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この街は今日も語る  作者: 紫芋
Spring hour 桐江准は普通でありたい

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空弩街攻防戦(2)

 僅かな憤りと遣る瀬無さを胸中に抱き、駆け出した骸魅《むくろみ》笑撫《えな》とその後方で彼女の背中を打たれないように構えたまま態勢を維持する真田《さなだ》翔越《しょうえつ》は真っ直ぐと精肉店へ向かう。


 彼女の手に持っているソレを切り札として⋯⋯。


「えぇな?!チャンスは一回きりやで!」


「言われなくても一度で終わらせるつもりだ!」


 一目散に向かってくるのを捕捉しているアカールは慄き、焦燥感に身を動かす。


「な、なんで!あわぁぁ、ど、どうしよう!」


 近付く足音。鳴り止まない焦燥の心拍数。震える手と映り込む自身の顔がそれらから齎される不安感を物語っていた。


 肉が並べられたそのショーケースの下部に貼り付けられた掌サイズの鏡を見つめるアカールは自身の持つ手鏡を前に出す。


「うぅ、僕にこんな事させるなんて⋯⋯」


 アカールには求めている平和がある。


 理想を抱いて、島国である日本へと赴いたアカールは諦めが付かなかった。


 精肉店に設置されているショーケースの丁度真下にある黒い釘状の支柱を守る為、逃げ惑う人々を引き摺り込み、安全を確保という蛮行にして凶行。


 その行いに罪悪感が無いかと問われれば当然ある。


 だが、もう止まれない。走り出してしまった理想への道筋を途中半ばで投げ出せられる程、アカールは諦めが悪くなかった。


 意を決したように大きく息を吸い、唇を震わせながら口にする。


「【新しい住人だ】!引き摺り込め!」


 現在、この街は雷雲に覆われている。


 光出して三秒から五秒先から鳴り響く雷鳴はアカールの声を掻き消して、雨粒は天井の窓を強く叩く。


 手に持つ手鏡からショーケースに貼り付けられた鏡へ。


 斜めに貼り付けられたその鏡は更に反射し、並んだ出店の反射する物へとジグザグと稲妻形のように突き進み、三十メートル先に居る二人へ迫る。


「来たで!」


 笑撫が顰め面でそう口にした。


 翔越もポケットからあるものを取り出し急ぎ操作する。


 たった二秒程度の操作は終わり、迫る『怪異』へ警戒を続けた。


 既に『怪異』によって鏡の中に連れ攫われてしまった穀塔《こくとう》世中《よなか》と笑撫は『怪異』の『邪気』を感じられるが、翔越はその『邪気』を感じられない。


 その為、笑撫の合図と判断に委ねられる形となっていた。


 既に右往左往と縦横無心に鏡の中を移動し続けれる『怪異』の動きに目視で着いていけない笑撫は感覚頼りで判断する。


「黒い影が居るなぁ⋯⋯⋯」


「よー、見えんなぁ。ウチには全く見えん」


 動体視力が高い翔越、感覚が鋭い笑撫。


 二人の息が合わなければ成し得ない一つの作戦。


 既に囲むように反射する物を経由して二人の隙を窺う『怪異』に対して、もどかしさすら覚える。


「お願い、お願い、お願いッ!──もう、僕達の邪魔をしないでくれ!」


 懇願したアカールは無意識に口にしてしまう。


 それが合図のように飛び出した。


 黒い手は二人の内、どちらかを確実に引き摺り込もうとする。


 ジワジワとなんてまどろっこしいとばかりに急接近。


 笑撫の視線が一気に左へ向かった。


「そこや!」


 指を差した笑撫と同時に左後ろ側から迫る黒い手。


 クリーニング店のガラスから伸びた複数の黒い手は翔越へと向かっていく。


「分かってるっ!」


