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この街は今日も語る  作者: 紫芋
Spring hour 桐江准は普通でありたい

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甲論乙駁の行方

どうも、ブドウが大丈夫ならワインもいけるだろと思ってたら、飲めなかった愚か者の紫芋です。


下戸では無いんですけどね⋯⋯。


今回出てくるアメリカ組は酒の銘柄から引き出してます。


ただし、全てがアメリカ発祥の酒で名前を考えていません。


つまり、何を意味するのか⋯⋯⋯⋯そう!






銘柄調べるの疲れただけです。


だって美味しんだもん、ジャマイカのお酒。


それと今回長くなっちゃいました。


2万字以上を長い、一万字以下を短い⋯⋯そう定義して毎度報告しています。


ご愛嬌の程お願い致します。


 今宵の更けた夜の街には、静寂なんてものは訪れなかった。


 この日、シンボルとして聳えていた電波塔が何者かの襲撃により街は慌ただしく騒然としていたからだ。


 そんな『空弩街』にあるホテル、三〇ニ号室では、神妙な雰囲気を漂わせており、言葉を発する者は誰一人としていない。


 ベッドでぼんやりとしながら寛ぐ者達。


 窓の外を眺めて様子を見る者。


 ソファで腰を落ち着かせながら同じ箇所を見つめるだけの者。


 ソファの背凭れに手を添えてひたすら時を待つ者。


 各々がある人物の帰りを待っていた。


 そして、その時がやって来る⋯⋯。


 部屋の鍵を開け、急ぎ足でやってきた白人男性の一言で空気はガラッと変化をした。


「コナーが逝っちまった」


 灰色のブルゾンジャケットを着た白人男性がそう一言告げるとソファに座っていたアンダーカットの髪型をした男はやってきた白人男性の方へと視線を向ける。


「⋯⋯そうか」


「⋯⋯随分冷たくない?」


 背凭れに手を掛けていた茶髪の女性がそう寂しそうに口にするも、男は視線を合わせず黙々と口にした。


「俺達はこんな所で立ち止まってられない。合衆国に知らしめなければならないんだ。奴だって、その覚悟はあった筈だ。でなければ俺達の作戦に賛同なんてしない」


「⋯⋯⋯⋯それは、そうかもだけど」


『コナー・ラインザック』


 この空間に居る武闘派でありつつも親しみやすい男であり、チームの緩和剤的存在が死んだ⋯⋯。


 それは大きな痛手であると共に訝しみを覚えたようにソファに座る男を皆が睨む。


(⋯⋯⋯⋯コイツがドラゴンの相手しろなんざ言うから⋯⋯。やっぱ無茶だったんだ、足止めとは言え⋯⋯。クソめッ!)


 窓を覗き込んでいたドレッドヘアの男『バラスト』が思わず舌打ちをしてしまう。


 眉間に皺を寄せて、壁に八つ当たりをするように軽く拳で数度叩き、苛つきを発散していく。


 一方、ソファに座る男の発言を聞いていた角刈りの黒人男性『ブリーク』と、小太りの若い白人男性『アカール』はベッドから起き上がった。


 煙草を吸っている男性『ウィリアム』が煙草を吸いつつ近付くとブリークが彼に気付き、視線で追う。


「何一人で盛り上がってんだか⋯⋯」


 ブリークは鼻を鳴らして両肩を上げて、首を横に振る。


 アンダーカットの男性に向けた一言。


 ブリークには酷く悲しい奴としか見えていなかった。


 座りながらも何処か虚ろな目をしている男に憐憫を向ける事はあっても、傍には寄らない。


 それがこのチームの鉄則だからだ。


「お年頃なんだろ。ほっといてやれよ」


 嘲笑とも取れる笑みを浮かべたウィリアムは、灰皿に煙草を押し付けていく。


「盛り上がって⋯⋯るんですかね?」


 オドオドと様子を窺うような視線を向けるアカールの言葉は徐々に声量が絞られた。


 部屋に先程やって来た白人男性の『ワノル』は神妙な表情を浮かべながらソファの真正面へと向かう。


 その様子を皆が視線を追い、ソファに座っていた男性の視界には脚が見えた。


 だから、顔を上げた⋯⋯。


「『プルトン』⋯⋯。支柱も打った。後には引けねぇのも承知だ。だが俺達ゃあ、生き残んなきゃなんねぇ。でも事実としてコナーは逝っちまった。本当に上手くいくのか?そんな箱ごときで」


 プルトンの膝元に有る黒の箱。


 高さ三十センチ、横幅五十センチ、奥行十四センチメートル程の小さな箱を指差す白人男性は純粋に迷っていた。


 計画の要は結局の所はその箱であると、この部屋に居る誰もが知っている。


 だが、その箱の真価を誰も知らない。


 皆が一様に怪訝な顔をした。


 バラストはソファに近寄り、その箱を改めて見るも、やはり変哲のない黒いだけの箱。


 材質こそ鉄や鋼の類いを用いているものの、骨董品だと言われればそれまでであり、蓋には封もされていない。


 だが、その箱の真価を正しく信じていた者が確かに居る。


 プルトンだ。彼のみが、その箱の力を信じて疑っていない。


「⋯⋯いくさ。少なくてもコレは特注品だ。セントパトリック大聖堂の司教様から借り受けた一級品だぞ?」


「でも、模造品なんだろ?」


 ワノルの不安は伝播したように皆の視線が箱へと向かう。


 不安の払拭を意図せず求められたプルトン。


 しかし彼はそんな彼等の様子などおざなりにするように淡々と口にしていく。


「神を信じる者ならば、この箱に入っているもの等《ら》は危害を加えんさ。何せ、コレは人へ向けての試練だからな。そして⋯⋯啓示の箱庭だ」


 睨みを利かせるように目を細めたプルトンの瞳の中にある執念にも似たものを感じ取ったワノルは臆したように口を引き結ぶ。


 そんなワノルの代わりにプルトンに近付いていたバラストが声を張って口にする。


 わざとらしく、嫌味も込めて。


「大掛かりが過ぎないか?もっとこう⋯⋯ライフル調達してさ、暴れちまった方が早ぇと思うんだが?」


 プルトンが立てた計画の要は『箱』にあり、それを用いる為の土台が本来の目的地から遠く離れた場所である事にストレスが溜まっていたバラスト。


 ある意味では皆の意見を纏めた言葉ではあったろう。


 危険なんてものは常に承知の上であり、最速最短で結果に繋げた方が気が楽に終われる。


 だが、プルトンの立てた計画はコナーとマイヤを除いた皆が目と耳を疑う程の回りくどさであった。


 しかしプルトンとて、終われるなら早く終わらせたいのは事実であり本音。


 彼には彼の信条があり、理念がある。


 それだけが、彼を動かす原動力となっていた。


「それでは意味がない。手段として、舞台として日本が必要な要素だ。それにだぞ?俺達には日本の密売人とのコネクションがない。どの道、鉛玉なんざ脚がつくに決まっている」


「でもなぁ。この街にそんな価値あるか?言っちゃあなんだが、歴史的な観点で見ても、京都の方が意味があるだろ?なんで『空弩街《ここ》』なんだ?」


「⋯⋯⋯ふふ。決まってるだろう?」


 立ち上がったプルトンは茶髪の女性『マイヤ』の肩を寄せ、窓を眺めに行く。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」


 違和感があった。それはプルトンにのみ分かる非常に重要な事であり、筆舌に尽くし難い異様な感覚。


(なんだ?何か⋯⋯見落としている?いや!そんな筈⋯⋯⋯⋯なんだ?)


