『少年』と『刃龍』
黄金の海が『空弩街』に流れ込んでいく。
黄泉の光を纏い、怨嗟の炎が街の景観を焼き尽くしていく中、胸騒ぎが治まらないまま駆け出していた少年が居た。
『普通』──とは何だったのだろうか。
普遍的である事よりも異常的行動に走っているのは明らかだった。
少年は脚を止めない。妹の捜索も決しておざなりにしたい訳ではない。
だが、妹よりも眼前で窮地に立たされている『龍』のことが気掛かりでならない感情に身体は突き動かされてしまい、気付けば友人二人の安否を適当に確認するだけしてその場を後にしていた。
宙で蹴り飛ばされた先、地響きにも似た震動が身体を震わせ、一時的に脚を止めてしまいそうな事もあっただろう。
だが、気持ちだけは一途な純情に従っていた。
少年は走った。機能しなくなった信号を渡り、車をよじ登って道を塞がれたようにしていた進行ルートを辿っていく。
雑草が多く乱れる造林地帯に脚を踏み入れた頃には既に息は上がっていた。
それでも脚だけは止まらなかった。
真上に上がる太陽から齎される光は木々が邪魔して視界を暗く感じさせる。
細く見栄えしない木々がへし折られたように倒れているのを目撃してから少年の顔付きは変わった。
すぐ近くにいる。そう誰もが分かる炸裂音と絶叫が街を包み込んだ頃、ようやく⋯⋯目撃する。
あの『龍』は凶暴で恐ろしく、絶対に比較してはならない異分子的存在。
この『男』は街に現れた救世主であると同時に敵なのだと思わされる存在。
そして少年は────その二人の中に飛び込むのだと意を決して小枝を踏み抜いた。
街は今尚、阿鼻叫喚。燦然とする海と泥のような炎に焦がされながら次のフェーズへ向かおうとしている。
電波塔に居る男は重大な欠点が起きてしまっている事に気付きもしないまま事は進んでいく。
『普通』からの脱却など、少年は求めず。
『普遍的』で在りたいと望む少年は今、男に向かって拳を突き立てる。
桐江准は普通でありたい──。
けれど傍から見ても、もう叶わない。
『普通』の人は龍と人の面影を重ねたりはしない。
『普通』の人は出会って一週間ちょっとの人よりも家族の身を案じる。
『普通』の人は友人二人が倒れ込んでる状態を見てもっと慄き、恐怖して、動揺を連ねるもの。
『普通』の人は助けを求める声を発する。
桐江准は普通ではいられない。
それが、少年自身が最も理解出来ていない事柄なのだと知るのは何時の事か──。
━ ━ ━
僕とこの男の力量差というものが明確に視認出来たとして、それを見せ付けられた後に、じゃあ挑んでください、と口にされた場合⋯⋯僕は挑むか否か。
答えは『挑む』だ。
僕にとって最大級の挑戦だと感じる。
僕にとって乗り越えなければならない壁だと理解した。
僕にとって成し得なければならないものだと納得させて、僕は殴り掛かる。
「⋯⋯⋯⋯軽いな」
「っ!」
左手で受け止められた僕の右手。男はそのまま引っ張り出したと思えば、直後⋯⋯回し蹴りが飛んできた。
「ッッ〜〜〜!!!」
顔面にクリーンヒットさせられた僕の身体は自由を失い、当たり前のように後方へと飛ばされる。
気付ければ地面に仰向けで倒れてて、鼻血がドバドバ出ていた。
器官に入って、咳き込む。鉄の匂いとドロっと喉に絡みつく嫌な感じがより僕を不快にさせる。
「そんなんで『龍』から離れろ⋯⋯か。お前、この『龍』をどうしたいわけ?」
「ッぶあァ。うぅ、助けたい、だけだ」
喉が焼けたように熱くなる。鼻はヒリヒリするし、倒れ込んだ僕を起き上がらせようとする者は誰も居ない。
「どうしてだ?」
「え?⋯⋯⋯どうしてって⋯⋯」
どうして──その言葉に僕は少し吃る。
誰かを助けるのに理由を求め続けていた僕が、いざ追及される側に移るとこのザマだった。
目の前で威風堂々と毅然とすらしている男の口から発した言葉に僕は俯く。
「お前、あの『龍』が何かの拍子にお前を殺さないと言い切れるか?さては、自殺志願か?」
「誰が!」
「だったら回れ右して去れ」
指でクルッと示された。立ち上がってしまって、後退りをしてしまおうとする僕の視線は自然と男の奥にいる赤い鱗の『龍』へと向いた。
群青色の綺麗な瞳が何処か薄れているようにも見えて、生気がか細くなっている様子にも見えてしまって⋯⋯。
胸中の騒ぎ具合いが人生で一番となった。
見捨ててしまったら、僕は後悔しないで済むのか。
僕はまだ確信が持てない。目の前で倒れている『龍』が六華である確信が僕の私観でしか判断していないからだ。
そうなんだろう、ぐらいの感覚。
仮に見捨てて、明日明後日になっても六華が学校に来なかったら、一生後悔する気がした。