 長剣は大きく地面を摺りながら、大きな衝撃を呼び起こす。


 斜めに振り上げられたその長剣は二本の黒い手を引き裂く。


 彼女が指を差したクリーニング店の窓ガラスから更に伸びていく黒い手は翔越目掛けて突き進んでいき、足元に絡み付くように縛り上げた。


「っ!やっぱ速ぇ!」


「いや、もう終わりや!」


 手袋を装着している笑撫。


 翔越の脚に絡み付いた黒い手へと彼女の拳が触れた。


 反射して映り込むその二人の光景にアカールは訝しむ。


「な、なんだよ?!アイツら⋯⋯」


 黒い手は何故か長剣によって引き裂かれる光景に驚き、手袋を装着したからと言って何かが変わる訳ではないと高を括っていた。


 パリンッと小さな亀裂音が鳴り、引き攣った顔をしたアカールは手元へと恐る恐る目線を落とす。


「⋯⋯⋯⋯え?あ、ぁぁ⋯⋯⋯⋯【鏡】が!」


 持っていた手鏡がガラス部分だけ綺麗な亀裂が走り出した。


 円形の形と木製の取っ手というシンプルな形をした形見の手鏡は最後、空洞になったようにガラス片が飛び散り、アカールの顔を刺しつつ、落ちていく。


「そ、そんな⋯⋯お母さんの形見が、な、なんで?」


 不用意に扱った事は無く、丁重に日々手入れすらしていた形見はガラクタへと変貌した。


 アカールのショックは凄まじく、頬や鼻先に刺さった小さなガラス片には気付かないまま呆然としてしまう。


 だが、そんな彼の意識を一気に傾ける声が聞こえた。


「ウチが自分とのパスを無理矢理消して、封印したからや。そのアクシデントが【憑いてた】物に影響を及ぼしたんやで」


「!?」


 精肉店の壁に腕を置き、顔を覗き込ませるような姿勢でアカールを睨む関西弁の女性が一人。


 ニヤッと不敵な笑う笑撫は、さながら仇敵に出会したかのようであり、侮蔑の視線を向けながら近付き、アカールにガシッと掴み掛かると顔を近付け凄む。


「見っけたでぇ?もう逃げられんぞ、デブゥ」


「な、なんで?───あ、そ、そんな」


 割れた手鏡が手元から滑り落ちる。


 涙目で身体を震わせながら強制的に立ち上がらされたアカールだが、彼に情状酌量の余地など笑撫は与えない。


 たとえそれが、十八歳の子供であったとしても⋯⋯。


 一方、取り込まれてしまったガラスから即時帰還を果たせた世中の傍に寄り肩に腕を回す翔越は満足そうに彼の顔を窺った。


「⋯⋯⋯戻ってきたか。世中」


「うん、中々に快適だったよ。まさか、鏡の世界というものが、左右反転していないなんて⋯⋯驚きだ」


「言ってる場合か!」


 危機的状況に一度、二度追い込まれたとしても世中は変わらない。


 平常運転のように口にした知識への探究心が疼き、連れられて僅か数分間程体験した世界を思い返していた世中に呆れを通り越して唖然としてしまった翔越。


 依然、商店街に居たであろう人達は帰ってこない事に翔越は慌て始めて世中の肩から腕を離した。


「他の人らは!?」


「安心したまえ。直に戻るだろう。僕は呑み込まれてからすぐに救出されたから、こんなに早く戻って来れたに過ぎない」


「───とっ捕まえたで!コイツや」


「離せ!離せぇぇえ!」


 笑撫の耳に通る大声で二人の意識は精肉店の方へと向かった。


 翔越は目を疑った。世中は少し訝しんでアカールを見つめる。


 まだ成人しているようにはとても見えなかった事もそうだが、顔には青いたんこぶが出来上がっており、口元は切れていた。


 痛ぶったと言うには生易しく、かと言って暴力かと言われれば間違いなく暴力と言える加虐性が牙を向いたと一目瞭然。


(あ、笑撫の奴⋯⋯。また暴れたな)


 何時も癖が出てしまったか、そう額に手を添えた翔越は首を横に振る。


(僕達も気付かない間に⋯⋯。凶暴性は依然変わらないね)


