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この街は今日も語る  作者: 紫芋
夏休みシリーズ 大洲藍莉と夏を謳歌したい

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72/96

それは何時も見ている

『空弩街』の西地区には僕が唯一、自らの意思では行きたくない場所が一箇所あった。


 その場所は既に錆が酷く、出入口から施設の一つ一つに至るまで、赤茶色の染みが広がっている。


 かつては年間百四十万人程の入場者数を記録したその遊園地だが、今は、見る影も無い程に『夢の残骸』と化してた。


「先輩、どうしたんです?あそこに何かあるんですか?」


「え?⋯⋯いや、何もない」


 見つめていた先は屋根が傾いてしまい、無惨にも壁がひび割れている小さな正方形の店。


 この遊園地限定のマスコットキャラクターのぬいぐるみとタオル等の商品売場だったその場所。


 けどその場所には誰も、何も無くて⋯⋯寂寥感に心は囚われた。


「桐江、今は集中しろ」


「⋯⋯⋯⋯分かってる」


 牧原に注意を受けた僕は先を歩く軽井の後を追うように脚を動かした。


 大きな噴水がある地点を抜けて、メリーゴーランドのあるスポットを過ぎて行き、体感型アトラクションとして人気を博していた、かつては二時間待ちだった場所を淡々と抜けて行く。


 そして、その先にある僅かに亀裂が入ったその地面が目に入り、僕は唇を噛む。


「なんですか?このヒビ?!⋯⋯⋯本当にこんな所に居るんですか?」


 軽井が恐る恐る、亀裂の入った地面を靴裏で擦るようにして安心かを確かめる。


 ここは、僕が失った場所⋯⋯。


 僕が朝倉さんに唯一叱られた場所でもあった。


 目を背けるように逸らした視線の先。


 僕は絶句したように口をポカンと開けたまま、凝視した。


 そのまま、それが確かにあるのだと証明するように身体は勝手にその場所へと歩き出す。


「先輩どうしたんですか?そっち、フェンスの先には何も無いですよ!?」


 そんな事は分かってる。


 でも、それでも手を伸ばさなきゃならない。


 あの日、一人の女の子を包んだ薄生地の長くて白い布。


 閃光に散ったと共に風に靡かれ、お役目御免のように吹き飛んで行ったあの布が、フェンスに引っ掛かった状態で、そこにあった。


「⋯⋯⋯六華⋯⋯」


 黒と茶色に汚れてしまい、純白なんて口が裂けても言えなくなっているその布切りにそっと触れる。


 肌触りなんて覚えてないし、冷たいのか温かいのかすら判断の付かないその白い布を掴んだ僕はそっとフェンスから引き剥がす。


「先輩、なにやって──」


「やらせてやれ。あれも弔いなんだろう」


「と、弔い?誰のですか?」


「⋯⋯⋯⋯」


 懐かしさが心に広がった。


 近くにある荷車のような形状をした売店はアイスクリームがあり、ぼったくりだと二人で喚いた記憶がある。


 その奥にデカデカと見える観覧車に対して六華は、自身の方が高く飛べる、そう豪語していたのが懐かしい。


 水が流れていない汚れ切ったウォータースライダーも、ショーをやる為に作られた壇も、急回転が売りだったジェットコースターも、休憩スポットとして大々的に並んでいた店舗も、全部が今でも蘇ってくる。


