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この街は今日も語る  作者: 紫芋
Spring hour 桐江准は普通でありたい

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82/98

こうして男は現れた

助けて、アメリカ組、書いてて勝手に好きになりそう。


あ、また長いです。

 その理想を口にしたのは慟哭の渦の中。


 豪雨に打ちしがれる彼。


 そっと伸ばした腕に包まれて、叫んだ果てに私は⋯⋯。


 身体は雨に濡れて、赤い液体を洗い流すように世界は隠蔽を図る。


 悲しい程に募り、嬉しい程に浸る。


 それが寂寥感だったと知った時には、もう既に手遅れだと気が付いた。


 灰塵は積年積み重ねられたように大きく肥大して加速度的に信念と礎《けつい》は実行されていく。


 胸に抱いていた理想は彼に寄り添う。


 たとえ、何を喪おうとも。


 それだけがせめてもの償いと知って虚偽を口にした。


 抗堪性に聳えた一つの白い巨塔は私達の敵。


 五十の星々、十三の線引き。


 赤と青と白の夢ある王国は理想ばかりを口にして、何時までも実現しない世界に彼の嫌気と嫉妬は募る。


 押し込められた私達の箱庭は臭く淀みに満ちていて、溜飲だけが何時までも残り続けた。


 つっかえた心の病はもう末期に迫っていて、戻りようは無い。


 硝子にヒビが入るように、戻す術は見当たらない。


 あの日の雨が気持ち良かった。


 あの日の思いの丈が身に染みて、そのまま満足するべきであったと私の心は嘆くばかり。


 六人の仲間。六人の礎。六人の理想。


 それはどれも違ってどれも甘美な程に優しい世界。


 けど、彼だけが仔羊である選択を取った。


 彼の理想は私の夢で、私の理想は⋯⋯終わっているのに。


 黒の箱、初めは白くシルクにも似た優しい色合いをしていたそれは、気が付けば黒く変色し始めて、最後には開かれる。


 愚かな私達を罰する者が居るのなら、どうか裁いてください。


 裁きに身を投じて、甘んじて受け入れます。


 だから⋯⋯⋯⋯どうか私の理想は棄ててください。


 私の理想は既に叶ってしまったのだから。


 そしてどうか、彼を───。


 殺してください。


  ━ ━ ━


 朝になると、僕は何故かベッドに居た。


 瞼を開き、居所を確認すると、僕の部屋だった事がすぐ分かり、起き上がる。


「⋯⋯⋯⋯舞喜⋯⋯⋯!そうだ、舞喜はッ!?」


 昨晩、僕は誰かに頭を強打されたんだ。


 恐る恐る後頭部を手で触れる。


 痛みがなく、全く持って健康良児そのものだった。


「何が起きたんだ?誰が?⋯⋯⋯鞄もそのまま、だな」


 時刻は朝六時半で、何時もならまだもう少し寝ている時間帯だった。


「⋯⋯⋯⋯行かないと」


 僕は着替える事にした。


 学生服にではなく、外行き用のジャケットとズボンに。


 舞喜の机にはスマホが置かれたままで、僕に見られたく無かったと言っていた小テスト用紙も裏にして置かれたまま。


 リビングに行き帰って来ている可能性に賭けたが、やはり帰って来ていない。


 両親は寝室。今日、父さんは昼からの出勤でまだ寝ている。


 母さんは何しているかは知らないが、多分寝ているのだろう。


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 それでも親らしい事が目撃出来れば少しは⋯⋯そんな期待をしながら両親の寝室を開けたが、裸で二人共寝ているだけでそれ以上の事は無い。