 この商店街にやって来た十分前とは比較にならない程に調子を取り戻した笑撫を朗らかな笑みを浮かべた世中は首を縦に振る。


「アカンで、逃がさん。逃がす訳ないやろうが」


 呵責なんて許さない。逃避は絶対阻止の寝技が炸裂。


「アアアァァァァァァァァ!」


 アカールは涙を浮かべて、ふくよかな身体を激しく揺らす。


 擦り合わせた硬い地面に腹部を擦り付けて黒の服を汚していく。


 未だに世中以外に鏡の世界から帰還していない空虚にも等しい商店街で痛ましい悲鳴が鳴り響く。


「喧しいねん!はよ皆を元に戻せや!」


 激しく抵抗しつつ暴れるアカールに舌打ちをした笑撫は遂に我慢ならず、更に力を加えた。


 そして、捕縛術で左肩の関節をへし折ろうかというぐらいにまで強く背中に寄せて、アカールに更なる絶叫を齎し、脚を大きくばたつかせた。


「もう自分じゃあウチの相手にもならん!諦めて捕まれや!ダボめが!」


 威勢の良い笑撫の声が商店街に鳴り響く。


 アカールは諦めた。世中と翔越はもう間もなく帰ってくるであろう一般人の帰りを待とうと座れる場所を探そうとしていた。


「────そうか、なら俺が相手する」


 三人がこの商店街の入口から聞き馴れない声が鳴る。


 だが、たった一人────アカールは知っていた。


 その声を聞いた瞬間、まるで痛みなど忘れたように口から悲鳴は漏れる事は無くなった。


 商店街の入口付近に灰色のブルゾンジャケットを着たアメリカ人が一人。


 首を斜めに傾けながら、笑撫の言葉に返事をした男が入口で毅然と佇む。


「⋯⋯⋯ワノル!」


 声を聞いただけで分かったアカールは嬉しそうに顔を後方へ向けようとする。


 世中、翔越は歩き出し、笑撫と同じ位置に並ぶ。


 臨戦態勢を取る。この状況下、この場面で男の台詞一つ。


 何も起こらないなんて甘い考えが二人には無かった。


 明らかな敵意が商店街に広がる。


 鋭く睨み付けられたその眼光に翔越は息を呑む。


 滲み出た敵意という水場は膝元まで浸かってしまった感覚がして、世中の手は次第に震えが止まらなくなっていく。


 存在感が、威圧感が────馬乗りになって背を向けていた笑撫に鳥肌を齎す。


 三人共に察した。新たに現れたこの男は『強い怪異』を従えさせていると。


 中央地区でプルトンの警護を受け持っていたワノルが現れてしまった。


 少女と出会ってから、たった三分後の到着。


 中央地区で人気が無くなり、空から警備していた『怪異』が動きを完全に停止したのを合図に急ぎ背に乗り飛翔。


 その後、疾風迅雷の如く前もって受けていた配置に向かう予定だったワノルは最も打たれ弱いアカールの元へと向かってしまった。


 そう、向かってしまったのだ。


「待ってろアカール。共に理想を掴むにゃ、お前も一緒じゃなきゃ駄目だ!」


「⋯⋯⋯ワノル⋯⋯⋯⋯」


 感涙にも似た涙を流すアカール。既に抵抗という二文字はなく、大人しくしていた。


 アカールにも注意を払っている笑撫だからこそ伝わってしまうアカールからワノルへの絶大な信頼に思わず舌を鳴らしてしまう。


「ほざくなや!自分らのしでかした事に比べたら、このデブが捕まるぐらい大した事ないやろが!」


「貴様の理屈を聞く為に、ここに居るんじゃねぇんだよ。消えろ日本人っ!俺達の理想の生贄になれ!!」


 怨嗟の炎と黄金にも似た不吉の海は街を覆い尽くすべく、何処からともなく広がり始めた。


 溢れていき、雪崩込み、呑み込む。


 触れた人間を永劫の世界へと回帰する為の『啓示』だった。


『啓示の箱』が齎した災害はまだ続いている。


『空弩街』を侵そうと今尚、プルトンの計画は進行中。


 商店街にもその影響は現れ始めており、黄金の海が雲にも似た煙が立ち込め始めていた。


 計画の要、【数字を刻まれた獣】の真価が発揮される。


 ワノルは彫られた掌サイズの小さな石を空へ向けるように翳す。


「【降誕しろッ!】」


 暗雲の曇天は商店街の真上に発生し、商店街の真上にある天井へ落ちた。


 急に訪れた白の閃光は三人の瞼を思わず閉じさせる。


 容赦なく天井のガラスは地面に向けて散らばっていき、商店街の中に三本の巨大な稲妻が疾走した。


「なんや!」


 翔越に襟を掴まれた世中は回避し、事態が一気に変わった事に動揺こそするもののアカールの上に乗っている笑撫は回避行動を取る必要は無かった。


 前方へと駆け抜けた稲妻を呆然と眺めた笑撫は苦い顔を浮かべつつ、アカールを掴む腕は強くなっていく。


 アカールと馬乗りになっている笑撫を残して商店街は入口から巨大な三本の傷跡のように地面を抉る。


 煉瓦で作られた地面は大きく跳ねて、店の様相を大きく変化させていた。


「中央地区に飛んでいた奴だ。成程、あれほどデカイ翼だ。攻撃もデカい訳だ」


