交渉
長いです!お気を付け下さい!
静けさが一向に止まない半径八メートル規模の空間の中、僕と軽井は笑撫さんとの交渉を始めた。
とはいえ、僕は交渉のエキスパートではないし、『交渉人准』なんて呼ばれ方もされた事は無いド素人。
ならどうするか───。
訴え掛ける!これしか無かった。
「桐江くん、マジでなんも分かっとらんのやな。暴走する危険性がある言うとんねん」
「じゃあ、それはどんな時ですか?」
笑撫さんの言う暴走する危険性というのは、どういった時に起こるものなのか、僕はまだ聞いていない。
そもそも、原発での被曝事故を例えに出していたけど、アレだって明確な理由と根拠があって、再発防止策だって検討されている。
それでも不安が拭えないと言われればその通りなのかもしれないが、藍莉と舞喜は原発じゃなく『人』だ。
機械仕掛けで生きている訳では無いのだから、具体的な案があれば対処法だって幾つかは導き出せる。
それが出来る範囲ならば試してみて、笑撫さんにその報告をして二人には危険性が無いと証明する事が出来れば、僕としても笑撫さんとしても安心出来ると、そう考えていた。
「『怪異』に具体的な対処なんて存在せんよ。そこに居る。んで、それに対しての対処は千差万別や。ウチかて闇雲に殴りまくっとる訳ちゃうしな」
「⋯⋯⋯⋯」
「それにや。ウチが言いたいんは『危険性』やない。『危険そのもの』の話や」
佇んでいた笑撫さんが胡座をかいて座り込んだ。
間近で見る笑撫さんは鋭い目尻と端正な顔付きで、思わず威圧的にも感じてしまう。
腰を曲げて、泣きぼくろのある左眼付近を指でそっとなぞる仕草をした笑撫さんは僕達から視線を外して座り込んだ地べたを見ている。
なのに、ここで殴り掛かっても勝てるビジョンが浮かんでこない。
「桐江くん、言動からして『怪異』の存在そのものは知っとるっぽいな。どんなのに会った?」
「え⋯⋯⋯えぇと」
「交渉なんやろ?せやったら、まずは様子見で世間話からや。なんでもすぐ本題入って、トントン拍子上手くいくなんざドラマだけやで。言うたやろ?世の中、そう甘ないって」
そう言われて納得した僕は今まで出会った事のある『怪異』⋯⋯というか『現象』の数をまず数えてみた。
最初からと言いたかったが、何分テンパっていたのもあって、後発から徐々に遡るように僕は数えていく。
「⋯⋯⋯えぇと、【審判者】と【時計】【夢に導く烏】【超能力の女】【犯罪教師】【五月病】【走馬悼】に【刃龍】と【夢龍】【赤い壁の染み】【迷子の羽付き人間】と【植物園の樹木】と⋯⋯【ヨハネの四騎士】ですかね、ざっとですけど」
指で数えて十三。
これに【翡翠色に光る象】と【心火】や『幽霊』といった言ったら拗れるようなものを含めると、二十ぐらいはあった。
これが一年間に出会った『現象』の数で、僕の高校生活に彩られた新しい色。
「自分、不幸体質かなんかか?生涯でそんな数会ってたら、呑まれんで?」
「呑まれる?」
「『怪異』っちゅうんは元来、人の想像力と空想の中から発生した存在やって言われとる。要は、アレ怖いなぁ、とか言うて学校にある人体模型を指差してて、数日間でその噂がクラスに広まったってするやろ?そうすると、その噂が実体化するんが『怪異』や」
それは朝倉さんからも聞いた事がある。
地球という枠組みに人の文明社会があれば、世界はそれを基準に考えて⋯⋯うんたらかんたら言ってた⋯⋯。
早い話、僕達の無意識にある恐怖心とか喜びを糧に世界が『現象』を生み出す手伝いをしてるって事だったはず。
けど『呑まれる』ってのはどういう事だ?
「人は想像力では産まれん。想像妊娠なんてあるけど、あれかて一種の身体的機能による弊害や。実際に子供がおる訳ちゃうやろ?」
途端に笑撫さんの雰囲気が変わった。
なんというか、悲壮感にも似た何かを感じてしまい、僕は息を呑む。
「けど、稀に居るんよ。『怪異』に関わり過ぎて、空想と人間的想像力の中に取り込まれる奴がな。多分、『境界』が曖昧になったんやろね」
「境界、ですか?」
「『怪異と接せんでも良い日常』と『怪異と接さなあかん非日常』とのラインの事や」
駄目だ、全く想像が付かない。
『呑まれる』と口にされて思い浮かんだのは『憑かれる』だったり『侵される』といったものだったのだが、説明を聞いている限り、そんな感じではないように思える。
「なら、先輩は安心ですね。よく言ってますもん『日常』がどうたら〜って」
軽井が軽口でそう言ってくる。
確かに言ってはいるけど、アレって僕の望む理想の事であって、現実的には逃避に近いだろう。
だって、起きてしまった物事に対して変化を求めた結果『時間跳躍』だったり『時間逆行』をしてもらって解決してきたんだから、現実からの逃亡や逃避と言われても文句もない。
「君、今馬鹿にしたろ?失敬だぜ、僕のアイデンティティの剥奪でも狙ってるの?」
「なんでそうなるんですかぁ!」
「⋯⋯⋯⋯自分ら仲ええなぁ。付きおうてるん?」
ちょっち待て、誰がこんなのと。
こんな高校生デビューの為だけにブロンズカラーに髪を染めて、生意気でお調子者で、偶にしか頼りならなくて、ちょっと子供の面倒が良いだけの面倒臭い女の何が良いんだか。
「笑撫さん、失礼って言葉知ってます?」
「そうですよ、こんな気怠げでやる気なさそうな愛想と貧相を落っことして来てしまった挙句に友達を少なくて、変態趣味のある先輩の何が良いんですか」
指を差されて、とんでもないぐらいに早口から繰り出された言葉の羅列に僕だけでなく、笑撫さんも多少引いたような顔で彼女を見つめた。
「お前⋯⋯⋯」
「なんですか?」
頬を僅かに膨らませる彼女は僕へ睨み付けてくるものの、笑撫さんと比べればどうという事はない。
アッチがライオンなら、コッチはハムスターだ。
「キモイぐらい僕の事見てるじゃないか⋯⋯」
「ち、ちち、違います!なんでそうなるんですか?!サナちゃんだって──」
「サナちゃん?」
僕達は共に肩を僅かに上下に揺れた。
マズイ⋯⋯。
明らかにそこに居るぞと指差すように笑撫さんの脚元を見ながら口にした言葉。
どう見ても何か居ます、そう訴えているようにしか聞こえない。
訝しむ視線は軽井と自身の胡座をかいている脚元を交互に見比べるように移っていく。
現在のサナは笑撫さんの太腿辺りに手を乗せ、体重を思いっきり掛けている状態にある。
正直、もう大丈夫だと一言ぐらい声を掛けてやりたいが、この人が目の前に居る状況下で口にするのは愚策な気もして、敢えて声は掛けなかった。
────なのに、この馬鹿は流れるようにサナの存在を暗喩でもしてるみたいに口にしやがった。
笑撫さんの視線が軽井の方へ行き、次第に凝視しだす。
「あ、あの⋯⋯⋯⋯」
もう駄目だと感じてしまった。
(こんなつまらん事で心象を悪くしたら、交渉決裂は確定じゃん!)
せめて嘘を吐いているのだとバレないようにする為に、僕は俯いて顔を見えなくする。
軽井はフリーズした機器のように動かなくなり、言葉を発しようとする口からも声は出なくなってしまっていた。
そして、笑撫さんはゆっくりと口を開けて口にする。
「───自分、何言うてるん?ウチは笑撫やで。サナとちゃうよ」
素っ頓狂な程、軽い口調で自身に指差してヘラヘラと笑ってみせた笑撫さんに僕は胸を撫で下ろした。
「あ、あの⋯⋯⋯⋯はい、ごめんなさい」
「きぃつけよ?名前間違われて心象が悪なるってよーあるしな。なぁ?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
(いや、これ⋯⋯⋯⋯バレてるんじゃないか)
今、どう見ても自分の脚元見ながら言ってたし⋯⋯。
サナも自身に対して言われた自覚があったのだろう。
ビクッと身体が動いて、僕達に助けを求めるように振り返ってくる。
潤んだ瞳で色白な肌をした少女がコチラを見つめるその光景に何処か痛ましい気持ちにもなったが⋯⋯どうしようもない。
それにしても『除者』って『霊感』無いんじゃないのか?
