焦がれ離れさせない烙印
暑いですね、暑くて干からびそうな暑さですが、どうか体調管理はしっかりと!
今回のお話は短いぜ!偶には妥協も大事!
最初の頃は一万字行く行かないのラインだったので。
今では二万字近く⋯⋯書き手の人達って何文字ぐらいで一話なのか⋯⋯わっかんねぇ〜。
ともかく、藍莉とキモイだけの男のお話どぞ!
重く、暗く、静まった時間は流れていき、夕方になった。
時刻にして、十八時前──一周目、四週目で准、藍莉、並びに巻き込まれた者達の殺害時刻となり、美羽は一人、息を呑む。
そして、藍莉は語る。准にも約束していた昨夜帰れなかった事情、彼女が間近で見た一つの事故を⋯⋯。
それは二階建ての部室棟の中、夕暮れに照らされた階段の踊り場にて起きた。
藍莉は偶然、外から漏れた口論の声を聞き、様子を確かめる為に中へと入ると、目撃してしまう。
踊り場で頭から血を流す富宮奏海とその階段の上で悲壮感を糧に自己暗示に暮れている武島颯悟の姿を。
明らかな動揺により、頼りにならない颯悟を無視して急ぎ救急車を呼ぼうと部室へ駆け込んだ藍莉はスマホを用いて『119』をタップ。
そして、連絡しようとするものの──。
「止めてくれ!藍莉!俺が疑われる!俺は何もしていない!」
颯悟が藍莉の元へ現れ、懇願した。
それは必死な面持ちであり、悲痛な表情であり、冷酷なまでの言葉。
力なく、今にも倒れそうになる足取りを何とか踏み留めながら、じっくりと歩き出した。
「⋯⋯何言ってるの?貴方は?奏海が倒れているのよ?颯悟が突き飛ばした訳じゃないなら、呼んでも問題ないでしょ?!」
「俺はしてない!勝手に落ちたんだ!本当にッ。でも、皆はそうは思わない!状況だけで俺を突き飛ばした犯人に仕立て上げるんだよ!⋯⋯何もしてないのに、何もしてないのに!」
「だったら私が庇ってあげるから!今は奏海の安否の方が大事でしょ?」
「⋯⋯⋯⋯事故なんだ、本当に⋯⋯、本当にッ!助けてくれ、藍莉!頼むよ!頼むよぉぉ!」
藍莉の腰にしがみ付き始めた颯悟はこの世の終わりのような顔をしながら、必死に頼み込む。
何が彼をそこまでするのか、何故それ程までに恐れているのか、そのラインには立ち入ろうとはせず、奏海の安否のみが気掛かりな藍莉は顰め面をする。
「しがみつかないで!スマホの画面が押しにくい!颯悟は先生でも呼んで来たらどうなの?」
「そうしたら、た、た、たた、た、助けて、く、くれるのか?」
「あ〜もう!えぇっ!助けるわよ!だから行きなさい!」
「わかった。信じるからな!信じたからなぁッ!」
踏み締めた脚を使い、必死に階を降りていく颯悟へ一瞥もしないまま、救急車を呼ぶ藍莉の顔に険しさは拭えず、救急車がやってくるまでの間に、まず藍莉、准達のクラスの担任がやって来て、次に颯悟が連れて来たサッカー部の顧問がやって来た。
頭を強く打った可能性を鑑みて、タオルでぶつけた箇所を抑えつつ、階段の踊り場は一時的に封鎖。
救急隊員がやって来るまでの間に部活動を終えて部室棟へ訪れた者達によってゴチャゴチャとし始めると、今度はサッカー部顧問までその対応に追われだし、結果として藍莉と颯悟の二人が救急車で付き添う形となった。
そして、病院に着くと同時に早急な手術が行われる事が決定し、二人はストレッチャーに寝かされている奏海が手術室へと運ばれるのを見守る。
二人は時刻的にも人気が静まり始めたフロントの中、取り残された。
「颯悟まで来る必要、なかったでしょ⋯⋯」
「⋯⋯怖いんだ。もし、このまま亡くなったら」
腰を曲げて、肘を脚に付けて、顔を手で抑える颯悟の横顔からは悲痛さ以上の何か別の感情が芽生えていた。
「なんでこうなるッ。なんで、五月ん時もそうだ。俺は何もやってねぇのに!なんで、なんで、なんで、なんでぇ」
