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この街は今日も語る  作者: 紫芋
Spring hour 桐江准は普通でありたい

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二人の時間

 瞼を強く開き、勢いよく起き上がった僕は自分の部屋に居る、そう認識するまでに数秒を有した。


 二段ベッドの下段の布団に座り込んでいる⋯⋯だがそこは舞喜のベッドであって僕のではない。


 何があったか、どうして間違えて寝てしまったのか、その理由を頭の中で探ろうとするものの、部屋の扉が開いた事でそれはキャンセルされる。


「あら、起きたの?グースカピーと可愛らしいわね。食べてもいい?」


 漆黒と鮮やかな紅のコントラストがキッチリと纏まったドレスと群青色の瞳はコチラを向いて、拐かすように笑ったその女の子に⋯⋯僕は意識を明確にさせて、思い出した。


「─────ギャァァァァァァァァァァ!幽霊ダァァァァ!」


「誰が幽霊よ!そんな訳が無いでしょ!」


 動揺は身体に現れて、ギリギリまで壁に背中を付けていく。


 軋む音を鳴らすベッドと僕の絶叫は部屋中に鳴り響いた中、僕は部屋に侵入してきた赤髪の女の子を指差す。


「だだだだだ、だったら、お前なんだよ!アレもそうだし!あ、あの、地面をグサッてしたヤツも!訳わかんねぇじゃんか!」


「ふんっ!素人ね、まぁ良いわ。この私からの大変有り難いタメになる話を聞きなさい」


 舞喜の使っている椅子に座り、脚を組む。


 その威風堂々と言わざるを得ない態度と不敵な笑みに僕は萎縮して這いずって逃げるように、部屋の扉を目指す。


 だって誰がどう見てもヤバい奴だもん、逃げるに決まってる


「ちょっと、何してるのよ?」


「お前ら頓珍漢な珍獣バトルのご参照なんて聞く気はない!僕は『普通』でありたいんだッ!」


「『普通』ってなによ?アンタの言う普通なんて、世界中で起こった異常とか緊急事態からによって産まれた産物でしょ」


「何言ってんだお前ぇ⋯⋯」


「はぁ〜。コレだからガキ猿は」


 そう言うが、目の前で堂々と人の椅子に座っているコイツだって立派な子供だ。


 そりゃ、ちょっと胸は育ってるかもしれないが、どちらかと言えば童顔寄りの顔付きに、雰囲気も何処と無く子供っぽい。


 とてもじゃないが、ガキなんて言われる筋合いは無いのだ。


「煩ぇよ!貧乳!テメェにガキなんて言われたかねぇんだよ!」


「───な、え?⋯⋯はァァァ?!貧乳!?巫山戯んじゃないわよ!私は立派なレディよ!育ってるわよ、立派に!それを⋯⋯⋯⋯それをッ。信ッじられないッ!ムッくんの友達だから仕方な〜くっ助けてあげたのにぃぃぃ!」


 地団駄を大きく踏んで、喚く姿はまさしく子供そのもの。


 大きく揺れ動く僕の身体、視界は上下に震えて止まらない。


 左脚の短い黒のソックスとは違い、右脚の膝元にまで伸びた黒のソックスは止まる事を知らないようで、黒い残像を残すようだった。


 膨れっ面をかましながら、不機嫌そうに僕を睨む。


 それにムッくんとは誰の事か?


 そして、コイツ何処から誰に僕に友人が出来たという情報を入手したんだ?


 ⋯⋯⋯⋯疑問は止まない。


「誰だよムッくんって。僕はムックしか知らないぞ!」


「むしろ誰よそれ!ムンクじゃなくて?」


「それが画家だ!」


 ガチャピン、すまねぇ⋯⋯。


 僕じゃあお前の事をこの小娘にちゃんと伝えられる気がしない。


『カルダの伝説』に出てきたラスボスみたいな奴⋯⋯そう言っても多分伝わらないだろうし⋯⋯お手上げだ。


「はぁぁ〜〜。⋯⋯とにかく座んなさいよ。ガ・キ!」


 それでも落ち着くつもりはなかった。


 というよりも落ち着けない。


 酷い話、この女は人間なんだと錯覚したかった。


 けど、僕の身体が赤髪の女の子へ近付く事に対して拒否反応を起こしている。


 よく、野生動物は警戒と注意を払う為に威嚇を用いると聞く。


 目を細めて可能な限り、お前に対して意識が向いてるぞ、そう警告するような⋯⋯。


 今の僕も似た感じだった。


 人間として、生命体として、種族として──格の違いというのを意図せず見せつけられているような⋯⋯そんな感じ。


「何よ、その目。反抗的ね⋯⋯。どうしてもって言うなら、殺したって良いのよ?見たでしょ?アレ、貴方に止められるの?」


 椅子に座り直した女の子の冷ややかな視線に僕は寒気を覚えた。


 アスファルトが縦に三本、巨大な剣で引き裂かれたように形成されたあの縦穴はまだ脳裏に焼き付いたまま。


 震える身体は臆してしまい、這ってその場を後にしようとした僕はゆっくりと正座した状態で女の子の方へと向き直る。


「そうそう、それで良いのよ⋯⋯。はぁ〜、まったくヤになるわね。こんな稚拙なガキ猿の為に私が手を使って助けたんですもの。ほら、感謝なさい。アンタを助けたって事はアンタの命は私の手中にあるのも同然なんだから」


「⋯⋯⋯⋯」


「か・ん・しゃッ!」


「あ、ありがとう⋯⋯⋯⋯ござい、ます」


「それで良いのよ。ガキ」


 猿が抜けた⋯⋯と喜ぶべきか、まだガキが抜けてないと怒るべきか⋯⋯。


 どちらにしても地獄な事に変わりはない⋯⋯。


 グッと唇を引き結び堪えた。


「そうね、偉大なる私様の栄光なる物語を纏めて百二選あるんだけど、どれを聞く?」


「どれもヤダ」


「何よ、贅沢者。アンタに拒否権は無いわよ。私を誰だと思ってるのよ。アンタの稚拙で矮小な価値基準じゃ収まらない程に崇高かつ偉大でありながらもそれでいて神すら臆する存在なのよ」


 歯を見せるように不敵に笑う彼女を見上げる僕は素直に呆然とした。


 別にコイツが貧乳であろうと、僕が贅沢者であるという事はこの際どうでもいい。


 問題があるとすれば、この女の子から発せられた誇大妄想にある。


(何言ってんだコイツ⋯⋯。脳ミソの代わりにガムでも詰め込んだのか?)


