は妹の桐江舞喜。


 もう一人は睦生嶺二。


 つまり、彼である。


 そんな嶺二の心配とは別の意味で心配している准の顔色は酷く衰弱している様子であり、チラチラと様子を窺っていた嶺二からすれば只事では無いと一目で察せられるものであった。


「⋯⋯お前さ、今日様子おかしかったじゃん?」


「僕の様子は常におかしいだろ?」


 自虐ネタにしては軽い部類なのだろう。


 だが、問題は『ネタ』になっていない事だ。


 文字通りおかしい行動を取っている、そう言われても仕方ない活動ばかりをしている准本人からの言葉は事情を知る者が聞けば笑えないものに仕上がっていた。


 だが、嶺二は知らない。准が普段から『現象』と呼ばれる存在と向き合っている事も、昨日今日の出来事も何も知らない『日常側』の人間である。


 その為、彼にとっては准の『自虐ネタ』は文字通りの『ネタ』なのだ。


「まぁな。遅刻は当然のようにするし。偶に怪我してる事あるし、前なんて学生服のまま夜九時に走っててさ。何やってんだろ?って素直に心配したぜ?」


 准の喉がキュッと絞まる。


 罪悪感や申し訳なさは肥大化していく。


(夜九時って⋯⋯ゴールデンウィークの時か⋯⋯。しまった、見られてたのか)


 秘匿性の高い高難易度ミッションを行っている訳では無い。


『現象』なんて存在は、見ない、見ようとしない、見させないの三文句で可能な限り関わらせない方が良いに決まっている。


 今回、嶺二だったからこそ、彼は何も言わず黙っていたに過ぎないが、仮に他の人物が興味本位で准の後を追い掛けて『現象』を目撃してしまったが最後、その存在を色濃く焼き付ける事になる。


『幽霊』と呼ばれる存在は『オカルト』というジャンルに収まっているからこそ『エンターテインメント』として昇華されているに過ぎない。


『UMA』と呼ばれる未確認生物は『未知』であるからこそ興味がそそられるものであり、『既知』にと移ればその存在はやがて廃れるのみ。


『神話の生物』と呼ばれる人知を超えた生命体は『古代の言い伝え』であるからこそ真価を発揮する扱いであり、『現代の生物』となってしまえば人間が得意とするカテゴリーによる識別でジャンル訳されるだけだ。


 認知させてはならない、秘匿であり、寡黙でなければならない。


 ────それが『現象』である。


「それは悪かったな⋯⋯」


「けど、今回は特にだよ。『ランドセル知らないか?』とかもそうだし、急に大洲さん引っ張ってくし。なんにも無いって方が無茶ってもんだろ?」


 微笑する嶺二に苦笑いで返した准の心は一向に晴れない。


 何時までも抜けきらない小骨がズキズキと胸を抉る。


 隠し事なんてものは精神的に負荷の掛かる物事だ。


 グッと堪えようする度に心は痩せこけて衰弱していくだけの行為であるものの、生きている限り、何かしらで嘘を吐くのもまた人生である。


 少なくても、准にとっては現状、その嘘を吐き続ける事の騙していく事のキャパが限界値を迎え始めていた。


 俯いた准に視線を送り、何とかしなければと考え込む嶺二は、更に続けて言葉を発する。


「⋯⋯全部話せって言わないからさ?せめてランドセルの件だけでも聞かせてくれないか?それか大洲さんの腕を引っ張って何やってたかとかさ?」


『赤いランドセル』と『大洲藍莉』の件。


 一見、関係性の無い事柄は物の見事に今日の出来事に関連している事に准は歯を食いしばる。


 胡座をかいて何時までも待ち続ける嶺二は空を見上げて日向ぼっこの真っ最中。


 本当に何時までも待ててしまう嶺二に准は根負けしたように顰め面だった表情は少しだけ柔和となって、ゆっくりと口を開いた。


「───僕さ、ちょっと前に赤いランドセルを背負った子に声掛けられてさ」


「また、物珍しいな」


「あぁ。それでさ、仲良くなって一緒にご飯とか食べたんだよ」


「⋯⋯何処かの店にって事か?」


「いや、俺が作ったカツ丼」


「おぉ!あれか」


 嶺二にも一度振舞った事がある『なんちゃってカツ丼』。


 彼が大絶賛した事を切っ掛けに、知らず知らずの内にまた絶賛して欲しい欲求が発生し、昨日はミニ藍莉にも振舞った事を准当人は気付いていない。


「でも、失敗しちゃってさ。味が濃くなったんだけど、ちゃんと食べてくれて⋯⋯」


「良い子だなぁ。赤いランドセルって事は女の子か?」


「あぁ、そしたら、作ってくれたから皿洗いするって言ってさ。シンクに届かないのに背伸びして洗おうとするんだよ」


「微笑ましいなぁ〜、それは。で、結局皿洗いは准がやったのん?」


「いや。どうしてもやるって聞かないから、僕が持ち上げて皿洗いさせた」


「なんだそれ〜」


 破顔したような表情で話す嶺二とそれに釣られてぎこちない笑みが准の口元から出る。


 溢れ出す。溢れ出していき、言葉は止まる事を知らない。


「ホントに、なんだそれ、だよな。本当に⋯⋯。でも楽しかったんだ。バーガーも作ってら落とした黄身をバーガーに付けて食べてたんだけど、わざわざコッチを見るんだよ?『大丈夫?』って感じでさ」


「あ〜、マナー的なやつね?」


 徐々に嶺二の表情にも余裕がなくなっていく。


 悲壮感が漂っていく。会話が進めば進む程にそれは強くなっていき、抑えの効かない感情は言葉となって発露される。


「あぁ、怖い話もしたし、お風呂に上がった後なんて髪まだ濡れてんのに出てくるし、スマホでサイト一緒に見てるだけで笑うような奴で、一緒に明日遠くで探し物もしようって言ってたんだ!約束だってした!助けるって!でも、駄目だった!僕は何も出来なかった⋯⋯。全部遅すぎたんだ。クソ、くそ、くそぉ、うぅぅ、なんだよ!なんでこうなるんだよ。こんなのってあるかよ⋯⋯」