少なくても彼女には無い筈だ。
あったらそもそも、牧原と骸魅ちゃんを追い掛けようと踏み出した脚をサナに絡み取られる訳がない。
普通に躱されて、サナが蹴り飛ばされるのが想像出来る。
つまり、この人は今⋯⋯当てずっぽうながら正解を引いたって状態だ。
けど、このまま本当にサナはそこに居ないという体を装い続ける事が出来れば、まだ可能性はある。
現に笑撫さんは見えていないのだから、確かめようもない筈だ。
「そういえば、桐江くん」
「あ、はい」
「話の続きやけどなぁ、彼女さんとかおるん?」
僕は唇を引き結ぶ。
軽井が軽くコチラを覗き込むようにして見つめてくる。
笑撫さんには確かに伝えていなかった。
これはしっかりと伝えておかなくちゃいけない。
笑撫さんが誰に手を掛けようとしていたのかを⋯⋯。
「笑撫さんが今日の昼頃にショッピングモールで襲った二人、覚えてますよね?」
「当然や、その二人の話する為の交渉やさかい、忘れるわけないやろ?」
「⋯⋯⋯アンタが首掴んで絞め殺そうとしていた女の子が僕の彼女ですよ」
しばらく考える素振りをする笑撫さんは悟ったような顔で大きく頷いて、両手を数度叩いた。
「───はぁ〜ん。そうなんや、済まんかったな。今度は桐江くんが居らん所で殺すさかい、許してぇや」
「そう言う話じゃないんですよ」
「済まんなぁ、ウチにはよー分からんわ。『怪異に憑かれた奴』の顔なんて皆一緒やろ?猿は猿でしかないし、人は人。怪異や怪異や。やから、桐江くんの想い人であろうと、ウチの基準は変わらん」
同じ顔にしか見えない⋯⋯。
どうも酷く嘲笑しているようにも感じた。
揶揄われている、という事はないと思うが。
ともかく、この人にとって僅かでも『現象』の痕跡があれば、人の心と身体であろうと、それは『現象』だと割り切っている。
それはつまり、完全に僕達は平行線を辿っている事を意味していた。
その時、傍目に映る。
太腿に拳を当てていた女の子が僅かに身体を動かす所を。
「わ、私にとっても大事なのな先輩は、その⋯⋯変わりません。今は喧嘩中ですけど⋯⋯、それでも必要なんです!」
隣に座る軽井が勇気を振り絞ったように唇を震わせながらも口にしたその言葉を、僕は本気で藍莉に聞かせてやりたいと思った。
普段から軽井をぞんざいに扱う藍莉でも、根ではかなり大事にしている方であり、喧嘩してしまったその日もかなり落ち込んでいた。
そんな軽井からの言葉は僕には強く響いて、同意するように首を縦に振る。
「なら、永久に仲違いでええんとちゃう?あんな化け物と仲良しこよしなんて人生損すんで?」
「⋯⋯⋯」
軽井の勇気は軽く踏み躙られた。
あれほど意を決したような顔付きをしていた軽井も今では酷く落ち込んだ様子へ早変わり。
悔しさのようなものがあった。
藍莉の事を思って口にした切実な言葉が、笑撫さんの凝り固まった思考から吐き出された言葉一つで紙屑のように飛んで行った事が、純粋に僕の心を抉っていく。
「なんや、交渉ちゃうんかいな?早よウチを唸らせてみいや?」
挑発をする笑撫さんは、不敵な笑みをまた浮かべた。
余裕綽々といった印象の強いこの人を何とかして納得させられる言葉があるにはある。
でも、口にしたらしたで、どうなるか⋯⋯。
僕はともかく、巻き込まれた軽井に怪我でもあったらたまったもんじゃない。
「せ、先輩⋯⋯」
「──軽井、僕はちゃんとお前の気持ちは伝わってる」
「桐江くんも早よ見切り付けたらどないなん?その彼女さんよりも良い子居るで?絶対に⋯⋯」
この人の言葉は『現象関連』になると途端に冷たくなる。
氷柱で思いっきり胸を突き刺されて、抉られて、掻き回されているような、そんな感覚。
なんというか、寂しい人にも感じてしまった。
分かっていないとも感じる。
僕が何をもって藍莉を好いているのか、この人は何一つとして分かろうとしていない。
そんな心に余裕の無い人に感じた僕は紡いでいく。
「⋯⋯⋯笑撫さん。彼氏出来た事無いでしょ?」
「は?」
「だから、彼氏⋯⋯出来た事無いでしょ?というか、人を好きになった事ってありますか?」
言葉の端々から出る彼女の棘には、どうもそんな感じがしてならなかった。
人を好きになった試しがない、もしくは好きになったけど裏切られた⋯⋯そんな悲壮感とか嫌悪感にも似た感情が言葉に滲み出ているように思う。
「⋯⋯⋯⋯なんや自分、喧嘩売ってるんか?」
「口喧嘩は売ってますよ。買いますか?」
「⋯⋯⋯⋯えぇで、買ったるわ。ガキにここまで言われて黙っとるんもちゃうしな」
姿勢を正して、脚を組んだ笑撫さんの表情に僅かばかりはあった朗らかさは消え去っていた。
細く尖ったその視線に僕は一点集中とばかりに凝視されている。
緊張するし、怖くも感じる。
けど、隣に居る軽井の勇気を足蹴にした言葉と藍莉の存在否定だけは許せるものではなかった。
「えぇ面やで。さぁ、ドンと向かって来いや」
僕を見た笑撫さんはそう口にした後、口角を上げた。
自信が籠ったその笑みを必ず崩してやる。
そう、僕の心を焚き付けていく。
既に勝ち誇った顔付きをする笑撫さんをどう攻略するか。
僕は急ぎ考える。
ただ闇雲に文句を垂れるだけでどうこうなる訳がない。
痰を発する言葉、口火を切る話題は何が良いか、僕は少し俯いて考える。
「なんや、戦意喪失かいな。ちょっとばかし早ない?」
「その余裕綽々な態度、今すぐ終わらせてやりますよ」
「⋯⋯へぇ〜言うやんけ、自分。ほな、もうちょい待っといたるから、はよこんかい」
前提として、この人が可哀想な愛情喪失モンスターと仮定して話をするなら、僕はどう切り出すべきか。
過去を語らせながら、そこを追求していく?
それとも、藍莉、舞喜の二人にフォーカスを当てて、それを中心に切り出すか?
それとも⋯⋯⋯⋯。
僕は牧原が空けた穴を眺めた。
未だに交戦中の二人。
戦闘音、というか壁が炸裂したみたいな音が鳴り響くその場所へ目を向けて、一つの算段を付けた。
「⋯⋯笑撫さん」
「よーやっとかいな。はいはい」
わざとらしく欠伸をして見せた笑撫さんは口元に手を持ってきて、首を鳴らしながら退屈そうに答える。
欠伸をした事で僅かに潤んだ瞳。
その瞳を本当の涙で滲ませるべく、僕は口火を切る。
「笑撫さん、『怪異』嫌いですか?」
「何当然の事聞いとるん?嫌いや、大っ嫌いやで?それがなんや?」
「なら、妹さんの事も嫌いですよね?」
軽井が小さく声を上げた。
サナが訳が分かってなさそうに首を傾げる。
僕は確信して、僅かに笑ってみせた。
「っ!────ぁぁッ!!」
一瞬出来事だった。
サナは突き飛ばされたように転がり、軽井の悲鳴声は遠くなっていき、僕はと言うと⋯⋯。
地面に仰向けに倒されてながら首を絞められていた。
そして、視界に映るのは押し倒すようにして僕の首を絞めている笑撫さんである。
先程まで絶句していた筈の彼女は瞬時に僕の方へ駆けて来て、押し倒した勢いで遠くにあった筈の後方の壁付近まで僕は接近していた。
「おどれッ!誰から聞いたぁぁッ!!ウチの妹はバケモンちゃうんじゃ!見世物とちゃんじゃボケェェェェェェェェ!!!死に晒せやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「〜〜〜〜!!」
マズイ、意識が⋯⋯⋯。
ちょっと待て!マジで待て!気をヤったら意味が無い。
大体、口喧嘩つったのになんで手が出るんだ。
馬鹿じゃないのか、この人。
抵抗しようにも、どこを叩いてもビクともしない。
既に軽井が笑撫さんと僕を引き剥がそうとしているけど、マジで微動だにすらしていない。
(駄目だッ!まじで死ぬッ!洒落にならん!早く来てくれぇぇ〜〜!)