 舌を鳴らして、乱雑に閉めた扉からは音が鳴る。


 急ぎ靴を履いて玄関を徐ろに開けた。


 昨夜は玄関の前で倒されてしまった為、警戒せざるを得ない。


 だからと言って外に出ない理由も無かった。


 開いた扉の隙間から覗き込み右を確認。


 何も無く、朝の日差しが眩しく視界を埋め尽くす。


 次に扉を押して左の確認。


 風がやたらと暖かく、鼻腔からは穏やかな空気を届けられた。


「⋯⋯⋯なんだったんだ?昨日のは⋯⋯」


 緊張で唾液が気持ち悪く感じてしまい、思わず喉を鳴らす。


 一歩、脚を屋外へと踏み込んだ。


 振り返り異変があるかの確認を取るものの、何も無い。


 怯え過ぎている、そんな事は百も承知の上だった。


 六華が言っていた『何時も助けてくれる訳では無い』という言葉が今になって痛快過ぎる程に胸に刺さる。


 僕の味方は基本的に僕だけ。


 ゆっくりと息を吐き、警戒心だけが一丁前に跳ね上がっている中、僕は自転車に跨ってペダルを漕ぎ始めた。


 けれど懸念点もある。それは、舞喜の行きそうな所⋯⋯。


 そんな場所に心当たりなんてものはなかった事だ。


 ポケットには舞喜と僕のスマホ、財布と鍵だけがあり、舞喜が行きそうなリストなんて物が書かれた紙もなければ、目星が付いていそうなチラシなんて物もない。


「っ!」


 バイブレーションがスマホを鳴らして、それ以上に僕の身体が大きく揺れた。


 左ポケットからの震えは舞喜のスマホからによるもの。


 取り出してその内容を確認すると、舞喜が前に言っていたであろう友人から『おはよう』とスタンプ付きでメッセージが送られてきていた。


「脅かすなよな⋯⋯。心臓に悪い⋯⋯」


 安堵を浮かべた僕はスマホをポケットの中にしまい、再度舞喜の行きそうな場所を探った。


 初めはコンビニ、次に公園、その次に駅前の広場。


 色々と選択肢自体はあったが安牌を取るならそこだと思い、全力で自転車を走らせた。


 幸いな事に、それら三箇所は比較的に近場にある。


 自転車で信号にぶつからずに全力で向かえば、十五分圏内の場所、自宅の立地の良さが活きた証だ。


 ギコギコと煩くチェーンが鳴る自転車を通行人を避けるように走らせていく僕は目印となる看板を目視で確認すると、スピードを落としていく。


 辿り着いたのは最も近場のコンビニ。


 急いで店内に入り、店員を呼んでスマホの中にある写真を見せた。


 写真と込みで店員にその時着ていた服装を伝えるものの、それらしい子供は見掛けていないと一言だけ言われてしまい、頭を下げて次へ向かう。


 次に公園。公園と言っても大きい公園が一箇所と小さい公園が二箇所ある。


 合計三箇所をひたすらに自転車で漕ぎ続ける重労働を覚悟して、脚を動かし続けた。


 初めにやって来たのは小さな公園。


『淀御子《よどみし》公園』と呼ばれる人気が何時もない寂れた公園であり、鉄棒とベンチのみが設置されている。


 人気の無さには拍車を掛ける要因は手入れのされていない雑草の多さと、辺りには建造物の類いが無い事だ。


 気晴らしに寄りました、程度の感覚で偶々近くを通る人が居るぐらいのものだろうが、それでも街灯も無く、カーブミラーも無い為、散歩コースからも比較的に外れやすい。


 次に向かったのは中央地区側にある大きな公園。


 ジャングルジム、シーソー、大きく長い滑り台に定番の大きめの砂場。


 ベンチの数は十以上あり、公園の外側にはランニング用のコースまで舗道されている。


 今現在は朝の為、比較的に人は少なくて、ショートカットの為に通り抜けようとする人がチラホラと居る程度だが、休日になると一気に賑わう。


 自転車を下りて、辺りを確認していく。


 滑り台の中、ジャングルジムに潜んでいる可能性を鑑みて辺りを一周してみたり、公園をぐるっと周り舞喜らしき人物が居ないか確認していくものの、結局は⋯⋯。


 兄妹ってのはこういう時、ちゃんと見つけられるものなのか。


 わざわざ、家出するならここ!と予め教え合うのが兄妹だったりするものなのか。


「⋯⋯⋯⋯」


 僕を襲った誰かの事もある。早く見つけて安心したかった。


 心に余裕を持って、安堵してしまいたかった。


 母さんが後でグチグチと言い出すのを承知で、警察の世話になるつもりで僕は自転車に跨り、次の公園を目指すべくペダルを踏み締める。


 最後の公園は最初の公園に比べても小さくて公園と呼ぶのも疑わしいが、一応公園という扱いらしく、入口前には『呑間野公園』という文字が刻まれていた。


 一脚分のベンチと一つのブランコ。これだけだ。


「⋯⋯⋯⋯舞喜は居ないか」


 駅までのルートを検索しようとスマホを取り出すと時刻は朝七時四十五分となっていて、何時もなら支度を済ませて登校し始めている時間だ。


 始業チャイムには、もう間に合わない事を意味していて、思わず苦い顔をしてしまう。


「入学して一週間で遅刻か欠席って⋯⋯。はぁ〜」


 嫌な目立ち方をしてしまいそうだ、そう感じる気持ちを抑えるようにスマホをポケットにしまってしまう。


「あ、違う。駅までのルート!」


 急ぎスマホを取り出して、画面を覗き込んだ──。


「っ!?」


 ノイズが走った。緑と紫色の歪なノイズは画面を一瞬見えなくして僕に緊張感を走らせる。


「⋯⋯⋯⋯え?」


 空気が一気に重くなったように感じた。


 鼻から伝わる空気の匂いも何処か臭みを帯びていて、肌はヤケにヒリつく。


 視界もボンヤリとなって、頭がボーっとしてしまいそうな微睡んだ感覚に襲われて、グリップから手を離してしまう。


「あった!!⋯⋯⋯っ、ぁぁ腕がァ」


 思いっきり体重が掛かった状態で腕に負荷が掛かった。


 それによって僕の右腕は痛みに襲われて、思わず叫んでしまった。


 だが、痛みによって先程まであった微睡んだ感覚は消え去り、嫌な匂いと感覚だけが妙に身体を刺激した状態となる。


「⋯⋯いてて、なんだったんだ」


「坊や大丈夫?」


 誰かが倒れてしまった僕の背後から声を掛けてきてくれた。


「⋯⋯え?⋯⋯あ、はい───?」


 見るからに外国人。茶髪なのか赤髪なのかどちらなのか少し判断に困る髪色をしていて、緑色なのか青色なのか、これまた判断に困る綺麗な女性がそこに居た。


 けど、何処か神秘的にも見えた。


 何故だろうか。綺麗な肌をしていそうだから?


 衣服が白を基調としたもので何処か現代的には見えないものだからか?


 古代ローマ人が着てそうな服、なのだが⋯⋯なんというのだろう、白と黄色の花で作られた花冠を頭を乗せられていて、一切のアクセサリーも無い。


 まるで────。


「何処か打っちゃった?」


 女性が心配そうにしゃがみこんで、僕の顔を覗き込む。


「あ、いえ⋯⋯。大丈夫です」


「そう、ごめんなさいね」


「え?」


 その女性は何故か謝った。僕はその言葉の意図が分からず怪訝な顔を浮かべるものの、構わず立ち上がった女性は自転車のグリップを持って自転車を起き上がらせていく。


「⋯⋯ありがとうございます」


「えぇ、どういたしまして。それよりも君⋯⋯」


「はい」


 朗らかだった表情が少し顰められた。


(⋯⋯⋯⋯なんだろう。この人、なんか変)