 次第に表情は険しくなり、考え込むように瞼を閉じたプルトンの様子に気付いたのは、肩を寄せられたマイヤだった。


 明らかな動揺と何か不安定と危うさを持ち込んだ表情を浮かべた彼を心配そうに声を掛ける。


「⋯⋯プルトン?」


「⋯⋯⋯⋯マイヤ、心配しなくていい。お前の理想郷を作ってやれるのは⋯⋯⋯⋯俺達だけだ」


 彼女の顔を見てじんわりと笑顔を零すプルトンに不安さを隠しきれないマイヤはぎこちなく頷いた。


 そして、再度窓に映る夜の街を睨む。


 所詮、この街は足掛かり。


 ひたむきに生きる人の数は蟻のようなものであり、掲げて誓った理想と信念の前では無力の有象無象。


「ウィリアム。今のうちに『怪異《モンスター》』の調子、見とこうよ?」


「お、アカール。お前偶にはいい事言うな。何時もハンバーガーとアップルパイの感想でしか、言わねぇのによ」


「余計だって!緊張を解さないと食べようとした時に喉を通らないだろ?」


 膨れたお腹を擦るアカールに微かに空気が変わる。


 バラストは両手で大きくなったお腹を表現しワノルが鼻で笑う。


 ウィリアムはアカールの肩へ腕を掛けて指を指す。


「はっ。お前が生きてたら俺が奢ってやるよ。好きなだけ食えよ」


「あ、ホントだね?言ったぞ?やっぱなしは無しだからね?」


 確認を取るアカールの余った肩にブリークが腕を掛けると、犬の腹を擦るようにアカールのふくよかなお腹を擦る。


「なら俺も乗るぜ。ついでだ、酒だってたんまり飲めよ」


「僕、皆みたいに強くないよ⋯⋯」


「ケツに突っ込んだら飲んだ事になるんじゃねぇの?」


 ウィリアムの提案でブリークが、それだ!とばかりに目を見開き指を上下に振ると同時に頷いた。


 ウィリアムもそれに合わせて頷くとバラスト、ワノルも舌を僅かに出しながら頷く。


「お!それ良いな!死んだ奴のケツに酒ぶっ掛けてやろうか!」


 そんな巫山戯た仲間達の光景を窓側から見つめる茶髪の女性のマイヤは微笑む。


「ふふ。⋯⋯⋯⋯こんな日々、続けばいいのになぁ」


「⋯⋯だな」


 窓に映る『空弩街』の夜景を一人寂しく見つめるプルトンはそう小さな声で呟く。


 寄せた彼女の肩へとプルトンの手は力が籠る。


 全ては理想の為に。


 自由を謳う国へ、本当の自由を求める為の聖戦。


 その足掛かりであり、踏み台として選ばれたアメリカ合衆国の友好国でもあるこの地に地獄が迫っている事をこの街の人間はまだ誰も知らない。


『除者』も『龍』も『少年』も⋯⋯。


  ━ ━ ━


 走る、駆ける、疾走し、涙で前が見えなくなっちゃっても、この脚は止まらなかった。


 見られた、知られた、無いと思っていた筈の事が現実として起きてちゃって、意気地無しな私は逃げちゃって⋯⋯⋯⋯堪らなく不安に襲われてしまう。


「はぁ、はぁ、はぁ、はあぁぁっ───っ!」


 斜面の道路、片っぽだけのローファー。


 その最後のローファーも道路の隅に転がった。


 学生ごっこに投じて本能を忘れていた私の身に起きた現実。


 怪我なんてない、する筈がなかった。


 なのに───。


「────痛い⋯⋯⋯⋯」


 暗く沈んだ道で一人、大地に顔を向けて縋るように倒れ込む私はさぞ滑稽な事だ。


 同族が見たら、大笑いする事は必至。


『龍の息吹(ドラゴン・ブレス)』を直で食らっても平気だった私が、転倒一つで血も流れてないのに痛がっちゃって⋯⋯それがまた虚しかった。


 人が分からない、理解できない⋯⋯。


『龍』とは違うと分かった上で三百年前に放浪する道を選んだ私の今は何?──間抜けにも程がある。


 起き上がった私に走る気力はなくて、でも帰らなきゃいけない。


 睦生家に帰らないといけない⋯⋯。


 何気無しに選んだ寝床。


 偶々、事故に遭いそうになっていたのを勝手に助けて、家族はそれを奇跡だって言ってて、それに興じて私は能力を使った。


『私が睦生家の妹である』⋯⋯そう認識を歪めて。


 けど、思った以上に睦生嶺二は単純で、その家族も単純で⋯⋯⋯⋯。


『龍』としてではなくて『睦生六華』として生きて行く日々がたった、たった一ヶ月ちょっとの事なのに⋯⋯楽しくて堪らなかった。


 ホント、滑稽⋯⋯。自分が『怪異』である事を口先以上に、身体が、心が忘れていたなんて。


 ただ、助けたかっただけなのに。


 ちゃんと怪我だって、右手首を裂いて出た血で治したのに。


 最後の最後で失敗した⋯⋯。


 戻ったらまた普通に戻れるって信じてて、なのに、もうそれは叶わない。


「⋯⋯人を知りたい。人が分からない。どうなるんだろう。どうしたらいいんだろ⋯⋯」


 奪われるのは嫌。


 でも、あの子達を殺せる自信がない。


 この感情が何なのか、自分の事なのに理解が追いつかない。


 埒外だと放って置いて見て見ぬフリをして、初めから他人を装えばよかったのに、知ろうとする工程が楽しくて、私でも分からない事があるって知れて嬉しくなって、舞い上がってて。


 本能に負けた⋯⋯。


 自分をほんの僅かでも害する存在が居た事に高揚感が溢れてきて、抑えられなくなって⋯⋯。


 その結果がコレだ。


 走る気力なんてもう無くて、力無く歩いて行く私の視界は歪んでいる。


 大雨が降り、雷でも鳴ってくれれば、躊躇わずに叫ぶ事も出来たのに⋯⋯社会性と呼べるものがそれを阻害して邪魔をした。


 血濡れた私は帰路に着こうと歩いていく。


 どうしてこんなに悲しいのか分からない。


 どうしてこんなにも胸の奥が痛いのか。


 なによりも──。


「なんで⋯⋯⋯なんで私⋯⋯『龍』なのよ。なんで私、人じゃないのよ」


 無性に悔しさと悲しさが込み上げてくる。


 生きてきてこんな感情と思考は初めてだった。


『龍』という殺戮者は楽しくて、快感で、誰よりも高みに居る気分に溢れさせてくれるのに。


 なのに⋯⋯今は否定したい自分が居る。


 あの顔を見せられて、酷く阻害感に襲われた。


 あんな悲しい顔をさせているのが自分なんだって真に理解出来てしまって、龍《わたし》と人間《かれ》の違いに心を抉られた。


 私の二千年はなんだったんだろう。


 この手は何の為に?


 生命を殺す為で、生かす為な訳がない。


 この口はなんの為?


 生命を炙り、食す為であって、決して励ましや声援を送る為じゃない。


 この身体は何でこんなにも強いの?