────言いたい事も言わなくちゃいけない事もある。
僕よりも圧倒的に強い男を目の前に僕はゆっくりと口を開く。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯嫌だ」
「嫌だ⋯⋯ねぇ⋯⋯。少年はさ、分かってねぇよ。『龍』ってのがなんなのか」
「アンタよりは知ってるつもりだ!」
「『つもり』じゃ駄目なんだよ!」
ギュッと胸を締め付けられるような感覚になって、僕は萎縮した。
一歩、男が僕に向かって歩き出す。
「良いか、『人間』と『龍』は根本的価値観が違う。戦う理由も、守る理由も、失って困る訳も、求める対価も、善悪の価値基準すらも掛け離れているんだ」
「そんな事──」
知っている、そう口にしたかった。
けど、遮られるように。予め予見されていたように。
男は眉間に皺を寄せながら言葉を続けた。
「高々一週間そこら一緒に学校生活送っただけで、何もかも知った気になってんじゃねぇよ、クソガキ」
「⋯⋯⋯⋯⋯」
反論出来なかった──。
お前は何を知っているんだと、大声で口にしたかった。
でも、実際に僕は六華と知り合ってまだ一週間かそこらしか経っていない。
睦生に比べても短くて、知った気になってる僕よりも目の前で説教垂れるこの男の方が⋯⋯説得力があった。
悔しい。素直に情けないぐらいに泣きそうになって、俯いてしまって──。
そんな軟弱な精神をした僕の頬を男はガシッと掴んで、無理矢理正面を向かされた。
「俺が言ってんのは『在り方』の違いだ。お前に分かりやすく言うなら『普通』という基準点の相違について話をしてるんだ」
『普通』で在りたいと願う僕の意思を読み取ったように口にする男の言葉に説得力を増させていく。
『価値観』と『価値基準』の違いは六華と初めて会ったあの日の夜に痛感はしていた。
彼女と僕は根っこが違う。思考基準がズレていて、きっと波長も完全に合う事はない。
それを──男は分かりきってるように言葉にして紡がれる。
「少年がこの『龍』を助けたい根本的理由はなんだ?道楽気分で関わると痛めを見るのはお前だぞ?種族間の『価値基準』と『価値観』の擦り合わせは生半可には一致させられない。甘く見積もり過ぎなんだよ」
「甘く見てなんてない!僕はちゃんと──」
「ハッ。長年一緒に居る妹の事を放っぽり出しておいてよく言えるな?身近に居る人間の気持ちも分からない奴が一週間かそこら同じ学校に通ってた程度の奴の事を正しく理解出来るってのか、あァ?」
突き飛ばされるように頬から手が離れる。
地面に手を当てて、男を見た。
(⋯⋯⋯⋯あれ?今コイツ、舞喜の事を──)
どうして、男の口から妹の事が出てくるのか。
どうして、見聞きしたような事を述べられたのか。
前屈みになって、立ち上がろうとする僕は睨み付けた。
急に怖くなって、威嚇のようなものだったかもしれない。
無駄なぐらいに背伸びをする野生動物のように、立ち上がろうとする。
「⋯⋯⋯なんでそんな事を、知っ───」
「なんでも知ってるからだ」
デコピンが炸裂した。
「うぐッッ〜〜てぇぇーー!」
立ち上がろうとする僕を妨げるように炸裂したその一撃は想像の倍痛くて──額に手が離せられなくなった。
涙が出てきて、額を擦って痛みを無理矢理誤魔化そうとする僕の方針は無意味だと額の痛みが示してくる。
せめて精一杯の抵抗の意思を見せ付けるように睨み付けるものの、男は意に介さない様子で僕の顔を真っ直ぐ見る。
「お前が思ってる以上に『龍』ってのは『人間』と掛け離れた存在だ。生半可な気持ちで関わるなら止めとけ」
それは忠告なのか、或いは単純に邪魔なだけなのか。
どちらにしても聞き入れ難い内容だった。
警鐘の鐘は何時まで鳴っていた。怖いぐらいひしゃげた扉の奥にある感情⋯⋯。
それはきっと無駄なぐらいに甘酸っぱくて、時に苦味があって、いっそムカつくぐらいに濃厚だったりもする。
ずっと閉ざして置いて欲しかった。ずっと知らないままその扉を開かずの間のようにして知らぬ存ぜぬで生きていたかった。
けど、もう遅い。多分それを僕は欲している。
その相手をきっと定めてしまった。
悔しさもなくて、むしろ清々しいまでに認めてしまい。
改めて、僕は赤くなってしまっているであろう額から手を離して立ち上がる。
「生半可な気持ちでアンタに向かってなんていないんだよッ!コイツを殺されたら、僕が困る」
「曖昧だな。気持ち一つで相互理解が出来る程、世の中単調じゃねぇぞ?」
「僕に言わせれば、なんでそんな事をアンタに言われなくちゃならないのか、甚だ疑問なんだけど?」
「⋯⋯コイツを殺れるのが俺だけだからだ」