 些細な違和感。


 見た目が日本人ではないから、なんていう理由からではなかった。


 もっとこう、根本的な部分がズ(・)レ(・)ているように感じる。


 なんだろうか、そう感じてしまう自分はおかしくなってしまったのだと思った。


「なんでこんな所に居るの?ハイスクールに行くの?」


 傍から見れば子供が自転車に乗って学校に行っている様子⋯⋯に見えるのだろうか。


 鞄も無い、靴はサンダルで適当が過ぎるようにも見える。


 けど、妹が行方不明になりました、と素直に言う程、僕はこの人に心を許していない。


 大体、他人に話して何になるというのか。


 誤魔化すように僕は答えた。


「あぁ⋯⋯まぁ、そんな所です」


 すると、女性は柔和に少し笑い、口元に手を添えた。


「嘘吐きね」


「え?」


「私は嘘が見抜けるの、便利でしょ?」


 便利⋯⋯いやどうだろう。


 感受性が豊かなのはいい事ではあるのかもしれないけど、冗談で言ったつもりの本音が伝わってしまうという言い方も出来る。


 人同士のコミュニケーションは本音だけでは形成されない。


 時に嘘という冗談で場を整えたり、敢えて空気を一変させたりする時だってある。


 それすら通用しないなんて⋯⋯あんまり嬉しくない。


 話し相手からしても気が引けるだろうし、自分自身も話し相手を選ばなければならなくなる。


 否応なくに、だ。


「そ、そうですね。でも、それはそれで辛そうと言うか⋯⋯」


 濁すように言葉を吐いた。


 悟ったようには見られたくなかった。


 何様だと叱られるのも気が引けたし、やっぱり僕には正しく理解出来ない事のようにも感じたからだ。


「⋯⋯⋯⋯かもね。何かあるの?」


 青か緑の瞳はコチラを試すように向けられた。


 未だに座り込んだままの僕に近付いて、耳に掛かった茶色い髪を耳の後に手で梳くように流していく。


 覗き込まれているようなその視線は怖くも感じてしまう。


 それから逃れるように僕は女性から視線を外した。


「⋯⋯あ〜、えぇと。⋯⋯⋯⋯その、お買い物に⋯⋯」


「成程ね。坊やは嘘が苦手なようね」


 立ち上がった女性は「ふふふ」と何処か面白そうに笑う。


 一方の僕は口をポカンとさせていた。


 自分は嘘が下手な訳でも得意な訳でもない⋯⋯そう今まで思っていたのに、よもや今出会ったばっかりの人にそれを口にされて呆然となっている。


「結構、分かりやすいと思うわ。ふふふ、可愛いわね」


 更なる追撃。『結構』という上段に位置付けられた僕は次第に乾いた笑いが出ていた。


 手を差し伸ばした女性。ゆっくりとその手に僕は手を伸ばして掴む。


 意外とヒンヤリとしていてこの季節には少し冷たくも感じた。


 彼女の力を借りて立ち上がった僕と女性の距離は近く、目線を思わず外しながら掴んで貰った手を離しつつ後退りをする。


「なにか探し物?」


「────人探しです」


 嘘がバレるというのに、今更隠し事をして嫌な気持ちにさせるのも気が引けた。


 他人相手に対してここまでそう思わされるのも不思議な感覚だったが、悪い気もしなかったから、そう素直に伝える事にした。


「どんな子?」


「あ、いや流石にそこまでは⋯⋯⋯⋯ぁあ」


「警戒心が強いのね。いい事よ、それは」


「⋯⋯⋯⋯すいません」


「謝る理由があるの?坊やは間違ってないわ。この世界は嘘と欺瞞で満ち溢れてる」


 何処か遠くへと視線を向けた。


 不思議な女性の緑か青にも似たその瞳を見ていると何故か胸がギュッと締め付けられていく。


 力が自然と入っていく感覚が身体全体に巡ってくる。


「嘘を嘘で固めて、それらしい理由を飾り付ける。それがこの世界よ」


 僕はこの人が素直に怖く感じた。


 言葉は何処かキザらしい物言いだと言うのに、それ以上に心が絶叫して喚いているような、そんなどうしようもない感覚が肌から体内に流れ込んでくる。


 胸が締め付けられる感覚もそこから来ているんだ⋯⋯。


 だから苦しくなって、悲しくなって、身体がそれを拒むように怖く思える。


「⋯⋯⋯なんだか、寂しいですね」


「そ、寂しいの。だから声を掛けちゃったのかも」


「え?」


「──じゃあね坊や。車には気を付けなさいよ。もし、刻まれる事が無ければ、また会いましょう」


 僕の横を素通りしていく。


 ふわりとウェーブの掛かった髪が靡くと共に僕は振り返る事が出来ず、真っ直ぐに見つめた視界から完全に女性が消えてしまうまでの間、僕は呆然としていた。


「⋯⋯⋯刻まれる?何に?⋯⋯」


 グリップを握った手が少し強ばる。


 まるで何かが起きる予兆。そうとしか考えられない物言いに僕は背筋に悪寒のようなものが走り、視線が下に向いたまま、立ち竦んでしまう。


 肌がツンッと刺激を感じるまでは⋯⋯。


  ━ ━ ━


『啓示』の時は近く、贄も整っていた。


 場所は電波塔の『展望デッキ』の丁度中央。


 捜査を始めていた警察官七名を気絶させ、血で描いた十二芒星に寝かせていた。


 真ん中に一人、十二芒星を囲むように円状に寝かせた六人の計七名。


 そんな儀式めいたものをプルトンに言われた通り、着々と進めていく中、煙草を吸いながら作業を進めていたウィリアムが訝しんだ。


「どうして七人なんだ?六人の方がキリよくないか?」


 赤黒い血で床に描かれた十二芒星に対して、横たわっている警官の数は七人。


 歪な状態で寝かされた彼等はまだ死していない。


 そんな彼等の持ち物を廃棄しようしていたウィリアムにアカールは答えた。


「十二芒星の外に肉を挟まないと魔法陣が暴発しちゃうからね」


「ん?どうゆう事だ?」


「アカール良してやれ。ギャンブルと女にしか興味無い奴に、この芸術が理解出来るかよ」


「おいワノル⋯⋯」


 奥で作業を進めていたワノルへと視線を送ったウィリアムは立ち上がり、ゆっくりと近付く。


 それに呼応するようにウィリアムは飄々とした態度で立ち上がり、傍までやって来たワノルの顔を見る。


 冷や汗をかきながら息を呑むアカール。


 二人の間に立ち仲裁しようとブリークだが、二人の喧嘩が見れると面白がって制止しようとするブリークを止めたバラストは腕を伸ばして肩を掴む。


 目の前まで来て牽制のように首を傾げて僅かに目を見開く。


「⋯⋯なんだよ?」


「お前⋯⋯⋯⋯俺にゾッコンかよ。なんでそんなに知ってんだよ」


 拍子抜けな言葉を発したウィリアムにワノルは両手を前にやり左右に振った。


「気色悪ぃこと言ってんじゃねぇよ」


 アカールはホッとした様子で二人の顔を窺いに向かう。


 バラストは首を横に振り、それを見たブリークは肩をそっと叩く。


 すると、階段から足音がする。


 厚底ブーツが緩み始めた空気を重々しくしていく。


 皆が奥にある階段へと目を向けた。


「整ったな⋯⋯ん?マイヤはどうした?」


 黒い髪のアンダーカットのアメリカ人、プルトンがジャケットのポケットに手を突っ込みながら階段を上がって来た。


 数度、左右に目線を向けて茶髪の女性であり仲間でもあるマイヤの不在に訝しむ。


「⋯⋯⋯さぁ?初めから居ねぇけど」


 バラストが馬鹿馬鹿しそうに鼻で笑ったように口にした。


 すると、皆が一様にバラストを睨む。


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 両腕を後頭部にやって知らぬ存ぜぬと言いたげに吹き抜けとなった電波塔の外の景色へ目をやったバラストの態度にプルトンを除いた皆が更に肘を打ちをかまし始める。


 そんな彼等に怪訝な顔を向けたものの、溜め息を零して血で描いた十二芒星を目指して歩き出す。


「まぁいい。彼女は『エルサーユ』となる女だ。多少の遊びも許されるか⋯⋯」


 ポツリと呟いたプルトンの言葉にブリークは目を細めてアカールの肩を叩く。


「おい、アカール。『エルサーユ』ってなんだ?」


「いや、僕も聞くのは初めてだよ」


「よかったぁ。俺の聞き漏らしかと思っちまった⋯⋯」


 ホッと胸を撫で下ろしたブリークは息を少し吐いた。


 一方、ワノルとウィリアムは十二芒星の方へと歩き出したプルトンへ声を掛けに行く。


 計画に必ず必要な事。大事な計画の一部の要素を聞く為に。


「俺達の『怪異《モンスター》』に数字刻ませるって聞いてたが⋯⋯何時よ、それ?」


「この儀式の後、すぐだ」


 ポケットから僅かにはみ出していた箱を取り出したプルトンは勢いよく跳び、十二芒星の中心へと脚を着けた。


 そして、縛られて無理矢理立たされている警官の足元に黒い箱を丁寧に置くと、踵を返して跳ぶ。


「呼んだ方がいいんだよなぁ?」


 ウィリアムの問いに着地したばかりのプルトンは静かに首を横に振り、ワノルとウィリアムはお互いの顔を見る。


 双方か納得したようにプルトンへと視線を向けると頷いた。


「了解さん、ボス」


「始めるぞ」


 各々が目配せをすると、一歩後退して位置に着く。


 ウィリアムは煙草を吸おうとポケットから取り出すも、すぐさまそれを収めて溜め息を零す。


 アカールは額から滲み出る汗を腕で拭う。


 バラストは舌を口内で動かしながら、瞼を閉じて腕を組む。


 ワノルはひたすら十二芒星を睨み続けた。


 ブリークは黒の革ジャケットのポッケに手を突っ込み、首を鳴らす。


 プルトンは十二芒星の前に立ち、片膝を地に着けて跪いた。


「【神の黙示《もくじ》よ、与えられた生命の循環に示される御使いを賜る者への声を聴いてくれ──】」


「【我々は願い、我々を嘆き、我々は尊ばれたい。膝を着こう、頭を垂れよう、この言《ことば》は届くならば全能《しゅ》なる者にこの身を明け渡そう──】」


 それは顛末の開示だった。


 決して拒まれぬようにする為の約束事にして『契約』であり、縛《いまし》めの言葉。


 プルトンの言葉は穏やかだった。ただ静寂に落とされた一滴の雫のように乞うたようだった。


「【七つの贄は灯されて、七つの魂を贈りましょう。呼び掛けに音色が奏でられる事を願う──】」


 生贄として選ばれた警官の内、中心に支柱に縛られている警官を除いた六人の身体は黄金の光に身体を包ませていく。


 ブリークは目を疑った。


 ワノルはそれを起こしたプルトンを凝視する。


 アカールはポカンと口を開けてしまう。


 ウィリアムは光に包まれた警官を悼むように瞼を閉じた。


 バラストは大きな欠伸をしながら、後頭部に手をやる。


「【扉を開き、馬は駆け、大笛が響き、地と空を巨生によって圧制され、刻まれた数字に因果を結び付け、苗床は地を揺らし、裁きの業火は糾察を明かし、栄光を讃え、新たなる統治の世が齎されるは因果の数字を携えし者の祈願と乞う。──】」


 十二芒星は聖光煌めく蒼に象られていき、浮かび上がった。


 風が吹き荒む。この電波塔に居る六人は温かでありながらも肌がその風に触れた時、全身が酷く侵されたように悪寒が齎されて、胃を鉄製の引っ掻き棒でグリグリと掻き回されたような感覚に襲われる。


 誰もが胃を押さえる素振りをして、苦しみに悶えた。


 ただ一人『唱えている』プルトンを除いて。


「【赤き烈火と黄金の涙は地を濡らし、我は永久《とこしえ》に一度沈もう。されど実は必ず絶世の民を求め、選別し再び返り咲く事を誓う。『エルサーユ』の庇護と慈悲に甘んじる事なく、永久《とこしえ》から戻りし我は再び誓う。安寧と祝福、喝采に満ちた世を描き尽くす事を──】」