 褒めろ、讃えろ、崇めろと言わんばかりにズッシリと腕を組んでソックスが膝まである右脚を上にするように組んだその脚、その爪先から頭のてっぺんまで天上天下唯我独尊とばかり自慢するその内容一つ一つが、馬鹿馬鹿しかった。


「お前、大丈夫か?」


「何がよ?ガキ」


「頭」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯あ、ははは、はは⋯⋯。え?なに?私今、憐れまれてるの?!この、ここ、こ、この私が⋯⋯人間の子供に?んな馬鹿なー!『龍』である、私が?!信じられないんですけど!こんなの斬首刑にしても気が収まらないんだけど?!」


 驚嘆と悲しみに暮れた⋯⋯そんな表情をして組んでた手脚は解かれる。


 そして頭を抱えて叫ぶ始末だ。


「⋯⋯うわぁぁ」


「その目を止めなさいよ!私は言っとくけど、本当の本当に、強いんだから!強いったら強いのーーー!」


 今度は脚をジタバタと上下に振って、手を赤ん坊のように振り回す。


 その仕草に僕は溜め息を零して、仕方ないと思い口にした。


「はいはい。分かった分かりましたよ。ツヨイネー。ヨッ日本一」


「こんな島国で一番なんて、馬鹿じゃないの!世界で一番なのーーーーッッ!!」


「面倒くさっ⋯⋯」


 自称世界最強の女の子はそれから十分もの間、喚き散らしながら僕にあれこれ武勇伝を語り継がせようとしてくるのであった。


  ━ ━ ━


 吟遊詩人《ほらふき》によるつまらない武勇伝から脱しようとした僕はお腹が空いてしまった。


 仕方ない、生きてる限りお腹は空いてしまうのだから。


 だが見計らったように目の前に居る赤髪の少女も腹を鳴らし、僕に何か一品作れと凄んでくる為、仕方なくキッチンへと向かった。


「何作ってくれるの?私のオススメはイタリアンパスタよ。ボンゴレとかね」


 在り来りだな。


 本当は麺もあるっちゃある。


 けど、要望通りの物を出すのは些か癪だった。


 既に僕の中ではこの高飛車な女の子は珍獣のような扱いであり、適当に時間を見計らって帰るように誘導したかった。


 その口実として食事という選択をしたのだが⋯⋯。


「ねぇー?まーーーだぁぁぁぁ?!」


 耳元でギャーギャー騒ぎながら、油を入れて熱しているフライパンに近付こうとするじゃじゃ馬娘。


「おーーい、まだですかーーー?」


 煽ってんのか、馬鹿にしたいのか。


 いずれにしてもこの女が愉快なぐらい微笑みながら僕の耳元で騒いでるのには変わりない。


 華奢な手が火の点火されているコンロに向けて伸びるのを身体を張って守りつつ、嬉々とした様子で僕の腕にしがみ付きながら距離がミリ単位も変わらない軽快なステップで床を踏み鳴らしている為に、コイツは三重の意味で邪魔だった。


「〜〜〜!」


「聞こえてるぅぅぅ?耳は飾り〜〜?」


「あーーもう!うっせんだよッ!」


 我慢は限界に達した。


 僕はガスを切って菜箸を置く。


 少しビクッと驚いた表情を浮かべるこの、煩い、喧しい、ウザイという三冠を制する女の着ているドレスの布地を掴み、リビングまで引っ張って行く。


「うわっ。何すんのよ!私の鱗に!」


「どう見ても服だ馬鹿!」


 掴んでいる箇所は右肩付近の少し膨らみがある箇所であり、布地を少し回すように捻って手と固定させるようにして逃げられないようにしていく。


「はァァァ?!度肝抜かすんじゃないわよ!本当の私はもっと勇ましくて悍ましくて、狡猾で、恐怖のどん底に落ちるようなとんでもない───」


「煩い!」


「きゃうんっ⋯⋯⋯⋯」


 言葉が終わる前にソファに投げ込んでやった。


 多少乱暴であったが、知ったこっちゃない。


 後になって手を火傷しました、ドレスに火が移りました、ではコイツの一生に関わる可能性だって出てくる。


「そこで大人しくしてろ!鬱陶しい。火傷だって危ねぇのによ。⋯⋯静かにしてろよな」


「なによー!アンタが私を楽しませるべきでしょ、私は龍なの!!分かるゥ!?」


「────ていう妄想だろ?はいはい、凄い凄い。カッチョイイね」


「絶対に信じてない!ちょっとー!」


 懲りずにまた立ち上がろうとするこの馬鹿は怒られてる自覚がないのだろう。


 振り返ってキッチンに戻ろうとした俺の視界を微かに黒のドレスが前に行こうとしたのが見えて、僕は再度女へ視線を向けた。


「⋯⋯⋯⋯⋯何よ、睨んじゃって⋯⋯ヤになっちゃうわ」


「なら、飯は家に帰ってから食べろ。ここで食うな」


「むーーー!」


 むくれた顔を見せるものの、僕はそれをスルーしてキッチンに戻った。


 途中、何度かソファの肘置きに踵をぶつけながら小粋なリズムを鳴らしながら鼻歌を唄ったり、クッションを天井に投げて遊んだりと自由奔放さが目立つのをチラチラと確認しながら、手早く料理を済ませていく。


 あの調子じゃあ絶対に数分もすればコッチに戻って来ると直感のようなものが囁いたからだ。


 溶き卵を投入し終えたフライパンに予約で炊飯して一時間以上経った白米を一合分だけ入れて、掻き混ぜていく。


(面倒い⋯⋯。あ、僕の分も準備しとこ)


 作る料理はスーパーで買い物中に決めたが、今日必要なオイスターソースが残り少ない。


「⋯⋯⋯⋯オイスターソース、少なめでいいよな」


 代用に醤油と鶏がらスープの粉末の量を少し足してしまえば問題無いだろう。


 そうと決まれば、パパっと冷蔵庫とキッチン隅にある調味料が入った小箱から必要な調味料を取り出していき、キッチン棚から醤油と料理酒を出した。


 そうこうしている内に水気がある程度飛び、卵による黄色の膨らみと米に向かってお手軽の物を振り掛けて、また混ぜる。


 そして、三分で出来る炒飯が完成した。


 手間取りたくないし、客とは言えあそこまでヘンテコな奴にはこれで十分だろう。


 小さく切ったベーコンブロックもなければ青ネギ刻みもない炒飯を皿に盛り付けて、スプーンを薬指と小指の間に挟んだ僕はリビングにある机に置こうとした。


 すると匂いに釣られたのか、クッションに顔を埋めていた筈のじゃじゃ馬娘の赤い髪がふわりと宙に舞ったようにも感じる程に豪快に起き上がった。


 側にある机を凝視して、卓上にある出来たて炒飯を見て目をキラキラとさせる。


「食べていいの?!」


「そりゃな。別に要らないなら──」


「いただきまぁーす!」


 僕の言葉を待たずして、スプーンを勝手にぶん取られてしまう。


 スプーンに乗せた量とは相反して、口を小さく開けて炒飯を食す。


 瞼はゆっくりと閉じられる。


 まるで毒味と言いたげにスプーンの上には掬った炒飯の米粒が半分以上が乗っていたが、それは別に不満でも気に障る事でもなんでもなかった。


 すぐに彼女は食事する以外に口を開いたからだ。


「う〜〜。何よ、召使いにはなれるじゃない!これ、なんて言うメニューなの?あ、待って当てるわ」


 この子⋯⋯貧乏舌だったりしないか。


 言っちゃなんだがかなり適当だぞ。


 必死に考える素振りをした彼女は、唸り声を上げてしばしすると、瞼をパッ!と開いてソファの横に立っている僕の方へと右手を差した。


「ピラフね!きっとそうよ!」


 間抜けなぐらいに外してやがる。


 バターも使ってないしコンソメも使っていない。


 炒飯よりもピラフの方が火加減は面倒いし時間も掛かるしでやりたくないんだよな。


 何より、コーンが要らない⋯⋯。


「ばーか外れ」


「馬鹿って言った!今、今馬鹿って言った!私、賢いのにーー!英智の知識があるのにぃぃぃ」


「へぇ、十八禁の知識があるのか、じゃあボンキュッボンのダイナマイトお姉さんの口説き方を教えてくれ」


「何言ってんの⋯⋯?エッチじゃなくて英智!日本人ってこんな馬鹿ばっかなの!?ムッくんも似たような事言うし」


 度々口にするこのムッくんって奴のイメージが本当に湧かない。


 男性なのは確定だろうけど、僕並みの馬鹿とは恐れを知らなんだ⋯⋯。


 社会を舐めてるとしか思えない。


「だから、ムッくんって誰だよ」


「ムッくんはムッくんよ。私がそう名付けた時点で、呼び名はそれ以外ない。覚える気もない」


「覚えられなかっただけなんじゃないの?」


 俺にはどうしても見栄を張ってるように見える。


 渾名は知ってる、けど本名は知らない。


 中々にレアな出会いと付き合いをしてきた場合、有り得ない話ではないと思う。


 それをコイツの口から出力された時、名付けた、それ以外ない、覚える気もない、という我儘が過ぎて半年後には謀反を起こされそうなお嬢様のような口振りになっているのではないか。


 きっとそうに違いない。


 間違ってたら、正解はどこだよ、広辞苑にでも書いてくれているのか?