ジタバタと脚を動かして、手を必死に掴まれた手に手繰り寄せるようにして引き剥がそうとしても全くの無意味。
頭がぼぉーとし始めた。
これで弱体化してるなんて、嘘だろ。
人間じゃないだろ、こんなの。
「この糞餓鬼がァァァァァァァ!!」
咆哮が掻き鳴らされる。
耳鳴りと頭痛で頭がいっぱいいっぱいになる中、それは聞こえた。
「お姉ちゃん、その人はワタシが『マーキング』したって言ったヨ?」
「っぐぅぅ!!」
「かはッ!ぁぁぁ、はぁ、はぁ。ぁぁぁがぁぁあ。あーー。はぁ、はぁ、はぁ⋯⋯⋯」
急激に訪れた酸素をめいいっぱいに肺に溜め込み、吐き出してを繰り返して、咳き込む。
解放感のある首元に指を当ててなぞり、僕は近くに居る人物へ目を向けた。
「────!来てくれたんだな」
「⋯⋯⋯大丈夫?」
骸魅ちゃんが立っていた。
ボロボロで切り傷と擦り傷があり、大道芸人のような黄色を基調としていた服はオンボロと化してしまっていて、右肩から下は完全に破れてしまい腕が露出していて、腹部には大きな引っ掻き傷がある。
だけど⋯⋯⋯⋯。
「骸魅ちゃん、お前⋯⋯血液が無いのか?」
腹部に無ければならない赤い染み。
痛ましい程に抉られた傷口から漏れなければならない血液は一滴足りとも流れておらず、細く斜めった穴が三本、腹部に作られている。
僕は⋯⋯絶句した。
「⋯⋯そうだヨ、ワタシは死体だからネ。今更流れる血なんてないんだヨ。それよりも桐江お兄ちゃんは何を言ったらこうなったノ?まさか、お姉ちゃんがモテない理由でも聞いタ?それなら、お姉ちゃんが悪いから許すヨ」
この子、どっちの味方なんだろう。
蹴り飛ばされた笑撫さんは今も顎を手で擦りながら、骸魅ちゃんを訝しんだ目で見つめ、骸魅ちゃん本人は何処か自慢げに胸を高らかだった。
(あの、すいません、骸魅ちゃん。⋯⋯普通にブラ見えてる。気付いてくれ)
破れた衣服は当然、肌を露出させる。
その過程で幸いというかなんと言うのか、下着だけや破られずに済んだのだろう。
しかし、それが逆に僕の視線を骸魅ちゃんから大きく離す要因になっているとは、この子自身が気付いているのかどうか、そして聞いても良いものか悩ましいところではある。
「⋯⋯⋯⋯あ、牧原はッ?!」
骸魅ちゃんと笑撫さんを離れさせる為の手段として突貫した牧原の姿が見えない。
やられた?そう脳裏に過ぎった僕は叫んでしまう。
だが──。
「ここだ馬鹿者」
牧原が自身で形成した大穴の中から余裕綽々な様子で歩いて来た。
壁に手を付けて、ご苦労さま、そう言って欲しそうな顔を浮かべている。
「牧原先輩!生きてたんですね!」
「勝手に殺すな。こんな小娘に負ける道理があるか⋯⋯。私は龍だぞ?」
骸魅ちゃんの傷と牧原の傷の程度を窺うに、牧原はかなり優位に立っていたのが分かる。
擦り傷こそ目立つものの、大きな傷は見受けられず、僕は少し安堵を浮かべた。
「さっきの流れだと、お前がこの子を改心させた代わりに死んだ⋯⋯そう捉えられても不自然じゃなかったぞ?」
「なぬ?!んな馬鹿な事があるか!」
ドスドスと足音を立てそうな歩き方で僕の方へ近寄ると、胸ぐらを掴んで乱暴に振り回していく。
されるがままの僕は全くの無抵抗で、軽井が止めに入って来た。
「喜雨。どういうこっちゃコレは?ウチ殴って何がおもろいねん」
「顔」
「よっしゃ!そこ並べや。全員しばいたる」
威勢の良い声が空間に響く。
それに反応した牧原は僕の胸ぐらから手を離して、笑撫さんを睨む。
力無く尻もちを着いた僕も、制止しようとしていた軽井と、そんな僕達の様子を密かに見ていたサナも笑撫さんの方へと視線を向けた。
「⋯⋯桐江、交渉失敗したのか?」
「⋯⋯⋯⋯まだ終わってない」
「先輩本気で言ってます?!思いっきり殺されかけたんですよ?未遂です、未遂!!」
発破を掛けてくれる者が居ないのは察していた。
軽井からすれば頭でもおかしくなった発言にしか聞こえなかったんだろう。
傍から見てもそうだと、僕でも分かる。
けど、この人に譲れないものがあるように、僕にだってあるんだ。
笑撫さんは言った。
「──自分の人生、こんなんに汚染されたら、下水に行き汚く生きとる鼠と何ら変わらん人生送るで?」
けど、僕はそれには懐疑的だ。
「──その彼女さんよりも良い子居るで」
それはむしろ、僕の台詞だ。
きっと、アイツなら僕以上の男を探せば見つかるだろう。
けど、それでも僕は選ばれた⋯⋯。
僕が良いと言ってくれた。
兄として出来る事はまだあって、やりたい事も多くある。
それは藍莉であろうと変わらない。
それなのに、ここまで言われて黙ってはいられなかった。
だから、僕は報いなければならない。
たとえ、誰になんと言われても⋯⋯。
「僕はそれでもこの人の間違いを正したい。この人は勘違いしてる事が多くある。だから、訂正させたい」
決心は揺るがない。
微睡んだりもしないし、揺蕩う事もブレる事もなく言い切れる。
───この人は間違っている、と。
拳を握り、真っ直ぐ目の前からゆっくり歩く笑撫さんを睨む。
そんな僕に気付いた笑撫さんは不敵に笑ってみせた。
「よう言うわ。自分、地雷踏みに行ったやろ?」
「まぁ⋯⋯⋯⋯賭けでしたけど」
「なんでや?なんでわざわざ一回引き剥がした喜雨呼ぶ為にこんな事しよったんや?」
「アンタだって、サナの事は気付いてるんでしょ?だったらもう引き離す意味がない」
ただでさえ都市伝説だって栄えているこの街で『幽霊』の話を聞かないという方がレアケースだ。
視えなくても、存在自体は知っていて、おおよその状況をあの時、脚にしがみ付かれた時に理解していた筈だ。
「まぁな、喜雨は『四人』や言うてたんよ。けど、見えたんは二人と一匹や。もう一人足らん⋯⋯。分かりやすい計算式やね」
骸魅ちゃんはそんな事まで分かるのか。
確かに、現代技術の中でカメラの類いを使えば視えるケースはあるし、音波を拾えば声が聞こえる、なんていうのは有名話だ。
『霊感』の類いが無くても存在を認知出来る昨今において、喜雨はそういう面を一人で道具無しで補えるというのは便利の一言に尽きる。
「何?ワタシはダシに使われたって事?」
ジト目で僕の方を見つめる骸魅ちゃんは大変不服そうなご様子で、僕は苦笑いをする。
「悪いな、どうしても確認しておきたくて」
「確認?」
僕は昨日掴まれた腕を見た。
そこにはまだ残っている。
気色の悪い事この上ないのは確かだが、僕はそれが何か知っていた。
「まずはさっき言ってた『マーキング』って奴だ。昨日付けられた手形がまだ残ってるから、何かあるとは思ってたんだ。前にも似たようなケースがあったから、使えるって思って」
骸魅ちゃんの方へ腕を近付けると、軽井が近寄って来て、僕の腕をジロジロと凝視し始める。
怪訝な顔をしながら、う〜ん、とうなり声を軽く上げた。
「私には見えませんけど?」
「それは付けた者と付けられた者にしか見えない。現に私でも視認出来ない」
「マジですか?!」
『マーキング』が『手形』というのもなんとも不気味なものだが、お陰で笑撫さんは僕を殺せない。
コレは一種の制約とかに近い。
骸魅ちゃんがどういう意図で付けたのかは分からないけど、何かしらの助けになると思って付けたのだと解釈していた。
「それともう一つ。直接確認したかったんだ。死人だったかどうか」
「どうしテ?ワタシが死体な事が何を意味するのかワタシには全然全くこれっぽっちもミリミリにも分からないヨ?」
「意味ならある。それが笑撫さんを論破出来る材料になり得るからだ」
田科を見て理解した事、それは『除者』とは『現象』を使って『現象』を祓う存在である事だ。
そう言う意味合いで言えば、笑撫さんは『除者』として間違いは犯していない。
けど、重要なのはその過程と骸魅ちゃんにある。
あくまでも推測だけど、この街に来た理由とこの街を離れさせられた理由は繋がっていんだろう。
そして、笑撫さんを『空弩街』から離れさせた朝倉さんの企みもおおよそ分かる。
「そっカ。でもお姉ちゃんはこの程度でへこたれないヨ。だってお姉ちゃんはワタシより脳筋だもん」
「喜雨、ちと黙っとき。───はぁ〜自ら弱点晒したようなもんか⋯⋯。けどなぁ、ウチの方針は変わらんで?」
