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この街は今日も語る  作者: 紫芋
Spring hour 桐江准は普通でありたい

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逢魔時に始まる奇怪な争い

『空弩街』の中央区に聳え立つ電波塔の高さは約三百メートル前後。


 展望デッキが設置されている位置は約二百三十メートル前後であり『空弩街』という街において最も空に向かって高い建築物である。


 だが、そんな二百メートル前後の高さを真正面から鉄骨を貫いてガラス張りの窓に大穴を空けた者がいた。


 身長は百九十センチ丁度で、緑色のベレー帽とミリタリー色の強い上下揃った濃い緑色の衣服を着用し、黒い紐付きブーツを履いた屈強な体格をした男性である。


 肩幅は驚異の五十五センチ、浮き出る胸板と血管。


 腰に巻いたポーチの中身を確認するように外側を触れていく。


「⋯⋯⋯⋯」


 煙が立ち込める電波塔。ガラス片は地面に向けて落下し、グラつく電波塔は中に取り残された人間の焦りと恐怖心を焚き付けた。


 突然の爆発音に地上に居る者達は上を見上げている。


 そんな光景を満足そうにしながら、その場を去ろうと近くに停めてあった黒のレンタル車に乗り込み、シートベルトに手を伸ばそうとした時だった。


「見つけたッ!貴様だな!」


 張った大きな声が聞こえて思わず前を向くと、長い赤髪と学生服を着た少女が鋭い目付きをさせながら、ボンネット辺りを目掛けて、頭から突っ込んで来ようとしている。


「!?──シットゥッ!」


 その異常とも呼べる急接近は男の目を見開かせ、急ぎフロントドアから車を脱して、アスファルトの地面へ目掛けてダイブ。


 ベレー帽を手で押えて落下を阻止、そのまま体勢を戻し、振り返ろうとした時──。


 乗っていた車から火花が散り、直後に大爆発を起こした。


 どんな花火よりも鮮烈で苛烈で攻撃性のあるその爆発は男を含めた半径五メートル圏内を火の海に叩きやる。


「ノォォオオオオオ!!!」


 構わず犠牲にする覚悟で身体の前に構えた極太の腕。


 爆風からは逃げられず、車のパーツは顔を掠めていく。


 熱は一気に衣服を焼きに来た。


 火の粉とは比較にならない大きな炎の鉛は男の身体を直撃して身を焦がそうする。


「ヌワァァァァァ!!!クソクソ!クソッ!」


 のたうち回った男は野太い悲鳴を上げながら、上着としてミリタリー色のジャケットを脱ぎ去り、倒れ込む。


 煙立つ身体は僅かに焦がし痕が出来上がった。


 だが、醜くも生命の為に踠き、足掻いた果てに男の身体には火は何処にも見当たらない。


 一気に体力を消耗させられた男は悪態をつく暇も無く、燃えカスとなった車の残骸を睨む。


「あ、あいつ。⋯⋯アレで死んでなかったのか⋯⋯」


 男は苦笑する。


 鉄骨がいとも容易く溶ける程の熱光線は間違いなく標的に向けて放った。


 たとえ横幅が人一人分というサイズ感であろうと、光の速さで迫った一閃は気付いてからでは間に合わないと高を括っていた。


 直撃すればタダでは済まない。


 それは間違いではなく、標的も確かに焦りはした。


「ふん、生きていたのね、嬉しいわぁ、死に損ない」


「!?」


 だが問題は⋯⋯死を直面する事で開花するその本能にある。


 特攻を掛けたように突撃し、炎上した車は耳を劈く程の音を鳴らして宙へ吹き飛ばされた。


(ワッツ?!⋯⋯何かの能力?いや、違う⋯⋯)


 男は目を疑い、遥か後方へ地面に向かって急降下した車から視線を離して、それをやってのけた『化け物』へと目をやる。


(⋯⋯⋯コイツ⋯⋯純粋な脚の筋力《パワー》だけで蹴り飛ばしたんだぁ。⋯⋯トんでんぜ)


 喉を鳴らしてしまう。


 直面して理解する、巨悪という意味を。


 大いなる敵は僅か二十メートル圏内で佇む。


 邪悪にも似た恍惚の微笑みを男に向けた『化け物』──睦生六華は自身の胸を右手で押さえ付けて、緩んだ口元を用いて呟いた。


「この程度で死なれたら、持ち余した熱は何処にやればいいのかしらって考え込む所だったわァ」


 ───獲物を定めた。


 今日の晩飯《ディナー》を決めた瞬間であり、男の首筋に汗が滲み出た瞬間でもある。


 逢魔時《おうまがとき》の中、沈みかかった太陽の代わりとばかりに小さく煌めいた燃え盛る青の瞳が男へと狙いを付けた。


「挑んだのはソッチから。ここは闘技場《コロシアム》じゃない。異変を察して逃げる人の悲鳴《かんせい》があって、夜に近い黄昏時⋯⋯⋯⋯フフッ」


 耳を澄ませるように聞こえる悲鳴の数々。


 今尚、傾き掛かったその電波塔の中から落ちてしまった人の絶叫とそれを見た人達の悲鳴。


 煙立つ電波塔に動揺が隠せずに唖然としてしまった人達が漏らした小さな声の一つ一つは⋯⋯。


 六華にとっては盛り上がりを手助けする声(・)援(・)でしかない。


 心の奥底からの昂りはもう止められるものはいない。


 一度開花した本能に、性質に、在り方に純然に付き従うように六華は空を見上げながら両手を広げ、口を大きく開けた。


「アッハッハッハッハッ!何よ、何よ、何よォーーッ!最ッ高じゃないのよッ!こんなお誂え向きのシチュエーションなんて、同族間で殺し合った時以来よッ〜。は〜ありがとうねェェ」


 広げた両手は畳まれるように前へ。


 そして、掌を合わせて口角を歪んだように上げる。


「さァ、殺り合いましょうか?私もう待ってらんないわァ。血を見せて?肉を削がせて?眼球は綺麗かしら?歯の形はどう?腸は綺麗にしてる?煙草吸ってるのね、肺は駄目そう。あァァァ駄目よ、駄目。アンタ見てたら、どうしても今すぐ臓物を抉りたくなっちゃう」


 一歩一歩、踏み締める。


 獲物を取り逃さないようにする為に行う足音を殺した野生動物のように───否、違う。


 この六華に限って言えば、足音を殺すなんて事をする暇があるのなら、背後に回り込んでしまった方が早い。


 では何故か?