 彼と彼女しか知らない。


 この文言を唱える者の言葉一つ一つは詰め込められた無念と忸怩たる思いがある事を。


 瞼を閉じて唱えて祈る男の背中を後方に居る者は誰も居ない。


 十二芒星の真ん中に縛られた最後の贄が蒼の粒へと昇華されようとしている。


 それに倣うように六人の贄も輪郭に宿していた黄金の光が蒼へと昇華されて光柱が十二芒星の真ん中から天井に傷を与える事なく上空へと昇った。


「【故に回帰せよ。故に廻れ。故に開け。我らが願いをここに、顕現しろッ!】」


 中心に置かれた黒い箱は音も無く、ゆっくりと開かれた。


 独りでに、待っていたように⋯⋯⋯⋯。


 余波が世界に広がった。


 それは一つの終わりの合図《サイン》。


 そして、新世界へ至る為の餞別の波状。


 黒い靄《もや》が箱の中から噴き出すと、電波塔の中は一切の余韻無しに闇へと送られた。


 既に電波塔には穴が空いている為、換気の心配は一切ない。


 だが、闇は晴れない。晴れる様子が見受けられない事に皆が動揺し息を呑んだ。


 その時、蹄鉄が鳴った────。


 一騎だけではないと誰もが理解した。


 アカールとブリークの間を白の馬が駆け抜ける。


 ブリークとウィリアムの間を赤の馬が疾走した。


 ウィリアムとバラストの間を黒の馬が疾駆する。


 そして、最後に残った蒼ざめた馬は全員の身体をすり抜けていく。


 一様に『死』を直感し、アカールは吐瀉物を吐き出した。


 ブリークは引き攣った顔を見せ、ブリークは身体を強張らせたまま身動きが取れずにいる。


 ウィリアムは一瞬だけ意識を失い、バラストは発狂しそうになるのを堪えた。


 プルトンただ一人、口角を上げて立ち上がった。


「箱の中身はまだ出る。お前達⋯⋯【刻ませる獣】を顕現《だ》すんだ」


「ん?!もうか?!」


「⋯⋯模造品だからな。世界そのものを変える程の力はコレには無い。が、アメリカ大陸一つならば、終わらせられる」


 彼の言葉には容認し難い内容が一つ含まれていた。


 各々もその言葉を聞き、訝しんだ様子で隣に居る者達の顔を窺っていると、ワノルが一歩前に出て抗議する。


「おい待てよ!プルトン!俺達ゃあ、確かにアメリカを変えたいと言ったさ。だが、誰が大陸全部を巻き込みたいなんて言ったよ!えぇ?」


 予定では『アメリカ合衆国』という国のみを標的に定めていた。


 だが、プルトンは『アメリカ大陸』と口にした。


 明らかな規定違反であり、約束の反故に近いものであると、ワノルの後方に居る仲間も皆、プルトンを見つめている。


 プルトンは徐ろに立ち上がり、振り返った。


「貴様は病んでるのか?」


 怒気が籠ったその一言、そして怨嗟に満ちた視線にワノルは思わず顔を引き攣らせた。


「⋯⋯なに?」


「大陸に『アメリカ』という癌がある限り、俺達は変われない。俺達は何時までも真の意味で自由を勝ち取れない!貴様だって分かっていて賛同した筈だ!」


「⋯⋯プルトン、だがな。現実問題として俺達の目的は『アメリカ』だ。大陸じゃねぇ。関係ねぇ国襲う意味があるのか?」


 皆が求める理想、その本懐を遂げる地は『アメリカ大陸』の中にある『アメリカ合衆国』そのもの。


 忌まわしい記憶が想起した者が居る。


 舌打ちを鳴らした者が居る。


 苦渋で瞼を思わず瞑ってしまう者が居る。


 拳を握り、悔しさで睨む者が居る。


 悲惨な現実を疎み、逃げ出した者が居る。


 その全ては『大陸』ではなく『合衆国』で育ち、変えたいと願った者達。


 報復の恐れや自責の念に囚われる以前に、掲げた理想と信念は明確な標的を定めていて、その為にこの地に来ていた。


「ウィリアム、アカール、バラスト、ワノル、ブリーク。俺達はなんだ?」


 だが、プルトンとてそれを知っている。


 目の前で自身に疑念を向ける者達の絶望、憎しみ、妬み、怨み、悔しさをプルトンは知っている。


 自身にある切望も仲間である彼等と同じ気持ちからやって来る衝動であり、果たさなければならない理想だと胸に宿して問い掛けた。


「アメリカに幸せって奴を恵む者だろ」


 ワノルが口にする。なんの迷いもなく、臆面もない。


 プルトンは次にアカールへ目を向けて促す。


「アメリカに、真の平和を齎す者」


 確固たる意思がそこにあった。その横幅に広がった身体では比較にならない程に胸中に抱える夢に飢えていた。


 頷いたプルトンは次にウィリアムに視線を向ける。


「アメリカに恒久的理想を携える者だな」


 決して政治では実現不可能な理想を思い浮かべるウィリアムは信じている。


 それが今回の作戦さえ上手くいけば実現出来るのだと。


「アメリカに、尊い命を救わせる者だぜ」


 口角を少し上げて、自慢げに口にしたブリークだったが、この場でそれを笑う者はいない。


 厳しい現実問題に直面した彼をプルトンは知っている。


「アメリカに⋯⋯真の自由を与える者だ」


 ぎこちなく口にしたバラストに対して、不敵な笑みをするプルトンを前に居る皆が見た。


「そうだ。お前達の主義主張は皆違う。だが、俺はそれを受け入れよう。俺達が自由も平和も幸せも理想も命も⋯⋯全てを叶える世界を作る為に⋯⋯。俺達は真の王国を築く」


 誇大妄想の延長だと一蹴する事も可能であろう言葉に心動かされていく。


 まるで絶対王者のように高らかに口にした『王国』という単語にバラストは息を呑む。


「だから⋯⋯その信念と誇りを胸に抱いて『大陸《せかい》』を塗り替える」


 ワノルは俯き、ブリークは神妙な顔で真っ直ぐとプルトンを見つめ、ウィリアムは周りの様子を確かめるようにチラチラと視線を左右に立つ仲間に送る。


「⋯⋯⋯僕はやるよ!」


 ブリークの右側に居たアカールへ皆が驚いたように視線を送る。


「アカール⋯⋯」


 プルトンは純粋に、素直に感心している。


 アカールの顔付きが少し変わっていたからだ。


 常にオドオドと何処か遠慮しがちな印象が先行していた彼が目付きを鋭くさせながらプルトンを見つめた。


「僕の母さんは偶々居合わせたクソみたいな強盗犯に殺された。変えたい!皆がそうならないように!」


 それを機に、皆の気持ちは固まっていく。


 傲慢で他の者達以上の我儘を押し通す為の意思表明は始まった。


「⋯⋯俺はまだ幼いガキが居た。だが、VIPだかなんだか知らないが、そいつが出しゃばってきて、手術の順番を強制的に替えられた。それで、死んじまった。あんな残酷な事は⋯⋯俺には堪えられない」


 誰もが頷いた。各々の理想に色が付き、明確に広がっていった。


 伝播するように決意を深く身体に浸透させるように口にしていく。


「性犯罪で俺の女が孕ませた⋯⋯。その後ヤク中になっちまって、ガキ諸共死んじまった⋯⋯。堕ろすにゃ金が居る。だから、皆が信じる幸せが、俺は欲しい」


 根強く続く犯罪の痕跡、響き渡る銃声の音。


 誰もが被害者であり、誰もが報復を求め、誰もが正しさを追い掛ける。


 自由を掲げる国であるが故に起きた惨劇。


 自由の二文字は既に血に染まり、彼等には地獄でしかない。


「俺の親父は学者だった。けど⋯⋯『怪異《モンスター》』についての学術的論文を出した途端、皆目の色を変えて⋯⋯母親を置いてどっか消えちまった。母さんの理想を、父さんの理想を俺は叶えたい」