「ひ、ひでぇ⋯⋯⋯⋯。五百メートルぐらい先は飛んじまったんじゃねぇか?」


 苦い顔を浮かべた翔越にもはや余裕はない。


 見えたと言えど、躱しきれたという訳ではなかった。


 光の速度に脚は直撃し、立っているのがやっとというぐらいまで体力は持っていかれてしまう。


 世中は翔越が守る形で回避に成功し無傷ではあるものの、頑丈な翔越のダメージ量に顰め面を浮かべた。


「いや、恐らく⋯⋯⋯もっとだよ」


 稲妻という光の速さは地面を当たり前のように抉り、轍を残して痛ましい傷跡を平然と齎す。


 避雷針なんてものは作用せず、ゴム製品も電気を流す性質こそあるものの、直撃すれば衝撃は伝わる。


 水場なんて邪道そのもの。焦げた煉瓦も砕け散ってしまった店の景観も全てたった一匹の翼によるものである。


 人が居なかった事が攻めてもの幸いだった、そう世中は心の中で安堵をしてしまう。


「戦《おのの》け!コイツは【サンダーバード】!嵐と雷の由緒正しい伝説だ!」


【サンダーバード】──雷と嵐を使役する鳥の形をした精霊。


 大きく巨大な白と黄色の翼、丸みを帯びている巨大な嘴《くちばし》とルビーのように真紅色に燃えた瞳をしている茶色い体毛をした怪鳥である。


 パッと見は生態から少し外れた巨大な鷲。


 しかし、五メートルを優に超えるその全長と自由に放つ事の出来る雷はあらゆる生物の予測を超える程の精密な雷撃と捕捉が可能。


 デンキウナギのように微弱な電流を辺りに放出して敵の位置を常に捕捉し、自然界の雷のように激しい轟音を鳴らしながら敵を穿つ。


 天井の骨組みに巨大な足の爪が食い込ませながら、三人を捕捉した【サンダーバード】の真紅の瞳が見下ろされた。


「⋯⋯⋯⋯ッ!笑撫!その子から離れろ!」


 何かを察した世中は急ぎアカールの背中に乗っかり、腕の関節を折ろうとしている笑撫に向かってさけんだ。


 折角見つけた敵、というのもあったが⋯⋯最大の問題はこのワノルがアカールという人質が居る状況下で自身に攻撃をする筈が無いだろうという驕りである。


 少なくても笑撫に攻撃すれば、アカール諸共攻撃をする事になる。


 助けに来たと謳っておきながら、そんな間抜けな真似をするとは笑撫には思えなかったのだ。


「なんでや!」


「良いから!離れるんだッ!」


 第二撃が飛雷した。圧倒的な速さに笑撫は着いて来れない。


 だが翔越だけは違う。彼は唯一肉体的にも反射神経、動体視力といった観点に於けばこの中に居る誰よりも優れていた。


 笑撫の腕を掴んで大きくスイング。そのまま後方へと投げ飛ばし、先に奥へ向かっていた世中がそれを受け止める。


 轟音と激しく地面を削る音が双方共に翔越の真横を通り過ぎた。


 だが、衝撃だけは逃がしてはくれなかった。


 翔越の身体は既に様相が変わり果てた薬局店まで吹き飛ばされてしまい、壁に大きく激突してしまう。


 散乱した薬、倒れて散らかった市販の薬やガーゼの類い。


 消毒液の匂いが翔越に付く。


 三人がアカールの元から大きく距離を空けたのを皮切りに、アカールはワノルの元へ走り出す。


 そして、腹部へ向かって大きくダイブする。


「アカールゥゥ。ごめん!ごめんよ!」


「大丈夫だ。お前のケツを拭くぐらいなんて事はない。それより『怪異《モンスター》』はどうした?」


「⋯⋯⋯それは、分からない」


 気付けば手鏡は割れ、『怪異』も何処へ行ってしまったのか、アカールの目線からでは分からない。


 だが、アカールの元から離れてしまったというのだけはワノルにも理解出来てしまい、砕けた手鏡を凝視する。


 ────その答えは彼女が握っていた。


「ここやで?」


「あァ?!」


 激しく圧を掛ける声が漏れる。激しい憤りは激昂へと変化する一歩手前。


 そんなワノルを見た笑撫は答え合わせのように自身のスマホを見せ付ける。


 ワノルは目を見開き、腰元でうだうだと言い訳をしながら泣いているアカールの方へと視線を向けた。


「スマホ?⋯⋯⋯そうか【鏡】の弱点を突かれたか」


【鏡】の最大の弱点は入っている空間が暗い場所だと能力が落ちる事にあった。


『鏡』とは本来暗い場所ではなく、比較的に明るい場所で使う物。


 スマホはボタン一つで画面を明るく、暗く出来る。


 翔越に【鏡の怪異】が迫った時、カメラ機能にしたスマホで無理矢理場所を移動させ、スマホの電源を切った。


 だが、それだけでは『怪異』を倒したとは言えない。


 あくまでも一時的に能力が低下した──それだけだ。


 そこで笑撫の装着している手袋が活躍する。


 彼女の手袋は『怪異』と『人』の契約《パス》を強制的に断ち切る性質を保有しており、『怪異』に触れたと同時にアカールと【鏡】の契約《パス》はプツリと糸が切れたように破却されてしまった。