 抑えていた激流のような波の感情と僅かな自責で保とうしていた筈だった。


 それらは全て決壊していく。


 理不尽な結末と圧倒的なまでの遣る瀬無さが籠った叫びは、広がる晴天へ向かって放たれた。


「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯」


 校内に居る全ての生徒の耳に響いた。


 ある生徒は驚きで身体を揺らす。


 ある生徒の眠りから覚ました。


 ある生徒はただ黙って瞼を閉じて聴いている。


「⋯⋯⋯⋯」


 共感性の強い嶺二の心にも何処か来るものがあった。


 苦い顔は俯き、准の方へと目を向ける。


「⋯⋯⋯⋯悪い」


「────良いよ。こういう事があったっていいさ」


 タイルに向かって拳を叩いていく。


 痛みが自身の不甲斐なさを潤してはくれないと知っていて、少年は歯を食いしばったまま、顔を両脚の間に埋もれさせた。


「⋯⋯その子がどうなったかは聞かないけどさ。お前が後悔しないように、次頑張るしかないんじゃないの?まぁ、捨て駒とまでは言わないけど、きっとお前の事が大好きだったんだろうしさ。ここで立ち直る決心しないと引き摺るぞ?」


 先の人生はまだまだ長い。きっと嶺二の言葉は先を見ればこそのものであり、准にも伝わっていた。


 だが、准は彼女から貰った言葉を知っている。


 受け取った想いは胸に刻まれて、何時までも熱を持ち続けている。


 その熱は突風程度では消化されない。


 深海に沈められようとも鎮火をしない。


 悪逆非道の限りを尽くされ、身悶えようとも残り続ける。


 少年は手放さない。手放す事をしない。


「何言ってるんだよムッくん。僕は引き摺るぞ?永久に、何処までも地獄にだって引き摺って閻魔が呆れるぐらいにはな。次頑張るのも、捨て駒じゃないのも、僕の事が大好きな事も全部知ってる。『当然』の事なんだから」