片脚が自然と上下に床を鳴らす。焦りと恐怖心は募っていき、懸念が増していく颯悟。
一つの後悔、ままならない五月の炎は視界を覆う。
「⋯⋯⋯颯悟、落ち着いて。まだ奏海は生きてる。勝手に殺さないで!」
「分からないだろっ!」
藍莉にも当然、不安はある。結局、結果は医者の腕次第であり、奏海の身体次第なのだ。
いくら願っても叶わない時は必ずあり、無情に終わる事もある。
嫌な想像というのはそういう状況が近ければ、それだけ想起しやすく、藍莉も自然と落ち着かない様子を見せ始めていた。
「⋯⋯はぁ、慣れないわね。ううん、慣れちゃ駄目なんでしょうけど⋯⋯。張り裂けそうになるわね、ここに居ると」
この場所は五月頃、桐江准が交通事故に遭った際に搬送された病院。
違うのは手術室横にある長椅子に座っているのではなく、出入口に比較的に近いフロントに設置されている椅子に座っている事ぐらいのもの。
病院独特の匂い、雰囲気、照明による明るさ、受け付けから呼び出されるアナウンスの音、それらは全て藍莉にとっても苦いものになりつつある。
「⋯⋯っ!クソッ!」
一方、颯悟は気が気ではなかった。
あらゆる負の想像が頭の中を駆け巡り、身体は熱を欲する。
燃え滾るその感覚に自制が効かなくなっていくのを無意識に感じるものの、そこに意識を注ぐ事はせず、遂に滾りは沸点を越した。
焼け爛れるかのように感情は色を付けていき──そして、感情の融点へ到達する。
「⋯⋯⋯⋯逃げよう」
思わず口にした言葉に藍莉は目と耳を疑う。
口にした本人は何気なしに放った言葉である事は見て分かるが、それならば何故それを発したかという点に置き換わる。
結果としては、怯えから来るものであった。
「無理だ。無理なんだ。駄目だ、どうせ、死ぬ、死んじまう。分かるんだよ⋯⋯」
「決め付けは止めなさいよ!奏海、今頑張ってるでしょ?!辛いのが颯悟だけなんて思わないで!」
「お前に何が分かるんだよ!あそこに立ってたら、お前だって同じ事を思う筈だッ。俺達はお似合いの二人なんだから⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯何言ってるの?今、どういう状況か、理解してるのよね?」
様子がおかしいと、藍莉はすぐに察した。
だが、逃げるなんて選択はなかった。
眼球は血走り始めて、狂ったように口を走らせる。
「⋯⋯そうだよ、そうなんだよ!俺はこんな所で、ウダウダとしてられない。やってられない!そうと決まれば──」
勢いよく藍莉の左腕を掴み、引っ張ろうとし始めた颯悟。
力加減なんてものは──無かった。
「っ!痛いッ!何するの、離してッ!」
振り払おうとするその腕は懸命であり、それを離すまいとする手もまた、懸命なぐらいに執拗いものであった。
「一緒に逃げよう!藍莉。俺を助けてくれるんだろ?永遠に!」
一つの理想であり、一つの幻想だった。
颯悟の求める恒久的かつ永続的に続いて欲しいと、切に願う夢想にも近いその思惑を吐露するものの、藍莉は怪訝な顔色をするのみであり、遂に掴まれた腕を振り払う。
「勘違いしない──っで!私が助けるのは、貴方が奏海を突き飛ばしていないっていう事だけ!触れ込むだけで、それ以上の事はしないわよ」
「⋯⋯冗談言うなよ。藍莉⋯⋯⋯⋯、そう、そうなんだよ」
俯き、ブツブツと呟く。そして、ようやく上げられた顔からは笑顔が漏れていた。
気持ちの悪いぐらいの作り笑顔、誰もが嘘臭いと感じられる程に、出来上がったその仮面に藍莉は身動ぎをする。
「お前は優しいからな。桐江が邪魔で仕方ないんだろ?分かってるから、ちゃんと分かってるからさ」
「何言ってるの?話の着地点を変えようとしないで!私が准の事を邪魔だなんて⋯⋯そんな筈、無いでしょ!」