 無かったら付け足しておいてくれ。


「失礼しちゃうわ。ご飯は美味しいのに、口は悪い、態度も悪い。オマケに感謝も謝罪も出来ない。アンタ本当に人間?」


「お前よりかはな」


 少なくてもお前に比べればマトモな人間である自覚はしている。


 社会性もあって、それなりにコミュニケーションを取り、こうしてご飯を恵んでいる。


 なんだよそれ、僕って奴は人間の鏡じゃないか。


 だが、彼女にとってはそんな僕の自己評価というものはどうでも良いらしい。


「成程、つまり下等って事ね。よく分かったわ!」


 ここまでいくとむしろ感心してしまう。


「───マジでお前なんなの?同じ人間をそこまで馬鹿に出来るのも一種の才能だぞ?」


「なにそれ?」


「え?」


「私がアンタと同じ人間なんていつ言ったのよ?」


 人種の話か?白人、黒人的な⋯⋯。


 それとも性別の話だったか。


 どちらにしても社会問題になったテーマですね、お帰り頂きたい。


 僕には荷が重い訳でして、はい。


「この髪色見て分かんない?これが染髪した色に見えるの?」


 そう言いながら後ろ髪を指で梳くようにして見せびらかす。


「うん、見える」


 確かに綺麗な赤色なのは認めよう。


 でも、これが地毛って⋯⋯アイルランド人の赤毛よりも鮮やかな赤色となると、着色料を使ってイメチェンした女子というのが真っ先に浮かび上がる訳なんだが。


「目利きも悪いのかぁー。ヤになっちゃう」


 そう呆れた口調で溜め息まで吐いたこの小娘に僕はイラッときた。


 大体、百人聞いても百人が染めたと言うに決まっているような問題において、第一解答者が正解出来る確率なんてゼロに決まってる。


 それをさも僕が悪いみたいな風潮で口にされたのは素直に頭に来た。


「そう!じゃあもう食うな!」


「あ〜〜なんでよ!私の物なのよ!私が受け取ったら、それは古今東西、あらゆる時代を跨いでも私の物なの!」


 皿をお下げしてあげようと手を伸ばした僕の手を払い、炒飯がまだ九割も残っている皿を全身で庇うように前屈み。


 顔はコチラをチラッと向けて、大事な玩具を取られないようにする子供のように泣きそうだった。


「お前、ジャイアニズムの最終形態か何かか?怖いぞ⋯⋯、そしてヤバい奴だ⋯⋯。クソッ、なんでこんな奴に料理振舞っちまったんだ僕は⋯⋯」


「はむ。何よ、悲しい顔しちゃって、泣きたいのはコレを取られそうになった私よ」


 僕に強奪されまいと、スプーンを音を鳴らし滑らせながら炒飯を口に放り込んでいく。


 それでも一口が小さい為、全然が減っていない。


 何より、リスやハムスターのように口に大量に含ませた状態で喋りやがるから、机の方に米粒が飛びやがった⋯⋯。


 小学生でももっとマトモに食うぞ、絶対。


「食いながら喋るな、米粒飛んでんだよ。⋯⋯ちゃんと舐め取れよ」


「はいはい、食べれば良いんでしょ。まったく、あの子の家ではそんな事言われないのに⋯⋯」


 面倒臭そうにしながら皿を置いて、机の上に飛ばしてしまった米粒へ顔を近付けて、舐め取りやがった⋯⋯。


 僕は察した、こいつは正気じゃないと。


「ガチで舐めんなよ⋯⋯」


 多分、本気で心の奥底から出た言葉だったのをピクッと動いた耳が感じ取ったのだろう。


 不満気な顔をさせてスプーンを僕に差してくる。


「はァ?!アンタ頭パッパラパーなの?アンタが言ったんじゃん!」


 コイツとの会話では冗談も口に出来ないのか。


 何とも言えない感情がフツフツと湧いてくる。


 時間にして二十一時過ぎ。


 こんな夜中にこんな奴と自宅に居る、それが堪らなく僕の頭を掻き乱していき、思わず頭を抱えた。


「あーーーー!なんでこんな馬鹿とぉぉぉ!」


「あー!また馬鹿って言ったッ!」


 多少なりとも不貞腐れた彼女であったが、文句を言いながら、そして、文句を言われながらも時間は均等に過ぎていく。


 進むペースは早いのに、掬った量が少ない米粒がその時間の経過を遅くしているようにも感じる。


 ようやく冷めた炒飯を彼女が食べ終わった頃、既に自分の料理を作るという事を失念していた僕はソファでテレビを見ながらコイツの動向を観察していた。


 小さく合掌の音が鳴り、机に向かって声を出す。


「ご馳走様。そうね、及第点よ。味は良いけど食感がイマイチね。もうちょっと炒めたら?ねちゃっとしてたわよ?えぇとなんだってこのメニュー⋯⋯」


「お前、僕が作ってる横で散々喚いてたろ⋯⋯。忘れてねぇかんな?」


「あ、いや⋯⋯それは、あの⋯⋯。アンタ見てたらお腹空いちゃって」


「怖ァ!カニバニズムって奴か!?」


 カニバニズムと言っても、本当の方はバックボーンが悲惨だったり、宗教的な取り組みの中で生まれたものだったりするからコイツに比べればまだ理解はともかく納得は出来る。


 けど、コイツの場合は趣味嗜好の枠組みの内から出た言葉にも感じてしまい、より恐怖心を煽ってくる。


 新手のイジメと言われても文句のない程、彼女の言葉は透き通っていた。


 普通は冗談に聞こえる言葉や単語の筈なのだが、コイツの言葉にはそれが妙なぐらいに信憑性というものを感じさせる。


 早い話、人か否かを疑心暗鬼にさせられた。


「ん?何よ。雑食よ、私?」


「当たり前なんだよ、それは」


 いや、本当はもう気付いてる──。


 でも、なんで関わろうとするのか、自分でも分からない。


 ソファに座って観察?なんでキッチンに入ってからやらなかった。


 どうしても気になってしまう。


 その感情があまりにも歪だと感じながら⋯⋯。


「それで、なんてメニューなのっ?!」


「炒飯だよ。手軽ですぐ出来るから作ったんだよ」


 納得したように頷いた彼女は机の上をジロジロと確認し始めて、何やら不服そうに口を尖らせる。


「ちょっと、アンタの分は?」


「僕はもっとマトモなの作るから、時間掛かるんだよ」


「何よそれ!ズルい!アレより美味しいのがあるんなら提供しなさいよ」


 コイツ散々口にしときながらその言い草はなんだ。


 それに提供って⋯⋯お恵みの間違いだろうに。


「嫌だよ!人の料理にケチ付ける喧しいだけの女に作ってやる義理があるかよ」


「や、喧しい⋯⋯。同族間でも言われた事ないのに⋯⋯」


 少し、動揺した素振りを見せた。


 ゆっくりと床に向かって落ちていく視線を辿るように俺も彼女の目線を追う。


 けど、あるのはクッションを尻の上に敷き、正座で座っている彼女の脚と着ているドレスのみ。


 扇を広げたようにスカートの前方の裾は床に付いて、後ろ側はしっかりとお尻と脚で挟み込むようにしている。


 右脚には長い黒ソックス、左脚は短い黒ソックスという異端でありつつも纏まった凸凹具合いが彼女の起伏さにも似ていた。


 少しすると、彼女の顔は一気にコチラを睨むように見つめられる。


「アンタ、さては私の事をナメてるでしょ!」


「舐めたのはお前だろ?机をだけど」