依然、自信満々な笑撫さん。
けど、僕にも手が無いわけがない。
「そうですか?少なくても、僕はそうは思えません」
虎の威を借る狐、とはよく言ったものだと思う。
ハイエナだって盗人猛々しいまである習性で今日まで生きて来れた訳で、決して悪ではない。
僕だって、笑撫さんに比べれば実力の面ではひ弱だと自覚している。
だから、この名前を使わせてもらう。
「僕が笠辺家に報告するからです」
笑撫さんの目の色が変わった気がする。
空気が僅かに重くなり、ヒリつく感覚が肌を刺す。
「⋯⋯⋯自分、脅しとんのか?」
「脅してますよ。コッチは二人の命掛かってんだから、なんでもします」
『笠辺家』について笠辺先輩とトッキー、それから偶々リハビリ通いで出会した富宮に話を聞いた今なら分かる。
この街においての『笠辺家』とは街の存在自体を支える重要な役割と意味を持っているらしく、自治体とか行事の運営資金、更には選挙の出馬費等も出してくれているらしい。
街で重鎮的な役割を持つ者は『笠辺家』には頭が上がらず、基本的にこの街は『笠辺家』の庭のようなもの。
『除者』という立場でも上位に位置していて、現当主の笠辺先輩のお爺ちゃんが中々の切れ者らしく、功績と実績を称えられて重要なポジションに居たらしいのだ。
最近ではグローバル化でも目指しているのか、世界進出とでも言うのだろう、ここ数年で更に大きくなった企業を用いて根を張ろうとしているらしい。
まぁ、笠辺先輩曰く、世界に存在する『現象』を拾う為の一助とも聞いたが、真意は分からないし、どの道現在は停滞中にある。
何故なら、朝倉さんが企業を崩壊させて『除者』の殆どを抹殺してしまった為、世界進出も『現象』の確保も進行は止まっている状態だ。
だが代わりに『この街』の情勢を俯瞰して見る立場へ『笠辺家』は傾いているとも聞いており、先輩が忙しいのもそれが要因らしい。
つまり、笑撫さんの弱点を『笠辺家』に報告するすれば、即刻に対処される危険性が出てくるという事だ。
「妙なぐらいに『怪異』と遭遇する人生やなとか思とったけど、笠辺家とコネあったんかいな。難儀やなぁ。⋯⋯てことは司さんも知っとるんか」
「?⋯⋯⋯⋯え、えぇ」
全く知らないし、聞いた事もない名前だが、取り敢えず僕は頷く事にした。
怪しまれたのか、少し眉が下がった笑撫さんは僕を訝しんだように見るものの、溜め息を吐いて視線は逸れて行く。
「そうか⋯⋯。けどな、ウチに言わせれば、この街出る前に始末付ける事かて出来んねんで?」
「それなったら僕が二人を庇います」
「やからなぁ──」
「死体の数と遺族の悲鳴⋯⋯でしたっけ?ありますよ。僕は数えた事も聞いた事も⋯⋯両方あります」
死体の数は最近だったが、遺族の悲鳴なら去年の夏に聞いている。
あれほど悲しくなる声はそうそう無い。
腹の奥に溜まった様々な感情を一気に吐き出したような、状況を理解したくなくて藻掻くような、そんな感じだった。
「⋯⋯⋯⋯先輩⋯⋯」
「ん?」
「あ、いえ⋯⋯⋯」
露骨に何か言いたげだった軽井は口をゆっくりと結んでいく。
不安感が滲み出る瞳をして服の裾を掴んで耐えるようなその素振りが気になって仕方なかったが、サナの手が軽井のぎこちなく固まった手へ向けて伸ばしていき、そっと掴んだ。
それを見た僕は自然と笑みが零れる。
(こういう風に簡単に手が取り合える世界なら、良かったのにな⋯⋯)
ズキリと胸を穿つような痛みが襲った。
僕一人、未だに僕だけが、去年の夏から進めていない。
まだ、夢を見ている。
まだ、理想を抱いている。
まだ、諦めが定着しきっていない。
「なら、責任どうとるん?おどれの失態一つで、あのドブ共が暴れるっちゅうケース、味わってみたい、とかは言わんといてな?」
苛つきが抑えられないのか、厚底サンダルの靴裏を地面にトントンと小刻みに一定のリズムで鳴らしながら、そう怒気が混じった声が僕に放たれた。
「責任なら現在進行形で取ってます」
「はぁ?」
「藍莉が『現象』に巻き込まれたのも舞喜が『現象』に憑かれたのも僕が原因なんですから⋯⋯」
「ん?」
訝しんだのは牧原だった。
彼女は藍莉を特別視していて、時間の干渉をモロに受ける。
何かに巻き込まれて『現象』が藍莉に憑いたのは察しても、何が原因かまでは⋯⋯、いや、藍莉に聞いたのだろう。
けど、彼女は僕が原因で、とは口にしない。
自分の家族が理由でなったとか、自分の不甲斐なさで巻き込まれた、とは口にするのかもしれないが。
けど、僕の目線からはやっばり僕のせいだ。
僕の不用心かつ身勝手な一言で舞喜を傷付けて、それが起因して学校で問題を起こして、担当教師をしていた藍莉の父親は辞任という結果に追い込まれた。
とばっちりと言われても納得出来る内容だし、そうだと僕は言い切る。
だから、やってしまった事に対して報いたのだ。
ギュッと握り締めた両手は爪がくい込んで痛かった。
でも、こんな痛さ、僕のせいで人生が滅茶苦茶になった人達の事を思えば、なんでもない。
「僕の罪滅ぼしを勝手に殺さないでください。もし殺したら、僕も死にますよ?」
「おい!」
牧原が声を荒らげた。
軽井が心配そうに見つめて、サナが悲しんだように顔を歪ませて、骸魅ちゃんは⋯⋯よく分からない。
そして、笑撫さんは鼻で笑った。
「そんなしたら、親泣くで?悲しませたんなや。世界に二人しか居らんのやぞ」
「泣く訳無いでしょ、あんな親が」
自分でも内心、こんな声が出るのか、そんな風に何処か冷静だった。
目の前で立って聞いていた笑撫さんはなにか悟ったように頭を搔いて、拍子抜けするぐらいに申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「そうかぁ、自分にも地雷があったんか⋯⋯。済まんな、今のは失言やったわ」
「いえ⋯⋯⋯」
「けどな、そのドブ共の脅威はどないするん?何も無いかもじゃアカンねん。百パーセント無くせ言っとんねんで?」
『危険性』とか『可能性』とかの話ではなく、根本的な危険が『皆無』という状態が最もベストだと言うのは僕としても望ましいのは分かる。
けど、何事にも『可能性』は付き物で『有無』というのはどうしても起こるものだと思う。
この贅沢で我儘な人に対して、何が言えるのか。
────大して思い浮かばなかった。
だって、無理だろ。既に『可能性』を見てしまったというのに。
それを隠すように口にしたとしても、多分すぐにバレる。
「少なくても藍莉は間違いなく大丈夫です。そもそも、あれに害自体はありませんでした」
「もう一人は?」
「⋯⋯⋯⋯」
言葉が詰まってしまう。言い訳なんて思い浮かばなかった。
『可能性』とは舞喜の事で、暗がりの自室で見た黒い液体がその兆候。
まだ藍莉の言葉だけなら見ていない分言い訳の余地も幾分かはあったのかもしれないけど、僕はもうそれを見てしまった。
人が流してはいけない何かを舞喜は目元、鼻から流していて、兄だからなんとも思わなかったが、傍から見れば違う。
初めて目撃した藍莉の驚愕の表情も今なら手に取るように分かってしまう。
「アカンな。やっぱり殺さな駄目やね」
死刑宣告を言い伝えられた者の気持ちが今なら理解出来る。
心臓が早鐘を打って、慌てたように僕は口を開く。
「待ってくれ!なんでそうなる!?」
「そうしなあかんからやろが!」
そうしなければならない。
その言葉は酷く冷徹に聞こえる。
今まで頑張って学校に行く為の練習をしていた舞喜の努力も、友人の為に泣いてた藍莉の気持ちも、何もかも無駄だと吐き捨てるような物言いに聞こえてならない。
巫山戯てる。馬鹿げてる。理不尽極まりない。
昨日今日見ただけで判断する早計さも然る事ながら、自分の意見が全部正しいと割り切れる考え方に僕は腹が立ってきた。
僕はこの人と違って知っている。
僕はこの人と違って接して、見て、聞いて、相互理解をしてきたつもりだ。
それを簡単に蹴り飛ばすような言葉を僕は容認したくない。
許容なんて許さないし、肯定なんて意地でもさせないし、させたくなかった。
「アンタッ⋯⋯⋯。アンタには分かりますか?アンタが昼間襲ったせいで、泣いてる奴が居るんですよ!アンタの余計なちゃちゃが理由で、自責に囚われてる奴がいる事アンタちゃんと知ってるのか?」