 好物を最後にとって置く為だ。


 アレは、最後に気持ちの良い終わり方をしたい。


 終わり時は満足して終わりたい。


 そういった欲求から来るもの。


 六華も同様である。歩く手間をわざと行い、走るよりも如実に近付いて相手の反応を一つ一つを楽しみ抜き、最後に近寄りって首を弾く快感を知っているからだ。


 究極の戦闘マシーンであると同時に殺戮依存症(キリングジャンキー)による破壊衝動は快楽の為だけにここに立っている。


「化け物め。 プルトンが言ってたように、コイツは⋯⋯生粋のイカれ女のようだな⋯⋯」


「あら?アンタは違って?よしてよね、この疼きが治まるまでは、アンタはサンドバッグなのよ?サンドバッグは逃げないの。サンドバッグは叩かれるのが役目なの。サンドバッグは壊れるのが仕事なの。だから、この昂りは終わるまでは⋯⋯壊れ(しな)ないでね?」


 抑えの効かない破壊衝動と欲求は激しく鼓動を鳴らす心臓を起点に身体の熱を急激に上昇させる。


 火照った頬は赤く、まるで欲情しているようにも見える。


 ────誘われている。


 男はそう直感した。


 この男には理解出来てしまう。


 ここで前進して一撃を叩き込もうすれば、間違いなく後手に回ると⋯⋯。


 間合いを測るように背を向けずにゆっくりと靴裏を地面に擦らせるようにして後退しようとする。


  だが、忘れてはならない⋯⋯。


 睦生六華はこの男よりも───長命である事を。


「アッハッハッハッハ!───フウウウゥゥッ!」


 そして何より、彼女にとっての先制は後手に直結しない。


 喉の奥底から掻き鳴らされた凶声が耳に届いた瞬間、まるで竜巻がこちらに向かってやって来たような強風が男の身体の自由を奪う。


 吹き飛ばされないようにしっかりと膝を曲げて踏み締めた脚。


 庇うように縦軸に構えて防御の体勢を取る腕。


 男の青い瞳は見開き、真っ直ぐと──そして、微かな残像を捉えて本能的に身体を右へと逸らした。


 瞬間──先程まで立っていたアスファルトの地面は雪崩のように奥へと押しやられて、瓦礫と破片と化してしまった黒い粒達は男の身体に微かな刺激を与える。


「っ!速い!──っ!」


 痛みが左腕から発生した感覚が男の視線を誘導した。


「くっ」


 左腕の上腕二頭筋がパックリと割かれており、血が小雨のように吹き出している。


 暗夜になりつつある中、白い骨が赤い液体と肉の間からこんばんわしているのを、顰め面で覗いてしまった男は奥歯を噛んだ。


 避けた!そう錯覚させられる程の瞬速。


 痛みは後から知覚して、傷は抉られた大地が瓦礫として弾け飛んだ後、蝉が脱皮するように少しずつ開かれた。


 切り付けられたと肌が、血管が、筋肉が理解したよりも睦生六華が速いだけの事。


 ただそれだけの事実に男は轍の奥に居る『化け物』を睨み付けた。


「馬鹿野郎ッ!最速は俺を叱りに来る母さんが最強って相場は決まってんだ。お前であってたまるかよッ!」


 腰に備えた黒のポーツの留め具を外し、中にある掌サイズの物を取り出す。


「【目覚めろ】」


 一つの起動の音色《ことば》はたったそれだけ。


 それ一つで掌サイズのそれはピクリと動き始めた。


『ハーーーッ!』


 掌で寝かせたその糸人形は健気なぐらいに可愛らしい声を発生させながら宙を浮き始める。


 僅か十センチ程度の糸人形。


 茶色の糸で髪を見立てて、頬っぺには赤い糸でチャーミングに可愛く。


 クリっとしたら瞳を表現したくて黒と白の糸を丁寧に縫い合わせられている。


 女の子を見立てている為、桃色の糸でドレスを羽織らせた【生命人形《アウェイクン・ドール》】は六華を見ると途端に構え出す。


「お人形遊びが趣味なんだ?幼稚でいいわよ!」


「馬鹿にすんのは、マイフレンドの威力《パワー》をその身体に受けてからにしやがれッ!」


 左腕はほぼ使い物にならない現状、男の出来る事は一つ。


 糸人形の火力に依存する事にある。


 踏み込んだ一歩に合わせるように宙を漂う糸人形は頭を六華の方へ向けて、共に並走。


 受けて立つとばかりに棒立ちの六華。


 依然余裕を持っている彼女は着実に迫る一人と一体の攻撃を待った。


 すると【生命人形《アウェイクン・ドール》】は自身の身体に手を突っ込む。


 黒と白の糸で作られたその可愛らしい瞳はさながら警報ランプのように赤く光り出すと、身体に入れた手が外へと出される。


 ────木製の斧を持って。


「へェ〜。中に何か詰めてるのねェ」


「俺のマイフレンド相手にパワー勝ちした奴は居ない。⋯⋯餌食になるのはテメェだぜ!」


【生命人形《アウェイクン・ドール》】


 スプラッタやホラー映画で鉄板ネタである、人形に殺人鬼の魂が入って暴れるものや、悪魔が憑いてしまい悪さをする⋯⋯そういった創作物だからこそ感じられる恐怖心が原料として生まれた『怪異』である。


 表情は決して変わらず、昼は瞬間移動のみが可能、夜は戦闘のみという極端に血走った『怪異』であるものの、映画で表現された怪人や人形の能力を人形一体に付き丸々一つ分付与が可能。