「当然⋯⋯なのか?」


「あぁ、当然だ」


 そのやる気に満ちた准の身体は立ち上がり、隣に居た嶺二の顔を見る。


「ちょっとは戻ったかな?」


 確固たる意思を貫かなければならない。


 我儘を口にしなければならない。


 ポリシーやルール、マナーといった類いは守って当然の事だ。


 だが、准はこれからそれを破る為に意気込んだ。


 あまりにも自分勝手かつ、身勝手で傲慢の極みのような決断に首を縦に振るかは、准では皆目見当も付かない。


 それでも言わなければ始まらない。


「⋯⋯⋯嶺二」


「ん?」


「土下座の練習をしたい!手伝ってくれ!」


 思わず口をポカンと開き、遠くを見るような目で准を見上げた嶺二は反応に困ってしまった。


 炸裂させなければいけない。土下座という名の日本人が生み出した究極の意思表示を、たった一人の人間に向けて⋯⋯⋯⋯。


  ━ ━ ━


 放課後、担任教師とクラスメイトからそれぞれに呼び出しを食らうものの、それら一切をスルーすると決め込み、屋上へと駆けて行く。


 一方、早めに屋上へとやって来て居た美羽は絶賛待ち惚け中であり、夕焼けになりつつある空を呆然と眺めながら先輩こと准を待っていた。


 気付けば視点は屋上の出入口の扉ではなく、空を飛ぶ烏の方へと目移りしていた。


「おそ〜い⋯⋯怠〜い⋯⋯カラスが四匹、カラスが五匹、カラスが六匹、死んだカラスが七匹⋯⋯⋯⋯遅くない?もっと早く来れでしょ?なんで来ないのよ!あぁぁぁあ!」


 腹に据えかねる感情をを吐き出すように、大声を上げていると、扉が大きく音を掻き鳴らしながら駆け出した少年はようやくやって来た。


「⋯⋯あ!おそ⋯⋯げぇ!」


 顔を引き攣らせた美羽は驚きの声が漏れた。


 それもその筈なのだ。


 到着したばかりの准は美羽の方へと大きくジャンプしたかと思えば、身体を駒のように右回転し、徐々に屈むような姿勢となっていく。


 美羽の脚元付近まで准の身体は滑っており、回転が収まりだすと、今度はブレーキ代わりとばかりに額をタイルに着ける。


 回転しながら、頭を着けているその様子はまさに情けないにも程がある光景であり、頭のおかしさが頂点に達した者のそれであった。


 差し出された頭頂部、その目の前には美羽の脚がある。


 完璧な角度、位置へと土下座を完遂した准は大声で言い放った。


「頼む!俺を二日前に戻してくれぇぇ!」


 それは本来ルール違反であり、准本人も美羽当人に固く禁じた行為だった。


 その禁忌を、戒めのような約束を言い出しっぺの本人から破ろうとしていた。


 その意思はダイヤモンドよりも固く、それを証明する為の手段として選ばれたのが准の十八番である『土下座』である。


 目が点となって、土下座している准を瞠目していた。


「いや、待って!え?⋯⋯⋯⋯それより、今の何ぃッ!!」


「土下座シリーズ第七だ」


「七もあるの!」


「いや、八ある」


「⋯⋯なんですって?!」


 驚愕は必然の事である。


 何せ、土下座にバリエーションがある事そのものを知らない美羽からすれば天地がひっくり返るような情報とそれを会得するまでの執念を感じたからだ。


 そして身体は自然と震えてしまうほどに『馬鹿』だと、そう認識せざるを得なかったのであった。


「お前、それ普段はいつ使うの?」


「主にエイリアンに会った時ですぅっ!!」


「え?!宇宙人実在したの?!」


 雪崩込む新情報は美羽の脳を圧迫していく。


 否定は決して出来ない。美羽とて『現象』の存在を認知したのは今年の四月頃。


 つまり、生まれてから十五年経って、ようやく認識出来た事なのだ。


 新たな発見は常に突然であり、偶然が齎したものですらある。


 その偶然の中には『エイリアン』が居たって不思議ではないのだ。


「そんな事より──」


「そんな事?!私はむしろ、宇宙人について語り合いたいわよ」


 興味は一気に『宇宙人』へと突き進む。


 脳内トレンド第一位、トップ記事を大々的に冠している『宇宙人』に美羽は事欠く事は決してないだろう。


 しかし、既に『宇宙人』と握手《こうしん》し終えた准からすれば、どうでも良い事であった。


「⋯⋯いつもの演技臭い喋り方、忘れてるぞ」


「はっ!ごほん、まぁ良いでぇしょう!それで?意識を二日前に戻せばいいのね?」


「はい、仰る通りですっ」


「⋯⋯なんでも良いけど、お前の媚び売るような言い方、好きじゃぁないわ⋯⋯。キモっ」


 ボソッと呟いた一言は准の胸中へ大きくダメージを与えた。


「おい!歳上ですよ?!仮にも!」


「目上らしい態度ってもぉのを、示して見なさいな?」


 そう言われた准は、ようやく馬鹿な頭を上げて、顔を美羽の方へと向けた。


 だがその時、パンドラの箱は何故か開かれっぱなしになっていたのだ。


「っは!」


 ある一点を凝視し続ける。まるで何かに取り憑かれたかのように、ひたすらにその方向だけを見続けており、目が釘付けとなっていた。


「な、何?!どうしたの?!」


 突然の大声に思わず動揺を見せた美羽はたじろいだ。


 風に揺れる。波風が立つように、ひらりひらりと。


「いや、なんでもない」


「え?そう?」


 普段、余りにも隙を見せない彼女の今世紀最大にして最高の油断。


 准に対する心配も然る事ながら、よく分からない土下座に衝撃を受けた美羽の頭の中には、屈まれれば中が見える、という常識が抜け落ちてしまっていた。


 傍から見れば准は策士なのかもしれない。


 だが、全く持って偶然であり、眼福とばかりに中を刮目していた。


(ストッキングを履いてるってのもあって、色が分からないものとばかり思っていたけど、そうか、水色か。てっきり俺は黒とかそういった暗めの方を好むと思ったが、なるほど分からないものだ。⋯⋯はっ!まさか、彼氏が居る?⋯⋯いや無いな。お天道様がこの瞬間に爆発する並に無い)


 視線はスカートとストッキングという亜空間の隙間へ吸い込まれるように、一点の見逃しや僅かなシミすら残してたまるかと言う確固たる意思で美羽の脚部を凝視する。


 しかし、馬鹿みたいに真っ直ぐと、ド直球に凝視し続けていれば当然、視線で理解し始めていく。


 一度落とした常識が再度、美羽の脳内に部屋の照明のように明かりが灯る。


「なんだか、キモォイ事考えているような予感するんだけど⋯⋯」


「気にするな!一般的だ⋯⋯」


『男子の中では』と注釈しなければならないのだが、この男はそんなものを付けるほど律儀になった訳でも、崇高な思想や心清らか等ではなかった。


 視線の先は何処を向いているのか。


 視線を辿るようにジィーっと、ひたすらに追って、追って、追って、追って────。


 そんな幸せの時間は、遂に終わりを迎えた。


「⋯⋯?⋯⋯⋯⋯っは!あ、あ、あああ!お、お、お、お、おおおおお」


 段々と瞳孔が小さくなるものの、瞼は開かれた。


 両手は自然とスカートを抑えるような位置取りを行い、軽蔑を籠めた視線を、これでもかと真下にいる少年へと向ける。


「なんだ?!俺は断じてお前の水色の下着なんて知らないぞ?」


「言ってるんじゃ、無いわよッ!!」


 美羽の左脚は、思い切り准の顔を踏んづけて、タイルに埋め込みたいのかと言わざるを得ない程に、グリグリと脚首を行使する。


「変態!変態!何が悲しくて、お前みたいな奴にー!!」


「⋯⋯ぬぅなゃぁああああ!」


「はっきり喋りなさい!屑!」


「ぬぬぬぅぅッッぷはぁ!⋯⋯ぁぁ痛い痛い⋯⋯。気にするなよ。お前は僕にパンツを綺麗に見せてくれる為に、ストッキングと黒以外のパンツを履いてくれた。⋯⋯違うのか?!」