やれる──。それはつまり、殺すって事か。
駄目だ、そう叫びたかった。泣き喚いて縋り付いてでも拒絶してやりたかった。
けど、その前に覆い被せるように男は口を開く。
「コイツは世界が生んだ『現象』だ。だから、根本的な破壊でもしない限り、蘇って来ちまう」
『現象』という呼び方は、まるで生命体ですら無いように聞こえる。
竜巻とか雷とか、火が出る原理だったり、社会問題として起きた物事だったりとか⋯⋯そんな曖昧で、でも確かに在る、そんな風に僕は受け取った。
『龍』なんて摩訶不思議で珍妙な存在を早々に納得も、深く理解も出来るとも思わない。
けど、彼女は確かにそこに居て、馬鹿騒ぎで一緒に傍に居たのも事実で⋯⋯。
もどかしくなってきて、僕は『龍』へと目を向ける。
喜怒哀楽が激しい彼女に比べて、表情が大して読めない『龍』を見ていると不安に感じた。
「⋯⋯⋯じゃあ、不死身なのか?」
「いや、記憶もリセットされて強さも産まれたてに逆戻りだ。不死ならそうはならない。厳密には面影がある生まれ変わりってところだ。俺ならその生まれ変わりそのものを根っこから断つ事が出来るってだけだ、分かったか?」
この男に殺されると二度と蘇れない。
どんなに望んでも帰ってこないし、一生思い出になってしまう。
騒めく──。苦しくなって否定したい。
頭の中はこんがらがるけど、分かった事は一つ。
「⋯⋯⋯⋯なら尚の事、アンタに殺される訳にはいかなくなったって事か⋯⋯」
「なんだ、分かってんじゃんか」
「ソイツは殺させない。絶対に⋯⋯」
傍から見てもダサいぐらいに拳を構えた。
口喧嘩ならともかく、殴り合いの喧嘩なんてした事はない。
けど男は僕を見ても笑わないまま、毅然と佇むだけ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
眼前にある男の顔を目掛けて拳を振るう。
それを当たり前のように躱して、警戒した僕は急いで左腕を男の避けた右方向に向けた。
けど男は何もして来ないまま、不敵に笑うだけ。
「クソォォォ!────ウゥゥ」
再度顔を目掛けて殴り掛かろうとする僕の右腕はあっという間に絡み取られて、視界は地面から空へと一回転して、背中を強打させられた。
「はいはい、ガンバガンバっ!」
「うぅ⋯⋯⋯⋯ッ!」
『───き、貴様ッ!』
耳を劈く程の怒声が『龍』の口元から鳴り響く。
脳に直接届くようなその声は間違いなく六華の声で、何処となくフィルターが掛かったみたいな感じで、ちょっと不思議に感じる。
「テメェは黙ってろ」
「ごばァッ!」
『龍』の方へと目を向けようとした頃には、突風が身体に舞い込んで来て、思わず目を瞑る。
けど、明らかに攻撃されたような呻き声が耳に届いて慌てて起き上がろうとした。
土埃が肌に付着して、右手を払って視界をクリーンにしていく。
「────あ!りっ──」
名前を呼びながら脚を踏み込んだ瞬間、目の前に男が急に現れた。
「ほい!」
思考停止して、気付けば馬乗り状態。
首元を腕で締め付けられながら、地面から頭を離れられなくなって、呼吸が出来なくなっていく。
「ウゥッ!あーーー!」
「言ったろ、倒したらってな。近付く事はまだ許さん」
徐々に締め付けが強くなっていく。
死ぬ程でなくて、でも不愉快に感じる絶妙な力加減で首を腕を用いて締め付けられる感覚は気持ちの悪さが色濃く増した。
膝を曲げて男の身体を蹴り飛ばそうと画策するけど、全く微動だにせず。
抵抗するように腕を殴り付けても、なんて事の無いように平然としている男の顔が本当に憎らしい。
一発と言わず、百発くらい殴って顔をパンパンに腫らしてやりたい。
脳に酸素がいかなくなる感覚がやってきた。
ボーっと、考えられなくなるこの感覚は久しくて、嫌になる。
耳鳴りが脳に警報のように鳴り響き、心臓の鼓動が嫌に聞こえた。
「なんで死なせたくないんだ?コイツが居ない方が平和かもしれない。コイツが居ない方が安心した生活を送れるし、厄介な問題もある程度緩和される。コレから先に来る事件もある程度どうにかなるかもしれない。それなのに、どうして助けようとする?」
「⋯⋯⋯僕がっ、予知能力者だとでも?」
「まさか。⋯⋯⋯⋯だが、ある程度は気付いているんだろ?このままコイツと一緒にいると、自分の求める『普通』とは掛け離れる、ってな」
首元から腕が離れていくと共に咳き込む。
急ぎ酸素を供給して、溢れ出た涙は視界を滲ませる。
手で拭って視界を安定させていくけど、首元にある違和感が拭えない。
大きく荒らげた息遣い。途切れ途切れの呼吸は身体に掛かる負荷と辛さを緩和させていく。