 たとえ個人的な事柄であり、傍から見れば弱い決意であろうとも、彼等には関係ない。


 プルトンは強く頷き肯定する。


「お前ら、悲惨だな⋯⋯。正直、同情しちまった」


「バラスト?」


「⋯⋯俺はそんな悲惨な過去はねぇよ。ただ、スラム街育ちってだけだ。何か変われるチャンスがあるならなんだってする。それだけだ」


 バラストはスラム生まれのスラム育ち。


 人の見る目は敵意の瞳。助け合いよりも奪い合いと競合相手のみ。


 騙すよりも騙される奴が悪い社会の中で生まれた生粋のアウェイ。


 だからこそ、変わりたいと誰よりも強く望む。


 身体に負った傷の数だけその思念は強まる。


 生き汚く生きる道を選ばざるを得ない男の瞳は誰よりも信念が灯っていた。


「それでも、充分だろ。ここに居て、一緒に戦う。それ以上に理由なんて居るか?」


 それを皆が垣間見た。皆が肯定し励ますように笑ってみせる。


「フッ。最高だな、兄弟ってのは」


「プルトンは?」


「⋯⋯⋯⋯俺は愛おしい者が謳った世界が欲しい。ただ、それだけだ」


「⋯⋯なら、決まりだな」


 既に喇叭を持った天使は飛び出して空を舞っている。


 赤い龍も超巨大な悪魔も産み出されようとしていた。


 次の順番は【数字を刻まれる獣】の番。


 模造品故に生み出されなかった存在であり、各自で準備しなければならなかった選別の為の存在。


「うっしゃ。じゃあ【刻ませる獣】出しますかねぇ」


 ワノルがそう口にしたのを皮切りに各々が『怪異』の召喚、出現に必要な物を取り出していく。


 ある者は羽根の化石を手に取る。


 ある者は本を取り出した。


 ある者は赤い液体が詰まった小瓶を掴む。


 ある者は鱗が入った紙袋を鳴らした。


 ある者は汚れたドレスの布切れを広げる。


「⋯⋯⋯⋯反旗の始まりだ」


 ニヤリと笑うプルトンはコナーが空けた電波塔の外を眺める。


 既に馬は疾駆し、人に【憑いた】後である。


 気持ちの良い程、軽快に自身達を鼓舞するように喇叭の音が掻き鳴らされていく。


 一望出来る街には巨大な黒い影が迫っていた。


 地中から飛び出るように赤い影が出現しようとしていた。


 男達は各々の持ち場である、支柱を目指して歩き出す。


  ━ ━ ━


 場所は保健室。


 一度は自宅に帰ろうとした舞喜であったが、脚は動かず始末。


 結局、公園で黄昏れながら朝を迎えてしまう。


 そんな舞喜にも頼れる友人が居る。


 その友人を頼るように自宅付近で待ち伏せて、流れるまま中学校へと到着し、保健室の先生が不在の部屋へと赴いた。


「ねぇ?舞喜ちゃん。家に帰った方がいいよ?」


「そうだぜ?桐江ん家の人が厳しいのは知ってっけど、パジャマで登校はヤバいだろ〜」


「だって⋯⋯」


 そう、桐江舞喜はパジャマで自宅を飛び出して、そのまま朝を迎え、パジャマのまま学校に来てしまったのだ。


 自宅に帰ろうにも母親が待っている。


 口喧嘩の果て、マトモに取り合って貰えなかった相手である兄が居るあの家に帰宅する気が全くと言ってもいい程に起きなかったのだ。


「先生が取り敢えず来てくれるらしいから、保健室に居たら?」


「ありがとう、アッちゃん」


 ポニーテールで後ろ髪を結ぶ少女に向かって感謝を告げた舞喜に、健気に笑ってみせた少女は一言「いいよ」とだけ口にして心配そうに見つめた。


 保健室のベッドに腰を落ち着かせる舞喜に寄り添うように隣に座り、背中を擦る。


 そして、四月の中旬に入ったばかりの時期には珍しく朝から学ランを脱いでいるスポーツ刈りの男子生徒は軽い足取りで二人に近付き、自身に指を差す。


「ホレホレ、お前を見られないように学ラン貸してやった俺に感謝は?」


「はぁ〜。門間《かどま》、アンタ⋯⋯ダサいよ?」


 思わず呆れた友人と、ダサい、という一言に僅かに心打たれた男子生徒はショックを隠しきれずにいる。


 そんな中、舞喜は目の前に居る来た男子生徒に朗らかな笑みを浮かべて口にした。


「ううん。ありがとう、門間くん」


「お、おう!えへへ」


 その緩み切った照れ顔にベッドに座り込む二人は朗らかに笑った。


 少しは緩和された感情。落ち着きは取り戻していき、舞喜もこのまま一度学校に戻る手筈を整えて再度学校に向かう。


 そうなる筈だと、この時までは信じていた。


 舞喜も友人も男子生徒も皆───。


 窓から通り過ぎた白い風が不安定な心に住み憑こうとするまでは⋯⋯。


「⋯⋯⋯⋯え?」


 感情が溢れていくと同時に自然に拳が握られた。


『支配』が植え付けられていく。


 次に赤い風が友人の背後を抜けて、舞喜の背中に入り込む。


『争い』が誘発しようと心が疼く。


 かつてない程の高揚感と多幸感が精神を締め付ける。


 三番目に黒い風が喉を通った。


『裁定』しなければならないという使命感に襲われていき、自我は寄生に流される。


 沈む感覚に自分の感情が追い付かない感覚が身体の震えを起こしていく。


 最後に蒼の風が辺りを一気に凍り付かせる程の冷気を持って吹き抜けた。


「っ!さぶッ!」


 窓を覗く男子生徒。──当然だが、窓は開いていなかった。


 不審がった男子生徒は窓に近付き、同じく寒がる舞喜の友人は舞喜の身体から手を離して自分の両腕を擦りだす。


 この場に居る誰もが予期できない事態である。


 予測不可能な出来事が起こる前兆である最後の風が舞い込んだのだと──『死』が舞い込んだのだと、誰もが思いもしなかった。


「っ!!⋯⋯⋯⋯⋯〜〜〜!」


 膨らむ感情は誰のものか?


 自我は流され、寄生されたように植え付けられる選択肢と可能性。


 脳内で閃く選択肢の数々。


(⋯⋯⋯⋯⋯ハッハハハハハ)


 目を見開き、口からは涎を垂らしながらもどす黒い感情が自分の身に流れていき、それが一体化していく感覚が心地良く感じて、現実でも笑った。


「舞喜ちゃん?ちょっと!舞喜ちゃん、どうしたの?!」


 初めに異変に気が付いたのは隣に居る同級生であり、友人でも少女だった。


 まだ学校生活に慣れなかった舞喜の最初の友人であり、姉御肌気質のクラスの女子リーダー的存在。


 最も最初に舞喜に声を掛けて、舞喜の学校生活を明確に彩った存在でもある。


 そんな少女に向けて唱えてしまった。


「【渇望しろ】」


「え?」


 感情が溢れていく。留まる事を知らないその未知の感覚に胸が締め付けられたように胸部を抑える少女の瞳は虚ろに変わる。


 立ち上がった舞喜と少女。


 そして、窓に違和感を覚えていた男子生徒は気の所為か、勘違いだと独自に判断して二人の方へと振り返る。


「ん?どうしたんだよ?二人共⋯⋯」


 明らかに様子がおかしかった。


 ケタケタと笑うように口角が上がり、向けられる視線にも何処か恐怖心が湧き上がってきていた。


 思わず、窓側に身体が後退る。


 だが、もう遅かった。


「⋯⋯⋯⋯【渇望しろ】」


「え?何言っ────」


 言葉が途切れてしまう。完全に囚われた瞬間、違和感よりも湧き上がる高揚感に襲われる。


 拳が握られた男子生徒は荒い息を吐いていく。


「⋯⋯⋯⋯⋯ハハッ──」


 溢れる、溢れる、溢れる────。


 留まる術は無い。収まる気配は見せず、湧き出す【勝利への渇望】【争いを促す多幸感】【飢餓という惹起】【死という救済】は侵蝕して侵され、身体に無数の黒い手が巻き付かれる。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 臨界点に満ちたその狂気の笑みは舞喜のもの。