「⋯⋯⋯⋯知らん」
自責に囚われた妹はまた何処かで泣くかもしれない。
楽しい記憶以上に忌まわしい記憶の方が脳にこびり付きやすいもので、舞喜なんてずっと今回の事で頭を悩ませるかもしれない。
その苦悩を少しも分かろうとしないコイツが、純粋に⋯⋯⋯⋯。
『殺したくなった』
「今日は昼に買い物して、明日にはその買い物を使って旅行、そういう手筈だった。けど、アンタの言う使命だとか役目だとかの為に、全部崩れた!僕達の人生の自由を奪うのは止めてくれ!アンタの勝手でアンタは満足なんだろうけど、僕達は違う。いい迷惑なんだよ!」
「人に迷惑掛けて生きてくもんやろが?自分は意見の食い違いで人に迷惑掛けた事ないちゅうんか?」
「自分の事を棚に上げて何言ってんだ!アンタだって他人に迷惑かけてんの気付いてないのか?アンタが責任だなんだと言うなら、コッチも言ってやるよ!」
ショッピングモールで被害損額もニュース出ていたらしい。
けど、問題は⋯⋯被害者が出た事だ。
軽井に聞けば、あのショッピングモールで二人怪我を負ったらしく、一人は五歳の男の子、もう一人は高校生の男子らしい。
最悪の気分だった。
コレを知れば舞喜だけでなくて、藍莉だって深く後悔する。
僕はそれが許せなかった。
『それでいい』
我儘なのか、正当なのか、それを決めるのはきっと僕達じゃない。
けど、それでも言わなければ気が済まなかった。
『嘲ろ。酷く醜く、傷を付けさせろ』
「僕達の一日を無駄にした責任を取れよ!人を悲しませたツケを払え!僕達の自由の剥奪をした報いを受けてくれ!」
皆が息を呑む。
軽井はサナを抱き締める形で宥めて、牧原は瞼を閉じて何かを思っているのだろう。
骸魅ちゃんは笑撫さんの方へと無機質なぐらいに淡々と視線を向けて呆然としている。
「言うようなったな、ガキが。金か?それとも保証書でも付けて欲しいんか?なら、諦めろや。ウチはそんなに軽ないぞ?」
「どうしても殺すんですね?」
「当たり前やろ」
ならもうしかない、言うしかない。
口にするのはあまり好ましくないが、抑えられる気もしないし、この人を止められる気もしなかった。
僕は骸魅ちゃんの方へと指を差して、口にする。
「そうですか。⋯⋯なら、まずは骸魅ちゃんを殺してからにしてください」
「⋯⋯⋯⋯なんやと?」
怒気が凄まじい程に肌を刺していく。
開かれた瞳は殺意に溢れて、見るものを萎縮させて、実際に僕もちょっと怖かった。
けど、アチラも殺すと言っている以上、コチラも条件を出さなければならない。
簡単に明け渡す気もない。
アチラがコチラの大事な物を奪うなら、コチラも奪わせるだけだ。
「だっておかしいでしょ?気取ってる癖にやってる事は我儘みたいだし、オマケに自分の妹の正体はドブなのに、天然水みたいな扱いだ。この子が良いなら、藍莉も舞喜も許容範囲内でしょ?」
藍莉と舞喜は生きている。
けど、骸魅ちゃんは明確に言った。
自分は死体なのだと。
⋯⋯おかしな話だ。
生きてる人間は殺すのに、死体は生かすなんて、正しく異常で歪で尚且つ滑稽な事この上ない。
「おどれ、ナメ腐っとんちゃうぞ」
「ナメ腐ってませんよ。それとも『除者』の方々には口添えしましょうか?」
「?⋯⋯じゃあ自分、なんでここに来たん?」
夢の中で朝倉さんと話し終えた段階から何となく察していた。
軽井の自宅に向かってサナに協力要請するよりも先に『笠辺家』に駆け込んで、急いで対処して貰えば早かったかもしれない。
けど、僕は先輩の事は信頼していても『笠辺家』の事は信用していなかった。
『世界中の現象』を回収なんて、良からぬ事を考えているに違いないと直感ながら感じたし、先輩自身も訝しんでいたのが印象深い。
更に言えば、笠辺先輩がかなり甘い裁定をしている為か、藍莉や舞喜に関して触れてこない辺り、初めは安心していたが⋯⋯。
もしかしたら先輩の方が本来の『除者』としての方針や軸とはズレた方向に立場を置いているせいで『笠辺家』の中でも浮いている。
そう仮定すれば、笠辺先輩は頼れても『笠辺家』は頼りになれない。
ならば事実上、直接面接する以外の選択肢が無くなった⋯⋯これが真実なのだが、笑撫さんと交渉したかったというのもまた事実。
街でドンパチやられてまた被害者が増えました、なんて事があっても困ると言われれば困る。
「だから、交渉ですよ。見逃せっていう交渉です。僕は笠辺家へ報告しなくても良いように、骸魅ちゃんの件を見逃します。だから、笑撫さんも見逃してください」
「なんでそうなんねん。嫌や、ウチは殺すで?ドブ共が栄えてるなんて吐き気催すやろ?気に入らんやろ?」
「なら、ドブに染まった妹さんはどう捨てるんですか?」
「アァ?!口慎めや、ガキが。お前んとこの奴に比べたら、兆億万倍も可愛いもんやろが!」
「知りませんよ。贔屓でしょ、どうせ」
絶対にそうだと思う。
とはいえ、僕も贔屓はしている。
人の事はあまり言えたものではないが、この人より絶対にマシだと思いたい。
だけど、このままじゃあ平行線なのは変わらない。
何時までも堂々巡りにも似た闘論は笑撫さんを最終的に暴力に寄る解決へと走らせる可能性もある。
それは交渉ではなくなってしまう。
最後のカードを切るしかない、そう判断した僕は口火を切った。
「────この街に戻ってきた理由⋯⋯当てましょうか?」
「なんやと?」
恐らく、知っている人が極小数の秘密を僕は認知している。
どうして帰らなければならなかったのか、どうして朝倉さんに追い出されたのか、時期も合わせて見ると分かりやすかった。
「牧原に聞きましたよ。朝倉さんに追い出されたんでしょ?夏休みの──七月よりも前に」
「⋯⋯⋯それで何が分かんねん」
「『刃龍の血』でしょ?」
「⋯⋯⋯⋯」
牧原の表情が一気に険しくなり、殴り掛かりそうな勢いで笑撫さんに迫る。
それをすぐ側に居た僕が腕で進行を遮るようにして、笑撫さんに対して追い討ちを掛けた。
「アレがあれば『死体』でもって?押すな!⋯⋯⋯どうにかできると?無茶ですよ⋯⋯⋯そんな事!」
『龍の血』は生きている、そう『龍本人』から言われた事がある。
血は時として『毒』となる。
昔話や伝承等でも『龍』という存在はある意味特てで希少価値のある扱いをされてきて、『刃龍』は特にその性質を受け継いで生まれてきた。
『龍の血』は人にとっては『毒』として伝わった話と『長寿の雫』として崇められた話の二つは掛け合わさり『龍の意思』で『毒』にも『薬』にもなる異様な状態となってしまった。
僕が見たのは、遺体に対して自身の腕を切り落として、欠損箇所から血をドバドバと遺体の傷口に注ぎ込もうとしている光景と、鱗を敢えて剥がし、降り注ぐように吹き出した血吹雪で地上に居る敵を殺す所の二回のみ。
少なくても、今回⋯⋯笑撫さんは『薬』を欲したのだと思う。
『死体』となった妹を真の意味で生き返らせたい、そんな人間として感じ取れてしまう喪失感や遣る瀬無さに理解は出来る。
だが、そんな彼女が街に来た事で藍莉と舞喜は命を狙われる事になったのなら、僕はその理解を敢えて跳ね除けたい。
要らないと切り捨てて、邪魔だと一蹴してでも、この人を諦めさせたかった。
「え?!じゃあ、この人がこの街に来た理由って⋯⋯」
理解が追い付い軽井がパッと骸魅ちゃんの方へと顔を向けて、笑撫さんの方へと改めて視線を向ける。
軽井だって喪った友人が居て、あの頃のままには帰れない。
けれど、彼女は前に進んでいる。
おっちょこちょいでちょっと馬鹿な所もあるけど、それでも愛嬌だったり、自分の思う信念は曲げていない。
だからなのかもしれない。
笑撫さんを見る軽井の表情は酷く、冷酷なぐらいに、冷めていた⋯⋯⋯⋯。
大の大人に対して、憐れみではなく、軽蔑のような視線を浮かべていた軽井は──とても怖く感じる。
「この街に来た理由。それは、骸魅ちゃんを本当の意味で生き返らせる事なんじゃないんですか?」
「──────はぁ〜」
「⋯⋯⋯」
諦めたような溜め息。瞼を閉じて俯きだした笑撫さんは首を鳴らす動作をする。
上がった顔からは朗らかな表情があり、一言。
「外れや」
今、なんて言った?外れって言ったのか?
