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この街は今日も語る  作者: 紫芋
夏休みシリーズ 富宮奏海は罪を語る

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開戦

最初の構想では何故かループ系にしようと思い辞めてしまった紫芋です。


ループものって一話一話の描写を細かく書かないと緊張感がないと判断し辞めました。


だって、八月には終わらせたいのに、この夏休みシリーズだけで八十話行きそうだったんだもん。


話自体をかなり絞ったり、使うはずだった展開は別の話へやると決めました。


トッキーの孤軍奮闘も五話ぐらい掛けてやろうと画策しましたが、要らねって捨てました。


現にゴミ箱にありますしね⋯⋯。


では、またまた長い本編どぞー。

 少年は常々、妹の舞喜に言う。


「やってから文句を言えよ」と。


 しかし、それは舞喜にとっては少々、耳障りなお説教であり、露骨に顔に出る程である。


 当然、そうなれば説教をしている側だって、それに気付いて多少なりとも苛つきを覚えてるというもの。


 だが、あくまでも相手は家族であり、歳下であり、妹。


 冷静になった兄の准が導き出した答えは⋯⋯。


「良いか?駄目駄目、あれも駄目、これも駄目、それも駄目駄目駄目とか言ってるから、駄目になるんだ?分かるか?」


「ごめん。ゲシュタルト崩壊しそう⋯⋯」


 ゴリ押しであった──。


 現在、広場で舞喜にお説教中。


 准なりの必至の力説《ごりおし》をかましていくのだが、全く持って効果は薄く、むしろ自身でも何を言ってるのか分からなくなってきているのが現状の中、舞喜は疲れを見せ始めていく。


「⋯⋯でも、お母さんとお父さんが言ってたんだよ?駄目な子と関わると駄目になるって。アタシは駄目な子だって、お兄ちゃんだって⋯⋯」


 卑屈な低姿勢を見せる舞喜に頭を悩ませる兄。


 元来、こんな性格ではなかったのだが、両親の教育と去年の春に起こした事件がその性質を引き出すだけに飽き足らず、心に染み付いた舞喜をどうにかしようと三十分間の討論を行うも、結局意味はなく、何を言えば分かって貰えるのか、准には理解出来なかった。


 しかし、両親が身近に居らず、家族二人での生活が常の中、兄としてこの卑屈に極まって抜け出せない面倒臭い妹を見捨てる事もまた、出来ない。


「だから、そんな事思ってないって言ってんだろ?なんで、偉大なる兄を信じないんだ」


 自身《あに》を高く評価してくれているのを利用しようとする准のせせこましい思考が働き、言葉に脂がのる。


「それに、お前が駄目なら、僕はとうに駄目になってる。でもお前から見て僕はそうじゃないんだろ?だったらお前も違うって事だ。そうだろ?」


 舞喜の言う言い分が事実ならば、舞喜と最も接している准も必然的に駄目な部類にカテゴライズされなければならないのだが、舞喜の口からはむしろその逆のいい子ちゃん判定であり、基準が何処にあるのか、討論の中模索こそしたが、准は見つけられなかった。


「お兄ちゃんはずっと一緒に居るから違うじゃん。家族なんだし⋯⋯」


「なんちゅう逃げ道だ。手立てねぇじゃねぇか」


『家族』と『その他』という枠組みの中で価値基準を形成し、『家族』なのだから毒される事は無い、という無理筋を通そうとする舞喜に、とうとう頭を抱えた准の苦労は絶えない。


 少年とて、日頃頑張っている部類なのだ。


 そんなご苦労様な状況下を遠巻きに見ている青年・田科《たしな》優《ゆう》と藍莉は何時までも終わらない兄妹討論を他所に暇そうにしているのだった。


「何やってんだ?アレ?」


 ベンチで座りながら、近くにある自販機で買って来た缶コーヒーを片手に寛ぐ優はその隣に座っていた藍莉に問う。


「私も詳しく知らないけど、二人のお父さんとお母さんからの言葉を真に受けてる舞喜ちゃんと否定したい准との口論よ」


「アレがか?」


 訝しんだ視線は兄妹へ向く。


 その様子を窺い、「え?」と小さく声を漏らして藍莉もまた、兄妹を見る。


「俺には、妹が自分は駄目だって言って、構って欲しい風にしか見えないんだが?」


 優にとっては藍莉の見えてる兄妹の口論が別のものに見えていた。


 兄に甘えたい妹が駄々を捏ねて構って貰おうとしている。


 そんな光景にしか見えず、焦燥も不安もなくコーヒーを喉へ通す。


 舞喜の中にある【何か】から発せられる光。


 その邪気は明確に鎮まりを見せていた。


「だから!! ───」


「そうじゃないよ!お兄ちゃんさ───」


 藍莉もまた、優の言葉で見方を替える。


 今までは何かと文句を垂れる妹と兄がそれを軽く躱して飄々と逃げる光景や、なんやかんやで面倒見の良い兄が妹の我儘に嫌々そうに応える素振りを目にしてきていた藍莉だった⋯⋯。


 しかし、その関係性の見方が言葉一つで僅かに変わったのを眼を通して感じる。


「そう言われると、そう見えるの、かも?」


 兄と妹とで、すれ違っている──。


 そう感じてしまい、増々疑問が絶えなくなる藍莉は続けて口にした。


「でも、お母さんの言葉は本当に効いてるのよ?」


「どういう事だ?」


「実は⋯⋯」


 今日の朝、舞喜が高校の校門前で起きた事、その後に起きた交通事故寸前の出来事、その際に発した舞喜の言葉──覚えている限りの事を優に伝えた。


 准が信頼に置いている人物と信じて語ったその言葉には一抹の不安があった事を優は見逃す事はない。


 それでも、黙々と聞いて話終わる頃には舞喜へ、なんとも言えない痛ましい視線を送っていた。


「いい子でいる⋯⋯か」


 別段、普段から意識して『いい子』を演じている者の方が稀少であり、例外的であろう。


 社会的な信頼の失墜のようなものでも無い限り、普通はしない行為と言動。


 舞喜に植え付けられたその稀少性はそれと酷似しているようにも感じた優は眉を顰めて、気付けばベンチから立ち上がっており、前へと前進。


 ──兄妹の口論の間に立っていた。


「おい桐江」


「「はい」」


 素っ頓狂な程、軽い返事が返ってくる。


 しかも同じタイミング、同じ抑揚で似たような間抜けそうな顔付きでだ。


 流石の優もこれには呆れた様子を見せてしまう。


「はもんな。⋯⋯兄の方だ」


「なんだよ」


「お前、普段どんな接し方で妹と戯れてんだ?」


「戯れって言うな。猿じゃねぇんだぞ!」


「そうとしか形容出来ねぇだろうが⋯⋯」


 猿かどうかは置いておくとしても、優からすればもはや戯言を言い合っているだけの仲の良い兄妹が、ベタベタしてるようにしか見えないのだが、それを口にする事は決して無い。


「そうだな、普通に会話したり、飯作ったりとか?」


 そんなごく普通な回答は優に舌を鳴らさせた。


 そうではないから改善していないのだと⋯⋯、それだけでは不十分だからすれ違ってしまっているのだと、准は気付かない。


 身近過ぎる故の失念と盲目的な思考。


 それらは優に僅かな失望を与えてしまい、視線を舞喜へ向ける。


「埒あかねぇな。おい妹の方」


「んー!舞喜です!舞う喜びと書いて、舞喜ですぅ!」


 膨れっ面を堂々と見せながら、不服そうな顔色を浮かべる舞喜だったが、それらの言動、仕草に対してガン無視という行動を選択した優は続けて紡ぐ。


「お前、兄貴は好きか?」


 変わった質問をしていると自覚している優は臆面もなく質問する。


 質問の意図が掴めない舞喜と准はお互い視線を送り、少し首を傾げた。


 舞喜のみが、優へ向け視線を上げながら、唸る声を少し発声すると一言。


「人並みですけど?」


 恥ずかしがるような素振りもなく、淡々と言い切る舞喜をただひたすら見つめる優は続けて質問した。


「父親と母親、兄貴と比べてどっちが好きだ」


「⋯⋯お兄ちゃんです」


 指差しと共に吃った声にも近い形でそう言うと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた准は舞喜の名前を呼ぶのだが⋯⋯。


 そんな兄の顔を見て、さも物言いたげな顔をしてしまう舞喜とそんな妹の顔を見て一向に嬉しそうではないのを察した准は、思わずたじろいた。


「おい、どうなってんだ⋯⋯。舞う喜びは何処にあるんだよ。名は体を表すなんて嘘じゃん!コイツ、全然舞って喜んでねぇし!」


「お兄ちゃん限定だよ?」


「ならいっか」


「お前らな⋯⋯⋯⋯」


 斜めに視線の舵を切りながら、優は腰に手を当てた。


 やる事、為す事の言動が一々、何処か茶番めいたものに感じて呆れ果ててしまう。


 広場の外周にある草木が風に靡かれる音が耳に入り、肌が微風によって暑さを紛らわせられる時間帯。


 決して暇という訳ではない優にとっても、関わってしまったからにはそれなりの責任感があり、友人の妹というのも相まって、懸念が募り始めていた。


「とにかく、母親と父親よりも兄貴が好きなら、そっちの意見を無条件で受け入れてやっても罰《ばち》は当たんねぇぞ」


「そんな事、たしなさん?に言われたくありません!」


「じゃあ、誰に言われたいんだ?」


 選択肢なんてある訳がなかった。


 あるのなら、こうはなっていない。


 当然、向いた──准の方へ。


「え?誰って⋯⋯。お兄ちゃん」


 不安そうな顔は変わらず、期待も混じったような曖昧でいて、水と油のように交わる事がない感覚が舞喜の中に込み上げていく中、優は准へ向かって放つ。


「じゃあ桐江、言ってやれ」


 そんな言葉に自信に満ちた表情を浮かべた准は舞喜に向かって断言する。


「僕の言う事を無条件で信じろ!」


 空気が一瞬、凍った。暑い季節というのに関わらず、舞喜は引き攣った顔をして、優は顔に手を添えて、苦い顔をした。


(コイツ⋯⋯。そういえば、こういう奴だったな)