「そう言う発言がだってのよーーッ!」


 どうしようもない子供のように感じた。


 我儘でありながらも、自分なりのポリシーというか基準のようなものは踏み外さない、それが彼女なのだと思い知らされる。


 僕は青白い肌をした男に買い物帰りに襲われた。


 けど、舞喜の為に買ったコップも食材も、そして僕自身も家に着いていた訳だが、彼女が運んでくれた以外の結論に思い至る事はなくて。


 自転車で帰るにしても何故僕の家を知っていたか、どうして助けたのか、曖昧で不鮮明な部分は尽きない。


「じゃあじゃあ、せめて見させてよ!その様子!」


 僕は突然やってきた声に驚いて正面を見ると、身長差というのもあって彼女は僕を見上げていた。


 けど、距離だけが違う。


 クッションに全身を預けるのを放棄した彼女は僅か三センチ程度の余白を間に残して僕の前に立っていた。


 遊園地に連れて行ってくれる子供のように目を輝かせながら口にした言葉に僕は息を吐く。


「いや、面白い事があると思うのか?」


「良いから!見・せ・て!」


「────はいはい」


 圧に屈した、傍から見ればきっとそうなんだろうし、彼女もグッと拳を握ってガッツポーズしている始末。


 でも僕の中では少し違う。


 なんと言えば良いんだろうか、言語が難しいその感情と思考は渦巻いている。


 だが、何故かその感情と思考を整理する余裕と予断を敢えて掻き消したかった。


 きっと至ってしまう、理解も納得も経た上で受け入れてしまう。


 それに対して何時までも感情が収まず、警鐘を鳴らし続けている。


 ──警戒心が『止まれ』と叫び続けていた。


  ━ ━ ━


「ちょっと、肉焼かないの?」


 洗ったばかりのフライパンを手に持つ僕にそう口にした赤髪の女の子。


 リビングからキッチンに向かって照らされる照明はその髪色をより鮮明に映し出している。


「漬けてんだよ。醤油と料理酒で」


「下味ってやつ?」


「なんだ、知ってるんじゃんか」


 既に解し終えてボウルに入れた牛肉の小間切れは下味用に加えた醤油と料理酒によって多少浸っている。


 というか、彼女が下味なんて言葉を知っている事の方が驚きだ。


 キッチンの中で喚く奴が料理をした事があるとは結び付かない。


 だから、知識は皆無と紐付いていた。


「そういうのって面倒くさがって普通やらなくない?」


「いや、人に寄るだろ。やる人はやるし、しない人はしない」


 小間切れ肉を五分から十分程度漬けて置く必要がある為、僕はキッチンを離れる。


 それにそろそろ聞かなければならない。


 なぁなぁで済ませても、それはそれで良かったのだが、僕自身も目覚めてから随分と落ち着いた事による余裕の表れがあったんだと思う。


 ゆとりがないとあんなのを受け入れるなんて、無理があり過ぎる。


 一向に料理を始めない僕に訝しんだ視線を送る彼女は僕が床に座ると、ソファに置いたクッションを改めて床に置いて、座り込んだ。


「さてと──で、アレなんだったんだ?」


 完全に言葉足らずな物言いをした、そう思っていたのだが⋯⋯。


「アレはね『怪異』って言うのよ」


 伝わった。


 そして、その名称に僕は少し考える素振りを見せた。


「『怪異』?それって化け物とか、魑魅魍魎の類い的なあれか?」


 河童だとか、麻疹の神だったり、龍だったりの『怪異』⋯⋯つまりそういう類いの話をしている。


 けど、イマイチ呑み込めなかった。


「はっ。馬ッ鹿馬鹿しい。西暦幾つだと思ってんだ?年号は?⋯⋯こんな現代に魑魅魍魎とか、阿呆らしいだろ」


 スマホもあって、監視カメラも至る所に設置されて、SNSで情報の交換が容易なこの現代において魑魅魍魎を信じろと言うのがどうかしている。


 僕は呆れた。


 まだ牛肉はちゃんと下味の調味料が染み込んでいない。


 いっそキッチンで待とうか、そう思い立ち上がろうとした。


「じゃあ、アンタは私を否定するのね?」


「はぁ?」


「私も魑魅魍魎の類いなんだけど?」


 僕の想像する魑魅魍魎とは、人を襲い、社会を危ぶみ、安寧を崩す要因⋯⋯そんな認識であった。


 だが、この女の子はどうだろうか。


 たしかにアスファルトに縦に伸びた風穴を空けられる程、力に満ち溢れたモンスターなのだろう。


 そこに否定もないし、言動や行動には歳不相応を感じる。


 それでもコイツは僕を助けているし、青白い肌をしたあの男の方がより凶悪に思えた。


 見た目ならばただの女の子。


 喧しくて、図々しいまである言動と落ち着きない行動や仕草が目立つ中、僕はコイツに悪感情を向けられない。


 魑魅魍魎ってのは、忌み嫌う存在だと認識している。


 人にとっては基本的に害であって、良いとされる存在もその立場があるからそうしているに過ぎない。


 コイツがこの枠組みにいるのだとしたら、何になる?


『座敷わらし』みたいなタイプとか?


 いや無いな⋯⋯コイツが『座敷わらし』みたいに騒音起こす代わりに福を呼ぶような奴には見えない。


 じゃあ『鈴彦姫』のような扱いならどうだろうか。


 ⋯⋯⋯⋯無いな、もっと無い。


 コイツは魑魅魍魎には含まれない。


 名乗ってるだけ、語ってるだけ、騙るだけの奴だ。


 ⋯⋯⋯⋯そうしよう。


「にしては、馬鹿じゃんかよ」


「んんーー!!こういう事じゃないわよーー!」


 僕の言葉に憤慨した様子を見せた彼女は机をバシバシと掌で叩く。


「いい?!私は『龍』なの!正真正銘の『龍』で、人を脅かす存在なの!分かった?!」


「お前、なんかアレだな。僕は悪い子だよ〜って言って、構って貰おうとしてるガキみたいだな」


 特に小学校六年生から中二までにありそうな感じのアレだ。


 構ってちゃんなんて親からの愛情が足りてないと学者は言うけど、僕なんて見てみろ。


 親から受ける愛情に警戒して危機感と畏怖感を張り巡らせているんだぞ。


 そんな奴があんな奴等からの愛情を欲して構ってちゃんなんてする訳がない。


 むしろ、愛情の形が千差万別だと知ってるから受け取りたくないまである。


 いつ起爆するか、たまったもんじゃない。


「い〜い?!アンタを殺さないのは情け!分かるぅ?アンタが死んだらムッくんの人生観が変わる恐れがあるの!万が一にもそんな事になったら、最終的に私の寝床が無くなるの!」


 大変そうだな、と軽く思う。


 正直、他人事だからだ。


 僕はコイツの言うムッくんを知らない。


 コイツの寝床という言い方からして頑張ってるんだなぁ、ぐらいの感覚で視線を逸らす。


 絶対に悟られないように。


「はいはい。左様で⋯⋯」


「し、信じてない⋯⋯。嘘でしょ」


 こんな奴初めてだ、と言いたげに驚愕している彼女の顔色を窺う僕。


 何処かにある冷水の溜まったバケツに身を投げ出したい気持ちに襲われた。


 顔をずっぷりとバケツの中に入れて、冷やしたかった。


(⋯⋯⋯⋯不整脈?)