『刃龍』の事件に関わらせない為に追い出した、朝倉さんはそう言っていたし納得もいった。
妹を持つ身として、一番単純ながらも理解出来る回答だった筈。
人を治したい。
『龍の血』なら可能と、そう思ったから街へ帰ってきた、そう思っていた。
けど、満足そうな顔をしながら、嘲笑うように微笑んだ笑撫さんの顔には嘘のようなものは感じられない。
「ウチがそんなロマンチックに心動かされる質に見るんかいな⋯⋯。死体である事に変わりない。やから、喜雨に血飲ませても生き返らんのは知っとる」
「じゃあ、なんの為に!?」
「殺す為だろ」
僕の背後に位置する牧原がポツリとそう呟いた。
笑撫さんに睨みを利かせながら、淡々とコイツは『殺す為』とそう言ってみせた。
僕にはそれが心底理解出来ずに、動揺を隠す事もせず、聞いてしまう。
「───牧原、何言ってるんだ⋯⋯?」
「この女は『憑かれた者』の顔を識別出来ない。『怪異』である私の事も同様だ。つまり【骸魅喜雨】の顔も大して判別出来ていないのだろう?」
その答えが真実か否か、僕達は笑撫さんの方へと顔を向けて、返事を待った。
すると、笑撫さんは朗らかに笑いながら、拍手を繰り出し始める。
その様子がどうにも不気味で、奥底にある引っ張ってはならない何かを手網のように引いてしまった感じがした。
「正解やぁ〜。ホンマに蛇の癖に、いや蛇やからかなぁ。ねちっこく観察しよってからに。⋯⋯⋯⋯忌々しいじゃ、おどれぇ⋯⋯」
完全に見落としていた。
「──『怪異に憑かれた奴』の顔なんて皆一緒やろ?」
なんて言ってたが、僕は価値基準云々の話だと誤解していた。
割り切りとか、心持ちの問題とかそういう類じゃない。
正真正銘、この人は『現象』に憑かれた人の顔の識別が出来ないんだ。
(他人だけじゃなくて、身内にも影響するのか⋯⋯)
だとすれば、とんでもないエゴでしかない。
依然、骸魅ちゃんは呆然と瞬き一つもせず、姉の笑撫さんを見つめるばかり、それはもう怖いぐらいに真っ直ぐで人形かと疑いたくなる程にピシッと背を張っていた。
「聞かせてください。なんで殺すんですか?私、余計に訳が分からなくなっちゃって⋯⋯」
軽井が疑問を投げ掛ける。
僕も今度こそ聞き落とし、掛け違いのないようにと、耳を凝らして笑撫さんの会話へと没頭する姿勢を見せた。
「⋯⋯ウチにもよー分からんねん。初めは歓喜してたんよ。『怪異』使って妹が蘇った。それで満足やったんよ」
ズボンのポッケに手を入れて、何かを取り出そうとする笑撫さんに、警戒レベルマックスの牧原が襲い掛かろうとする。
だが、僕は牧原の腕を掴み、それを阻止した。
「おい!何してる!」
「本当に暴れるつもりなら、あの人はステゴロだろ?だから、武器じゃない」
怪訝な顔をした牧原は眉間に皺を寄せながら力強く引っ張り出して、僕の身体は前へと向かう。
そして、片腕で迫った僕の身体を受け止めた牧原はそのまま胸ぐらを掴みに手を伸ばして、僕の脚は地面から浮いた。
「今日昨日会ったばかりの奴の何が分かるんだ!?離せ!その腕、引き千切られたいか!」
「なんでそんなに気が立ってんだ!」
「敵なんだ!なら、殺すのが自然な事なんだ?藍莉や舞喜がどうなってもいいのかッ?!」
「っ⋯⋯⋯。良いわけがない」
「なら──」
「でも!⋯⋯⋯⋯ここでこの人をお前が殺したら、お前⋯⋯藍莉に顔向け出来るか?」
ピクリと眉が動いた。
殺気立った顔は僅かに落ち着きでも取り戻したかのように、僕の身体は地面に着いて、胸元から手が離れる。
僕達よりも先に牧原は笑撫さんの事を知っている。
交戦経験でもあったのだろう。
醜悪な者へ目を向けるように牧原は笑撫さんへと視線を送っていたが、それもすぐに途切れてしまう。
そして、僕の方へ両腕を伸ばすと、自身で作った服のシワを今度は自分で伸ばすように僕の胸元に手を当てた。
「────すまなかったな」
恥ずかしそうに、謝罪の言葉を述べた牧原の頬は少し赤かった。
「⋯⋯⋯⋯後、二回は聞きたいなぁ。そうすれば脳内再生余裕なんだけども⋯⋯」
「ふんッ!」
「いっっってぇぇぇ!」
脚に強烈な痛みが襲い掛かった。
誰がやったか?そんなの分かりきっている。
「調子に乗るな、馬鹿者め」
相も変わらず恥ずかしさが滲み出ている顔をしているものの、腕を組んでコチラには向いてくれなくなった牧原はそそくさと壁の端へ移動しようとする。
それを追い掛けるように脚を踏み出そうとしていると、後方から声がした。
「あったわ。───ほれこれが妹の喜雨や」
画面を上にして拝見してくれとばかりに、持たされた赤色のスマホ。
それを受け取った僕とスマホの画面を見ようと近付いて来た軽井、サナ、牧原は覗き込むように顔を寄らせていく。
映っているのは写真フォルダから引っ張り出した一枚の写真だった。
黒いセーラ服を着て、ダイニングらしき場所にある椅子に座っている女の子。
買って貰ったのだろうか、一年前に発売されたばかりの最新機種のスマホのパッケージを両手で持ちながら微笑んでいる。
「この子が⋯⋯⋯⋯。似てない⋯⋯⋯」
「おい!」
「あ、ご⋯⋯ごめんなさい」
とはいえ確かに似ていない。
今この場に居る骸魅ちゃんと見比べても、髪色も瞳の色も違うし、雰囲気も何処か不気味さが前に出てしまい、写真のようなあどけなさは無くなっていた。
普通の何処にでも居る学生、それが今では大道芸人のような格好をして、腹を裂かれても喚きもせず、人形のように凝り固まった表情をする女の子になってしまっている。
「『怪異』と死体が混じった影響や」
僕はスマホを笑撫さんに返す。
すると、すぐにそれをポッケの中に入れて骸魅ちゃんへと視線を移した。
その動きに合わせるように僕も骸魅ちゃんへと視線を向ける。
ロボットの待機状態のように微動だにしない彼女と写真の女の子。
本当に同一人物か怪しく感じる程には、全然似ていない。
夏休み終わりの肌焼けした学生よりもイメチェンを果たしていると言っても過言では無かった。
「成程⋯⋯そういう事か。────お前【悪魔】に憑かせたのか」
どういう訳か不敵な笑みを浮かべながら口にした牧原。
(笑う要素⋯⋯あるか?)
僕だけがアウェイなのかと思い、皆を見比べる。
どうやら僕ではなく、牧原の方がアウェイ寄りのようで、特に不可解そうにする軽井は首を傾げていた。
この中で【悪魔】を見たかが無いのも、恐らく軽井かサナぐらいだろうし、その反応は間違っていない。
僕も最初はそうだったから、気持ちも分かってしまう。
「【悪魔】なんて空想上の存在ですよね?本当に実在するって、ちょっと信じられないような⋯⋯。フィクションの中だけと言うか⋯⋯ねぇ?」
「その空想上の存在が現実に出てくるのが『現象』だぞ?原理は大して知らないけど⋯⋯」
「なら、どうして骸魅さんは、そのショッピングモールの床を壊せるぐらいの怪力持ちなんですか?骸魅さんは『現象』じゃないですよね?」
「この子を【悪魔】に憑かせる時に、自分の血も混ぜたからや。やから、ウチの身体にも影響が出たんよ」
【悪魔】なんてそうそう出るもんじゃない。
そもそもの話、日本では事例すら少ないと聞いた。
主流なのはヨーロッパだが、アメリカも近頃増え始めたと聞いた事がある。
日本は『妖怪』とか『幽霊』と言った方が馴染み深い。
「本当に【悪魔】なんだとしたら⋯⋯随分と──」
「大人しい⋯⋯そう言いたいんやろ?」
見透かしたように先読みされた僕はまた動揺してしまう。
骸魅ちゃんに手招きをしながら座り込んだ笑撫さん。