 去年から僅かの間ながら、一緒に行動していた際、散々見てきた光景。


「うわぁ。やっばい人だ」


「あれ?」


「前提抜いてんじゃねぇよ⋯⋯」


「えぇ?!前提?」


 訳も分からない准は訝しんだ視線を舞喜と優に送るも、しーらね、とばかりに優はそっぽを向き、舞喜に至っては藍莉の元へと歩き出してしまう。


 移動を開始した頃には二十時を優に回っており、ジメッとした暑さが肌に触れる。


 藍莉、舞喜と准、優の二人組を出来上がった形となり、ある程度歩調を合わせながら帰路に着こうとしていた。


 歩道を渡り、三本に伸びた道を引き返している途中、優は准へ聞く。


「そうだ、笠辺家に行きたいんだが、何処にあるか知ってるか?」


 笠辺沙耶の自宅。それは知り合っている准も藍莉も舞喜も知らない情報。


 本人に質問もした事もなければ、する事も今後ないかもしれないものである。


「いや、知らない⋯⋯。あ、でも今丁度、先輩が家に居るから聞いて来ようか?」


「先輩?それって笠辺沙耶か?」


「あぁ、そうだけど。知り合いだったのか?」


「まぁな。会いたいのはその人だ」


 まさかのドンピシャ。話を聞こうとしていた人と会いたい人とが同一人物である。


 そうなれば、流れはスムーズだった。


「じゃあ、家来るか?」


「そうする」


 こうして、新たに田科を入れ、准達は長い下り坂を進み、淡く歩道を照らすコンビニが徐々に見えてきた⋯⋯。


 後十分程もすれば自宅に到着する、そう准はベッドに身を委ねたい気持ちを噛み締めながら脚を動かす。


 だがまだ、この時の准は知らなかった。


 この先にある地獄が待っているという事に──。


  ━ ━ ━


 玄関を開けて僅か十秒という早さで軽く悲鳴を上げる者がいた。


「あ、あ、あんたは!」


「あァ?」


「ひぃぃぃぃぃぃぃ!」


 常盤美羽である。


 仏頂面に阿修羅すらも軽く後退させかねないその刺々しい視線と迫力に気圧された美羽は准の背後に隠れた。


「トッキーがこれほどの怯えを⋯⋯。まさかッ!天敵か?!使える!」


 日頃、信頼されている実感と共に訪れるいびりに近い行動には参っていた准にとっての唯一無二の希望。


 羨望に満ちた瞳を熱く優へと向けるものの、顔を手で押し出され、視界は暗くなる。


「使ってんじゃねぇよ、有料だぞ?」


「え⋯⋯。あ、あの、お幾ら万円程でしょうか?」


「億単位だ」


「ぼったくり!」


 咽び泣く素振りを見せる准を背中から見ていた美羽は軽く恐怖を覚えた。


 何故か?それは──。


「本当に先輩と知り合いだったなんて⋯⋯。全然、違うじゃん」


 二人は全くタイプが違う。


 准はどちらかと言えば気の抜けた態度と気怠げな姿勢であり、話し掛けてもつまらなさそうにするのが常日頃で、偶に視線が遠くに行く。


 一方の優は寡黙で仏頂面、姿勢はピンッと伸びて、話し相手はちゃんと見るし、顔立ちも整っている。


 髪型こそ、ヘンテコではあるが、それを含めてもかなりのイケメンなのだ。


 長いまつ毛に鍛えた身体は准になんてある筈もなく、第一印象だけなら優は目立つ枠に居る。


 そんな二人、揃っても別に最強でもなければ、面白い話がある訳でもないのだが、互いの理解度が高い為に、優がキッチンに入った後、戸棚から准が袋を投げ、近くに居た優はそれを受け取った。


 中身は茶葉であり、ご丁寧に専用のコップまで戸棚に置いてある始末。


 それを見ていた美羽と藍莉は若干引いた⋯⋯。


「久しぶり、かな?田科優、くん」


 まさにキッチンで袋に入った茶葉を開封し、これからアイスブレイクに投じようとする青年に沙耶は声を掛けた。


 ハッとした様子で左側に居る沙耶へペコリと頭を下げる。


「お久しぶりです。笠辺さん」


「お話があるって、彼から聞いた。なに?」


 すると、キョロキョロとリビングを眺めるようにして、悩む素振りをすると、開封したての袋を閉じて戸棚にしまい沙耶の後方へ移動する。


「場所、変えても大丈夫ですか?」


「うん、良いよ」


 そう言い、リビングを出た二人。


 一方、ほらよ、とばかりに茶葉を投げた准はお役目御免となった准はリビングのソファで寛ぎながら、隣に座る奏海と話をしていた。


「──私の事見えてた、かな?」


「どうだろ?」


 そもそも、准も優が持つ【鳥獣戯画】と視認している人物の中にいる『現象』を『気』と呼ばれるものとして認識し、それを見る事が出来る、という事しか知らない。


 ある種の信頼はあれど、全て知り尽くしている訳がないのだ。


「それと、仲直りできたの?」


 怪訝そうに聞く奏海。気まずそうに視線を逸らしながら、唸る准。


 藍莉と美羽、舞喜と蒼太とでそれぞれで話をしている為、普段よりも少し騒がしいリビングという空間において准の声は矮小なものであった。


「うーん、なんかあやふたになっちゃった」


「はぁ?⋯⋯まぁ良いわ。ちゃんと今度話し合いなさいよ?私も協力するから」


 かつて、奏海から准に素直に手を貸すという発言をした事があっただろうか?


 否、なかった。


 これほどスラッと出た『協力』という言葉に准も呆気に取られてしまう。


「あ、ありがとう」


「な、なによ!お礼なんて⋯⋯。私のせいでもあるから、整合性取りたいだけ、それだけだから!」


 そう僅かに照れながらソファから離れて行って奏海を呆然とした様子で見ていた准。


 そんな少年の傍に更に人が来た。


 ソファの背凭れに腕を置き、訝しんだ視線を向けた美羽である。


 彼女は奏海の姿を認識出来ない為、准の行動を逆算する形で奏海の動向を推測しているのだが、准本人が間抜け顔となってしまえば、それも意味を成さなくなるのは当然の結果であった。


「今いい?」


「あ、あぁ」


 隣に座り、足を組む。ペットボトルに入ったお茶を片手で振りながら、チラチラと准を見ては視線を離すを繰り返し、焦ったさが二人から流れた。


 そんな空気を打開するべく、准は話題を提供しようと思考を加速させる。


「えーと。あ〜、そうだ!トッキー、僕達が居ない間に話し合ったんだろ?成果の程は?」


 舞喜を追い掛けた准と藍莉とは別で『富宮奏海』に起こった現象を解明、解決するべく沙耶と美羽、奏海の三人は自宅に残り、ディスカッションしあった筈なのだ。


 准としても聞いておきたい内容であり、真っ先に出た議題。


 少年は美羽の結果報告を口にするまでもなく、顔で察してしまう。


 駄目だったんだな、と。


「階段から落ちた時に『現象』に遭遇したと仮定したとして、何が理由で『見える』『見えない』の違いが出来たのか、さっぱりよ」


『現象』は不可解かつ、難解でヒントなしでは正解に到底辿り着けないもの。


 慣例性のない事柄や事情、心象や状況が引き金となり発生するのが常であり、『現象』に憑かれた富宮奏海自身にも心当たりのない事が意外なヒントになりうる場合もある。


『現象』というのは、そういったなんて事のない『誰かの日常』に潜むものであり、それを糧に発生する為、『見える』と『見えない』にもそれなりの条件がなければならない。


『火』が付くのにも原理があるように『現象』にも存在原理はなくても発生原理は必ずあるのだ。


「富宮自身が『現象』ってのに不馴れってのもあるだろ」


「分かってる。そう言えば、今日はもう大丈夫そうね」


 スマホの画面は既に二十時半を迎えようとしていた頃合いであり、美羽はホッとしたように息を吐いた。


「言ってた時間は過ぎたのか?」


「えぇ、過ぎたわ」


 死までの余裕が出来たと、そう准は受け取り、最も今回の事件を間近で見て、考察してきた美羽へ問い掛ける。


「⋯⋯そういえば、改めて聞きたいんだけど。大雑把でいい、一周目《いっかいめ》から今回まで、トッキーは何して死んだんだ?」


「一周目《いっかいめ》と四周目《よんかいめ》はこの家で死んだ。爆発に巻き込まれて、その余波みたいなのに飛ばされて、目も見えなくなった上、身体の激痛で殆ど動けず始末。三周目《さんかいめ》は、起きて鏡みたら、この辺に【四葉】の模様って言うのかしら?それがここにあって爆発して死んだ」


 顎を少し上げて、首の左側に指を当てる。


 准が見ている分には何もない普通の首筋であり、模様なんてものは見受けられない。


 けれど、【四葉】となれば思い出せる事もあった。


「それは富宮の背中に浮かんでた奴かも」


「聞いた。体操服を脱がせたらしいわね?変態」


 それはそれは冷ややかな視線を送る美羽に准は後方で一人、スマホを弄る奏海を睨む。


「富宮?!なに要らない情報まで出してんだ!?」


 視線に気が付いた奏海は首を僅かに傾げるも、動く事はなく、リビングの隅で一人スマホへ視線を落とす。


「⋯⋯でも二周目《にかいめ》が謎なのよね」


「僕が聞いた話では富宮家に行ったら死んだんだろ?」


「えぇ、そうよ」


「背後から襲われて⋯⋯とか?」


「⋯⋯かしら。でも怖くて近寄れないもの」


 美羽の視点からすれば、突然、部屋に入った瞬間死んだ──つまり、そういう事だ。


 曰く付きならばやり過ぎているし、怪奇現象にしてももっとフレンドリーだろう。


 暗転した視界と息を吹き返したと共に布団の上で汗を流しながら目を開く。


 美羽はあの感覚に少し畏怖感を覚え始めていた。


「まぁ、死んだらリセットだからな」


「なら、俺達が行こうか?」


 ソファの裏手側から提案の意を示す声がした為、准は振り返る。


「田科と先輩。話し終わったんですか?」


「うん。終わった、よ。富宮さんのお家、行くなら、力、貸せる、かも」


「⋯⋯どうする?トッキー?」


 美羽は顎を手に乗せた考える。


 恐怖心とは詰まるところ、もしもを怖がる事から始まるもの。


 しかし、それを打ち砕くにはその怖がる要素よりも更に強力な者が傍に居れば良い⋯⋯そう感じた美羽は頷いて背後に居る二人へ顔を向けた。


「⋯⋯⋯⋯笠辺《バカ》先輩が居るなら、安心かしら」


 沙耶の顔が美羽とは対照的に落ちていく。


「今、バカって⋯⋯酷い」


「行くなら十二時回ってからでいいか?」


「あ〜、確かリセット時間が十二時だったっけ?」


「あぁ、ちゃっかり二十四時だ」


【鳥獣戯画】の動物一種類に付き、使役出来る制限時間は十五分。


 そして、二十四時になるとリセットされるというものである為、アドバンテージを多く残した状態で挑む算段であった。


「私も行く」


 准の隣で意気込んだ声を上げた奏海。


 自分の身に起こっている事を知る為、家族がどうなったのか頭の片隅に残り続けた不安感が彼女を掻き立てていく。


 焦りもある、不安以上の恐怖心だって当然あった。


 けれど、彼女は拳を握り、意志を示す。


「お願い」


 そんな彼女の意地のようなものに准は静かに頷くのであった。


 時刻が二十一時になると、藍莉は蒼太の名前を呼び、近くに来るよう誘導、そして准達の近くへ行き声を掛ける。


「じゃあ准、私達は帰るわね?」


「あぁ、また明日」


「えぇ、また明日ね」


 小さく手を振る藍莉と大きく手を振って玄関まで見送られた蒼太。


 徒歩五歩分もないお隣さんにしては随分と盛大な別れをするような蒼太に苦笑してしまう准と藍莉は互いの場所へ戻って、自宅の鍵を掛けた。


 藍莉もまた鍵を掛けて、チェーンを掛ける。


 防犯意識がハッキリとしている証拠だ。


 すると、眠たそうな蒼太が藍莉の腕を少し振る仕草をして自身に意識を向けさせる。


「ねぇ、お姉ちゃん。お兄ちゃん達忙しそうだけど、デートとか行かないの?」


「行きたくても行けないでしょ?全部終わったら行くかもしれないけど」


 一抹の不安もある。これから先、桐江准が隣に居てくれるのかという不安だ。


 ただでさえ、厄介事が多い街で厄介事に巻き込まれる体質の准なのだ、遊びに行く余裕があるかどうかすら怪しいものだった。


「僕は舞喜お姉ちゃんと居るから、楽しんできたら良いよ」


 子供ながらのお節介というものだったのは想像に固くない。


「⋯⋯本当に?寂しくない?」


「僕、もう小学生だよ?」


 憎ったらしいほどのドヤ顔で玄関に上がり、リビングへと小さな歩幅で向かっていく。


(だからなんだけど⋯⋯)