 どんな強敵とも戦い抜いて、打ち破って誇る為で人を拐かす為なんかじゃない。


 道路の道端にあるカーブミラーに映る私は酷い顔をしていて、血濡れていた。


 ブレザーもボロボロ。シャツもスカートは所々が破れている。


 それは勲章で勝利の証。強く、血濡れる事で初めて本物の怪物となれる。


 怪物は誰よりも恐ろしく狡猾で悍ましく。


 怪物は油断をして余裕を持って害を与える。


 怪物は理解されないし、理解しない。


 私は怪物で『怪異』で【刃龍】だ。


 誇りに思いながら胸を抱いて、自分自身を深く尊び、誰よりも遥か先の上空を先駆する存在。


「⋯⋯⋯⋯ハッハッハ⋯⋯」


 乾いた笑いがどうしても出てしまう。


 虚しくなった。苦しくなった。痛ましくなるだけだった。


「何よそれ⋯⋯⋯。そんなの⋯⋯ただの孤独じゃないのよ⋯⋯⋯」


 自分自身の言葉で気付かされる。


 怪物に居場所なんて無い。


 求めるだけ無駄で、それでも誰かが傍に居て欲しい気持ちが込み上げる。


「⋯⋯⋯⋯⋯ぅぅぅ。私、私⋯⋯何今までやってたの。なんでこんな事な気付かないで、いい、い、生きてたなんて。こんな滑稽な事ない⋯⋯⋯」


 空虚な夜の空、私は⋯⋯独りぼっちで泣いていた。


 ひっそりと、声を殺して、蹲って、ひたすらに。


  ━ ━ ━


 自宅に帰って来た僕の心身は共にボロボロ。


 それでも僕は帰らなければならなかった。


 明日の事もあるし、色々と状況を整理する為にもそれが一番だと判断したからだ。


 街が危機にある、人が死ぬ──。


 一高校生にはとても呑み込める状況や内容では無いのは間違いない。


 警察にでも明日行って、内容を話してみよう。


 そう思い、身体を休める為にも部屋に戻って来た。


「あ、お兄ちゃん!おかえり!遅かったね?」


「⋯⋯まぁな」


 淡いピンク色のパジャマを着て、後ろ髪を結んでいる舞喜は机に向かって今現在も勉強中。


 シャーペンがノートの上を走る。


 健気なぐらいに忠順で律儀なぐらいに従う。


 あんな母親の為によくここまで出来るものだと、正直ここまでいくと感心すらしていた。


「今日、お兄ちゃん遅かったけどデートとか?」


 視線はノートと教科書に向いたままの舞喜が軽口のように述べた言葉に僕は思い返される。


 赤い髪、群青色の瞳、人の形をした化け物であり、人を一人殺した凶器である黒い爪を持つ、彼女の事を。


「⋯⋯⋯なんで?」


「だって、何時もならもっと早くに帰って来るじゃん。だからデートかなぁ?って」


「⋯⋯⋯」


「お兄ちゃん?」


 デート⋯⋯だったのか、正直それすらもう分かっていない。


 喧嘩別れよりもいっそ酷い別れ方をした。


 それが少し悔しい気持ちもあって⋯⋯でも、あの瞬間に彼女が背を向け去った時に安堵したのも事実だった。


 僕の気持ちは、彼女に対する気持ちは一体どんな言葉で表現すれば説明が付くのか、僕自身が何よりも分かっていない。


 扉はひしゃげたまま、それを見ないようにしている中、肝心の中身は霧が掛かったように不透明になっていた。


 ボロボロのブレザーを脱いだ僕はそんな理解不能で言い表しづらい感情に決着を付けたくて風呂に入る準備を進める。


「お兄ちゃん!その赤いの何っ?!」


「はぁ?赤い、の⋯⋯⋯⋯ホントだ。なんだこれ?」


 右脇腹辺りには背中に向かって線が入ったように切り込みが入っていて、シャツが破れてしまっていた。


 問題はその箇所をベッタリとペンキでも塗りたくったように赤い染みが付着していた事にある。


 既に乾いているのか、触れても手には何も付かない。


 こんな切り込みを付けられた原因は何か⋯⋯。


 いや、一つしかない。


 電波塔に居た時、白い光が視界を覆い尽くした。


 あのタイミングかその直後に六華に助けられて屋外へ連れられた後のみ。


 可能性として比重を置くなら、前者の方が納得が出来る。


(でも⋯⋯傷が見当たらないんだよな。痛くもないし)


 脇腹に触れても痛みが起きず、シャツを脱いで目視て確認していく。


(あれ⋯⋯⋯⋯?)


 見慣れてしまっている傷が無くなっている。


 とんでもないぐらいに一般的に見れば違和感であり、僕達にとっては普遍的だったものが無くなっていた。


「まさか⋯⋯」


 シャツを全て脱ぎ、自分の腕、身体を視界に収まる範囲で確認していく。


「お兄ちゃん?どうしたの?自分の身体なんてジロジロ⋯⋯⋯⋯あれ?お兄ちゃん!傷は?」


「⋯⋯⋯」


 母さんに昔付けられた古傷が消えてた。


 鋏やら包丁、時には拳で出来た痣のようなものも丸々全て消えている事に僕は素直に感涙しそうになるものの、違和感も発生させていたのだ。


「なんで?」


「良いな、良いな!何処で痣とか消して貰えたの?」


 電波塔のフロントに声を掛ければ消して貰えるサービスでもやっていると言ってみるべきか?


 それとも⋯⋯『龍』に知らぬ間にやって貰ったと口にするべきか。


 恐らく彼女が何かしらの方法で僕が眠りについてる間に何かをして、古傷を消したんだろう。


 けど、肝心なのはそれをしようとした理由⋯⋯⋯⋯。


 いや、もう気付いている。


 シャツに刻まれた傷跡、何故かブレザーの内側には大量の血が付着していて、それは何故か乾いていない。


 僕はあの時、六華に腕を引っ張られる形で白い光の攻撃から逃げようとして⋯⋯それは避けたんだ。


 けど、あの攻撃で建物の中にまで被害が向かって⋯⋯。


 砕けた壁の破片やら窓ガラスやらに身体に傷を負ってしまって、それで六華が治してくれた。


 そう考える方が自然だ。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 嫌な感覚だった。


 彼女に助けて貰えて嬉しいって気持ちと、彼女の存在に畏怖感を覚える気持ちが二律背反にいる。


 掻き回してしまえればどれ程良かったか⋯⋯。


「ねぇ!お兄ちゃん!どうしたの?ぼーっとしちゃさ?あ、もしかして⋯⋯彼女さんにフラれたとか?」


「喧しんだよッ!お前は母さんの下僕みたいに勉強してろ!」


 ついキツイ口調となってしまった僕に舞喜は身体を僅かに震わせて、静かに唇を噛む。


「っ!⋯⋯⋯な、何その言い方!お兄ちゃんを心配しただけじゃん!」


「心配してくれる奴の台詞がそれなのか?お前何考えて喋ってるんだ?巫山戯てるのか?それとも馬鹿にしてるのか?」


 彼女にフラれた⋯⋯ある意味ではそうなのかもしれない。


 勝手に下手をこいて、失望されて逃げられた。


 あまりにも酷い結末だった。


 けど、少なくてもそれを部外者の妹に口にされたくはない。


 そう言う大して考えずに思い浮かんだ言葉を口にするワードチョイスのセンスは母さん譲りのようで、無性に腹が立つ。


「そ、それは⋯⋯⋯ご、ご──」


「どうせ何も考えてないんだろ。母さんそっくりだな」


 これに懲りたら、少しは改めて欲しかった。


 ただそれだけだった。


「お、お兄ちゃんだってそうじゃん」


 鋭い目付きで攻撃的な態度を見せ始める舞喜に僕は顰め面をして向き直る。


 何が『僕も』なのか純粋かつ素朴な疑問だった。


「お兄ちゃんだって勝手に逃げて、アタシに押し付けるようにしたじゃん!」


 舞喜が小学五年生、僕が中学二年の頃、確かに結果として舞喜に押し付けるようにも見えたのだろう。


 だが、前提として僕は一度として舞喜を替わり宛てがうよう誘導したつもりも無ければ、舞喜にやれと命令した覚えもない。


 僕はただ母さんのクソつまらない教育に辟易としてしまい、期待に応える苦渋よりも自由で快適な道に迂回したに過ぎない。


 むしろ僕と母さんのやり取りを見ていて、よく母さんに付き従おうと判断をしたものだ。


「自分の事を考えた上でそうなっただけだ。人のせいにするなよな。嫌なのに嫌って言えないお前の方が余っ程おかしいんだって自覚しろよな」


 膝元に置かれた舞喜の拳が更に固く握り締められていく。


 下を向きつつも見下ろす僕を見るべく睨み付けたその視線に溜め息を零しそうになる。


 コイツは早い話、八つ当たりしたいだけなんだ。


 八つ当たりにも二種類ある。


 自分が悪いと自覚していて、それでも気が収まらない時にする八つ当たり。


 そして、自分が悪いと自覚出来ずに気が収まらないから当たりに来る八つ当たりの二種類。


 舞喜は後者で、僕はとばっちりを受けているに過ぎない。


「⋯⋯⋯お、お兄ちゃんは良いよね。要領良いんだもん。アタシの事、アタシの事なんて分かってくれないじゃん!何時も何時も!」


「お前は分かろうとしてるのか?」


「⋯⋯え」


「家族がイカれてる事ぐらい、先に分かろうとするもんだろ。なのにお前は何時までも『仲良しこよし』にかまけて見ようとしてないんだろ?だから母さんに酷い事されてもヘラヘラしていられるんだ」