 現在付与している能力は双子の女の子が廊下に佇んでいたりする映画に出てきた斧持ちおじさんだ。


 そして⋯⋯肝心のパワーは⋯⋯。


『ハーーーーーーッ!』


【生命人形《アウェイクン・ドール》】の据え置きのパワーのままである。


「ッ!」


 後ろ髪が僅かに切り裂かれた。


 赤い髪は乱雑に切られた糸のように地面に落ちていく。


 避けなければならない⋯⋯そう直感した六華は膝を曲げて地面に着いたと同時に、男の屈強な肉体から繰り出される剛腕はしゃがみ込んだ六華の顔面目掛けて放たれる。


「──イイわよッ!」


 軽い音が鳴り、血が宙を舞った。


 顎を突き出すように紫掛かった空を見上げた六華は目を見開く。


【生命人形《アウェイクン・ドール》】の持つ斧の刃先が兜割りの要領で急接近。


 右腕に力を籠もった。


 瞬き一つすらしない瞼の中から見える群青色の瞳はベストなタイミングを明確に見定める。


「フフッ!」


 ローファーのヒール部分が地面を軽快に滑りだし、身体は左へと逸れるように流れ行く。


 それに合わせて力を籠めた右腕は肩を掠めようと急降下する斧の側面にぶつけるようにして軌道を大きく逸らした。


 それは一瞬の緊急回避であると同時に距離を取る為の手段だった。


 斧を弾いた勢いに身を任せてしゃがみながらの後退により、ヒールがガリガリと地面を擦っていく。


 戦闘狂となった六華にとって靴の心配は邪推でしかなく、余計な思考として切り捨てられる要素。


 鼻から垂れた血液は既に止まっており、親指で痕跡をゆっくりと拭った。


 予定調和とばかりに油断もしていて、余裕も顔から離れない。


 ようやく勢いは死んでいき、脚裏をグッと押し込み停止。


「まだぁぁあ!───っ!」


 それを待っていた男は依然不敵な笑みを浮かべる六華の顔面目掛けて強烈なパンチが炸裂した。


 ガンッ!と分厚い金属を真正面から叩き付けた音が男の耳に確かに届く。


 だが、ここまで来て拳を振り切らないなんてのは愚の骨頂でしかない。


「オオオオオオォォォォ!!!」


 雄叫びは轟く。


 それに見合う程、勢いは強烈で豪快であった。


 六華の身体は地面へと向かっていき、背を大きく強打させられて仰向けのまま倒れた。


 肩で息を吐く男は伸ばしきった右腕の痛みに顔を歪めた。


(なんで殴った側がここまでダメージ受けるんだよッ⋯⋯)


 明らかに人の皮膚の硬さではない⋯⋯。


 六華が鼻血を出す事となった最初の一撃を浴びせた際、男は理解していた。


 ────直撃は無い、と。


(⋯⋯俺はあくまで足止めであり、場所の確保。頼むから早く連絡くれ⋯⋯。死んでしまう、俺が)


 実力差が明白なのは百も承知。


 既に使い物にならなくなってしまった左腕とボロになりつつある右手を交互に見つめて、一歩、また一歩と後退していく。


【生命人形《アウェイクン・ドール》】はそんな男の右肩に乗り、男に斧を手渡していると、静寂だった空気は突如として花を咲いた。


「⋯⋯⋯⋯ハッハッハ」


 目の前で仰向けになっている六華は嬉しそうに笑う。


 心が踊ると言いたげに勢いよく跳んで綺麗に着地した六華の表情には飢えが見受けられた。


 六華はまだ満足していない。


 始まってたった二、三分で盛る闘争本能が収まる訳がなかった。


「?何がおかしいんだ?脳ミソをさっき爆発した日本の(ミニマム)車(カー)の中にでも置いて来たか?」


 手に掴んだ斧を斜めに持ち、刃先を六華の方へと向ける。


 男の被るベレー帽の上に乗った【生命人形《アウェイクン・ドール》】は未だ赤い瞳を向けて警戒を怠らない。


 二対一⋯⋯否、その気になれば多勢に無勢を繰り広げる事も可能だろうこの状況下で油断も慢心もない男は六華を睨み付けた。


「『除者』⋯⋯⋯あぁ、違う。アンタの場合は『魔法士』かぁ。良いわね。お人形だけじゃなくて、アンタも戦えるなんて⋯⋯。はぁ〜〜〜。今日はツイてる。⋯⋯⋯⋯?」


 愉快な笑みは次第に消えていく。


 六華は何か大事な事を忘れていた。


 六華は自身の信条と理念を思い返した。


 フツフツと湧き上がる。


 ただでさえ沸騰仕立ての熱は更に温度を上げていく。


 蒸発なんてしない、何時までも湧き上がって理論上の温度なんて軽く跨るように拳は握られていき、目を見開いた。


「いや、ツイてないわ」


 そうポツリと呟き、頭を抱える。


「そうよ、そうよ、なにやってんの?────アンタ⋯⋯⋯⋯」


 男は六華の異変に気付くと共に心臓が早鐘を打った。


『除者』並びに『魔法士』と呼ばれる存在は身体に流れる『邪気』や『力』を目通せる。


 その精度は才能によって決まる中、男は『よく見える側』だった。


 だからこそ、男は唖然としていく。


「アンタのせいでちょっと計画がズレちゃったわぁ。はァ?!何それ最悪なんですけど⋯⋯⋯⋯」


 歯軋りが空気を慄かせる。青筋が立ち頭を抱えた両手は徐々に黒く変色していく。


(なんて事だ⋯⋯。身体から⋯⋯噴き出してやがる。濁ったワインみたいな、血のような⋯⋯『邪気《パワー》』が⋯⋯)


 戦慄した。恐怖して、後退りしかけてしまいそうになるも立ち止まる。


 役目はまだ終わっていない。


 ここから逃げるという事は使命を放棄すると同意義。


 そんな男がこの場に立ち続ける術は⋯⋯縋る方法は一つ。


「アイラ、ルーデンス⋯⋯。父さんに勇気をくれ⋯⋯」


 二人の子供に縋る男。


 どれほど屈強に鍛え上げたとしても守れない者が確かに居た事実に打ちのめされた現実。


 そこから逃げた男がそれでも縋った先が⋯⋯今はもう居ない子供達。


「あーーーーーー!クソがァァァァァァァァァ!」


 咆哮が鳴り響く。


 それに呼応するように六華の脚は地面を叩いた。


 まるで瓦礫の山のように大地は大きく平坦さを失って、辺りは凹凸の大地へと変貌する。


 男の足場も次第と自由を失い、衝撃が六華を中心に広がった。


 先の車の爆発なんてものが比較にならない程の身体を締め付けられたような衝撃が男を襲う。


「なんて馬鹿力だ!ハルクでも連れて来なくちゃ話にならねぇ!」


 大きく後方へと吹き飛ばされる男は突風に投げ出されそうになっていた木に激突し、背を強打するものの、距離を保ちつつ支えを手に入れた事に成功。


 吹き荒む衝撃は地面を抉り割る。


 華奢な脚一本によって踏み締められた一歩は災害を起こし、水道管が破裂して地面を大きく濡らしていく。


 雨のように浴びる六華。


 だが、一度湧きたった感情は簡単には冷ませられない。


「最悪、最悪よ!最悪なんですけどッ!!!私がアンタを利用する事はあっても、アンタが私を使うなんて、身を犯された気分だわ!屈辱よォ!アァァァァァァァァァァ〜〜ッ!」