「いいや!邪魔だ!俺には分かる。迷惑だもんな!あんな奴と付き合ったのも脅されてたりしたからなんだろ?怪しいって思ってたんだ。だってそうだろ?お前みたいな女性が俺とじゃなくて、あんな奴と付き合ってるなんて罰ゲームみたいなもんじゃねぇか。大丈夫、安心しろ、ちゃんと助けてやる!俺が守ってや──」
フロントの空気を衝く音が鳴り響いた。
意図して藍莉は右手で渾身の力で颯悟の頬を引っ叩いた証明で、颯悟は驚いた顔色を浮かべる。
尖った視線が颯悟に向く。不愉快だと主張するその視線には怒りが混じっており、もう一発、次はグーで行ってやろうかと思い付く程に藍莉は憤慨していた。
「その発言、全部撤回して」
底低い声から繰り出された言葉は颯悟の耳へ確かに届いている。
だが、颯悟は何故か──笑っていた。
「⋯⋯ははは、ほらやっぱり」
「え?」
「痛くねぇ⋯⋯。愛してっからだ。そうだよ!愛してるからだ!やっぱりな!他の奴は今のを痛いって思うだろ!な!?でも、俺は違う──」
「⋯⋯⋯貴方、どうしちゃったの?」
正真正銘、イカれた。目の前で何かが外れてしまい、ケタケタと笑う颯悟。
痛みの無さは愛の証明だと自認し、それを伝える彼の顔は正しく太陽にも似た笑みそのもの。
先程まで浮かべていた不安げな表情も怯えや恐怖心は何処へ消えたか⋯⋯誰にも理解出来ない底へと沈んだ。
「俺は愛してるから、ちゃんと愛してるから⋯⋯。だから、痛くないんだ」
叩かれた頬を撫でるようにする手つきは、優しかった。
痛みとは何かと問われれば痛覚からくる電気信号であるものの、決して愛如きでどうこう出来る代物ではないと小学生の子供ですら理解出来る。
だが、颯悟は違う。冗談などの類ではなく、本気で本当にそう思い込んでいるのだ。
「やっぱりそうだよ!俺しかいない。俺だけが藍莉、お前を愛せる資格があるんだよ!間違ってないし、正しいんだ。俺はお前の事を心の底から愛してるんだ!初めて会った日からずっと!結婚したいって思ってたし、子供だって、老人になっても、死が分かつ事すらない永遠に一緒に──」
「ふざけないで。貴方、どうかしてるわよ?貴方が好きなのは貴方の中に居る幻想であって、現実じゃない。貴方の事は友人止まりでそれ以上も以下もない」
突然の愛の告白はどうしようもなく藍莉の身体を氷河期と同等の凍えと畏怖感に襲われていた。
初めて出会った日も確かに藍莉も覚えているが、ロマンチックもクソもない授業の一環でグループを作る事となって逸花経由で偶然一緒になった程度のもの。
誰でも良かった訳で、拘りもなく、その授業中にはラブもコメディもロマンスもドラマすらなかった。
つまり、ただの一目惚れなのだろう。そして、藍莉にはそれが伝わらなかっただけの事。
しかし、この男は違う。
初恋は実るものと信じている。
武島颯悟は今日以前から日頃、脳内では告白の仕方、将来的に住む家を探すべく不動産屋まで脚を運び、産まれてくると思い込んでいる子供を含めた家族構成、プロポーズの言葉から死ぬ時の最後の言葉、果てには来世に乞うご期待!とばかりに来世の将来設計まで考える始末。
だがらこそ、ご都合主義の思考は急加速する。
「⋯⋯⋯ふっ。俺が正直に、ありのまま口にしたから、恥ずかしんだろ?」
忘れてはならない──現在、二人が居るのは病院の院内であり、二人だけに用意された個室という訳でもなく、フロントである。
つまり、周りにも声量次第ではダダ漏れなのだが、この男はキザったらしく、自身をアピールする余裕はあるというのに、声のボリュームを調整する気が微塵もないのだ。
後方の席に座っていた老人夫婦は当然のように訝しみ、受け付けにいる看護師、果ては見回りをしている警備員も阿呆だと言いたげな顔をしている。