 いや、まさかな。


 こんな品行方正の塊のような男が不整脈なんて神様が居るのだとしたらキレ散らかす。


 もっと優遇しろと⋯⋯。


「で?その魑魅魍魎(笑)がどうして僕の所に来たんだよ」


「アンタ小馬鹿にしてるでしょ」


「信じてないからな」


「自分の目で見たものを否定するなんて、人間は滑稽ね」


 肘を机に置き、そう嘲笑した彼女は続けた。


「薄々気付いてるんでしょ。普通じゃないから誤魔化そうとしてる⋯⋯。私にはそう見えるけど?」


「⋯⋯⋯⋯」


 何も言えなかった。


 見透かされているように僕に視線を寄越して瞼を絞ったように細める彼女は⋯⋯笑っていた。


「図星って訳ね。そうよ、そのぐらい素直でいなさいよ。ホント情けないわね」


「お前が魑魅魍魎の類いっていうのは⋯⋯『龍』だからか?」


「そうよ、神を唯一殺《く》える存在。人の営みを害して恨まれて、憎まれ、嫉みにされる存在。それが『龍』よ。アンタだって世間での『龍』の扱われ方ぐらいは知ってるでしょ?」


「いや、大して知らんが」


「⋯⋯⋯そ」


 そうポツリと口にした彼女は、僕から視線を外して、窓側へと顔を向ける。


 顎は手に乗せられて、何処か落ち着かなさそうな雰囲気もある彼女に僕は悟った。


「おい、今世間知らずって思わなかったか?」


「べっつに〜」


 少し笑みが零れたまま話す彼女に少しイラッとした僕は机の上を指で数度鳴らして、意識を向けされようとする。


「コッチ見ろよ」


「アンタ、なんでそんな馴れ馴れしいのよ。許可した覚えないわよ?」


 ようやく僕の方に向けられた顔は少し不貞腐れたようにも見えた。


 なんでお前がそんな顔をするんだろうか、僕は素直にそう言いたかったが、それ以上に口にしたい事を声に乗せる。


「知るかよ。こんなじゃじゃ馬娘みたいな言動と行動をされたら、気が抜けるんだよ」


「何よ!私のせいだって言いたいの!?」


 前屈みにこちらに寄る彼女の顔をグッと手で押して寄らせないようにする。


 何故こうも距離が近いのか⋯⋯。


 両手を伸ばして抵抗しているが、ギリギリ届かない彼女の手の指は意外とちゃんと手入れがされているようで、爪も綺麗だった。


 まぁ、僕が手を使って頬を押して不細工顔にしてしまっているせいで違和感しかないが。


「事実そうなんだよ!あの部屋に入った時の圧が何か消えちまったんだよ!お前の馬鹿な発言のせいで!」


「そ、そんな⋯⋯威厳が⋯⋯私の厳格な態度が⋯⋯無駄になったって言いたいの?!」


 前に寄ろうとした彼女の身体は途端に後退りし始める。


 僕の手から離れる彼女の顔からは驚愕の二文字に埋め尽くされて、尻の下に敷いていたクッションからずり落ちる形で仰向けに倒れた。


「何やってんだ⋯⋯」


「ううぅ。イジメられた!」


「イジメてねぇよ!止めろ、事実無根なんて最低だぞ?!」


 シクシクと泣くフリをして、最後にチラッとコチラを窺うように見て、また泣くフリをして⋯⋯。


「お前、アレが厳格なつもりだったのか⋯⋯」


 そんな阿呆な構ってちゃんのような行動を三、四度繰り返した彼女に向かって床に敷かれてるまだ温かいクッションを投げた。


「ふがっ⋯⋯⋯。っ!何よ、何よ!三百年前のイギリスに居た王様があんな感じだったのよ!悪い?!真似ただけよ!文句あるの!?」


 顔に当たったクッションを剥がして、勢いよく起き上がった彼女がそう口にするものの、僕は若干引いていた。


「うわぁ〜。イギリスへの熱過ぎる風評被害⋯⋯最低だなお前」


「私のせいじゃないもん!悪いのは人だもん!」


 そんな着地点の見当たらない口論をする事、五分。


「本題に戻りましょう」


 と口にした彼女からの提案に乗る形で僕と彼女は再度床に座り直した。


「いい?『怪異』ってのは人の様々な感情とか要因によって生まれるの。嬉しい感情、悲しい記憶、酷い経験や憎む対象。それら全ての要因が『怪異』を生み出すの」


 そんなの大なり小なり人間ならば誰もが発生する感情であり思いだ。


「じゃあ、そこら中に『怪異』は居るって事か?」


「そうよ。でも、一朝一夕には生まれない。因習とか伝統とかのように長い年月を掛けて生まれた『怪異』も居るってだけ」


 噂や伝奇の類いが人から人に伝わって、怖がったり言い伝えられて信憑性のあるようになっていくと、存在が確立する⋯⋯そんなイメージか?


「逆にその日のその瞬間に起きた出来事で急激に膨らんだ感情によって生まれる場合もある。交通事故とか殺人とか大切な物を見知らぬ他人に謂れもなく壊されたりとか、そういう時」


「⋯⋯生物なのか?」


「一概には言えない。マチマチだもの。概念的存在だったり、ちゃんと個として整ってる奴もいる。───そして私のような美少女もね!」


 だとしたら、あの男は何が理由で『怪異』になったんだろうか。


 伝承や噂話が軸だとしても僕はそれほど詳しくない。


「じゃあ⋯⋯あの男は⋯⋯?」


「あ、あれ⋯⋯スルー?」


 何か言っていたようだけど、それはどうでもいい。


 僕が知りたいのは彼女が持ってる情報だ。


 あの男が何故僕を襲ったのか、その理由が知りたかった。


「ゴホンッ⋯⋯。アレは『怪異』の中でも長い間時間を掛けて生まれた存在⋯⋯の筈⋯⋯」


「は?お前、アイツの正体の目星が付いていないのか?」


「う、うっさいわね!最近になってやたらと変なのが増えたの!そんなの一々調べてらんないのよ!」


 逆ギレされてしまった。


 けど、コイツはコイツなりに調べようとしているという事は分かった。


「アンタみたいに被害に遭ったケースはこの街だけなら急増中。つまり、私がアンタの命を救った事をもっと讃えるべきなのよ、分かった?」


 小さく震える手を僕に向けて、人差し指で差す。


 ぎこちなく口角を上げつつ無理しているようにも感じるその表情は、何を感じて、何を思ってなのか、計り知れない。


「じゃあ⋯⋯お前はどんだけ時間掛けて生まれた『怪異』なんだよ」


「⋯⋯そうね、ざっと二千年辺りじゃないかしら」


「クソババアじゃねぇか」


 ボソッと呟いたつもりだった。


 突如、急速に寄った彼女に肩を掴まれて思わず顔を上げる。


 そこには、なんとかして笑おうとしつつもやっぱり全ては抑えられずに怒りが漏れたような顔をさせた彼女の顔が間近くにあった。


「おいぃぃ、口を慎見なさいよぉぉ⋯⋯私はレディィィィ。良い?」


 二千歳でレディ⋯⋯か、無茶だな⋯⋯。


 化粧している風には見えない。


 僅かに甘い香りが鼻腔を擽るものの、それは体臭だろう。


 なんなの、コイツは龍と聞いていたが『フルーツドラゴン』なの?