 なんであぁなったんだろう。


 どうして、自分だけが全くの無事で済んで、他の奴らは⋯⋯⋯⋯。


 思えば、僕はあの日から自分に対して頓着というものが──いや、価値の順位を敢えて落として生きるようにし始めたような気がする。


 この廃墟のように何処かで錆れ切ってしまえば、また何か違えたのか。


 夢に見る。


 この時期だけに留まらず、何時も見る。


 変な事件に巻き込まれていない時は特に⋯⋯。


 三人で歩いた帰り道──あの時の光景から、六華が死んだ時の感触とその視界に映った全てが何時までも離れない。


 ずっと焼き付いて、爛れたように染み付いて、しがみ付いたそれは、一生の傷として残った。


「⋯⋯桐江、もう良いだろ。このままでは病る事になるぞ?」


 言葉と同時に腕は掴まれた。


 僕は驚いたように目を見開いて、その腕を掴んだ人物へと目線を向ける。


「⋯⋯⋯⋯なんだよ、それ」


「⋯⋯今のお前の感傷だけで、奴は蘇らんと言ってるんだ」


 そんな事は分かってる。


 でも、僕のせいでアイツが死んだ。


 その現実も覆ってはくれない。


 どうしても、それが悔しかった。


 悔しくて堪らない。


「行くぞ」


 牧原に掴まれた腕によって、僕は軽井、サナと共に遊園地跡を進む。


 あの人達がここに居るというのなら、その場所にも心当たりがある。


 唯一の秘匿性があって、誰にも干渉されず、ひっそりと住める場所。


 ───屑共の巣窟。


  ━ ━ ━


 プツプツと音を鳴らすスピーカーが部屋の角際に設置されており、何時までも不定期に鳴る雑音は鳴り止む気配を見せない。


 その空間には血の匂いが充満し尽くしている。


 床から壁、天井、そして放棄されたままの器具と家具には血痕がビッシリと染み付いていて、剥がれる気配は既に無い。


 真ん中には革製の長いソファと、人一人分程の長さをしていて内部が僅かに斜面となっており、斜面のゴール地点には穴がある台がソファの前に置かれていた。


 乾き切った血痕が大量に染み付いたソファに寝転んでいる骸魅笑撫はグラスに注がれていたハイボールが空となっているのに気付き、不満そうにしながら、目の前にある台へグラスを叩き置く。