 ストッキング越しかつ上履きでの脚のめり込むかのような踏み付けを辛くも脱出。


 フェンスで身体を凭れ掛かけて、軽蔑と苛立ちが募っている事をすぐに察せれる瞳を向けている美羽は、スカートの中が見える事を前提に、更なる追い打ちを准へと浴びせた。


「そんな馬鹿な思考をどうして出来るのよ?!」


「馬鹿だからさ」


「死ね」


 顔面に向けて、真っ直ぐ伸びた蹴り。


 それを紙一重で躱した准と、その背後で連鎖反応のように掻き鳴らしていくフェンスの音が掻き鳴らされる。


「そう言うなよ?少なくても僕が二日前に戻ったら、もう今日のトッキーとは逢えないんだぜ?」


「私は素直に逢いたくない⋯⋯」


「安心しろ。ストッキング込みで下着を見るのはお前だけにするって誓ってやる!嘘じゃない」


「マジで死になさいよ⋯⋯。というか、殺してあげましょうかしら⋯⋯」


 近くに居る者なら誰でも聞こえてしまう程にハッキリと口にした美羽は、首を絞めようと両手を前にジリジリとにじり寄せて行く仕草を見せ始めた。


 それは脅しではないという事が眼前に居る彼女の瞳が教えており、准の脳内に警鐘が鳴る。


「待て待て待て!僕は戦いに来たんじゃない。お願いをしに来たんだっ!」


「だったら、それ相応の態度ってものがあるわよね?!」


「だから、土下座シリーズ七をしたんじゃないか。あれ大変なんだぞ?主に脚が」


「まぁ、あれほどバカ真面目にタイルの上を滑って回っていたら、摩擦熱で脚が物凄い事になるものね」


 にじり寄り、首元まで後数センチという所で動きを止めた美羽は、ふん!と鼻を鳴らして、腰に手を添える。


 少年は安堵の息を零す。


 それが聞こえると、立ち上がらせようと准の前に手が差し出された。


 迷いもなく美羽の手を優しく掴み、大人しく引き上げられる。


「二日前に戻る事自体は別に構わないわ」


「本当か!?」


「えぇ、本当よ?たぁだし、対象の人間の記憶や意識を過去の対象者に送るには、今居るその対象者が死ななければならないの。言ってる事、分かる?」


「分かった。じゃあ早速やるか」


 即断即決の対応で上履きを脱ぎ出した准は背後に凭れ掛かっていたフェンスをよじ登り始める。


 美羽はその即断即決の行動力を示す准のズボンに収納していない白のシャツの裾を驚愕の表情をしながら、両手で掴む。


「え?ちょっと待って!お前、馬鹿なの?死ぬの?!本当に言ってるの?!言っとくけど、死ぬ前に発動じゃないのよ?」


 補足情報という名の警告だった。


 それを確かに聞いた准は、はいはい、と軽口でも聞かされたかのように小さく頷く。


「分かったって。だから、一回死ねって言いたいんだろ?」


 軽口のように淡々と、コンビニでも行ってくる、と言うように言い放つ。


 死ぬというのは単純な事ではない。


 流れ的にもどう言った風に亡くなるのか、状況的にも美羽は察している。


 それは打ち所次第でもある訳で、下手をしたら苦しみ続ける羽目にもなる。


 誰だって見下ろした光景に萎縮して、バンジージャンプならば勇気を持って行う。


 しかしこれに関しては、勇気ではなく蛮勇とも捉えられる愚行にも等しい行いだった。


「⋯⋯怖くないの?」


 それは尊敬や理想、憧れといった心躍る物言いでもなければ、興味を惹かれて口から出たものでもない。


 単純に不可解さと底知れない腹の奥といった恐怖心から来る言葉であった。


 背後から聞こえたその言葉がどういった印象や感情で口にしたかをある程度は伝わってきた准は振り返る。


 もう既に、脚より下に美羽の頭が有る位置を優しい眼差しで見つめた。


「怖いに決まってるだろ?痛みが無いと?残念ながら普通にあるんだよなぁ」


「⋯⋯冗談でしょ?今やるって言うの?」


「時間の指定とかあるのか?」


 彼女の『異能』を使う所を准は複数回見てきた。


 今回、准自身が『対象者』となって、意識と記憶を過去に引き継がせるというのは初体験である。


 その為、『知らない何かがあるのではないか?』と込上がった感情の溜飲は多少下がった上で美羽を見つめた。


「無いわよ。無いけど──」


「トッキー⋯⋯。お前、心配してくれてるのか?」


 沈黙が夕暮れの屋上に駆けて行く。


 誰も准の言葉に対する解答はしなかった。


 美羽には分かりきっている。


 この次の言葉を発すれば、いよいよ眼前でフェンスの上に跨《またが》っている少年が覚悟を決めてしまう事を、それを良しとしたの自身なのだ。


 けれど、『死ね』と言われて『分かった』と言うまでの、ラグの無さが純粋に美羽にとっては心配以外の何物でもなかった。


「⋯⋯トッキー。僕は、藍莉を助けたい。助けて、この校舎で、また皆とくっちゃべって、楽しそうにしている姿が見たいんだ」


「⋯⋯お前がそこまでする理由はなぁんなの?大洲藍莉を助けたいから?だからって一度死んでもいい事にはならないわよ?」


「⋯⋯確かに。でも、それだけじゃないんだよ」


「じゃあなに?」


 准は真下に広がるグラウンドで練習をしているサッカー部、それを応援している女子生徒や下校しようとする生徒といった学生を見渡した後、「決まってる」と小言のように漏らす。


 決心はある。足りないのは勇気だけで、必要な材料も求められている役割も理解して、念頭に置いている。


 後は、覚悟とそれを奮起させる為の意思表示だけだった。


「『日常』だよ。僕の知っている日常って言うのは、色が足される事はあっても削られる事を良しとし無いんだ。たとえ神様であろうと、悪魔の前であろうと、それは口酸っぱく言い続けてみせる。だから常(・)盤(・)、頼むよ」