「なら、やっぱり殺した方が吉だと思うがな⋯⋯」
「⋯⋯⋯嫌だ」
口元に垂れた涎を拭って、今最も毛嫌う言葉を発した男を睨む。
そんな僕を一蹴するように溜め息を吐いた男は僕の首元を締め付けた右腕をブラブラと振って遠くを見つめる。
「⋯⋯感情だけじゃどうにもならないぞー?『龍』が暴れた時、お前どうするんだ?指を咥えて見てるだけか?被害は大きくなる一方だぞ?」
暴れた時──そう言われて僕が思い返したのは、コナーが殺された昨夜の現場と、その時の六華の表情だった。
悲壮感と驚嘆を混ぜ合わせた顔で、黒い鱗が生えていた右手を同じく鱗が目立つ左手で隠す素振りをした記憶の彼女は今でも僕の傷跡。
どうしてあの時、言葉をもっと投げ掛けなかったのか、呼び止める言葉は何かあったのか、何かの間違えという可能性をもっと彼女に追及しても良かったのではないか。
────いや、確かに悲壮感と驚嘆が同時に表れたような表情を六華はしていた。
けど、それは僕の顔を見た後であって、その前の横顔は──。
間違いなく狂人だった。死にそうな男を鋭利な爪で掴んで、返り血を付着させながら恍惚とした笑みを浮かべていた彼女は間違いなく『化け物』と形容出来るものであった。
そんな彼女を次、眼前にした時⋯⋯僕は彼女に抱いている感情を持ち続けられるのか、不安もある。
「まぁ最悪、死人ぐらい出ても問題ないか?なにせお前は『普通』でありたいんだもんな?」
「⋯⋯⋯⋯」
僕の思考や価値基準を見透かされているように男は口にする。
ヤケに嘲笑的なのが鼻につく。それでも、事実だから何も言えなかった。
『普通』であれば、目の前で倒された『龍』を助けられない。
『普通』のままでは、打開策が見つけられない。
そう敢えて口にされているようにも聞こえて──。
「『普通』の奴は『龍』の暴走なんて止められない。『普通』の奴は『龍』と関わらない。『普通』の奴は被害が出る中、オドオドとするだけだもんな?」
「⋯⋯⋯⋯それは──」
現実としても『龍』を相手に知り合いの女性だと、そう確信もある訳でもないのに僕はここにやって来た。
身近な睦生も『龍』を見て『六華だ』とは口にしてはいない。
僕だけの妄想や虚言の可能性だってある。
『人』が『龍』を助けるなんてのは夢物語とか御伽噺の話に過ぎない。
現実としては、怪獣がやってきた、ぐらいの感覚で自分の命が危機に瀕する可能性を極めて危惧して恐れて慄くのが、一般的で当たり前。
仮に睦生相手に、アレが六華だ、そう口にしてもきっと冗談半分に受け取られてお終いだろう。
「はっ。生半可な気持ちで関わられてもいい迷惑だ。消えろ」
そう言い捨てて背中を見せる。
その黒いジャケット越しに見える後ろ姿は──とても怖かった。
目前で倒れてしまった『龍』へ迫る足音は一歩一歩が死神の鎌を振る音にも聞こえる。
僕に向かっている訳では無いというのは百も承知で、もしかしたら六華ではないのかもしれないという可能性だって残っている。
「⋯⋯⋯⋯っ。ぼ、僕は⋯⋯」
ゆっくりと立ち上がった。
諦めたくなかった。もしかしたら、ひょっとしたら、そんなぐらいの可能性で直接名前を聞いた訳ではないから、まだ疑問はある。
でも、それでも⋯⋯僕は立ち上がった。
「僕は⋯⋯⋯⋯」
背を向けていた男がポケットに手を突っ込みながら、僕へと目を向ける。
くだらなさそうに、極めてどうでも良さそうな面を僕に向けながら脚を止めた。
「『龍』と関わるって事は普通じゃいられない。『龍』と相互理解をするのは簡単じゃない。たとえ話をしている風を装っても本心は分からない。人同士の会話でもそうだろ?あれの超難問版だと思ってくれればいい」
警告だったのかもしれない。
『龍』と『人間』が関わる事の不安要素や危険性を手短に口にしたように思えた。
『龍』を相手にビギナーズラックは発動しない。
『龍』の暴走を止められる術なんて持ち合わせていない。
『龍』と会話したぐらいで一丁前に自慢出来る要素はない。
要らないし、求めてもなかった。
僕が欲しいのは──。
「分かってくれたみたいだな。じゃあ、殺すか」
「っ!ま、待ってくれ!頼む!」
駆け出した僕は男の脚に必死になってしがみ付いた。
少しでも、僅かでも抵抗するように──。
引き摺られるように膝は地面を擦らせて、腕に目一杯の力を入れて、片脚だけでも動く事を阻止しようとするけど、男は一向に止まらない。
────止まる事を知らなかった。
「⋯⋯⋯頼まれる謂れはない。大人しく最後の時を見てるんだな」
「ま、待って!待ってくれ!待ってください!お願いだから、殺さないでくれ!理屈云々じゃないんだ!頼むよーー!」