 つまらなさそうにソファへ全身を預けた笑撫。


 薄暗く割れた電灯の仄暗い照明を呆然と見つめていると、階段からステップでも踏んでいるのかと言いたくなるほどに軽快な足取りで降りてくる足音に視線を移す。


「お姉ちゃン。誰か入ってきたヨ?」


 髪の全体は桃色、しかし頭頂部から先端へ向けて何本もの線のように染め上げられた黄、白、緑色のメッシュのような髪色。


 童顔に愛くるしさが目立つクリっとした深緑色の瞳。


 一見すればピエロの格好をした黄色を基調としたカラフル色な人形のような女の子。


 骸魅喜雨が階段を降り切ると共に口にすると、笑撫は怪訝な顔をした。


「はぁ〜?こないな時間にか?有り得んて。そもそもここ、隠し扉からでしか行けんやろ?なんで見つかんの?」


「ワタシに言われても、分かる訳ないじゃン」


 正面にある台へ手を掛けて、ガタガタと小煩い音を鳴らしながら、ひんやりとした台に座り込む。


 脚を無邪気に前後へばたつかせながら、履いていた厚底ブーツの紐を緩ませていく。


「⋯⋯一応聞くけど『除者』って事、あるん?」


「無いね、違いすぎル。反応からして四ツ。その内の一人はお姉ちゃんが取り逃した蛇ダ」


 天井の方へ視線を向けて、少しずつ部屋の角へと逸れて行く瞳。


 埃で埋め尽くされたその部屋で瞬きもせず、凝視し続ける少女。


 一方、笑撫はソファから起き上がると、勢いよく跳び、台の前まで来て着地する。


 首を左右に動かしながら、骨を鳴らす。


「⋯⋯⋯へぇ。どんな因果か知らんけど、また会えるんかぁ。殺り甲斐があるっちゅうもんやな」


「残り三人は分からないけど、人だネ。⋯⋯⋯ッ!」


 表情に変化はない。


 だが、僅かに動揺したように小さく漏れた驚きにも似た声に笑撫は背後へ振り返る。


「どないしたん?皮剥がされて、その皮の中身覗けって言わてもーた人みたいな顔してもうて」


「お姉ちゃんよりも胸が大きい人⋯⋯。なんて事ダ。年増であろうと生娘であろうと、お姉ちゃんの貧相ボディが今日泣く日が来ちゃっタ。南無南無」


 合掌してわざとらしく瞼を閉じた喜雨に思わず舌打ちをしてしまう笑撫は手の関節を鳴らしながら、ゆっくりと近付いて行く。


「どつくぞ。大体な、ウチのは貧相なんとちゃう。抑えただけや、遺伝子がな」


 言い聞かせるように呟いた笑撫の言葉に説得力が無い事は笑撫自身が最も分かっていた。


 しかし、それでも言い聞かせなければ気が収まらない。


 決して彼女自身の胸が小さいという訳ではないのだが、何故か彼女の友人は悪魔がサイコロでも振ったのかと言わんばかりに、軒並み巨乳がデフォルト。


 学校の水泳も、修学旅行のお風呂も、お泊まり会の時だって、比べてしまうのは決まって巨乳ばかり。


 結果どうなったかと言えば、骸魅笑撫の基準は一般と違って少し歪んだ。


 そのせいで、的外れではない言葉も彼女が紡げば自己弁護に早変わりとなってしまう。


「つまり、彼氏が出来ないのも遺伝子のせい、だネ」


 一方、骸魅喜雨は笑撫が貧の部類ではないと知っている。


 周りをよく俯瞰して見る事が多い彼女にとって、世間一般的な大きさというものを正しく理解できているのだ。


「自分、情報偏っとんとちゃう?胸見んのって、童貞か巨乳好きしかおらんて。ちゃんと顔で判断してくれる奴かて居るでぇ?偶々ウチの近くには居らんかっただけや。居らんかった、だ・け・やッ!ええなぁ?」