「私、貴方の事、今しがた嫌いになったわ。本当に⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯冗談は止めろよ?なぁ?大丈夫だって、俺はお前を守ってやれる。俺はちゃんと愛してやれる。俺はお前の事を永遠に幸せにしてやれる」
臭い台詞は胸が爛れていく感覚がして、肺と心臓を取り替えて欲しい程の胸焼けが藍莉を襲う。
大きな溜め息を零した藍莉だったが、恋焦がれ過ぎて脳みそが焼け野原真っ最中の颯悟には見えておらず、藍莉の肩を掴む。
「なぁ?だから、桐江を捨てても俺がいる。それで良いじゃねぇか?それで良いんだよ。俺にはお前しかいないように、お前にも俺が必要なんだ!なぁ!?」
「要らない。私の価値観の中に貴方は居場所は何処にも無い」
即答だった。無遠慮に肩を掴まれた手を振りほどき、わざとらしく触れられた箇所を手で払う藍莉。
もはや、颯悟見る目付きは軽蔑と憐れみに満ち溢れてしまっていた。
「そもそも、守ってやるとか、愛してやれるとか、幸せにしてやれるとか、上から目線が既にキツイのよ。私ね、駄目人間なんかになりたくないのよ。貴方と一緒に居ると私も釣られて駄目になる。⋯⋯それに、仮に付き合う事になっても、悪寒で死んじゃう事になる。私嫌よ?死ぬのなんて」
皮肉を混ぜた本音は冷徹に、表情から織り成される意思表示は冷酷なまでに冷めきっており、それらは合わさって一兆度にまで高まった愛も急速冷凍される程であった。
「一つ言っておくけど、私の隣に居てくれるその役は少なくても貴方じゃないって事は間違いなく分かる。それが貴方の嫌う准かどうかは分からないけど、私個人としては、そうであって欲しいってだけ。あの人なら良いなって思える。でも、貴方は違う。ただ私を使って自己顕示欲を高めたいだけ。したいなら別の人でやってちょうだい」
言葉の節々から滲み出る自己主張。
相手を蹴落す表現と織り交ぜられたその物言いに藍莉は嫌悪感を示し、キッパリと言い切る。
「私、今の貴方と人生を歩むぐらいなら、下水道の中を一生泳いだ方が、まだ幸せになれる自信があるわ」
「だから⋯⋯恥ずかしがらなくても」
「私が恥ずかしがってる?⋯⋯おかしいわね。私は今、怒ってるのよ。そんな事も分からないの?好きなのに?⋯⋯ほらね、やっぱり。ここまで侮辱されたのは生まれて初めて」
見たいものだけを見て、都合の悪いし情報は閉じていく。
自分だけの世界に閉じ篭ってしまった今の颯悟は藍莉の逆鱗に触れている事に気付く気配がなかった。
「侮辱?何がだ?!お前の為になら、なんだってしてやれる!なんだって出来る!本当だ!」
『なんだって』──その言葉はガムシャラで何処か嘘臭い響きある言葉であると、颯悟は気付く事もなく、躊躇なんて微塵もなく発した。
颯悟にも意地があり、理想があり、恋焦がれた人物が居る。
ただひたすらに欲した、焚べるものを⋯⋯。
今の自分よりも、より鮮烈であり、より苛烈で、強烈な言葉で藍莉の心に響かせたかった。
一度着火した火は炎へと猛りを増して、辺りを焼くように、颯悟の心は藍莉へ向けた熱烈な気持ちによって満遍なく焼かれて留まる気配は決してない。
颯悟の表情は自信に満ちていた。
状況的に見るならば、そんな事ある筈がないのはその現場に居る者の誰もが理解出来るというのに、ただ一人、その状況を焼かれた道によって立ち止まり、気付けない愚か者が居て、そんな彼の自信過剰な眼差しに嫌気が差して、一つの質問をする。
「じゃあ、私の為に学校の屋上から飛び降りて死んでって言ったら、死んでくれる?」
「それは勿論い──。いや、駄目だろ。将来一緒に歩んでくんだから⋯⋯」
馬鹿みたいな質問であり、高飛車な女性が冗談半分で言うような質問に颯悟は言い淀み、訂正を加えた。
意気地無し、とは口に出来ない。
普通、あってはならない訳で、むしろ颯悟のその発言の方が場合によれば正解だってある。