 現在もスマホは手袋をはめた笑撫の手でしっかり画面を掌側にして掴まれている。


 逃げ場はもはや無いに等しい。


「つまり【刻まれた数字】は⋯⋯⋯⋯消えたか」


 青筋を立てるワノル。それに気付かず喚くように泣き叫ぶアカールは必死に謝罪の言葉を続けた。


「ごめんよ!ごめん!本当にごめん!」


「もう泣くな。言ったろ、お前のケツは拭いてやると」


「⋯⋯⋯ワノルゥゥ」


 見上げた泣きっ面のアカールに優しく頭を添えて、耳元に手を移動させていく。


「泣くなよ、すぐ終わる。⋯⋯⋯⋯⋯じゃあな」


 胸ポケットから取り出した拳銃が一丁。


 額に銃口を向けてながら笑顔のワノルにアカールは唖然とした。


「え?────」


 激しい銃声の音が鳴り響く。


 世中は静かに瞼を閉じた。


 笑撫は絶句して一歩身を引いた。


 薬局店から急ぎ出てきた翔越は銃声の音と既に倒れてしまったアカールを見て動揺する。


 ワノルが泣きながらアカールを撃った⋯⋯。


 躊躇いもなく、必然的行動のように引き金を引き、弾丸一発はアカールの脳を貫通。


「⋯⋯お前、仲間じゃねぇのか?」


「⋯⋯⋯仲間さ。だから、使えなくなったら殺す。日本人に汚されてしまう前にな⋯⋯。ッッ!お前ら愚民のせいで、俺は、俺は⋯⋯俺の仲間をォォォォォォ!!!」


 狂人のようであった。両手を顔に当てて、伸びた爪は皮膚を削るように立てられた。


 剥き出しの殺意、荒れ狂った感情の行き場を失ったワノルは侵略者側でのイカレ役。


 全ては身篭った婚約者が死んだ日から変わった彼の本心であり、抑えられない破壊衝動。


 狂ったように笑い、身体を左右に揺らして、拳銃を胸元にしまい直す。


「とち狂っとんな⋯⋯⋯」


「【サンダーバード】!全部だ!全部壊せ!!俺の怒りが収まるまで、この国を滅ぼせェェェェェェェェ!」


 猛々しい稲妻が鳴り響く。ブレーキ要らずの破壊衝動は伝播したように【サンダーバード】は金切り声を上げながら、大きく宙を旋回した。


 ───そして、横幅八メートルもあるその体躯は壁や店を引き潰しながら三人の元に迫っていく。


  ━ ━ ━


 影から蠢く【下水道のワニ】は鏖殺されていく。


 バラストは絶句し、欠損した右腕から漏れ出る血液が地面に滴り落ちる。


 意識は朦朧としていき、まもなくの命。


 逃げる事は出来ない。常に殺気を宿した瞳はバラストがほんの僅かにでも動く度に向かい、動きを制止させていく。


「だ、駄目だ⋯⋯⋯⋯⋯⋯負ける」


 顎から斬り裂かれ、胴体を二分割させられ、突き刺し抉られ、時に口元を蹴りを入れて、転倒させられて⋯⋯⋯⋯。


 鰐を無限に出現させられると豪語するバラストだが、弱点があった。


 それは【下水道のワニ】を出現させられる上限は三十匹が限度である事。


 一匹減れば、一匹増やせる。


 わんこ蕎麦方式の堂々巡りを狙って、隙を見て逃げようと画策していたバラストに危機が迫っていた。


 突風が吹き、鰐達は空へ舞い上がる。


「分かったよ、貴方の出せるこの子達には限度がある。数は二十五以上から三十未満。殺しても増やされるなら、殺さず寝かせればいいだけ」


「っ!!?クソォォ!」


 勘付かれたバラストは左手を右腕の欠損部に押し当てて、苦しみに塗れた顔をさせながら背を向けた。


「クソォ!クソォ!死にたくねぇ!死にたくねぇ!俺にはまだ、まだァァァァ!」


 生き汚さを一人の少女に見せた。


 それはバラストがバラストである故の行動。


 武人ではなく、勇敢なる戦士だった試しもない男の泣き叫ぶような絶叫が鳴った。


 一つの疑念は解消されなかった沙耶は決意を決めた。


 消えてしまった『除者』五人。


 鰐の口元にあった赤い血は彼等の者だと予想していたが、どれだけ倒しても倒しても遺体の一つも出てこない。


 血がしっかりと残っているというのに、身体のパーツが見つからない。


 だが、これ以上の時間のロスは生きている者の命を危機に追い込む事になる。


(ごめんね。私じゃ、探せなかった⋯⋯⋯)