 凄む彼女に気圧されて、台ごと移動しそうになった喜雨の上半身はどんどん倒されていき、台の側面と裏に手を掛けて支えとしていた。


 しかし、そんな事が何時までも耐えられる筈も無く、徐々に腕が震え始める中、思い出したように笑撫の方へと顔を向ける。


「そうそう、お姉ちゃン」


「ん?」


「意気込むのは勝手だけど、ワタシが昨日『マーキング』した反応もあるんだヨ」


「それ、どういうこっちゃ?」


 遂に喜雨の腕は限界を迎え、頭は下に落ちていく。


 その勢いを殺す事はせず、後頭部は台の表面にぶつかる事なく通り過ぎていく。


 上半身が下に落ちる感覚に慌てふためく様子もない喜雨は流れるようにパンツ丸見えの見事なバク転を披露した。


「つまり、ワタシは手出しが出来ないって事。それとその人、今日の昼にお姉ちゃんが情けなくて堪らないぐらいの八つ当たりで殴り飛ばした男の子の事だヨ」


 仄暗さが目立つ照明を鈍く反射する台を挟んで向かい合う喜雨と笑撫。


「⋯⋯⋯⋯ソイツ、なんで立っとるん?少なくても全治二ヶ月とか余裕でいける怪我やったで?」


 自身の右手を不審そうに見つめる。


 その手はその男の子の腹部目掛け殴り飛ばした拳であり、今でもその感触は残っていた。


「分からなイ。でも、ワタシに間違いはない」


 だが、目の前にいる少女は間違わない。


 ましてや『マーキング』をしているのなら尚の事、勘違いという筋は消え失せる。


「⋯⋯せやねぇ〜。どないしよか。蛇と男の子はウチがやるとして⋯⋯残り二人、喜雨。自分やるか?」


「ワタシは暴力を是としないヨ?」


「嘘こけ。自分の方が怪力やろが。それにや、またあの蛇に逃げられても堪らんねん。自分やったら把握出来るやろ?」


「愚問だネ。そういう風にしたのはお姉ちゃんなのニ」


 台の横を通り過ぎていく喜雨に合わせるように階段の方へと身体を向けた笑撫は不敵に笑う。


「ほな、行こか。蛇退治や。迅速で終わらしたる」


 身構える必要性は要らない。


 女は知覚している。自身が強いという事を。


 その拳と洞察力、経験値は数多の化け物を屠り、滅してきたと自負している。


 少女は認知している。自分と姉が組めば無敵である事。


 自身に備わったその観察眼と揺蕩う事を知らないその精神は何者にも屈する術を持たないと豪語していた。


 階段をゆっくりと一歩ずつ、踏み外しの無いように細い足場を歩き出す。


 切れ掛かった照明がプチッと音を鳴らして掻き消える。


 スピーカーから響くノイズは今尚鳴り続けている中、不穏な空気を漂わせながら光源のない空間は暗く沈んでいく。


 二人は見逃した。二人は見逃された。


 その空間全ての影と闇に潜んでしまった者は今も。


 ────そこに居る。


  ━ ━ ━


 暗がりのその場所は男の子の浪漫の一つ。


 その名も『秘密基地』


 だが、この場所は『秘密基地』であると同時に『秘密結社』の巣窟であり、忌まわしい記憶の根っこ。


 スタッフ専用の出入口から真っ直ぐ進んだ廊下の先にある突き当たりを右に曲がる。


 五歩先を歩き、足元にあるコンセントを軸に真上を見上げて、天井を突く。


 そして、絡繰のように天井から出てくる掌よりも大きな綱を引くと、真正面の壁は右方向へと畳まれるように開かれていき、階段が現れる。


 当時の僕はそれを、カッチョイイ!とか目を煌めかせながら口にしていたが、今見ると、薄汚れたゴミ溜めにしか見えない。


 どうしてあの頃の僕は、こんな煤に塗れて手すりもない階段だけでカッコイイと思えたのか、甚だ疑問だ。


 薄気味悪さが勝るそんな階段を見た軽井とサナは思わず息を呑んで、牧原は鼻を嗅ぐ。


「⋯⋯この匂い⋯⋯老師?」


「居たな。そんな風に呼ばれてる爺が⋯⋯」


「知ってるのか?!」


 言い淀んでしまったと、僕自身が理解してしまった。


 伝えるべきか、それとも逸らすべきか。


 しかし、この状況で牧原から逃げ遂せる自信は無かった僕は少し間を置いて口にする。


「⋯⋯⋯⋯六華が殺しているのを見た」


「なっ、何故だ!?あの方はむしろ人間に対して友好的に見えたが⋯⋯。それに、六華も頼りにしていて⋯⋯」


 理由ならあった。


 出来てしまった、そう言っても良いのかもしれない。


 けど、ここで語るのは吝《やぶさ》かというものだろう。


 唇を引き結んだ僕は階段へと脚を踏み入れた。


「行くぞ⋯⋯。どうせ、この奥に居る」


 歩く速度は変わらない。


 横幅の細い一本道の階段を一人一人通って行く。


 壁は肩を僅かに擦る程度の細さは、空間そのものの匂いも相まって大型動物の食道を通っているようだった。


 先頭に僕、その後ろに軽井とサナ、後方からの奇襲に備えて牧原が最後尾という列を作っている僕達に言葉は無くなっていく。


 四人分の足音と息遣いと僅かな恐怖感と不安感に苛まれて、近くで鳴った小さな物音に怯えるサナの声とそれを安心させようと小声で宥める軽井の声が聞こえるのが精々で、それ以上のものは何も無い。