本気で将来を歩もうとする気持ちはあり、それが彼を駆り立てていき、思い描いた理想はすぐ手前で、夢見る幻想はいつも傍を並走して離れない。
たった一言、『YES』に類する言葉一つで颯悟の心が満たされて、有頂天になり、天に召された気持ちになると共に生涯、どんな苦行も困難も立ち向かえる、そんな意気込みが確かにあった。
「じゃあ、駄目ね。話にならない」
けれど、颯悟の心が満たされようが、藍莉本人は別であり、颯悟が有頂天であっても、藍莉はどん底まっしぐら確定なのは明白で、天に召されるならば勝手に行けと天に唾する程。
苦行や困難だって立ち向かうなら、おひとり様でごゆるりと⋯⋯。
藍莉の心境はその極地に居る。
完全別離の位置付けであり、ロミオとジュリエットが結ばれない恋物語ならば、二人はただの一方的な片想い暴走野郎の自己満足ショー。
恋されている側はたまったものではない。
「え?⋯⋯⋯なんでだよ!俺の⋯⋯俺のこの気持ちがどうして分からないんだ?!」
「当たり前でしょ。今のでハッキリ出来る。私が好きなのは准、嫌いなのは貴方。まぁ死んで欲しいっていうのは嘘。それでも、私の中では貴方は死んだようなものよね」
一つのお話とそれに纏わる一つの顛末を藍莉は知っている。
交通事故で亡くなった姉弟とそれによって発生した『現象』により、巻き込まれた少年のお話。
結果的に少年はわざわざ一度死んで、ズルをした結果、姉弟の身に降り掛かった交通事故は無かった事となるも、代わりに再度死に掛けた──否、本当は亡くなる予定だったのを、旅人と未来人によって、最終的には生死の境の淵から蘇った少年。
当時、少年と姉弟の関わりは薄い部類であり、少年の我儘によって成された歪な物語は幕を閉じて尚、尾を引いている。
けれど、姉はしっかりと今でも覚えている⋯⋯。
たった十二時間ポッチの出来事で少年が向けてくれる優しさをしっかりと。
それまで話も大してなく、剰え家族を滅茶苦茶にした人物の兄であった少年は、一年越しに姉の父親に殴られるつもりで自宅に訪問し、事件をすげ替えた。
下手をしたらその父親にすら殺される可能性すらあったその物語は姉の記憶に色濃く鮮明に焼き付いている。
決して、見た目が好みとドンピシャであったとか、性格的な波長がピッタリ合うといったものではなくれ運命の赤い糸で結ばれている訳でも前世で将来を誓い合った訳でも、同じ夢を持っている訳でも、遺伝子的な相性云々などでもない。
ただ純然に焦がれた⋯⋯。
そのひたむきに他人事であり、見捨てても良かった筈の出来事に共に悩んでくれて、約束をしてくれて、抱き留めてくれた、その優しさに焼き焦がれたに過ぎない。
それから、少年なりの葛藤を知り、少年なりの苦悩も見て、時に裏切りにもあった。
けれど、それでも彼女は決して焦がれたその熱を冷ます事は生涯ない。
彼女に焼き付いたその烙印は、一度身に付けば、決して消せはしないのだから⋯⋯。
そして、それで良いと理解も納得もしている。
妥協などではなく、それで良いと感じて、願って、判断した。
「⋯⋯本当になんでもしてやれるんだぞ?」
「要らない」
淡々としっかりと目を見て口にしたその言葉は颯悟の表情を歪ませていく。
「そんな訳。⋯⋯嘘だって言ってくれ」
「嘘──な訳ないでしょ、全部本音なのよ。何度でも言うわ、要らない。貴方の恋心も愛情も重いとか以前に、申し訳ないけど不愉快なの。それに私はもう、貴方以上の人を見つけてる。分かるでしょ?貴方にとっては劣ってるように見えても私にとってはその人が良いの。だから、邪魔しないで。馬鹿にしないで。口にしないで」
どんな鈍感野郎であろうとも、聞き逃しのないようにハッキリと口にしたその言葉に颯悟の熱に冷気が入り込む。