 罵倒を聞く事もある。


 部屋にいる時、急に舞喜だけが呼び出されてテストの点数についてアレコレと言われるその獣のような雄叫びを。


 けど、それは舞喜の選んだ道だ。


 嫌だと言えず、何時までも信じて疑わないその阿呆みたいな考え方にお灸を据えるという意味も込めて、僕はイヤホンをして聞かなかった事にするのみ。


 帰ってきた舞喜は腕を押さえている事もあるが、それでもコイツはひたすらに机に向かって座るだけ。


 気付けば二年経過して、今では母さんの大事な大事なお人形さんとして馬鹿みたいに頑張るだけの阿呆だ。


「そ、そんな言い方⋯⋯。お母さんだって頑張ってるんだよ!その期待に応えてあげたいって子供なら普通じゃないの!」


「⋯⋯んな訳ねぇだろ。馬鹿じゃねぇの」


 素直に呆れてしまう。


 毒されるとはこういう事なのだろうか。


 確かに期待を寄せる親とそれに応えようとする子供というのは微笑ましいものなのは否定しない。


 一(・)般(・)的(・)に(・)は(・)。


 残念な事に僕の家族は普通じゃない。


 期待と言うにはあまりにも稚拙で幼稚的で中身も無い。


 それに応えようとするにしてもあの親にしてこの子って奴だ。


 蛙の子は蛙とはよく言ったものだと思う。


 親の出来の悪さは子供の出来に比例する。


 例外もあるにはあるんだろうが、それでもウチのは典型的に駄目なタイプだ。


 手遅れな程には⋯⋯。


 舞喜が僕の吐き捨てた言葉に泣きそうになる。


 それに僕は舌打ちしそうになった。


「⋯⋯⋯うぅ、なんでそんな、そんな⋯⋯⋯お兄ちゃんが、お兄ちゃんがもっと協力的だったら、こんな風になってないんだよ?昔はお母さん、ちょっと怒る事はあったかもだけど、前はもっと優しかったのに⋯⋯」


 確かにその通り、イズザクトリーってヤツだ。


 母さんは僕に期待を寄せていた頃に比べて過激にはなっている。


 要は妹がロクに母さんの期待に応えられていない。


 そういう事だ。


「お兄ちゃんが塾辞めて、アタシにお鉢が回ったら、何時も怒鳴ってばかりで、怒ってばかりで⋯⋯。なのに、なのに頑張っても頑張っても、結果が付いて来ないし。⋯⋯それでもアタシが頑張るしかないじゃん!」


 苦悶の表情を浮かべる舞喜に掛けられる言葉は一つしかない。


「いや、普通に頑張る事止めたら?なんで母さんの基準で生きようとしてるんだ?お前」


 無理と割り切る事を知れれば、きっと気持ちも楽になれる。


 少なくても僕にとってはそうだ。


 だけど、舞喜にとっては違っていたようで、頭をワシャワシャと髪を掻き毟り始めた。


「あーーーッもう!お兄ちゃんが逃げたからじゃんッ!」


「⋯⋯逃げるだろ、普通。なんで駄目なんだよ。お前が徹底的に馬鹿だって証明してやれば良いだけで済む」


 こうなれば妹にも逃げる術を与えてやろう。


 迷える羊《いもうと》を導く牧師《あに》らしく、僕は提案をした。


「⋯⋯ウチの中学ってすぐ入学だったり進級すると小テストあったよな?折角だから見せてやったらどうだ?もう返って来てるだろ?」


 僕も舞喜が今通っている中学に進学したての頃、小テストがあった。


 あくまでも五教科分のみ。


 小学校の総復習のような内容であり、特に苦戦もする事は無い。


 まぁ、当時の僕も理科だけは合格ラインから外したけど⋯⋯。


 そして肝心の舞喜に至っては動揺し始めて、あわあわと何処か落ち着かない様子に早変わり。


 落し物が床に落ちてしまったみたいに、足元のみを彼方此方に目線を通わせていた。


「え!⋯⋯⋯⋯あ、あれは⋯⋯⋯⋯無くした」


「んな訳あるかよ。どうせ母さんも気付くぞ?あの人、そう言うのをスケジュールをチェックする名目でも食事会行ってるし」


「え!?⋯⋯⋯⋯あ、えぇと⋯⋯」


「見せてみろよ」


 鞄の中に隠しているのだろうと目星を付けて、僕は机の側面に備え付けられているフックに掛かった通学用鞄に手を伸ばす。


「や、止めて!お願いだから!」


 それに対して抵抗を示し始める舞喜とごちゃごちゃとしている間に疲れを見せ始めた隙を突き、鞄の中で丁寧に入っていた五枚の紙を掴み、それを引っ張り出した。


 狙い通りそれは小テストの紙である。


(字、汚ねぇ⋯⋯。殴り書きかよ)


 終盤の方に字が汚いと言うならば焦ったのだろうとある程度の理解は示せる。


 けど、舞喜の場合⋯⋯斜めに寄ったり、漢字、平仮名と片仮名の書くサイズが疎ら過ぎた。


 英語に至っては名前の時点で達筆過ぎる。


 英語の小テストも中間、期末も名前はローマ字で記さなければならない訳なのだが、大文字と小文字がグチャグチャに書かれているのだ。


 その為、強制的にゼロ点になっている。


 なんでこんな馬鹿みたいなミスするのか、皆目見当が付かない。


「⋯⋯⋯現代社会は『七十一点』で、数学は『八十四点』で⋯⋯。国語は『九十四点』で五問ミスか。お!理科の点数良いじゃん。『九十八点』だぞ?」


 僕なりに褒めたつもりだった。


 事実、英語に関しては口を閉じていたし、パッと見た感じ問題の意図と要点はしっかり理解出来ているように見受けられたからだ。


 単純に字が汚い故に三角のマークで減点されたりしている箇所が目立つだけで、頑張りは評価出来る。


 けど、舞喜の浮かない顔は更に沈む。


「⋯⋯⋯無理だよ、見せられない。見せられっこないよ!こんなの見せたら殺されちゃう」


「安心しろよ、僕なんて巫山戯てゼロ点取った事もある。それに比べたらマシだろ」


 古語の問題が正直得意じゃなくて、投げ出すように百人一首擬きを黙々と考えては書き記して、余った漢字や現代文は時間切れで書ききれず。


 結果的に返ってきた用紙には『0』と記されたマルと綺麗に跳ねられたバツの証がたんまりだった。


 勿論、母さんに怒鳴られたが、その後には珍しく、僕の書いたあの百人一首擬きは褒めてくれていた。


 舞喜もそれは知っている。


 何せ横で見ていたんだから、知らない訳がない。


「お兄ちゃんのは巫山戯てるって分かるじゃん!アタシのは違う。ちゃんとやったんだよ。勉強だってしてるのに。手なんて抜いてないのにぃ⋯⋯⋯」


「じゃあ、諦めて捨てれば。それか担任が間違えて捨てましたぁって嘘吐けば良いだろ」


「⋯⋯ちゃんと考えてよ!半分はお兄ちゃんの責任じゃん!」


 何か今、とんでもない他責の言葉が飛んできた気がするが、気の所為かな?