「じゃあ、お前にはどうにか出来るのか?コイツが暴れた時、止められるストッパーとして制御出来るのか?妹の事もちゃんと見てやれないお前が?」
「⋯⋯⋯⋯っ。それは、その───」
「お前って奴は、ちょっと甘く物事を見すぎてる。妹の事もそうだが、事柄一つ一つを軽視してる節がある。短絡が過ぎるんだよ」
「⋯⋯⋯⋯ちゃんとする!ちゃんとやるよ!」
自分でも少しビックリするぐらいに情けない声が出た。
弱くて、しがみ付くしか出来ない僕の抵抗は一向に良い傾向を見せず、いよいよ眼前まで『龍』の顔が迫っていた。
焦燥感が増していく。心臓は更にバクバクと告白でもするのかと言わざるを得ないぐらいに早鐘を打っている。
何も出来ない僕の、僕なりの抵抗はこの男には響かないし届かない。
内心分かっていたのかもしれない。
それでも、僕は口を走らせていく。
「僕がちゃんとコイツを、『六華』をちゃんと見るから!舞喜の事もちゃんと見るから!ちゃんと、しますから⋯⋯⋯⋯」
「信用出来ると思うか?口先だけは要らない。欲しいのは結果だ。それに『普通』は言わなくても出来る事だぞ?」
「⋯⋯っ」
口先だけ⋯⋯⋯⋯。
そう言われて、何も言えなかった。
舞喜の事をちゃんと理解していたかと言われればきっとNOだ。
アイツの言葉に期待とか望みみたいなものを抱いた事もない。
『家族皆仲良く』なんて馬鹿馬鹿しい理想を口にしてから尚の事それが顕著になった。
それでも良いと思っていて、正しいと何処かで納得させていた。
だから、『普通』が欲しかった⋯⋯。
僕だけは違うと、この家族とは違ってマトモなんだという証明のようなものを欲していて、求めていた。
「──『普通』ってなによ?アンタの言う普通なんて、世界中で起こった異常とか緊急事態からによって産まれた産物でしょ」
六華の言葉を思い出した。
アイツはあの日の夜そう言っていて、今なら分かる。
僕達一般人は誰かが、国が、世界が起こした事件とか戦争とか、災害とか⋯⋯そういった事柄を起こさないように、出さないように、警告するように、日々誰かの思案によって生きている。
僕にとっての『普通』とはなんだったか。
自分だけが良い気になる為の結果であって、それ以上に具体的な思案も計画もある訳じゃない。
雲みたいに掴めないもので曖昧で不透明さが見え隠れしているぐらいのもの。
何も無いのと変わらなかった。
僕の『普通』はきっと『普通』じゃない。
『普通』で在りたいと望む事自体、『普通』じゃないんだと、僕は悟った。
「人の努力ってのは、大概結果から反映される。何か偉業を達した奴の努力や費やした日々の苦労ってのを、世間の皆々様は結果を知った後から知ろうとするもんだ。本当の意味で初めから知ってるのは間近に居てくれる人間だけ。お前は甘ちゃんだから、その存在を一人損失しようとしている。それが気に入らん」
「⋯⋯⋯⋯舞喜の事か?それとも、父さんと母さんの事か?」
「それはお前次第だ。誰に見て欲しい?誰に自分の努力を間近で見てもらいたいんだ?」
「⋯⋯⋯⋯僕は⋯⋯」
質問の意図が掴めなかった。
それでも強いて言うなら、もう決まっている。
「僕は、皆に見て欲しい⋯⋯。自分は良くやってるって!」
僕はきっと『普通』にはなれない。
『普通』であろうとすればする程、何処かで掛け違えていく。
でも、それでも──『六華』だけでも助けたい。
『普通』っていう有り触れた理想を棄ててでも、助けて、褒められたかった。
酷い話だ。──親の血をしっかり継いでいる。
しかも、一番嫌な部分を──。
「⋯⋯⋯皆、か⋯⋯」
しがみ付いていた僕の腕を引き剥がすように、男の手で掴まれた僕の右腕はそのまま持ち上げられるように身体が上がっていく。
「承認欲求を飛び越えて、自己陶酔にでも溺れたいのか?」
「⋯⋯⋯そうだ」
「ふっ。親の事を酷く言えないな、お前」
「⋯⋯あぁ」
全く持ってその通りだ。二度とそれについて馬鹿に出来ない。
自分も同じ穴の狢なんて事、知られたくもなかった。
大きく溜め息を吐いた男は僕の腕を離すと、『龍』に背を向けて僕を見下ろす。
「まぁ、良いか。上出来⋯⋯の二歩手前ぐらいだな」
「そ、それじゃあ──」
「ただし、まだコイツは助けない。⋯⋯お前はまず家族を探して、ちゃんと清算してこい」
「⋯⋯⋯分かった」
清算、とはなんだろうか。
兄らしい事も息子らしい事をした試しがない僕にとって、清算しなければならない事は多くある。
言われて気付いた側の僕は、それを少しでも考える余裕が欲しかった。
「それと、『普通』なんて基準は捨てちまえ」
「え?」