 少年の視線を釘付けにした華奢な手は完全に黒く染まった。


 鱗のようなものが皮膚の上から形成──否、戻り始める。


 あくまでも両手のみ。


 しかし、その黒く研ぎ澄まされた爪の一本一本が男を死へと齎しめる武器だと容易に理解した。


「信じらねぇ⋯⋯。こんなママに縋っていい見た目したガキが⋯⋯『刃龍』なんてな!──」


「死ネェェェ!」


「【目覚め───」


「遅イッッ!」


 ポーチには既に手を伸ばしていた。


 後は音色《ことば》を綴るだけ⋯⋯。


 だが、距離にして五十メートルもあった二人の間隔は六華の三歩で埋められた。


 驚く余裕はあったろうか、何かを口にする時間はあったのだろうか、目線が通う暇は残ったか?


 答えは─────どれもなかった。


 戦闘狂の六華は心得ている。


 大きく、太く、鋭く伸びたその爪を一突きすれば、容易に男を蹂躙出来ると。


 だから、六華は敢えて───拳を握った。


「ぬォォォォォォォ!」


 無意識に身体を庇った左腕は完全にぐちゃぐちゃとなり殴り飛ばされた男は支えとしていた木をへし折る役として木こり代わりに使われた。


 初めは木に真横にあった木へ向い、次に電波塔の真ん前まで、距離にして百メートル程の位置に投げ出される。


「何処切り落とされたい?腕?脚?臓物?それともスパッと首?良いわねぇ〜。アンタがどんな理由でかは知らないけど、この電波塔のてっぺんにぶっ刺してあげるわよ。きっと、烏もアンタの汚い身体見て、引くわよ?」


 ゆっくりと、けれど着実に近付いて来るその少女は悪魔か、それとも未知の生命体か。


 男は掠れた声を振り絞り、音色を鳴らす。


「立てェェェッ!私の一日をたったの一秒でも知らない奴に阻害されるなんて事、許される訳ないのよォォォォッ!!」


 電波塔の前には事態を知らない者達が犇き合っている。


 警察も、救急車も消防車だって到着しており、怪我人を運ぼうとしていた。


 そんな中、何処からともなく現れた金髪の大男の登場に辺りは騒然し始める。


 左腕は使い物になる筈がないと誰の目から見ても明らかで駆け寄ろうとした救急隊員すら一瞬慄いた。


 男はゆっくりと起き上がり、既に目視で確認出来る位置にまで来ていた六華を睨む。


 ────そして笑った。勝利を確信したように。


「整った⋯⋯。お前はそのペンタゴンで⋯⋯死ね!ッ」


「っ!」


 電波塔を破壊したのは誰か?