「───────!着いた、ここだ」


 途切れた段差の先は僅かに光を帯びていて、あの時の光景を思い出させる。


 警戒心は段差を下り切ろうと脚を動かす度に上昇していき、息が詰まりそうになった。


 既にこの先の空間から僕達がそこまでやってくる足音は聞こえている筈。


 残り八段という所で階段に向かって伸びている影が二つある事に気付き、思わず足を止めた。


「せ、先輩?」


 急に脚を止めた僕のすぐ後ろを歩く軽井が僅かに声を上擦らせた。


 軽井達からでは僕が見えている二つの影は見えていないようで、何故急停止したのか理解できていない様子だった。


 後ろを見上げると軽井とサナは不安そうにコチラへ顔を覗かせて、牧原はおおよそ察したように身構え始める。


「⋯⋯待ち構えてる」


「⋯⋯⋯気付かれているという事か」


「じゃあ、予定通り頼んだぞ。────牧原」


「誰に言っている。やりきってみせるさ」


 その言葉を合図に僕は階段を下りた。


 徐々に映し出される二人の存在。


 腰に手を添えて待ち構えていた女性と佇んで呆然とコチラを見つめる少女。


 威風堂々と並んで立つ二人の気迫は肌を触り、僕達から勝機や活気というのを奪ってくるようだった。


 階段の先にあるのは円状の空間。


 坪数とか畳数とかは詳しくないけど、多分半径八メートルぐらいの広さがあって骸魅姉妹の奥には監視用のモニターと小さなテーブルが設置されている。


 左右には頑丈そうな鉄の扉が一つずつあって、左は知らないが、右は投獄部屋で行った事があった。


 そして、一番の問題は──監視用のモニターが置かれたその箇所の左側。


 僕にとっても真新しい真っ黒の扉だ。


(なんだアレ?去年の夏にはあんなの無かった。誰かが設置した?なんの為に⋯⋯)


 見ているだけで胃がキリキリする。


「迷わず来よったやん。⋯⋯驚いたで?ここ初めてちゃうんか」


「っ!」


 意識が一気に目の前に居る姉妹の方へと向いた。


 息を呑む。汗は頬を滴るも拭う事は出来ない。


 目の前に居る女性の一挙手一投足がどんな意味を齎すか、思考は無理矢理にでも直結しだして昼間の事を想起させる。


 その隣に居る少女の不可解さと不気味さは昨日の出来事を思い出させた。


 いずれも僕では足元にも及ばない程の難敵であると同時に交渉相手。


「しかも五体満足に立っとるやないか。自分、どうやって復活したんや?どんなチート使ったんよ」


「自分⋯⋯?」


 関西人の話し口調はイントネーション含めて、話がグダリそうで妙に怖い。


 ちょっと反応や判断を間違えると、交戦に入られる可能性だってゼロじゃない。


 空気全体に緊張感が走り出す。


「自分ってのはコッチやと、お前っちゅうこっちゃ。んで、どうなん?」


 僕に指を差して、レクチャーする笑撫さんの表情に油断や慢心といった類が見受けられない。


 まだ警戒されているし、むしろ一歩でも動いたら、そのまま殺されそう、という緊迫感が鼓動を早めていく。


「僕にもよく分かってませんよ。少なくとも、僕の力でどうこうしたって訳じゃないです」


「ふーん。まぁ、ええわ。⋯⋯⋯⋯で、何用や?」


 本題が早速来た。


(落ち着け、落ち着け⋯⋯⋯⋯。相手は人間で『現象』じゃない。感情的に多少なっても許して貰えるし、ロジカルよりも訴え掛けるように⋯⋯)


 息を吸い、呼吸を整える。


 傍から見ても緊張していると誰でも分かる僕の行動に口を挟む者はいない。


 僕が目の前の二人に比べても弱い部類に位置している事を皆知っているからこそだ。


 そんな空気感を不安払拭の為の安心材料にして、僕は口を開く。


「藍莉と舞喜の二人を襲うのを止めて貰いたいんです」


「理由はなんや?」


「え?理由って⋯⋯」


「こっちは使命なんや。やらなあかんって決めとる。社会人でも否応なく働かなあかんやろ?それと同じや」


 イマイチ、何が一緒なのか、僕には理解出来なくて、自然と目に力が入ってしまう。


 そんな僕の表情を見て、唸る声を小さく上げた笑撫さんは考える素振りをした。


 どうすれば僕に理解して貰えるのか、それを念頭に置いたんだろう。


 しばらくして彼女は考える素振りを解いて床に転がってあった割れた瓶を拾ってみせる。


 そして、その割れた瓶の先端を指で掴みながら左右に振り子のように振り出した。


「世界から見て日本ってのは綺麗言われとるけど、ウチはそうは思わん。昔栄えとった歌舞伎町なんかは煙草とゴミ三昧やったように、見えん所でどっかしらで誰かしらがゴミを道端に捨てとる」


 僕は訝しんだ。聞き馴れない土地名が飛び込んだからだ。


(かぶきちょう?なんだそれ、何処だ?)