 誰よりも勝利に固執して、争いでなければ解決出来ないと理解させられて、常に飢えに満ちて、死に近い環境に居た舞喜の高笑いは校内に響き渡った。


「どうしたの?大声で笑ったりして⋯⋯⋯え?君達⋯⋯どうして────」


 保健室の先生がそんな舞喜の甲高い笑い声を聞き付けてやって来た。


 始まる───。


 保健室の先生は違和感に気付きこそしたが、男子生徒が人智では考えられない程の速度で迫ると顔を鷲掴み、後方にある廊下の窓ガラスに頭を叩き付けられた。


 薄く塗られた赤いリップを濃厚な赤に塗り替えるように乱暴に顔面を殴られ、衣服を脱がされ、大きく膨らんだ胸部を掴む。


 そして、爪が肉に食い込む程力強く掴むと、一気に綺麗な形をした右胸を抉った。


 男子生徒が掴んだその胸だった肉塊は黒く変色していく。


 それをさも当然のように見つめた舞喜と少女は廊下へと脚を踏み出し階段を上がって行く。


「支配が始まる。争いは新たな地の始まりを告げる」


 少女は階段を下って職員室に向かおうとした女子生徒の耳を食い破り、階段に棄てた。


 叫び声や悲鳴よりも早く、迅速に舞喜の辿る道を妨害する者を排除しようとするように。


「天秤の傾きに身を投じ、飢えに従え」


 踊り場で駄弁っていた複数人の男子生徒を発見した血で赤く濡れた男子生徒。


 手すりを力一杯に引き抜くと、狂った表情をさせながら踊り場を駆け出して一番近くに居た男子生徒を殴打していく。


 驚きで固まった生徒。当然だ、全く顔も知らない後輩に突然友人が殴打されてしまったのだから、驚かない方が不思議なぐらいだ。


 だが、一秒でも早く逃げていれば良かったのかもしれない。


 流れるように舞喜の少し前を歩いていた少女が踊り場に到着すると動揺していた生徒の顔の側面を殴る。


 普通の女子のパンチならばまだ幾分もマシだったろう。


 しかし、今は『普通』ではない。


 壁に丸い亀裂と血が付着して呻き声を上げながら横たわってしまう。


 最後に残った生徒は震え出して階段の段差に倒れ込む。


 それを男子生徒は顎を蹴り、後頭部を段差の角に大きく叩き付けられて眠りに着いてしまう。


 そして、最も後方に居た舞喜は何食わぬ顔で血溜まりが出来た床を上履きで踏み荒らして、段差を上がっていった。


「死こそが新たな生への渇望⋯⋯。神に与えたもう軌跡に剣を、旗を、命を掲げろ!」


 舞喜の在籍しているクラスの教室まで後少しという時、偶然舞喜の後方にある壁に隠れて一部始終を見ていた女子生徒は慌てたように職員室へと向かって行った。


「先生!なんか、桐江さんが変なんです!」


「え?変?変って何が?」


 オールバックでキッチリとスーツで通勤していた担任教師の所へ向かった女子生徒は報告していた。


 動揺が見られ、不安感に襲われている女子生徒を傍目で見ていた担任教師は首を傾げて問い掛けた。


 ────彼女は勘違いしている。


 彼女は保健室前で倒れた先生を見ていない。


 彼女は男子生徒複数人と女子生徒一人の倒れた姿を見ていない。


 実行犯は二人、首謀者は一人という状況を大きく勘違いした状態で担任教師に語った。


「よく分からないんですけど、とにかくおかしんです。パジャマ姿だし、ひたすら演説みたいに叫んでるしで。と、とにかく何とかしてください」


 舞喜の前方に居た二人の生徒は彼女が見ていた角度からでは目視出来ず、倒れた女子生徒が近くに居たというのに舞喜があまりにも理解不能な言葉を綴り続けていた光景に圧倒されて、視線が上側にしか向いていなかったのだ。


「まぁ、歳頃でも有るだろ?コレが終わったら向かう」


「え、え、で、でも⋯⋯⋯」


 慌てた様子で教室へと向かう事はなく、担当している科目のプリントを確認する担任教師の大洲先生は油断していた。


 思春期なら馬鹿な一つぐらいするもので、それが男子に限らず女子でもそうなのだと。


 馬鹿の一つでもさせた後に説教をして、生徒にそれがいけない事だと理解させる。


 それが彼の指導方法。


 諦めたように女子生徒は職員室を出てしまった。


 彼女は後の証言人。担任教師の不出来を糾弾した女子生徒にして、今回の事件の目撃者。


「ハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハ。我々は神にこの地を裁量をする遣いを受けた。貴様らを見定めさせて貰おう」


 自分の通う教室へ辿り着いた三人。


 異様な雰囲気に圧倒されたクラスメイトには動揺の空気が流れだして、鼻で笑う余裕すらない。


 普段の桐江舞喜はどちらかと言えば大人しい部類の女子生徒であり、厚顔無恥な笑い方など発する部類とはこの中に居る誰もが思っていなかった。


「なんか、桐江の奴どうしたんだ?」


「門間の奴、桐江の事が好きらしいけど、あそこまでやる?」


「やらねぇって。馬鹿になったんじゃないのか?」


 舞喜の隣に立つ二人。


 虚ろな瞳に狂気地味た影が表情から見え隠れしている。


 すると、舞喜達の前に長髪のストレートの髪型をした女子生徒が立ち塞がった。


「ちょっと!内枝《うちえだ》さん、騒がしいんですけど!何騒いでるの?」


 睨み付けるようにして三人を見つめていた。


 内枝《うちえだ》敦子《あつこ》という舞喜の最初の友人、間門《まかど》信之助《しんのすけ》の二人に睨みを利かせて、最後に舞喜を睨む───だが、女子生徒はすぐに違和感に気付いたように肩を掴む。


「⋯⋯⋯⋯桐江さん?ど、どうしたのよ?」


 ひたすら真っ直ぐ、揺らぐ事もない瞳と目線に思わず恐怖心が湧き出していき、掴んだ肩を離してしまう。


「⋯⋯⋯フフフ。人は愚かだ」


 そう言い舞喜の左腕は少し上がった。


「え?───ッ〜〜!!!」


 黒板に衝撃が走り、チョークを置く溝には血が付着した。


 床に置いてあったゴミ箱を激しく倒して頭を押さえた女子生徒は唸り声にも似た悲痛な声を小さく上げながら倒れ込む。


 教室に居る数名の悲鳴が上がった。


 動揺して表情が固まってしまった者も居て、いよいよマズイと感じた男子生徒数人が止めようと舞喜達に近付こうともしていた。


 取り押さえようとする者、教室の後方の扉から教師を呼びに行こうとする者も居る。


「【渇望しろ】⋯⋯⋯愚か者共」


 だが、全てが遅かった──。


 伝播する──。


 教室の机の数は合計三十一席分。


 その内、教室に居るのは舞喜、敦子、信之助を除き二十六人。


 ────空気が一気に変わった。


 ピリつく感覚が何時までも離れない空間へと早変わりしてしまい、各々が目を見開いていく。


 まるで狙いを定めるように⋯⋯。


「⋯⋯⋯そうよ、そうよね。もっと、自由であるべきよォォ!」


「最高だァァァ。あ〜試してぇぇぇ。やってみてぇぇぇ」


「アハハハハハ。なんだよ、この溢れる感じ!」


「────壊したい壊したい、壊したい壊したい、壊したい、壊したい壊したい壊したい壊したい壊したい壊したい壊したい壊したい」


 近くに居た男子生徒の頭を近くにあった窓ガラスに叩き付けた舞喜の視線が怪しく灯される。


 赤い眼光を纏って、身体には白い何かが漂い始め、黒い手が無数に素肌を締め付け、蒼白い肌に変わっていく。


 変質していく彼女はゴングを鳴らすように教卓を黒板に設置し、黒板を叩き潰す。


「自由に暴れなさい。私が許そう、愚かなる人な子達」


 破片が飛び散り、濃い緑色の板が壁から外れそうになる中、狂気に支配された生徒達によるバトルロワイヤルが始まった。


 教卓で一人座り込んだ舞喜を除いて⋯⋯。


「アッハッハッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 満たされていく感覚。自身が上で他者が下という実感が笑いを呼び起こす。