「『普通』ってのは、現代社会で言う所の『秩序ある人間』を示すんだ。しっかり社会のルールを守って、やる事やって、食べて、寝て、ちゃんと生きてりゃ⋯⋯。それが『普通』ってもんだ。それが出来てるんなら、『普通』じゃない事やっても『普通』なんだよ」
アドバイスなのだろう。僕の事を見透かしてさも知っている風に語った言葉には説得力のようなものが見受けられなかったのは何故か⋯⋯。
でも、僕にとっての『普通』を棄てる必要は無いのかもしれない。
この人の言う言葉が正しければ──。
「⋯⋯⋯⋯ありがとう⋯⋯ございます」
「まぁ、『普通』じゃない事やるのは隠れてやるもんだがな?だから『普通』でいられる、なんて事もあるかもな。その辺の解釈は自分で考えろ」
「────はい」
『龍』へと視線を向け、親指で指し示す男は軽口で一言、こう言った。
「一時的にコイツを牢獄に送る」
『龍』のサイズに合った刑務所や留置所のようなものでもあるのか?そう思ってしまった僕の顔は徐々に怪訝なものになっていって、男はそれに気付くと何故か頷いた。
「⋯⋯投獄と言う言い方はちょっとマズったな。すまん。厳密には封印だ」
「封印⋯⋯?」
「『龍』の封印を解いて欲しかったら、今回の起きた事件⋯⋯お前が解決してみせろ」
─────頭が真っ白になった。
至って平然と、淡々と言った男の顔からは余裕のようなものが垣間見える。
けど、僕はどうだろうか。男の言葉一つで思考停止しして、しまって思わず聞き返してしまった。
「⋯⋯⋯はい?」
「だから、お前がこの街で、今日、起きた事件の犯人を、捕まえて見ろ!そう言ってんだよ」
僕が苦悶の表情を浮かべてしまうまで、時間なんて掛からなかった。
警察とかそういう頼り甲斐のある人達がやるべき事を、僕がしなければならない、その重みがグッと全身に負荷として掛かり始める。
痛みもないし、実感も湧かない。
なのに、嫌な胸騒ぎだけはずっとした。
(最悪だ。いっその事、聴覚がおかしければと良いのにと思ったのに⋯⋯)
「辞めるか?良いんだぞ?その時は『龍』におさらばしてもらうだけだ」
ハッとなって目と鼻の先で倒れてしまった『龍』の顔を見つめた。
口元には血が大量に付着してしまっていて、赤と黒の鱗はボロボロに剥がれてしまっている。
そこから滲み出る血が尚の事痛ましくて堪らない。
「生殺与奪は俺が握ってる。それを夢夢忘れるな」
「根本的な解決はしてない。あくまでも利用された武器を壊したに過ぎないからな」
「⋯⋯⋯⋯最低だな、アンタ」
「失敬だな。慈善活動だと勝手に思い込んでたそっちの落ち度だろうが。折角、封印の時に傷も治してやろうと思ってたのに⋯⋯⋯はぁ〜、やる気損なったわぁ〜」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
わざとらしく口にした男の態度にイラッとさせられた僕は男の顔を見た。
軽く口笛を吹きながら遠くを見つめる男はそんな僕の方へと視線を向けると、軽く笑ってみせる。
「⋯⋯⋯冗談だよ、二割はな」
「うぅ⋯⋯。二割だけかよ」
残り八割はダメージ有りのまま、男の言う封印を施そうとしていって考えると、少しゾッとした。
その封印の間に息が途絶えました、なんて洒落にならなさすぎる。
文字通りの生殺与奪の権利を握っているのは僕ではなく男の方で、僕には拒否権すらない。
やらなきゃいけない事──。
そう納得させようと頭を整理していると、背後へ近寄った男が僕の背中をトンと押す。
「ほら、一旦さようならしろよ。情けで時間はくれてやるから」
感謝の言葉はなかった。すぐさま、僅かに開かれた大きな口元に近寄って鼻辺りを手で触れようとする。
震えていた。武者震いのような類いだと信じたかったが、そうじゃなかった。
純粋に恐れてる。『龍』の口が開かれて噛み付かれたりでもしたら、僕はあっという間に死んでしまう。
全く見知らぬ存在を『六華』だと仮定していただけの愚か者では無いと──そう結論付けたくて、僕はそっと問いた。
「⋯⋯⋯六華、お前なんだよな?」
閉じ切っていた瞼が徐ろに上がった。
太陽を反射するかのような鈍色の輝きと、惹き込まれそうになる群青色の瞳は僕の方へと向かう。
グググっと、少し顎が上がった──けど、すぐに地面に着地して、土煙を起こす。
濃い茶色の土は靴元を走って、一定のルートを辿っていた血液は僕とその近くへと脱線するように飛び散った。
「六華──なんだよな?」
伸ばした右腕は『龍』のゴツゴツとした鱗が生えた鼻の上に添えて、擦っていく。
肌触りはザラザラとしていて、乾燥しているのか触り心地は良くなった。