 苗字を呼ばれた。それは普段なら、別段おかしい事はない。


 同級生間でもある呼ばれ方で、ましてや准は学年が一つ上であり、そう呼ぶのは何もおかしな事はない。


 けれど、二人の間ではそれは多少の意味を含まれている。


 それを明確に口に出したが最後、美羽は覚悟を決めたように真っ直ぐと准を見つめた。


「⋯⋯先輩、ほぉんとうに、面倒臭い人ね?」


 嫌味が零れた。けれど、それ以上に嬉しさが込み上げてきて、胸いっぱいに包み込まれる。


「⋯⋯ふっ。今更だろ?」


 熱は冷める事を覚えない。何時までも抱き続けるその気持ちに決着を付ける為に、遥か下方に広がるアスファルトを眺めた。


 喉が鳴る。怖いものはやはり怖いのだ。


 桐江准は何も持っていない、普通の人間。


 ここから落ちても生き返れる訳でも、空を飛べる訳でもない。


 それを再認識した准は深呼吸をして、目を見開いた。


 一方、サッカー部の部活練習の為にグラウンドに出ていた嶺二はその光景を騒つく部活仲間の声により屋上を見つめた。


「はっ!⋯⋯准ッ!!何やってんだ!」


「あ、アイツ、飛び降りるつもりなのか?⋯⋯」


「誰か、先生行かせろよ!」


 その小さな慟哭にも似た騒つきは次第に大きくなり始めて、屋上に居る生徒に視線が集まりだす。


 ある者はパフォーマンスと思い、ある者はネタとしてスマホで撮影し、ある者は本当に心配の声色を上げて叫ぶ。


 それを聞いた准は最後に美羽を見て頷いた。


『頼んだぞ』と決して口にはしなかったそのアクションは美羽を頷かせる。


 ふと、思い出した。


 小さな救済の時に叫んだフレーズを。


 それは、隣に居た男からは微笑まれてしまった、至って真剣な言葉。


 話を聞き、そして呑み込んで、居続ける事を受け入れた少年の言葉であり、嘆きと同時に新たな羨望を望んだ言葉。


 フェンスに立ち、真正面から風を受ける。


 そして────叫んだ。


「俺は棄てない!俺は妹も友達も何もかも、見捨てない!⋯⋯この街の馬鹿ヤロオオオオォォォォォォォォ」


 飛び上がった身体は宙を舞い、放物線を描いた軌道はチンケな程に弱く、短く、そして、真っ逆さま。


 一様に皆が叫んだ。悲鳴も上がった。


 目を手で塞ぎ、その眼前に起ころうとしている出来事から目を逸らそうとしている者もいる。


 けれど、飛んだ本人と、後ろで準備をしている女性と、飛んだ本人の友人は最後までその視界一杯に広がる光景を焼き付けた。


「【時の(デパー・)運び屋(タイム)ッッ!!】」


 少年が頭から地に着いた数秒後、屋上から響いたたった一つの言葉で、世界は灰色となった。


 鐘が鳴り響く。警鐘か弔鐘か。


 或いは時鐘なのかもしれない。


 いずれにしても、鐘声は確かに世界に響いた。


 十二の円と針が二つ、オレンジ色の空で拡大されて、針が動き出した。


 数字もなければ文字もないその十二の円は下から上に上がれば上がるほどに形は大きく、針は徐々に加速度的に早く動きだして、ピタッと停止。


 そして、十二の円と二つの針は少年の身体に収束していき、上空に白い閃が走る。


「これで私は殺人犯か⋯⋯」


 世界に小さなヒビが入ったのを視認した美羽は微笑むのであった。


「頑張りなさいよ。⋯⋯ホントに」


 ヒビは捲れていき、新しくページを広げる為に破るかのように世界は捲れていったのだった。


  ━ ━ ━


 ハッとなって目が覚めた少年は身体を一気に起き上がらせる。


 そして、条件反射のようにスマホで時刻の確認をした。時刻は十八時四十五分。


「な、なんで!十六時半とかそこらだったろ?!」


 屋上に来たのは十六時半過ぎ辺り。


 しかし、少年が今いるのは自宅のアパートであり、空も暗がりの広がる夜となっていた。


「⋯⋯そうか。今日は七時限目まであったから。水曜は六時限目まで⋯⋯。何も無かったら帰ってるから⋯⋯部屋で⋯⋯。だとしたらなんで俺は寝てるんだよ!」


 急いで靴を履いて、駆け出した。


 事件と事故のあった時刻を准は認知していない。


 夜の時間帯、晩御飯を済ませて、部屋で電話をしている段階で、下の階から浮気がバレた父親と口論している母親の声で下りて来た姉は弟を抱き寄せ、暴力はいよいよピークに達して、外に飛び出した二人の姉弟は車に轢かれた。


 そういうあらましでしか事を知らず、時刻やその事故現場は世界を僅かに歪めた影響で花も添えられていなければ、気付いている人も警察関係者か弟を乗せた救急車に乗っていた人間と処置した医者のみであった。


 つまり、暴力事件は世間に響き渡っても事故は無かったかのように、歪に行き渡ってしまっているという事になってしまっている。


 二人の姉弟は謎の失踪を遂げた。


 そういう風に世間でも、学校でも囁かれるようになってしまう。


 風が身体を刺激して、学生服は靡いて、髪は後ろに流れていく。


 学校から大洲家まで、タクシーを使わなければ遠くて行けなかった距離も、准の自宅からとなれば話は変わる。


 距離にして二キロ。


 財布は鞄の中で、急いだ故にその事も忘れている少年はガムシャラに走った。


 上げられた叫声は確固たる意志と意地を通す為の慟哭だった。


 ある者は不審がり、ある者は嘲笑い、ある者は身をたじろがせる。


 汗が吹き出して、瞼に零れ落ちる事も厭わず、疲れ始めた脚は全力に全力を加算していく。


 これ以上に無い程に、人生でもこれほど長い間、駆けた事は一度として無い准は、通り過ぎる車も買い物終わりで横切った自転車、部活終わりで談笑していた生徒に見られながら、ただひたすら疾走する。