 サボテンで果実でプッチプチなの?


 重心が後ろに向く勢いで掴まれたままでは倒れてしまうと感じ、僕は肩を掴んだ彼女の手を掴み返して、振り払った。


「若作りかよ。⋯⋯悲しいなぁ。実年齢を考えられないなんて」


「老化しないもの。人間と違って肌は常にぷるんぷるんなの!」


 ぷるんぷるん、ね。


 立ち上がっている彼女の顔から下に視線を落としていく。


 たしかに若い肉体って奴なのかもしれない。


 けど、二千年も同じ身体だと仮定すれば、コイツ成長しないって事だ⋯⋯。


 すると、目の前に居る成長期が疾うの昔に終わってしまった彼女は胸元を両腕で隠しだした。


「────おい、視線を上に向けなさいよ。その憐れんだ目で私の胸部を見ないでよ!」


 ポカポカと力が入ってるのか入ってないのか絶妙な加減で頭やら肩を叩いてくる。


「だ、だって!成長しないとか、残酷だろ!可哀想に⋯⋯」


「憐れむなぁ〜〜〜!」


 泣きそうな表情を浮かべながら悲痛にも似た叫びを上げた彼女。


 どうやら気にはしているらしい。


 母さんがこっそり使ってるバストサイズを増やせるとか言う機器、あげようかな。


 どうせあんな年増が使っても需要ないだろうし。


 机の上にあるティッシュ箱に手を伸ばし手に取る。


 すぐさまそれを差し出すと、僕への可愛らしい攻撃は止めてティッシュ箱を両手で持ち、一枚抜き取る。


 ティッシュ箱は不服そうな顔をしながら音を立てて置かれた。


 鼻を啜りながら顔を赤くさせた彼女は再度座り込む。


 これで何度目かの仕切り直しが行われ、ゴミ箱に鼻水をかんだティッシュ投げ入れた事で会話は再開した。


「お前、人生経験豊富そうな年齢しといて、なんでガキっぽいんだ?」


「『怪異』はね、価値観が変わらないの。生き方とか在り方がズレるだけでその本質は揺るがない」


 急に哲学が頭を支配した。


 けど、哲学なんて専門学がないと取り込める訳もなくて、入り込んだ言葉は弾き出されて、代わりに僕は首を傾げて口角をぎこちなく上げる。


「分かりやすく言えば、カレーって食べ物があるでしょ?『甘辛』と『中辛』と『激辛』が三つあって、一番好ましいと思ってるのは『中辛』とする。でも『中辛』だけがない店に入っちゃった。それでもカレーは食べたい。だから妥協はして『甘辛』か『激辛』の二択を選ぶ事にする」


 右手を『甘辛』左手を『激辛』とした彼女の手は動く、動く。


「けどね、結局一番好きなのは変わらず『中辛』だから、その『中辛』が置いてなかった場所に『中辛』が販売されたら迷わず頼む。そして、他は頼まなくなる。それしか要らないもの⋯⋯って話」


 ⋯⋯⋯⋯成程、分からない。


 何が分からないって、彼女の話した内容を纏めると、それは『価値観』だという点だ。


 価値基準ってのは物差しの話だと僕は思う。


 定時で帰りたい男が素直に定時で上がるとする。


 その男は残業なんて必要としてないし、手当にも興味がない。


 でも、残業をしている人はそんな男を見て羨むし、少し妬む。


 何故なら、残業手当がある前提で給与を貰いたい、でも身体は疲れる一方で早く切り上げたい気持ちもあるからだ。


 定時で帰った男もそれを妬む人達もそれぞれに『価値観』がある、つまり『個々の優先順位』が価値観というもの。


『価値基準』とは、残業手当がある方が良いか否か、早く帰った方が良いか否か、その『天秤をどちらに傾かせるかの判断をする物差し』そのものを言う。


 これに当てはめると、この女の言ってる事は『価値観』だ。


 基準と言うなら組織的な社会的な物差しを示さなければならない。


 だから『甘辛』やら『激辛』と言っていたが、二択の内どれを選んだかも言っていないし、なんで『中辛』かの説明もない。


(コイツ⋯⋯説明下手なタイプか?)


 躊躇う事なく顰め面になった僕は口を開く。


「待ってくれ。それ『価値観』の話だよな?価値基準って言えるか?もはや好き嫌いじゃねぇか。カレーは大好きでシチューは普通ぐらい、でも安いのがシチューだった⋯⋯とかの話なら理解出来たんだが?」