骸魅ちゃんをそのまま膝元に座り込ませて、脇下から腕を通して抱き締める。
落ち着いたように顎を彼女の頭に乗せて、僕達の方へ視線を向けると話を続けた。
「自分ら勘違いしてるかもしれんけど【悪魔】言うても位みたいなもんがあって、この子のはヘボいんや。上になると去年の春の時に出てきたヤバめの奴とかになってくる。流石にそれは御しきれへん」
去年の春に出てきたアレは──【サタン】という有名な悪魔だったか。
アレは朝倉さんが初めてこの世界に来たと同時に消し飛ばしてたから、大した強さや指標が掴めないのだが、ネームバリューからして強いのだろう。
是非是非、海外で一度【サタン】を百箇所同時に呼んでみて欲しいものだ。
五枚揃えば確定で勝利するとかいう封印されし者みたいに部位ごとに現れたりするのだろうか。
⋯⋯⋯⋯ちょっとシュールだな。
「で、でも⋯⋯。生き返らせたんですよね?なんで殺そうとするんですか?」
軽井が険しい表情を浮かべながら、そう口にする。
そんな疑問に対して、笑撫さんは厳しい顔付きとなって骸魅ちゃんの頭から顎を離す。
空いた骸魅ちゃんの頭上に笑撫さんの手がそっと乗せられて、優しく撫でる。
「⋯⋯⋯⋯この子の魂が侵されとるからや」
「え、と⋯⋯⋯⋯つまり?」
「仮にこのまま侵行が進んで魂が侵され続けた状態になると、理性を食われ、知性を乗っ取られた上、人格は【悪魔】が主軸になる。それと同時に本来の骸魅喜雨自身の人格はもう何処にも行けない」
隣に居た牧原によるへさりげないコンサルでようやく意味を理解し始めた軽井は恐る恐ると聞く。
「天国とか地獄とか、そういう事ですか?」
それには誰にも答えなかった。
僕達の視点では『天国』や『地獄』というものを観測出来ない。
朝倉さんに聞いた事もあるけど、
「言ったらつまんないじゃん?死ぬまでのお楽しみだ」
と、軽くあしらわれた記憶もある。
今になって思えば『現象』の蔓延るこの世界で不用意な言葉は避けたかったのかもしれない。
聞いた場所も人気の多い所だったし、尚の事だったのだろう。
「まぁあれや、ウチらは『刃龍の血』がいるんや。姉やからな、こんなんでも」
「そのまま殺す⋯⋯⋯⋯というの、は⋯⋯⋯⋯。あ、いや、ごめんなさい!」
失言だった、そう即座に判断した軽井は口元に手を添えて、自身で押さえる。
けど既に、戦う気どころか論争する気も起きていない笑撫さんは「あ〜それな」と軽口を放つ。
「ウチもそれは考えたんやけどなぁ⋯⋯。普通に殺すと【悪魔】が吹き出して来よる羽目になるって分かってな⋯⋯」
嫌な習性だな【悪魔】っていうのは。
いや、悪魔だからか。
普通、宿主が死ねば取り憑いた奴も死ぬ。
それが相場だろうに⋯⋯。
「現実的な話をしてしまうぞ?⋯⋯⋯『刃龍』は死んだぞ」
「⋯⋯⋯⋯は?」
悪い情報を伝えられた笑撫さんは骸魅ちゃんから手を離して、立ち上がる。
驚愕の事実に立ち眩みでも起こしたのか、僅かに立ち上がった姿勢は崩れるもすぐに立て直された。
そして、僕、軽井、牧原へと順に視線を向けていく。
その表情と瞳に僕の胸はギュッと締め付けられる。
口元を強く引き結び、思わず視線が逸れた。
「どういうこっちゃ?!『刃龍』やぞ?!晩年長寿すら容易い生命体やで?不老に最も近い生命体。殺戮生物の権化で世界が定めた究極生命体やで!死ぬ筈ないやろがッッ!」
張った大声に軽井とサナがビクッと身体は跳ねさせて、思わず僕の背後に移動しだした。
普段なら苦言の一つも言うのだが、あってはならなかった衝撃の真実に笑撫さんの顔付きが徐々に強ばっていく為、仕方ないと諦めざるを得なかった。
「死ぬさ。死なない生命体は生命体としてカウントされない。当たり前の事を抜かすな」
「戯けが!嘘こくなや!」
「本当です。⋯⋯⋯僕が死に目を見ましたから」
肩が痛い。
僕の発言で今度は軽井が僕の肩を強く手で締めてきた。
「おい!痛いだ⋯⋯ろ⋯⋯⋯⋯」
どうしてだろうか、彼女の死を一瞬思い返してしまった僕以上に、背後にピッタリ位置する軽井の方が悲しそうに見えた。
「⋯⋯先輩、あの⋯⋯」
「⋯⋯大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、自分でも分からなかった。
きっと、僕自身に言い聞かせる、そういった所もあったのかもしれない。
けど軽井だって、考えて、感じ取れる。
そんな女の子だからか、不安そうな顔は維持されたまま頷いた。
「ほんまかいな?冗談なら許さんぞ?」
「本当だ。少なくても、死んだのは事実だ」
「『龍の長』はどないしたんや?おったやろ?!『老師』なんて言われとる奴!アイツも『刃龍』やったやろ!」
「⋯⋯⋯『六華』⋯⋯『刃龍』が殺しました」
丁度、この空間のど真ん中だったか⋯⋯。
頭部を片手に持って、首から吹き出した血吹雪を全身で浴びながら、悲しそうにコチラを見つめていた六華が立っていたのは。
あの日の、あの時の僕はまた信じていた。
『人間』と『現象』が僅かでも手を取り合える日が来るかもしれないと。
六華と僕が親しい間柄になれたのなら、他も可能なんじゃないか、そう感じていた。
けど、現実はそんなに甘くないし、人間の寿命じゃ足りないぐらいに『現象』というのは蔓延り過ぎている。
気付いたんだ。
六華の方が変わり者なんだって事に。
「じゃあ、現存する『刃龍』は⋯⋯⋯」
「居ない。もう死滅した」
「⋯⋯⋯嘘やろ?なんの為にここ来たんや⋯⋯」
苦渋の表情で顔を手で覆い隠すようにする笑撫さんに声を掛けれる者なんて誰一人として居ない。
妹の骸魅ちゃんですら。
呆然と座ったままの少女は両脚を前に伸ばしたまま、苦しそうにする姉を見つめるだけ。
「ウチにはもうアレしかないねん。⋯⋯⋯⋯殺した奴誰や!『除者』か?『龍』か?!どっちやねん!」
『除者』と『龍』のどちらか。
そう問われれば後者だろうが、割合としては低い。
でも、言わなきゃいけない。
これを知ってるのはこの中では僕だけだろうから。
「『龍』と日本政府です。少なくても、僕にはそう見えた」
「⋯⋯⋯⋯国から理想奪われたっちゅうんか」
日本が『現象』に対して無関心で居続ける訳がない。
動く時は動く。
少なくても、あの時はそうだった。
世間には非公表。
それは混乱を生まない為だけ、という訳ではない。
「朝倉さんが居れば、何とかなりませんか!?帰って来る可能性とか!」
軽井がそう期待を籠めるように口添えする。
しかし、期待以上の成果はなさそうだ。
「そもそもの話な、『刃龍の血』使えば治る言うたんはその朝倉くんなんや。知っとって口にせんかってんな⋯⋯」
悲壮感と絶望感に埋もれる笑撫さん。
既にここに僕達がやって来た時程の覇気は無くなっていて、何処か投げやりな感じすら見受けられた。
「完全に手駒に取られてもうてるやん。分かっとって突き放したんやな⋯⋯この街から」
朝倉拓也は身贔屓をする。
朝倉拓也は時に残酷な選択を強いる。
僕はそれを知っていて、取捨選択を迫られた時、可能な限りそれに応えられるように努めてきた。
けど、コレは⋯⋯⋯⋯酷すぎる。
『刃龍』と僕の夏に起きた物語の為、その邪魔が入らないようにする為の対処、恐らくその為に遠方に飛ばしたんだと、おおよそながら理解出来る。
この人と六華の性格からして合わないのは見て取れる。
仮に正面から堂々と、血が欲しい、そう言っても六華は断るだろう。
自業自得、死ぬのもそうなるように選んだの全部も自分でしょう?