 思わず首を傾げるも、目の前で半ベソをかいている舞喜によるものだと表情で伝わった。


 嘆かわしい事この上ない。


「なんで僕の責任になる?」


 舞喜の場合、家庭教師を雇うでもなく塾に通わせるでもなく、ひたすらに自主勉の連続だ。


 母さん相手に、塾か行きたい、そう言えば喜ぶ筈だ。


(いや、そもそもなんで母さん、舞喜を塾に連れて行かないんだ?僕の時はそうだった⋯⋯)


 舞喜に社交性が無い訳でもなく、普通に話もするし、友人だって作れる。


 なのに、母さんはそれを知ってか知らずか塾へ通わせずに一人黙々と予習復習をさせてばかり。


 効率というにも一つの事だけでは限界がある。


 ましてや舞喜には合ってないので尚更だ。


 いや、⋯⋯⋯⋯考えるだけ無駄な気がする。


 母さんは母さんで子供を見る事をしないし、舞喜も舞喜で本心を口にしない。


 悪循環という例えにはピッタリな程に悪い例だ。


 それを気付けない時点で僕がどうこう言おうと変わらない気がした。


 責任を誰が払うか?当人達だろうに⋯⋯。


 テスト用紙を裏にして机に置き、舞喜に言う。


「アホくさ。僕は風呂に入るから、一人でなんとかしろ。僕をイカれた家族のドタバタに巻き込むな。お鉢が回った自覚あるんなら、それなりに逃げ道も考えとけよ」


「待って!待ってって!ねぇ!お願いだから!」


 脱いだシャツと着替えを持って上半身裸のまま、僕は部屋を出た。


 風呂に入って考えなきゃならない事は沢山ある。


 六華の事、鞄の中に詰めたコナーから受け取った人形の事、そしてコナーに言われた街の危機の事もそうだ。


 阿呆らしい家族の事なんて気に留める余裕を持てる程、僕のキャパは優秀じゃない。


「お願い!本当にお願い、お兄ちゃんしか居ないの!家族をどうにか出来るのも!お母さんに一言、頑張るって言ったら、きっと戻るんだよ!昔みたいに!」


 そんな僕に付き纏うように舞喜は一緒に部屋を出て来て、風呂場まで着いて来ようとしている。


(一緒に入るつもりか?ならお兄ちゃんの身体洗ってね?僕はお前の身体は洗わないから)


 腕にしがみ付いて一向に離れる気配を見せない舞喜は更に言葉を続けた。


「お母さん何時も⋯⋯お兄ちゃんの話しかしないの。あの子は本当に良くやってたとか、気を抜く癖が無かったら凄い子だって。アタシ、そんなふうに言われた事ないぃ。ねぇ!」


 嫌なぐらいに毒が入り込んでくる。


 伊達に長年母さんの社交辞令に付き合ってはいない。


 言い方、仕草、態度が容易に思い浮かぶ。


 何よりも、僕を頼るコイツの口からは要らない信頼が滲み出ていて鬱陶しかった。


 諦めて敢えて捨てた『良好』の二文字をまだ期待しているコイツは僕相手に新手の嫌がらせでもしているように感じてならない。


「アタシが悪いの!だからお兄ちゃんが戻ってくれたら───」


「クドいんだよ!お前ッ!!」


「っ!」


 僕は掴まれた舞喜の手を振り払い、睨む。


 我慢の限界だった。こんな家族に戻るも進むもある筈がない。


 まだ理解していない舞喜は正真正銘の馬鹿だと、僕はこの時確信した。


「良いか?僕は母さんの玩具になったつもりはない。お前みたいに『家族は仲良しこよし〜』なんて頭パッパラパーな発想と閃きで生きてねぇんだ!そんな頼りたいなら、母さんに言ってこいよ。弟か妹が欲しいってな!」


 子供二人が騒がしく口論しているというのに出てこない辺り、部屋で何かしているのはルーティンというか行動パターンのようなものが一律しているから分かる。


 だから、両親の寝室へ向かって僕は大声を上げた。


「なぁぁぁーーーッ!クソババア!聞こえてんだろ!舞喜がアンタにとっとと新しい子供を産んで貰って、クソみたいな英才教育から解放されたいってさ!聞こえてんだろォォ!」


 返事が返ってこない。


 何時もなら挑発と受け取って飛び出てくる筈の母さんが姿を表さない。


 けど、舞喜は不安そうに両手をお腹の前で握り締めている。


 僕は両親の寝室へ一歩近付こうと脚を踏み出すと、慌てた様子で舞喜は僕の腰に抱き着いて、動きを妨害しようとしてきた。


 確信だった。舞喜を口止めでもして何か企んでるとしか思えなかった。


 父さんの靴はまだ玄関に無かったから、一人で居るのは確定。


 へそくりでも見つけて浮かれてる?


 スマホで別の家族と仲良く談笑?


 どちらにしても部屋に入らない理由にはならなかった。


「止めて!止めて!止めて!!!」


 着実に両親の寝室へ近付く僕とそれを必死に制止しようと足掻く舞喜。


 途中で泣きそうな声を漏らしながらも力強く巻き付けられた腕は僕の腰を圧迫していく。


 相当の事があると見て、俄然やる気が出た。


「お願い行かないで!そっち行っちゃ駄目!お願いだから待っててってッ!!!」


 そうは言うが両親の寝室の目の前に辿り着く。


 ドアの取っ手を下に下ろして、一気に押した僕は威勢よく叫ぶ。


「おい!クソババア!────は?」


 見知らぬ顔があった。


 誰だ、本当に誰だ?愛人、と言うには歳が少し老け過ぎている。


 白髪混じりの五十代ぐらいの男性。


 母さんは父さんが居ないと死ぬと豪語している程の屑だから、愛人という線自体がそもそも薄い。


 となれば、やっぱり誰だ?


「あ、アンタ⋯⋯⋯親の部屋に何しに来てるわけ?」


「あ、あ⋯⋯えぇと」


 僕の顔を見るなり、オドオドとした様子で立ち上がった男性はペコペコと頭を下げた。


 自然に僕も頭を下げてしまう。


 そして、どさくさに紛れて茶色い小包みを黒い鞄にしまい込む。


 頭を上げると、母さんは僕を見て苦い顔をする。


 何かが変だと感じた。異様というか、妙に気持ちが悪かった。


「うぅぅぅ。ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい」


 泣き崩れるように膝を着いた舞喜はそう母さんに謝罪をする。


 なんで謝る必要性があるのか、僕には全く理解出来ない。


 舞喜を見て、再度男性を見た。


 この人は客の筈だ⋯⋯。なのに、何故リビングやダイニングを使って話を進めなかったのか。


 どうしてさも密談のような事をこの二人がしているのか、僕は何か良からぬ事でも見てしまったのだろうか?


「では、私はコレで!」


 そう言い、慌てた様子で玄関へ向けて歩き出した男性は低姿勢を続けたまま、僕の横を素通りしていく。


 何か良からぬ事を察した。


 その男性の首元から垂れ下がったネームプレートには『空弩街児童園院』と呼ばれる俗に言う養護施設を表す文字があった。


(⋯⋯⋯⋯⋯コイツ、まさか)


 舞喜の様子はおかしい。


 いくらなんでもあそこまで必死なのには理由があるとは思っていた。


 それに何故か自分を下げる言葉ばかりを口にしていくあの態度と口振り⋯⋯⋯⋯正気を疑ってしまう。


 舞喜は納得でもしたのか?


 理解して、分かった上で敢えて呑み込んだのか?


「あぁ、待って!待ってください!⋯⋯⋯アンタねぇ、お兄ちゃんなんだから、妹の為にって発想、無いわけ?」


「⋯⋯⋯コレ僕がおかしいのか?頭の悪いお前らの問題じゃないのか?僕に責任転嫁するなよ。殴るぞ?」


「はっ!母親相手に暴力?アンタがぁ〜?アッハッハッハッハ、何それ、馬ッ鹿じゃないの!訴えるわよ。この親不孝者!」


 カッとなった僕の右手は母さんの顔に向かっていく。


 気付けば、僕の右手はヒリヒリと痛みを帯びて、母さんはベッドの脚に背をぶつけて倒れ込んでいた。


「っ!───あ、アンタぁぁぁ!本気でブッたわね」


「お、おお兄ちゃん、や、や、やめて!お願い!お兄ちゃん!本当に止めて!これ以上壊れたくないの!」


 脚にしがみ付いて、号泣しながら訴え掛ける舞喜を僕は見下ろす。


 コイツもコイツでどうにかしている。


 なんでもっと抵抗して反論して議論して気持ちを伝えないのか。


 必死に母さんの腰巾着みたいに付き従っているんだ。


「こんな家族、とっくに壊れてる」


「ぇ?」


「アンタ、頭おかしいんじゃないのか?!経済的にそんなにピンチなのか?!まさかとは思うが、私は働きません、だから金が足りません?なんて馬鹿言うんじゃないだろうな?」


 僕が捨てられるならまだ良かった。


 この女は⋯⋯出来の善し悪しだけで十年以上も育ててきた『舞喜』の方を棄てようとしている。


 本当に僕なら、多分一昨日や昨日の頃に、


「アンタはもう用済みだから、あっはっはっは」


 と愉快に愉悦の笑みを浮かべながら口にしていた事だろう。


 それが一切僕の耳には届いていない。


 親としてせめて隠しておきました?