 そんな時、違和感が芽生えた。


 玄関からリビングに続く扉のガラスは中が窺えるのだが、そのリビングには当然引っ越し時に着けた青色のカーテンが『何故か開いていた』のだ。


 暗がりながらに分かってしまえる。


 カーテンが閉まっていれば、フローリングは手前に向かって淡く光らないし、レースカーテンが窓に挟まり、左側へ向かって伸びたようにはならない。


「⋯⋯あれ?」


 覚えがあるか?──少なくても藍莉にはなく、蒼太が閉め忘れたという可能性が過ぎったが、それ以上の胸騒ぎがしてしまう。


「お姉ちゃん?」


「っ!蒼太、こっちに来て!早く!」


「う、うん」


 何がなんやらといった具合いで折角リビングな続く扉のノブに触れたというのに、わざわざ引き返した蒼太は大変不服そうである。


 しかし、そんな蒼太の気持ちなどに囚われてはいられなかった藍莉は、息を呑んだ。


「⋯⋯⋯⋯誰か、居る?」


「え?泥棒?」


 声を上げた蒼太の口をパッと即座に塞ぐ。


「どの道、金目の物なんて家には無いわよ」


 そう、金目なんてある筈がない。


 小学生と高校生の二人暮らしであり、他に住んでいる者など居ないのだから。


「⋯⋯蒼太、准達呼んできてくれる?」


「う、うん」


 チェーンを開け、鍵を開けて、急いで扉を開ける藍莉とそれに合わせて扉の隙間から勢いよく出た蒼太。


「⋯⋯⋯誰か居るの?」


 暗がりに近い玄関の照明を壁に設置されたスイッチを押して明るくし、視界を安定させていく。


「気のせい?」


 リビングの扉を開けて、すぐ近くの壁に設置されたるスイッチへ手を掛けようとする。


「藍莉」


 すぐ耳元から声がした。


 思わず、胸が跳ね上がりそうな程に震えた藍莉は強張った表情でその声の方向へ顔を向ける。


「っ!⋯⋯⋯⋯颯悟、なんでっ!」


 暗がりで玄関方面にのみ明るい部屋で微かに映り込むシルエット。


 長身で不気味な事に目が血走っているのだけが確かに分かってしまい、玄関に向かって後退りしようとする。


「迎えに来たんだ⋯⋯」


 しかし、それは遮られた。


 両腕が迅速に首元へと向かい、藍莉の身体が浮いてしまう程の力で締め上げられていく。


「っ!ぅぅ。ぅぅぁぁぁぁぁ」


「一緒に、一緒に、一緒に、一緒に、天国で添い遂げよう!!」


 掴まれた腕を必死に振りほどこうと抵抗し、叩こうが爪を食い込ませようが、依然として痛がる素振りも軽く声を上げる事もしない颯悟は狂気地味た表情で自身の手で持ち上がった藍莉の身体を艶めかしく品定めしていく。


 そして、左手を首から離した。


「添い遂げよぉぉぉぉぉ!」


 藍莉の腰に腕を巻き付けて、抱き着く。


 だと言うのに、颯悟の右手は未だに首を締め付けたまま。


(死にたくない、死にたくない、死にたく、助けて、助けて。准──)


 鳴ってはならない音が鳴った。


「───」


 その音を間近で聞いた颯悟は北叟笑み、藍莉の身体から両手を離す。


 支えようとするものもない為か、頭から落ちた身体はピクリとも動かなくなり、首はひしゃげてしまい、目は瞬きを忘れていた。


 勢いよく玄関の扉が開き、ズカズカと入っていく准はリビングのすぐ近くに佇む武島に気が付き、訝しむ。


「!武島、お前なんでこんな所に⋯⋯」


「⋯⋯桐江、あはははは。いい所に来だぁぁぁぁぁあ」


 狂気に満ちたその顔はもう、准の知るクラスメイトの顔付きではなかった。


 涎を垂らして、笑顔を絶やさない、そんな人間へと変わってしまっていた。


 そして、肌色は少し黒く煤に塗れたように黒ずんでおり、准は察してしまう。


「お前!まさか、呑まれたのか?なんでだ、朝倉さんは大丈夫って⋯⋯」


「どうした?何かあった──っ!」


 一緒に様子を見に来た優は目の前に居る狂人を見て、目付きが変わり、一気に准を押し退けて、颯悟の腹部に蹴りを入れ込む。


 突然の急襲にモロに蹴りを食らってしまった颯悟は立ち上がろうとするも、その前に優が馬乗りとなり、颯悟の頭をフローリングに思い切り叩き付けた。


「お前!なにやっ──」


「桐江、中に入るな。外に居ろ」


 再度、頭を鷲掴み、フローリングに叩き付ける優に狼狽える准であったが、ふと、視線が下に行く。


 既に誰か倒れている──それに気付いてしまった准は、その遺(・)体(・)に釘付けとなる。


「おい!桐江、見るなッ!玄関から黙って出ろって言ってんだ!聞こえねぇのかッ!!」


「っ!ぁぁぁ」


 もう、遅かった⋯⋯。バッチリと瞼が開いたまま、瞳孔が開いた状態となった藍莉を目視してしまった准は思わず駆け寄り、身体に触れる。


 まだ生暖かい体温とは反比例するように身体の力は全く入っておらず、手を握ろうにも返さず、肩を寄せても抱き返す事はなかった。


「あぁ?なんだ?お前、お前、お前、お前ェェェェェ!」


「黙ってろッ!」


「っ!⋯⋯な、なんだよ、なんだよ、なんだよ!」


 前歯が折れて、頭から血を流している颯悟。


 殺気に満ちた優の言葉に狂気は一気に薄れていき、弱々しい声を上げるも、それをマトモに聞く者はここには居ない。


 次に藍莉の部屋に入って来たのは、床を使い頭を叩き付ける物音が聞こえた為、不審感を募らせた沙耶であった。


 玄関から靴を脱ぐ素振りもなく、入ろうとすると准の背中が見え、奥には優が颯悟に馬乗り状態になっているのが見え、何かを察した沙耶は准の元へ慌てて駆け付ける。


「大丈夫?⋯⋯っ!大州さん」


 准に抱えられる形で瞼を開けて亡くなっている藍莉を視界に捉えて唖然とする沙耶はそっと藍莉の瞼を閉じた。


 そして、そんな藍莉に近付く事を良しとしない颯悟は身体を一心不乱に動かし、上に跨る優を振り払おうと躍起になりだし、声を荒らげる。


「離せ!!離せ!僕達は永遠に!永遠のッ!あぁぁぁぁぁぁぁぁ」


「クソッ!コイツ!」


 遂に身体は優の元を離れ、准と沙耶目掛けて駆け出した。


 颯悟は一瞬、硬直してしまう。


 目の前に居る沙耶の視線が向いたと共に。


 既に動き出した身体は自由を失い、後三歩もあれば藍莉と同じ事が可能という時に、颯悟の身体は瞬間的に凍えてしまった。


 そして、沙耶は颯悟を腕一本で薙ぎ払う。


 颯悟が前へと首を締める為に伸ばしていた腕外側に向かって曲がっていき、勢い任せの力加減知らずの振り払いは颯悟の身体を左方向へと流されていく。


 そして、四メートル程先にある壁に思い切り叩き付けられてしまい、鈍い音が壁を通じて鳴ると共に、絶叫した。


「いぃぃぃぁぁぁッッ!!腕ェェェェェ!あーーー!!」


「大人しくしとけばいいってのに。全く⋯⋯ん?」


 同情的にもなりつつ、颯悟が薙ぎ払われた際に床へと滑るようにして落としてしまった物を優は見た。


「生徒手帳?」


 脚で颯悟を蹴り、倒した所を更に乗っかりながら、中身を覗くと、名前の欄には『大洲藍莉』と記されており、訝しんだ視線を颯悟に送る。


(なんでコイツが彼女の生徒手帳を持ってやがるんだ?⋯⋯⋯⋯⋯あ、いけね!)