 男であって男ではない。


【生命人形《アウェイクン・ドール》】によるものだ。


 数は五体、並びは六華を取り囲むように五角形に位置付いて、その時を待っていた。


 短すぎる音色《きどう》音は六華が聞き逃す程に手早かっただけの事。


 ────磁場が作られていく。


【生命人形《アウェイクン・ドール》】の最大の特徴は映画に出てくる怪人、悪魔、幽霊の類いならばなんでも一つ、能力を模倣《コピー》出来る事ではない。


 最もの特徴は命(・)を(・)吹(・)き(・)込(・)ん(・)で(・)い(・)る(・)事(・)そ(・)の(・)も(・)の(・)に(・)あ(・)る(・)。


 糸人形は本来、自立思考しない。


 糸人形は本来、勝手に動く事はしない。


 だが【生命人形《アウェイクン・ドール》】は『怪異』であり、一つの『現象』だ。


 糸人形に『流れる邪気』が辺りを眩く白い光に包み込む。


 五角形に取り囲んだその位置は磁場《じゃき》を使って動きを止めさせて、放つ余韻を与えた。


『『『『『ハーーーーーーーー!』』』』』


 電波塔を破壊した光は六華に向かって同時に放たれる。


 小さな黒い黒点を発生し、それが弾けると同時に白き光は一気に大爆発。


 辺に居た者達はその衝撃と爆発に巻き込まれた。


 ある者は電波塔の脚に頭をぶつけて、地面に倒れ込み。


 ある者は叫びながら前から突撃してくる数十人にぶつかり圧迫されるようにし押し潰される。


 ある者は紙吹雪のように上空に弾かれてしまい。


 ある者は消防車の影に隠れて居たもののその支えとしていた消防車が倒れてしまい下敷きに。


 総勢百十五人もの人間がその白い爆発の被害に遭った。


 そして、それを促した男は倒れた救急車に凭れるようにしている。


 頭からは血を流し、金髪の髪は一部が赤く染め上げられていた。


 ミリタリー色の強い服は既にオンボロ。


 左腕は損壊し、体力もロクに残っていない。


 そんな男の指がピクリと動き、瞼をゆっくりと開かれた。


「ぅぅ⋯⋯⋯⋯。流石に⋯⋯少し疲れた。訓練兵の時にゲボ吐いた後に、飲まされた酒並に気持ちが悪い⋯⋯」


 辺りを見回しながら、右腕の力を振り絞り立ち上がる。


 ぎこちなく、油が抜けた機械のような動きではあるものの、確かに立ち上がった。


 倒れ込む日本人。中には人を助けようと活動的になっていた者も居た。


 それらを全て巻き込む事を承知で行った強行策。


 男は自覚している。


 自身がやってしまった事も、償いの時がいずれ訪れる事も。


 だが男は止まれない、止まってはならない。


 掲げられた国旗に反旗を翻す為にやって来たこの島国がどうなろうと、男にとっては二の次の事であり、最重要項目は別にある。


『ハーーーーー?』


 斧を身体から取り出した【生命人形《アウェイクン・ドール》】が男の肩に乗る。


 心配そうに大して動かない首を傾げるその様子に男は少し笑みを零して頭を指で撫でた。


「ふっ。帰ったら⋯⋯手入れしてやんねぇとな」


『ハーーー!』


「⋯⋯やっぱり、お前は俺の最高の友人だ」


 彼にとって遺された友人はこの人形のみ。


 悲劇と捉えるか笑いと捉えるかは、彼の生涯を聞けば自ずと知れる。


 だが、男はそれを許さない。


 男は決して過去を語らない、語る必要性を模索しない。


 必要なのは何時だって、傍に居てくれる存在であり、それさえ在れば何も要らないのだから⋯⋯。


「へぇぇ〜。この子友達なんだぁ。──貸して」


「なにっ!?」


 後方から邪悪な声がした。


 振り返ろうとした時には、肩に置かれていた【生命人形《アウェイクン・ドール》】は掠め取られており、黒く鋭利な爪が首根っこを掴んでいた状態。


 男は事態に気付くまでに二、三秒を有した。


「あら、可愛い。首を押したらどうなるかしら?」


 邪悪な笑みを浮かべる睦生六華は横転している救急車の上に乗っている。


 無傷という訳ではなく、ちゃんと腕に張り巡らされた鱗は傷を負い、一部は欠けていた。


 ブレザーの後ろ側は背骨付近に二つのデカイ穴が出来ており、ローファーは片っぽが紛失している。


 だが、依然として熱は冷めていない。


 むしろあれ程の攻撃を齎した男に敬意を払うように頭の部分を爪で押さえ付けて、人形の首を優しく、そして愛でるように二本の大きな爪で捻じっていく。


『ハーーッ!ハーーーーッッ!!ハ⋯⋯⋯ハ⋯⋯⋯──────』


 赤い瞳は点滅していく。


 抵抗するように小さな手が無造作に動き続けていた。


 そんな抵抗に恍惚とした笑みを浮かべている六華は糸人形に更なる手心《ちから》を加えていく。


 そして、気付いた──。


「あら?もう手折《こわ》れちゃった」


 ポキッと折ったように糸人形の首と胴体は二分割。


 茶色い糸は垂れ下がり、あれ程可愛らしい見た目をしていた人形は『龍』が負った傷から出てきた血によって汚れている。


 子供が力加減を知らないで玩具を壊してしまったような、そんな光景だった。


「っ!俺のマイフレンドが⋯⋯⋯」


「アンタの友達、つまんないわね。あ〜あ、持って帰って玩具にしようと思ったのに」


 ゴミをゴミ箱に捨てるように⋯⋯ではなく、もっと乱雑に、適当でどうでも良いと言いたげに投げ捨てられた人形の胴体は遺体となった人の横に転がった。


 そして残った胴体から上は──。


 見せびらかすように大きく口を開け、視線だけは男の方を向けた六華は口の中に首を放り込ませ、一飲みする。


「ん〜、不味いわね。下級だからかしら。あんまし栄養になんない⋯⋯。粗悪品のゴミみたい」


「テメェ!酒とビラは棄てても、俺の友人を捨てんじゃねぇよ!コレは母ちゃんが拵《こしら》えてくれた最高の友達(ベストフレンド)だぞ!?」


 既に二十年以上もの付き合いだった人形との別れ。


 傍から見れば、お人形遊びに興じていた男にそれを辞めさせる良い機会、そん都合の良い風に捉える事だって出来たろう。


 だが、当の本人からすれば思い入れが違った。


 たとえ掌サイズで小さくても、作られた経緯と籠った思いを知っている男からすれば、同学年の子供に馬鹿にされようと、ハイスクールで笑い者にされ揶揄されようとも、決して手放す事はしなかった存在。