なんて事を言うに決まってる。
だから、間違ってるとは思えない、その筈なのに⋯⋯。
笑撫さんを見てると、少し揺らぐ。
間違えばかりの夏休み、去年の忌まわしい記憶が再燃する。
調子に乗って、奢り昂りで息巻いてた愚か者の僕。
『龍』である事に誇りと自信に満ちて、その矜恃よりももっと大事なものを見つけて死んで行った六華。
そして、大事なものを全部処分されてしまって忘却された友人。
全部、全部、間違えだらけだ。
その中でも、コレは突出して酷いと感じた。
どう進んでも項垂れて、苦悩する未来しか選択されていない笑撫さんの現実は⋯⋯残酷に過ぎる、そう感じてしまう事は間違いなのか、それすら僕には理解が出来なかった。
「⋯⋯⋯桐江くん。⋯⋯⋯『刃龍』はどんな顔して死んだんや?死に目に会ったんやろ?」
「⋯⋯⋯⋯笑ってました」
「⋯⋯そうか。自分がそうしたんか?」
「分かりません。けど、僕一人でアイツを笑わせるのは無理だとは思ってます」
積み重なった関係と過ごす日々によって、『龍』という人間よりも畏怖の対象として見られる存在でありながらも、六華は人前でも笑っていたんだと思う。
そして、人として形作ったのは間違いなく僕ではなく『アイツ』だ。
だから、僕の力では決してない。
「アイツが⋯⋯⋯家族が居て、友人が居て、好きな場所があって、大切なものがあった。全部捨てるよりも、全部生かす道を取った。その結果がアレだと思います」
「⋯⋯⋯一回だけ会った事あんねん。『刃龍』にな」
「え?」
「殺気を殺気で返されてもうてな、アカンとか思っとってんけど監視してたんよ。そん時に偶然見てもうたわ。あの『龍』⋯⋯人の余生送っとるみたいに朗らかな顔して、その辺のガキに手振りよってな⋯⋯。近寄れんって思ってもうた。あれにちゃちゃ入れんのは、誘拐犯ぐらいのもんや」
「⋯⋯⋯⋯」
確かに六華は帰り道や通学途中によく小学生と話していた。
丁度、蒼太が通っている小学生の生徒だったろうか。
人目も気にせずに子供みたいに無邪気に笑う六華。
⋯⋯⋯。
「────会いたいな⋯⋯⋯⋯」
ボソッと呟いてしまった。
「⋯⋯⋯⋯」
沈黙がこの空間に流れ込む。
誰も発さず、夏の暑い季節にしては些か空気が冷たく感じるこの空間で僕達は立ち竦むのみ。
そんな空気を破ったのは笑撫さんだった。
「なぁ、桐江くん。自分、なんで殺されるかもしれんと思ってここ来たん?」
「正直、殺されるとはあんまし思ってませんでした。まぁ、実際は違いましたけど」
ここで首を絞められたのはある意味では誤算である意味では計画だった。
『マーキング手形』があったから、大丈夫だろうという驕りもあるにはあったが、それでもアレは二度と食らいたくない。
瞼を閉じて思い出そうとすれば、笑撫の怒り狂った表情と首元を締め付ける感覚が思い起こされてしまう。
「⋯⋯笑撫さん、昼間に僕へ攻撃した時、加減してくれたでしょ?」
昼間の腹部への大打撃。
ショッピングモールの床を倒壊させる程に勢いと火力が詰まった一撃なんて、普通に食らえば死までノンストップ一直線は必然の事だった。
けど、実際には生きているし、牧原が自宅まで運んでくれた際も息はしていたらしいから、手加減の類いは彼女なりにしてくれていたという事になる。
あれ?どうしてだろう、思い返すと腹が痛く感じるのは何故だろう。
「あれで思ったんです。この人乱暴だけど、人の味方なんだなって。ドラゴンハンター自称してた奴とか見てると、どうしてもそう思えるんですよ」
「あー、あのマセガキかいな。アレは異端やからや、同じ枠に放り込まんといて欲しいわ」
アイツ、笑撫さんにとっても異端扱いなのか。
だとしたら、相当だぞ。
まぁ、分からなくもないかも。
あの価値観というか、破滅主義的な思考回路は根っかららしいから、相性が合う奴なんてそうそう居ないのだろう。
ざまぁみろ、ヴォルドック。
「⋯⋯⋯⋯けど、そっか。人の味方か⋯⋯⋯」
「笑撫さん?」
「いやな、なんか⋯⋯。いや、なんでもないわ」
思う所でもあったのだろうか。
口にしようとして、すぐに呑み込んだ言葉に興味がそそられた僕だったが、聞ける雰囲気でもなかった。
そんな時、牧原が笑撫さんに近付くように歩き出して、真正面で停止する。
格好を付けるように腰に手を添えて、ポーズを決めた牧原は何故かグラビアアイドルみたいに見えてしまったのだが、素なのか、狙っているのか、どっちだろう。
「どうするんだ?大洲藍莉と桐江舞喜、双方殺すか?」
「ん?桐江舞喜?⋯⋯⋯⋯それってつまり」
「貴女が殺そうとしたのは、僕の彼女と妹だ」
「⋯⋯はっ。そうか。──はぁ〜、なんやろね。こういう時、人の心なんて無くなってもーたらええのにって思えるんは⋯⋯」
同じ妹を持つ立場として、何かかしらの躊躇いがあったようで、僕としてはソチラの方が驚きだ。
舞喜の奴、僕の事をかなりの回数呼んでいたのを覚えているけど、この人聞こえてなかったのかな?
脱力したように座った笑撫さん。
両腕を後ろに持っていき、地面に手を付けて無防備な状態となった彼女は僕の方へと再度視線を送り、少し微笑んだ。
「けど自分、ようやれるわ。ハッキリ言っておかしいで?彼女にぞっこんなんと、妹好きなんはえぇ。けどな、自分の事に関してちょっと無責任なんとちゃう?」
お前が言うな、そう誰もが笑撫さんへと視線を向けた。
けれど、彼女は素知らぬままである。
無責任という訳ではない。
僕だって死にたくないし、生きれるなら生きたいとは思う。
けど、譲れないものも確かにあるってだけだ。
「⋯⋯だって、見たいでしょ」
「何をや?」
決まってる。
夏休み中に出来る事はいっぱいあって、僕だって一度は見てみたい姿がちゃんとあるのだ。
「彼女の水着姿ですよ。悩殺必須っすよ?」
「⋯はっ。訳分からんわ。ホンマ⋯⋯」
空元気にも似た乾いた笑いをする笑撫さんに、僕はちょっと傷ついた。
男の子なら、付き合ってる彼女の水着姿を見てみたいと感じるのは不自然な事では決してない。
それをどうしてここまで薄ら笑いにも似た声を出されねばならんのか、甚だ疑問だ。
「思春期しとんねんなぁ。ウチなんて精も根も尽き果てもうてるからなぁ⋯⋯」
「エ?お姉ちゃん嘘は良くなイ。つい最近も彼氏の金でウハウハしたいって口にしてたじゃなイ」
「⋯⋯それは欲や」
とんでもねぇ欲望だな。
叶えるのにどれほどのアプローチと目利きが求められるのだろうか。
「けど、ウチもその妹さんの事は目に余る。やから、喜雨を置いてく」
「え?」
何言ってんだ、この人。
この人は二人三脚式で骸魅ちゃんが欠けると、パワーダウンすると聞いている。
なのに、わざわざ自分の方から戦力を削りに行くような事をこの人は口にしたんだ。
動揺、というか罠かと疑ってしまう。
けどそんな僕の思考や気持ちをおざなりにするように彼女は言葉を走らせていく。
「自分家、狭いか広いか知らんけど、ちょっと様子見させてくれや。この子に色々教えてやってくれ。自分、得意やろ?昨日も世話してたみたいやし」
「いや、あの⋯⋯」
「それなら、襲わんって約束する。喜雨の知識使って妹さんとかの対処したらええ」
願ったり叶ったりな条件ではある。
そもそも僕達は藍莉と舞喜が笑撫さんに襲撃されるのを防ぎたかっただけの事で、それ以上の要求は正直高望み感もあったのだ。
なのに、それがどうだ⋯⋯まるで棚から牡丹餅とばかりに好条件に破格の内容と来たもんだから、僕は耳や目を疑ってしまう。
「お前は妹と離れ離れだぞ?シスコン女」
「シスコンは否定せんけど、蛇に言われんのは癪やな⋯⋯⋯」
何やら言い合いをし始めた二人。
険悪というには変わりないのだが、殺気立ったものがなくまだ落ち着いて見ていられるものとなっている。
そんな二人の口論と傍から見ていた僕の間に骸魅ちゃんが現れて、両手を自身の頬に当ててみせた。
「ポッ」
「何やってんの?」
「その方が妹ポイントが上がるかなっテ。本に書いてあっタ」
それにする相手が僕なのもおかしな話だ。
僕じゃなくて姉の笑撫さんにするのが通例だろうが。
僕はお前の兄貴じゃねぇんだが⋯⋯。
「すげー嘘書く啓発本だな」
「嘘?!⋯⋯⋯馬鹿ナ。桐江お兄ちゃん、嘘は良くないヨ」
「それこそ嘘だろ⋯⋯」
照れればポイントの獲得が可能なら、舞喜なんて落第級になる訳だが、ちゃんと救済処置の類いはあるんだよね?
無かったらクソシステムだぞ。
あの子なんて、つい最近になってようやく照れるという行為を覚えたようなものなのに⋯⋯。
「どないするん?ウチはこの蛇相手に今からでも逃げられるで?」
催促の言葉が笑撫さんから飛び込んできた。
悩みはする。
罠の可能性もあるし、美味しい話が過ぎる訳で⋯⋯。
僕は笑撫さんの方へと視線を送り、彼女の真意を探ろうとする。
彼女はそれに気付く。
すると───。
朗らかに笑っている⋯⋯その筈なのに何処か哀愁のようなもの漂っている。
それがどうしてか、僕の要求を突っぱねようとしていた反抗心や疑心暗鬼な思考を一気にかなぐり捨てさせた。
「⋯⋯⋯⋯分かりました。骸魅ちゃんは僕が貰いますね」
「お兄ちゃン。幾久しく末永く宜しくネ」
「前半のそれ、祝う側の言葉なんだよなぁ⋯⋯」
「意味合いダブっとる⋯⋯」
一体どんな教育をさせてきたんですか、笑撫さん。
僕この子を貰う気もないし、誰にも渡せる気もしないんですが⋯⋯。
水着回、欲しい?僕は要らない⋯⋯。
またネットで拾って来なきゃじゃん。
それとも、また店に行けと?
僕は着衣泳のように素面の格好で泳いでる所見るのが大好きです。
だって、水着って特別感はあっても日常的には思えないし。
子供の頃に会ったピンクの水着着てたお姉さん、元気かな⋯⋯。
すげぇ優しかった⋯⋯。