「救急車⋯⋯。っ笠辺さん!」


「ううん、もう遅い。首の骨が折れてる」


 近付く、沙耶がそう呟いた。


 沙耶の手元には黒い筒がある。


 白い紐を解き、柄《つか》へと手を伸ばそうとする沙耶の腕を優は制止させた。


 そして、首を横に振り、沙耶の手は柄から離れる。


「⋯⋯⋯⋯なんだ、どうして、なんで⋯⋯」


「あはははははははははは。桐江、桐江ェェェェェ。アイツの初めては俺が貰ったぁぁぁあ!どうだ?悔しいか?悔しいだろ!?えぇ?!えぇ?答えろてみろよぉぉぉ〜!!」


 荒らげた声色には狂気が滲んでおり、人のそれではないかのようにどす黒さを感じた沙耶と優。


「藍莉⋯⋯」


 しかし、颯悟の自慢にならない自慢は肝心の准の耳には入っていなかった。


 すると、颯悟は准へ向けていた視線を少し、上へ向けて、驚きが隠せない様子となる。


 さながら、幽霊でも見ているかのように⋯⋯。


「⋯⋯あぁ?なんで奏海が、なんでいるんだ?お前、入院してるんじゃねぇのか?」


 颯悟は藍莉と共に奏海の緊急搬送された救急車に乗っており、退院の目処は愚か意識回復すら不透明なのを聞かされている。


 だと言うのに、何故かそこには奏海が居た。


 准の背後に居た奏海はゆっくりとリビングに上がり、息絶えた藍莉を呆然と見つめて、次に颯悟を睨んだ。


「あんた⋯⋯何やってんの?」


 力ない言葉には絶望と殺意が混じっているのを、沙耶と優は聞き逃す事はせず、焦点が合わなくなる奏海の瞳は光り出す。


 光りが漏れ始める。それは、後光のように奏海の背中から、小さく、微弱に、そして確かに発露されていく。


「そうか、俺の為に帰ってきてくれたのか!ありがとうなぁ〜。ほら、そこの底辺はお前のもんだぞ!俺は藍莉と添い遂げ──」


 支離滅裂の言葉は終わりを迎えた。


『罪咎の時は来た──』


 光が空間を散らし、罪を贖う時間がやってくる。


 唐突では決してない、審判者の降臨であった。


「なに?!」


「させないっ!!」


 先に前に飛び込んだのは柄を握り、鞘から刀を抜刀した沙耶。


 瞬時の対応、首を刎ねようとする刀は奏海の中指と人差し指に吸い込まれるようにして動きを止める。


「動かないッ!」


 引くも押すも滑らすも出来ず、両手で握られた柄に対して力が籠るばかり。


 接着でもされてしまったと言われた方が納得のいく微動だのしなささに、沙耶は危機感を覚える。


 そんな様子とは露知らず、皆の帰りが遅過ぎると判断した美羽が玄関からやって来ると、そこには刀を抜いて空を斬ろうとして微動だにしない沙耶の姿が視界に入った。


『愚かしい。嘆かわしい。人《あなた》は罪の葉の対象外にして、か弱い存在。疾く失せなさい』


 深緑の瞳は滑るように対象者を選別していく。


 その瞳には一切の光はなく、暗がりの一室に怪しく灯っていた。


「お姉ちゃん?」


 その声は准を振り返らせた。


 涙ぐむ蒼太の瞳に我に返らされる准は今起きている事を冷静に捉えようと、ようやく前を向き始めた。


 姉に近寄る蒼太、それに対して近付いてはならないと言わんばかりに蒼太を廊下へ押し退けさせて、藍莉を玄関まで持って行こうとする美羽。


 そして、目を開ける事のない藍莉の身体を泣きながら揺する蒼太に悲壮感を感じる准は拳を握る。


「あははは。なんだこれはぁぁぁぁぁ〜?!夢か?良いぞ〜!やれーー!全部終わっちまえぇぇ」


「ちょっと黙ってろ」


 いよいよ優の不快感が溜まり、堪らず颯悟の顎を蹴り飛ばす。


 うつ伏せに倒れる颯悟を確認すると、振り返り、ポーチにある半紙を手に取り仕掛ける準備を始めた。


「よし、笠辺さん、援護を──え?」


 呆然と現状を認識してしまった優は固まってしまう。


 沙耶は間違いなく本気で相手をしており、加減なんて一切していない。


 その証拠に、刀を振るう度に窓にはヒビが入り、壁は亀裂を齎している。


 更に言えば、防御をする必要のないと言わんばかりに刀は止まる事を知らず、急所へ、時には腕や脚、首や胴体目掛けて刀は走らされていた。


 だが、全て片手間で弾かれている。


 それどころか、奏海は飽きたと言わんばかりに沙耶の事を見てはいない。


 何処か遠くを見て、条件反射的に刀を受け止めているに過ぎないのだ。


「ぅっっ!強い!」


「先輩が⋯⋯押されて、る?」


『罪の光は満たされた。さぁ、償いなさい。審判者は我だ!』


 左手で守り、右手で指揮でも奏でるように手首は気前よく右回転。


 黄金の輪っかが右手から形成されて、一瞬縮まったかと思えば、瞬きの間に黄金の円は沙耶と後方に居る優目掛けて広がった。


「うっ!」


 ドリルが何かに穴を空けていくような、そんな高音が掻き鳴らされていく。


 奏海に最も近い無機質はカーテンと窓。


 しかし、それらはまるですり抜けるようにして輪っかはベランダへと伸びた。


 沙耶は間一髪の所で膝を曲げて、回避──。


 しかし、それに間髪入れず、奏海の脚は沙耶の顔面へ向かい、沙耶の気付かぬ間に壁に衝突。


 鼻の骨が折れ、血をボタボタをフローリングに染み渡らせていく。


「なんだこれはッ!?ここまで攻撃的な『現象』なんて⋯⋯まるでッ!」


 思い馳せるのは『刃龍』であり、赤髪の少女。


 暴力性だけならば、依然トップを飾る凶暴と卑劣を兼ね備えた『龍が恐れた龍』である。


 だが、それを思い出したと共に心のゆとりが生まれた。


 それはシンプルな序列の話である。


『刃龍』と『目の前に居る女』のどちらが強いか。


 そう問われた際、間違いなく前者を挙げるのが優だ。


 蹴り飛ばされた沙耶を見て尚の事、そう感じてしまうのも無理はなかった。


『刃龍』が蹴ると言う事は人体は粉微塵の人的ミンチの出来上がりであり、黄金の輪っかに関しても、圧縮からの放出にラグがあるのを優は見ている。


『刃龍』ならば、圧縮からの放出がバグクラスであり、簡潔的に纏めれば同時に近く、攻撃される!と感じた時にはもう眼前一センチの距離に攻撃が迫っているというトンチキっぷりを間近で経験しているのだ。


 それに比べれば、優にとって眼前の敵は弱く感じる。


 そう、感じてしまうのだ──。


 廊下側に居る准達は先程の輪っかの攻撃を偶然、避ける事に成功したものの、美羽は震えて硬直し、蒼太は避ける際に身体を床に打ち付けてしまっていた。


 そして、准はそんな二人を庇うように奏海と二人の間にしゃがみ込んでいる。


「田科!『兎』でも『狐』でもなんでもいい!二人を避難させてやってくれ!」


(無茶言うな⋯⋯。コイツ、バリバリに警戒してやがる!出来るもんならとっくに挟んでんだよ!)


 新緑の瞳は目の前の二人から離れず、付き纏うように絡み付く。


 警戒心を一切絶やす事をしない、そう感じ取った優は沙耶と目配せする。


「!」


 囮として駆けた沙耶。部屋の広さからしても沙耶からすれば一蹴りで奥行へ辿り着ける距離であり、刀を刺す構えをした。


 それに合わせるように、自身の身体に刺さるであろう位置、角度を瞬時に把握し、その腹部の中心から少し右寄りに左手を置く。


「【鳥獣戯画】!『シチョ』⋯⋯突っ込めぇぇ!」


 両手で挟んだ半紙。模様は『猪』が二匹。


 墨により形成された体調二メートルの茶色の毛皮をした猪は命令に従い突撃する。


 一匹は真っ直ぐ、もう一匹は右側から大きくカーブを掛けながら。


『鳴けもしないとは⋯⋯嘆かわしい』


 奏海の右手は人差し指と中指を立てて、Uの字を描き、扇状に右手を動かして弓を形成する。


 浮いたその弓は黄金色と微かに緑色が混じったようなものであり、不気味さを醸し出していた。


 そして、弓弦に右手を瞬時に沿える共に、指から黄金のエネルギーを放出し、矢として穿つ。


 頭上から放たれたその矢は軌道を大きく変えていき、真っ直ぐ突っ込む『シチョ』の頭を抉ると、勢いは止まらず、地面スレスレの超低空の射撃として優の足元へ迫って来た。


「なにっ!?」


 咄嗟に動いた身体。強く床を踏み込んだ脚は上半身を前のめりにさせる程のダイナミックアクションを披露して勢いよく迫る矢を躱す。


 そして、壁に突撃した矢はそのまま光の粒として消えていく。


「っ!っぶねぇぇ。けど、本命はッ!──」


 両手を合わせて『解除』の構え。


 カーブしつつも、命令通りに動いていた『シチョ』は墨状になり、床へと溶けていく。


「⋯⋯捉えた」


 沙耶が刀を振り抜く。


 彼女が右側からカーブして突撃していた『シチョ』の後方に隠れ、奏海の視界からは見えない位置にいたのだ。


 空を断ち、建物さえ一刀両断したその剣撃は瞬く間に奏海の首筋へ向かっていく。


「っ!!」


「くっ!うぅ、通らない!なんで?!」


 首に向かって確かに捉えた刃は皮膚へぶつかり、肉を断ち、骨を割り、最後に勇ましく空を振り抜ける──その筈だった。


 しかし、現実は違う。


 刃は手で直接掴まれて、首に当たるどころか血も流していない。


 准もその様子を観戦しており、思わず小さな声を漏らしてしまう。


 優に関しては舌打ちして、沙耶は眼前の敵を睨み付けた。


『残念ですね⋯⋯。足りません』


 涼やかな声は余裕の表れであり、隔絶された実力の差の証明。


 刀ごと宙へ沙耶の身体は浮き上がる。


 そして、黄金の輪っかを右手で形成し、その輪っかを右手で掴むと腰が全く入っていない軽いジャブのような右手からの一撃は沙耶の胸元に直撃し、奥にある部屋の扉を突き破っていく。


(あの輪っか、持つ事も出来るのかよ!⋯⋯駄目だ。俺も本格的に攻撃に参加しないと、流石の笠辺さんも死ぬッ!けど⋯⋯っ!)


 優は選択を迫られた。


 英雄になるか、愚者になるかの二択。


 額から落ちていく汗は葛藤の表れ。


 荒くなる息、向かった視線の先に居る庇護対象。


 攻撃に参加するという事は【鳥獣戯画】を使う事を前提に動くという事。


 しかし今日、優は昼頃から【鳥獣戯画】を使い、『怪異』を数体祓っており、使役時間が残り少ないものが大半。


 生命力を糧に使役している事から、生命力《リソース》は正しく使わなければならなかった。


 生命力は根気ややる気などではなく、あくまでも活力や疲労に直結するもの。


 適度に休み、食事と睡眠を取れば、一日で全快するが、限度もある。


 食事を取ってすぐに元気が出た!と実感が湧く筈もなく、ここで眠るなんて論外をかます訳にもいかず、取捨選択は如実に迫っていた。


 背後を向いている奏海。


 チャンスは一度きりであり、半紙を用いて呼べば即座に攻撃体勢に入られるのは明らかだった。


(悪い桐江⋯⋯。俺はお前のように誰でも彼でも助けられる程、優秀じゃない⋯⋯⋯⋯。俺は朝倉拓也とは違うんだよッ!)


 半紙を挟み合掌。


 音は空気を振動させて耳に響く。


 現れたのは三匹の鷹であり、舞喜の尾行にも使役した『クチ』だった。


 苦虫を噛み潰したような表情をしながら、命を下す。


「【鳥獣戯画】ッ!『クチ』!⋯⋯っ。桐(・)江(・)を遠くへ連れて行け!!」


 三匹の内、二匹を奏海の頭よりも上に向けて突撃させ、残り一匹は床スレスレの低空飛行でリビングを抜けて廊下へと。


 廊下という一種のラインを越えた『クチ』は一気に高く翔き、そのまま准の肩を猛禽類に特徴的な脚で掴む。


 その鷹が何か、准は幾度となく見てきた。


 だからこそ、何故自分なのか?という疑問は駆け巡り、叫ぶ。


「おい!田科!なんの真似だ、これは!」


 美羽は慄き、蒼太は唖然とした。


 美羽の伸ばした手は准を掴もうとするものの、捷さという意味合いで軍配があった『クチ』はそのまま准を連れて、玄関を突き破り、そのまま屋外へと連れ去って行くのであった。


(使役時間は一分かそこら⋯⋯。俺は誰よりもお前を優先するッ。頼むから、戻ってくんな)


 助けたいのは山々だった。出来る事ならば皆を──。


 けれど、それは現実的に不可能と悟り、約束を果たすべく、女子供よりも准を優先した。


 仮にこの戦いが終わった後、准からグチグチと文句を言われてしまうのも承知の上での判断。


 准の必死の懇願が完全に聞こえなくなるまで、それほど時間は経たなかった。


 既に奏海に向かわせた『クチ二匹』は首を掴まれて絶命し、墨となって掴まれた女性の手から垂れるように床に溶けだしてしまっている。


 ここから【鳥獣戯画】を用いての攻勢に入るには、准を連れて行った『クチ』の制限時間が切れてしまってからになったが、その間の時間稼ぎは沙耶が補っていた。


 空き部屋兼物置部屋として活用されている部屋へダイナミック入室を成した沙耶は既に戦線復帰しており、『クチ』と入れ替わるように奏海と現在も交戦している。


 しかし、沙耶の一振りは撫でるようにして弾かれ、強さを誇示するように嘲笑した奏海に弄ばれるように劣勢が続いていた。


 斜めに斜線を描くように奏海の左肩から右腰へ刀は疾走する。


 しかし、まるで何事もなかったように平然としている奏海は前へと一歩、脚を動かす。


 ──風が哭いた。


 それは沙耶の刀による一振りよりも疾く、鋭いだけの片手による叩《はた》き。


 だが、撒き散らかされたその豪風は沙耶近くにあった窓を粉々し、扉を歪ませると共に止めていた金具を弾かせて美羽と蒼太の傍を抜けて玄関を過ぎて行く。


(化け物がァァ!!)