 いや、もっと無い。この女は自己陶酔でしか生きていけない正真正銘の屑だ。


 そんな屑が自分の優越感を満たせるようなチャンスを見逃す筈がない。


 パチンコを打ちに行く人の大半が、今日こそ当たると信じてるように。


 この女もその瞬間の快楽を逃さない。


 吐き気がしてくる、なんだこれ?


 何よりもムカつくのが、それを受け入れている舞喜の方だ。


「何言ってるの?お父さんので養えてるわよ。でもね、切り捨てるのも大事だと思うのよ。だって、この子⋯⋯全ッッく、アンタみたいに賢くないんだもん。ならもう要らないでしょ?」


 母さんの視線は何処に向いた?


 僕?いや、違う。やっぱり違っていた。


 僕の足元で泣き崩れている舞喜に向いている。


 児童養護施設がそんな都合で子供を引き取る訳がない。


 ⋯⋯⋯茶色い包み。アレは⋯⋯金だった可能性を鑑みる。


 万年、養護施設なんて所は資金のやりくりに困っていると聞く。


 それか、あの白髪混じりの男性一個人に向けた金?


 どちらにしてもいい話ではない。


 これ以上に無く、僕は軽蔑してしまった。


「アンタ、マジでどうかしてるぞ。イカれてる。出来が悪いとか生産性云々の話じゃない⋯⋯。正しくアンタ、屑だな⋯⋯。自分の娘を棄てようとするなんて⋯⋯。お前が棄てられれば良かったのに」


 母さんにとっての逆鱗が何なのか、僕は知らない。


「っ〜〜!ァァァアアアーーッ!准!!」


 結果として母さんは勢いよく立ち上がると、僕の肩を強く掴んで大きく身体を揺らしていく。


「アンタって子はぁぁぁぁぁ!なんで!そんな反抗的なのよいい加減に──」


「しつけぇんだよ!クソババア!」


 まだ縋ってくる事にもそうだが、懇願すればまた寄り掛かって来てくれると本当に信じてるような口振りに我慢ならなかった。


 だから、払い除けるように両腕を掴んで振り払い、突き飛ばした。


 たった僅かの数秒程度の出来事で大きく体力を削られたように息を荒くさせてしまう。


 胸が高鳴る。嫌に騒めいて、身体は鼓動を明確に感じると共に堪えていた感情を纏めて吐き出したい気持ちが込み上げてきた。


「はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯⋯⋯。はっ。反抗的?そんなもの、お前の子供だからだろ。いい汚点だ。本当に⋯⋯⋯」


 募り積もった重い鉛が胸中を埋めつくしていく。


 この自宅で、縋るように見上げる舞喜と怪訝な顔を浮かべる母さんへ伝わるように、嫌悪の念を明確に抱いた僕は更に言葉を重ねた。


「グズるしか出来ない妹の尻拭いにぃ?社会性が捻くれて終わってるアンタのストレスチェックにぃ?コレ以上に何しろってんだ?」


 泥のような海に漂うように仰向けの真心。


 高揚感と言う名の太陽が心を強く照らした。


 自由を手に入れたように徐々に潮の流れが早くなり、それに応じて言葉は走って行く。


「⋯⋯お前の、お前の主体性も中身も薄っぺらいだけの全く持って無駄しかない考え方で!僕がどんだけ苦しい思いしたと思ってるんだ!今日な、人に頭を撫でられたよ。他人で国籍も違う人にだ。メッチャ嬉しかったよ。アンタらには無理な芸当だな。アンタらに撫でられても多分、吐き気と倦怠感でどうにかなる」


 たった数分の出会いと大切な事を知った。


 悪人だと理解しておきながら、人を殺したのだと知っていながら、僕はあのアメリカ人から触れられた頭の感覚と温もりを明確に心に刻んでいる。


「そんな風に育てたんだ!アンタらが!!それに懲りず気付かずに⋯⋯。はっ、出来の悪いと言っておいて、最後には面倒も見切れずにポイ捨てか?自己陶酔も大概にしろ。出来の悪さを人のせいにばかりしやがって⋯⋯⋯」


 母さんの顔が歪む。舞喜が俯いて泣き続ける。


 傍から見れば僕が悪者⋯⋯けど、それで良いと思った。


 目の前に居るこの人が本当の意味で自責の念に駆られて、自己嫌悪して、悔い改めてくれればそれで良かった。


 だから、僕は禁句を口にする。


「皆ヒソヒソと言ってたぞ!アンタが行ってるお食事会に集まる人皆がだ!」


 お食事会に集まる人達は基本、参加する人間は早々には変わらない。


 少なくても五年間、僕は母さんと共にそのお食事会に出向いたが、一年もすれば皆、顔見知りとなって話もする事がある。


 同い歳から、歳下、時には三歳も歳上の者も居たりして、世間話自体は弾んでいた。


 そんな僕同様に親に連れられてやってきた子供と喋っている間、保護者はと言うと⋯⋯。


「個性的な考え方ですね!って⋯⋯それ、褒め言葉じゃないぞ?私達とアンタとでは、ズレてるっつってんだ。それに加えて子供の僕は憐れまれる始末だ。コレがどんだけ惨い事か知らないだろ?なぁ?なぁぁぁぁ!」


 母さんの子供である事がある種の同情を誘い、奥様方は何時も優しかった。


 初めは皆が本当に優しくて、思いやりのある人だから⋯⋯そう思っていたが真実は違う。


 明らかな憐憫と母さんに対する明確な軽蔑の眼差しがあった。


 傍目から見てもそれが分かる程であり、色々と親交を深めようとする母さんの奇行がそこでも目立ち始めていき、周りに居た者も次第と気付いたのだろう。


『この人は頭がおかしい』と。


 元々、家《ウチ》と比べ上流階級と言わざるを得ない身嗜みはアクセサリーが非常に似合うご家庭の憩いの場のようなものでもあった。


 母さんはそれに対して背伸びをして無理を通して参加したような形であり、浮きだすのは目に見えていたのだ。


 更にそこに普段から行う子供に対する暴力を見せられれば嫌でも寒気を覚えるというもの。


 その後、今度は僕に視線が向く。


 酷く同情的で哀れんだ視線。


 肝心の母さんは気付かないで、能天気に談笑という名の社交辞令を他の方にされて舞い上がるのみ。


 ハッキリ言って、アレが苦痛だった。


 母さんの事はどうでもいい。


 問題はそんな母さんと同類として見られていた事だ。


 だから『普通』でありたい。『普通』になりたかった。


 それしか、あの気持ちの悪い蛇に巻き付かれたような視線を払拭出来る術が見当たらなかったから⋯⋯。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯橘さんも?ま、正木さんのお母様も?」


 母さんが最も親しいと思い込んでいた二つのご家庭の奥様方の名前が出てきた。


 だが、あの人達も内心は話をするのが億劫だと感じていた筈だろう。


 でなければ、母さんが去ろうとした時安堵の表情を陰で浮かべたりはしない。


「⋯⋯⋯皆だよ。アンタに隠れて別の食事会開いてるぐらいだからな。アンタ、多分バブられてんぞ?もしくは、下には下がいるって安心する為の道具だ。それ以外ない。有り得ない。つか、そんな事も知らなかったのかよ。マジで馬鹿じゃないのか?」