 それが今日、それを深く理解する事もしない少女によって弄ばれるようにして、千切れて、解れて、見るも無惨に死んだ。


「ハァ?!何その例え。まぁいいわ。ちょっと熱が籠って来た⋯⋯。フフッ」


 救急車から飛び降りて、地面に綺麗に着地した六華は少し息を吐いた。


 黄昏時は終わりを迎えようとしている頃、群青色の瞳は見下ろすかのような顎を向けながら、男を差す。


「避けなさい。瞬間的に来るから、もう避けないと、終わりね?」


 何が来る?そう警戒心を跳ね上げようとしていあ頃、赤い光波が男の身体に酷過ぎる痛みと衝撃を齎した。


「っ!?!───ノォォォォォォォ!!!」


 光は稲妻と同等の速度で男よりも二回りも大きな光線で貫く。


 空気は震撼し、周囲一帯は真夏のような熱を持ち始めた頃、激しい衝撃音と落雷にも似た轟音が辺りを震えさせた。


 光は音よりも速い。


『龍の息吹(ドラゴン・ブレス)』と呼ばれる『龍』の十八番であり、基礎的攻撃手段。


 それを極限まで極め抜き、口元に溜め込む力と発射速度がほぼ同時となった一撃波。


 現存する『龍』の中でも六華にのみ可能な極地の一つであり、避けれた者は誰一人としていない。


 まさに必殺にして瞬殺の基礎技(しょけんごろし)。


 意識した時には直撃しているという笑い話にもならない状況下でただ一人、高笑いを発してお腹を抱える者が居た。


「アッハッハッハッハッハッハッハ。何今の顔ォ〜。ちょーウケるんですけど!マヌケ過ぎて笑っちゃったじゃないのよ!」


 稲妻と同程度の攻撃を放てる者が、その速度に目視で追い付かない訳がなかった。


 脚を地面で鳴らしてながら大笑いする六華は子供のようであり、異質で邪悪で正真正銘の化け物だった。


 赤い光波に叩き付けられ、遠方へと飛んで行った男は近くにある小さな建物の壁にめり込むようにして倒れている。


 徐々に壁から背は離れていき、尻を地面に付けて壁に凭れるようになった。


「は〜〜〜。早く立ちなさいよ?サンドバッグは叩かれるのが役目だって、言ったわよね?」


 百メートル強はある距離をゼロに感じさせる程に声を張った六華の言葉は男には聞こえない。


 開かれているポーチ、ボロボロの衣服は男の傷だらけの素肌を露出させている。


「寝ちゃった?それとも死んだフリ?アンタ狸にでもなったの?それとも演技?あ、もしかして不意突こうとしてる?良いわよォ〜?近寄ってあげるから、どうぞお好きに⋯⋯」


 男との物理的距離を縮めていく六華。


 何が来るか、何があるか、ワクワク感が止まらない少女の心臓の鼓動は囃し立てるように足早にさせていく。


 亀裂を大きく残して、穴が形成された建物の前でやって来た六華は壁に凭れる男をニヤケ顔で見つめる。


 一歩、また一歩近付き、男に触れられる距離にまで立った。


 そして、首を差し出すように前屈みになり、顔を覗かせる。


「⋯⋯⋯⋯⋯っ!ヌオオオォ!!!」


 男は瞼を開け、狙いを定める。


 身体の後ろに右手を隠し、ポーチの中に潜ませていたオーダーメイドのナイフを六華の首目掛けて穿った。


 常人ならば対応すら出来ず首は血の溜まりを齎し、生暖かい赤いシャワーを発生させていた事だろう。


 だが、相手は『龍』⋯⋯たとえ軍事用に用いられるナイフよりも精巧で斬れ味の良い物であろうと──龍の鱗には傷が付く事はなかった。


 弾力性なんて皆無の純粋な強度によるぶつかりがナイフを激しく弾せ、男の右手を痺れさせる。


「っ!?!馬鹿な⋯⋯ッ!なんで⋯⋯⋯⋯?」


 完全な誤認と情報不足が男を困惑させた。


『刃龍』とは何か?


『刃龍』という称号、二つ名、畏怖の呼び名は人間の程度を超えていた。


 この赤い髪をした華奢な少女に敵は居ない。


 どんな生命体よりも貪欲であり、凶暴であり、暴虐無慈悲の殺戮生命体にして、極悪非道の自意識の権化。


『龍』と呼ばれる存在そのものの象徴にして『龍』にとって良い所だけを捻出、抽出された負け無しの存在。


 ドラゴンは狩られるのが相場。


 RPGにおいてもアクションにおいてもアドベンチャーも、漫画も小説もアニメも大体がそうだ。


 しかしこの『刃龍』に限れば、それはない。


 人を貶め、蔑み、暴君の限りを尽くした、云わば人の歴史、伝承、噂等の負け無しの存在だけが選り取りみどりと詰まった究極の勝ち確モンスターの集合体にして権化。


 それが睦生六華であり『刃龍』である。


「ハァ〜。失望ね。弱すぎる。よく見たら脚、もう黒焦げね⋯⋯。ハァ〜。熱が冷めないわァ」


『『『『『ハーーーーーーーー!』』』』』


「あら?さっきの光線撃ってた子達ね?」


 六華の後方、主の危機を察したように残り全ての力を使い、小さな身体を動かした【生命人形達《アウェイクン・ドールズ》】の特攻が始まった。


 二体は六華の元へ。


 残りは男を庇いつつ、退避させようと少し大回りに宙を駆け抜けていく。


「丁度いいわぁ」


 口角が不気味に上がる。


 右手の骨を鳴らし、五本の黒い爪に力を溜め込む。


「前菜《リンチ》の時間ねえぇ!」


 大きく腰を捻り、右腕は空へ向かって振られる。


 赤い斜線が合計五本、避けようとしていた【生命人形達《アウェイクン・ドールズ》】は纏めて赤い線に引き裂かれた。


 爪に直撃したという訳ではない。


 それでも【生命人形《アウェイクン・ドール》】の身体は裂かれた。


『ハーーー───────』


 直後、糸人形の身体は粗い線を起点に分断されてしまい、赤く光った瞳は完全に影に落ちる。


 そんな光景をただ黙って見ているしか無かった男は掠れた声で悲痛に叫んだ。


「ノーーーーーーーッ!!」


 伸ばそうとした右腕はもう既に上がらない。


 ポーチの中には後一体だけが残っているが、取り出す余韻も暇も与えてくれないと察して⋯⋯否、引き裂かれるぐらいならば見せない方が得策と判断してポーチへ右手は向かわなかった。


 振り返った六華は口にする。


「在庫処分終わったわよぉ。次はアンタ⋯⋯」


 大きく持ち上がった脚。


 スカートの中が見えるのも厭わず上がったその右脚は男の焼け焦げた左脚目掛けて落とされる。


 グチャッ!と肉塊へと変貌した音が辺りに響き渡った。


「ヌナァァァァッ!?!」


 先程まであった脚の感覚は全て痛覚に塗り替えられた。


 血溜まりが大きく広がり、その中に反射して六華の顔が映り込む。


 恍惚と千切れた脚を持ち、それを振り渡す。


 男の血が六華の肌や衣服に付着するも厭わない。


 それはむしろ勲章であり、戦ったという証明。


 血は頬を火照らせた顔を彩る。


 衣服はさながら返り血に塗れた悲痛な少女そのもの。


「喚かないでよ。脚の一本くらいで」


「うぅぅぅ⋯⋯⋯。化け物め⋯⋯」


「分かってて挑んだんじゃないの?」


「⋯⋯」


 奥歯を噛み締め、痛みと睨めっこを続ける男を見下ろす六華は返答を待たなかった。


「まぁ良いわ。どんな奴が相手でも、私が楽しければそれで良いの。はぁぁぁぁ〜。風が心地良いィィ。勝利に酔える。私が私でいられる存在意義。私が上に居るっていう快感⋯⋯⋯⋯。ふっ、堪らないわねェェェ!」