 沙耶は居なくなった五人の遺体を鰐の体内から引き摺り出す事を諦めた。


 幾ら屠っても、捌いても、蹴散らしても人の肉片一つ見つからない現状に沙耶は諦めてしまった。


「ふッ!」


 宙に舞い上がった鰐は不自由な身体を動かそうとジタバタとする。


 地面に落下するまで僅か五秒。


 沙耶は大きく地面に蹴り上げて、刀を構えた。


「止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ────」


 背を向けたバラストの身体は斜線が引かれた。


 空気が衝き、衝撃は疾走し、叫喚はピタリと止んだ。


 疾風迅雷の速さでバラストを追い越し、血が滴った刀を振るい、血を地面に飛ばす。


 それが合図のようにバラストの身体は大きく吹き飛ばされ、前方に居る沙耶を抜き去り、乱雑に身体は地面に転がった。


「ぁぁぁ、ああぁ⋯⋯⋯⋯⋯⋯嫌だ、俺には自由が⋯⋯⋯⋯自由を⋯⋯⋯」


 刀を鞘に納める。


 赤い鮮血が激しく打ち付けられた地面に日差しが当たる。


 ドレッドヘアの髪は崩れ去り、体内に残った血液が背中から噴き出した。


 赤く染み渡る身体は糸が切れ、手脚を動かす事はない。


「後は⋯⋯君達を殺すだけ⋯⋯⋯⋯。じゃあね」


 歪な形状となったバラストの身体を一瞥した沙耶は振り返り、そう口にすると、残り二十匹となった鰐へ向かって駆けて行く。


 熱は高まる。迸る疾走《はやさ》には鰐は着いて来れない。


 ただの背丈が低く、狩られるだけの畜生と化した鰐相手に傷一つない巫女服少女が疾く駆けるだけの独壇場。


 鰐達は本能で悟る。不条理かつ理不尽な実力の差がある事を。


 自分達が狩られる側であると言う事を。


  ━ ━ ━


「ぁぁぁぁ⋯⋯⋯」


 絶対的戦力差、それを笑撫達は知る。


 翔越は壁に凭れるように倒れ伏せており、世中はワノルに首を掴まれ身動きは取れないでいた。


 笑撫は横たわった洋服店の棚の上に倒れて、ノックダウン。


【サンダーバード】の最大の特徴は『神鳥』である事、自然を操れる性質にある。


『大自然の意思』そのものとも謳われる『サンダーバード』。


 その真髄は天候の急激な変化と不死の肉体にある。


『サンダーバード』は試練を与える鳥とも謳われた。


 だから、笑撫の手袋に触れて『怪異』と『人』の契約《パス》を切ろうとも、それは形式上の形である。


【サンダーバード】は常に試す。人を試し、気に食わなければ食い殺す。


 今試されているのは『ワノル』だ。


 彼の意思が本物か、偽物か。


 契約《パス》を切ろうとも、【サンダーバード】の意思は揺るがない。


【サンダーバード】は知っている。己が真に強い生命体である事を。


【サンダーバード】は高らかに表現する。


 自身が最も、何者よりも偉大であり、何処ぞの巨大水蛇すら相手にならない存在である事を。


 だが、【サンダーバード】は寛容だ。


 三人の矮小かつひ弱な人間相手に雷を使う事よりも、鋭利で尖った爪で引き裂き、嘴で激しく背を突き、強靭かつ大きな翼で薙ぎ倒すしかしていない。


 本当の力はこんなものではない。