 荒くなる息と口に流れ込む空気が喉を乾燥させた。


 そして────。


 遂に辿り着いた大洲家の自宅の前では、熱くなった身体が冷めた風に当たり、身体を震わせながら、息を荒らげさせてそこに居た。


「ここから、どうする?インター、ホン、押して、何、言えばいいんだ?」


 未来から助けに来ましたぜ!なんて言った所で信じる訳も無ければ、一蹴されて叩き蹴られて幕を閉じるのがオチだろう。


 家庭状況ピンチなんだろ?!来たぜ!も、当然アウトだ。


 この時点では、准と藍莉はクラスメイトではあっても、家族についての話題はおろか、世間話に花を咲かせるといった事をしていない。


「ど、どうする⋯⋯どうしよ?!」


 段々と身体は冷え始め、息も荒さを無くして平常となっていく中、脳内はそれと反比例したように掻き乱されていく。


「うるせぇんだよ!」


 その声は男性のものだった。


 突然の絶叫にも近い怒声は、家の外に居る准の耳まで響いてきた。


 男の声、家族構成から鑑みても父親なのだとすぐに察した准は、同時にある考えが過ぎってしまう。


「⋯⋯そうだ。一個ある。当たり前のように父親と接触出来る口実が⋯⋯」


 怒鳴り声が鳴り始めたという事は、まだ姉弟は、家に居る事を示唆している。


 だから、まだ取り返しが付く。


 そう判断した准はインターホンを勢いよく押した。


 以前は鳴らしても誰も出なかった。


 けれど、今回は違う。


 出たのは、不機嫌そうに無精髭を伸ばしている窶《やつ》れた四十代程度の男性だった。


 如何にも、今邪魔なんだが?と声に出そうな程に怪訝さが滲み出ており、乱雑に開けられた扉は客が前に居るという事を意に介さないように、勢いよく開けられた。


「なに?取り込み中なんだけど?」


「あ、あの。俺──」


「君、藍莉の友達?悪いけど、今アイツ家事やってて手が離せないんだ」


 開いている扉と男の隙間から僅かに見えている家の散乱具合を見れば、誰もが思うだろう。


 掃除ぐらいしろと。


 けれど、掃除してください、そう伝えに来た訳ではない。


 男を真っ直ぐ見つめた准は名乗った。


「桐(・)江(・)准です。妹がご迷惑お掛けしました」


「⋯⋯⋯⋯、お前、桐江の兄貴か?!」


 臆面もなく頷く准に、額に手を当てて口角が上がる。


「⋯⋯は、はははははははははははははははははははっ!はっはっはっは!⋯⋯⋯⋯今更、何しに来た?」


「殴られに来ました」


 激しい衝撃が左頬に走り、気付いた時には道に寝転がっていた。


 口の中は切れて、舌は血の味を感じさせる。


「丁度いい。お前の妹には言いたい事一杯あったんだ。けど、アイツは面会謝絶と来てる。⋯⋯⋯⋯俺の人生返せよ!」


「すみません、でした」


「ウゥッ!!」


 馬乗りとなって一方的に殴られていく。


 顔ばかりではなく、身体を蹴り飛ばされて、嘔吐しかけるのを、耐えて、次第に唾液が垂れる。


「うぅ、うぅ。すびまぜんでじた。妹が⋯⋯」


「おっせんだよ何もかも!俺の人生は全部パァだ!ネットにも晒されるし、いい笑い者だ!こんなんでどう生きてけってんだ!あぁ!」


「⋯⋯そういう割にパチとか、行ってんでしょ?」


「なんで知ってんだお前?!あぁ!」


 聞いた事が有るからだ、と挑発でもするような言動を取ろうとした時、玄関口から駆け出した音が小さく聞こえ始める。


 大洲《おおしま》藍莉《あいり》だ。


 彼女が父親の腕にしがみ付くようにして動きを止めた。


「お父さん止めて!何やってるのよ!この人、同じ学校の子なのよ?!乱暴しないで!」


「うるせぇ!」


 振り払われるように地面に捨てられた藍莉、それをドア越しで見ていた蒼太《そうた》が叫ぶ。


「お姉ちゃん!」


「警察呼んで!早く!お母さん掛けられないから!」


「⋯⋯っ!」


 怒鳴り声が聞こえて、すぐインターホンを押したつもりだった准だが、それでも遅かった。


 母親は既に倒れ伏してしまっている事が藍莉の口から意図せず伝えられる。


「止めて!お願い!お父さん!お願いだからッ!貴方もなんで来たのよ?!」


 父親の脚にしがみ付く藍莉の抵抗は非常に小さなものだった。


 寝転がったままで一切抵抗を見せない准の胸ぐら掴んで殴り掛かろうと父親は躍起になっていく。


 すると、小さくパタパタといった具合に大洲家から出てきた音が聞こえ、准はその方向へと視線を向ける。


 真っ先に、驚きで叫んだのは准であった。


「おい!蒼太どこ行くんだ!戻ってこい!」


 そして、准の叫び声とその中に入っている名前で右方向へと顔を向けた藍莉は父親の脚をしがみ付かせていた腕を解き、立ち上がる。


「⋯⋯っ!蒼太!どこ行くの?!」


「警察さん所!」


 その勇敢で小さな体躯の少年は走りながらそう行って夜の街へと消えて行こうとする。


「待って!一人で行かないで!」


 後を追いかけるように、藍莉は弟の背中を追い掛け始め、思わず准はどデカい声で叫んだ。


「っ!追いかけんな!おい!藍莉ぃぃ!」


 向かわれた手を一気に振り払い、二人の後を追い掛けようとするものの、それを静止するように肩はグゥッと掴まれた。


「待て!お前、逃がす訳──」


「後でいくらでも謗りは受ける!もう、周りが気にしだしてるぞ?!このままじゃあ、アンタ捕まるぞ?!」


「っな!」


 世間体とは大事なものであり、身体をビクッと震わせた。


 一瞬の動揺と力の緩みは元々力んでいた准を遠くへとやり、そのまま父親は辺りを見回すようになる。


「待て!藍莉、蒼太行くなぁぁぁ!」


 身体の節々から痛みがやってくる。


 既に顔も腫れて、腕は激痛に見舞われていた。


 脚は踏み込む度に悲鳴を上げていく。


 息遣いも正常ではない事はとっくに分かりきっていた。


 それでも尚、立ち止まってしまう事を恐れて、更に痛みと向き合うように走り出す。


「何処に!何処に!⋯⋯⋯⋯いや違う、交番だ!」


 現在、准の近くに点在する交番は一箇所のみ。


 准の居る場所から一キロ先であり、警察署となれば更に南西で正反対で蒼太が走り出した位置と違う。


 左右を見渡して、二人を探す。


 既に満身創痍に近い身体は普段の半分も走れておらず、ろくに追い付けるビジョンが湧かない。


 それでも駆けて、駆けて、駆けて───。


 遂に、発見した。


「見つけた⋯⋯っ!!」


 二人は今、赤信号で立ち止まっており、藍莉がしゃがみ込んで弟と目線を合わせるようにして、叱りつけている様子だった。


 藍莉はスリッパ、蒼太は靴を履いており、服装はパジャマと外行用にしては心許なさが過ぎる。


 そんな二人の後方に光が照らされてた。


 二人分の影は更に大きな影が飲み込もうとする。


 心臓の高鳴りが一向に止まず、早くなる鼓動は全身全霊で、助けろ、と木霊させていく。


「ぁぁぁあああああ!!!」


 絶叫は二人の視線を釘付けにして、シルエットだったものは確かな存在を映し出していき、藍莉は目を見開いた。


 血相を変えて迫る准は、勢いよく二人を突き飛ばした。


 飛ばされた藍莉は弟を抱き抱えながら、突き飛ばした張本人を見つめる。


 影が閃光に呑まれていき、少年の満足気に微笑む顔が懐かしくも痛ましいものであった事が、藍莉には何故か、無意識に悲痛な叫びを上げさせていた。


「桐江くん!」


 少年は視界には流れ込んで来る記憶が見えた。


 小さい頃に遊んだ家族の顔と泣いて壊した玩具を手に持つ妹、旅行に行った際の風景や友達が楽しそうにしている光景。


『不可思議な出来事によって発生した化け物』に『理想の刃』や『円盤生物』に『抜けられない赤い壁の染み』、『緑色に煌めく象の形をした神様』や『小さな少女』と『痛ましい傷を負っている少年』とそして。