 更に一撃、続け様にもう一打、加えて一発、オマケとばかりに更にもう一回。


 蹴りのみの殴打にして暴力。


 脱げて何処かに行ってしまったローファーが無い脚裏で男の臓器を骨を圧迫し、衝撃を加えていく。


 ひたすらの暴力にして虐めだった。


 男の顔はぐちゃぐちゃとなり、骨にも亀裂が入っているのは当然の事ながら、あと数分の命となった。


 あまりにも無情な暴力性に男の身体は虐め抜かれてしまい、耐えられず、絶命を余儀なくされる。


「ふっ!ふっ!ハァァァ!⋯⋯⋯寝ちゃったのォ〜?ねぇ〜?────お〜き〜てェェェッ!!!」


 だが、簡単に死なれてしまっては面白くない。


 たったそれだけで、壁を背に倒れ込んでいる男の腎臓目掛けて、脚が突き刺さった。


「うぶぁぁぁぁ⋯⋯⋯⋯」


 掻き回すように脚の指は動いていく。


 混濁した意識からの回復は歪んだ表情を促して、それを見てまた嬉々として語り掛ける。


「はい、よく起きれましたぁ〜」


 穴の空いた腹部から脚を抜き取り、白いソックスが赤く染まったまま地面に着いた。


「ご褒美ね。ほんの少しだけ、強めてあげる。パンチって奴」


 男の首根っこを持ち上げて、膝元は地面に着いたまま浮かされる。


 痙攣による震えは意識を靄のように薄れさせながらも痛みが和らいでいく。


 力は既に入らない。


 悪戯に痛め付けられた身体は屈強な男の筋繊維をズタボロにして、臓器は機能停止にまで追いやられてしまい、青い瞳の中にある瞳孔は広がりつつあった。


「っ⋯⋯『怪異(モンスター)』め⋯⋯⋯」


「知ってるぅぅ⋯⋯⋯。ふぅぅぅ───」


 黒い爪は掌に収納されて、勢いを付けるように六華の後ろに下がった。


 右腕が男の顔に向かって走った───。


「何やってんだ!?」


 動きがピタッと停止する。


 聞き覚えのある声、哭くような悲痛な叫び声は立華の顔をその声の主の方へと顔を向けた。


「────え?嘘⋯⋯。なんで?え、嘘でしょ⋯⋯⋯⋯あ、ぁぁ」


 心からの動揺が男を地面に落とした。


 あれ程に昂っていた身体の熱は急激なまでに下がっていき、氷点下にまで至ると身体は震えだして、唇を揺らす。


「ち、ち、ちちち、違うの⋯⋯⋯⋯。ち、違って、違う、違う!違う!」


 少年は泣きそうな少女の手を見る。


 人間のそれとは思えない形状。


 大きく、そして変色したように黒く染まった鋭利な手に動揺が隠せなかった。


「龍の⋯⋯爪」


 そのポツリと呟いた言葉に六華は自身の手を見る。


 崩れ去った計画を唯一元に戻す方法は自身が少年に戦っている現場を見られない事、それだけだった。


 だが、もう遅い⋯⋯。


 少年は気絶から目覚めてすぐ騒音に引き寄せられるようにして、ここにやって来てしまった。


 助けたのは少女なのだと理解している。


 電波塔に煙が立っていて、何かしらの事が起きたのだと言うのも理解した。


 屋外に居るのも、自身が生きているのも、全て睦生六華による所が大きい。


 ────分かっていて、少年の瞳には感謝や感激といったものは見受けられず。


 むしろ酷く嫌悪し、悍ましい者を見るような視線を六華な向けてしまった。


「止めてよね⋯⋯⋯。私、私!」


 後退りして去ってしまった六華。


 それを止めようと動いた腕、追い掛けようと僅かに動いた脚は全て止まっていた。


 徐ろに向けた視線は自身の身体へ。


 気付けば震えていたのだと理解してしまう。


「あ、ぁぁ⋯⋯⋯」


 既に後ろ姿は見えなくなってしまっている。


 赤い髪も血濡れた学生服も、異様と捉えられる黒い手も⋯⋯何もかも、少年の視界から消えていた。


  ━ ━ ━


 僕は黄昏ていた。


 何が正解だったんだろうと、そう心に呼び掛けた。


 自問自答、そう言ってもいい。


 けど、結局正解なんて見つからなくて、呆然と電波塔近くにある建物の前で立ち竦んでいた。


「⋯⋯⋯ブゥワアァ」


「?!」


 何かを吐いたような音が僕の意識を明確にさせて、その方向を向いた。


 金髪の男、外国人観光客?いや、にしては何か違う。


 倒れ込んでしまった身体は痛ましい程の傷が見受けられて、駆け寄りながらスマホを取り出す。


「大丈夫か?!救急車呼んでやる」


「ま、てぇぇ」


 グッと掴まれた右腕。僕がスマホを持っている手だった。


 弱々しく握られたその手は少し冷たく感じる。


「情けなんて⋯⋯要らない。ジャパ、ニーズ」


「⋯⋯⋯。いや、でも、その傷、アンタ」


「わかってる⋯⋯。だが、俺が何をしたか、知ってるのか?」


「え?」


 何をした?六華にやられた被害者じゃないのか?


 どう見ても一方的に近くて、酷すぎる怪我がそれを物語っている。


 明らかに凶暴性のある攻撃で身体を無惨に痛めつけられました、そう訴え掛けていた。


「この、タワーを、襲ったのは、俺だ」


「⋯⋯⋯っ!?なに?」


「俺達は⋯⋯⋯⋯俺は⋯⋯⋯その為に来た」


 この人が⋯⋯。


 じゃあ、ここを通るまでの間に見た人達も、この人がやったのか?


 思考が追い付かない。


 そもそも僕は殆どその現場を見ていない。


 気絶して、気付いた電波塔から少し離れた芝生で悠々自適に寝ていただけだ。


「だから、助けはいらない」


 こういう時、どう言えば、どう動けば正解なんだろう。


 この人の言葉が本当だったとして、もし仮にこの人が大量殺人犯だったとしたら、見捨てるが正解なのか?


 それとも、そうじゃないって何処かで割り切る?