 だが、あくまでも試しているのは『ワノル』であり、三人の異国民ではない。


 だから、加減をした⋯⋯⋯⋯。


 たった三分間、彼等は猛攻を耐えた。


 世中が指示して翔越が攻撃を防ぐと笑撫が契約《パス》を切り、事なき終える。


 その筈だった。


【サンダーバード】には無意味だった。


 それだけが、三人が倒れ伏せた理由である。


「おいおいおいおいおい!なんだよ、このザマは!全く持って、脆弱だなァァァァァァァァ!ジャパニーズゥゥゥゥゥ!はっはっはっはっは!」


 ワノルは笑う。高らかな勝利宣言を商店街の入口前で掲げて、両腕を横に伸ばす。


「お前らが悪いんだァァァァ!アカールを殺させる真似なんざ、この俺にさせるから!ひゃっはっはっはっは⋯⋯⋯⋯ん?お前は⋯⋯⋯⋯」


 目の前に少女が居た。


 腰まで伸びた黒い髪は腰元に近付く程赤色になっていき、鋭い目元、黒の洋服を見に纏い、白いサンダルを履いている女の子が突如として現れた。


「だから言ったんだよ。あれを引っ込めろ⋯⋯と」


「⋯⋯⋯な、なんで居る?」


「居ちゃ、駄目?」


 ゆっくりと顔がワノルの方へと向かう。


 焦燥感が迫る。滲み出る汗は不安と恐怖、忌避感から来るよるもの。


 そう気付く事が出来たのは、少女の瞳を見てからだった。


 蒼炎のように滾った青い瞳。憐憫のようにも感じたその視線にワノルは唖然とする。


 何故か、どういう理由でなのか、ワノル自身は気付けない。


 ただ唯一、【サンダーバード】が迫るまでは。


「遊んであげる。今夜は焼き鳥」


 瞬時に風を齎し消えた。


 ワノルは呆然としながらも、視線だけは【サンダーバード】へと向いていた。


「ま、まて!待ってくれ!」


 首を掴んでノビてしまった世中を投げ飛ばして、必死になり叫ぶ。


 少女の手元には何処からともなく現れた刀。


 それは丈が合わず、地面に着地すれば刀も自然と地面に激しく打ち付けられる程の尺の長さだった。


 大人が持ってようやく丁度良い程度の大きさをした刀を

、軽々と抜刀する少女は空中に滞在し、空気を踏み場にするように膝を曲げた。


 ──大きく、バネのように膝を真っ直ぐとピンと伸ばすと共に、一気に急加速を掛けた少女は刀を構え、【サンダーバード】の翼を叩き斬る。


「待ってくれ!待ってくれぇェェェェェ!」


 雷は天地を轟かす。嵐が吹き荒れて、靡く洋服。


【サンダーバード】の牽制とも取れる眼球からの雷の光線をしゃがみ避けた少女は、陸上のクラウチングスタートの要領で走り出す。


 手元に持った刀を身体を大き捻り、投剣。


 大きく飛翔をしようとする【サンダーバード】ではあったが、翼は既に一翼分、地面に転がっていた。


 激しく甲高い鳴き声を上げると、天から雷を飛雷させて、投げた刀の勢いを弱めると、脚の爪で激しく蹴り付ける。


【サンダーバード】の体毛が逆立つ。黄金にも似た眩い光が包み込むと、周囲にある物、人を含めてバチッと衝撃が走り出す。


 放電ならぬ放雷が辺りを一気に包み込み、少女の身体が何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、打ち付けられる。