(なんでだ⋯⋯なんだよ、なんだってんだよ!なんで、なんで、なんで!!俺とアイツ、比べたら一目瞭然で俺だろ!誰だってそう言う、俺だって勿論の事!その俺は言うんだから、間違ってる訳ねぇだろ!なのに、なんで分かってくれないんだっ⋯⋯)
それは積み重なったプライドと実績から来るもの。
実際、学業という観点に置いて見れば、准は下から数えた方が早く、颯悟は上から数えた方が早いのは、紛うことなき事実。
運動神経も同じであり、人脈や交友関係の広さ、教師から慕われているのも颯悟である事は明白である。
けれど、人を好きになるという項目において、それはステータスではない。
結局な話、馬鹿であろうとイケメンなら許されるし、運動神経が氷の上でスリップしかけた車のような覚束無い走りを見せる奴であろうと優しければ好かれる事もあり、交友関係が狭くても特定の一人を深く愛してやれば愛おしさだって芽生える事だってある。
それが偶々、藍莉にとって掛け替えのない大切に位置する存在が准であったに過ぎないのだ。
境遇、順番が違えば、或いは、もしかしたら颯悟だつてその枠に収まれた可能性だってゼロではない──なんて事は残念ながらないだろう。
そう、ある筈がない。
少なくても朝倉拓也がそれを許さない⋯⋯。
悲しい事に読心術を持っている彼にとって、颯悟の筒抜けの野心や欲望は毛嫌いの部類にあり、贔屓と選り好みが好きなあの男は間違いなく颯悟を排斥する。
たとえ、去年の春に准を助けてなくて、代わりに颯悟に語り掛けるなんて事は決して天地がひっくり返っても有り得ず、『刃龍の一件』に颯悟が関わっても刃龍共々見捨てている。
藍莉の【走馬悼】ですら、准が関わっていたから最後に助けたに過ぎず、仮に颯悟が代わりに轢かれていても、欠伸をしながら何かしらに勤しんでいるに過ぎない。
『幽霊騒動』の際も蘇生をさせる事はしないし、数々の助言を口にすらしない。
あの男は何処までも勝手であり、平等に人を見ない⋯⋯それ故に颯悟では駄目なのだ。
だが、颯悟がそんな事に気付く事は決してなく、目の前に居る藍莉に見限られたとは考えたくもない颯悟の抵抗は続く。
「違う!お前は劣ってるアイツなんかと一緒じゃ駄目なんだ!お前は俺のような奴と⋯⋯」
「貴方、それ本気で言ってる?」
「この際、ハッキリ言っておくけどね⋯⋯。そういう自信過剰な癖に客観視も出来ないような人、誰が好きになれるのよ。馬鹿も休み休みにしてちょうだい」
軽蔑と呆れが突き刺さるかのように颯悟の顔を歪めていき、力無く椅子に座り込む。
吹雪いた絶対零度が熱を無理矢理冷ましていく。
「じゃあ俺は⋯⋯何の為に奏海を呼んだんだ」
「⋯⋯⋯貴方、それどういう事?」
「俺にお前が必要なように、アイツには桐江が必要なんだよ!じゃなきゃ、アイツは桐江に毎日グチグチと言いに来ないだろ!お前らのせいなんだ!お前らが俺達を狂わせたんだよ!」
颯悟とて、見るものはしっかり見ている。
都合の良い解釈はあれど、奏海のツンケンとしつつ准に関わってくる行動に意図があると⋯⋯。
「アイツと言ってたんだ。二人でいい人生歩もうなって。俺はお前と⋯⋯。奏海はアイツと⋯⋯。なのに、アイツのせいで全部崩れたッ!」
「人のせいにしないで!そもそも、その提案、奏海が頼んだ訳じゃないでしょうね?」
「俺が頼んだ。アイツは了承したぞ?」
「嘘よ。そんな筈ない⋯⋯⋯⋯」
友人が自身とその恋人の仲を引き裂こうとしていて、それに協力していたのも、また友人。
藍莉にはそれが何よりもショックで仕方なかった。
そもそもの話、藍莉自分の為に奏海が仲を引き裂こうとしていると言われた方が幾分も説得力のある話であり、どうして拘るのか、藍莉には到底理解出来る内容ではない。
奏海の過去、八年前の事件、小さな公園で待ち合わせたひと時の思い出を藍莉は知らないのだから、分かる筈がないのだ。
何よりも、聞こうとしなかった。