「お兄ちゃんもういい!止めて、本当にお願い」


 悲痛と嘆きの感情を静かに発した舞喜は僕の手を掴むと自身の額にピタリと付けて切願する。


 掴んだ手は小刻みに震えていて、僕の手は舞喜の涙で僅かに濡れた。


「⋯⋯⋯⋯お前、気付いてたのか?」


「⋯⋯⋯⋯」


「なら言ってやれよ。こんな親に生まれたせいで、慰め者一歩手前ですってな」


「そ、そ、そ⋯⋯⋯」


 母さんが立ち上がる。ゆらりと不気味なぐらいにゆっくりと何とか力を振り絞った、そう思わせる程に何時もの気概のようなものは消え失せていたし、意気消沈しかかった気持ちを無理矢理立ち上がらせたようにも映った。


「そ、それが何よ!子供の成長は親の成果でしょ!アンタら出来の悪い子供が産まれたせいで、私がどんっっっっっだけ、苦労してるか知らないでしょ!慰め者?アンタらの為に身を粉にしてる私の気持ち、気付こうとした試しがあるの?!頭ぺこぺこ下げて、慣れない鞄と靴履いて、自分がどんだけ惨めなのか、アンタ悟らされた事とかあるわけ?!」


「親の苦労を子供に悟らせようとするなんて、毒親の鏡だなぁ?言っとくが、僕は品行方正じゃない。アンタの苦労なんて見なかった事が出来るよ」


「お兄ちゃんっ⋯⋯」


 僕の右手を数度、力無く引っ張り出した舞喜へ僕は視線を向けた。


 コイツももう分かった筈だ。


 この母親に寄り添うだけ無駄だって事に、腰巾着なんて辞めて大人しくやりたい事をやればいい。


 それが分からない程、コイツが馬鹿だと思いたくなかった。


「分かったろ?舞喜?こんな親に縋るなんてあっちゃいけないんだって。親は子供を選べるけど、子供は親を選べない」


「そんなのコッチだってそうよ。生まれたばかりは絶対上手くいくって思ってた。なのに、コレよ?コレッ!こんな頭も悪くて親を殴る子に育つなんて思う?」


「勝手に期待したんじゃん。不安なら占いでもしたら良かったじゃんか。どうせ奢り昂りだったんだろ?あ、違うか、デキ婚だもんな」


「え?⋯⋯⋯⋯だって、お兄ちゃん、え?」


 目を見開いて、僅かに僕との距離を物理的に離した舞喜の手は僕の腕から離れた。


 別にデキ婚が悪いなんて思わないで欲しいものだ。


 たとえ一夜の過ちなんて呼ばれるものであっても、最終的に幸せならそれで良いと僕は思うし、そうでありたかった。


 けど、現実として僕の家族はそうはならなかったし、訪れる機会も何処かで紛失してしまっている。


 今更縋るだけ無駄なのかもしれないが⋯⋯。


「デキ婚だぞ?この人と父さん。まぁ、デキ婚だからって言っても普通は、一般の家庭と変わらない筈なんだけどな」


 言いたい事はある程度言えて、心はどうしようもなくスッキリしていた。


 大きく背伸びをして風呂場へと向かおうとする。


「はぁ〜風呂に入ろ。あ、コレ父さんに言うから」


 振り返り、僕は母さんを見た。


 わざとらしく嘲笑い、完全な決別を願い口にする。


「良かったな、構って貰えるぞ?好きだろ、おっさんに抱き締めて貰うの」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 母さんの顔を窺った。


 悟って、理解して⋯⋯⋯両親の寝室から退出する。


 膝から崩れて僕の腕に縋っていた舞喜はリフレッシュタイムを迎えようとする僕の後をまだ追い掛けてくる。


 僕を塞き止めようと前方に駆け足でやってきて両手を広げた。


「あ、あ、あの⋯⋯⋯⋯え、えと。お、お兄ちゃん、お兄ちゃん!待ってぇ」


 そんな舞喜の腕を手で払い風呂場へと一直線。


「ねぇ!謝ろ!お母さん怒ってる!絶対に!お兄ちゃん殺されちゃうよ!」


「⋯⋯⋯そん時はお前も死ぬな」


「な、何とかしないと!」


「何とかって?」


「⋯⋯⋯だから!お母さんに謝るんだよ!その方法を考えよ!手伝うから!」


 手伝うって、コイツ⋯⋯。


 僕と母さんの話を本当に聞いていたのか。


 耳を疑い、顰め面を浮かべた僕に対抗でもするように、ビクビクと身体を震わせながら唇を噛んで両腕を横に伸ばす。


「お前、マジでどうかしてるんじゃないのか?」


「だ、だって⋯⋯」


「謝りたいなら土下座でもなんでも勝手にお前がやれ。あんなんでも人の心があるって信じてやれよ」


 僕にはもうあの人を期待するだけの心がない。


 余裕が無いとかじゃなくて、棄てた。


(⋯⋯⋯⋯あ、そうか。六華の言ってた価値基準って、こう言う事か⋯⋯)


 彼女の発した言葉に語弊はあったろう。


 でも、彼女も彼女なりに拾った分だけ棄てたものがあって、それが『価値基準』として出力された⋯⋯。


 恐らく、母さんの事は置く事はしても拾う事はしない。


 それはもう一種のポイ捨てで破棄で棄却だ。


 存在を否定するようなもの。


 実際に僕は否定したし、居なくても良いと定義付けている。


 なら、舞喜はどうだ?コイツは当時の僕程勉強が出来ないなんて言ったって社交性はあるし、努力は欠かさない。


 僕以上の逸材だ。そんな妹が母親に棄てられるとなった時の僕の心境はかなり複雑だった。


 止めて欲しいという気持ちと、何時までも甘っちょろい理想論を掲げるだけの馬鹿の面倒を見るのが億劫という気持ちも確かにある。


 どれも正解で、どれも間違いな気もした。


 三択目が見つからず、否応なく二択に選択を絞られているようにも感じる。


「⋯⋯⋯アタシ、一人じゃ無理だって知ってるでしょ?さっきだって、アタシの方なんて一ミリも見てなかった。アタシに期待してない⋯⋯」


「だから養護施設の人が来ても別にどうでもいいって?阿呆だろ。真面目に頑張って生きてる奴が見たら、石投げるぞ。お前、恥ずかしくないのか?」


 その言葉は舞喜の表情を歪ませた。


 悲痛な面持ちで俯きだすと、伸ばしていた両腕はスーッと下りていく。


 脚に力無く打ち付けた手は布地に当たって音を鳴らす。


「⋯⋯恥ずかしい、けど⋯⋯縋らないと生きていけないんだもん。アタシ、バイト出来ないし、ご飯もちゃんと作れない。洗濯物の洗い方と畳み方。掃除しか出来ない」


 充分な気もした。そもそも中学一年生の小娘が洗濯物やら掃除をしっかり出来るのか加点であって減点にはならない。


 バイトは年齢的な問題で採用される訳が無いし、僕も『食事処』にあるラーメン店で中学の頃働いた事はあるものの、結局金は貰えなかった。


 代わりに大盛りの醤油ラーメンを無料でお裾分けしてくれた事がある。


 ご飯を作れない、そう言うものの比較基準は誰だろうか。


 僕というのならコイツだって少し味が偏ってしまい、辛いか、苦いかの二択になるだけで食べようと思えば食べられるし、ケーキ作りだって率先してやっているのを見た事がある。