 僕の疑問は停滞する。


 流れるまま、笑撫さんは言葉を続けたからだ。


「けど、世界はそれでも、日本は綺麗で環境の良い国や言うんや。なんでか分かるか?」


 そう言うと小さなテーブルのすぐ近くにあった円形のゴミ箱へ瓶を投げ棄ててみせる。


 突然やってきた瓶により音を掻き立てながらゴミ箱が回り始める中、僕の方へ視線を向けて首を僅かに横へ傾けて促す素振りをした笑撫さん。


 そんな彼女の思い通りになった僕は解答を口にした。


「貴方達がゴミを棄ててるから、そう言いたいんですか?」


「その通りや。どっかで必ず、誰かしらは見る。けどな、判断すんのはウチらやない。他人や。他人が評価するんよ。その評価落とさんように、ウチらは頑張っとる。まぁそういう訳やから、悪いんやけど、おどれの意見は却下や」


「っ⋯⋯⋯」


 つまり、仮に僕の交渉を笑撫さんが了承したとしても、世間様からすれば了承出来ない⋯⋯そう言いたいのだろう。


 だとしても、藍莉も舞喜もその世間様の枠組みに入ってる筈だ。


 それを蔑ろにしているのが僕は我慢ならない。


「そんな顔しても変わらないヨ。意地悪でお姉ちゃんは言ってないんだかラ」


 笑撫さんの隣に居る骸魅ちゃんが僕達の間に立ち、そう口にする。


 緑色の瞳は不気味な程に真っ直ぐコチラを見つめていて、一切の揺らぎもなく、指先一つ動かないまま、真正面に立っている骸魅ちゃんは言葉を続けた。


「桐江お兄ちゃン。少なくてもお姉ちゃんは、世間には貢献してル。それに『怪異』を祓ウ。これは、必要事項で決定事項で、必然的行動なんだヨ。お兄ちゃんだって、義務教育の終わったのに高校に行ってるのも必要と思った事で、ある意味決まってた事で、必然だと感じたから、行ってるんでしョ?誰に言われるわけでもなク。だから、同じだヨ」


 本当にそうなのか、僕は即決出来た。


 少なくても骸魅ちゃんは僕の思考までは読めないし、僕の人生を大して知らない。


 そこに付け入る隙があると感じて、僕は述べた。


「違うな、骸魅ちゃん。少なくても、僕が高校に行ってる理由は単純だ」


 そもそも、高校に行かないって選択肢だって一つの手段だった。


 けど、それは出来なかった。


 出来るならそうしても良かったが、それが出来る程、僕の人生はなんでも思い通りになった試しはない。


「大人になった時、後悔しないようにする為だ。英才教育が自宅で出来るなら、学校なんて行かないし、手早く高卒っていうレッテルが欲しかっただけだ」


 時に環境が邪魔する時もあれば、境遇が足を引っ張る時だってある。


 その中で選んだ僕の選択で、予め決まっていた訳でも必然的な事では決してない。


 実際に高校に行かなかった人が後から高卒認定試験を受けて、その資格を獲得している人だっているし、無いまま生きる人だっている。


 だから、必然性とか必要性っていうのはその人によって変わると思う。


「それ言い出すんやったら、将来的にあのドブ共が暴れへんって言う保証はあるんかぁ?ウチには化け物が身体ん中で蠢いてるようにしか見えんかったけどなぁ⋯⋯。どないやねん?」