「言えるわ。だって、取捨選択をするのが価値基準でしょうに」


「⋯⋯そうか?価値基準って残しつつ大事な物は上、そうじゃないものは下って感じで⋯⋯捨てたりとかじゃないだろ?」


「でも、上の物を取ったら下の物は見劣りする。それは価値を正しく捨ててるの」


「いやいや、価値は捨ててないだろ。ただ寄っただけだ。傾いたって言ってもいい。捨ててる訳じゃない」


 天秤として例えたのもそこからだろう。


 アレは消した訳ではなくて、あくまでも置いただけ。


 拾った物が大事だったから、要らないと判断した物を一時的に預けたと言ってもいい。


 また拾えるから大丈夫だと、言い聞かせるように。


「何よ、ケチ付けちゃって⋯⋯⋯⋯。実際に価値観変わらなかったんだから仕方ないでしょ?そうとしか表現出来ないんだし」


「て、言われてもな⋯⋯。僕もお前を知らない」


「あ、そっか⋯⋯。名乗ってなかったわね。はい、名乗りなさい」


「は?」


 唐突な自己紹介をさせられそうになっている。


 すまない、何処か僕は聞き逃しでもしてしまったのだろうか。


 あまりにも突然の事で着いていけない⋯⋯。


「何よ?私の事を知りたいって言ったのアンタからじゃない」


「いや、言ってねぇよ」


「いいえ言ったわ。はい、名乗る!」


 嬉々として間違いを認めないコイツに圧《お》された形だった。


 これは諦めるしかない、そう自分を納得させるように溜め息を吐く。


「滅茶苦茶だ⋯⋯コイツ⋯⋯。───桐江准だ」


「えぇ、知ってたわ!ムッくんに聞いてたもの!」


 自己紹介の直後、本当に瞬間とも言えるぐらいの速度でそう言われた⋯⋯。


「殴るぞォ!」


 思わず拳を上に掲げて、振りかぶろうとする。


「レディを殴るなんて、恥を知りなさいよ」


 普通は身体を後退させて逃げる手筈を整えるのだろうが『龍』は何処か僕達人間とは違うようで、僕が上げた腕を掴みに掛かり、制止するように彼女は近付いて来た。


「ふん。ジェントルマンに会いたきゃ英国に行ってこいよ!お前、多分捨てられんぞ!英国の価値基準でな!」


「ん〜〜〜!!んな事ないもん!私、レディ出来るもん!」


「もんもんうっせぇぞ」


「なんでそんな事言われなきゃならないのよーー!私、龍なのに〜〜ッ」


 泣きべそが始まってしまった。


 今日だけでかなり泣かせてる気がするが、如何なものか。


 僕が悪いのか?いや、悪くない筈だ。


 どっちかと言えばコイツの方に問題がある。


「早く名乗れよ⋯⋯。もんもんモンスター。もんちゃんとでも呼んでやろうか?」


「う〜〜。それはちょっと有り⋯⋯」


「巫山戯てねぇで言えよッ!」


 腕を目元に当てて、涙を擦るように拭き取る。


「ふっ───と!」


 すると座った体勢のまま、目の前で天井近くまで跳んでみせると流れるように身体をクルクルと回して、ソファに見事に着地。


 最後に新体操選手のように両手を横に広げた。


 ここまでなら、カッコイイー!と絶賛出来たんだが、腕を組んでコチラを見ながら盛大なドヤ顔をかましてしまったのが、本当にダサく感じた。


 もったいない⋯⋯。


「私の名前は睦生六華!今はそう名を通してるわ!特別に六華様、六華殿、ミス六華とか敬う敬称ならなんでもあり!」


「あ、漬け置きもういいかな⋯⋯」


 下味として漬けていた牛肉は未だにボールの中。


 完全に忘れてしまう所だった、危ない危ない。


「あーーー、ちょっと!私の偉大で尊大な名乗りを今、ご飯作る為だけにスルーしたッ?!スルーしたわよね!?」


「スルーしてねぇよ。もんもんモンスター」


「もんちゃんでもない⋯⋯」


 けど、僕は聴き逃していない。


 たとえ、コイツの名乗りや名前よりも自分のご飯の方が大事なのは事実だったとしてもだ。


(むつき?⋯⋯⋯⋯いや、まさか。でも、妹居るって⋯⋯嘘だよな?アイツの妹って事は⋯⋯アイツも『怪異』って奴なのか?⋯⋯⋯⋯嘘だよな?)


 あのお人好しのサッカー部への入部希望者である所の睦生嶺二──アイツには妹が居ると今日の学校帰りに耳にしている。


 同姓の可能性というのに是非期待したいが⋯⋯。


 キッチンへ向かった僕は手を洗い、ちょこちょこと着いて来た六華による期待の視線を浴びせられながら調理を開始した。


 ボールの中にある牛肉に予めキッチン台に置いてあった片栗粉をまぶして手で解していく。


「そ、その白い粉はなに?!まさか、昔流行って戦争まで起きたって言う──」


「違います。片栗粉です。なんでアヘンなんだよ。だったら大学とか薬剤師の方だろうが」


「あー、昔痛み止めに使ってたんでしょ?」


「昔ってか今も使ってるだろ?薄めたりしてさ」


「人間は愚かなの⋯⋯?」


『人の歴史は争いの歴史』なんて言われるぐらいに凄惨な歴史が多い事この上ない訳だが、僕を見てお腹が空いたとか宣《のたま》う奴には言われたくない。


「流用出来るなら、そうしたいんだよ。簡単に都合の良い物は手に入らないって知ってるから⋯⋯」


 新しく何かを作る偉大さをより深める物言いだと、自覚している。


 何かしらの生産性がある訳でもない僕がそう口にするのはかなり滑稽な事だと分かっていて、口を走られた。


 ピーマンを縦に切った後、種とヘタをくり抜いて、細切りにしていく。


「へぇ⋯⋯改めて見ると手際⋯⋯良いわね」


「慣れてる物作ってるからな。そりゃぎこちなさはないだろ」


「その黄色というか白いのは何?」


 コンロの火を付けて、牛肉を入れたボウルとは別に用意していたボールに視線が向かった六華は指を差す。


「タケノコ」


 縦に細切れとなっている水煮のタケノコが入っているそのボールを指差していた六華は恐怖で慄いたような表情をして、僕の肩を掴む。


 急激にやってきた重さにタケノコが入ったボウルを手に取ろうとする腕はピタリと止まる。


「キノコと⋯⋯戦争を⋯⋯」


「それチョコ菓子の話だ。安心しろ、お前がキノコに行ったら僕はタケノコに行ってやる」


「なんで争う前提なのよ⋯⋯。なんでキノコが好きって知ってるのよ⋯⋯。まさか⋯⋯ファン!?」


「油をその目に注ぎてぇ⋯⋯」


「やめなさいよ!失明はしなくても、匂いは落ちないのよ!」


 実体験がおありなのだろうか。


 まるで拷問のような事を受けた試しがあるような口振りだった。


「だいたい、竹の子供を摘み取るなんて⋯⋯。魚には優しいのにどうしてこの子ばかり」


 魚は一匹子供を逃すと、大きくなって子供を生ませて大人を食うという、合理的なキャッチアンドリリースが存在するから仕方ない。


 しなかったら絶滅しちゃう。


「美味しいからだろ?竹になられると食えねぇし。良くて水筒ぐらいだろ、使い道なんて」


「に、人間の怖い要素がてんこ盛りね⋯⋯」


 苦い顔をさせた六華はまな板にあるピーマンに目が離せない様子であり、何事かと思い彼女の方へ向くと恐る恐るといった具合いに聞いてくる。


「そ、それはピーマン⋯⋯よね?パプリカと間違えたって事はなくて?苦くて⋯⋯とても食えたもんじゃないわよ?」


「いや、間違ってませんよ。何言ってんの?」


 熱したフライパンにピーマンとタケノコをぶち込んで均等に火が通るように菜箸で少し混ぜながら、調味料を作っていく僕を訝しんだ様子で見つめる六華は軽い悲鳴が上がっていた。