それでも、何故か僕の左腕は『龍』の口元に近付けて側面を撫でていく。
『─────どう⋯⋯して』
「目の色⋯⋯かな?声じゃ判別付かねぇから⋯⋯後は、何となく」
『見な、い⋯⋯⋯で。この姿を、アンタに見られるつもり、なんて』
ベタつく左手。真っ赤血が付着して、気持ち悪く感じた。
でも、離れられなかった。
一歩、前へ行って更に『龍』に近寄る。
相手が見知らぬ存在ではなくて『六華』だと言うなら、幾分か余裕がある。
そう思い込みたくて、踏み込んだ脚はヤケに震えていた。
鱗を擦る手は次第に動かなくなっていく。
恐怖心が動作に出始めて、それは自然に顔に出て来てしまう。
『怖くないの?』
「怖い。食われるかもって思ってる。正直、手が震えてる。ほら⋯⋯⋯⋯」
右手を上げる。『六華』の目線でよく見えるように肘が伸びきっていない不細工な挙手は、心境の表れだったのかもしれない。
『なら──』
「でも六華がどんな姿だったとしても、お前がお前である事に、その⋯⋯変わりはないから⋯⋯⋯」
伝えている筈が、気付かない内に自分に言い聞かせていた。
大丈夫だと、不安要素は何一つとしてないのだと、手を差し伸ばす事は間違っていないのだと、言い聞かせていく。
人生で怖い時間だった。けど、最も怖いのは──。
目の前で人が死ぬ事のみ。
コナーの死がよりそれを鮮明にさせた。
僕は、僕の理想とした『普通』にはなれない。
ならせめて⋯⋯僕が僕らしくある為に、自己陶酔に浸ってでも──『六華』を助けたかった。
たとえそれが『龍』であっても、見知った人間を目の前で死なせたくなんてない。
我儘だろうし、思い通りに事は運んではくれないだろうけど、それでも良い。
僕らしく、僕の『普通』の在り方で彼女を救いたいと、強く願った。
『准⋯⋯⋯⋯。私は『龍』⋯⋯『刃龍』で『怪物』なのよ?』
「知ってる。お前の攻撃のせいで、僕達は危うく死にかけた。今でも夢に見そうだ」
『─────ごめんなさい』
「でも、それでも⋯⋯⋯。やっぱり僕はお前と一緒に居たいよ」
鼻に乗せた右手に少しずつ力が入っていく。
拳は作られて、気付けば不安とか恐怖心よりも大きな感情が口を走らせていた。
「そりゃ、最初は怖かったし、コナーを殺したのは許してない。人殺しなんて僕は許容しない」
『⋯⋯⋯⋯』
「でも、それでも⋯⋯⋯⋯。六華が僕を助けてくれた事実も消せない。だから───」
まだ伝えていなかった言葉。言わなくちゃいけない言葉がある。
コナーというアメリカ人を殺した事は許していないし、もっと上手く解決出来る術もあったかもしれない。
けど、それでも⋯⋯僕は彼女にあんな風に悲しんで欲しくなかった。
鱗がなんだ。白い爪がなんだというのだろうか。
ギュッと握ればそれはただの『手』だった筈だ。
追い掛けなかったのは僕が弱かっただけの事。
彼女が物理的に逃げたのなら、僕は精神的に逃げたようなものだ。
挙句、一人馬鹿みたいにイライラとして妹や母さんに当たり散らかすみたいな事をしてしまっている。
変わらなきゃならなかった。
僕が今の僕を肯定出来るように──。
「ありがとう。それと、ごめんな。あの時、怖がって⋯⋯」
龍の目にも涙は流れるのだと、今日──初めて知った。
赤い光は大きな龍の身体を包み込み、気付けば僕の足元に六華が座り込んでいた。
髪はクシャクシャで、右眼を隠すように整えられていた前髪も意味を成さなくなっていて銀色の瞳はコチラを覗き込んでいる。
赤と黒のドレスは至る所が破れてしまっていて胸元に至っては完全に見えてしまっていた。
丈の短かったスカートも黒いソックスもヒールもボロボロで人肌は傷だらけ。
額から血が流れていて、口元から顎へ流れる血液と合流しそうになってた。
目線の高さを合わせるようにしゃがんだ僕に六華の涙で濡れた視線は追尾するように向かう。
六華の顔には擦り傷と打撲痕があり、縦に二本の透明の線が顎へ向かって落ちていた。
ゆっくりと伸ばした右手。さっきまで赤い鱗に触れていた感触との違いを確かめるように頬に手を伸ばした。
擦り合わせるように首を傾けて瞼を閉じた六華は左手を僕の右手に寄り添わせる。
頬に付いた傷から滲み出る赤い線と濡れた涙の跡を拭うように親指で擦っていく。
すると、ポスッと僕の胸元に彼女の頭が置かれた。
依然として右手は彼女の頬にあり、余った左手をどうするべきか迷っていた時、彼女の右手の指が迷子の左手の指に絡んでいく。
掌と掌がピッタリくっ付いて、離れそうにない。
熱が冷め切っている彼女の右手を温めるように強く握った僕の左手に呼応するように彼女も少し力を強めた。