何故、そこまで准へ強く当たるのか、奏海に対して聞いた試しがない。
看護師がやって来た⋯⋯。
思わず立ち上がった藍莉は床へと意識を向けた颯悟を残して案内されるがままに『病室』へと向かう。
手術は一応の成功を収め、意識の回復を待つのみとなったが、奏海が起きた時、身体に出る影響がどんなものなのか、それは医者でも予測出来ないとして説明を受けた藍莉は深々と頭を下げて病室へと入って行く。
個室の部屋は点滴と心電図モニター、暗くなった窓をさえぎったカーテンと寝たきりとなった彼女がそこに居た──。
「奏海⋯⋯」
どうすれば、どうだったら、奏海はこんな事にならずに済んだのか⋯⋯そればかり考える藍莉は奏海の手を握る。
両親はやって来ず、颯悟も洗われず、担任と顧問が後からやって来て、事情を詳しく聞こうとするも、藍莉の心境を察してか、部屋に入って十分程度で手術を受け持った執刀医と話だけして帰って行く。
それでも、藍莉は病室で黙々と考えて、考えて、考えて、答えを得た。
自分が颯悟としっかりと向き合おうとしていれば良かったのではないか⋯⋯そう考えるようになっていくと共に部室棟でのやり取り、そして日頃の自身の対応を思い返して、酷く絶望する。
初めは准と付き合わない可能性を考えたが、それは無いと即切捨て、模索した結果に残った択がそれだったのだ。
「ごめんね、奏海。私のせいだね⋯⋯私と颯悟のせいだね」
付け足しの名前、剥がれ掛けのシールのように摘んで取る事も容易なそのか細くなった声色には遣る瀬無さが滲み出ていた。
寝ている彼女へ責める事はしない。
何やってんだか、そう口にして自業自得だと言い切る事も出来る立場にある藍莉は自らを罰する選択に走る。
目覚めなければどう償えば良いのか?
目覚めても身体の機能に不自由が残ってしまったら?
記憶が無くなってしまったらどうしたら良い?
そんなもしもの堂々巡りを思考し続けて、眠る間も惜しまなかった結果、夜は過ぎていき、気付いた時には朝を迎えてしまっており、泣き腫らした顔だけ洗い、病院を出た。
颯悟は何処かへ行ってしまい、行方知れずではあるが、藍莉はそれに大した気を止める事もなかった。
スマホも荷物も学校へ完全放置に気付いたのは病院を出てからすぐのバス停を見て、財布を出そうと何時ものように鞄を持っている右手が動いた時である。
「⋯⋯そっか。持って行ってなかったんだった」
結局、約六キロ程離れたアパートを目指して帰路を黙々と文句も不貞腐れるような態度も見せずに辿って行く。
学校の校門前に着いた頃には脚はパンパンであり、時刻は八時を過ぎており、夏の焼けるような暑さが本格化する前段階であった頃。
前方から不貞腐れた顔付き、太陽に対して文句がこれでもかと出てきそうな視線を空へと送る少年を発見した。
「っ!そっか⋯⋯補習」
気付けば、少年のゆっくりだった歩幅は大きくなり、藍莉の元へと駆け出して行く。
それが藍莉にはとても嬉しくもあると共に、申し訳ない気持ちに溢れて、思わず俯いてしまう。
なんと声を掛けよう、そんな事を考えていた藍莉は朝帰りの最中である。
どう責められても反論出来ず、友人は自分のせいで事故に遭い、意識不明。
口にするのがとてもじゃない程、重くかった。
ましてや、相手は彼氏であると共に、奏海とは不仲の関係。
軽いリアクションをされてもそれはそれで幻滅しそうなのが怖くて、かと言って、それらしいリアクションをしたらしたで、何かただならぬ関係にあるのかと勘繰ってしまう自分に嫌気が差してしまいそうだった。
結局、言わない方が良いまであると、その時⋯⋯何故か思ってしまった藍莉は徐ろに口を開く。
颯悟くんがどうしてそうなったか、私にも分からん。
お母さんが泣いとるぞ!多分⋯⋯
病室へのお見舞いには時間的制限がある?知ってますよ