 起き上がろうとした男の身体を僕はそっと手で支えた。


 壁に凭れるようにさせると、腹部には穴が空けられていて、目を背けてしまう。


「⋯⋯⋯⋯怖いか?」


「⋯⋯怖いに決まってるだろ」


「⋯⋯だろうな」


 怖くないなんて事はない。


 こんな事態、目の前に居る人の受けた傷と惨状を見れば誰だって恐るし、慄く。


 でも、僕が一番怖いのは⋯⋯⋯⋯人が死ぬ所だ。


「⋯⋯」


「おい、止めろと言った」


「煩いな!アンタがどんな奴でも、目の前で死なせたくないんだ。でも、僕は医者じゃない。だから呼ばないといけないんだよ!」


 スマホをタップしていく。


 指は震えて上手く操作できない。


「クソ、クソ、なんでッ⋯⋯⋯⋯」


「ふふふ。ジャパニーズは嫌にお人好しだな。アメリカなら捨ててるぜ」


「知らねぇよ!アメリカに行った事なんて無いんだ!分かる訳ないだろ!」


 ここは日本だ。少なくても日本人らしくおもてなしでいかせてもらう。


 向かう先は病院で、その後は刑務所かもしれない。


 でも、それでも助けたかった。


 目の前で人が亡くなってしまうのを黙って見過ごすのが僕にとってしてみれば、母さんが子供を蔑ろにする行為と何処かダブって見えてしまったから。


 本当はダブっちゃいけないんだと思う。


 けど、一度でも思い至った考えってのは、そう簡単には剥がせない。


 だから⋯⋯⋯。


「っ!」


「もう⋯⋯いいんだ」


 右手に持ったスマホごと僕の手を掴む男の手は酷く強く握られていて、何処か怖くも感じた。


 けど、その男の表情には満足そうな笑みがうかんでいて、訳が分からなかった。


「なんで諦めるんだ!離せ!」


「名前は?」


 優しい表情を僕に向けた男はそう訪ねた。


「?────桐江⋯⋯准だ」


 だから、何気無しに名乗ってしまった。


 右手を掴まれた男の手は徐々に力なく離れていく。


「ジュン⋯⋯。良いか?この街はもうすぐ終わる」


「え?」


「優しいお前への餞別だ。ポーチの中にある人形を取れ。起動音は『WAKE・UP(めざめろ)』だ」


「何言ってんだ?僕に頓珍漢な事を言ってる場合か?!」


「これは聖戦だ。一つの国家を変えたいと信じた⋯⋯俺達の戦い。それの意思表明の為に⋯⋯日本を舞台にした」


 徐々に綺麗なビー玉にも似た青い瞳が薄れていく。


 待ってくれ、待ってくれよ。


「そんな事言ってる場合か!」


「言ってる⋯⋯場合、なんだよ。明日、明後日⋯⋯この『空弩街』を起点に友好国である日本は滅びる」


「は?」


 どう言う事だ。日本がいくらアメリカと友好国だからって、なんで滅びるなんて事になるんだ。


 それに、いくらなんでも一日、二日で日本が滅びるなんて事ある筈が無い。


 あっていい訳が無い⋯⋯。


「首謀者はアンタなのか?それとも──」


「止めるんだ。守りたければな⋯⋯」


 僕は男の言葉に頭に来た。


 右手のスマホが軋む感覚すらあって、僕よりも余程強いと分かる男を睨み付ける。


「アンタ、勝手過ぎるだろ!あの横たわってる人達をちゃんと見たか!?あんだけの被害出しといて、守れ?!ざけんな!」


 ここへ駆けつけた時には人は沢山倒れていた。


 激しい爆発音の直後に、目の前で降ってきた女性と男性の頭が潰れた瞬間も目撃してしまっている。


 それでもここに来たのは、六華がそうなってしまうんじゃないかっていう不安とそれを払拭したいっていう気持ちからだった。


 なのに⋯⋯。


「俺にとっては二の次だ⋯⋯。他人にわざわざ、気を掛けたりなんざ⋯⋯しない。だが、お前の名前はもう覚えている。だから、他人じゃない」


「アメリカンなジョークは止めろ!それにアンタの名前すら知らないんだぞ!?」


「コナー⋯⋯コナー・ラインザック」


 当たり前のようにか細くなる言葉を聞いた僕は俯いて、奥歯を噛み締めた。


 悔しかった⋯⋯。


 この無駄にフレンドリーな感じが堪らなく悔しい。


 もっと漫画とか小説に出てくるような悪役みたいな感じであって欲しかった。


 この会話だって何処かで息を潜ませる仲間の為の足止めみたいな理由であって欲しい⋯⋯それなら潔く諦められたのに。


「その素直さがあって、なんでこんな事ができるんだコナー!」


「家族が⋯⋯息子が妻が、両親が⋯⋯国によって殺されれば、こうもなる」


「⋯⋯⋯⋯っ」


 僕の家族はどうだ?


 仮に死んでも、多分僕は何も思わない。


 妹すら邪険に扱えるし、コップを買ったのだって、ケーキを買うのだって自己陶酔みたいなものだ。


 自分だけはしっかり家族をやっている。


 守ってやってるんだぞ、そんな何処か投げやりな感覚すらあって⋯⋯。


 だから、この男の気持ちが分からない。


 家族の為にそこまでなれる理由が不明瞭に尽きる。


「あんなに可愛らしい俺達の天使が⋯⋯。巫山戯た実験なんかの為に⋯⋯。知ってるか?アメリカの医療費は日本のバーガーよりも分厚くて、日本人にとっては胃もたれしそうな程、デカイんだぜ?⋯⋯⋯⋯はっはっは⋯⋯」


 乾いた笑いを浮かべた男はそう言う。


 答え方はなんだ?僕も笑えば良いのか?


 それともネットならそれを解決する術でも見つかると⋯⋯いや、無いだろう。


 あればこの国は今頃毎日がパーティ三昧だ。


 すると、俯いた僕の頭に大きな手が乗っけられた。


 悲しくなる程に冷たく感じて⋯⋯でも、親にも撫でられた事の無い頭は、身体は心は温かくて、嬉しい気持ちに溢れていく。


「お前は子供だ⋯⋯⋯⋯。生きろ、ジャパニ⋯⋯ジュン。優しいお前が⋯⋯⋯⋯明日を無事生き残れる事を願ってるぜ」


 俯いた視界に手が降りてきた。


 僕はゆっくりと正面を向いてその男の手を取る。


「え?⋯⋯⋯おい、おい!」


「───────」


「冗談だろ?コナー?!おい!おいぃぃ!」


 知り合ってまだ五分も経っていない。


 なのに、それでもやっぱり悲しくて、涙が止まらない。


 この気持ちが自己陶酔じゃない事を願いたかった。


 本当に悲しくて、悪い行いをした人だったのかもしれないけど、それでも⋯⋯頭を撫でられた感覚がこの穏やかな笑みを浮かべて寝ている男の本心だって信じたい。


「ぅぅ。ぁぁぁ⋯⋯⋯⋯ぁぁぁ。クソぉぉぉ」


 きっと誰にも同情されない僕の感情と、この男の死を⋯⋯僕一人、確かに悼んだ。


 ポーチにある掌サイズの糸で作られた人形を手に取って、僕は立ち上がる。


 泣き腫らしたまま、何処か足取りの悪い歩幅で僕は帰路に向かった。


次回⋯⋯地獄の始まり。

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