 少々ピリついた雰囲気を醸し出した笑撫さんが口を挟んできた。


 問題はこの人だ⋯⋯。


 この人を説得して、そもそも藍莉と舞喜は『怪異』やら『現象』に憑(・)か(・)れ(・)て(・)い(・)な(・)い(・)、そう判断させなければならない。


 かなり苦しい言い訳になるだろうし、難しい道だろうが、やるしかなくなった。


「暴れないって保証を蔑ろにしているようにしか聞こえません。その辺はどうなんですか?」


「まだ坊ややねぇ。ホンマに羨ましいわ⋯⋯。ウチなんて歳食ってもうて、若い子のあの眩さに目が蕩けてしまいそうになるわ⋯⋯」


 悔しそうに、そして何処か残念そうに右手をそっと頭に添える素振りをした笑撫さんの溜め息混じりの言葉に身体が自然と後退しそうになった。


 言葉だけならなんて事のない。


 近くに居る若者に対して寂寥感やら哀愁を滲ませる言葉なのだが⋯⋯。


 どうしても殺気が感じられた。


 身震いと共に鳥肌が一気に全身を駆け抜けていき、心臓をギュッと掴まれたような感覚になってしまう。


 徐ろに上へ向いていた顔が正面へと向き始める。


 添えられた手に隠れて彼女の片目は見えないが、ハッキリと見えるもう片方の瞳だけで、伝わってしまった。


「自分、もしかしてやと思うけど、責任っての、軽ぅ見てない?」


 明らかな不快感と嫌悪感が入り交じった怒りの念に僕達は当てられていく。


 軽井は小さく悲鳴を上げてしまい、そんな彼女と前に居る僕を背後から前へとやってきた牧原は守るように片手を横にして警戒していた。


「今は暴れてない。今後も暴れん。それはええ事や。否定せんよ?けどなぁ、世の中そんな上手くいく訳ないやろ?単純に考えてみぃや。日本にかて、原発っちゅう画期的なエネルギーがあるやろ?けど、地震大国の日本にとっては爆弾傍に置いて飯食ってるもんやで?」