 沙耶の後方に居た優は壁に足裏を付けて、必死に身体を屈ませる事で壁に激突という事態は免れた。


「え?⋯⋯見えるっ!?」


 本来ならば、美羽は奏海の姿を視認出来ない。


 しかし、『クチ』を形成している墨が奏海の身体に付着している状況下であり、『現象』と『現象』が互いにぶつかりあった影響による一時的な作用は見えない筈の美羽にも薄らながら、半透明なシルエットが浮かび上がっていた。


 そして、被害が最も少ない場所に居る美羽は思い付く。


 自身にある『時間の干渉(ちから)』の有効活用方法を。


「触れて、時間を止めれば!」


 止んだ豪風が合図となり、立ち上がった美羽は駆け出した。


 その姿は勇猛か蛮行か⋯⋯語るまでもない。


『対象外が群がりすぎる。しかし、人は懺悔し、悔いなければならない生命体。故に死しても良いのですよ』


 常盤美羽は名無しと違い、『時間の干渉』を効率良く使えはしない。


 使えるのは『過去に跳ぶ』か『未来に跳ぶ』というアバウトなものであり、西暦、月、日にちまでは選べても、何時何分何秒といった細かい時間への跳躍は為せていないのだ。


 更に、奏海の姿が今まで見えていなかった事による圧倒的な誤算はここに来て響く。


 美羽は沙耶が刀を高速で振るい、攻撃している所を見てはいたが、何が何だかといった状態で呆然と見ているのみであり、攻撃が通らない理由も奏海の身体の周囲に防護膜のようなものが張ってあるのではないかという推測を立てていた。


 だからこそ、純粋に奏海が想定よりも速いという事に意識が回らずに打開策を開始してしまう。


 美羽が奏海の居る場所までの数歩分の距離を、瞬間的に詰めて眼前に迫って腕を伸ばしていた。


 美羽の身体はあくまでもなんの付与もない生身であり、奏海に触れられれば即・死亡は確定的という事である。


「──ッ!」


『罪を知りなさい』


 死を覚悟した──。一切の油断もなく注意を払い、大きな歩幅で迅速に向かった筈の美羽は瞬きの間に目の前にやって来た奏海の沈んだ緑色の瞳に囚われて、硬直してしまう。


「やらせるか!」


 だが、奏海の伸ばした腕が美羽に触れる前に美羽の腕を掴み、大きく反らすようにして攻撃を回避させて、ついでとばかりに床に手を付けて蹴りを入れ込むと、その勢いのまま奏海から距離を離した二人は壁にぶつかる。


「っっ!!!無事か?!」


「あ⋯⋯ありがとう」


「逃げろ!お前じゃ反応し切れないだろ!?」


「え、えぇ。⋯⋯いや、でも!」


 このままでは何も変わらない。攻勢に乗じて『時間の干渉』を用いて何処かへ飛ばそうと考えていた美羽は焦っていた。


 しかし、美羽は分かっていなかった。


 そもそも、美羽の反射神経や動体視力ではどう頑張っても追い付けないという現実を。


 美羽は忘れていた。


『過去と未来』に飛ばすにしても対象者が死ななければ発動すら出来ないという事を。


 つまり、現状の常盤美羽は『足手まとい』以外の何物でもないのだ。


「行けッ!」


 沙耶が再び突撃し、斬り込もうとするも躱されてしまい、自然と二人の前へと立つ。


 警護するように刀を握り、玄関方面の道を作る為に窓際へと寄せて行く沙耶。


 それに乗じて、美羽はリビングを出ると藍莉から離れようとしない蒼太の手を強引に掴み、玄関を出た。


「これで──後は俺の【鳥獣戯画】さえ使えれば⋯⋯」


 しかし、奏海は見ていた。


 美羽に迫った時、手を伸ばした際、彼女の首(・)筋(・)に自身が付けた覚えのない斑点とその残滓を視界に確かに捉えていたのである。


 沙耶の猛攻をいなしつつ、右手を上げて指を鳴らす。


『嘆かわしい、その程度で犯した罪は消えぬ!【斑点罪華】』


 黄金の粒子のようなものは指を弾くと共に重力に抵抗したように周囲に漂った。


「何をした?!」


「これ以上の事は──させないっ!」


 刀で突き、避けられれば身体を捩って回転斬り。


 既に何も残っていない窓に影響はなく、空を斬る音だけが響き渡る。


『貴女は少し執拗いですね。⋯⋯ところで先程の子、よろしいので?』


「何が言いたいの?!」


『崇める事もなく、讃える事もなく、去《い》かれてしまいますよ』


 沙耶は聞いている。美羽が三周目《さんかいめ》に殺された原因を。


「どういう事だ?」


 一方、言葉の意味が理解出来ない優は怪訝な表情をしながら、間もなく『クチ』の制限時間に到達すると察し、半紙を片手に持ちながら、警戒を続ける。


 そして、沙耶は玄関側へと視線を向けた。


「っ?!⋯⋯まずい!彼の為にも⋯⋯っ!」


 瞬時に駆け出した沙耶は優と奏海を置いて、玄関へ全力疾走。


 その後を追う事もないまま、部屋で警戒心を滾らせている優へとゆっくりと向かっていく。


「とにかく、警察に連絡⋯⋯っ!」


「離して!お姉ちゃんが!」


 焦った手付きでスマホの電源ボタンを押し、警察へ連絡しようとする。


 だが、その電源ボタンを押す前──。


 更に言うならば、スマホの画面を覗き込んだ際、自身の顔の下ら辺に緑色に光る何かが視界に映り、訝しんだ美羽は階段を使い降りようとする美羽はカメラを起動し首筋を見る。


「───!!」


 瞬間──まだ、階段に到達する直前に、美羽から甲高い高音が掻き鳴らされると、首から下へ亀裂が入り、体内から弾けるように黄金の光が撒き散らかされた。


 身体は瞬間的に破裂し、手を繋いでいた蒼太もその撒き散らかされた黄金の余波に巻き込まれてしまい、全力疾走し助けようとしていた沙耶もそれに巻き込まれてしまう。


「っっ!!がぁぁぁぁぁ〜〜ッッ!!」


 アパート全体に震音が鳴り、揺れと悲鳴は走った。


 そんな中、桐江家に違和感や不安感、恐怖心はあれども。最後まで残っていた舞喜が遂に玄関を開けて様子を窺おうと顔を覗かせた。


 外の様子が煩いと分かっていた美羽だったが、准の言いつけ通りに部屋に居るという命令を忠実に守っていて、奏海の中に居る『現象』が暴れ始める前にはイヤホンで耳を塞ぎ、外界からの情報をシャットアウトしていた為、准が優に対する文句も抗議も何も聞こえていない。


 しかし、玄関の扉が大きく鳴らされて、イヤホンを突き抜ける程の悲鳴が聞こえれば流石の舞喜も驚いてしまう。


「今の音⋯⋯」


 玄関から顔を覗かせて、左右を見る。


 蒼太は吹き飛ばされた際、下り階段側へと身を投げ出されてしまい、准達の居るフロアには姿は無く、美羽に関しては粉々のミンチで、唯一マトモに形が残っているの頭部は損傷が激しく、舞喜からはなにか落ちている程度の認識に留まってしまう。


 だが、沙耶は違う。


 爆発の余波を食らったと言ってもそこそこの距離に居て、身体は残っている。


 ただし、左腕は欠損してしまっていたが⋯⋯。


「か、笠辺さん!!どうしたんですか?!大丈夫ですか?!?」


 灼ける皮膚、骨と臓器が悲鳴を上げて、肉は爛れていく。


 後方に吹き飛ばされ、激しく打ち付けた身体と左腕の違和感は目視で無くなっているのだと、ようやく理解して、奥歯を噛み締める。


 コンクリートで出来上がったタイルは爛れた皮膚と接合しようとくっつき、上半身を上げようとするだけで激痛が走った。


「っわぁぁぁ!」


 優が玄関から飛び出して来る。否、蹴り飛ばされてしまい、無理矢理外に出て来てしまったという表現が正しいのだが、一部始終しか見ていない舞喜からは、自身の意思で藍莉の自宅から飛び出して来たと判断したのだ。


「⋯⋯⋯⋯かな、ちゃん?」


 膝を付けて座り込んでしまう舞喜は奏海を見上げる。


 そんな理解不能の状況下を明らかに作ったと豪語しているように威風堂々と歩き出した奏海は舞喜を一瞥──そして、頭を抱えた。


『貴女も対象外ですね。なぜこう、湧くのか⋯⋯。甚だ疑問ですね』


「っ!貴女の相手は私って言った!」


 緩りと刀を支えに、弱々しくなった身体を立ち上がらせた沙耶は目の前に居る奏海を睨む。


『クドい、というものでしょうか⋯⋯⋯。嘆かわしい』


 そして、沙耶と挟み撃ちするように奏海の後方に位置着いた優。


 青年の眉が僅かに動く。


(!『クチ』が消えたか⋯⋯。俺もマトモに参戦でき──?!)


 思考が停止した。


 沙耶の隣に項垂れるに等しい姿勢をしていた舞喜が奏海の脚を掴み、腰へ手を伸ばし、そして叫んだ。


「なにやってるの!かなちゃん!なんで笠辺さんがこんなのになってるのに、驚かないの?!ねぇ!お兄ちゃんは何処!?ねぇ!⋯⋯⋯⋯何とか言ってよ!!」


「何やってんだ!」


「だって、だって⋯⋯⋯⋯」


「状況を見ろ!」


 苦い顔をし、半紙を両手で挟む。視線は舞喜へばかり向けていられない。


 本当に意識しなければならない存在はまだ、ダメージすら負っていないのだから⋯⋯。


(クソッ!素人に何言ってんだ⋯⋯。笠辺さんの片腕も無くなっちまってる⋯⋯。本当にマズイかもしれねぇ。桐江だけでも逃がして正解だったかもな)


 青年の言葉を確かに聞いた舞喜、それでも依然として佇むばかりの奏海の身体を揺する。


 ひたすらに懇願するように、切望を胸にある筈がないと、割り切る自信のない心のつっかえが言葉を自然と捲し立てていく。


「藍莉さんは何処に居るの?常盤さんは?蒼くんは?何処に行ったの?中に居るんだよね?そうだって言ってよ!⋯⋯⋯⋯っ。何か言ってよ!」


『その質問を投げる時点で、おおよその察しが出来ているではありませんか。⋯⋯貴女が悪い方へ想像した通りです』


 冷徹に淡々と一瞥だけして目の前に居る沙耶へと歩こうとする奏海を無理矢理引っ張り、制止させていく。


 身体は引き摺られるのも厭わずに⋯⋯。


「⋯⋯⋯かな、ちゃん?なにその喋り方⋯⋯。目も変だよ?」


『あそこにあるではないですか。貴女が呼んだ名前の女史が一人』


「?⋯⋯⋯⋯え?」


「見なくていいっ!!笠辺さん!コイツを下に!」


「分かってる!」


 舞喜が振り向こうとする動きを強引に止め、走り出す優と右腕に力を込めて奏海へ向けて刀を振るう。


 刀は避けられてしまう──だが、そんな事は織り込み済みの沙耶は大きく踵を顎へとクリーンヒットさせると同時に優は舞喜の元へ滑り込み、庇うように抱き締めて、廊下の端まで移動。


 そして、奏海の勢い付いた身体は流れるままに落ちて行くのに追い討ちを掛けるが如く、刀を突き立てて貫こうとする。


「っ!お前も早く逃げろ。ここに居ても邪魔なだけだ!桐江は既に遠くにやった。こっから中央区方面だ急げ!」


「⋯⋯⋯かな、ちゃん⋯⋯」


「早くしろ!」


「は、はい!」


 誘導されるように走り出す優と舞喜は階をおりて行く。


 その途中にあった美羽の頭部が舞喜の視界に入らないように意図して優は舞喜と密着し、踊り場の壁を足掛かりに舞喜を持ち上げて、跳ぶ。


 着地と共に舞喜を背後から押し、逃げるように促した優は片腕のみで交戦している沙耶の元へ駆け出し、舞喜は不安な感情が渦巻く中、ひたすらに脚を前へと動かした。


 そして、劣勢はそのままに一向に勝利の糸口が掴めないままの沙耶は焦りで表情を歪ませていく。


(強いっ!片手が無いのを度外視しても、これは強すぎる!)