『傍で崩れ落ちた彼女』の事。


 刹那、少年の影とは別の小さな影が車の光に紛れて、弟を抱き締めて叫びを上げている人物の影へと入り込んだ。


 波紋は広がり、溶け込むように影は一体となり、小さな黒い塵が僅かに影から舞う。


 手を口元にやって、震え出した。


「あ、⋯⋯どういう、どういう事?⋯⋯准!准!あ、っ!⋯⋯あぁ」


 准は、道路の真ん中で十メートル程度は軽く吹き飛ばされた。


 准は姉弟の代わりに車に轢かれた。


 それが、准の選択。


 迷いもなく、動揺や恐れもあった中、准は鮮血に身を染めて、横たわった。


  ━ ━ ━


 ぼやけた背景に輪郭の定まらない人物。


 それが誰か、准は服装と声色で分かる。


 准の自宅のダイニングにある椅子に座っている男は口をティッシュで拭って、フォークを丸皿に置いて、准を見た。


「歴史を変えるってのは簡単な事じゃないだぞ?妹さんが巻き込まれないようにしたら、代わり誰か別の人間がそれを引き起こす。つまり、代替わりだ」


「⋯⋯最悪だな。それ」


「世界が決めた事だ。その恩恵に預かってる人間は代々と知らずに生きてる。文句を言うのはお門違いだな、少年」


 朝倉《あさくら》拓也《たくや》は、頭を押さえつけるようにして撫でる。


「⋯⋯じゃあ僕は、やっぱり妹の事にちゃんと向き合わないと駄目なんだな」


「家族としての宿命だ。別段、こんな事が無くても、何時かは向き合わなきゃいけないんだ。人生は一辺倒じゃないんだから⋯⋯」


「⋯⋯アンタもあるのか?向き合ってきた事とか」


「あるさ。生きてる限りは誰にでもある。社会人から専業主婦や妊婦や海外出張中の旦那に、ニートだろうとホームレスであろうとな。生きてる限り、選択して、向き合うんだ。それが人生だ」


 即答の返事。


 余裕のある言い振る舞いは経験と歳を重ねている証拠であった。


 それを准はマジマジと、突き付けられている気分となった。


「なら、僕は意気地無しって事か。それから逃げようとしていたんだから」


「そうだな。だから、これから変わればいい。何も『命を賭して!』とかそんな殊勝な心掛けをしろってんじゃないんだ。ただ、ほんの小さな選択を見逃すなって言ってんのさ」


「出来るかな?」


「知らん」


「うぅ、なんだよ⋯⋯」


「けど、出来たらいいなってのは、思ってる」


 准に笑いかけた男はダイニングを抜けて、玄関前までやって来た。


 准もそれに着いて行くように男の背中を見る。


 猫背でやる気のなさそうな姿勢ながら、どうしてか准を助けてくれるその背中。


 意図や理由が不明瞭であっても、その意思は絶対的なものであるという象徴であった。


 准が小さな救済から学んだ事は『普通の人間に出来る事には限度がある』というもの。


 けれど、それでも。


 望むならと、少年は後を追い掛けた。


 そして、ゆっくりと玄関の扉は開かれていく。


「行くぞ⋯⋯。助けるんだろ?」


「っ⋯⋯。あぁ!」


 光る白い世界に准と拓也は歩んだ。


  ━ ━ ━


「うぅ、⋯⋯はぁぅう、ん?」


 篭った声が耳を衝く。


 白い世界は既に無く、あったのは白い蛍光灯の眩しさと数度通った事のある病室であったと、気付くのに、准は数秒を要した。


 起き上がろうとするものの、身体は動かない。


 否、固定されて動けないのだ。


 脚は吊り上げられて、ギプスでグルグル巻き、左腕も同様で掛けられた布団の温かさで再び目を閉じようとしたが、右手に何か感触が伝わった事でその動作を中止する。


「⋯⋯え?」


 ぎゅっと握り締められた手の感触はベッドの横にある棚に凭れ掛かるようにして寝ている存在を見つめた。


 ミルクチョコレートのような茶色の髪色、ボサついているのか、跳ねているのか、寝癖か曖昧なラインの長髪の髪を垂らしている。


 大洲藍莉、彼女は眠りながらも准の傍に居た。


「そうか、無事だったんだな⋯⋯」


 優しく握り返したその手に反応したのか、瞼を開け始めた。


 眠気まなこをそのままに、目を細めながら数秒固まった。


 次第と涙は頬を伝う。


 声を出そうにもパクパクとしたままの藍莉は握っていない反対の手で口を抑えて、更に涙を拭うような仕草をする。


「おはよう⋯⋯」


「おはようじゃないわよ。⋯⋯本当に飛び出した時は心臓止まるとか思って⋯⋯もおぅ」


「悪かった⋯⋯」


「先生呼んでくるから待っててね?」


 それから、准は医者と警察の話を聞かされて、面会時間が過ぎた事で帰ってしまった藍莉の見送りも出来ないまま次の日を迎えてしまう。


 一日丸々眠っていた准は夕方の十七時頃に目を覚ました。


 そして次の日、藍莉は嶺二と逸花《いちか》、颯悟《そうご》を連れて病室へとやって来ていた。


 そして、衝撃な光景を目撃してしまう。


 後輩が先輩を虐めるソレを⋯⋯。


「お前ってやつはぁぁぁぁぁぁ」


 常盤美羽の怒りは沸点越えを果たしていた。


 個室である事、先程まで二人っきりだった事、それが影響して准をただひたすらボッコボコのフルボッコにしようと拳を振り下ろされている。


「やめてください!お願いします!病人にする仕打ちとは思えない!トッキー、お前っ!鬼畜が過ぎるぞぉぉ」


「何が悲しくて、車に自ら轢かれに行くのよ!アァァンポンタンッッ!」


「やべぇ⋯⋯、何も言えねぇ」


 身体を押さえ付けて、体重を掛けていく。


 見送ってくれたのもまた本人なのだが、『時間跳躍』の影響で、彼女はそれを覚えていない。


『対象者』を准にした為である。


 その弊害が今、病室で起きていた。


「お願い!助けてぇぇ!ぐふっ!」


「あぁ!准。待ってろ助けてやっから!止めろスットコドッコイ!」


 意気揚々と中に入った嶺二は颯爽かつ華麗に登場。


 もう恐るものは何もない⋯⋯!