「お兄ちゃん〜アタシ分かったよ。お母さんとお父さんにもこんな風にしてマウントを取ってたんだよねぇ。なんで教えてくれなかったんだろう」


 膨れ上がる加虐性と暴力性。


 内包された【人を終わらせる存在達】が齎した明確な自身の言葉は舞喜の心を昂らせる。


 そして、次の標的を決めた瞬間でもあった。


 全てが終わったのは始業かチャイムが鳴る三分前の事。


「な、なんだこれは?!」


 他クラスの生徒からの報告で急ぎ向かった大洲先生が見たのは、教室内に漂う血の匂いが多分に含まれた地獄のような光景だった。


 机に押し潰されるように倒れる生徒。


 窓ガラスに頭を突っ込んで血塗れの生徒。


 顔がボロボロになって骨が剥き出しになっている生徒。


 目玉が無くなってしまっている生徒。


 腕が曲がってはならない方向に曲がって気絶している生徒。


 血塗れの衣服が破かれて、乱暴された後のある生徒多数。


 床一面が真っ赤に染まり、壁からは滴っていく血液。


 プレス機で潰されたような形状となった椅子と机数十席分。


 亀裂が入り位置が大きくズレた黒板。


「せ、先生ぇぇぇ。なんで来てくれなかったですか!?ぁぁぁぁあ、ぁぁぅぅ」


 教室の端っこで倒れていた女子生徒が痛ましい声をこれでもかと上げる。


 その方向へと大洲先生は顔を向けて恐る恐ると近付く。


「君は⋯⋯」


 彼女は職員室へ向かい先生に報告をした者だった。


 担任がアテにならないと判断した後、倒れた女子生徒と男子生徒複数人を発見し、恐怖心が募る中で勇気を前のめりさせ注意をしようと自分のクラスに戻ってしまう。


 戻ってしまった為に腕を掴まれ、顔面を鋏で刺されてしまい、指をへし折られ、脚を縛られたまま、乱暴されそうになった。


 だが、複数の男子生徒同士が彼女を求め争った結果、同士討ちのような形となり、結果──鋏は釘のように右手に突き刺さり、床から離れられない状態となっている。


「だ、誰がこんな事を?!⋯⋯⋯⋯誰が!?」


「ぅぅぁぁぁ。き、桐江さんです。あの人だけ、あの人だけずっと笑ってて。うわぁぁぁぁぁぁ」


 彼女は後から教室に入って来た為、狂う事なく襲われた。


 悲痛な泣き声を上げて、乱暴されそうになった記憶がフラッシュバックしていく。


 そんな阿鼻叫喚があたっであろう異様な光景をひたすら見つめるばかりの大洲先生は問い掛ける。


「き、桐江は何処に行った?」


「分かりません!私それどころじゃなかったんですッ!!助けてください、先生!痛いんです!手が、手がぁああぁぁ。ぁぁぁぁぁぁ」


 一クラスとは言え、騒然とした物音と発狂による絶叫は否応なく聞こえる。


 窓ガラスを割れば音は嫌でも鳴り、壁を叩けば響く。


 痛みは叫び声を上げて、恐怖心は脚と床を揺らす。


『Buuuuuuuuuuuuuuuーーー!!』


 喇叭が鳴った。


 震動がまるで地震でも起きたように視界を上下左右に揺れる。


 脳が震えだし、痛みが起こると大洲先生は蹲ってしまい吐き気が齎された。


 人類への試練として、鳴り出した合図は人にとっての有害であり、毒以外の何物でもない。


 箱を開けた者達と【憑かれた者】以外は⋯⋯。


「ハッハッハハハハハハハハハ。最っ高!なんでこんな事に気付かなかったんだろう!痛みに対して痛みで返せば良いんだ!ハッハッハッハハハハハハハハハハハ」


 愉快なステップを踏みながら、目的地である自宅に向かう舞喜のパジャマは血で濡れていた。


 全てが返り血であり、恍惚とした表情を浮かべながら自宅へと戻って行く。


「はぁ〜。待っててね、ママ、パパ〜、棄てられる娘が頑張るところ、見ててね」


 一方『街』から出ようとしていた六華は絶句していた。


 辺りの人達は喇叭の音に脳を大きく揺らされて痛みに耐えかねている中、空を見上げている。


「何が起きてるのよ⋯⋯⋯⋯」


 それは大きかった。黒くターコイズブルーの瞳をした存在。


「ちょっと!アレ、何?!」


「え⋯⋯⋯?本当ね、なんなのかしら」


 高校の教室の窓から真上に伸びる影が、ウェーブの掛かった茶髪髪の女子高生とその友人達──否、街の一部を呑み込んでいる。


 それを覗き込んでいた。


「まさか⋯⋯。部外者が余計な物を持って来たのか?」


 ボブヘアの小さな女子高生は怪訝な顔をしながら、屋上へと駆け出した。


 いざとなれば戦う為に──。


「なんですかね?」


「アレ?曇り空って訳じゃないよな?」


 杏の問いに対して、一向に学校へ来る気配のない准と六華に連絡を取る嶺二が呟いた。


「ま、まさか!アルマゲドン!」


「いや、まさか⋯⋯歌った方が良い?」


 冗談だと思い込みたい嶺二は上空に漂う黒い影に寒気を覚える。


 その影は明らかに雲よりも上に居る、または有るとハッキリと分かってしまえて、それが何よりも不気味に感じたからだ。


「准も六華も何処に行ったんだ⋯⋯」


 そんな心配の声は二人には聞こえないし、届かない。


 中央地区と東地区の境目にある『笠辺家』は騒然としていた。


 明らかな異常事態に対する対応の遅さに激昂する声が鳴り響く。


「急ぎ、住人を避難勧告を出さんか!刻一刻と危機は迫っている!」


 杖をつき、曲がった腰を酷使して玄関へ向けて歩き出した笠辺家当主の『笠辺《かさべ》刀臣《とうしん》』は喉すら酷使していた。


「ご当主、どちらへ?!」


「儂だけ畳みの匂いに包まれていろと?」


 刀臣の後方に付き添う警護班の男性の胸元に杖が突き出される。


 グゥーっと身体を押し付ける杖にたじろぐ男性。


 大変不服そうに顰め面をした刀臣は杖を大きく床に叩き付けて声を張った。


「アレはこの街に存在する『除者』だけでは対処が遅れてしまう。儂らのような者も動かざるを得なんだ。分かったらお前も出来る事を模索しに迎えぇぇぇ!」


「は、はいっ!」


 駆け出し、警護を離れた男性の背中を見送る刀臣は上空で気持ちよさそうに喇叭を吹き鳴らす灰色のワンピースを身に纏い四翼の翼を生やした天使を睨む。


『Puuuuuururuuuuuuuーーー!』


 眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締めた刀臣は玄関を出ると、同じく上空を睨む男が佇んでいた。