 身体からは黒い煙が立ち、地面に流れた稲妻はあっという間に抉れた。


 空へ向けて激しく鳴き叫んだ【サンダーバード】の最後の仕上げが始まる。


 風は吹き荒れるだけでは済まなくなっていき、ワノルを巻き込む程の竜巻が周囲に発生した。


 竜巻は全て稲妻が迸っており、当たれば感電などでは済まない。


 一翼の翼が少女へ向けて翔かせた。


 それは合図。それは殺人宣言。それは対面する存在が強敵であるという示し。


【サンダーバード】は慄いた。周囲に発生させた合計七つの竜巻に呑み込まれようする少女は平然としており、依然微動だにもしない。


 まるで、試されているかのような感覚に襲われた【サンダーバード】は焦りを見せた。


 七つの竜巻は少女に直撃し、一つの超巨大な竜巻へと早変わりすると、嘴を大きく開けて空へ鳴らした。


 更なる追い討ちであり、駄目押しの一手。


 何度も打ち付けた雷程度で死なないならば、超弩級の雷を放ち、焼き殺せば良いだけの事だと、【サンダーバード】は判断した。


 曇天の空は鳴く。一つの雷を形成する為に。


 轟き撞いたような野太く、仰々しい程の雷鳴が哭く。


 一瞬の事だった。白くピカっと光り輝くと竜巻が四散する程の雷は空から振り落とされ、地面に大きなクレーターが作られた。


 そして、影が【サンダーバード】に迫る。


 落ちてしまった刀が影に引き付けられるように手元に寄せられるとそれを掴み、【サンダーバード】の首をあっという間に刎ねてしまった。


 遠巻きで見ていた筈のワノルも感電してしまい倒れ込んでしまい、目は出血し、舌が痺れ、身体は動かなくなってしまう。


「あ、ぁぁぁぁ。【サンダーバード】?【サンダーバード】⋯⋯⋯⋯何処だ?⋯⋯⋯⋯何処に居る?」


 視界には何も無かった。景色が無いのではなく、黒いのでもなく、白いのでもない。


 失明してしまい、辺りの様子が窺えなくなってしまったワノルの視界には何も無かった。


 ただひたすら虚空。眼球をくり抜かれてしまったように、初めから何も存在しないように、視界には何も映っていない。


 それでも、縋るように【サンダーバード】の名を痺れた舌を用いて呼ぶ。


 呼び続け、耳鳴りの止まない聴覚を頼りに探し続ける。


「【サンダーバード】?俺を、俺を助けてくれ⋯⋯⋯⋯俺をォォ」


「それは無理だよ。今日ここで、あなたは終わる」


「なんだ?【サンダーバード】?いや、違う、なんだ?さっきの女の子か?」


「はい。あなたの鳥ね。相手が悪かっただけだよ。気に留めなくてもいい」


 ドスッと大きく揺らされた地面。


 首が一つ。死んだ事にも気付いていないような間抜けな顔をしながら、死んでしまった【サンダーバード】の嘴にそっと手を伸ばしたワノルは動揺する。


「っ!だから、止めろと⋯⋯⋯⋯言ったんだ」


 再三の忠告は決して命令だった訳でもない。


 更に言えば、【サンダーバード】がワノルの言う事を律儀に聞く事も無かったかもしれない。


 だが、ワノルは察していた。


 少女は危険すぎると⋯⋯。


 その勘が当たってしまっただけの話だった。


「ッッ。クソォォ。俺達の夢が平和が自由が、理想が、幸せが⋯⋯⋯⋯。なんで、なんなんだ?お前は⋯⋯⋯」


「ローシャ・ストライフ。地球が生んだ、『原初の完全生命体(ファースト・ライン)』⋯⋯⋯⋯のパクリ」


 既に絶命した鳥の足を地面に引き摺りながら、ワノルの傍を離れて行く。


 ワノルは気付かない。少女が地球の意思で造られた生命体であり、最も最古にして一つの生命体の到達点に位置する存在であると⋯⋯。


 あくまでも地球という星に限って、という条件こそ付くものの、少女はこの地球に居る限り死ぬ事は無い。


 尽きない生命、果てしない知識を持った『設定年齢:二万三千歳』の産まれてまだ十二歳の『怪物』なのだと。


「はぁ〜。拓也、もう終わった?我《わたし》はもう飽きた⋯⋯」


 人命救助もこなし、暇潰しに昼食か夕食のメニューを考えていた少女は遂にお目当ての鳥を入手した。


 焼き鳥か照り焼きチキンか、揚げ物にでもしてやるか、罰当たりこの上ない考えが巡る少女は地球そのもの。


 だから、罰当たりなんて言葉こそ罰当たりの極みであった。


 そんな少女は『契約』している朝倉拓也へとつまらなそうに声を送る。


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