『大太刀・祝魄《しゅくばく》』は肉体によるダメージよりも『怪異』『現象』といった類に対してダメージを与える事に特化した笠辺家の相伝品。


【五月病】との戦闘が終わった後にも准をその刀で刺しはしたが、その時は胸元に少し跡が残る程度のものであり、肉体的な殺傷性も乏しい。


 しかし、それはあくまで常人が振るえばに限られる。


 そもそも、沙耶の身体能力は自前であり、刀の効果や『現象』による作用などではない。


 つまり、奏海を斬る為に振った刀の刃先が壁や街灯、柵などが真っ二つになるのも彼女の力あってのもの。


「貴女は斬る!」


『失せなさいと説いた筈です──。っ!その刀、成程、業物と見ました』


「だから⋯⋯斬れるっ!」


 振り上げた刀は僅かに顎を掠めるものの、依然ダメージはなく、涼やかな顔を浮かばせながら反撃に出るべく、前へと踏み込もうとする。


「【鳥獣戯画】!⋯⋯来い、『トト』」


 半紙から織り出された動物は白い兎。


 しかし、一匹のみ。心許ないなは重々承知の上で、掌サイズの小さな兎を呼び、耳を掴む。


 作戦は既に始まっている。


「笠辺さんのサポートだ!気酔わず行け!」


 そして、動物愛護団体激おこ案件待ったなしとばかりに『トト』を奏海へ向けて投げた。


「いい所に来てくれた」


 そして、『トト』は何処からともなく取り出した弓と矢を構えて、奏海に向けて一射する。


『その程度⋯⋯っ!』


 矢の速度は急激に上昇。音速を突破し、奏海の身体は仰け反るように矢を躱した。


「躱せんのかよ!?」


「っはぁぁぁ!」


 仰け反った体勢の奏海に向かって刀の持ち方を変えた沙耶は体重が乗りやすいように重心を右にして突き刺そうとするも、本来の奏海すらロクにしないバク転をして突き刺そうと迫り来る切先をギリギリのところで避けた。


 更に脚が地に着くと同時に更に後退し、距離を取ろうとする奏海を逃すまいと壁を伝ってやって来た『トト』が蹴りを入れ込もうと長い足を奏海へと向けるも、掌を使い蚊を払うような要領で一撃──。


 その一撃で『トト』は墨になってしまう。


『撫でて死ぬ兎ですか?それはまたか弱い。しかし⋯⋯墨を用いているのは頂けませんね』


 先の美羽の件もおおよその察しをしていた奏海。


 見えていなかった筈が自身に向かって走り込んでくるという異常行動。


 そうさせた全ての元凶は【鳥獣戯画】であると早期に理解していた。


「っ!!ふぅぅぅぁぁぁぁぁ!」


 上空からの自身を鼓舞する声を木霊させながら、奇襲する沙耶。


『っ!壁を駆けた?!貴女も中々に──』


 一撃目は左から右方向への薙ぎ払い。


 だが、奏海の頭上を掠めた程度のもので、容易く避けられる。


『埒外ですね』


 二撃目は即座に右手で持った刀の持ち方を変え、切先が地面に行くようにし、地に突き立てた勢いと身体能力を活かした蹴りを奏海の首筋に叩き付けて、僅かに怯む。


 そして、三撃目。


 勢いある蹴りは沙耶が地面に着地した時、刀は沙耶の左側にあり、右手は柄頭に添えられていた。


 止まらない、止まってはならない猛攻。


 即座に右手を鍔のある下部へ下ろしていき、柄を掴むと共に地面を縦に抉る程の斬撃を奏海に繰り出した。


 しかし──。


「輪っか!!」


 沙耶は舌打ちした。


 圧縮された輪っかを防御として使い、刀の触れるであろう位置に置いた奏海の戦術勝ちである。


 そして、圧縮をした黄金の輪っかは地面をすり抜けて行き、上空に広がって行く。


(いけない。決定打がない。⋯⋯せめて、この建物を上がれれば)


 見上げる建物。一撃で沙耶、そして優を屠れる物(・)がある。


 だが、沙耶の身体能力は常軌を逸しており、追い付かれてしまう事を想定し、距離を離そうとするも、執拗く迫り、大太刀は首を目掛けて迫り続けていた。


 弱点を探ろうと深緑の瞳は沙耶を見定めていた時、奏海は思わず笑みを零す。


 愉快素敵な世界が定めたルール違反。


 それに気付いたと同時に口は開いた。


『貴女⋯⋯ふふっ。ズルしてますね』


「っ?!」


『その残滓⋯⋯。神に限りなく近い性質ですね⋯⋯。否、この世界のものではない⋯⋯。はてさて、誰がこんなせせこましい事を為さったのでしょうか。甚だ疑問ですね、人というのは⋯⋯』


 僅かに引き攣った顔をして、一歩後退してしまう。


 双方どちらも──。


 奏海は危惧した。その残滓の人物が仮にここに来てしまえば十中八九、殺されるという確信。


 沙耶は慄いた。目の前に居る存在がそれに気付いてしまうという事実が、何を意味しているのかを⋯⋯知っているから。


(なんで、そんな事まで分かるの?この子に憑いているのは人とか化け物とかそんな類いじゃない?⋯⋯まさか!?)


 それは男が口にした台詞から察せられた。


「バレる可能性は一応あるぞ?俺が持ってる性質と似たり寄っかりの奴とかな。一応、偽物でも本物でも、デフォルトで持ってるもんだからな。まぁ、そうなったらバレない内に始末するか、死ぬしかないな」


 ボロボロの黒いジャケット、白いインナーに濃い緑色のズボンと茶色のブーツを履いた男は飄々と言っていた可能性。


 それが目の前に──確かに存在している。


「っ!?⋯⋯まだ終わってない」


 ハッとなる沙耶は後方を見る。


 優がここまで攻勢に大して参加しなかったのには訳がある。


【鳥獣戯画】は描ける物体ならばなんで良い。


 それは描くという性質による恩恵による裏技。


 人が紙媒体で物を書くという行為に走る前は粘土板や岩などを削っていた。


 つまり、そこら辺にある片手で丁度収まる石を使っても【鳥獣戯画】は発動可能。


 ペンの類いは不要、紙も最悪必要ない優れた『現象』である。


『っ!兎の大群!』


 その数、総勢三十四匹。


 動物によっては数に制限がある【鳥獣戯画】において、『兎』『蛙』『猿』のみ、使役出来る数に制限は存在しない。


 比較的に取り回しが良く、武器を用いた戦闘と格闘をかじっている『兎のトト達』は十匹で格闘を残り二十四匹で弓矢による射撃に回り、奏海を襲撃した。


『っく!ウザイですね⋯⋯』


 矢の速度も音速に到達するのは変わらず、黄金の輪っかを使用して、蹴散らしていくものの、元々小さなサイズでもある兎が俊敏となって襲いに来るのだ。


 早々には黄金輪っかは直撃せず、後退しつつ一匹ずつ確実に倒していかざるを得なくなってしまう。


『クソぉぉ!あの人間《おとこ》!弱いから加減したらこれかッッ!何処までいこうともせせこましい事この上ない!』


 そんな悪態を他所に左腕の欠損時に出来なかった止血を施そうとする沙耶⋯⋯であったが、手頃の道具は都合良く落ちてはいない。


 その為、千切れた箇所を優のポーチに入っていた止血剤と布切れを用いて簡易的に止血するに留めた。


「田科くんありがとう。助かったよ。でも、大丈夫?」


「正直、キツイっすね。『トト』は数多く出せる分、生命力の消費も中々ですからね」


 既に血の気が引いたように、顔面蒼白となっている優の身体は疲弊しきっており、衰弱間近であった。


 倒れそうな顔付きに覚束無い手脚は戦える状態ではない事を嫌でも示している。


「逃げてもいいよ?」


「え?なんですか急に⋯⋯。貴女が倒してくれれば良いんですよ」


「多分、無理だね」


 淡々とした物言いは優の心を騒つかせる。


 今尚、『トト』を着実に冷静に屠り続けている奏海は攻撃のパターンのようなものを把握した為か、討伐速度が上昇していく。


「⋯⋯⋯⋯そんな事、あります?」


「うん、ある。今あった」


 それは奏海が発した発言からの推測。


 知識と織り交ぜて、その正体に迫る。


「アイツは信仰心が産んだ天使とか神様に近い部類の『現象』なんだと、思う」


「え?⋯⋯ちょっと待ってください。それじゃあ今目の前に居るのって⋯⋯」


「曲がりなりにも神様⋯⋯神性がある存在だね。私の秘密を目視(のぞかれ)ただけで看破されちゃった。こうなると、龍とか鬼とかそう言った埒外の存在をぶつけないと駄目かも」


 そんな都合良く居る筈がない。


 唯一、准達が知る『龍』は詩葉と一緒に仲良く入浴中であり、藍莉が死んだ事はおろか、事件が起きている事にすら気付いていないのだ。


「朝倉拓也⋯⋯、悔しいし嫌だけど、奴を呼べば──」


「倒せるだろうね。私達は馬鹿にされるかもだけど⋯⋯。でも、無理。もう居ないもの、此処には」


「チッ。あの公害野郎」


 思わずいない人物に対して舌を鳴らしてしまう優。


 藍莉は純粋に毛嫌いによるものからの嫌悪。


 しかし、優は違う。


 様々な思惑や画策があった去年の夏頃。


 朝倉拓也は『除者』の総本山である場所に殴り込みを掛けて、優と一部の人間を除き、全て抹殺している。


 その中には優の師匠に当たる恩師も入っており、狩り尽くした彼の一言は冷徹に極まっていた。


「ほら、この人数火葬すんの面倒いだろうから、燃やしてやったぞ。良かったな、手間が省けて。あ、箸いる?骨壷はお前らが買えよ?あれ、そこそこするからさ、じゃ」


 と、畜生と外道が過ぎる言葉を吐き捨てる始末。


 当然、優は朝倉拓也の事を世界で最も嫌う人間として君臨させている。


 そんな事を思い返してしまった優は思わず、青筋を立てた。


「ど、どうしたの?」


 お隣の青年に割と本気でビビってしまう一歳年上の隻腕女子高生の沙耶は震えてしまっており、両手で頬を叩き、「いえ」とだけ口にし、現状の打開策に戻る。


「常盤って奴が死なせちまったのは痛いですね⋯⋯。時間の概念的停止を抑制できるのは、神であろうと一部しか持ってないって聞きます。コイツが都合よくその対象とは思えません」