 被曝事故によるニュースやその後の中継、ドキュメンタリー番組なんかでも偶に観た事ぐらいはある。


 亡くなった人も被曝するという可能性よりも安全だという可能性に重きを置いて生きていた筈だ。


 それでも───。


「いつ被爆するか分からん。いつ地震が起こるか分からん。管理すんのも人間や。ミスはある。けど、ミスじゃ済まんから、責任ってのがあるんや」


 僕の言う責任と笑撫さんの言う責任って奴の言葉の重さが違うように感じた。


 というよりも、実体験の差なのかもしれない。


 一高校生の僕が負える責任なんて、大人に比べれば高が知れている。


 でも、僕はそれでも藍莉も舞喜も殺されるのはごめんだ。


 どうしても嫌だ。


「っ⋯⋯⋯⋯その時は僕が止めます!死んたって──」


「それで自分、責任取ったつもりかぁ?亡くなった遺族の悲鳴、聞いた事ないやろ?死体の数数えた事あるかぁ?理不尽って言葉を軽視しとらんか?」


 遮られた僕の言葉。


 軽井が僕の肩を掴んで震え始める。


 けど、そんな様子を確かめる程の余裕が僕には無くなっていた。


 照明に照らされて、目の前に居る一人の女性の眼光が鈍く映し出される。


「───おどれは甘いんじゃぁぁ!」


 空気が震撼した。


 身体が硬直して、身動きが取れなくなって、視線を離したくても離せない。


 汗は吹き出して、唇が震え始めた。


「自分にとって大事やから皆も大丈夫だぁ〜あ?そんな曖昧で揺らぎまくっとるポンコツ思考で、なに偉そうに口聞いとんねんッ、ド阿呆がぁぁ!」


 罵倒に対して反論が出来ない。


 僕にだって死体の数を数えた事も遺族の悲鳴を聞いた事だってあるし、それなりの覚悟を持って、ここに来た──つもりだった。


 それでも、算段や覚悟が足りなかったとでも言いたげに、笑撫さんは荒らげる声で僕達を一蹴する。


「せ、先輩!怒らせてどうするんですか!?」


 それは本当に悪いと思ってる。


 そもそも、ここまで感情的な人を見るのも久しぶりで動揺が先行してたのもあるし、何よりも⋯⋯。


 この人は多分、本気で心配しているだとも思う。


 叱られるのは見てくれている証拠。


 そう朝倉さんが言ってた記憶があるが、今日になって実感した。


 他人に対して無頓着かつ不必要と切り捨てて、割り切れるなら、声を荒らげずに黙って攻撃でもなんでもすれば良かった筈だ。


 それをしないって事は、僕達は甘めの裁量をされているという事になる。


 諦められない。


 逃げる時間だけなら、この人は幾らでも猶予をくれるだろう。


 けど、僕達がここに来たのは交(・)渉(・)の為だ。


 引き下がる理由はあるようでない。


「つー訳や。そこの蛇ぃ。殺されにもっと前出ろや?前菜代わりや。漬けといたるで」


 挑発にも似た仕草で人差し指をクイッと前後させる笑撫さんは笑っていた。


 不敵な笑みで大敵なんて存在しないとばかりに僕の傍に居る牧原を見る。


 そんな牧原は僕の方を見て、僅かに頷いた。


「───っ。桐江、後は頼んだぞ」


 作戦変更の合図が示された。


 僕は応じるように頷き返してみせると、ぎこちなく笑った牧原は一歩前へと脚を動かす。


「随分、素直やなぁ⋯⋯」


 挑発に使った手は下ろされて、背伸びをして身体を解しに入る笑撫さん。


 直後、牧原は一気に加速して、二人の方へと駆けて行った。


 牧原の狙う標的は、ただ一人──。


「!っ喜雨!」


 笑撫さんの反応が僅かに遅れたのが幸いだった。


「ッ!速イ⋯⋯⋯⋯」


「私の相手はお前だ」


 押し込むように骸魅ちゃんの身体を背後にある壁へと衝突させ、すぐさま壁は崩れると同時に牧原と骸魅ちゃんは今僕達が居る空間よりも更に暗い場所へと消えて行く。


 それを仕方ないとばかりに頭を掻いた笑撫さんは少々苦笑しつつ、大穴が空けられた背後へと身体の向きを変えた。


「連れてかれてもーたか。しゃーない、追っ掛けた───っ!動けん?!」


 僕と軽井には見えている。


『幽霊《サナ》』が必死になって笑撫さんの脚にしがみ付いているのが。


『霊感』と呼ばれる才能がない限り、触れられていると視認が出来ない『幽霊』は『除者』にとって、相当のアドバンテージになのは間違いなかった。


 実際、動かしたくても動かせない脚に違和感を覚えている笑撫さんは脚の方へと手をやって違和感を探ろうとしているけど、サナの身体を通り抜けていくばかり。


 今の機会しかない。


 骸魅ちゃんに余計なちゃちゃを入れられるのも勘弁だし、二人を遠く離せば、笑撫さんの怪力はある程度なら落ちる。


 交渉相手が実力的に近しいというのは精神的にはかなり助かる話だ。


 僕は数歩先へと歩き出して、笑撫さんの前へと立って言葉を投げ掛ける。


「悪いですけど、話、続けましょうか?」


「────若い子相手がこうも積極的なんてなぁ。変わったもんやなぁ⋯⋯時代も」


 随分と年老いた物言いをしながら、僕の方を見つめる。


 今回の目的は何度も言うが交渉が前提で、それ以外は無い。


 そんな交渉相手に対して、僕は失念していた事を思い出して口にする。


「そう言えば、忘れてました。ぼ、僕の名前は⋯⋯桐江准、です」


「ウチは骸魅。骸魅笑撫や。なんや、急に律儀になりよって」


「僕は交渉しに来ました」


「交渉?説得っちゅう事か。⋯⋯⋯⋯ええで、話聞かせて貰おうやないかい」


 ようやく足掛かりが出来た、そう思い僕は安堵する。


 相手は生粋の『除者』で、先輩や田科とは訳が違う。


 正真正銘の大人の女性で、朝倉さんのような人物とは訳も違う存在。


 警戒心を絶やす気配がない笑撫さん相手に僕達はこれから話し合いをしなければならない。


 やり方を間違えてしまったらどうしようか、掛け違えたボタンのように後になって響かないか、自分の気持ちを精一杯伝えた末に分かってもらえるのか、僕には不安しかなかった。


 けれど、殺し合いという訳じゃない。


 相手は『人間』で『姉妹の内の姉』であり、『人の味方』だ。


 そこに上手く付け込むしか手はない。


「笑撫さん、僕はやっぱり二人を殺されたくありません」


 既に奥でドンパチと音が鳴り響く中、僕達による笑撫さんの交渉《せっとく》が僕の言葉から始まった。




はい、次回かその次ぐらいに終わります。


いい加減、都市伝説辺りの伏線、回収しないと⋯⋯。

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