 とても出来ない部類では無い事はちゃんと見ている。


「でも、何とかしたかったけど⋯⋯お母さんにそんな事する暇あるなら、勉強するか⋯⋯男の口説き方でも学んでなさいって⋯⋯」


「チッ。屑が」


 最近ケーキ作りとかはしなくなった理由はそこだったか。


 あのババア、余計な事しかしない。


 あの人の手料理なんて、小学一年生を最後に食べた記憶が無い。


 焦げたタンドリーチキン、ネチョッとしたサラダ(山芋無し)に市販のケーキ。


 最悪のクリスマスだった記憶がある。


 プレゼントに関しても、僕には誰が書いたか分からない分厚い小説。


 舞喜には図書券だった気がする。


 まぁ、無いよりはマシだったが、結局一頁も開かず始末で今も部屋の隅に横たわってる。


「⋯⋯あ、アタシ。お母さん居ないと無理なんだよ!お兄ちゃんも居て、お父さんが居て、それで家族でしょ?!アタシはその輪に居て⋯⋯それで⋯⋯」


 僕にばかり寄り掛かられても非常に迷惑極まるお話ではあるが、母さんに縋ろうとするのは悪手が過ぎる。


 まだ『家族仲良く』を信じて疑わないコイツに流石の僕も目に見えて辟易していた。


 女の子はメルヘンが好きなのだと定義しても、コレ程酷いものはない。


「おんぶに抱っこかよ。いいご身分だな。こんな家庭じゃなけりゃ、それも通ったかもな」


「ち、違う!あ、アタシが言いたいのは───」


「ハッキリ言っとくぞ?親が社会的にも身体的に死んだとしても僕は何も思わない」


「⋯⋯⋯⋯」


 舞喜の身体が少し後退る。


 冗談の類いかと信じたそうに引き攣った顔を浮かべるものの、僕の答えは変わらない。


 僕にとって両親《アレ》は⋯⋯要らない。


「僕の結論はコレだ。僕がおかしいと思うのは勝手だけど、ソッチも大概だってのは先に言っとく」


「⋯⋯⋯酷いよぉ⋯⋯⋯」


 酷い⋯⋯それはどうだろうか。


 そもそも諦めた様子が顕著に出過ぎているこの妹の仕草、言動には違和感が多い。


 元々メルヘン娘なのはいいとしても、突然が過ぎる。


(⋯⋯コイツ、もしかして。自分のやろうとしてる事、僕に託そうとか思ってたんじゃないだろうな⋯⋯)


 死にゆく仲間に自分のやりたい事や夢を託す、アレだ。


 自分は居なくなるから兄である僕に引き継がせようという魂胆だろう。


 そんな事、僕が許す筈がない。


 両親《アレ》と仲良くするぐらいなら犯罪を犯して出頭の方が気持ちが良い。


 両親《アレ》と同じテーブルに座るぐらいなら薄汚れた地下牢に十年でも二十年でも居た方が幸せだ。


 両親《アレ》と何処かに優雅にお出掛けなんてする暇があるなら、投身自殺の場所を探った方が有意義に感じる。


 両親《アレ》の相手は僕はしない。したくない。


 する気も起きないし、今更『仲良しこよし』の為に身を粉にする意味も見いだせない。


「巫山戯んなよ?酷いのはどっちだ。諦めて、母さんを託して〜とか思ってたんだろ?無駄だ。お前の可哀想な意思なんて汲み取ってやらねぇ。やりたきゃ勝手にやれ。僕は知らん」


「ッッ。⋯⋯⋯こんな風になるなら、こんな事言われるぐらいなら、こんな馬鹿みたいな気持ちになるなら⋯⋯⋯。っ、お兄ちゃんがもっと別のお兄ちゃんなら良かったのに!!」


 別の兄貴⋯⋯確かにそれも良かったのかもしれない。


 僕じゃなくて別の奴なら、それこそ睦生とかならもっと上手くやったろう。


「僕もそう思う。悪かったな、僕が兄貴で」


 だから肯定した。実際に僕よりも兄らしい兄は居る。


 コイツの頭メルヘンな思考に寄り添える存在ってのは絶対に存在してくれる。


 偶々同じ母親から産まれてしまったばっかりに、コイツの期待に応えられる奴が周りに居なかっただけの事。


「⋯⋯⋯⋯っぅぅう」


 涙を堪えるように駆け出して玄関へ向かう。


 モタモタと鍵を開けて、扉を開けようとするけどがチェーンが掛かっていたせいで更にアタフタとしだす。


 僕は構わず風呂場を歩く。


 その足音に一度振り返った舞喜ではあるものの、諦めた顔を見せてチェーンを外した。


 僕が風呂場へと脚を踏み入れた時と同じくして舞喜も屋外へと飛び出して行ってしまった。


 それを僕はただ知らぬフリをして、行かせてしまう。


 シャワーで身体を洗い流して、髪をシャンプーに付けて頭を洗っている頃、風呂場に誰かが入って来た。


「舞喜は?」


 母さんの声だ。少し上擦ったような声色だが、自宅にはもう母さんしか居ない為、ある種の消去法だった。


「外に出てった。家族の凄惨さに耐え切れずにどっか逃げた」


「お前、お兄ちゃんでしょ?探しに行こうと思わなかったわけ?」


「⋯⋯アンタ、面倒くさいんだろ?そうだよな、世間の皆々様に、まさか自分の育て方が悪くて娘一人に逃げられました、だから今探してますって汗水垂らす姿を見られる、嫌だもんな?」


「っっ!お前って奴は馬鹿じゃないの?!」


 ヤケに必死になった声を上げた母さんに少し違和感を覚えた。


 だが、アレほど貶した効果によって僅かにでも改めたのだと実感して、ドタドタと足音を鳴らして去って行った音の行方に大した意識を向けず、頭を洗い流す。


「どの道、アイツもここしか居場所が無いんだし⋯⋯すぐに帰ってくるだろ」


 自分に言い聞かせている、そんな風にも聞こえてしまって、鏡に映る自分を見た。


 酷く思い詰めている、そんなら顔をした自分が何処か憎たらしく感じて、シャワーヘッドを手に取り、鏡に向かってお湯を当てる。


 お湯に浸かり、疲れた身体を癒していく。


「ふぅ〜〜」


 天井を見上げてつつ肩まで湯船に浸った時、思い返す。


「舞喜の奴、随分と慌ててたな⋯⋯。はっは。いや、笑っちゃ駄目なんだろうけど。⋯⋯チェーンぐらい見るだろ普通⋯⋯⋯⋯?」


 チェーン?いや、そもそも誰(・)が(・)掛(・)け(・)た(・)?(・)


 白髪混じりの男性か?いや、掛けられる訳がない。


 僕はあの人が玄関から出て行く様子を見ている。


 舞喜が慌てて掛かってない筈のチェーンを掛けて、わざわざ戻した?


 なんの為にしたってなる。


 父さんはまだ帰ってきていないし、母さんは僕と話している間、玄関に近寄っていない。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯『怪異』?」


 温まっていく筈の身体は鳥肌が立ち、寒気がした。


 湯船から出ても寒暖差による冷え込みは来ず、何時までも立ちっぱなしの鳥肌をさせて震える身体を急いで拭く。


 そして、迷わず誰も居るはずの無い両親寝室へ向かった。


 ドタドタと足音を鳴らして、想像だが舞喜を探しに外へと出て行った、そう思いたくて。


 言葉の脈絡からもアレは探しに向かった、だから家には僕一人、その筈だった。


 けど、母さんは普通にベッドに座って黄昏ている。


「⋯⋯⋯⋯!アンタ、ふ、風呂場に来たか?」


「はぁ?!なんで行くのよ?」


「舞喜を探しに⋯⋯行ったか?」


「なんで?あの子もう要らないんだから、探す理由ないでしょ?」


 後退りしてしまう。


 母さんの言葉にではない。


 僕が風呂場で僅かながらに話した人物が第三の存在である事に慄いたのだ。


 声は少し上擦っていた。姿は見ていない。


 鏡の中は僕の身体が大半を占めてしまって映り込んでいなかったし、シルエットのようなものしか見えていない。


(⋯⋯⋯舞喜ッ!)


 急いで僕は玄関へ向かう。


 嫌な感覚がしたからだ。


 絶対に何か良からぬ事が起きる。


 そう確信めいたものがあってサンダルを履き、玄関の扉を開けた。


 そして──頭に衝撃が走り、僕は意識をまた手放してしまった。



親のいい所、悪い所、どれか引き継いで生まれる、育つものと考えている紫芋です。


准坊、君もワードチョイス、親譲りよ?


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