「准、私ね、今⋯⋯とても幸せなの。この感情が何なのか、分からないけど⋯⋯きっとこの温かい感覚は⋯⋯、ポカポカするこの感覚は気持ちの良いものだって分かるから⋯⋯⋯。ちゃんと理解出来るようになるから」
六華の顔が上がっていく。
コチラの顔を覗き込むように見上げられた彼女はやっぱり泣いていて、口元は引き結ばれていた。
添えられていた彼女の左手が僕の右手から離れると、今度は僕の頬へとゆっくり伸ばされる。
不思議なものだった。『龍』であった時はあれほど怖かった筈が⋯⋯今では全く怖く感じない。
その華奢で傷だらけの右手だって、『龍』の鱗が隠れていて、白くて鋭利な爪だって何時でも引き出せると分かっているのに、全くと言っても良い程に動揺や恐れは感じず、僕の心は澄み切っていた。
伸ばされた右手に顔を近付ける。
六華は少し驚いた様子で半開きの瞼を少し見開いた。
「ありがとう、准。ずっと、一緒に居て。私が抱いてるこの気持ちを知れるまでは⋯⋯。お願い」
「うん。約束する。僕はお前の味方でありたい。今はまだ曖昧だけど⋯⋯⋯きっと、もっとちゃんと口に出来るようになるまで、僕はお前を見続ける」
僕は六華の言葉に即答で答えた。
僕もちゃんと自分の心に整理を付けて、ちゃんと言えるようになりたかったから。
同じ波長でなくても、同じ歩幅でなくても、同じ思考回路ではないとしても⋯⋯。
せめて、この言い表しようのない心温まるこの気持ちだけは同じであって欲しいと──強く思った。
「⋯⋯⋯⋯⋯うん。はぁ〜、温かい⋯⋯⋯」
ギュッと身体を締め付けるように抱き締められる。
彼女の言葉とは逆に僕は彼女の体温が冷たく感じた。
だから、少し強く抱き締め返した。
すると、男は僕と六華の横へ歩いて来て小さくて模様が入った茶色い箱を取り出す。
「じゃあ、投獄させて貰う。これに懲りたら、悪さは控えるんだな」
緑色と黒の筒を地べたに立てて置いた男は軽快に指を鳴らした。
盛大に響いたその音はよく木霊して、造林地帯の静寂さには邪推とも感じる程である。
「⋯⋯⋯⋯っ」
六華の身体は徐々に薄くなっていく。
形は人型から鬼火のように揺らめく青白い玉へと変化していく。
糸で引かれたように上空へと浮かんだその玉は螺旋を描くように後下。
その先にある筒は知らぬ間に開いていて、すっぽりと筒の中へと収納される。
圧縮されるように縮んでいく筒はハッキリ目視で見ていたにも拘わらず、知らない間に蓋が成されていて、地面に小さな音を立てて倒れた。
「あ、六華⋯⋯⋯⋯」
掌サイズの筒を掴んだ男はグッと握り締めて、すぐに手を開く。
「持ってろ。これはお前が持つべきもんだろ?」
「⋯⋯⋯⋯コレ、どうなって⋯⋯」
蓋と筒本体に留め具のような物が形成されていて、そこから伸びるように赤と黒の色が交互に施されたストラップが備え付けられていた。
「サービスだ。腕に付けるなり、ポケットに入れとくなりしろ。どの道、俺じゃないと封印は解けない」
「⋯⋯⋯分かった」
掌サイズにまで縮んだ筒は添えた両手に置かれた。
この中に六華が居る。そう思うと、ポケットに入れておくのは何故か申し訳なくなってしまう。
「ベルト⋯⋯は無いのか。ある奴に付けようと近付けろ。そうしたら穴に勝手に適応して挟まってくれる」
「なんだよ、その便利アイテム。二十二世紀はまだ先だぞ?」
「残念だが、あの青タヌキはネジが外れてるから黄色くて、赤いリボンの子をオススメするぞ」
手で逃さないようにと握り締めた筒。
僕が上手くやれば、しっかり解決さえすれば、六華は帰って来る。
そう思うと、やる気が上がった僕は立ち上がって男へ視線を向けた。
「⋯⋯あ、そうか。忘れてた。俺は朝倉拓也だ。まぁ好きに呼べ」
「朝倉拓也⋯⋯⋯じゃあ、朝倉さん」
「⋯⋯⋯⋯⋯なんか少年に下の名前で言われるのって腹立つな。やっぱり朝倉様か朝倉様か朝倉様にしろ」
「無数にあった選択肢が一気に一つになった⋯⋯」
東地区の郊外で二人きり。
静寂にも似た造林地帯で小さな筒を一つ持って、僕は朝倉拓也なる男を訝しんだ視線で見つめた。
僕にとっての邂逅。人生の分岐点。
与えられた役目は壮大で、大層な重責が身体を襲う事だろう。
それでも、やらなければならない。
果たさなければ彼女は日の目を浴びる事は二度とないのだから。
何処かの前書きか後書きで書いたと思うのですが、基本的にこの作品に出てくるキャラクターは一律イカれてます。
マトモなのは幸坂浩太郎と牧原逸花ぐらいのものです。
特にイカれているのは桐江准と鳩羽辺りでしょう。
彼らの精神はもうボロボロ(笑)。
過去編終わればその鱗片を垣間見えるでしょう。
というか、見せます!