「なんなのさ、苦手なのか?ピーマン⋯⋯」


 僕も単体では無理だが、料理の具材としては普通に食える。


 苦味が今回の料理では活かされるのだから、間違っても冷水で浸して置いておくなんて愚行は出来ない。


「こんな苦味しかない化け物みたいな野菜を食すなんて⋯⋯正気の沙汰じゃないわ」


 そう言って一歩引いた彼女を気にする事なく、僕は淡々と調理を進めていく。


 熱したタケノコとピーマンにはボウルに戻し、塩胡椒を足した牛肉。


 それを再度油を足したフライパンに投下して炒めていく。


 狐色に仕上がったのを見計らい、タケノコとピーマンをフライパンに流し込み、作った調味料をフライパンに流し込み、掻き混ぜる。


 ポイントはしっかりとタレが全体に浸透して調味料の水気がほんの僅かに飛ぶ辺りで火を止めて、余熱で最後少し掻き混ぜるのがコツ。


 はい、完成。


 出来上がった僕の米のお供はフライパンの中。


 それを六華は興味深そうに顔を前にして覗かせた。


「これなに?」


「青椒肉絲《チンジャオロース》」


「ちん、じゃうろーす?知らないわね。日本の食べ物なの?」


「中国ですね」


 サンキュー中華人民共和国。


 正直、本家と味付けも匂いも見た目も随分変わってる可能性あるけど、僕はこっち派なんだ。


「アヘンで⋯⋯滅んだんじゃないの?!」


 僕以上に失礼な奴が横に居た。


「お前、マジで怒られてこい。多分、中国人もマジギレもんだから」


「⋯⋯⋯⋯⋯」


 物凄い見てくる。


 フライパンの中にある青椒肉絲が目新しいのか、感激の声を微かに漏らしながらじーっと見つめていた。


「⋯⋯食べるか?」


「え!良いの!──じゃあ、貰うわね」


「待て」


 僕はそっと彼女の顔の前に手を置いて制止させた。


 当然、不服そうな顔をしながらコチラを睨んでくる。


 僕の手と顔を交互に見て、膨れっ面をさせながら前屈みになっていた上半身は元の位置に戻っていく。


「⋯⋯⋯私、犬じゃなくて龍なんだけど?」


「いや、知らねぇよ。後この際犬でもいいよ」


「良くないわよッ?!」


 僕からすれば犬の方が楽だ。


 買いてぇな⋯⋯シェパード。


 んで、妹の世話を全部してもらおう。


 ある種、究極の指示待ち犬のシェパードならば退屈せずに妹の世話をしてくれる事だろう。


 母さん達は⋯⋯チワワ辺りに噛み付かれていて欲しい。


「ねぇ、まだ??」


 物寂しさが籠った声をして上目遣いをしてくる六華に僕は条件を出した。


「一口だ。一口食べたら帰れ」


「⋯⋯二口」


「一口」


「じゃあ一と四分の三」


「おいおい、魔法学校に行く為に使う駅のホーム数みたいなの出ちゃったよ⋯⋯」


 誰かコイツ魔法学校に連れて行ってやってくれ。


 喚きのギャートルみたいなキャラになれるから。


 堪えるように僕の腕を掴んで、じーっと見つめてくる。


 不服がありありと伝わるその表情に僕は溜め息を吐いてしまった。


「⋯⋯はぁ〜。二口」


「やったぁぁぁぁ!」


 満面の笑みを浮かべて、リビングに直行!


 そのまま、ここだ!と示すようにキッチンの方を見ながら机に待機している六華の為に、少し多めに取り分けた青椒肉絲を皿に盛り付けた。


「う〜〜。美味い!やっぱり召使いの才能があるわね!アンタ」


「左様で」


 なんて不名誉な⋯⋯。


 だが、流石に彼女には言えない。


 彼女は本当に信じているんだ、僕が一から炒飯を作ったのだと。


(言えない。コイツの炒飯、粉末状のレトルトで作った簡易的な奴だったって、言えない⋯⋯)


 所詮は簡易的なもの。


 急いで作ったものだし、味変仕様にもアイデアなんて浮かばなかった僕はベーコンも刻みネギもトッピングとして乗せずに渡したのだ。


 当然、青椒肉絲の方がしっかりしているに決まっている。


「ほら、アンタも食いなさいよ!」


「鼻っから僕のですけど?」


 米と一緒に青椒肉絲を食す僕の傍らでバクバクと小さな口で食べていく。


 多めに盛って正解だった。


 これなら、話し掛けられる時間を稼げる。


 正直、話し掛けられる度に妙な胸騒ぎが起きて、生きた心地がしなかったからだ。


 少し遅めの晩御飯を終わらせて、母さん達がそろそろ帰ってくる頃合いになると、六華は既に玄関の方へ移動しており、お見送りを待っていた。


「ご馳走様。また食べに来るわ」


「来なくていいです」


 しょぼれた顔しても駄目なものは駄目だ。


 偶々母さんが居なかったからアレだが、居れば査定が入ってとやかく聞いてくる。


 六華が帰った後も僕の方に詰め寄って来るに決まってる。


 舞喜が実際にその被害に遭って、友人を一人無くしてるのがいい証拠だ。


 将来は何処の高校に行って、何処に就職したいの?


 お父さんとお母さんは何されてる方なの?


 趣味は?やりたい事とかある?


 な〜んて事を本当に聞くのが母さんクオリティだ。


 流石毒親、子供の友人にまで被害を出すなんて才能あるな。


「そうよ、すっかり忘れてた」


「え?」


「アンタ、死にたくないならこの街出なさい」


 ドレスに見合った黒いヒールを履き終えた彼女が、真剣な表情で口にした言葉は少し理解に苦しんだ。


『街を出ろ』という簡単に見えて簡単ではないその言葉には妙な重みがあったのを心が理解する。


「え?なんで急に?」


「だって、この街、最近おかしいんだもの」


「おかしい?」


「今日見た事はただの始まりかもしれないって事。まさか毎回、自分の命が誰かに助けられる⋯⋯そんな都合の良い訳、ないわよね?」


 たしかに都合良く毎回犯罪が起きる場所に警察官なんて居ない。


 書類と睨めっこしたり、パトロールで別の場所に移動したりと様々な事に追われているのが警察官だ。


 彼女もそうだ。


 毎度毎度、僕を助けに来てくれる都合の良い存在、そんな風には思ってこそいないが、実際に口にされるとくるものがある。


「⋯⋯⋯⋯アレって危なかったのか?」


「危ないわね⋯⋯。だってあれ、触れた瞬間、吹き溜まりみたいなものを感じたんだもん」


「吹き溜まり?」


「────悪意の」


 静かに並べた言葉は妙な寒気を襲わせた。


 僕があの青白い肌をした男性に襲われたという事実は覆らない。


 あの時、僕は⋯⋯彼女が居なければ、どうなっていたんだろうか。


 考える事を放棄したかった。


 けど、一度思考してしまったその『もしも』は簡単には頭の外に追いやられてくれそうにはない。


「⋯⋯じゃあ、また明日会いましょ。それまでは大人しくしてなさい」


 また明日、そう言って彼女は玄関の扉を開けて、去って行った。


 近くまで送ろうか、なんて言葉は出なかった。


 僕よりも余っ程強いであろう彼女の傍に僕は要らないだろうと、誰もが理解出来る⋯⋯。


 誰よりも僕が⋯⋯納得してしまった。


 翌日、僕は祟良把《たたらば》と同じバスに乗り、学校へと向かう。


 あの青白い肌の男の事が脳裏を離れない。


『怪異』──そういった存在は実在すると、自らが証明するように、あの時の光景が何度も蘇る。


 雑談を交えながら祟良把と学校に到着した僕は昇降口で上履きに履き替えていると、外から二人でやって来る人物達が目に留まった。


「⋯⋯⋯え?⋯⋯⋯⋯嘘だろ」


 一人は睦生嶺二。


 昨日友人になったばかりのクラスメイトで気が良さそうな奴。


 きっちりとブレザーのボタンを留めて、チャリの鍵に付いたアクセサリーの輪っか部分を指で回している。


「あー!准!紹介するよ、妹の六華だ。ほら、挨拶」


「初めましてー!睦生六華でぇす!」


 ⋯⋯⋯⋯昨日出会ったばかりの『龍』が着崩したブレザーに短いスカート、白いソックスを履いている。


 更に驚くのは学生服だってのにカチューシャのように頭に黒くて細い布を巻いており、右側頭部辺りに蝶結びで固定していた。


 いや、何コイツ⋯⋯。


 学生服と死ぬ程似合ってない。


 そんな格好をしているコイツは何処か幼さのある、いやもっと言うと馬鹿そうな態度で舌をペロッと出しながらあざとさが目立つ様子をひけらかしている。


 ギャル路線に走ったらしい。


「キモ」


「なんでだ!准!俺の妹になにか不満でもあるってのか!!」


 肩を前後に揺らされて、必死に抗議する睦生にされるがままの僕はしっかりと見た。


 睦生の後方、一緒にやって来た自称なのか通称なのか知らんが『妹』としてやって来たこの女は⋯⋯。


 馬鹿笑いしてやがった。



はい六華改めて何時かの傷跡の登場です。


准くんが苦しむ為に用意した存在である為、死ぬまでコキ遣う予定です。

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