 その余裕そうな態度が鼻についた刀臣は今日一で声を荒らげる。


「沙耶を呼び出せ!あの煩い小蝿を斬りに向かわせろ!」


 合計【七体の天使】。『怪異』である事は明白であり、沙耶の刀があれば優位を取れるという判断だった。


 だが、そんな知識は所有者である沙耶自身が最も理解している。


「親父、沙耶はもう向かった」


 そう、淡々と口にしてみせる男の余裕の正体はそこにあった。


 沙耶が斬るから安心だ、そういう何処から湧いたか不明な油断によるもの。


「では貴様は何をやっとる?」


 しかし敵がそれだけだと誰も言っていない。


 刀臣には分かる。刀臣のボヤけた視界には明確に判断が付く。


【七体の天使】の更に上空に居るであろう存在は只者ではなく、只事では済まないと。


 更に地面が徐々に揺れ始めている感覚が刀臣を確信付けた。


『まだ続く』と。


「この愚息めが!とっととこの街の人間一人でも多く避難を誘導せに行かんか!」


 そう叫ぶと、杖を地面に鳴らしながら草履を履いた脚を擦らせていく。


「ゴホッゴホッ。ッッ!この身体が後、二十年若ければ⋯⋯⋯⋯」


 心が不安感とどうしようもない絶望感に襲われる。


 歴戦の猛者故に発達した勘と身体が教えてしまう。


 悲劇が迫る、絶望が訪れる、惨劇が舞い込んで来る。


 そして、妹の探索を続けていた准もまたその被害を受けていた。


「─────ぃぁぁぁぁぁあ!!」


 頭を押さえて蹲り、嗚咽感が止まらない感覚に苛まれている。


 脳を直接掻き回されたような未知の体感に困惑していく。


「ァァァッ!!痛いッ!頭がぁぁぁぁ!」


 空を見上げる余裕が無く、雲河の奥から迫る存在には気付いていない。


 だが、現れるのは上空からだけではない。


 准が倒れ込んでいる箇所から四キロ先にある雑居ビルが立ち並ぶ場所がどういう訳か、浮いたように盛り上がっていく。


 その盛り上がりは徐々に大きくなっていき、まるで種から苗が土から生えて来たように、何かが出現した。


「うわぁぁぁあッ!!」


 突風でも吹いたような衝撃が身体を大きく打ち、電柱に背中をぶつけた准は口を微かに開けて、息を整える。


 並んでいた雑居ビルは現れたその存在によって残骸とさせられてしまい、半径六メートル圏内へと無作為に落ちていった。


 拡大する被害と、犠牲者が増えていく。


 しかしそんな状況になっていると気付いていない准は騒音が辺り一面に広がる音が耳に伝わり、正面を見た。


「⋯⋯⋯⋯え?」


 それは赤い存在。燃えるような深紅の胴体、短めの首、短い手が二本と強靭な脚と胴体と同じぐらいの尾を持つ、全長三十メートルもの【紅蓮の龍】だった。


「本物の龍⋯⋯」


 龍が上空を駆け昇っていく。龍の口元から生えた長い髭が空気を鞭打つように靡いて中、准はようやく違和感に気付いた。


「え⋯⋯⋯⋯?」


 曇り空とは言え、街全体があまりにも暗すぎる。


 烏が逃げるように大群を作って空を飛ぶ。


 虫が地面に隠れ、逃げるように蟻は列を為す。


 紅蓮の昇り龍が上空へと上がって行く様を視線で追っていた准の顔は徐々に顰め面になっていく。


 日差しが身体に差し込んで、人々に温かさを齎す。


 まるで雲が晴れたように大穴が空き、代わりに黒い何かが降ってきた。


 ソレは脚が地面に着いた瞬間轟音を鳴らし、准の身体はトランポリンで跳ねたように身体は大きく浮き上がり、街には連鎖的に大爆発が起こりだす。


 大人五人分もあるターコイズブルーの光が二つ、ゆっくりと空へ向かって上がっていく。


 まるでその存在を祝福するように何処からともなく地面から噴き出した炎が喝采の如く、街を焼き始める。


『Grrrrrrrrrrrraaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


 強烈かつ街に響き渡る程の雄叫びが准達『空弩街』の住人の耳に鳴り響いた。


 頭部に生えた背中に向けて曲がった角は羊のようにも見えて、蒼炎にも似た巨悪を象徴する青い瞳を持ち、頑強に造られた人のような青黒い身体を持った存在。


 爪一本で六階建ての建物をいとも容易く二分割出来るであろう鋭く尖った爪が合計二十本分。


 ゆっくりと開かれた口からは湯気が吐き出され、空気を震撼させていく。


 その名も【悪魔の王:サタン】


 鋭く尖った目尻、禍々しい口元は何処か嫌悪を思わせる笑みを浮かべており、巨大な穴が空いたワインが染み込んだように翼の内側は赤く、白く鋭利な爪は鉤爪を彷彿とさせる。


 そんな風貌を持つ全長二十五メートル級の化け物が空から降りた来た。


「⋯⋯⋯⋯なんだ、アレ?」


 准は絶句した。現実味のない光景と有り得ないと否定したい自分が瞼を閉じさせた。


 たった一歩だけ【サタン】が動いた。


 それだけで街は揺れて、更に火の海になって街を黒く染め上げていく。


「⋯⋯なんだよ、アレ。⋯⋯⋯なんなんだよ、アレはァァァァァァ!」


 答える者は居ない。巨大な生命体一体の足音によって掻き消される程の矮小な声量は誰にも届く事はない。


 上空を昇っていた【紅蓮の龍】は【サタン】の雄叫びを聞き、駆け上がっていた身体は進路を変える。


 徐ろに上がる【サタン】の顔は【紅蓮の龍】を補足し、片腕を上げた。


 禍々しい紫色の光が掌に集まり始める。


「⋯⋯?」


 准はその様子を絶望感溢れる目線で見つめた。


 徐々に光の収束する速度は上昇し、ピタッと止まったと思った瞬間、紫色の光弾が【紅蓮の龍】目掛けて発射された。


 その光の発射に伴って空気は震動し、距離がかなりある箇所に居る筈の准の耳にも劈いて聞こえた。


 見開いた眼は光の弾道を見破ると【紅蓮の龍】は一気に急降下して、迫る紫色の光弾を回避する。


 そして口元には紅い炎が蓄えられていき、お返しとばかりに超遠距離からの紅色の『龍の息吹(ドラゴン・ブレス)』が放たれた。


【サタン】はそれを避ける素振りもなく、右胸部に直撃し身体は焼かれていく。


 火の粉が舞った。【サタン】の強靭な肉体と不死の力が合わさって焼けた箇所から蘇生し『龍の息吹』を弾き始める。


 被害を受けるのは街であり、人であり、生命体。


「な、なんだよ。この怪獣大戦争⋯⋯⋯⋯なんだよ、なんだよぉぉ!」


 現実に亀裂が入る音が聞こえだした准は耳を塞ぐ。


 妹を探しに外へ出ただけの准は睨むように【サタン】と【紅蓮の龍】を見つめる。


 喇叭は鳴り止む。上空からは苗床を求めて『空弩街』を目指し、種が撒かれようとしている。


【紅蓮の龍】と【サタン】がお互いを掴み合い、格闘戦を始めた。


 街は更に被害を拡大していき、准の聞こえない所で悲鳴も聞こえていた。


 そんな事に気付かずに非現実的な光景に頭がパンクしていく准は現実逃避のように頭を抱えだして、空を見上げて叫ぶ。


「誰でもいいから、何とかしてくれよ!何とかなれよぉぉぉぉ!!!」


 世界が割れた音がした。


 複数枚に重ねた硝子を一気にヒビを入れたような耳障りで不快な音。


 上空に浮かぶ灰色のワンピースを着た翼を生やした七人の少女の更に上空。


 液晶に黒く斑点模様が浮かび上がっていた。


 それは───砕け散った瞬間、中から一人の男が現れる。


 ボロボロの黒いジャケット、濃い緑色のズボンと茶色のブーツ。


 黒い髪と全てを見通す蒼い瞳の男が厳格な男の首を持って、顕現してしまった。


「あァ?なんだ⋯⋯これ?」


 この『空弩街』の遥か上空から見下ろすように呟いた男は──朝倉拓也はこうしてこの世界に降り立った。



戦闘シーン次回も続くけど、多分すぐ終わる。


だって、裏道話だもん。

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