 仮に今、撃破に至らなくても、後に倒せる術として活かしておきたかった優は唇を引き結ぶ。


 しかし、沙耶は極めて冷静に口にする。


「⋯⋯⋯⋯どうだろ」


「え?」


「⋯⋯私の予想だけどね。多分、概念とか関係ないよ。現に刀で斬れないんだもん。『現象』なら、絶対に断てる刀が意味を成さないのは⋯⋯つまり。私達の前に居るのは──」


 まだ、『トト』が数十匹残っている段階で大きく跳んだ奏海はもはや二人を見てもいなかった。


「っ!上がった?!なんで?」


 矢からの攻撃を壁で防ぎ、意気揚々と藍莉、准達が住んでいる部屋の階へと向かい、藍莉の自宅へ堂々と入室。


「追い掛けるよ?被害増やされても駄目だからね」


 急ぎ、階段を目指して走り出す。


 既に満身創痍に近い二人。


 一人は隻腕であり、身体中が悲鳴を上げて、血液不足によりパフォーマンスも衰え始めている。


 もう一人は衰弱寸前であり、【鳥獣戯画】も出せて後、一、二匹がせいぜいという所まで追い詰められていた。


 それでも、なんとしてでも勝利の細い糸を手繰り寄せる為に階を上がり、藍莉の自宅前まで来て、壁を凭れて、息を殺す。


『⋯⋯⋯⋯この男、息がある。ふふふッ。⋯⋯使える、この者は罪の対象だ』


 玄関扉からは奏海の姿が窺えない優と沙耶は警戒の警鐘を大きく鳴らしていた。


 半紙を摘み、刀を握り直す。


「罠って可能性、ありますよね?」


「正直、それしかないね。でも一般人を巻き込まないって保証ないでしょ?」


「⋯⋯ですね」


 奏海は待った。男の衣服を引き摺り、玄関からでも見えるようにリビングの真ん中に移動して、二人を待つ。


 勝利の凱旋まで後少し──。


 心躍るその多幸感に包まれたような脈動は波打ち、下卑た笑いを浮かばせる。


『時は満ちた。三人の内、二人分の葉(ひかり)が灯された。残りはお前ただ一人だ。愛に狂った小童よ』


 ──武島颯悟。【心火《しんか》】に侵され、愛に狂わされた惨めな十七歳の未成年は今尚、眠り続けている。


 そんな男の後ろ首を掴み、肉壁にでも使うかのように奏海の前へと持っていく。


「私が先行する。田科くん、後何が出せる?」


「とっておき、出します。これで最後です。俺の生命力的に⋯⋯」


「分かった。⋯⋯行くよッ!」


 走り出した沙耶は刀を構えて、奏海に向かって真っ直ぐ突っ込む。


「はい!【鳥獣戯画】──来いっ『イヒト』」


 半紙を両手で挟み合掌。顕現したのは『黒と茶色の柄の梟《フクロウ》』であり、腕に脚を乗っけて、座り込む。


「⋯⋯惑わせてこい!」


『イヒト』の能力は幻術であり、そこそこ生命力を吸われてしまうという欠点こそあれど、当たればあの男を除き、逃れられた者はいない。


 沙耶が足止めし、『イヒト』で惑わせ、攻略するという手筈を即座に打った二人のコンビプレー。


 しかし、『罪咎の光』には遠く及ばない。


 一方的な虐殺を良しとする【審判者《ジャッジマン》】による、【審判者《ジャッジマン》】の為だけの独壇場はもう、整っていた。


 綴った一言は後光を差し、辺りを照らす。


『罪よ、灯(ち)れ』


「光ッ?!うぅ──」


 未だ、廊下の途中を駆ける沙耶は瞼で視界を覆う。


「なんで、あの男が光るんだ?!ぁぁぁ〜〜!!」


 空間は振動すらせず、甲高い高音が炸裂し、その余波は着実に二人を巻き込む。


 刀を床に突き立てていた沙耶だったが、肌は黒くなっていき、灼かれていく温度は身体を蝕み、水分が蒸発して、呼吸不全に陥り、倒れ込む。


「うごぁぁッ〜〜!!」


 後方にある壁に大きく背中を打ち付けた優は勢いのままに地面に落下。


 鈍い音だけが夜の街に鳴いた。


(駄目、だね。もう動けない。死んじゃうな、コレ。⋯⋯⋯⋯本当に、身体は何処まで行っても所詮は、身体《うつわ》って事かな⋯⋯)


 蒸発し千切れ飛んだ右腕。


 その腕が何処へ行ったか、探そうにも眼球は既に焼け爛れてしまっており、身体の皮膚は全て剥がれ、肉は浮き彫りとなって所々に溶けて崩れかけの骨が垣間見える。


 まぶたを閉じて、最後に願う。


(あ、でも。⋯⋯せめて、手ぐらい繋ぎたかったな──)


 沙耶が突き刺した『大太刀・祝魄』へ近付く奏海。


 品定めのように部分部分を細めた瞳で見て、頷く。


『業物だ。うん、貰っておこう。ん?先の男は何処へ?まぁ、良いか』


 先の男こと優も満身創痍であった。


 まだ生きているのは沙耶がある意味で壁になっていたからである。


 しかし、元々が衰弱死寸前だった事も相まって、マトモに身体は動かせなくなっているのも確かであった。


(っく。ぅぅ⋯⋯⋯⋯背骨が完全に、砕けちまって、る。息するだけで痛ぇ。⋯⋯⋯桐江、テメェだでもに、げ──)


 戦いは幕を閉じた。


 呆気ない幕引きをルンルン気分で階段を降りていく奏海はアパートを出て何処かへ向かおうとする。


 その途中に転がっていた蒼太だったものをサッカーボールのように蹴り飛ばしながら⋯⋯。


  ━ ━ ━


「くそ!どうなってんだ!何があった!はぁ、はぁ。」


『クチ』が消えてから中央地区へ飛ばされてしまった准。


 手持ちに財布などある訳もなく、帰るにも時間を有するのは必然的てあった。


 何度も繰り返す。息絶えた藍莉の感覚、奏海の急な変化。


 引き金が藍莉の死にあると准も内心では理解してこそいるが、それでも何故武島が藍莉を殺すに至ったか、そこだけがどうしても分からず、夜の街で一人、苦悩する。


「どうしてこんな事に、なんで藍莉が死んだ!なんで富宮が!なんでぇぇぇぇぇ!」


「失敗したからよ」


 目の前から凍えるような声を発する女性が一人。


 思わずその人物の方へ顔を向けて、擦り寄るように懇願した。


「トッキー⋯⋯。知ってんだろ?解決法《こうりゃくほう》を!教えてくれッ!」


「私は手が出せない」


「あの人の真似はいい!拘ってられないのは分かるだろ!」


 朝倉拓也も「手を出すつもりはない」や「お前らの問題だろ?」と口にして事態に一噛みすらしようとしない。


 だが、名無しは朝倉拓也とは訳が違う。


 朝倉拓也は元々、全く別の世界から来た来訪者として例える事が出来るが、名無しはもしもの似た世界から来た存在。


 つまり、頼ったとて別段、そこまでの異常行動にも繋がらないと、そう踏んでいた准は名無しの腰に縋り付く。


「拘る云々じゃないの。そうしないといけないの」


「失敗ってなんだよ⋯⋯。これから富宮家に行くって話で、それから解決できる術があったのに」


「確かにそれも攻略の一つではある。でも、全部を正しくこなさなきゃいけない中で、一つの見誤りは許されないのよ」


 縋る身体は引き下がりを見せた。


 やれる事はやれた筈だし、上手くいく予期と調和すらあった。


 しかし、異常事態《イレギュラー》が全ての予定調和を崩壊させたのだと、准は唇を強く噛む。


「見誤り?そんなの何処に⋯⋯、あったってんだっ!」


 藍莉の自宅に颯悟が居ると誰が予期出来たか⋯⋯。


 少なくても、准の自宅に居た者は皆、考えてすらいなかった。


「早く行った方が良いわよ?ここ、彼女の自宅から近いでしょ?」


 彼女とは誰か?⋯⋯一人しかいなかった。


 今日の二十四時から向かう予定だった『富宮家』である。


「っ!?⋯⋯⋯⋯いや、富宮家を僕は知らない」


「私が連れてってあげる」


 そう言い、名無しは手を伸ばす。


 潤んだ瞳から水滴が零れないように堪えて、鼻を啜りながら、名無しの手を掴む。


 繋いだ手は離れなかった。


 准も離そうと思えば離れられた筈の力加減。


 だが、准は頼れる存在であり、手を差し伸ばした彼女の事を邪険にも扱えず、彼女から離れてくれる事を望みながら、ギュッと手を掴む。


 路地裏に入り、ただでさえ、黒いドレス衣装はより漆黒に近くなり、まだ何とか識別できるのは灰色の髪と時折振り向き、准の様子を確かめる際に見える色素の薄まったビー玉のような瞳のみ。


 ヒールの音は重く鳴り響く中、大通りの近くへやって来たタイミングで名無しは怪訝な表情をしながら、横を歩く准の方を向く。


「貴女は今回の事件、どう思う?富宮奏海の癇癪にも似た行動力が引き金だと思う?」


「⋯⋯癇癪とは思わない。でも、何かに憑かれてるのは確かだとは思う」


「そうね、そうかも」


 ヒールの音が止み、手は離された。


 そして、准と名無しの目の前にある赤い屋根の二階建ての一軒家を指差し、一言。


「さぁ、入って」


 そう、自身の自宅でもないというのに、軽く案内するように手で誘導する。


 多少思う所はあったが、准は言われた通り、玄関のノブに手を伸ばした。


「開いてる?⋯⋯不用心が過ぎ──」


 言葉が詰まった。


 異様な光景も勿論あったが、問題は視界に映る情報よりも鼻から伝わる情報が先に来た事にある。


「お香の匂い?⋯⋯焚きすぎじゃないか」


 思わず名無しを見るも視線が、行け、とだけ真っ直ぐに差していた。


 屋内の不審感は中へ入ろうとするぎこちなさが物語っており、靴を脱ぎ、ゆっくりと一歩、一歩と進む。


 目的地は聞かされていない。


 しかし、玄関を入り右手側奥だけが他と違って照明が付いており、それを目印に脚を動かしていく。


 壁に手を添えて、ゆっくりと進んでいる准の耳になにか聞こえ始めた。


 人の声であり、男性と女性である事までは聞き取れたが、そこから先は覗かなければ分からず、照明の付いた部屋へ顔を僅かに覗かせる。


 すると、准は目を見開き、先程まで恐る恐るといった様子だったのが、身体を壁から離して、部屋の出入口に堂々と立った。


「な、なんだこれ!な、なんだこれ」


 その部屋は居間であり、畳と襖が並んだ部屋である。


 部屋の出入口から右奥側にポツンと置かれた仏壇と遺影。


 線香が主流の中、遺影の真ん中にはお香が焚かれていて、部屋は換気もしていない為か、匂いが立ち込めている。


 そして、そんな仏壇付近には関連性が全くない四葉のクローバーが遺影以外の小物を覆い尽くす程に乱雑に纏まっており、その手前で黙々と瞼を閉じて小声でブツブツと唱えていた。