「お前、黙れ!」


「は、はい⋯⋯」


 だが、魔王の眼力にやられた。


 萎縮してしまうとは、情けない。


「ムッくん!?お助け下さい!!」


「すまねぇ⋯⋯。圧が身体に浸透したというか⋯⋯なんというか」


「どゆことーー?!」


 寝たきり、安静必須の少年の身体は両手でベシベシと叩かれていき、確実に着実にダメージを与えていく。


「この!!この!人の心配ばかりして、人に心配を掛ける陰獣!悪魔!鬼畜!鬼!ゴミ!虫ケラァァ!」


「なぁぁぁぁぁぁぁあっっ!!」


 やがて、駆け付けた颯悟と逸花、そして、正気を取り戻した嶺二によって、半ば強引に退室させられた美羽は「お前、覚えてろぉぉぉ!」と病院に轟く程の叫声を残して去っていった。


 一方の藍莉は多少の驚きはあったものの、昨日と同じ椅子に徐ろに座る。


 不安そうな顔色を滲ませながら、手は腰に置かれた。


「大丈夫?」


「今の僕が大丈夫に見えるか?⋯⋯確実に痛みが増したんだけど⋯⋯」


 すると、それを聞いて安堵したのか、少し笑みを零した。


「なんだよ?」


「なんでもないわよ」


 それから、彼女とこれからの話を准はした。


 学校ではもうすぐ試験がある事。


 母親は明後日退院予定である事と、父親と飲酒運転の男が捕まった事や叔父と叔母の助けで、アパート住居になる事と弟の蒼太が准の心配をしていた事など。


「そっか⋯⋯。転校じゃないんだ」


「えぇ⋯⋯」


 会話が途切れた。


 話すべき内容は全て終えて、沈黙が始まる。


(⋯⋯そう言えば、藍莉の奴、部活やってたよな。なんでここに通い詰めてるんだ?)


 その疑問は少年の包帯がグルグル巻きとなった頭の中を思考させた。


 数秒、その間に気付いた事は一つ。


(罪悪感か⋯⋯)


 勝手にやって来た身分とは言えど、少年は彼女達を助けた結果でこの病室に居る。


 それを彼女目線からすれば家に来て、父親にタコ殴りにされて、挙句には庇うようにして車と衝突。


 笑えない大惨事である。


 身体を上げられない少年は窺うように顔を向けた。


「大洲、別に僕は気にしてないから、部活休んでまで来なくても大丈夫だぞ?夏の大会まで時間無いんだろ?」


「えぇ。⋯⋯」


「何か他に用事でもあったのか?」


「⋯⋯それは、その⋯⋯」


 どうも様子が変だ、と准は目を細めた。


 煮え切らない様子は隠し事をしているようにも見えて、何故か顔を紅くしている。


「何かあるなら言ってくれよ?明らかに隠し事してますって感じだぞ?」


「⋯⋯あのね、その。私、その、えぇと。あるのよ」


「何が?」


「記憶」


「⋯⋯はい?」


 困惑顔で、目を見開いた准は彼女はそっと視界に収めていく。


(今なんと仰った?)


 動揺した事を切っ掛けに、ギプスでグルグル巻きとなった四肢は軋んだ痛みを齎した。


 それを隠すように片目だけ閉じる。


 一方、藍莉は恥ずかしそうに両手の指をトントンと小刻みに当てながら、俯いた。


「だから、私。貴方の事をちゃんと覚えているのよ。准」


「⋯⋯な、なんで?だって⋯⋯」


「貴方がちゃんと抱き留めてくれてたからよ。だから、ちゃんと私(・)はちゃんと居る。⋯⋯ちゃんと生きてる」


 そっと藍莉の右手がベッドの方へ向かっていく。


「⋯⋯あ、え?マジで?」


 手を握り締めて、体温を感じる。


 微笑んだ彼女をしっかりと記憶するようにその視界は見開かれた。


「えぇ、あくまでも記憶を引き継いだって形だと思う。朝倉って人が言ってたわ」


「あの人、来てたのか?」


「えぇ、昨日、貴方が起きる少し前にね。色々と説明してくれてたわ」


「そうか⋯⋯鰻、蒲焼きにして食ったのかなぁ」


「えぇ、美味しかったって言ってたわよ?」


「⋯⋯あの人マジなんなんだ⋯⋯」


『神出鬼没のとんでもない人』という印象が強い男の存在を准は最近では見掛けていない。


 けれど、手紙での助言を定期的に寄越してくれるあの男は准にとっては切っても切れない関係である事に違いはないのだ。


「そうだ。誕生日おめでとう」


「⋯⋯ふふ。一年で二回も祝われた気分になるのは変な感じがするわね?」


 同じ人間に二度も祝われる事は稀だろう。


 けれど、臆面もなく准は藍莉へと紡いだ。


「それでも、僕はお前が産まれて来てくれた事を感謝してるよ」


「⋯⋯ありがとう」


 泣きそうになるのを必死に抑えて、少し俯いた彼女は意を決したように准を見る。


 真剣な面持ちは少年の鼓動を僅かに早めた。


「それでね⋯⋯。貴方に言っておかないとならない事があるのよ」


「え?なに?」


「あの⋯⋯その」


 紅くなる頬と逸らされて行く視線。


 けれど、もう決心はした。だから、彼女は前を見る。


 惚け面で語る内容を心待ちにしている少年の前で、彼女、大洲藍莉十七歳は口を開いた。


「⋯⋯私、貴方の事が────」


 こうして、この不可思議と不自然と不可解と不完全なこの街は時を進めて回り出す。


 そして、そんな街で大洲藍莉は語る。


 自身の想いの丈をとその旨を。


 どれだけ時間が経ってもその内容は准の胸を暖めていくだろう。


 破顔した顔は微笑ましいものとして、この光景を准は生涯忘れる事は無いだろう。


 五月十一日、大洲藍莉の十七歳を迎えた日付であり、桐江准に恋人が出来た日でもある。

オチどうでした?


私はハッピーエンドが最後に来るならいくら曇らせても良いと思ってる派です。


ミステリー自体が得意ではないので荒削り感のある伏線撒きとなりましたが、私は謝りません、ごめんなさい。


次回から新キャラ登場です。


ではまた次回。

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