「トッキー、これなんだ?何やってんだ、この人達は⋯⋯。この人達、富宮の⋯⋯」


「ご両親よ」


 血の気が引いた准は富宮奏海を思い出す。


 背中に浮かんだ光は四葉の形であり、目の前に腐らず、未だに残り続けているのも四葉のクローバー。


 関連性がない訳がなかった。


「悪徳宗教に騙されたのよ。⋯⋯だからこうなった」


「え、いや。⋯⋯ちょっと待ってくれ。そもそもの切っ掛けは富宮が階段から転落した事が切っ掛けだろ?これとなんの関わりがある?」


「下地。前段階。そんなところ」


「ここに連れて来といて、下手な言い回しはするな」


「なら先輩はどう見る?」


 大の大人が悪徳宗教に騙された、仏壇の前でブツブツと語り掛けている。


 そんな様子よりも気になったのは、遺影として写る写真の人物の方であった。


「そもそも、拝むにしたって、対象が亡くなった姉ってのもおかしいだろ?あれって本来、珍しいもの見た時とかにする行為だよな?」


 そして、もう一つ、拝むには別の意味もある。


「それは普通の感性。新しい志向をキャッチフレーズにして顧客を掴むのは常套手段なの」


 嫌な想像をした。だが、状況だけはそれを明確に言葉しろとばかりに映り込む。


(⋯⋯⋯冗談だよな。だったら富宮、お前⋯⋯どんな環境で育ったんだ?というから何時から⋯⋯)


 恐る恐る、上擦りそうになる声を何とか平常時と同じようにしようと心掛けながら、名無しへ回答を口にする。


「⋯⋯⋯⋯まさかとは思うが、亡(・)く(・)な(・)っ(・)た(・)姉(・)を(・)神(・)様(・)に(・)見(・)立(・)て(・)て(・)、(・)祀(・)っ(・)て(・)る(・)って事じゃないよな」


「正解」


 軽く一言で簡潔的に肯定した名無しに、少しイラッとしてしまう准は、それを誤魔化すかのように、改めて富宮奏海の両親の方を見つめた。


 両手を合わせて、頭を下げて、帰ってくる事のない姉に向かって永遠に語り掛けている姿には本来ならば、物悲しさと共に沈痛な思いにさせられても良い筈だと言うのに、准はそうなる事が出来ずにいる。


 ひたすらに、ただひたすらに二人の声を聞いていると、その内容は姉の生還を祈るもの、自身の心境の吐露というには少しかニュアンスが違っていたからだ。


『どうか、私達をお救い下さい、お救いください、お救い下さい、お救い下さい、お救い下さい』


『摘みました。摘みました。摘みました。摘みました。摘みました』


(これ、どういう意図で言ってるんだ?)


 ふと、浮かんだ疑問であった。


 訝しむ視線はどうしても切れず、仕方なく准は隣に居る名無しに対して疑問を投げ掛ける。


「なぁ、この人達、なに言ってるんだ?」


「救いの懇願とクローバーを摘んできたって、そう聞(・)い(・)て(・)い(・)る(・)わ(・)」


 その言葉を聞いてほっとした様子を見せた准は口遊む。


「そうか、僕はてっきり、救うの事を虫が巣食うの『巣食う』と罪が増したで『罪増した』だと思ったよ。良かった⋯⋯」


(そういう考えに普通、至らないでしょうに⋯⋯)


 呆れた様子で准を訝しんだ名無しは思わず溜め息が零れた。


 切り上げるタイミングというのは、どこら辺がベストなのか、それすら曖昧な准達による富宮家の訪問は意外性しか光景を目撃した事により、准は半ば勝手にお開きにしようと玄関へと向かおうとした。


 しかし、その脚を名無しは止める。


「なんだよ?!」


「もう来る」


「誰が?」


 名無しはその人物の名前を口にはしなかった。


 否、もう言う必要もないだろう。


 直後、ちゃんと帰って来たのだから。


 思わず開いた玄関の扉の音に僅かに肩をビクッと震わせた准であったが、その姿を視認すると、思わず口が開いてしまい塞がらなくなった。


「ママァ、パパァ、お姉ちゃん⋯⋯」


 虚ろな瞳、覚束無い足取り、手には見覚えのある刀。


(!?あれって⋯⋯先輩の刀ッ!!なんで⋯⋯富宮が持ってる)


 思わず、富宮に近寄ろうとするも、またしてもその行動に制限を掛けた名無しの手を力強く振り払う。


「富宮!──っ!何するんだ?!」


「行っても無駄よ。もう、あの子⋯⋯死ぬから」


「⋯⋯え?」


 ゆらりとした足取りで時に壁に肩をぶつけたり、転んで床に鼻を打ち付けてしまい、鼻血を垂らしながらも、刀を途中で落としてしまっていても、居間の出入口に居た准達には目もくれず、今尚ブツブツと拝んでいるばかりの両親の間に正座で座り込む。


「⋯⋯ママ。今日ね、きーくんときーちゃんがね、遊んでくれたの」


 准の胸はギュッと締め付けれたような感覚に襲われた。


 奏海の口調も精神年齢的に退化しているようであり、口角を緩やかに上げて母親へ向けて微笑む。


「パパ、私、いい子にするから。だから、お姉ちゃんを怒らないであげて」


 次に父親の顔色を窺うようにして首を僅かに傾げて微笑んだ。


「お姉ちゃん、今、行くね」


 そして最後に遺影に向けて微笑むと、三人──富宮一家は弾け飛んでいた。


 突然起こった音のない爆発。小さい細切れ肉となった奏海達。


 さながらマジックのように人型だった者達は、そうではなくなり、准はそれが幻の類いと錯覚し、視線が居間全体に広がった肉塊の破片を、彼方此方に散らばった人だったものを息を荒らげながら見つめる。


「っっ!あ、ぁぁ、あっ。あ、う、嘘だろ?なんだよ?これ⋯⋯」


 准のズボンに飛び散った血液が付着しており、更によく見ると小さな肉片がくっ付いていた。


 それを払い除けようとするも、何故か手は止まり、ズボンを摘んで落とす方法へシフトする。


 勝手に落ちただけだ、そう言い訳のように呟きながら落としていく肉片はしっかりと血の跡を残していく。


「なんだよ!!⋯⋯クソッ!」


 一時間以上掛けて帰って来た疲れもあるというのに、それを一気に消し飛ばしてしまう程の惨状が広がっている。


 アパート付近で最初に目に映ったのは仰向けで血塗れになって倒れていた優の遺体だった。


「田科⋯⋯⋯⋯」


 文句も言いたい事も山程あった筈が、全て何処かへ流れて行ってしまい、力が抜けたように寝ている優の傍から離れていく。


「⋯⋯トッキー!」


 頭部だけがまだ辛うじて判別出来る身体の部位であり、顔の皮は抉れてしまっており、骨が剥き出しとなっている。


 唇を噛み締め、そっと立ち上がった准は、最後に藍莉の自宅へと入ると、口元が震えて、涙が止まらなくなっていく。


「藍莉、先輩⋯⋯⋯⋯蒼太?」


 首を折られた藍莉の遺体は何かしらの影響を受けてなのか、皮膚は爛れてしまっており、判別も髪の色によるもの。


 沙耶に関しては制服で言い当てたようなものではある。


 顔での判別のしようもなく、身体がグズグズに溶けだしていた為、骨格や体格での判断もままならない。


 そして、リビングに入ってすぐの場所で肉塊となっている物を見て、蒼太だと認識した准は立ち上がる。


「先輩、アレは蒼太くんじゃない」


「⋯⋯でも、死体だろ?」


 そう吐き捨てた准は遣る瀬無さと無力感、失い過ぎた失望感に苛まれながら隣の自宅に戻り、せめて無事でいて欲しいと願っている舞喜の様子を窺いに行く。


 だが、部屋にも風呂場にもトイレにも、リビングやキッチンといった桐江家の全てを探しても、舞喜は見つからず⋯⋯。


 巻き込まれて亡くなったと結論付けた准は、その時点で完全に脱力してしまい、リビングに置かれたソファに倒れ込んでしまう。


「⋯⋯こんな事ってあるのかよ」


 ボソッと呟いた声に近くに居た名無しは反応しない。


 独り言だと認識し、准にとってもそれが都合の良い事と思い、募る感情に身を任せて叫ぶ。


「なんだよッ!なんなんだよッ!!ここまで酷い事、あっていいのかよ!ざっけんなよッ!」


 初めはソファを殴り八つ当たりしていき、それでも収まらず、ダイニングテーブル、扉、椅子、電化製品と手当り次第に殴っていくも、全く持って収まる事を知らない感情は溢れていく。


「アァァァァァァァァァァ!!」


 雄叫びを上げて、頭を掻きむしり、脚裏でフローリングを使った雑な音を鳴らして、五分ほど当たり散らした。


 床に倒れるように寝転んでいると、見下ろすように名無しが顔を覗かせた。


「大丈夫じゃないだろうけど、次の為に貴方には向かって欲しい所があるの」


「?⋯⋯何言ってんだ?こんなもう終わりみたいな状況下で、なにしろってんだぁぁッ!」


 お門違いのお説教にも聞こえた准は躙り寄りながら、名無しの足元へ迫る。


「『翡翠色に光る象』に会って来なさい。あの神なら力を貸してくれる」


「⋯⋯力貸すって?⋯⋯生き返らせてくれるのかよ。皆を!」


【翡翠に光る象】──准が『虚象』と呼んでいる存在に生命を生き返らせるなんて事は不可能である事は本人から聞いている為、皮肉として口を走らせた准だったが、そんな事も名無しもまた知っている事であり、皮肉には乗らずしゃがみ込み、冷静に、滾る感情で物に八つ当たりする人物にも伝わるように優しい声色で語る。


「次の為の手段、段取り、計画を練りなさいって事。貴方が生きていて、私が居る。これは大きなアドバンテージなのよ?」


「『時間跳躍』⋯⋯」


「厳密には違うけど、まぁいいわ」


 名無しと今こそ名乗っているが、元は常盤美羽である。


 彼女は優しすぎた故に壊れた女の子であり、ある意味では尽くし過ぎる女子高生だ。


 現代の常盤美羽よりもほんの少しだけ歳を重ねて、大人びた雰囲気を感じさせる彼女は髪色が変わろうと、スタイルが変わろうと、瞳の色も、やるべき役目がどうしようもないものであったとしても、結局は常盤美羽であり、それにしかなれない。


 だから、彼女は手を差し伸ばす。


 何度でも、何度でも、何度でも──。


 まだ諦めるな、口にせずとも色素の薄くなっている瞳がそう訴えてくるのを准は確かに感じて、その手を取った。


「だから、行きましょう。『象願林』へ」


 准にとっての高校二年生の夏休みは、まだ一日も経っていない中、玄関の扉を開ける。


 正真正銘の神に出逢うべく──。

酷い時は全員普通に殺しますよ?


だってフィクションだもん。死んだって構わんさ。


生かすか殺すか気分次第です。

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